「生産性」と商店「日本」
2008年06月30日
「生産性を高める」って言い方は、何か殺伐とした効率主義を感じて、好まない方が多いような気がする。
また機械的でクリエイティブな感じがしないというのもないだろうか?
そういう反応が返ってきたことはありません。
ただ、自分がそう思うから。
日本の労働生産性は低いと痛感する。
自分の勤め先も、涙が出そうなぐらいに低いと思い続けてきた。
1つには、零細企業が多すぎる。
これは、自分が零細の極にいるので、自分のようなとこがなくなることに通じるから言いにくい。
ただ、労働生産性は統計でも理屈でも単純に大きいところほど高いと言わぜるをえんとこがある。
これは、日本が家業として、息子に継がせるという、世襲を好む考えから企業を社会に開かれたものにしてこなかった文化的要因も大きいと思う。
こういう考えだから、企業の統合もあまり進んでこなかったのでは?
そういう中で、国際競争していると、大企業もそうだが、中小企業も元請けなどの求めに応じてサービス的な長時間労働をしなくてはならなくなる。
日本の生産性の低さやそれに伴う労働慣行が、女性の社会進出を遅らせたり、少子化を進めた面はないのだろうか?
両性の平等とか、子育てのしやすい暮らしってのを実現しようと思ったら、習慣を切りつけてでも、生産性を高めるために奮起することは、優しさや思いやりでもあると思う。
日本は先進国の中では時間当たりの労働生産性は最低水準。
この最低水準の輸出商店「日本国」はなぜ、戦後、世界でトップクラスの経済大国になれたのかをうどん屋の損益計算を応用して、考えてみたい。
戦後、冷戦構造下で、世界中が軍拡や防衛に多大な費用をかけているときに、日本は安保の下、防衛費を払っていなかった。
つまり、家賃を払ってない自家の街中にあるうどん屋が、かけうどん1杯40円ぐらい安くしても、家賃を払ってるとこと同じぐらいの利益を出せるのと似ている。
この払ってない家賃を価格競争や顧客サービスに回していたし、家族労働で自分の家業だからサービス残業じゃないけど、自分の時間を惜しまず文句も言わずに働いたし、パートさんも終身雇用で近所の人でおなじみだったので忙しいときに長いこと洗い物で残っても定時扱いで文句言わなんだから、実際の労働の割りに人件費率も低かった。
労働生産性は従来から低かったが、家賃なし、家族やパートさんが文句も言わずになんぼでも長時間働く、だから、コスト競争力が強かった。
しかし、日本も豊かになり、冷戦構造がなくなると、アメリカも安保の費用を払ってくださいというようになり、よそも軍拡や防衛の費用を経済や民生に回せるようになり、今まで共産勢力だったり、労働力が安い国がこぞって、うどん屋「日本」のライバルとして、近所に安い人件費で、格安セルフの店として進出してくるようになった。
また、国内の状況は、奥さんもお金を稼いだし、内助の功への自信から、自分の時間を持ちたいとか、大将に対して対等に主張したり、今までないがしろにしてきた子育てに力を入れなくてはならなくなったり、パートさんも子育てやご両親の介護で時間が取りにくいというようになったし、手伝ってくれた先代のおやっさんも働けなくなった。
ITなどを活用しようとしても、若いのがいなくて家族全体が高齢化してるから、なじめない人も多いから導入もしにくいし、導入後もなかなか使えない人がいる中で運用もうまくいかない。
家族を大事にしなくてはいけない。
子育てができる環境でなくてはいけない。
先代のおやっさんももう老身だし、面倒も見ないといけない。
こういう状況になってきたので、みんなで一丸となって、忙しいときは昼も夜もなく寝る間を惜しんで精一杯やったらいいという昔ながらの労働生産性の低い状況でのガンバリズムでは、社会は維持できなくなったし、人々がそれでは幸せにはならないということが見えてきたのではないだろうか?
「問題」とは「何かが悪い」という「悪者」の話でなく、「何かと何かが不適合」という「関係」の話としてとらえないと策が見えてこないというなら、まさに、中小企業が新聞で苦しいと書かれたり、格差社会といわれたり、少子化が進んだりするのは、世界情勢や時代との不適合の問題でもあるし、生産性の低さの問題ともいえるなあと思う。
労働生産性を高めるということは、優しさや思いやりを深めるという話ではないだろうか?
また機械的でクリエイティブな感じがしないというのもないだろうか?
そういう反応が返ってきたことはありません。
ただ、自分がそう思うから。
日本の労働生産性は低いと痛感する。
自分の勤め先も、涙が出そうなぐらいに低いと思い続けてきた。
1つには、零細企業が多すぎる。
これは、自分が零細の極にいるので、自分のようなとこがなくなることに通じるから言いにくい。
ただ、労働生産性は統計でも理屈でも単純に大きいところほど高いと言わぜるをえんとこがある。
これは、日本が家業として、息子に継がせるという、世襲を好む考えから企業を社会に開かれたものにしてこなかった文化的要因も大きいと思う。
こういう考えだから、企業の統合もあまり進んでこなかったのでは?
そういう中で、国際競争していると、大企業もそうだが、中小企業も元請けなどの求めに応じてサービス的な長時間労働をしなくてはならなくなる。
日本の生産性の低さやそれに伴う労働慣行が、女性の社会進出を遅らせたり、少子化を進めた面はないのだろうか?
両性の平等とか、子育てのしやすい暮らしってのを実現しようと思ったら、習慣を切りつけてでも、生産性を高めるために奮起することは、優しさや思いやりでもあると思う。
日本は先進国の中では時間当たりの労働生産性は最低水準。
この最低水準の輸出商店「日本国」はなぜ、戦後、世界でトップクラスの経済大国になれたのかをうどん屋の損益計算を応用して、考えてみたい。
戦後、冷戦構造下で、世界中が軍拡や防衛に多大な費用をかけているときに、日本は安保の下、防衛費を払っていなかった。
つまり、家賃を払ってない自家の街中にあるうどん屋が、かけうどん1杯40円ぐらい安くしても、家賃を払ってるとこと同じぐらいの利益を出せるのと似ている。
この払ってない家賃を価格競争や顧客サービスに回していたし、家族労働で自分の家業だからサービス残業じゃないけど、自分の時間を惜しまず文句も言わずに働いたし、パートさんも終身雇用で近所の人でおなじみだったので忙しいときに長いこと洗い物で残っても定時扱いで文句言わなんだから、実際の労働の割りに人件費率も低かった。
労働生産性は従来から低かったが、家賃なし、家族やパートさんが文句も言わずになんぼでも長時間働く、だから、コスト競争力が強かった。
しかし、日本も豊かになり、冷戦構造がなくなると、アメリカも安保の費用を払ってくださいというようになり、よそも軍拡や防衛の費用を経済や民生に回せるようになり、今まで共産勢力だったり、労働力が安い国がこぞって、うどん屋「日本」のライバルとして、近所に安い人件費で、格安セルフの店として進出してくるようになった。
また、国内の状況は、奥さんもお金を稼いだし、内助の功への自信から、自分の時間を持ちたいとか、大将に対して対等に主張したり、今までないがしろにしてきた子育てに力を入れなくてはならなくなったり、パートさんも子育てやご両親の介護で時間が取りにくいというようになったし、手伝ってくれた先代のおやっさんも働けなくなった。
ITなどを活用しようとしても、若いのがいなくて家族全体が高齢化してるから、なじめない人も多いから導入もしにくいし、導入後もなかなか使えない人がいる中で運用もうまくいかない。
家族を大事にしなくてはいけない。
子育てができる環境でなくてはいけない。
先代のおやっさんももう老身だし、面倒も見ないといけない。
こういう状況になってきたので、みんなで一丸となって、忙しいときは昼も夜もなく寝る間を惜しんで精一杯やったらいいという昔ながらの労働生産性の低い状況でのガンバリズムでは、社会は維持できなくなったし、人々がそれでは幸せにはならないということが見えてきたのではないだろうか?
「問題」とは「何かが悪い」という「悪者」の話でなく、「何かと何かが不適合」という「関係」の話としてとらえないと策が見えてこないというなら、まさに、中小企業が新聞で苦しいと書かれたり、格差社会といわれたり、少子化が進んだりするのは、世界情勢や時代との不適合の問題でもあるし、生産性の低さの問題ともいえるなあと思う。
労働生産性を高めるということは、優しさや思いやりを深めるという話ではないだろうか?
Posted by たみ家 at
00:48
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教育費おそるべし
2008年06月29日
統計とか見てると、日本の消費者物価は上がってると言われてますが、世界的に見ると欧米や中国やロシアなどに比べたら、上がってないとこの3分の1、上がってるとこの10分の1ほどの上昇率しかないようです。
小売ががまんしているのか、下請けががまんさせられてるのか、はたまた政府がうまくやっているのか?
よくわからんけど、これだけ物価がむちゃくちゃに上がったような気がするが、それでも世界一物価が上がってないらしい。
消費者物価指数なんかはもう一つ、生活実感には合わない統計の取り方だと思うけど、それでも、世界一物価が上がってない国との評価はハズレではないだろう。
たみ家もいろいろな店の仕入値や売値の情報が入ってきますが、ほんとにどこも、値上は赤字でもがまんするようなとこが多いですね。
よく何かの仕入値が5%ぐらい上がったときに、10%ぐらい値上して、便乗値上げとか言われる人がいますが、実際は、5%や3%の仕入値が何度も数え切れないほどアップして、20年ぶりに、やっと初めて今までの累積分の半分にもならないほど値上して、それで便乗、便乗と言われているのが実情ではないでしょうか?
近所の飲食店などみても、30年で1回ぐらいしか値上してない店がほんと多い。
なぜ、日本の小売業者は消費者を大事にして、ここまで値上を抑えるのか、性善的な話だけでなく、そうせざるを得ないというとこもあるでしょうが、勤めから自営の飲食店に変わってみて、多くの裏のとれた数字を見るに、日本の零細小売業の値上しなさは異常としか思えないとこがある。
サラリーマンで言えば、過労で入院を必要とするとこまでいって、初めて、「ちょっとしんどいです。」って言ってるような人がほとんどではないでしょうか?
と、タイトルとはあまり関係ないとこで長くなりました。
昨日、とある単身赴任者の方と世間話をしてました。
教育費には国がたいへんな負担をしているという話は、マジメな話を嫌いそうにない人には、たみ家はときどきしてます。
家族を残している都会では私立でないと学習環境がよろしくないと考えているらしく、お子さん二人とも私立高校。
有名な名門進学校でした。
で、年間、学校に2人で300万円、塾と習い事で200万円ぐらいは払っているそうです。
共働きではないそうです。
有名企業の管理職の方ですが、逆に普通に有名な企業だけに、地場の平均よりは大幅に上でも、無茶苦茶な額はもらってはないでしょう。
教育熱心だと年に500万円も教育費がかかるのか。
こりゃ、所得が高い都市部の人達の間で少子化するわけだ。
たみ家は商売を始めて、ものの見方はかなり変わりました。
変わったところについては、たぶん、正しく、クリアに見られるようになったのだと思ってます。
そうすると、ダッシュ村とか農村での自給自足的な生活をもてはやすようなマスメディアには疑問を感じるようにもなった。
小中学校に行ってる児童や高齢者の医療費まで負担できるだけ生産性のある働きをして、年間数百万円の税金を払ったうえで、自分が食べていけると言わないと、自分の自由のためにぜいたくな暮らし方をして、国というシステムに負担をかけている状態で、社会への共益費にただ乗りしていることになる。
田舎で若いのに都会から農村に引っ越してくるなら、儲けてほしいと思う。
人々に喜ばれることと、自分の誇りと、儲けることは、ちゃんと並立させる気持ちは持っていてほしい。
若者が農村部で、自給自足的な生活に憧れて、かつ、儲かるのならいいのだが、儲かりもしないのに、そんなのに憧れる風潮をつくるようなテレビ番組は、社会本位でものを言えば、世の中の足を引っ張って、国や地方の破綻を助長しているとも言えそうだ。
しかし、個人本位の立場でいえば、まあ、憧れに任せて自由に生きるっていいよねとも言える。
また、実際は一極集中化してるけど地方の時代が求められているだけに田舎の良さをアピールすることも、別の面から見れば、社会本位でも悪いことではないのかもしれない。
農村部には、その単独の収支では評価しきれない、埋めなければならないものがあって、儲からなくても、そこの農地や森林を守る力が必要であるなど、多面的に言い出したら、もっといろいろあるかもしれないが、今のたみ家には、やはりいぶかしく思うところが残る。
田舎に憧れるのはよろしい。
独立や自由に憧れるのもよろしい。
でも、やっぱり、おぜにさんを崇拝はしないでも、馬鹿にしたり軽視したらいかんと思う。
「オレは儲けが目的じゃないんだ。」ってかっこつけて、児童の教育費も高齢者の医療費もまったく負担する気持ちもないで、自分の足で立ってるような言い方をするのは変だ。
たみ家は、今、まだまだ社会におぶさっている側の存在だと大いに自覚して、その立場から抜け出していこうという気持ちは大いに持っています。
また、子供は勉強はしっかりせんといかんし、親御さんもしっかりさせんといかんと思う。
勉強だけで価値を計らなくても、勉強で人の序列をつくらなくても、その人の立場でしっかり勉強したり、させたりすることは、これだけ多くの人が負担してくれたおぜにさんとその背景にある労働や努力を考えてもしないとバチが当たると思う。
「勉強しなくていい」ってのは、ご飯など食べ物を投げて遊ぶようにバチアタリなことではなかろうか?
いろいろな意味で、たみ家は、もともとの自由や平等や人権を高らかに唱える理想主義的なタイプから、けっこう保守的な面も持ち合わせるようになったと思う。
自分では、クリアでバランスが良くなったように感じています。
小売ががまんしているのか、下請けががまんさせられてるのか、はたまた政府がうまくやっているのか?
よくわからんけど、これだけ物価がむちゃくちゃに上がったような気がするが、それでも世界一物価が上がってないらしい。
消費者物価指数なんかはもう一つ、生活実感には合わない統計の取り方だと思うけど、それでも、世界一物価が上がってない国との評価はハズレではないだろう。
たみ家もいろいろな店の仕入値や売値の情報が入ってきますが、ほんとにどこも、値上は赤字でもがまんするようなとこが多いですね。
よく何かの仕入値が5%ぐらい上がったときに、10%ぐらい値上して、便乗値上げとか言われる人がいますが、実際は、5%や3%の仕入値が何度も数え切れないほどアップして、20年ぶりに、やっと初めて今までの累積分の半分にもならないほど値上して、それで便乗、便乗と言われているのが実情ではないでしょうか?
近所の飲食店などみても、30年で1回ぐらいしか値上してない店がほんと多い。
なぜ、日本の小売業者は消費者を大事にして、ここまで値上を抑えるのか、性善的な話だけでなく、そうせざるを得ないというとこもあるでしょうが、勤めから自営の飲食店に変わってみて、多くの裏のとれた数字を見るに、日本の零細小売業の値上しなさは異常としか思えないとこがある。
サラリーマンで言えば、過労で入院を必要とするとこまでいって、初めて、「ちょっとしんどいです。」って言ってるような人がほとんどではないでしょうか?
と、タイトルとはあまり関係ないとこで長くなりました。
昨日、とある単身赴任者の方と世間話をしてました。
教育費には国がたいへんな負担をしているという話は、マジメな話を嫌いそうにない人には、たみ家はときどきしてます。
家族を残している都会では私立でないと学習環境がよろしくないと考えているらしく、お子さん二人とも私立高校。
有名な名門進学校でした。
で、年間、学校に2人で300万円、塾と習い事で200万円ぐらいは払っているそうです。
共働きではないそうです。
有名企業の管理職の方ですが、逆に普通に有名な企業だけに、地場の平均よりは大幅に上でも、無茶苦茶な額はもらってはないでしょう。
教育熱心だと年に500万円も教育費がかかるのか。
こりゃ、所得が高い都市部の人達の間で少子化するわけだ。
たみ家は商売を始めて、ものの見方はかなり変わりました。
変わったところについては、たぶん、正しく、クリアに見られるようになったのだと思ってます。
そうすると、ダッシュ村とか農村での自給自足的な生活をもてはやすようなマスメディアには疑問を感じるようにもなった。
小中学校に行ってる児童や高齢者の医療費まで負担できるだけ生産性のある働きをして、年間数百万円の税金を払ったうえで、自分が食べていけると言わないと、自分の自由のためにぜいたくな暮らし方をして、国というシステムに負担をかけている状態で、社会への共益費にただ乗りしていることになる。
田舎で若いのに都会から農村に引っ越してくるなら、儲けてほしいと思う。
人々に喜ばれることと、自分の誇りと、儲けることは、ちゃんと並立させる気持ちは持っていてほしい。
若者が農村部で、自給自足的な生活に憧れて、かつ、儲かるのならいいのだが、儲かりもしないのに、そんなのに憧れる風潮をつくるようなテレビ番組は、社会本位でものを言えば、世の中の足を引っ張って、国や地方の破綻を助長しているとも言えそうだ。
しかし、個人本位の立場でいえば、まあ、憧れに任せて自由に生きるっていいよねとも言える。
また、実際は一極集中化してるけど地方の時代が求められているだけに田舎の良さをアピールすることも、別の面から見れば、社会本位でも悪いことではないのかもしれない。
農村部には、その単独の収支では評価しきれない、埋めなければならないものがあって、儲からなくても、そこの農地や森林を守る力が必要であるなど、多面的に言い出したら、もっといろいろあるかもしれないが、今のたみ家には、やはりいぶかしく思うところが残る。
田舎に憧れるのはよろしい。
独立や自由に憧れるのもよろしい。
でも、やっぱり、おぜにさんを崇拝はしないでも、馬鹿にしたり軽視したらいかんと思う。
「オレは儲けが目的じゃないんだ。」ってかっこつけて、児童の教育費も高齢者の医療費もまったく負担する気持ちもないで、自分の足で立ってるような言い方をするのは変だ。
たみ家は、今、まだまだ社会におぶさっている側の存在だと大いに自覚して、その立場から抜け出していこうという気持ちは大いに持っています。
また、子供は勉強はしっかりせんといかんし、親御さんもしっかりさせんといかんと思う。
勉強だけで価値を計らなくても、勉強で人の序列をつくらなくても、その人の立場でしっかり勉強したり、させたりすることは、これだけ多くの人が負担してくれたおぜにさんとその背景にある労働や努力を考えてもしないとバチが当たると思う。
「勉強しなくていい」ってのは、ご飯など食べ物を投げて遊ぶようにバチアタリなことではなかろうか?
いろいろな意味で、たみ家は、もともとの自由や平等や人権を高らかに唱える理想主義的なタイプから、けっこう保守的な面も持ち合わせるようになったと思う。
自分では、クリアでバランスが良くなったように感じています。
Posted by たみ家 at
22:05
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FP1級勉強ノート 2 相続・事業承継
2008年06月29日
前も書きましたが、睡眠時間が3時間程度で、立ってる時間が1日に14、5時間もあるので本は読めない。
ということで、勉強の項目を覚えて、入浴中や買い物などで歩きながら頭の中で各項目を宙でどれだけ論述できるかのアウトプットをして、項目を思い出せなかったり、アウトプットできない部分について、本を読み返すというようなインプットの勉強方法をとることにしました。
発信してる方がやる気がでるし、「こういうことを勉強してます」と書いてれば、聞かれたりして刺激ができたり、情報が入ってくるかもしれないので、ノートをブログに書くという、空気破りなことに挑戦してます。
ほんとうは、この範囲は6になるはずのとこですが、2級のときもここで苦戦したし、近所の自営の人にも、この分野聞かれて答えられなかったので、先回し。
たみ家は読みつつ、空気を決意を持って破って、ブログのノート化を1級の範囲全分野やります。
一・贈与と法律
1・贈与の意義
2.贈与契約
3.贈与の時期
4.贈与契約の取消し
5.贈与の種類
(1)単純贈与
(2)定期贈与、負担付贈与、死因贈与
6.民法の規定に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)親族の範囲
(2)婚姻・離婚
(3)扶養義務者
二.贈与と税金
1.贈与税の納税義務者
(1)無制限納税義務者
(2)制限納税義務者
(3)特例納税義務者
2.贈与税の課税財産
(1)本来の贈与財産
(2)みなし贈与財産
(3)財産の名義変更の取扱い
(4)土地の使用貸借の取扱い
(5)無利子の金銭貸与の取扱い
3.贈与税の非課税財産
(1)法人からの贈与財産
(2)扶養義務者からの生活費、教育費
(3)公益事業用財産
(4)社交上必要と認められる香典、贈答、見舞い、祝物など
(5)相続開始年の贈与
(6)特定贈与信託の信託受益権
(7)公職選挙法上の選挙における選挙運動のための贈与を受けた財産
(8)心身障害者共済制度に基づく給付金の受給権
(9)特定公益信託が交付される金品
4.贈与税の計算
(1)贈与税の基礎控除
(2)一般の贈与税額の計算
(3)贈与税の配偶者控除
(4)住宅取得資金の贈与の特例
5.贈与税の計算における外国税額控除
6.贈与税の納付
(1)贈与税の納付方法と納期限
(2)延納
イ 延納の適用要件 ロ 延納期間、利子税 ハ 延納の申請期限
7.贈与税の連帯納付義務
8.農地等の納税猶予の特例
9.納期限の延長(国税通則法11条)
10.災害等の場合の納税猶予(国税通則法46条)
11.災害減免法による贈与税の免除
三.相続と法律
1.相続に関する民法の規定
(1)相続の開始
(2)相続人の範囲と順位
(3)欠格と排除
(4)実子(嫡出・認知)
(5)養子(普通養子・特別養子)
(6)成年後見制度
2.相続における退治の取扱い
3.相続分
(1)法定相続分
(2)非嫡出子、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分
(3)代襲相続分
(4)指定相続分
(5)特別受益者の相続分
(6)寄与分
4.遺産分割、財産分割の方法
(1)遺産分割の方法(指定分割、協議分割、調停分割、審判分割)
(2)財産分割の方法(現物分割、換価分割、代償分割)
5.遺産分割の流れおよび留意点
6.遺産分割協議
7.相続人の不存在、特別縁故者への分与
8.相続の承認と放棄
(1)単純放棄
(2)相続の放棄
9.遺言
(1)遺言の方式、要件
(2)遺言の効力
(3)遺言の執行
(4)遺言の撤回
(5)遺留分(遺留分権利者とその遺留分)
(6)遺留分の減殺請求、遺留分の放棄
四.相続と税金
1.相続税の納税義務者
(1)無制限納税義務者
(2)制限納税義務者
(3)特別納税義務者
2.相続税の課税財産
(1)本来の相続財産
(2)みなし相続財産
(3)相続開始前3年以内に被相続人から贈与を受けた財産
3.相続税の非課税財産
(1)死亡保険金、死亡退職金および弔慰金
(2)その他
4.債務控除
(1)無制限納税義務者の場合
(2)制限納税義務者の場合
(3)特例納税義務者の場合
(4)債務控除の具体的範囲
(5)葬式費用の具体的範囲
5.相続税の計算
(1)遺産に係る基礎控除の計算
イ 相続放棄があった場合、ロ 養子の数の範囲 ハ 養子でも実子とみなされる場合
(2)課税遺産総額
(3)相続税の総額の計算
(4)各相続人等の相続税額
(5)相続税額の2割加算
(6)配偶者の税額軽減
(7)贈与税額控除
(8)未成年控除
(9)障害者控除
(10)相次相続控除
6.相続税の計算における外国税額控除
7.相続税の納付
(1)相続税の納付方法と納期限
(2)延納
(3)納付方法の変更
8.相続税の物納
(1)物納の手続き
(2)物納の撤回
9.相続税の連帯納付義務
10.農地等の納税猶予の特例
11.災害等の場合の納税猶予(国税通則法46条)
12.災害減免法のよる相続税の免除
五.相続財産の評価(不動産以外)
1.財産評価の原則
2.動産の評価
3.無体財産権の評価
4.ゴルフ会員権の評価
5.果樹、立竹木の評価
6.金融資産の評価
(1)預貯金の評価
(2)公社債の評価
(3)生命保険金の評価
(4)証券投資信託、貸付信託の評価
7.株式の評価
(1)上場株式
(2)気配相場等のある株式
(3)取引相場のない株式
イ 会社規模の判定、ロ 評価方式の区分 ハ 評価の方式
①類似業種比準方式、②純資産価値方式、③配当還元方式、④併用方式
二 特定の評価会社
①株式保有特定会社、②土地保有特定会社、③開業後3年未満の会社等、④比準要素1の会社、⑤開業前、休業中または清算中の会社
8.新株引受権、株式の引受けによる権利、新株無償交付期待権、配当期待権の評価
9.出資の評価
(1)合名会社、合資会社、有限会社および協同組合
(2)医療法人
六.相続財産の評価(不動産)
1.宅地の評価(詳細)
(1)評価単位
(2)評価の方式(路線価方式、倍率方式)
(3)不整形地補正、無道路地、がけ地等
2.
・間口狭小補正
・奥行長大補正
3.私道の評価
4.宅地の上に存する権利の評価
(1)借地権
(2)貸宅地
(3)貸家建付地
(4)貸家建付借地権
(5)定期借地権等
(6)定期借地権の目的となっている宅地
(7)使用貸借による土地
(8)無償変換届のある場合の土地評価
5.
・転貸借地権
・転借借地権
6.農地の評価
(1)純農地
(2)中間農地
(3)市街化周辺農地
(4)市街化緑地
7.生産緑地の評価
8.農地の上に存する権利
(1)地上権
(2)永小作権
(3)耕作権
9.山林、原野、牧場、池沼、雑種地の評価
10.建物の評価
(1)自用家屋
(2)貸家
(3)借家権
(4)構築物
(5)建築中の建物
11.負担付贈与および個人間売買の場合の評価
12.小規模宅地等の評価減の特例
七.不動産の相続対策
1.相続税評価額と通常の取引価額との関係
2.移転による対策
(1)贈与の活用
(2)贈与税の配偶者控除の活用
(3)住宅取得資金贈与の特例の活用
(4)売却、交換の活用
3.課税価格対策
(1)不動産の購入
(2)不動産の有効活用
(3)貸家建付地による評価減
(4)定期借地権の活用
(5)小規模宅地等の評価減の特例の活用
4.自然発生借地権の活用による課税価格対策
5.納税対策
(1)延納による納税対策
(2)物納による納税対策
(3)売却・交換による納税対策
6.遺産分割対策
(1)遺言書の作成
(2)分割容易資産への変換
(3)代償分割
八.相続と保険の活用
1.生命保険の基本的な仕組み等
2.相続対策における生命保険の活用
(1)遺産分割対策
(2)相続税の軽減対策
(3)納税対策
(4)二次相続対策
九.事業継承対策
1.事業承継の問題点
2.事業承継対策の流れ
3.贈与、譲渡、従業員持株会制度、会社による自社株買取りによる相続財産の減少対策
4.自社株式移動による相続財産の減少対策
(1)中小企業投資育成会社
(2)株式の相互持合い、資本政策(増資、減資、合併、利益償却など)
5.類似業種比準価額方式による自社株評価における対策
(1)会社規模の調整
(2)類似業種比準価額
イ 配当金額の引下げ策 ロ 利益金額の引下げ策 ハ 純資産価額の引下げ策
6.類似業種比準価額方式による自社株評価関し、類似業種による対策
7.純資産価額方式による自社株評価における不動産の取得・有効活用による対策
8.純資産価額方式による自社株評価における対策
(1)生命保険金契約の活用
(2)役員退職金の活用
9.特定の評価会社の自社株評価価額対策
(1)土地保有特定会社の対策
(2)株式保有特定会社の対策
10.納税資金対策
(1)役員退職金の活用
(2)役員保険の活用
11.株式公開と資本政策
12.株式の売却・営業譲渡等(M&A)
十.事業と経営
1.法人成りを含めた会社設立
2.株式公開
3.M&A
4.企業再編
5.清算
6.金庫株等、最近の商法改正
7.会計制度の最近の動向
十一.相続・事業承継に関する最新の動向
最新の「相続・事業承継」に関すること
ということで、勉強の項目を覚えて、入浴中や買い物などで歩きながら頭の中で各項目を宙でどれだけ論述できるかのアウトプットをして、項目を思い出せなかったり、アウトプットできない部分について、本を読み返すというようなインプットの勉強方法をとることにしました。
発信してる方がやる気がでるし、「こういうことを勉強してます」と書いてれば、聞かれたりして刺激ができたり、情報が入ってくるかもしれないので、ノートをブログに書くという、空気破りなことに挑戦してます。
ほんとうは、この範囲は6になるはずのとこですが、2級のときもここで苦戦したし、近所の自営の人にも、この分野聞かれて答えられなかったので、先回し。
たみ家は読みつつ、空気を決意を持って破って、ブログのノート化を1級の範囲全分野やります。
一・贈与と法律
1・贈与の意義
2.贈与契約
3.贈与の時期
4.贈与契約の取消し
5.贈与の種類
(1)単純贈与
(2)定期贈与、負担付贈与、死因贈与
6.民法の規定に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)親族の範囲
(2)婚姻・離婚
(3)扶養義務者
二.贈与と税金
1.贈与税の納税義務者
(1)無制限納税義務者
(2)制限納税義務者
(3)特例納税義務者
2.贈与税の課税財産
(1)本来の贈与財産
(2)みなし贈与財産
(3)財産の名義変更の取扱い
(4)土地の使用貸借の取扱い
(5)無利子の金銭貸与の取扱い
3.贈与税の非課税財産
(1)法人からの贈与財産
(2)扶養義務者からの生活費、教育費
(3)公益事業用財産
(4)社交上必要と認められる香典、贈答、見舞い、祝物など
(5)相続開始年の贈与
(6)特定贈与信託の信託受益権
(7)公職選挙法上の選挙における選挙運動のための贈与を受けた財産
(8)心身障害者共済制度に基づく給付金の受給権
(9)特定公益信託が交付される金品
4.贈与税の計算
(1)贈与税の基礎控除
(2)一般の贈与税額の計算
(3)贈与税の配偶者控除
(4)住宅取得資金の贈与の特例
5.贈与税の計算における外国税額控除
6.贈与税の納付
(1)贈与税の納付方法と納期限
(2)延納
イ 延納の適用要件 ロ 延納期間、利子税 ハ 延納の申請期限
7.贈与税の連帯納付義務
8.農地等の納税猶予の特例
9.納期限の延長(国税通則法11条)
10.災害等の場合の納税猶予(国税通則法46条)
11.災害減免法による贈与税の免除
三.相続と法律
1.相続に関する民法の規定
(1)相続の開始
(2)相続人の範囲と順位
(3)欠格と排除
(4)実子(嫡出・認知)
(5)養子(普通養子・特別養子)
(6)成年後見制度
2.相続における退治の取扱い
3.相続分
(1)法定相続分
(2)非嫡出子、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分
(3)代襲相続分
(4)指定相続分
(5)特別受益者の相続分
(6)寄与分
4.遺産分割、財産分割の方法
(1)遺産分割の方法(指定分割、協議分割、調停分割、審判分割)
(2)財産分割の方法(現物分割、換価分割、代償分割)
5.遺産分割の流れおよび留意点
6.遺産分割協議
7.相続人の不存在、特別縁故者への分与
8.相続の承認と放棄
(1)単純放棄
(2)相続の放棄
9.遺言
(1)遺言の方式、要件
(2)遺言の効力
(3)遺言の執行
(4)遺言の撤回
(5)遺留分(遺留分権利者とその遺留分)
(6)遺留分の減殺請求、遺留分の放棄
四.相続と税金
1.相続税の納税義務者
(1)無制限納税義務者
(2)制限納税義務者
(3)特別納税義務者
2.相続税の課税財産
(1)本来の相続財産
(2)みなし相続財産
(3)相続開始前3年以内に被相続人から贈与を受けた財産
3.相続税の非課税財産
(1)死亡保険金、死亡退職金および弔慰金
(2)その他
4.債務控除
(1)無制限納税義務者の場合
(2)制限納税義務者の場合
(3)特例納税義務者の場合
(4)債務控除の具体的範囲
(5)葬式費用の具体的範囲
5.相続税の計算
(1)遺産に係る基礎控除の計算
イ 相続放棄があった場合、ロ 養子の数の範囲 ハ 養子でも実子とみなされる場合
(2)課税遺産総額
(3)相続税の総額の計算
(4)各相続人等の相続税額
(5)相続税額の2割加算
(6)配偶者の税額軽減
(7)贈与税額控除
(8)未成年控除
(9)障害者控除
(10)相次相続控除
6.相続税の計算における外国税額控除
7.相続税の納付
(1)相続税の納付方法と納期限
(2)延納
(3)納付方法の変更
8.相続税の物納
(1)物納の手続き
(2)物納の撤回
9.相続税の連帯納付義務
10.農地等の納税猶予の特例
11.災害等の場合の納税猶予(国税通則法46条)
12.災害減免法のよる相続税の免除
五.相続財産の評価(不動産以外)
1.財産評価の原則
2.動産の評価
3.無体財産権の評価
4.ゴルフ会員権の評価
5.果樹、立竹木の評価
6.金融資産の評価
(1)預貯金の評価
(2)公社債の評価
(3)生命保険金の評価
(4)証券投資信託、貸付信託の評価
7.株式の評価
(1)上場株式
(2)気配相場等のある株式
(3)取引相場のない株式
イ 会社規模の判定、ロ 評価方式の区分 ハ 評価の方式
①類似業種比準方式、②純資産価値方式、③配当還元方式、④併用方式
二 特定の評価会社
①株式保有特定会社、②土地保有特定会社、③開業後3年未満の会社等、④比準要素1の会社、⑤開業前、休業中または清算中の会社
8.新株引受権、株式の引受けによる権利、新株無償交付期待権、配当期待権の評価
9.出資の評価
(1)合名会社、合資会社、有限会社および協同組合
(2)医療法人
六.相続財産の評価(不動産)
1.宅地の評価(詳細)
(1)評価単位
(2)評価の方式(路線価方式、倍率方式)
(3)不整形地補正、無道路地、がけ地等
2.
・間口狭小補正
・奥行長大補正
3.私道の評価
4.宅地の上に存する権利の評価
(1)借地権
(2)貸宅地
(3)貸家建付地
(4)貸家建付借地権
(5)定期借地権等
(6)定期借地権の目的となっている宅地
(7)使用貸借による土地
(8)無償変換届のある場合の土地評価
5.
・転貸借地権
・転借借地権
6.農地の評価
(1)純農地
(2)中間農地
(3)市街化周辺農地
(4)市街化緑地
7.生産緑地の評価
8.農地の上に存する権利
(1)地上権
(2)永小作権
(3)耕作権
9.山林、原野、牧場、池沼、雑種地の評価
10.建物の評価
(1)自用家屋
(2)貸家
(3)借家権
(4)構築物
(5)建築中の建物
11.負担付贈与および個人間売買の場合の評価
12.小規模宅地等の評価減の特例
七.不動産の相続対策
1.相続税評価額と通常の取引価額との関係
2.移転による対策
(1)贈与の活用
(2)贈与税の配偶者控除の活用
(3)住宅取得資金贈与の特例の活用
(4)売却、交換の活用
3.課税価格対策
(1)不動産の購入
(2)不動産の有効活用
(3)貸家建付地による評価減
(4)定期借地権の活用
(5)小規模宅地等の評価減の特例の活用
4.自然発生借地権の活用による課税価格対策
5.納税対策
(1)延納による納税対策
(2)物納による納税対策
(3)売却・交換による納税対策
6.遺産分割対策
(1)遺言書の作成
(2)分割容易資産への変換
(3)代償分割
八.相続と保険の活用
1.生命保険の基本的な仕組み等
2.相続対策における生命保険の活用
(1)遺産分割対策
(2)相続税の軽減対策
(3)納税対策
(4)二次相続対策
九.事業継承対策
1.事業承継の問題点
2.事業承継対策の流れ
3.贈与、譲渡、従業員持株会制度、会社による自社株買取りによる相続財産の減少対策
4.自社株式移動による相続財産の減少対策
(1)中小企業投資育成会社
(2)株式の相互持合い、資本政策(増資、減資、合併、利益償却など)
5.類似業種比準価額方式による自社株評価における対策
(1)会社規模の調整
(2)類似業種比準価額
イ 配当金額の引下げ策 ロ 利益金額の引下げ策 ハ 純資産価額の引下げ策
6.類似業種比準価額方式による自社株評価関し、類似業種による対策
7.純資産価額方式による自社株評価における不動産の取得・有効活用による対策
8.純資産価額方式による自社株評価における対策
(1)生命保険金契約の活用
(2)役員退職金の活用
9.特定の評価会社の自社株評価価額対策
(1)土地保有特定会社の対策
(2)株式保有特定会社の対策
10.納税資金対策
(1)役員退職金の活用
(2)役員保険の活用
11.株式公開と資本政策
12.株式の売却・営業譲渡等(M&A)
十.事業と経営
1.法人成りを含めた会社設立
2.株式公開
3.M&A
4.企業再編
5.清算
6.金庫株等、最近の商法改正
7.会計制度の最近の動向
十一.相続・事業承継に関する最新の動向
最新の「相続・事業承継」に関すること
Posted by たみ家 at
13:31
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MAY I HELP YOU?
2008年06月27日
ちょい悪親父さんのとこで、「庵治をメジャーにし隊」 の隊員となりましたが、現地にまだ行ってないので、しばらく言葉遊びを。
直島もそうだけど、牟礼と庵治と屋島こそ、前記事に書いた「行って価値が高まるとこ」でないかと思えてきた。
庵治石の工芸、イサム・ノグチや四国村の民家や朝鮮式山城など風光明媚なだけでなく、文化の蓄積や学びの場が多い。
また、「価値を高める」ってことに焦点を当てるなら、観光は遺された蓄積の大きさや名所の派手さだけでなく、そこに住んでる人々の意識や技能やつくってきたコミュニティーのあり方などが意味を持つかもしれない。
実は行ったことないんだけど、牟礼の石あかりロードなんかは、そういう意味もあるのかなと見ずにとりあえず想像だけしてます。
庵治をメジャーにし隊員として、牟礼と庵治と屋島をセットで、海外向けにアピールしてはどうかと思った。
ところが、3つセットにするキーコンセプトとか、一体的な地域名称が思い浮かばなかった。
そこで遊びました。
牟礼のM
庵治のA
屋島のY
で、MAY
これには、可能や期待の意味があったと思う。
それに、「いらっしゃいませ。」って、観光でもこれでいいのかわからんけど
お店で、店員が声かけするときって、
MAY I HELP YOU?
だったと思う。
外国人が道に迷ってたりしても
MAY I HELP YOU?
歓迎と親切の意味が両方あって、可能性と期待感があるなんて
MAY って遊べてるキーワードだなあ。
牟礼、庵治、屋島の一体的な地域の呼称が出てこなかったので
MAY I HELP YOU?
をポスターに大書きしたり
それぞれの地区だと弱いなら、3地区合同の数ヶ国語(とりあえず英語だけでも)のHPを海外向けにつくったらどうやろうか?
HPのタイトルはやっぱり
MAY I HELP YOU?
この手のものに反応する外国人はかなりソフィスティケイテッドされてると仮定して
Iを愛にして、YOUを遊の漢字のオリエンタルな書体の大文字にしてポスターつくってもインパクトがでるかも。
ところで
むかし、金毘羅歌舞伎大芝居の小屋って、地元の人は、早く取り壊したかったらしい。
まあ、廃墟は危険だったり不審火からの火災のもとにもなるので、多くの文化財や密集した街並みを持つ琴平の人からしたらわかる言い分でもある。
ところが、イギリスだったかアメリカだったかから来てた学校の先生が「こんな素晴らしいもの絶対に遺さなきゃだめだ!」
と強く主張されて初めて価値を認識しだして遺す方向になったと聞いている。
この話は、地元にとってはあまり名誉でないので、観光パンフレットやHPにはなかなか書かれないとは思うけど。
国際観光ルートとしてのメジャー化を並行しながらも重点的に図ってみてはどうだろうか?
直島のことにしても、安藤忠雄氏のことにしても、日本人ってのは、何かと西洋から評価されるまでその価値を認識しないところがある。
まあ、資本市場が今までそうなってきたから、それもしょうがないかと思うけど。
牟礼、庵治、屋島は日本人にとっては以上に、外国人が日本を学ぶのにこそいい素材が多かったりして。
そうして、外国人がそこそこ来るようになってくると、マスメディアが取り上げ出して、ブレークしやすくなるような気がする。
日本人のお客を倍にするのに、(正確に知らないけど)年間20万人を40万人にするなんて、まあ常識的には不可能に近い。
でも、外国人(発信力や日本人の色めき方から考えると欧米人)が年間1000人のところを3000人と3倍にすることはそう難しくないだろう。
観光収入はよくわからないけど、単にメジャー化ということなら、先に外国人向けに重点的にPRした方が効率がいいような気がする。
日本人は和風の墓地はこわがったり気味悪がったりするのに、横浜などの外国人墓地はお洒落なデートコースとなる。
日本人に庵治の墓石って言っても、見たがらない場合でも、西洋人にとっては、お洒落で、オリエントを堪能できるエキゾチックな素材に映ったりしないだろうか?
庵治のお墓石の展示をみて、「おおっ!マンハッタンのようだ。」
とか、言わないだろうけど。。。
直島もそうだけど、牟礼と庵治と屋島こそ、前記事に書いた「行って価値が高まるとこ」でないかと思えてきた。
庵治石の工芸、イサム・ノグチや四国村の民家や朝鮮式山城など風光明媚なだけでなく、文化の蓄積や学びの場が多い。
また、「価値を高める」ってことに焦点を当てるなら、観光は遺された蓄積の大きさや名所の派手さだけでなく、そこに住んでる人々の意識や技能やつくってきたコミュニティーのあり方などが意味を持つかもしれない。
実は行ったことないんだけど、牟礼の石あかりロードなんかは、そういう意味もあるのかなと見ずにとりあえず想像だけしてます。
庵治をメジャーにし隊員として、牟礼と庵治と屋島をセットで、海外向けにアピールしてはどうかと思った。
ところが、3つセットにするキーコンセプトとか、一体的な地域名称が思い浮かばなかった。
そこで遊びました。
牟礼のM
庵治のA
屋島のY
で、MAY
これには、可能や期待の意味があったと思う。
それに、「いらっしゃいませ。」って、観光でもこれでいいのかわからんけど
お店で、店員が声かけするときって、
MAY I HELP YOU?
だったと思う。
外国人が道に迷ってたりしても
MAY I HELP YOU?
歓迎と親切の意味が両方あって、可能性と期待感があるなんて
MAY って遊べてるキーワードだなあ。
牟礼、庵治、屋島の一体的な地域の呼称が出てこなかったので
MAY I HELP YOU?
をポスターに大書きしたり
それぞれの地区だと弱いなら、3地区合同の数ヶ国語(とりあえず英語だけでも)のHPを海外向けにつくったらどうやろうか?
HPのタイトルはやっぱり
MAY I HELP YOU?
この手のものに反応する外国人はかなりソフィスティケイテッドされてると仮定して
Iを愛にして、YOUを遊の漢字のオリエンタルな書体の大文字にしてポスターつくってもインパクトがでるかも。
ところで
むかし、金毘羅歌舞伎大芝居の小屋って、地元の人は、早く取り壊したかったらしい。
まあ、廃墟は危険だったり不審火からの火災のもとにもなるので、多くの文化財や密集した街並みを持つ琴平の人からしたらわかる言い分でもある。
ところが、イギリスだったかアメリカだったかから来てた学校の先生が「こんな素晴らしいもの絶対に遺さなきゃだめだ!」
と強く主張されて初めて価値を認識しだして遺す方向になったと聞いている。
この話は、地元にとってはあまり名誉でないので、観光パンフレットやHPにはなかなか書かれないとは思うけど。
国際観光ルートとしてのメジャー化を並行しながらも重点的に図ってみてはどうだろうか?
直島のことにしても、安藤忠雄氏のことにしても、日本人ってのは、何かと西洋から評価されるまでその価値を認識しないところがある。
まあ、資本市場が今までそうなってきたから、それもしょうがないかと思うけど。
牟礼、庵治、屋島は日本人にとっては以上に、外国人が日本を学ぶのにこそいい素材が多かったりして。
そうして、外国人がそこそこ来るようになってくると、マスメディアが取り上げ出して、ブレークしやすくなるような気がする。
日本人のお客を倍にするのに、(正確に知らないけど)年間20万人を40万人にするなんて、まあ常識的には不可能に近い。
でも、外国人(発信力や日本人の色めき方から考えると欧米人)が年間1000人のところを3000人と3倍にすることはそう難しくないだろう。
観光収入はよくわからないけど、単にメジャー化ということなら、先に外国人向けに重点的にPRした方が効率がいいような気がする。
日本人は和風の墓地はこわがったり気味悪がったりするのに、横浜などの外国人墓地はお洒落なデートコースとなる。
日本人に庵治の墓石って言っても、見たがらない場合でも、西洋人にとっては、お洒落で、オリエントを堪能できるエキゾチックな素材に映ったりしないだろうか?
庵治のお墓石の展示をみて、「おおっ!マンハッタンのようだ。」
とか、言わないだろうけど。。。
Posted by たみ家 at
20:59
│Comments(2)
価値が高まる場所
2008年06月25日
またも日経流通新聞ネタ
近頃のOLさんは、海外旅行離れしているといわれてるそうです。
それで、出雲大社など国内旅行に人気が出ていると。
そして、同じぐらいの年代のOL同士で、行ってみたら、縁結びで有名だけに、同じぐらいの年代のOLが同じような目的で全国からたくさん集まっているのを感じるらしい。
コンサートみたいだなあ。
この記事は、近頃のOLさんは、精神性の高い場所や行って自分の価値が高まると思える場所に行きたがると総括してました。
県内でいうと、直島なんか明らかに後者にはまってる。
よく、見物型から参加型の旅行への変化って聞きますが、参加型から一歩踏み込んだなかなかいい表現の仕方だと思いました。
「価値」が高まるってのは、エステできれいになるってのもそうなんでしょうね。
ちょっと高尚なお芝居やコンサートに行くのもそうかも。
参加型と価値ってのは、ある意味似てるとこはあると思う。
でも、参加ってのが、してるかどうか客観的で形があるし、参加型になるかどうかは供給側で決められる。
価値ってのは、形がなくて、価値はあらかじめ興味があるものでないと誘引が弱いし、価値が高まるとか高まったという判断も供給側に主導権がないこと。
また、観劇やコンサートなど参加してなくても、自分の価値が高まったと感じることは大いにありそう。
周りにそれを見たり聴いたりしたことで価値が高まったと思ってもらえるものかどうかなんかも大きな意味があると思う。
だから、著名なものに人が集まりすぎるのだと思う。
これは、うどん巡りの世界で、評判があるとこに人が集中するのと理屈は似ていると思う。
自分の価値を高めるって内在的と思えるけど、そんなにかっこいいものばかりでもないだろうと思う。
そこへ行くと、大昔(?)に書いた88カ箇所道場で鍛錬し、昼は農作業を体験して、法話聞かせて、精進料理と地元の天然水を提供しつつ、最後はごほうびエステ付きで、OLなどをしごきまくる「ビリーズブートキャンプin宿毛」は、適当に書いてみたって感じだったけど、案外、価値、ミーハー、参加度、未知体験、スピリチュアルなどけっこう踏むとこ踏んでるなあ。
近頃のOLさんは、海外旅行離れしているといわれてるそうです。
それで、出雲大社など国内旅行に人気が出ていると。
そして、同じぐらいの年代のOL同士で、行ってみたら、縁結びで有名だけに、同じぐらいの年代のOLが同じような目的で全国からたくさん集まっているのを感じるらしい。
コンサートみたいだなあ。
この記事は、近頃のOLさんは、精神性の高い場所や行って自分の価値が高まると思える場所に行きたがると総括してました。
県内でいうと、直島なんか明らかに後者にはまってる。
よく、見物型から参加型の旅行への変化って聞きますが、参加型から一歩踏み込んだなかなかいい表現の仕方だと思いました。
「価値」が高まるってのは、エステできれいになるってのもそうなんでしょうね。
ちょっと高尚なお芝居やコンサートに行くのもそうかも。
参加型と価値ってのは、ある意味似てるとこはあると思う。
でも、参加ってのが、してるかどうか客観的で形があるし、参加型になるかどうかは供給側で決められる。
価値ってのは、形がなくて、価値はあらかじめ興味があるものでないと誘引が弱いし、価値が高まるとか高まったという判断も供給側に主導権がないこと。
また、観劇やコンサートなど参加してなくても、自分の価値が高まったと感じることは大いにありそう。
周りにそれを見たり聴いたりしたことで価値が高まったと思ってもらえるものかどうかなんかも大きな意味があると思う。
だから、著名なものに人が集まりすぎるのだと思う。
これは、うどん巡りの世界で、評判があるとこに人が集中するのと理屈は似ていると思う。
自分の価値を高めるって内在的と思えるけど、そんなにかっこいいものばかりでもないだろうと思う。
そこへ行くと、大昔(?)に書いた88カ箇所道場で鍛錬し、昼は農作業を体験して、法話聞かせて、精進料理と地元の天然水を提供しつつ、最後はごほうびエステ付きで、OLなどをしごきまくる「ビリーズブートキャンプin宿毛」は、適当に書いてみたって感じだったけど、案外、価値、ミーハー、参加度、未知体験、スピリチュアルなどけっこう踏むとこ踏んでるなあ。
Posted by たみ家 at
23:30
│Comments(0)
素朴に大きな話
2008年06月24日
前記事で、信号番号の話を書きました。
はて、四国は全国で、道州のブロック候補の中でずば抜けて高齢化が進んでいる。
東北とかはあまり長生きしないので、意外に高齢化が進んでない。
そして、昨今、食糧自給率を高めようなんて話も出ている。
世の中はどういう方向に行くんだろうって、素朴にあまり情報も入れずに、ぼんやり考えておりました。
すると、東南アジアの方からたくさん介護職員が四国にやってくるんでないだろうか?
また、農業も途上国の働き者なら、日本の若者がようしなくなったきつい農作業もできるかもしれない。
食糧自給率の向上の一つのカギは担い手としての外国人労働者の受け入れにあるかもしれない。
農業に株式会社がどんどん手を出すようになったら人件費の安い途上国の労働者を研修名目でどんどん使ったり、政府にビザが発給されるように働きかけたり、そうなりませんかね?
銀行の待ち時間にちら読みした「日経ビジネス」で、八ヶ岳レタスの栽培は、かなり途上国からの研修生が作業をしていると書いてあった。
食糧自給率が問題になる。
介護する人がいる。
ってことになると、高齢化率が高く、都市化も遅れている四国は全国に先駆けて、外国人労働者が生産活動・経済活動に従事しやすい環境を整えないといけないわけだ。
ってことは、交差点に番号をつけるという、アメリカのような世界中から移民が集まってきて、経済活動をしている国の知恵を活かすことが大事になってくる。
車ぐらい運転しやすくないと、生産活動に支障が出る。
地名が読めんで迷ったり、うろうろされたら、交通の邪魔にもなるし、事故のもとだし。
とはいえ、普通に外国人がそこら中で車を運転するようにならんと将来的に四国が成り立たん。
余談ですが、ときどき「国際免許持ってるん?すごいなあ。」と不思議なことを言われることがあります。
取ったことがある方はご存知だと思いますが、国際免許って、免許センターで講習も説明も一切なしで、「そこの国の交通法規守りなさいよ。」って紙切れだけ渡されて、3、4千円ぐらい払ったら、2、30分でくれる何でもないものです。
さて、日本が外国人を受け入れたくなくっても、四国はずば抜けて高齢化率が高いんだから、国に強訴してでも外国人を入れてくれと言わないといけない立場になりそうなのに、最も、外国人に対して閉鎖的な感覚を持っているとしたら、危ういのでは?
自動車工業のある都市に行くと、外国人が多いと聞きますが、将来、四国が全国の人から「あそこに行ったら外国人が多い」って言われるのではないでしょうか?
素朴に、ぼんやり思ったことをそのまま書いてみましたが、どうなんだろう?
そういや、土曜日の四国新聞に、ジェラルド・カーティスって人のインタビューが載ってた。
「社会が大きく変わったのに、政治が追いついていない。自分の国の良さを自覚して、時代と合わないところを変える議論が足りない。」と
たみ家は、それは政治家がやるだけでなく、普通の人が普通にやるもんだと思う。
前に、「問題」とは「何かが悪い。」という悪者の話でなく、「何かと何かが不適合である。」という関係の話にした方が建設的、発展的な話になると書きました。
すると、時代が変化しやすい状況では、常に、人々は成長しつつ変化しなければ必ず不適合を起こすということになります。
時代の変化が悪者でなく、変化に対して不適合を起こす関係は、成長力や変化への適応力の問題ということにもなるでしょう。
そう考えると、変化し続けないといけなのは、政治家というより、普通の人々ではないだろうか?
そして、ITなどがもたらす生産様式、またその生産様式がもたらす社会の変化、これらに対して、また生身の人間の精神や肉体は不適合を起こし、また、そこに様々なケアが必要になり、社会もまた成長して変化させなければならなくなる。
世の中がこれだけ変わっていくのに、その変化に対して、どう考え何をしていくのかなどの議論を気軽に楽しむ気風ってあってほしいなあ。
はて、四国は全国で、道州のブロック候補の中でずば抜けて高齢化が進んでいる。
東北とかはあまり長生きしないので、意外に高齢化が進んでない。
そして、昨今、食糧自給率を高めようなんて話も出ている。
世の中はどういう方向に行くんだろうって、素朴にあまり情報も入れずに、ぼんやり考えておりました。
すると、東南アジアの方からたくさん介護職員が四国にやってくるんでないだろうか?
また、農業も途上国の働き者なら、日本の若者がようしなくなったきつい農作業もできるかもしれない。
食糧自給率の向上の一つのカギは担い手としての外国人労働者の受け入れにあるかもしれない。
農業に株式会社がどんどん手を出すようになったら人件費の安い途上国の労働者を研修名目でどんどん使ったり、政府にビザが発給されるように働きかけたり、そうなりませんかね?
銀行の待ち時間にちら読みした「日経ビジネス」で、八ヶ岳レタスの栽培は、かなり途上国からの研修生が作業をしていると書いてあった。
食糧自給率が問題になる。
介護する人がいる。
ってことになると、高齢化率が高く、都市化も遅れている四国は全国に先駆けて、外国人労働者が生産活動・経済活動に従事しやすい環境を整えないといけないわけだ。
ってことは、交差点に番号をつけるという、アメリカのような世界中から移民が集まってきて、経済活動をしている国の知恵を活かすことが大事になってくる。
車ぐらい運転しやすくないと、生産活動に支障が出る。
地名が読めんで迷ったり、うろうろされたら、交通の邪魔にもなるし、事故のもとだし。
とはいえ、普通に外国人がそこら中で車を運転するようにならんと将来的に四国が成り立たん。
余談ですが、ときどき「国際免許持ってるん?すごいなあ。」と不思議なことを言われることがあります。
取ったことがある方はご存知だと思いますが、国際免許って、免許センターで講習も説明も一切なしで、「そこの国の交通法規守りなさいよ。」って紙切れだけ渡されて、3、4千円ぐらい払ったら、2、30分でくれる何でもないものです。
さて、日本が外国人を受け入れたくなくっても、四国はずば抜けて高齢化率が高いんだから、国に強訴してでも外国人を入れてくれと言わないといけない立場になりそうなのに、最も、外国人に対して閉鎖的な感覚を持っているとしたら、危ういのでは?
自動車工業のある都市に行くと、外国人が多いと聞きますが、将来、四国が全国の人から「あそこに行ったら外国人が多い」って言われるのではないでしょうか?
素朴に、ぼんやり思ったことをそのまま書いてみましたが、どうなんだろう?
そういや、土曜日の四国新聞に、ジェラルド・カーティスって人のインタビューが載ってた。
「社会が大きく変わったのに、政治が追いついていない。自分の国の良さを自覚して、時代と合わないところを変える議論が足りない。」と
たみ家は、それは政治家がやるだけでなく、普通の人が普通にやるもんだと思う。
前に、「問題」とは「何かが悪い。」という悪者の話でなく、「何かと何かが不適合である。」という関係の話にした方が建設的、発展的な話になると書きました。
すると、時代が変化しやすい状況では、常に、人々は成長しつつ変化しなければ必ず不適合を起こすということになります。
時代の変化が悪者でなく、変化に対して不適合を起こす関係は、成長力や変化への適応力の問題ということにもなるでしょう。
そう考えると、変化し続けないといけなのは、政治家というより、普通の人々ではないだろうか?
そして、ITなどがもたらす生産様式、またその生産様式がもたらす社会の変化、これらに対して、また生身の人間の精神や肉体は不適合を起こし、また、そこに様々なケアが必要になり、社会もまた成長して変化させなければならなくなる。
世の中がこれだけ変わっていくのに、その変化に対して、どう考え何をしていくのかなどの議論を気軽に楽しむ気風ってあってほしいなあ。
Posted by たみ家 at
22:18
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信号番号は絶対やって
2008年06月24日
前から県内の幹線道路の車両用信号のある交差点には、アルミパネルで東西南北の進行方向もつけて番号をふって、地図にも示すべきとたみ家は主張してます。
観光振興をうたって、外国からの観光客を倍増化して、年間1000万人を狙うっていろんなとこで聞きますが、本気なら絶対に車両用信号に番号ふらんといかんって。
日本に来る外国人は基本的に全員、自動車を運転するって前提で思わなきゃだめですよ。
日本人の自分でさえ、アメリカとか行ったら、とてもじゃないけどレンタカー借りて運転せんとやれんのに。
それが実際に何割の人の感覚かしりませんが、たみ家は、交差点やストリートの番号と幹線道路に常に東西南北の向きが出ていることでほとんど迷いませんでしたし、間違っても修正がききました。
アメリカとかカナダで、夜とか運転してて、いったん方向間違ってたら、百キロ以上も進まんと平原の中気づかんことがあります。
中国人とか韓国人はわかりませんが、アメリカ人とかは、こっちのマイカー+自転車感覚で車に乗るから、日本国内で普通にどこ行くのでも車に乗れなかったらすごく窮屈に思わんのだろうか?
韓国人も大戦後は、ハングル中心で漢字教育は中国のものでなく、日帝が強制したものとして、日本文化として嫌ってきたから、ほとんどの人は漢字が読めないはずです。
また、中国人も日本での読み方はわからんでしょう。
世界中のどこから来た観光客も普通に日本で車を運転するのが当たり前という前提スタートで考えんから、日本の国際観光戦略は根本から間違うんではないだろうか?
そしたら、車両用信号のあるような主要交差点には番号がいるに決まってる。
費用は安いよ。
当然計算はしてますが。
たみ家は費用対効果なんてぬるいことは言いません。
費用対短期回収キャッシュではかってから、さらに全体としての効果も考えてます。
まず短期で回収狙います。
こんなの費用は1年以内で全部回収できます。
外国人で国内で車運転する人が増えてからつけたらええって言うのはナンセンスでしょう。
車を運転する人が増えるように整備してから呼ぶのが当たり前でしょう。
観光振興をうたって、外国からの観光客を倍増化して、年間1000万人を狙うっていろんなとこで聞きますが、本気なら絶対に車両用信号に番号ふらんといかんって。
日本に来る外国人は基本的に全員、自動車を運転するって前提で思わなきゃだめですよ。
日本人の自分でさえ、アメリカとか行ったら、とてもじゃないけどレンタカー借りて運転せんとやれんのに。
それが実際に何割の人の感覚かしりませんが、たみ家は、交差点やストリートの番号と幹線道路に常に東西南北の向きが出ていることでほとんど迷いませんでしたし、間違っても修正がききました。
アメリカとかカナダで、夜とか運転してて、いったん方向間違ってたら、百キロ以上も進まんと平原の中気づかんことがあります。
中国人とか韓国人はわかりませんが、アメリカ人とかは、こっちのマイカー+自転車感覚で車に乗るから、日本国内で普通にどこ行くのでも車に乗れなかったらすごく窮屈に思わんのだろうか?
韓国人も大戦後は、ハングル中心で漢字教育は中国のものでなく、日帝が強制したものとして、日本文化として嫌ってきたから、ほとんどの人は漢字が読めないはずです。
また、中国人も日本での読み方はわからんでしょう。
世界中のどこから来た観光客も普通に日本で車を運転するのが当たり前という前提スタートで考えんから、日本の国際観光戦略は根本から間違うんではないだろうか?
そしたら、車両用信号のあるような主要交差点には番号がいるに決まってる。
費用は安いよ。
当然計算はしてますが。
たみ家は費用対効果なんてぬるいことは言いません。
費用対短期回収キャッシュではかってから、さらに全体としての効果も考えてます。
まず短期で回収狙います。
こんなの費用は1年以内で全部回収できます。
外国人で国内で車運転する人が増えてからつけたらええって言うのはナンセンスでしょう。
車を運転する人が増えるように整備してから呼ぶのが当たり前でしょう。
Posted by たみ家 at
04:40
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東の厳島
2008年06月24日
ちょい悪親父さんから、庵治メジャー化のサポート隊員の認定を受けました。
前から、ありきたりの言葉を使えば、「屋島の活性化」はライフワークだと思っていました。
屋島中町に10年ぐらい住んでいまして、屋島、牟礼、庵治の辺りは好きでしたね。
庵治マラソンは何回も出ましたし、練習に、遍路道から屋島山上まで上がったり、四国村も美術館ができる前でしたが、年に3、4回は行ってました。
ところが、引っ越して、縁も離れていて、庵治や牟礼の辺りのことがすっかりわからなくなってしまいました。
現地に行って、情報を得てからいろいろ書くのでもいいかと思いましたが、情報が入ってない状態で考えたり、それを残しておくことも有効かと思ってます。
屋島、牟礼、庵治は今は島じゃないんだけど、1つのまとまった要塞のようでもあり、文化・芸術まで含んだ宝箱のようなイメージもありで、瀬戸を堪能するに、交通の便のいい広島市から出発して、厳島、大山ずみ神社のある島(名前忘れた)、直島、小豆島、庵治、牟礼(庵治石の工房、イサム・ノグチ庭園美術館や四国村美術館)で、交通の便のいい高松市までというクルージングはどうでしょうか?
アート、伝統文化、参拝(近頃は参拝という精神性がつきものの国内旅行が人気らしい。)、自然、美味いもの、かなり多種多彩です。
以前に、県内で、豊島と小豆島(オリーブ)、直島の三箇所クルージングで、どうイニシャルをつなげたのか覚えてませんが、TOMクルーズってのがありました。
これはちょっとネタが弱いと思ってました。
県内レベルで、観光を考える時代でもないと思ってましたが、厳島から庵治までをベースに長短をつけて瀬戸内海国立公園を東進するって、神話時代以来の渡来人の航海や朝廷の遠征などを思わせて、なかなかロマンがあると思います。
関門から淡路島以東コースでもいいけど、コンセプトや行程の手ごろさからいくと厳島から庵治ぐらいがベースかなと思いました。
最後は、WやかY家か庵治の某店ぐらいで船旅疲れもあるし、うどんで軽くしめたら、香川の宴会のパターンと似てるなあ。
瀬戸のクルージングのしめの定番として、味、じゃなくて庵治、いやこっちを起点にしてもいいのかな?
でもどれぐらいの港湾の規模がいるんでしょうね?
サンポート起点だとコンセプト的にも隊員襲名記念の戯れとしてもおもしろくない。
厳島とかぶとや刀剣がたくさんある大山ずみ神社や直島、庵治を結ぶクルージングは修学旅行に最適では?
外国人にもすごく受けるコースだと思う。
ついでにいうと国土交通省好みだと思う。
国土交通省好みの国際観光ルートの終点か起点として、デビューさせれば、庵治メジャー化の機運は高まるかも。
たみ家は何も調べてませんが、もうこのクルージングコースはけっこうあるんですか?
あってもいいんだけど、あるなら、何でこれが押し出せないのか調べてみたい。
「庵治の味」とかの類似パターンをグーグルやヤフーで検索したけど、ヒットが全然ないような気がしました。
安直だけど、「アジ」って名前は人を呼ぶには恵まれた名前だと思う。
何もなかったら、いかんけど、そこそこの美味のものがいくつかあれば押し出しやすいと思う。
美人がうどん屋やっててもまずければ効果それほどないけど、ちょっとでも美味い方に入るレベルだとすごい人気が出るというか取り上げられまくりというか。
形や名は、実のプラスを増幅させる力があると思う。
でも、もとネタが無ければ、増幅もしようがないけど。
あと、今まで行政区域が分かれていたから、あまり一体感を感じなかったけど、文化と芸術と自然の魅力の集積地として、庵治、牟礼、屋島を一体的にとらえたイメージコンセプトで押し出し感のあるものをつくりたい。
安直に
「瀬戸の要塞」とか「東の厳島」とか仮にでっちあげましたが、これも200ぐらい出してたら、量が質に転化するだろうなあ。
前から、ありきたりの言葉を使えば、「屋島の活性化」はライフワークだと思っていました。
屋島中町に10年ぐらい住んでいまして、屋島、牟礼、庵治の辺りは好きでしたね。
庵治マラソンは何回も出ましたし、練習に、遍路道から屋島山上まで上がったり、四国村も美術館ができる前でしたが、年に3、4回は行ってました。
ところが、引っ越して、縁も離れていて、庵治や牟礼の辺りのことがすっかりわからなくなってしまいました。
現地に行って、情報を得てからいろいろ書くのでもいいかと思いましたが、情報が入ってない状態で考えたり、それを残しておくことも有効かと思ってます。
屋島、牟礼、庵治は今は島じゃないんだけど、1つのまとまった要塞のようでもあり、文化・芸術まで含んだ宝箱のようなイメージもありで、瀬戸を堪能するに、交通の便のいい広島市から出発して、厳島、大山ずみ神社のある島(名前忘れた)、直島、小豆島、庵治、牟礼(庵治石の工房、イサム・ノグチ庭園美術館や四国村美術館)で、交通の便のいい高松市までというクルージングはどうでしょうか?
アート、伝統文化、参拝(近頃は参拝という精神性がつきものの国内旅行が人気らしい。)、自然、美味いもの、かなり多種多彩です。
以前に、県内で、豊島と小豆島(オリーブ)、直島の三箇所クルージングで、どうイニシャルをつなげたのか覚えてませんが、TOMクルーズってのがありました。
これはちょっとネタが弱いと思ってました。
県内レベルで、観光を考える時代でもないと思ってましたが、厳島から庵治までをベースに長短をつけて瀬戸内海国立公園を東進するって、神話時代以来の渡来人の航海や朝廷の遠征などを思わせて、なかなかロマンがあると思います。
関門から淡路島以東コースでもいいけど、コンセプトや行程の手ごろさからいくと厳島から庵治ぐらいがベースかなと思いました。
最後は、WやかY家か庵治の某店ぐらいで船旅疲れもあるし、うどんで軽くしめたら、香川の宴会のパターンと似てるなあ。
瀬戸のクルージングのしめの定番として、味、じゃなくて庵治、いやこっちを起点にしてもいいのかな?
でもどれぐらいの港湾の規模がいるんでしょうね?
サンポート起点だとコンセプト的にも隊員襲名記念の戯れとしてもおもしろくない。
厳島とかぶとや刀剣がたくさんある大山ずみ神社や直島、庵治を結ぶクルージングは修学旅行に最適では?
外国人にもすごく受けるコースだと思う。
ついでにいうと国土交通省好みだと思う。
国土交通省好みの国際観光ルートの終点か起点として、デビューさせれば、庵治メジャー化の機運は高まるかも。
たみ家は何も調べてませんが、もうこのクルージングコースはけっこうあるんですか?
あってもいいんだけど、あるなら、何でこれが押し出せないのか調べてみたい。
「庵治の味」とかの類似パターンをグーグルやヤフーで検索したけど、ヒットが全然ないような気がしました。
安直だけど、「アジ」って名前は人を呼ぶには恵まれた名前だと思う。
何もなかったら、いかんけど、そこそこの美味のものがいくつかあれば押し出しやすいと思う。
美人がうどん屋やっててもまずければ効果それほどないけど、ちょっとでも美味い方に入るレベルだとすごい人気が出るというか取り上げられまくりというか。
形や名は、実のプラスを増幅させる力があると思う。
でも、もとネタが無ければ、増幅もしようがないけど。
あと、今まで行政区域が分かれていたから、あまり一体感を感じなかったけど、文化と芸術と自然の魅力の集積地として、庵治、牟礼、屋島を一体的にとらえたイメージコンセプトで押し出し感のあるものをつくりたい。
安直に
「瀬戸の要塞」とか「東の厳島」とか仮にでっちあげましたが、これも200ぐらい出してたら、量が質に転化するだろうなあ。
Posted by たみ家 at
03:59
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2つの経験則
2008年06月22日
店をはじめて以来、ある程度まとまった(10万円以上ぐらいから?)買い物で結果的に無駄になってるものをピックアップしてみた。
見事に、3つ全部、店まで乗り込んで営業の人が売りに来たものだった。
そのうちの2つは知り合いが、何度も頼みに来たり、恩師の家族のノルマもあったので、まあ半分お金をあげるつもりで、買ったり契約したものだった。
悪いものだったから無駄になったのかどうかはわからないんです。
使う人がきちんと使ったり、利用に関して高い優先順位をもって、時間をかけないと役立てにくいものなのかもしれない。
また、健康に関するものの中には、役に立ってても役に立ってるのかどうかわかりにくいものも多いかもしれない。
だから、効果を知ってもらおうと熱心にわざわざ店まで押しかけてくる。
そして、そこまでしないと売りにくい性質のものだけに、ノルマが厳しかったり、経営が厳しいとこも多い。
時期の悪いときの証券や保険もそうかもしれない。
だからか、そんなに親しくもなかったり、親しい人まで商売のタネにして、ある人は良心の呵責を持ち、気まずい思いをしたり、ある人はそうでもなかったりしながらも、何度も押しかけてくる。
「いらない」というと、泣きそうな顔で、「親しい間だから、あなたのためを思って」と食い下がってくる。
結局、半分、人間関係を焼畑農業にしながら、嫌な思い出を増やしていくんだろうなあ。
知り合いの訪問販売員の2、3人は、精神の病におちいったり、自暴自棄になって会社を飛び出したりもする。
ただ、3つのうちの1つは、条件がととのって役立てることができそうです。
もう1つは保険だから役立つかどうかわかりません。
もう1つも自分がもうちょっと時間とかお金に余裕があれば、役に立てられそうなのですが、まだ役に立ってません。
1つ目の経験則は
売りに来たものは、わざわざ押し入って売りに来るだけの理由がある。そして知り合いだと人間関係を壊す可能性もあるので、買って損する可能性が高い。買わずに恨まれるといっても向こうは断られ慣れてる断られることのプロだからそんなに気持ちに残ってない。でも、押し売られて買って不発をつかむと、こっちにとっては滅多にないことだから、まあケンカはせんでも、その人にこっちから二度と声をかけることはないなあとなる。
まあ、得するとか役に立つかもと思っても、原則断るのがよかろう。
チャンスを逃して損する可能性とか、その損が意味を持つ可能性なんかまずない。
この経験則は、前に書いた方程式の次数の話とも一致します。
出費はその時点 Xで負の意味を持つけど、買い物は、買って財物などが増えて、さらにそれが自分の好みや必要なタイミングに合うという Xの2乗以上となってはじめて正の効果を出すので、こっちの欲しいというタイミングでない時期に来る訪問販売は、こっちから出向いて買うものよりもいいものだったとしても、その原則から、不発になる可能性が高くなる。
もう1つの経験則は
FPの勉強方法でも書いたけど、
会社や学校の中だけでなく、歩いてるときでも、シャワーやトイレや食事中でも、何年も考え続けるほどのことは、何であっても、職業またはそれに準ずるレベルで通用する。
スケベなこととか、いつか王子さまが迎えに来ることとかじゃなく、いちおう役に立ったり、技能を高めるような意味のことでですが。
この2つは、仮説としてまだ完成度高くはないんですが、どうでしょうか?
見事に、3つ全部、店まで乗り込んで営業の人が売りに来たものだった。
そのうちの2つは知り合いが、何度も頼みに来たり、恩師の家族のノルマもあったので、まあ半分お金をあげるつもりで、買ったり契約したものだった。
悪いものだったから無駄になったのかどうかはわからないんです。
使う人がきちんと使ったり、利用に関して高い優先順位をもって、時間をかけないと役立てにくいものなのかもしれない。
また、健康に関するものの中には、役に立ってても役に立ってるのかどうかわかりにくいものも多いかもしれない。
だから、効果を知ってもらおうと熱心にわざわざ店まで押しかけてくる。
そして、そこまでしないと売りにくい性質のものだけに、ノルマが厳しかったり、経営が厳しいとこも多い。
時期の悪いときの証券や保険もそうかもしれない。
だからか、そんなに親しくもなかったり、親しい人まで商売のタネにして、ある人は良心の呵責を持ち、気まずい思いをしたり、ある人はそうでもなかったりしながらも、何度も押しかけてくる。
「いらない」というと、泣きそうな顔で、「親しい間だから、あなたのためを思って」と食い下がってくる。
結局、半分、人間関係を焼畑農業にしながら、嫌な思い出を増やしていくんだろうなあ。
知り合いの訪問販売員の2、3人は、精神の病におちいったり、自暴自棄になって会社を飛び出したりもする。
ただ、3つのうちの1つは、条件がととのって役立てることができそうです。
もう1つは保険だから役立つかどうかわかりません。
もう1つも自分がもうちょっと時間とかお金に余裕があれば、役に立てられそうなのですが、まだ役に立ってません。
1つ目の経験則は
売りに来たものは、わざわざ押し入って売りに来るだけの理由がある。そして知り合いだと人間関係を壊す可能性もあるので、買って損する可能性が高い。買わずに恨まれるといっても向こうは断られ慣れてる断られることのプロだからそんなに気持ちに残ってない。でも、押し売られて買って不発をつかむと、こっちにとっては滅多にないことだから、まあケンカはせんでも、その人にこっちから二度と声をかけることはないなあとなる。
まあ、得するとか役に立つかもと思っても、原則断るのがよかろう。
チャンスを逃して損する可能性とか、その損が意味を持つ可能性なんかまずない。
この経験則は、前に書いた方程式の次数の話とも一致します。
出費はその時点 Xで負の意味を持つけど、買い物は、買って財物などが増えて、さらにそれが自分の好みや必要なタイミングに合うという Xの2乗以上となってはじめて正の効果を出すので、こっちの欲しいというタイミングでない時期に来る訪問販売は、こっちから出向いて買うものよりもいいものだったとしても、その原則から、不発になる可能性が高くなる。
もう1つの経験則は
FPの勉強方法でも書いたけど、
会社や学校の中だけでなく、歩いてるときでも、シャワーやトイレや食事中でも、何年も考え続けるほどのことは、何であっても、職業またはそれに準ずるレベルで通用する。
スケベなこととか、いつか王子さまが迎えに来ることとかじゃなく、いちおう役に立ったり、技能を高めるような意味のことでですが。
この2つは、仮説としてまだ完成度高くはないんですが、どうでしょうか?
Posted by たみ家 at
20:59
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FP新勉強法の実行 1 ライフプラニングと資金計画
2008年06月22日
前記事の続きです。
興味のない方には嫌がらせ以外の何ものでもありません。
今回は大雑把に試験の元締めが出してる試験範囲を6分野に分けたうちの1つです。
以下の項目を覚えて、立ったり歩いてるときに、これらについて頭の中でどれだけ論述できるかを勉強方法の中心にすえて座学は確認以外はほとんどしないということです。
どうせ、読書型の座学はしても寝るし、筆記用具持つの好きでないから。
A ライフプラニングと資金計画
あえて
四 社会保険から
1.社会保険制度の全体像について詳細な知識を有すること
2.公的医療保険に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)公的医療保険の全体像
(2)健康保険の仕組み
(3)国民健康保険の仕組み
(4)退職者および高齢者向け公的医療制度
(5)公的介護保険の仕組み
(6)公的医療制度の最近の動向
3.労働者災害補償保険に関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)労働者災害補償保険
(2)保険給付の種類と内容
(3)特別支給金制度
(4)特別加入制度
4.雇用保険に関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)雇用保険の仕組み
(2)失業等給付
(3)雇用三事業
五 公的年金
(1)公的年金制度の全体像と最近の動向
(2)国民年金
(3)厚生年金保険
(4)共済年金
(5)老齢給付
(6)障害給付
(7)遺族給付
(8)併給調整
(9)請求手続き
六 企業年金・個人年金等
1.企業年金に関し、次に掲げる事項について一般的知識を有すること
(1)企業年金の全体像
(2)確定給付型年金
い 適格退職年金の仕組み ろ 厚生年金基金の仕組み は 確定給付企業年金の仕組み に 退職給付会計
(3)確定拠出年金
い 企業型年金の仕組み ろ 個人型年金の仕組み は 運用と給付 に 既存制度からの移行
2.企業年金類似制度に関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)生命保険等を活用した非適格年金制度の仕組み
(2)中小企業退職金共済制度の仕組み
(3)小規模企業共済制度の仕組み
(4)国民年金基金制度の仕組み
3.個人年金に関し、次に掲げる事項に次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)個人年金とは
(2)個人年金の分類
(3)各業態別個人年金商品
4.財形年金に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)財形貯蓄制度の概要
(2)財形年金の仕組みと商品
七.年金と税金
1.公的年金等に係る税金に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)課税の仕組み
(2)公的年金等の範囲
2.個人年金(財形年金含む)に係る税金に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)個人年金の掛金に対する税の取扱い
(2)個人年金の受取金に対する税の取扱い
3.企業年金に係る税金に関し、一般的な知識を有すること
八.ライフブラニング策定上の資金計画
1.住宅取得プラニングに関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)住宅取得の考え方
(2)購入時の諸費用
(3)自己資金の形成プラン
(4)住宅取得と税金
(5)住宅ローンの仕組み
(6)住宅ローンの種類と内容
(7)住宅ローンの借換え
(8)住宅ローンの繰上げ返済
(9)住宅の買換え、建替え、リフォーム、バリアフリー化等
2.教育資金プラニングに関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)教育プランと教育費
(2)教育資金の形成プラン
(3)教育ローン・奨学金
3.リタイアメントプラニングに関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)老後生活の必要資金の準備
(2)老後資金プランの作成
い 老後資金の形成プラン ろ 老後資金の運用プラン
(3)老後生活のリスクとその手当て
い 公的医療保険制度・介護保険制度 ろ 民間医療保険
九.中小法人の資金計画
1.資金調達のプラニングに関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)財務状況の把握
(2)資金調達の方法
(3)資金調達の費用
(4)資金管理
2.資金調達の種類と特性に関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)間接金融
(2)直接金融
(3)その他
い 企業間信用 ろ 抵当証券ローン は ファイナンス・リース に ファクタリング(債権買取)
十.ローンとカード
1.クレジットカードに関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)各種クレジットカードの種類と特徴
(2)利用上の留意点
2.デビットカード等新たな決済手段について一般的な知識を有すること
3.各種消費者向け無担保ローンの仕組みと特徴について一般的な知識を有すること
十一.ライフプラニングと資金計画の最新の動向
最新の「ライフプラニングと資金計画」に関し、詳細な知識を有すること
興味のない方には嫌がらせ以外の何ものでもありません。
今回は大雑把に試験の元締めが出してる試験範囲を6分野に分けたうちの1つです。
以下の項目を覚えて、立ったり歩いてるときに、これらについて頭の中でどれだけ論述できるかを勉強方法の中心にすえて座学は確認以外はほとんどしないということです。
どうせ、読書型の座学はしても寝るし、筆記用具持つの好きでないから。
A ライフプラニングと資金計画
あえて
四 社会保険から
1.社会保険制度の全体像について詳細な知識を有すること
2.公的医療保険に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)公的医療保険の全体像
(2)健康保険の仕組み
(3)国民健康保険の仕組み
(4)退職者および高齢者向け公的医療制度
(5)公的介護保険の仕組み
(6)公的医療制度の最近の動向
3.労働者災害補償保険に関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)労働者災害補償保険
(2)保険給付の種類と内容
(3)特別支給金制度
(4)特別加入制度
4.雇用保険に関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)雇用保険の仕組み
(2)失業等給付
(3)雇用三事業
五 公的年金
(1)公的年金制度の全体像と最近の動向
(2)国民年金
(3)厚生年金保険
(4)共済年金
(5)老齢給付
(6)障害給付
(7)遺族給付
(8)併給調整
(9)請求手続き
六 企業年金・個人年金等
1.企業年金に関し、次に掲げる事項について一般的知識を有すること
(1)企業年金の全体像
(2)確定給付型年金
い 適格退職年金の仕組み ろ 厚生年金基金の仕組み は 確定給付企業年金の仕組み に 退職給付会計
(3)確定拠出年金
い 企業型年金の仕組み ろ 個人型年金の仕組み は 運用と給付 に 既存制度からの移行
2.企業年金類似制度に関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)生命保険等を活用した非適格年金制度の仕組み
(2)中小企業退職金共済制度の仕組み
(3)小規模企業共済制度の仕組み
(4)国民年金基金制度の仕組み
3.個人年金に関し、次に掲げる事項に次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)個人年金とは
(2)個人年金の分類
(3)各業態別個人年金商品
4.財形年金に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)財形貯蓄制度の概要
(2)財形年金の仕組みと商品
七.年金と税金
1.公的年金等に係る税金に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)課税の仕組み
(2)公的年金等の範囲
2.個人年金(財形年金含む)に係る税金に関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)個人年金の掛金に対する税の取扱い
(2)個人年金の受取金に対する税の取扱い
3.企業年金に係る税金に関し、一般的な知識を有すること
八.ライフブラニング策定上の資金計画
1.住宅取得プラニングに関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)住宅取得の考え方
(2)購入時の諸費用
(3)自己資金の形成プラン
(4)住宅取得と税金
(5)住宅ローンの仕組み
(6)住宅ローンの種類と内容
(7)住宅ローンの借換え
(8)住宅ローンの繰上げ返済
(9)住宅の買換え、建替え、リフォーム、バリアフリー化等
2.教育資金プラニングに関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)教育プランと教育費
(2)教育資金の形成プラン
(3)教育ローン・奨学金
3.リタイアメントプラニングに関し、次に掲げる事項について詳細な知識を有すること
(1)老後生活の必要資金の準備
(2)老後資金プランの作成
い 老後資金の形成プラン ろ 老後資金の運用プラン
(3)老後生活のリスクとその手当て
い 公的医療保険制度・介護保険制度 ろ 民間医療保険
九.中小法人の資金計画
1.資金調達のプラニングに関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)財務状況の把握
(2)資金調達の方法
(3)資金調達の費用
(4)資金管理
2.資金調達の種類と特性に関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)間接金融
(2)直接金融
(3)その他
い 企業間信用 ろ 抵当証券ローン は ファイナンス・リース に ファクタリング(債権買取)
十.ローンとカード
1.クレジットカードに関し、次に掲げる事項について一般的な知識を有すること
(1)各種クレジットカードの種類と特徴
(2)利用上の留意点
2.デビットカード等新たな決済手段について一般的な知識を有すること
3.各種消費者向け無担保ローンの仕組みと特徴について一般的な知識を有すること
十一.ライフプラニングと資金計画の最新の動向
最新の「ライフプラニングと資金計画」に関し、詳細な知識を有すること
Posted by たみ家 at
00:10
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FPの新勉強法
2008年06月21日
来年の早いうちか、たぶんムリだけど今年の9月にFP1級合格したいんだけど、1日14~15時間も立ったり歩いたりしてるので、疲労蓄積か本がまったく読めない。
週6日そんななので日曜日の休業日もまったく本が読めない。
ほんと、老いたりハンディキャップを負うと、普通の人にできることができないってのがわかる。
岩波文庫とか2Pほどで、おもしろいと思う内容でも寝てしまう。
映画とか会議とかおもしろかったら寝ないだろうとかいう人がいますが、興味津々身を乗り出しながらでも、大爆笑しながらでも眠れます。
前も書いたけどうどん食べながら寝て割箸何回落としたことか。
座って読むと寝るので、店のカウンターに本置いて立って読もうとしたら、2P目に立ちながら寝てひざから崩れた。
そこで、試験の項目を覚えて、家から店まで歩いたり買い物してるときやシャワー中などに、各項目をどれだけ頭の中で説明できるか、立ったり歩いてるときに試験のようにアウトプットの確認することを勉強のメインにすることにした。
オーディオブックとか単語帳みたいなインプット型が入ってたり道具がいるものは、時間がない中でシャワーやトイレや移動中にできないかもしれないので、徹底して1人で立ってるときはアウトプットに挑戦することにした。
本を読むのは歩きながら説明できてなかったなあと思うところを確認するためにするのを専らとすることにしました。
そのためには項目だけはちゃんと覚えてないといけない。
自分は、こんなに頭が回らなくなっても、いつもブログに書いてる内容は、息を一回吸って吐き出す感じで1000字でも2000字でも軽くかけます。
なんでかと思うと、軽く10年以上、シャワー中でも歩いてるときでも、食べてるときも、トイレでも、手洗ったり、蛇口ひねってるときも、ずっと考えてたようなことで、その間何度も頭の中で言葉にして練って、書いた内容の何十倍も言語化された蓄積があるからということに気づきました。
知識はないはずなんです。
知識を入力してる時間は、ここ数年ほとんどありませんから、ただ、頭の中で言語化し続けた時間の長さで稼いでるんだと思う。
これをあまりにも本が読めなくなって、たみ家が試験勉強における限界を感じた中で適用することにしました。
次の投稿で、将来、相談受けたりすることもあろうかと周知と記憶の一石二鳥を狙って、試験の項目を嫌がらせのように列挙します。
この分野は、まだ直接お会いしたことはないんですが、たまちゃんさんが県内の頂点にいると思われますので、まじめに相談されたい方は、そちらへ。
週6日そんななので日曜日の休業日もまったく本が読めない。
ほんと、老いたりハンディキャップを負うと、普通の人にできることができないってのがわかる。
岩波文庫とか2Pほどで、おもしろいと思う内容でも寝てしまう。
映画とか会議とかおもしろかったら寝ないだろうとかいう人がいますが、興味津々身を乗り出しながらでも、大爆笑しながらでも眠れます。
前も書いたけどうどん食べながら寝て割箸何回落としたことか。
座って読むと寝るので、店のカウンターに本置いて立って読もうとしたら、2P目に立ちながら寝てひざから崩れた。
そこで、試験の項目を覚えて、家から店まで歩いたり買い物してるときやシャワー中などに、各項目をどれだけ頭の中で説明できるか、立ったり歩いてるときに試験のようにアウトプットの確認することを勉強のメインにすることにした。
オーディオブックとか単語帳みたいなインプット型が入ってたり道具がいるものは、時間がない中でシャワーやトイレや移動中にできないかもしれないので、徹底して1人で立ってるときはアウトプットに挑戦することにした。
本を読むのは歩きながら説明できてなかったなあと思うところを確認するためにするのを専らとすることにしました。
そのためには項目だけはちゃんと覚えてないといけない。
自分は、こんなに頭が回らなくなっても、いつもブログに書いてる内容は、息を一回吸って吐き出す感じで1000字でも2000字でも軽くかけます。
なんでかと思うと、軽く10年以上、シャワー中でも歩いてるときでも、食べてるときも、トイレでも、手洗ったり、蛇口ひねってるときも、ずっと考えてたようなことで、その間何度も頭の中で言葉にして練って、書いた内容の何十倍も言語化された蓄積があるからということに気づきました。
知識はないはずなんです。
知識を入力してる時間は、ここ数年ほとんどありませんから、ただ、頭の中で言語化し続けた時間の長さで稼いでるんだと思う。
これをあまりにも本が読めなくなって、たみ家が試験勉強における限界を感じた中で適用することにしました。
次の投稿で、将来、相談受けたりすることもあろうかと周知と記憶の一石二鳥を狙って、試験の項目を嫌がらせのように列挙します。
この分野は、まだ直接お会いしたことはないんですが、たまちゃんさんが県内の頂点にいると思われますので、まじめに相談されたい方は、そちらへ。
Posted by たみ家 at
23:23
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高校までの義務教育?
2008年06月21日
何気に、日本でも高校まで義務教育化しようかって案があるって、新聞とかで見たことあるような気がする。
たみ家は、特に賛成も反対も考えたことありませんでした。
しかし、たまたま、ここのとこ小中学校に生徒を通わせるのに1人当たり年間100万円はいるって計算について書いてしまうと、反対賛成よりも、「そんなことできるのか?夢物語じゃないの?」って思えてきました。
それ以外にも、財政は借金だらけで、高齢者医療の負担についてこれだけもめてるうえでのことですから。
義務教育ってことは、国が税源から負担するってことじゃないの?
じゃないとみんなが行ける義務にならんのでは?
高校を義務にした流れで、おぜにさんが足らないから、小中学校の教育水準を落としますっていうわけにもいかないでしょうし。
これから、ちょっと調べてみます。
調べる前に、この程度で考えていたという一里塚みたいなものを残しておこうと思った。
多くの先進国同様、すごく遅れた国でも、どこの国でも義務教育ってあるんでしょうかね?
明治政府がすぐに、義務教育をととのえたのって、教育をととのえんと列強に呑み込まれてしまうので国民の教育水準を上げようとしたのでしょうけど、小学校からおぜにさんがいるのでは、国民がこどもを産もうとしないから、「産めよ増やせよ」のために義務教育をととのえたってもあるんでしょうか?
それで、小中学校までが義務になったのって、当時、15歳ぐらいになったら軍に送り込んだり、工場労働者にできる年なので、兵隊と作業員を少しでもたくさんつくろうとしたってのが、明治政府のもくろんだ落としどころだったのでしょうか?
ところが、高度に産業化された社会では、産業戦士を育てるのに、中学までの教育ではなかなか厳しくなってきたので、高校まで義務教育化して、これもまた、子育て世代の親の負担を減らして、少子化を緩和する国策の一環もあるのでしょうか?
ほとんどが思いつきの浅いことばかり書いてしまいましたが、とっかかりを残しておいたら後の情報収集にはずみがつこうかと。
しかし、思いつきの浅い段階でも、おぜにさん大丈夫ですか?
って心配は当たると思う。
たみ家は、特に賛成も反対も考えたことありませんでした。
しかし、たまたま、ここのとこ小中学校に生徒を通わせるのに1人当たり年間100万円はいるって計算について書いてしまうと、反対賛成よりも、「そんなことできるのか?夢物語じゃないの?」って思えてきました。
それ以外にも、財政は借金だらけで、高齢者医療の負担についてこれだけもめてるうえでのことですから。
義務教育ってことは、国が税源から負担するってことじゃないの?
じゃないとみんなが行ける義務にならんのでは?
高校を義務にした流れで、おぜにさんが足らないから、小中学校の教育水準を落としますっていうわけにもいかないでしょうし。
これから、ちょっと調べてみます。
調べる前に、この程度で考えていたという一里塚みたいなものを残しておこうと思った。
多くの先進国同様、すごく遅れた国でも、どこの国でも義務教育ってあるんでしょうかね?
明治政府がすぐに、義務教育をととのえたのって、教育をととのえんと列強に呑み込まれてしまうので国民の教育水準を上げようとしたのでしょうけど、小学校からおぜにさんがいるのでは、国民がこどもを産もうとしないから、「産めよ増やせよ」のために義務教育をととのえたってもあるんでしょうか?
それで、小中学校までが義務になったのって、当時、15歳ぐらいになったら軍に送り込んだり、工場労働者にできる年なので、兵隊と作業員を少しでもたくさんつくろうとしたってのが、明治政府のもくろんだ落としどころだったのでしょうか?
ところが、高度に産業化された社会では、産業戦士を育てるのに、中学までの教育ではなかなか厳しくなってきたので、高校まで義務教育化して、これもまた、子育て世代の親の負担を減らして、少子化を緩和する国策の一環もあるのでしょうか?
ほとんどが思いつきの浅いことばかり書いてしまいましたが、とっかかりを残しておいたら後の情報収集にはずみがつこうかと。
しかし、思いつきの浅い段階でも、おぜにさん大丈夫ですか?
って心配は当たると思う。
Posted by たみ家 at
07:25
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疑問「おおじしん」
2008年06月20日
最近、四川大地震のことを店のラジオから「しせんおおじしん」と読むのが聞こえてくるのが気になります。
たみ家は、これを聞く前は、「大地震」のことは「だいじしん」と読んでました。
NHKが「おおじしん」と読むように取り決めてるそうです。
「だいじしん」って読んだら、アナウンサー間違いとしておこられるそうです。
声出す方のマスメディアはNHK、新聞の方の書き方は共同通信が決めたら、他はだいたいそれに倣うようです。
津波は「おお」、震災は「だい」、音読み言葉には「だい」、訓読み言葉には「おお」かと一瞬思いましたが、「大所帯」「おおじょたい」とか、「大火事」「おおかじ」と音読み言葉に「おお」がつくことも多い。
NHKが統一したからには、統一するときに理由はあったはず。
理由がないと決められんもん。
その理由がルールとして、ある程度理解できるものなら、いちいち一つ一つ考えんでいいから楽。
たみ家の現在の仮説は、江戸時代ぐらいまでに普通に使われてた大和言葉的扱いの単語や世間で庶民が使ってきたような単語には「おお」がついて、特別なときにしか使われないとか、明治以降に役所などが使い始めた言葉には「だい」がつく?
これとて、全然自信がないなあ。
もう一つ。
フランス語など、ラテン系の言葉にある。
男性名詞とか女性名詞。
なくてもええやろ。
似た構造の英語にないんやから、文化的に残したい気持ちもわからんでないけど、機能はゼロやろ。
紙やインクの無駄遣いやし、機能のないこと覚えるのは生徒にも負担だと思う。
中国語だって、漢字が複雑すぎると、国力の発展を阻害するってので、漢字をどんどん簡素化していったはず。
共産党支配だから、合理性のもとに文化を変えるってのは、たやすいことだったのかもしれませんが。
で、何が疑問かと申しますと。
「インターネット」とか時代の変化とともにたくさんできてくる単語にも男性名詞とか女性名詞とかつけるんでしょうか?
つけるとしたら、誰がつけてるんでしょうか?
また、つけるときにルールや理由ってあるんでしょうか?
英語では、ビジネスマンをビジネスパーソンとか言い換える時代にも、ラテン系の言葉の国では、「ジェンダーによる差別を助長する。」とか言う人いないんだろうか?
たみ家は、これを聞く前は、「大地震」のことは「だいじしん」と読んでました。
NHKが「おおじしん」と読むように取り決めてるそうです。
「だいじしん」って読んだら、アナウンサー間違いとしておこられるそうです。
声出す方のマスメディアはNHK、新聞の方の書き方は共同通信が決めたら、他はだいたいそれに倣うようです。
津波は「おお」、震災は「だい」、音読み言葉には「だい」、訓読み言葉には「おお」かと一瞬思いましたが、「大所帯」「おおじょたい」とか、「大火事」「おおかじ」と音読み言葉に「おお」がつくことも多い。
NHKが統一したからには、統一するときに理由はあったはず。
理由がないと決められんもん。
その理由がルールとして、ある程度理解できるものなら、いちいち一つ一つ考えんでいいから楽。
たみ家の現在の仮説は、江戸時代ぐらいまでに普通に使われてた大和言葉的扱いの単語や世間で庶民が使ってきたような単語には「おお」がついて、特別なときにしか使われないとか、明治以降に役所などが使い始めた言葉には「だい」がつく?
これとて、全然自信がないなあ。
もう一つ。
フランス語など、ラテン系の言葉にある。
男性名詞とか女性名詞。
なくてもええやろ。
似た構造の英語にないんやから、文化的に残したい気持ちもわからんでないけど、機能はゼロやろ。
紙やインクの無駄遣いやし、機能のないこと覚えるのは生徒にも負担だと思う。
中国語だって、漢字が複雑すぎると、国力の発展を阻害するってので、漢字をどんどん簡素化していったはず。
共産党支配だから、合理性のもとに文化を変えるってのは、たやすいことだったのかもしれませんが。
で、何が疑問かと申しますと。
「インターネット」とか時代の変化とともにたくさんできてくる単語にも男性名詞とか女性名詞とかつけるんでしょうか?
つけるとしたら、誰がつけてるんでしょうか?
また、つけるときにルールや理由ってあるんでしょうか?
英語では、ビジネスマンをビジネスパーソンとか言い換える時代にも、ラテン系の言葉の国では、「ジェンダーによる差別を助長する。」とか言う人いないんだろうか?
Posted by たみ家 at
01:36
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何のMですか?
2008年06月19日
(前記事の続き)
インタビュアー、「なぜに、今の日本や地域の問題を語るに、政治や行政のせいにせずに、自分や住民とか国民の問題と考えることを強調するのか?」
たみ家、「『そう考えることがより幸せであり、幸せにつながると考えるから』」と答えておきたい。」
インタビュアー、「自分が悪いってことにするのはMですか?」
たみ家、「まあ、政治家はちょっとしかいません。行政関係者はたくさんいますが大多数ではありません。一番たくさんいる人に責任がある。その結果が集団の問題となってると考えるのが現実に合致してると思う。マスコミも、売上至上主義で、政治や一部の人間を悪いことにして物語仕立てにすれば、わかりやすいってことで、問題をすりかえ続けてきたのがよくないと思う。」
インタビュアー、「それって幸せと関係あるんですか?」
たみ家、「じゃあ、逆に聞きたいけどね。
わたしたちは、地域を良くするために役割を果たせると思いますか?やれることがあると思いますか?
もし、わたしたちがミャンマーや中国にいて、情報を統制されたり、何か政府の批判でもすれば軍隊が来るってのであれば、できることがない。できることがない人には責任もない。
できることがあるから役割がある。役割があるから責任があって、結果に対して行動を考えたり、反省することができる。つまり自分が悪いと思える人は、自分にできることがあると思ってる人であり、自由を持ってるということの論理的帰結でもあるんですよ。
以前に、アマルティア・センの潜在能力アプローチについて書きましたが、幸せであるってことは、結果だけでなく、幸せを追求するために自分の意志で試行錯誤ができる自由を持っていることが重要であると思います。
そうすると、自分や住民の責任を強調することは、良くしようとする意欲や自由や役割を持っていて、それが可能であるという未来への希望の証拠なわけです。幸せだと思いませんか?
Mは前向きのMなんですよ。はっはっははは。」
と1人2役でがんばりました。
今日、ふと、380人の小学校でも30人以上教職員がいるって、たまたま新聞で見ました。
前記事は栗林小学校の例ですが、大規模校ほど効率はいいと思うので、全国的にはもっと厳しい数字になるのではないでしょうか?
県内の小学校は10年前は230ぐらいだったと思う。
今は統廃合も多くて、200も無いのでは?
すると、全国の小中学校教諭が約62万人、じゃあ、県内に6千人ぐらい?
うち、小学校教諭が中学よりも年数が多いけど専門性が低いから、3千5百ぐらいと仮定。
そしたら、一校当たりの教職員が事務員や用務員込みで20人ぐらいになる。
これは、栗林小学校よりも効率悪そう。
離島には、さらに教職員用の宿舎とかもあるでしょうし。
誰が払ってるか知りませんが、年100万、ほんとうは世代間で割ってるから、みんながそんだけ税金払わなくてもいいんだけど、当の児童自身は、年100万、月8万も払ってもらって学校で勉強させてもらってるんです。
平均だけ8万円月に払ってみて下さい。
「学校の勉強なんか役に立たないからしなくてもいい。」
なんて言えるでしょうか?
インタビュアー、「なぜに、今の日本や地域の問題を語るに、政治や行政のせいにせずに、自分や住民とか国民の問題と考えることを強調するのか?」
たみ家、「『そう考えることがより幸せであり、幸せにつながると考えるから』」と答えておきたい。」
インタビュアー、「自分が悪いってことにするのはMですか?」
たみ家、「まあ、政治家はちょっとしかいません。行政関係者はたくさんいますが大多数ではありません。一番たくさんいる人に責任がある。その結果が集団の問題となってると考えるのが現実に合致してると思う。マスコミも、売上至上主義で、政治や一部の人間を悪いことにして物語仕立てにすれば、わかりやすいってことで、問題をすりかえ続けてきたのがよくないと思う。」
インタビュアー、「それって幸せと関係あるんですか?」
たみ家、「じゃあ、逆に聞きたいけどね。
わたしたちは、地域を良くするために役割を果たせると思いますか?やれることがあると思いますか?
もし、わたしたちがミャンマーや中国にいて、情報を統制されたり、何か政府の批判でもすれば軍隊が来るってのであれば、できることがない。できることがない人には責任もない。
できることがあるから役割がある。役割があるから責任があって、結果に対して行動を考えたり、反省することができる。つまり自分が悪いと思える人は、自分にできることがあると思ってる人であり、自由を持ってるということの論理的帰結でもあるんですよ。
以前に、アマルティア・センの潜在能力アプローチについて書きましたが、幸せであるってことは、結果だけでなく、幸せを追求するために自分の意志で試行錯誤ができる自由を持っていることが重要であると思います。
そうすると、自分や住民の責任を強調することは、良くしようとする意欲や自由や役割を持っていて、それが可能であるという未来への希望の証拠なわけです。幸せだと思いませんか?
Mは前向きのMなんですよ。はっはっははは。」
と1人2役でがんばりました。
今日、ふと、380人の小学校でも30人以上教職員がいるって、たまたま新聞で見ました。
前記事は栗林小学校の例ですが、大規模校ほど効率はいいと思うので、全国的にはもっと厳しい数字になるのではないでしょうか?
県内の小学校は10年前は230ぐらいだったと思う。
今は統廃合も多くて、200も無いのでは?
すると、全国の小中学校教諭が約62万人、じゃあ、県内に6千人ぐらい?
うち、小学校教諭が中学よりも年数が多いけど専門性が低いから、3千5百ぐらいと仮定。
そしたら、一校当たりの教職員が事務員や用務員込みで20人ぐらいになる。
これは、栗林小学校よりも効率悪そう。
離島には、さらに教職員用の宿舎とかもあるでしょうし。
誰が払ってるか知りませんが、年100万、ほんとうは世代間で割ってるから、みんながそんだけ税金払わなくてもいいんだけど、当の児童自身は、年100万、月8万も払ってもらって学校で勉強させてもらってるんです。
平均だけ8万円月に払ってみて下さい。
「学校の勉強なんか役に立たないからしなくてもいい。」
なんて言えるでしょうか?
Posted by たみ家 at
23:42
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学校教育費と税
2008年06月19日
こないだ、小学生1人学校に行かせようと思ったら、年間で国、県、市は合計100万円ぐらい使ってると書きました。
以前、ハマコーさんが、テレビで言ってたんですが、あの人の言うことだけに計算合ってるのかな?と思いましたが、
これは合ってますね。
うどん屋の損益計算を応用したら、だいたいわかります。
栗林小学校って、児童数約1000人です。
ここに教諭が50名強、事務員や用務員数名を足して、おおむね60人の職員がいます。
自分の行ってた別の小学校も昔のことですが、約900名の児童数で、卒業式のときに送り出す教職員53名って言ってたのを覚えてましたから、比率は合ってます。
全国の公立小学校教諭の平均年齢は44歳、年収は約700万円です。
まあ、全員大学卒で、競争率何十倍という年もある厳しい選抜の末、残業手当がないので諸手当込みで、教育という国の根幹を担う役割を果たしていると思えば、たみ家は高いとは言いたくありません。
年収が700万円だと、退職金の積み立てや共済保険の事業者負担分、福利厚生など人にかかるお金は、年1000万は楽に超えてくるでしょう。
すると、1000人の児童に対して、年間60人の1000万円があるのだから、ざっと児童1人に対して、年間60万円の人件費がかかることになります。
そうすると、利益はいらないでしょうから、利益抜きで人件費率60%なら、年間100万円が計算合います。
残り40%は、校舎の償却、修繕費、光熱水費、教科書代、学校の消耗品、机やネットなどの道具類などが考えられます。
まあおおむね40%近くは埋められそうです。
小学生1人学校に通わすのに年100万円はかかるわけです。
中学生ならもう少し額が大きくなるでしょう。
まあ児童数はこれからもそう増えないでしょうが、逆をいえば高齢者福祉や医療についても、児童1人当たり100万円以上のように、おぜにさんが必要で、国民の側がそれを受け取って出費させていると素直に評価すべきだと思います。
多くの住民は、自分が受けてる行政サービスを過小評価しすぎてます。
高松市民で、小中学校の保護者の方で、児童1人当たりの教育費分だけで、100万円も税金払ってる人はそういないでしょう。
収入の問題は、受けてるサービスの出に対して、払ってる人払える人がいないことが問題なのは、これもまたうどん屋の損益計算を考えたらわかります。
380円の肉うどんに、国産牛肉をたくさん乗せてたら店は破綻します。
また、これだけ普通の市民が払ってないのに現実に出費はあるんだから、どっから入ってるのか考えると、大企業とお金持ちが支えてるのと借金をたくさんするしか普通に考えたらありません。
大企業優遇とかお金持ち優遇といって政策を非難する方も多いですが、構造をとらえると、あながち悪くいえないとこもあると、現在、弱者の典型の零細うどん店主が申し上げます。
そうは言っても、泣く思いをして税金を払って苦労してる人が多い。
しかし、出費ってのは、想像を絶するほど大きい。
別に無駄が大きいっていうのではなく、受けてるサービスが大きいのです。
こないだも書いたように、市の20円の中サイズのゴミ袋は民間ベースなら500円は出さないと集めて燃やしてくれませんもん。
うちが委託してる収集事業者は一番安いところを選んだつもりだけど、ゴミ中サイズ1袋当たり500円以上取りますよ。
それが、市民の側で20円の袋が高いという感覚があることが危険なんです。
消費税については、たみ家の場合は、普通の市民の方よりも上がったら痛いです。
もともと、お客さんから消費税いただいてないのに、仕入のときも、買い物するときも払ってるうえに、年でまとめて何十万円そう儲かってない中から累進も控除もないのに持っていかれます。
そのうえ、零細店は競争上、消費税が大幅に上がってもなかなか価格に上乗せができません。
できても、したときに、お客さん離れが起こって、店をつぶす恐れまで抱きながらのことです。
それでも、消費税は上げんとしょうがないやろうなあとは思います。
もちろん、表向き、人前で税率上げ賛成とは言いませんが、構造上、資源なし農地なしの国民が1億2千万人以上いて、ぜいたくしてるうえに、高齢化で働く人口が少ない。
こりゃ、構造上、国がきついに決まっている。
役人の無駄とかいうのは、それは非難に値するにしても、10兆円足りない話を早急に解決しないといけないのに、数百億円の無駄の話ですりかえて、問題の本質を覆い隠そうとしてるのではないかと思います。
行政の無駄が完全になくなっても、問題は大してよくなりません。
これもうどん屋の損益計算書を応用したらわかります。
原価率や人件費が大きい話をしてるのに、役人の無駄遣いをマスコミが大きく取り上げるのは、爪楊枝を1食で2本使ったとかトイレットペーパーを長めに使ったというレベルの話でしょう。
もったないとか無駄であるのは間違いありませんが、市民の側が行政サービスと収入の関係を真摯に見て、自分たちが一番たくさん使わせてもらってるんだという真実を見なければならないと思います。
国に問題があるなら、一番の問題は1億2千万人を超えて構成している国民というマスに一番大きな役割があるに決まっているんです。
これは、行政や政治を監視したり、自治に関わったり、投票や意見発信などを通じて政治に関わることまで含めてのことです。
市民はこれからは、プロ市民にならないといけないというのがたみ家の考えの一つです。
これが「まちづくり」活動や自治への参加を重要視して、「投票だけすればいい」という考えに猛烈に反対するゆえんでもあり、風景を重視することとも関係してます。
ご批判は大いに歓迎しております。
大きな話だけに、言葉足らずや誤解があってもしかたなかったと思うので、誰との間でも対話を通じてそれを埋めたり、自分の考えの及ばなかったところを補っていくのは大事なことと思っております。
以前、ハマコーさんが、テレビで言ってたんですが、あの人の言うことだけに計算合ってるのかな?と思いましたが、
これは合ってますね。
うどん屋の損益計算を応用したら、だいたいわかります。
栗林小学校って、児童数約1000人です。
ここに教諭が50名強、事務員や用務員数名を足して、おおむね60人の職員がいます。
自分の行ってた別の小学校も昔のことですが、約900名の児童数で、卒業式のときに送り出す教職員53名って言ってたのを覚えてましたから、比率は合ってます。
全国の公立小学校教諭の平均年齢は44歳、年収は約700万円です。
まあ、全員大学卒で、競争率何十倍という年もある厳しい選抜の末、残業手当がないので諸手当込みで、教育という国の根幹を担う役割を果たしていると思えば、たみ家は高いとは言いたくありません。
年収が700万円だと、退職金の積み立てや共済保険の事業者負担分、福利厚生など人にかかるお金は、年1000万は楽に超えてくるでしょう。
すると、1000人の児童に対して、年間60人の1000万円があるのだから、ざっと児童1人に対して、年間60万円の人件費がかかることになります。
そうすると、利益はいらないでしょうから、利益抜きで人件費率60%なら、年間100万円が計算合います。
残り40%は、校舎の償却、修繕費、光熱水費、教科書代、学校の消耗品、机やネットなどの道具類などが考えられます。
まあおおむね40%近くは埋められそうです。
小学生1人学校に通わすのに年100万円はかかるわけです。
中学生ならもう少し額が大きくなるでしょう。
まあ児童数はこれからもそう増えないでしょうが、逆をいえば高齢者福祉や医療についても、児童1人当たり100万円以上のように、おぜにさんが必要で、国民の側がそれを受け取って出費させていると素直に評価すべきだと思います。
多くの住民は、自分が受けてる行政サービスを過小評価しすぎてます。
高松市民で、小中学校の保護者の方で、児童1人当たりの教育費分だけで、100万円も税金払ってる人はそういないでしょう。
収入の問題は、受けてるサービスの出に対して、払ってる人払える人がいないことが問題なのは、これもまたうどん屋の損益計算を考えたらわかります。
380円の肉うどんに、国産牛肉をたくさん乗せてたら店は破綻します。
また、これだけ普通の市民が払ってないのに現実に出費はあるんだから、どっから入ってるのか考えると、大企業とお金持ちが支えてるのと借金をたくさんするしか普通に考えたらありません。
大企業優遇とかお金持ち優遇といって政策を非難する方も多いですが、構造をとらえると、あながち悪くいえないとこもあると、現在、弱者の典型の零細うどん店主が申し上げます。
そうは言っても、泣く思いをして税金を払って苦労してる人が多い。
しかし、出費ってのは、想像を絶するほど大きい。
別に無駄が大きいっていうのではなく、受けてるサービスが大きいのです。
こないだも書いたように、市の20円の中サイズのゴミ袋は民間ベースなら500円は出さないと集めて燃やしてくれませんもん。
うちが委託してる収集事業者は一番安いところを選んだつもりだけど、ゴミ中サイズ1袋当たり500円以上取りますよ。
それが、市民の側で20円の袋が高いという感覚があることが危険なんです。
消費税については、たみ家の場合は、普通の市民の方よりも上がったら痛いです。
もともと、お客さんから消費税いただいてないのに、仕入のときも、買い物するときも払ってるうえに、年でまとめて何十万円そう儲かってない中から累進も控除もないのに持っていかれます。
そのうえ、零細店は競争上、消費税が大幅に上がってもなかなか価格に上乗せができません。
できても、したときに、お客さん離れが起こって、店をつぶす恐れまで抱きながらのことです。
それでも、消費税は上げんとしょうがないやろうなあとは思います。
もちろん、表向き、人前で税率上げ賛成とは言いませんが、構造上、資源なし農地なしの国民が1億2千万人以上いて、ぜいたくしてるうえに、高齢化で働く人口が少ない。
こりゃ、構造上、国がきついに決まっている。
役人の無駄とかいうのは、それは非難に値するにしても、10兆円足りない話を早急に解決しないといけないのに、数百億円の無駄の話ですりかえて、問題の本質を覆い隠そうとしてるのではないかと思います。
行政の無駄が完全になくなっても、問題は大してよくなりません。
これもうどん屋の損益計算書を応用したらわかります。
原価率や人件費が大きい話をしてるのに、役人の無駄遣いをマスコミが大きく取り上げるのは、爪楊枝を1食で2本使ったとかトイレットペーパーを長めに使ったというレベルの話でしょう。
もったないとか無駄であるのは間違いありませんが、市民の側が行政サービスと収入の関係を真摯に見て、自分たちが一番たくさん使わせてもらってるんだという真実を見なければならないと思います。
国に問題があるなら、一番の問題は1億2千万人を超えて構成している国民というマスに一番大きな役割があるに決まっているんです。
これは、行政や政治を監視したり、自治に関わったり、投票や意見発信などを通じて政治に関わることまで含めてのことです。
市民はこれからは、プロ市民にならないといけないというのがたみ家の考えの一つです。
これが「まちづくり」活動や自治への参加を重要視して、「投票だけすればいい」という考えに猛烈に反対するゆえんでもあり、風景を重視することとも関係してます。
ご批判は大いに歓迎しております。
大きな話だけに、言葉足らずや誤解があってもしかたなかったと思うので、誰との間でも対話を通じてそれを埋めたり、自分の考えの及ばなかったところを補っていくのは大事なことと思っております。
Posted by たみ家 at
07:39
│Comments(0)
とってもおもろい日経流通新聞
2008年06月17日
続きもんで書いてることは際限がないので、たまに違うことも。
屋台ブルーさん提唱のMacの会にならって、「あしたさぬきMJ(日経流通新聞≪マーケティングジャーナル≫)の会」とか、できんやろうか?
日経流通新聞とってる人で、何するわけでもないけど。
いやほんと何するわけでもないなあ。
MJを読んでると、NB(ナショナルブランド=メーカーの名前の商品)と同じメーカーのつくった同じ製品でも大手小売のPB(プライベートブランド=イオンのトップバリューやダイエーのセービングやセブンアイのセブンプレミアムなど)だとだいたい7割ぐらいの価格になるのね。
大手ドラッグストアの社長が、食品や日用品の値上が相次ぐので、「あと4、5年は節約志向が続き、消費者が店を選ぶ基準は価格が大きな要素となる。」って、何の根拠や意図があるかわからないけど言ってるわ。
アイスと醤油は、アイしょう抜群とか、「アイスクリームにかける醤油(150ml、525円)」って紹介されてるし、こないだ言ったように、イノベーションとかヒット商品って、ほんとコーラと牛乳を混ぜるようなもんよね。
別に専用の醤油でなくても、普通の醤油でも合うって書いてあるわ。
キャラメル風味になるんだってさ。
72歳の男性も太鼓判だって。
でもかけすぎるとまずいんだって。
まあ、醤油とアイスが合うってのは20年以上前から言われてるらしいんだけど、じゃがバタに醤油が合うように、乳製品と醤油は全般的に相性がいいそうです。
昔からの裏技が、一気に広まってきたのは、少子高齢化の人口構造で、甘さ一辺倒のアイスから、大人向けアイスを指向してのことらしいです。
また、乳業は全国で500社、醤油は全国で1600社もあって、零細が多いので、地場同士で連携する相手も見つけやすいという供給側の事情もあって開発がスムースに進む下地があるそうです。
日本発の新味として、中国など海外への輸出話もあるそうです。
これ全部、先週の金曜日の古新聞何気に手にとって見てる分だけど、おもしろいことがたくさん書いてあるわ。
もう終わっちゃったけど、父の日は、メタボ対策とレトロ商品の物が人気だってさ。
新宿には、松竹系の映画館に3万円のプラチナルームなる個室ができたんだって、さすが東京ね。
東京と横浜の花火大会の日にホテルに泊まると宿泊料プラスたったの1000円で、ヘリコプターから上空で花火観覧ができる企画が近畿日本ツーリストからでてるとか。
1室2名利用だけど、ヘリ代込みで1人7000円からあるそうよ。
ネットカフェ難民と言われるだけに、ネットカフェで求人事業を始める会社があるらしいけど、なるほどね。
エルメスの株価が今とても不安定なんだって、創業家が大量に株を手放すって憶測が市場に出てるからとか、それはどうでもいいか。
ロスのユニバーサルスタジオは、こないだ火事ってニュースあったけど、火事の焼け跡を見学コースに新設したんだって、商魂だわあ。
高松でも火事があったら、火事場を見学するってないのかしら?
あっ!
屋島の廃屋が問題になってるけど、廃屋も見せ方で見学コースにできるんでないかしら、だって、焼け跡がなるのよ。
ツワモノどもが夢の跡みたいで、平家物語風のわびさびが。。。ないか?
すぐに浮かばないけど、見せ方で、廃屋そのものが見せ場になるってのは、たみ家の頭が足らないだけで、なると思うわ。
週3回で月2000円ぐらいだけど、これから地方にどんなお店が進出してくるかとかも書いてるし、いろいろ同じ用途の商品の違いの解説とかもしてるし、買い物上手になれそうだからお得よ。
屋台ブルーさん提唱のMacの会にならって、「あしたさぬきMJ(日経流通新聞≪マーケティングジャーナル≫)の会」とか、できんやろうか?
日経流通新聞とってる人で、何するわけでもないけど。
いやほんと何するわけでもないなあ。
MJを読んでると、NB(ナショナルブランド=メーカーの名前の商品)と同じメーカーのつくった同じ製品でも大手小売のPB(プライベートブランド=イオンのトップバリューやダイエーのセービングやセブンアイのセブンプレミアムなど)だとだいたい7割ぐらいの価格になるのね。
大手ドラッグストアの社長が、食品や日用品の値上が相次ぐので、「あと4、5年は節約志向が続き、消費者が店を選ぶ基準は価格が大きな要素となる。」って、何の根拠や意図があるかわからないけど言ってるわ。
アイスと醤油は、アイしょう抜群とか、「アイスクリームにかける醤油(150ml、525円)」って紹介されてるし、こないだ言ったように、イノベーションとかヒット商品って、ほんとコーラと牛乳を混ぜるようなもんよね。
別に専用の醤油でなくても、普通の醤油でも合うって書いてあるわ。
キャラメル風味になるんだってさ。
72歳の男性も太鼓判だって。
でもかけすぎるとまずいんだって。
まあ、醤油とアイスが合うってのは20年以上前から言われてるらしいんだけど、じゃがバタに醤油が合うように、乳製品と醤油は全般的に相性がいいそうです。
昔からの裏技が、一気に広まってきたのは、少子高齢化の人口構造で、甘さ一辺倒のアイスから、大人向けアイスを指向してのことらしいです。
また、乳業は全国で500社、醤油は全国で1600社もあって、零細が多いので、地場同士で連携する相手も見つけやすいという供給側の事情もあって開発がスムースに進む下地があるそうです。
日本発の新味として、中国など海外への輸出話もあるそうです。
これ全部、先週の金曜日の古新聞何気に手にとって見てる分だけど、おもしろいことがたくさん書いてあるわ。
もう終わっちゃったけど、父の日は、メタボ対策とレトロ商品の物が人気だってさ。
新宿には、松竹系の映画館に3万円のプラチナルームなる個室ができたんだって、さすが東京ね。
東京と横浜の花火大会の日にホテルに泊まると宿泊料プラスたったの1000円で、ヘリコプターから上空で花火観覧ができる企画が近畿日本ツーリストからでてるとか。
1室2名利用だけど、ヘリ代込みで1人7000円からあるそうよ。
ネットカフェ難民と言われるだけに、ネットカフェで求人事業を始める会社があるらしいけど、なるほどね。
エルメスの株価が今とても不安定なんだって、創業家が大量に株を手放すって憶測が市場に出てるからとか、それはどうでもいいか。
ロスのユニバーサルスタジオは、こないだ火事ってニュースあったけど、火事の焼け跡を見学コースに新設したんだって、商魂だわあ。
高松でも火事があったら、火事場を見学するってないのかしら?
あっ!
屋島の廃屋が問題になってるけど、廃屋も見せ方で見学コースにできるんでないかしら、だって、焼け跡がなるのよ。
ツワモノどもが夢の跡みたいで、平家物語風のわびさびが。。。ないか?
すぐに浮かばないけど、見せ方で、廃屋そのものが見せ場になるってのは、たみ家の頭が足らないだけで、なると思うわ。
週3回で月2000円ぐらいだけど、これから地方にどんなお店が進出してくるかとかも書いてるし、いろいろ同じ用途の商品の違いの解説とかもしてるし、買い物上手になれそうだからお得よ。
Posted by たみ家 at
22:51
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「まちづくり」って何ですねん?
2008年06月17日
「まちづくり」を都市開発の意味でとらえるのか、社会の活性化の意味でとらえるのかで大違いだと思うので、いっぺん、「まちづくり」って何なのかって話も大事だと思いました。
たみ家は、ウィキペディアを参考にはしてないんですが、参考に
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A
たみ家は
生産や生活の基盤をととのえて、人々が成長でき、喜べる場所や関係をつくっていくこと
と仮定義しておきます。
前半がハードウェアとソフトウェアの意味で、後半がソフトウェアとヒューマンウェアの意味です。
そう思うと、ソフトって、やっぱりハードとヒューマンとつなぐもんやなあ。
この定義は、昨日から急に考えたものなので、もうちょっと成長していく予定です。
定義は定義ですが、この行間には、おぜにさんを血液や潤滑油として必要とするということも入れておかないといけないでしょう。
都市開発や、バリアフリーやユニバーサルデザインやイベントやボランティア活動など、「まちづくり」に関連して語られるキーはそれでだいたい包含できてると思います。
また、人を成長させるのは人であり、喜ばせたり、喜びあうのも人との関係だから、「まちづくりは人づくり」っていうよく聞く言葉も当然といえば、当然と思えます。
そうすると、失敗した巨大開発を行政のせいにするのは、ある意味、物事の関係を見てないことにならんでしょうか?
6月8日の麺通団さんの団長日記にあるとおり、経済活動は民間が95%行政が5%で、行政でなく、民間の活動が地域を豊かにするということであれば、地域の失敗の95%は、行政や政治の責任でなく、民間の責任と言った方が自然ではないでしょうか?
その地域の民間ができてないことが行政の問題になるわけです。
サンポートは、政治と行政がつくったかのようにいう方も多いですが、民間が、政治に働きかけない限り、行政は建物はつくりません。
働きかけがあったうえで、じゃあ、国からおぜにさんを引っ張ってこようか?
「どうせなら、たくさん引っ張って大きいものつくろう」って話になるのでしょう。
サンポートのテナントが空くのは、基本的に、埋めれるだけの産業や企業が民間にないという話が最も大きい話ではないでしょうか?
よく「行政主導のまちづくりは失敗する。」みたいな言い方がありますが、「まち」ってのは民間の活動の有機的結合なんだから、民間に力がなく、建物やおぜにさんに頼って、自分たちの成長や喜びを実現するための考えを持たずに、行政に頼った地域がうまくいかないのは当然ではないでしょうか?
行政主導の失敗の本質は、行政にも問題はあるんでしょうが、本質のところは、民間の責任なはずです。
そっからスタートしないことには、「まちづくり」って、主体性をもって論じられんのではないでしょうか?
たみ家は、ウィキペディアを参考にはしてないんですが、参考に
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A
たみ家は
生産や生活の基盤をととのえて、人々が成長でき、喜べる場所や関係をつくっていくこと
と仮定義しておきます。
前半がハードウェアとソフトウェアの意味で、後半がソフトウェアとヒューマンウェアの意味です。
そう思うと、ソフトって、やっぱりハードとヒューマンとつなぐもんやなあ。
この定義は、昨日から急に考えたものなので、もうちょっと成長していく予定です。
定義は定義ですが、この行間には、おぜにさんを血液や潤滑油として必要とするということも入れておかないといけないでしょう。
都市開発や、バリアフリーやユニバーサルデザインやイベントやボランティア活動など、「まちづくり」に関連して語られるキーはそれでだいたい包含できてると思います。
また、人を成長させるのは人であり、喜ばせたり、喜びあうのも人との関係だから、「まちづくりは人づくり」っていうよく聞く言葉も当然といえば、当然と思えます。
そうすると、失敗した巨大開発を行政のせいにするのは、ある意味、物事の関係を見てないことにならんでしょうか?
6月8日の麺通団さんの団長日記にあるとおり、経済活動は民間が95%行政が5%で、行政でなく、民間の活動が地域を豊かにするということであれば、地域の失敗の95%は、行政や政治の責任でなく、民間の責任と言った方が自然ではないでしょうか?
その地域の民間ができてないことが行政の問題になるわけです。
サンポートは、政治と行政がつくったかのようにいう方も多いですが、民間が、政治に働きかけない限り、行政は建物はつくりません。
働きかけがあったうえで、じゃあ、国からおぜにさんを引っ張ってこようか?
「どうせなら、たくさん引っ張って大きいものつくろう」って話になるのでしょう。
サンポートのテナントが空くのは、基本的に、埋めれるだけの産業や企業が民間にないという話が最も大きい話ではないでしょうか?
よく「行政主導のまちづくりは失敗する。」みたいな言い方がありますが、「まち」ってのは民間の活動の有機的結合なんだから、民間に力がなく、建物やおぜにさんに頼って、自分たちの成長や喜びを実現するための考えを持たずに、行政に頼った地域がうまくいかないのは当然ではないでしょうか?
行政主導の失敗の本質は、行政にも問題はあるんでしょうが、本質のところは、民間の責任なはずです。
そっからスタートしないことには、「まちづくり」って、主体性をもって論じられんのではないでしょうか?
Posted by たみ家 at
03:56
│Comments(4)
日本と香川の労働生産性はおそろしく低いと思う
2008年06月15日
たみ家は、書いてきたことの全部と全部がいつも同時に関連してると思ってます。
たぶん、そういうつもりで書かなくても自然にそうなると思ってます。
前に、「何が好きになるかが大事」って書きました。
さぬきのドライブの風景ウンチク本の構想についても書きました。
これらも、日本の労働生産性がおそろしく低いということに対する処方とも、この最近、「まちづくり」活動に対して否定的なトーンの某記事に対して疑問を投げかけていることとも関係があります。
「まちづくり」活動するぐらいなら、経済活動に注力せよ。
ということは、長時間労働せよということでしょうか。
また、「まちづくり」活動をしてる人は、経済活動をけずってやってるのでしょうか?
どちらかといえば、仕事を犠牲にしてやってるのでなく
余暇を犠牲にしてやってるのではないでしょうか?
仕事でもそうですが、遊びですら、地域が良くなることをしたい。
これが「まちづくり」活動のイメージだと思う。
パチンコやテレビ見てゴロ寝する代わりにやってることでしょう。
好きになるなら、自分が成長して、他人の役に立つことを遊びと思えるぐらい楽しく好きなことにした方がいい。
また生産性の高い仕事には、イノベーションがいるはずです。
日々の細々とした改良、インプループ、無駄の排除、コストカット、に加えて革新的な向上であるイノベーションが重要で、付加価値とはこれらの結果であって、グローバルエコノミー下の低賃金労働が生み出す生産物に対抗するには、イノベーションが必要となるでしょう。
実際に、イノベーションなんて大したことないんです。
ほとんどがどっかに当たり前にあったものをどっかに結びつけただけです。
今まで何となく常識と言われてたりするものが邪魔したり、違和感があってされてなかっただけで、「牛乳とコーラを混ぜてみたら美味かった。」というレベルのものがほとんど9割方のイノベーションや新ヒット商品ではないでしょうか?
上等な発明の結果なんか5%もあるかないかでしょう。
イノベーションなんか、ほんと牛乳とコーラを混ぜるだけ、簡単簡単、でもそれでも意外にしないけど。
イノベーションとは他人の持ち場を侵害しないことには起こりにくいものです。
それをしないとすぐにセクショナリズムに陥ります。
よその持ち場の情報を持ってたり、よその持ち場を理解してないとイノベーションはうまれんのです。
そこへいくと、付加価値とは、多くは干渉によって発生するものではないでしょうか?
たみ家も今やってるうどん屋は、労働生産性がすごく低いことを実感してます。
一部の店はそうでもないのかもしれないけど、多くの飲食店はこんなに労働生産性の低いことをしてるんだなあと痛感します。
たみ家の場合は、週休2日の週40時間労働を基準にしたら、毎月残業時間でいうと200時間を割る月がない。
月350時間労働を下回るってのは、いくら理想的に上手に時間を使う想定しても想像できんなあ。
たぶん、1人で今の営業時間を維持するなら、そこらで一番優秀な人を引っ張ってきてもできんやろう。
時間当たりの売り上げを上げて、雇える人を増やして、営業時間を短くして、機械を導入するなどしたらできるでしょうが。
零細飲食店で、たみ家よりも同じことを上手にする人はたくさんいるとしても、大企業の生産性に比べたら、普通で3分の1とかすごくいいとこで半分もあるか、そんなもんではないでしょうか?
国の中にこんなに労働生産性の低い労働者がたくさんいるんでは、国も地域もあえぐに決まっている。
今まで大企業が支えてくれてたから、生産性の低い人がぶらさがってることの問題が顕在化されなかったのではないでしょうか?
よく零細企業の経営者や従業員が、「俺らの税金を使って、役所のヤツは。。。」とか言いますが、なかなか零細企業の関係者で、受け取っているサービスよりも、払ってる税金の方が多い人なんかいません。
香川県民のほとんどは、払ってる税金以上には行政サービスを充分に受けてます。
たみ家も自分でお金持ちにぶら下がってるって思うもん。
うちもそう儲かってないし、うちよりも儲かってない零細飲食店もたくさんあるけど、うちも、受け取ってる行政サービスに比べたらタダに近いぐらいしか税金払ってない。
自分自身働きづめで、ほんとに命かけてると言っていいぐらいがんばってますが、手打ちうどんってのは労働生産性が低い業種の代表なので、国レベルでみると、まだまだ、ほんとお金持ちや大企業にぶら下がって生きてるお荷物みたいな存在だと思う。
多くの人は行政サービスにどれぐらいお金がかかるかわかってないんだと思う。
小学生1人、公立小学校に通わせるのに、国・県・市は計年100万円ぐらい負担してないでしょうか?
小学生のこども1人分の教育費として年100万円分税金払ってる人なんかどれだけいますか?
市のゴミ袋の有料化のときに袋を高いと思った人が多いかもしれませんが、市の20円の中サイズのゴミ袋一杯を燃やそうと思ったら、民間ベースなら500円ぐらい払わないとほんとうは割りに合ってないと思うよ。
ゴミ収集が完全民営なら、中のゴミ袋1つは500円ぐらいは出さないと集めて燃やしてくれんよ。
(「マイ箸の問題も、製造現場までの負荷だけでなく、こっちも加味する必要はあるので、マイ箸運動推進側は森林への効果よりもこっちから主張した方が説得力は出ると思うけど。)
何でも採算が合うにはハードル高いんです。
セルフうどん店のネギ1スプーンて、無料トッピングになってますが、あれ1杯って30円ぐらい取らないと実際に採算は合いません。
みんなが3杯も取るようだと、普通に家賃払って人を雇ってる店なら、大幅に値上するか、ひっくりかえるかになります。
だから、最近はお店の人がネギを入れるお店が増えてます。
今まで輸出を中心に大企業ががんばって、行政のサポートもそれなりに外してなかったから、生産性の低い零細企業が生きて来れたし、生活苦も少なかった。
これなんかは、冷戦構造下での日米安保の評価とかもからめんといかんでしょうが。
ところが、世界市場に参加する人々が増えて、行政にできることも大してなくなってくると、今までぶら下がってた労働生産性の低い分野や労働者の問題が一気に噴出してきた。
これが、格差社会の一面ではないでしょうか?
途上国からの労働者が研修名目で仮に時給200円(違反だけど)でも働きます。
とすると、香川の最低賃金が今640円ですが、純粋に労働力として、200円で働く人の3倍以上取る資格のあるような生産性の高い労働者なんか、そう日本にいませんもん。
国内なら、賃金時給200円は違法だけど
アメリカなんかは、コールセンターを英語がしゃべれる国のインドやフィリピンなどにどんどん移すので単純労働者の賃下げ圧力がどんどんかかってきました。
そこへいくと、日本語しゃべる国は日本しかないので、移民の流入とか、介護労働者の受け入れなどについて、日本語ってのが労働市場の参入障壁になっている。
今まで、役所は基本的に国内で国内の人しか相手にしないので、世界中の労働者と労働市場で競争して、世界中の市場で価格競争をしなくてはいけなかった製造業の労働者よりは賃下げ圧力がかかりにくかったが、ここに来て、民営化圧力など賃下げ圧力が高まってきた。
すると、日本人がただ生きようとするだけで、時給200円で働きますという人の数倍もらえる資格や能力を持たないと、国が弱肉強食を緩和するために何かを講じてくれんと生きていけんわけです。
すると、日本人はそうなってますか?
という素朴な疑問が出てくるわけです。
こないだ秋葉原で大事件を起こした派遣労働者の待遇が問題になってましたが、たみ家は、今のところ時間当たりの労働生産性を加味したら所得水準あれ以下かもしれません。
まあ、他人から解雇を宣告されることはないし、楽しく誇れる仕事ではありますが、時点の収入では、彼は残業込みで月30万はもらってたらしい。
労働生産性ってことでいうと、事業所が負担してくれる保険料や労災保険や福利厚生が一切ないうえに、月200時間は残業してて、前日の準備も込みでいうと、年に5日も店にまったく行かない日がなくて、という状況を考えたら仮に月40万収入があっても、あれ以下かもしれん。
それぐらい労働生産性が低い人が多い。
うちに配達に来てる食品卸の人達も、いい大人の男で、20代から50代までいろいろですが、年収300万ありそうな人がまったく思い浮かばない。
労働生産性の低い人は、負け組みになる。
また、国か自治体が守ってくれんと生きることすらたいへんである。
グローバリゼーションとはそういうものだと思う。
そして、弱い人が支えている国が、弱い人を支え切れるかというと当然難しい。
地域が労働生産性を上げる枠組みをつくっていかんと(これは行政が指令するようなものでもなく、各労働者が個人だけで解決できる話でもない。)、多くの主体性や干渉の結果として、できるものではないかと思う。
「まちづくり」活動というのも、風景ウンチク本もこのような文脈から考える必要があるとは思ってます。
たぶん、そういうつもりで書かなくても自然にそうなると思ってます。
前に、「何が好きになるかが大事」って書きました。
さぬきのドライブの風景ウンチク本の構想についても書きました。
これらも、日本の労働生産性がおそろしく低いということに対する処方とも、この最近、「まちづくり」活動に対して否定的なトーンの某記事に対して疑問を投げかけていることとも関係があります。
「まちづくり」活動するぐらいなら、経済活動に注力せよ。
ということは、長時間労働せよということでしょうか。
また、「まちづくり」活動をしてる人は、経済活動をけずってやってるのでしょうか?
どちらかといえば、仕事を犠牲にしてやってるのでなく
余暇を犠牲にしてやってるのではないでしょうか?
仕事でもそうですが、遊びですら、地域が良くなることをしたい。
これが「まちづくり」活動のイメージだと思う。
パチンコやテレビ見てゴロ寝する代わりにやってることでしょう。
好きになるなら、自分が成長して、他人の役に立つことを遊びと思えるぐらい楽しく好きなことにした方がいい。
また生産性の高い仕事には、イノベーションがいるはずです。
日々の細々とした改良、インプループ、無駄の排除、コストカット、に加えて革新的な向上であるイノベーションが重要で、付加価値とはこれらの結果であって、グローバルエコノミー下の低賃金労働が生み出す生産物に対抗するには、イノベーションが必要となるでしょう。
実際に、イノベーションなんて大したことないんです。
ほとんどがどっかに当たり前にあったものをどっかに結びつけただけです。
今まで何となく常識と言われてたりするものが邪魔したり、違和感があってされてなかっただけで、「牛乳とコーラを混ぜてみたら美味かった。」というレベルのものがほとんど9割方のイノベーションや新ヒット商品ではないでしょうか?
上等な発明の結果なんか5%もあるかないかでしょう。
イノベーションなんか、ほんと牛乳とコーラを混ぜるだけ、簡単簡単、でもそれでも意外にしないけど。
イノベーションとは他人の持ち場を侵害しないことには起こりにくいものです。
それをしないとすぐにセクショナリズムに陥ります。
よその持ち場の情報を持ってたり、よその持ち場を理解してないとイノベーションはうまれんのです。
そこへいくと、付加価値とは、多くは干渉によって発生するものではないでしょうか?
たみ家も今やってるうどん屋は、労働生産性がすごく低いことを実感してます。
一部の店はそうでもないのかもしれないけど、多くの飲食店はこんなに労働生産性の低いことをしてるんだなあと痛感します。
たみ家の場合は、週休2日の週40時間労働を基準にしたら、毎月残業時間でいうと200時間を割る月がない。
月350時間労働を下回るってのは、いくら理想的に上手に時間を使う想定しても想像できんなあ。
たぶん、1人で今の営業時間を維持するなら、そこらで一番優秀な人を引っ張ってきてもできんやろう。
時間当たりの売り上げを上げて、雇える人を増やして、営業時間を短くして、機械を導入するなどしたらできるでしょうが。
零細飲食店で、たみ家よりも同じことを上手にする人はたくさんいるとしても、大企業の生産性に比べたら、普通で3分の1とかすごくいいとこで半分もあるか、そんなもんではないでしょうか?
国の中にこんなに労働生産性の低い労働者がたくさんいるんでは、国も地域もあえぐに決まっている。
今まで大企業が支えてくれてたから、生産性の低い人がぶらさがってることの問題が顕在化されなかったのではないでしょうか?
よく零細企業の経営者や従業員が、「俺らの税金を使って、役所のヤツは。。。」とか言いますが、なかなか零細企業の関係者で、受け取っているサービスよりも、払ってる税金の方が多い人なんかいません。
香川県民のほとんどは、払ってる税金以上には行政サービスを充分に受けてます。
たみ家も自分でお金持ちにぶら下がってるって思うもん。
うちもそう儲かってないし、うちよりも儲かってない零細飲食店もたくさんあるけど、うちも、受け取ってる行政サービスに比べたらタダに近いぐらいしか税金払ってない。
自分自身働きづめで、ほんとに命かけてると言っていいぐらいがんばってますが、手打ちうどんってのは労働生産性が低い業種の代表なので、国レベルでみると、まだまだ、ほんとお金持ちや大企業にぶら下がって生きてるお荷物みたいな存在だと思う。
多くの人は行政サービスにどれぐらいお金がかかるかわかってないんだと思う。
小学生1人、公立小学校に通わせるのに、国・県・市は計年100万円ぐらい負担してないでしょうか?
小学生のこども1人分の教育費として年100万円分税金払ってる人なんかどれだけいますか?
市のゴミ袋の有料化のときに袋を高いと思った人が多いかもしれませんが、市の20円の中サイズのゴミ袋一杯を燃やそうと思ったら、民間ベースなら500円ぐらい払わないとほんとうは割りに合ってないと思うよ。
ゴミ収集が完全民営なら、中のゴミ袋1つは500円ぐらいは出さないと集めて燃やしてくれんよ。
(「マイ箸の問題も、製造現場までの負荷だけでなく、こっちも加味する必要はあるので、マイ箸運動推進側は森林への効果よりもこっちから主張した方が説得力は出ると思うけど。)
何でも採算が合うにはハードル高いんです。
セルフうどん店のネギ1スプーンて、無料トッピングになってますが、あれ1杯って30円ぐらい取らないと実際に採算は合いません。
みんなが3杯も取るようだと、普通に家賃払って人を雇ってる店なら、大幅に値上するか、ひっくりかえるかになります。
だから、最近はお店の人がネギを入れるお店が増えてます。
今まで輸出を中心に大企業ががんばって、行政のサポートもそれなりに外してなかったから、生産性の低い零細企業が生きて来れたし、生活苦も少なかった。
これなんかは、冷戦構造下での日米安保の評価とかもからめんといかんでしょうが。
ところが、世界市場に参加する人々が増えて、行政にできることも大してなくなってくると、今までぶら下がってた労働生産性の低い分野や労働者の問題が一気に噴出してきた。
これが、格差社会の一面ではないでしょうか?
途上国からの労働者が研修名目で仮に時給200円(違反だけど)でも働きます。
とすると、香川の最低賃金が今640円ですが、純粋に労働力として、200円で働く人の3倍以上取る資格のあるような生産性の高い労働者なんか、そう日本にいませんもん。
国内なら、賃金時給200円は違法だけど
アメリカなんかは、コールセンターを英語がしゃべれる国のインドやフィリピンなどにどんどん移すので単純労働者の賃下げ圧力がどんどんかかってきました。
そこへいくと、日本語しゃべる国は日本しかないので、移民の流入とか、介護労働者の受け入れなどについて、日本語ってのが労働市場の参入障壁になっている。
今まで、役所は基本的に国内で国内の人しか相手にしないので、世界中の労働者と労働市場で競争して、世界中の市場で価格競争をしなくてはいけなかった製造業の労働者よりは賃下げ圧力がかかりにくかったが、ここに来て、民営化圧力など賃下げ圧力が高まってきた。
すると、日本人がただ生きようとするだけで、時給200円で働きますという人の数倍もらえる資格や能力を持たないと、国が弱肉強食を緩和するために何かを講じてくれんと生きていけんわけです。
すると、日本人はそうなってますか?
という素朴な疑問が出てくるわけです。
こないだ秋葉原で大事件を起こした派遣労働者の待遇が問題になってましたが、たみ家は、今のところ時間当たりの労働生産性を加味したら所得水準あれ以下かもしれません。
まあ、他人から解雇を宣告されることはないし、楽しく誇れる仕事ではありますが、時点の収入では、彼は残業込みで月30万はもらってたらしい。
労働生産性ってことでいうと、事業所が負担してくれる保険料や労災保険や福利厚生が一切ないうえに、月200時間は残業してて、前日の準備も込みでいうと、年に5日も店にまったく行かない日がなくて、という状況を考えたら仮に月40万収入があっても、あれ以下かもしれん。
それぐらい労働生産性が低い人が多い。
うちに配達に来てる食品卸の人達も、いい大人の男で、20代から50代までいろいろですが、年収300万ありそうな人がまったく思い浮かばない。
労働生産性の低い人は、負け組みになる。
また、国か自治体が守ってくれんと生きることすらたいへんである。
グローバリゼーションとはそういうものだと思う。
そして、弱い人が支えている国が、弱い人を支え切れるかというと当然難しい。
地域が労働生産性を上げる枠組みをつくっていかんと(これは行政が指令するようなものでもなく、各労働者が個人だけで解決できる話でもない。)、多くの主体性や干渉の結果として、できるものではないかと思う。
「まちづくり」活動というのも、風景ウンチク本もこのような文脈から考える必要があるとは思ってます。
Posted by たみ家 at
14:03
│Comments(2)
香川版 テレビ討論会って?
2008年06月14日
前記事で、全文引用でとあるネット上の記事に疑問を投げかけておりました。
なぜそこまでしたのか。
一見すると、「まちづくり」の活動を正面から否定していると受け取られかねない記事を四国新聞の「論点香川」を執筆されてる方がご自身のサイトで書かれていたのを問題視したからです。
よくあるパターンですが、新聞などに寄稿しようとするときって、自分のブログなどに書いたことを元ネタにして、もう一段階練って原稿にすることってありがちだと思うんです。
「まちづくり」活動や住民の自治への参加を正面から否定する趣旨が、県内で20万部も出る四国新聞上で、かつファンも多い彼の手で書かれることは、超推進派であり、超推進派や推進派の多くの人と活動をともにするたみ家としては、何としてでも、彼の真意を確かめたい、または、討論の場を設けたいと思いました。
また、「あなたの記事を全文引用までして疑問を投げかける輩がおりますよ。」と、彼の知人を通して知ってもらうことで、けん制効果があるのでも良い思いました。
言いたいことはいろいろあるんです。
そもそも経済活動について「全員持ち場につけ」と指令するというのは、行政や政治の指令がまるで、民間の経済活動の上位にあるかのようでないか。
また、「全員が持ち場につけ」と言える潜水艦は、目的がはっきりしているし、持ち場もはっきりしている。
しかし、現在は、何をしたらうまくいくのか誰もわからない、また変化の激しい時代でもある。
変化の少ない時代は、持ち場と権限でモノを言うのが有効であるが、変化が激しい時代には、持ち場と権限にしばられずに流動的に個々の構成員が考えないといけないといわれています。
バーンズとストーカーの機械的組織と有機的組織の理論が参考になるでしょう。
また、「まちづくり」活動には、需要創出の意味があるし、経済活動の場に、人はある意味足りないとも言えるし余ってるともいえる。
トータルでどうというより、状況によって余ったり足りなくなったりする状況をときどきに都合よく使える人を使わないと企業はやっていけんから不安定雇用の問題がある。
前記事でも書いたように持ち場がない、だから、生産の現場という入りを増やす方で活躍するだけでなく、場合によっては出の負担を減らすことで活躍してもらわざるを得ない状況もあるでしょう。
また、今、地域経済に求められていることは需要の創出であり、知恵や知識が高度に実用化されることではないか?
そこには、人が交流する場が必要であり、また、同じ方向を向いて信頼感を醸成することによって、知的・物的資源の共有化による(たとえば気の合うカメラマンが集まったら高額な機材を共有したりできるがそれにはある程度仲間での信頼がいる。)意志ある個人へのエンパワーメント効果がある。
テイラーやマズローや産業史に触れたのは、このあたりの問題に正面から取り組むためのものでした。
不況は生産手段の高度化によって何度も訪れました。
今の地方の衰退も、グローバルエコノミーやITによる通信手段の飛躍的発達や生産現場の合理化によるとこが多いと思い、これは歴史から学べるとこがあると思いました。
「まちづくり」活動は、ある意味、巨大な異業種交流会になれるのではないだろうか?
また、人は、「持ち場につけ」と指令されて、経済的動機のみによって動かすのには限界があるというのが、メイヨー・レスリスバーガーの有名なホーソン工場の実験でいわれたところであり、マズローが段階欲求説によって考えたところでもあろう。
確かに、「まちづくり」活動や住民の自治参加といわれるものについては、生産性の低い一見エネルギーロスと思われることも少なくない。
しかし、かつての職能集団や狭い地域の枠の境界を越え、エネルギーを発する分子が大きく動くためにも、地域の未利用資源の共有化のためにも、経済のパイを大きくし、パイの中の動きを容易にして、パイを大きくするエネルギーを維持、涵養するためにも、「まちづくり」や住民の自治参加は重要であると考える。
人が信頼感を醸成しながら、成長しなければ、地域の経済活動の発展は難しいのではないかと考えるのがたみ家の視点であり、引用したコラムにはその視点がまったくない。
自治への参加うんぬんについても、民主主義がおかしいといわれることについても、問題があるということは、制度と利用したり運用する人間との間で不適合があるということである。
その不適合は何かを考えると、政治参加は投票だけすれば良いとはいえないと考える。
言いたいことはまだまだあるし、言葉じりだけをとらえて行間を読み切るには、引用した文章は量が少ないし、たみ家が真意を読めてない可能性が大いにある。
しかし、この論調で四国新聞に出ると、「まちづくり」活動や住民の自治参加って、やっとる側の自己満足で、意味ないんかなあと思われかねない。
サンデープロジェクトや日曜討論みたいにテレビで
「香川経済非常事態宣言!住民、政治、産業界は何をすべきか!」と題して、NHK高松支局かRNCあたりでやりませんか?
県内の経済界や政治や行政やNPOから人を出して
ネットや電話やファクスなどで生放送中に視聴者からの意見もどんどん拾えるようにして。
よくあるシンポジウムみたいに、なあなあで、シナリオどおりにしゃべって、賛同しあう番組も悪くないけど、そればっかりでもダメだと思う。
まあ、たみ家が出ると「あれ!?誰やそれ?」ってことになりそうなのだし、たみ家はテレビであがるとかそういうのは無いと思うけど、大勢の前に出るのが好かんでうどん屋やってるクチだからまちづくり活動推進派の補欠の補欠ぐらいでお願いします。
なぜそこまでしたのか。
一見すると、「まちづくり」の活動を正面から否定していると受け取られかねない記事を四国新聞の「論点香川」を執筆されてる方がご自身のサイトで書かれていたのを問題視したからです。
よくあるパターンですが、新聞などに寄稿しようとするときって、自分のブログなどに書いたことを元ネタにして、もう一段階練って原稿にすることってありがちだと思うんです。
「まちづくり」活動や住民の自治への参加を正面から否定する趣旨が、県内で20万部も出る四国新聞上で、かつファンも多い彼の手で書かれることは、超推進派であり、超推進派や推進派の多くの人と活動をともにするたみ家としては、何としてでも、彼の真意を確かめたい、または、討論の場を設けたいと思いました。
また、「あなたの記事を全文引用までして疑問を投げかける輩がおりますよ。」と、彼の知人を通して知ってもらうことで、けん制効果があるのでも良い思いました。
言いたいことはいろいろあるんです。
そもそも経済活動について「全員持ち場につけ」と指令するというのは、行政や政治の指令がまるで、民間の経済活動の上位にあるかのようでないか。
また、「全員が持ち場につけ」と言える潜水艦は、目的がはっきりしているし、持ち場もはっきりしている。
しかし、現在は、何をしたらうまくいくのか誰もわからない、また変化の激しい時代でもある。
変化の少ない時代は、持ち場と権限でモノを言うのが有効であるが、変化が激しい時代には、持ち場と権限にしばられずに流動的に個々の構成員が考えないといけないといわれています。
バーンズとストーカーの機械的組織と有機的組織の理論が参考になるでしょう。
また、「まちづくり」活動には、需要創出の意味があるし、経済活動の場に、人はある意味足りないとも言えるし余ってるともいえる。
トータルでどうというより、状況によって余ったり足りなくなったりする状況をときどきに都合よく使える人を使わないと企業はやっていけんから不安定雇用の問題がある。
前記事でも書いたように持ち場がない、だから、生産の現場という入りを増やす方で活躍するだけでなく、場合によっては出の負担を減らすことで活躍してもらわざるを得ない状況もあるでしょう。
また、今、地域経済に求められていることは需要の創出であり、知恵や知識が高度に実用化されることではないか?
そこには、人が交流する場が必要であり、また、同じ方向を向いて信頼感を醸成することによって、知的・物的資源の共有化による(たとえば気の合うカメラマンが集まったら高額な機材を共有したりできるがそれにはある程度仲間での信頼がいる。)意志ある個人へのエンパワーメント効果がある。
テイラーやマズローや産業史に触れたのは、このあたりの問題に正面から取り組むためのものでした。
不況は生産手段の高度化によって何度も訪れました。
今の地方の衰退も、グローバルエコノミーやITによる通信手段の飛躍的発達や生産現場の合理化によるとこが多いと思い、これは歴史から学べるとこがあると思いました。
「まちづくり」活動は、ある意味、巨大な異業種交流会になれるのではないだろうか?
また、人は、「持ち場につけ」と指令されて、経済的動機のみによって動かすのには限界があるというのが、メイヨー・レスリスバーガーの有名なホーソン工場の実験でいわれたところであり、マズローが段階欲求説によって考えたところでもあろう。
確かに、「まちづくり」活動や住民の自治参加といわれるものについては、生産性の低い一見エネルギーロスと思われることも少なくない。
しかし、かつての職能集団や狭い地域の枠の境界を越え、エネルギーを発する分子が大きく動くためにも、地域の未利用資源の共有化のためにも、経済のパイを大きくし、パイの中の動きを容易にして、パイを大きくするエネルギーを維持、涵養するためにも、「まちづくり」や住民の自治参加は重要であると考える。
人が信頼感を醸成しながら、成長しなければ、地域の経済活動の発展は難しいのではないかと考えるのがたみ家の視点であり、引用したコラムにはその視点がまったくない。
自治への参加うんぬんについても、民主主義がおかしいといわれることについても、問題があるということは、制度と利用したり運用する人間との間で不適合があるということである。
その不適合は何かを考えると、政治参加は投票だけすれば良いとはいえないと考える。
言いたいことはまだまだあるし、言葉じりだけをとらえて行間を読み切るには、引用した文章は量が少ないし、たみ家が真意を読めてない可能性が大いにある。
しかし、この論調で四国新聞に出ると、「まちづくり」活動や住民の自治参加って、やっとる側の自己満足で、意味ないんかなあと思われかねない。
サンデープロジェクトや日曜討論みたいにテレビで
「香川経済非常事態宣言!住民、政治、産業界は何をすべきか!」と題して、NHK高松支局かRNCあたりでやりませんか?
県内の経済界や政治や行政やNPOから人を出して
ネットや電話やファクスなどで生放送中に視聴者からの意見もどんどん拾えるようにして。
よくあるシンポジウムみたいに、なあなあで、シナリオどおりにしゃべって、賛同しあう番組も悪くないけど、そればっかりでもダメだと思う。
まあ、たみ家が出ると「あれ!?誰やそれ?」ってことになりそうなのだし、たみ家はテレビであがるとかそういうのは無いと思うけど、大勢の前に出るのが好かんでうどん屋やってるクチだからまちづくり活動推進派の補欠の補欠ぐらいでお願いします。
Posted by たみ家 at
21:43
│Comments(2)
できればよく読んで
2008年06月14日
先般、これはちょっとコメントしておかんと。
と思いました「麺通団」さんの団長日記です。
あえて全文引っ張ってまでというのは、この方も県内で約20万部出る四国新聞に意見を書かれたり、38万部出ていた県の広報に大きなスペースをとって書かれる方なので、公人扱いさせていただきました。
できたら直接テレビ討論でもさせてもらいたいぐらいです。
たみ家、先日うっかりテレビにうつってしまいましたが、ほんとはうつるの好きでない。
しかあし、自分や自分の関係者の考えを正面から否定するようにもとれる話には、挑戦しておかんと。
いっぺんよく読んでやってください。
今から、作業して朝の間にもう一回時間がとれるか、店が終わってからたみ家の考えを。
たとえば、持ち場が生産の現場だったとしても、現場で生産を高めてもそれは供給の問題、現在の景気の問題の多くは需要の問題であり、需要に関わる部分にいかないと持ち場でがんばってもだめだろう。
とか
もし、たとえば、定年退職後の高齢者が全員、生産現場で通年働いてたら、物は売れんのに、人件費だけが通年高騰する。
これを企業は支えられない。
経済活動の現場に持ち場なんて必ずしも、持たないし持てないのだ。
とか
ほかにもいろいろ、基本的なところで、以下の文章は、よくわからないとこが多すぎる。
また、後ほど。
2008年6月8日(日)
月曜日以来、「ファンタどころか甘い飲み物は完全にシャットアウトするぞ月間」が進行中である。今日で1週間、飲み物は水、お茶、牛乳、ブラックコーヒー以外何も口にしていない。大学の研究室では机の上のポットの「湯」を飲んでいるぞ(笑)。福田社長は家で毎日「煮え湯を飲んでいる」らしいが、私は白湯(さゆ)だ。しかも間食もシャットアウトで、三度の食事以外一切食べ物を口にしていないという徹底ぶり。私はやればできる男だ。「なら普段からやっとけ」と自分で先に突っ込んでおきます。すんません。
さて、最近疑問に思っていることの(その6)です。
地方では地域の経済的衰退などで厳しい財政が続いていますが、これに対して私が知る限りの自治体では「住民参加の地方自治を進めよう」みたいな取り組みを掲げている県や市町がたくさんあります。でも、それってダメなんじゃないでしょうか? という疑問。
細かい枝葉の戦略部分は省略して、非常事態に下すべき指令として私の持っているイメージというか原理原則は、「各自、持ち場を離れるな!」である。『沈黙の艦隊』で原潜やまとが非常事態になると、海江田艦長は「全員持ち場を守れ!」と指示を出す。あのイメージです。すると、行政の非常事態に「住民みんなが政治に参加しよう」というのは、原潜の非常事態に「全員司令室に集合!」とか「全員で作戦を考えよう!」と言っているのと同じ構図ではないかと。それは潜水艦、沈没するぞ(笑)。
地域を経済的に豊かにするのは、民間企業である。民間企業の収益が地域の住民の収入を生み、雇用を生み、それが消費を生み、また地域の企業の収益を生み、経済活性のサイクルを生み出す。民間企業の収益が設備投資を生み、他企業の収益を生み、経済活性のサイクルを生み出す。税収が地域経済の活性化を生み出すのではない。ドバイの奇跡的な経済発展の原動力は、経済特区の法人税0%という施策である。アイルランドの奇跡的な経済復興の原動力も、安い法人税という政策が生み出した。中国の経済特区の奇跡的な発展も、古くは香港が世界の金融拠点に化けたのも、格安の法人税が大きな原動力になった。これらはいずれも「お金を行政(税収)ではなく、民間に預けたから経済発展が起こった」という典型的な例である。税収は地域を経済的に豊かにするものではなく、むしろ「税収は経済発展を阻害する」というのが原理原則だろうと思う。だって、本来次の経済活動に回るはずのお金を取り上げるんだもの。
やっぱりどう考えても、地域経済の非常時の指令は「全員持ち場につけ!」であろう。地域の経済発展を生み出すのは90%以上「民間の力」である(以前私が“民間が95%、行政は5%”と言ったのはこのこと)。従って地域の経済的非常時における民間の「持ち場」は、「経済活動に全力を挙げる」だと思うのである。それを「非常時だから民間は行政に参加しよう」と言っていては、地域は沈没するのではないか? というのが疑問(その6)である。行政というか、政治への民間の参加は、その「持ち場」から言えば極論すれば「投票行動」だけだと思う。この時、行政の持ち場は「税収を上げる」ではない。「地域の民間の経済活動が活性化するように動く」が、行政の持ち場である。
以上、地域の「経済的立て直し」に限った話であると念を押しておく。テーマをすり替えて「福祉はどうするんだ」という話を持ち出してくる人が必ずいるからである。ついでに言うなら、老人福祉に限って言えば民間(住民)の多くは今、本来自分の持ち場であるはずのものを行政に丸投げしているという印象である。さらに言えば、まちづくり運動などは自分の持ち場を守らずに他人の持ち場のことをやっているという印象である。このあたり、詳しく書けば本になるのでここでは書かないが、本にするつもりもないことは言うまでもない(笑)。すんません
と思いました「麺通団」さんの団長日記です。
あえて全文引っ張ってまでというのは、この方も県内で約20万部出る四国新聞に意見を書かれたり、38万部出ていた県の広報に大きなスペースをとって書かれる方なので、公人扱いさせていただきました。
できたら直接テレビ討論でもさせてもらいたいぐらいです。
たみ家、先日うっかりテレビにうつってしまいましたが、ほんとはうつるの好きでない。
しかあし、自分や自分の関係者の考えを正面から否定するようにもとれる話には、挑戦しておかんと。
いっぺんよく読んでやってください。
今から、作業して朝の間にもう一回時間がとれるか、店が終わってからたみ家の考えを。
たとえば、持ち場が生産の現場だったとしても、現場で生産を高めてもそれは供給の問題、現在の景気の問題の多くは需要の問題であり、需要に関わる部分にいかないと持ち場でがんばってもだめだろう。
とか
もし、たとえば、定年退職後の高齢者が全員、生産現場で通年働いてたら、物は売れんのに、人件費だけが通年高騰する。
これを企業は支えられない。
経済活動の現場に持ち場なんて必ずしも、持たないし持てないのだ。
とか
ほかにもいろいろ、基本的なところで、以下の文章は、よくわからないとこが多すぎる。
また、後ほど。
2008年6月8日(日)
月曜日以来、「ファンタどころか甘い飲み物は完全にシャットアウトするぞ月間」が進行中である。今日で1週間、飲み物は水、お茶、牛乳、ブラックコーヒー以外何も口にしていない。大学の研究室では机の上のポットの「湯」を飲んでいるぞ(笑)。福田社長は家で毎日「煮え湯を飲んでいる」らしいが、私は白湯(さゆ)だ。しかも間食もシャットアウトで、三度の食事以外一切食べ物を口にしていないという徹底ぶり。私はやればできる男だ。「なら普段からやっとけ」と自分で先に突っ込んでおきます。すんません。
さて、最近疑問に思っていることの(その6)です。
地方では地域の経済的衰退などで厳しい財政が続いていますが、これに対して私が知る限りの自治体では「住民参加の地方自治を進めよう」みたいな取り組みを掲げている県や市町がたくさんあります。でも、それってダメなんじゃないでしょうか? という疑問。
細かい枝葉の戦略部分は省略して、非常事態に下すべき指令として私の持っているイメージというか原理原則は、「各自、持ち場を離れるな!」である。『沈黙の艦隊』で原潜やまとが非常事態になると、海江田艦長は「全員持ち場を守れ!」と指示を出す。あのイメージです。すると、行政の非常事態に「住民みんなが政治に参加しよう」というのは、原潜の非常事態に「全員司令室に集合!」とか「全員で作戦を考えよう!」と言っているのと同じ構図ではないかと。それは潜水艦、沈没するぞ(笑)。
地域を経済的に豊かにするのは、民間企業である。民間企業の収益が地域の住民の収入を生み、雇用を生み、それが消費を生み、また地域の企業の収益を生み、経済活性のサイクルを生み出す。民間企業の収益が設備投資を生み、他企業の収益を生み、経済活性のサイクルを生み出す。税収が地域経済の活性化を生み出すのではない。ドバイの奇跡的な経済発展の原動力は、経済特区の法人税0%という施策である。アイルランドの奇跡的な経済復興の原動力も、安い法人税という政策が生み出した。中国の経済特区の奇跡的な発展も、古くは香港が世界の金融拠点に化けたのも、格安の法人税が大きな原動力になった。これらはいずれも「お金を行政(税収)ではなく、民間に預けたから経済発展が起こった」という典型的な例である。税収は地域を経済的に豊かにするものではなく、むしろ「税収は経済発展を阻害する」というのが原理原則だろうと思う。だって、本来次の経済活動に回るはずのお金を取り上げるんだもの。
やっぱりどう考えても、地域経済の非常時の指令は「全員持ち場につけ!」であろう。地域の経済発展を生み出すのは90%以上「民間の力」である(以前私が“民間が95%、行政は5%”と言ったのはこのこと)。従って地域の経済的非常時における民間の「持ち場」は、「経済活動に全力を挙げる」だと思うのである。それを「非常時だから民間は行政に参加しよう」と言っていては、地域は沈没するのではないか? というのが疑問(その6)である。行政というか、政治への民間の参加は、その「持ち場」から言えば極論すれば「投票行動」だけだと思う。この時、行政の持ち場は「税収を上げる」ではない。「地域の民間の経済活動が活性化するように動く」が、行政の持ち場である。
以上、地域の「経済的立て直し」に限った話であると念を押しておく。テーマをすり替えて「福祉はどうするんだ」という話を持ち出してくる人が必ずいるからである。ついでに言うなら、老人福祉に限って言えば民間(住民)の多くは今、本来自分の持ち場であるはずのものを行政に丸投げしているという印象である。さらに言えば、まちづくり運動などは自分の持ち場を守らずに他人の持ち場のことをやっているという印象である。このあたり、詳しく書けば本になるのでここでは書かないが、本にするつもりもないことは言うまでもない(笑)。すんません
Posted by たみ家 at
06:11
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