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Posted by あしたさぬき.JP at

高松の夜のご案内 楽しく遊べてるかな?

2010年03月31日

今、ふと、滋賀県から来られた人達のことが気遣われた。


うどん店に、16時ごろに

65~70歳ぐらいの、やけに元気そうな男性4人組みのお客さんが、2人作業服で、2人普段着。

なんか珍しい組み合わせだと思い。

たみ家「今日は、遠くからお見えですか?」

お客「おお滋賀から観光や!」

たみ家「遠いところですねえ。」

お客「そう。遠いところから来てここでうどんを食べとる。」

県外観光でも作業着なのね。。。。。それぐらい作業着慣れした人は作業着がいいのね。

すると。。。。。

突然、一人が

小指を突きたてものすごく朗らかなお顔で

「これで遊ぶとこはどこや!」



たみ家(さぬきうどん全店制覇の巻頭の地図を広げ海の近くを指差し)
「高松ではこのヘンではないかと。。。」

すると
滋賀A(異様ににこにこして)「浜ではまるんやな」

たみ家内心(ひえええ)
しかし、サービス精神旺盛で、楽しんで帰ってもらいたいたみ家
「人口の割には立派な街ができております。サービスの奥行きに差がありますので、コンビニでもそういうご案内の雑誌が500円ぐらいで売ってますので、それをご覧になって行かれた方がお間違いがないかと。。。」

まあ、このおん歳で、高松に来られることはもうないかもしれませんし、どこ行くかわかりませんが、4人で大4~15枚程度、高松の地におぜにさんが舞いおります。

楽しんでもらいたい。

そこでまた滋賀B「雑誌?うどんの雑誌かい?」滋賀C(小指を突きたて)「こっちの雑誌やがな」
とおもろすぎる応答を

食べながら
滋賀A「ここでたくさん食うなよ。後でごちそう食えんようなるぞ。」

たみ家内心(どっちのごちそうや?)

滋賀Dが最後に

団費を集めたと思われる封筒からおぜにさんを取り出し、4名分1320円を。

封筒には、今までに使ったと思われる出費が書いてあり、ここでさらに白い封筒の6段目ぐらいに「うどん 1320」と記入。

浜のごちそうもこの封筒から出るんだろうか?


今頃、宴会が終わってそろそろ浜に向かう頃だろうか?

楽しめているだろうか?

70歳近くになって4人組みでこういう遊び方ができるってすごいぞ。

そういやあ。
うちの木の棚の「65歳以上の方 お会計50円引き」と書いてあるとこ見て該当するかのように皆でぼそぼそ言ってましたから。
「65歳以上ですか?」とこっちから言うとひつれいなので、申告なければこっちから突っ込みませんが。

非常に稀ですが、香川観光、地産外商(?)のために、うどん屋は、こういうコンシェルジュの役目も果たさねばなりませぬ。
  

Posted by たみ家 at 21:45Comments(0)

微妙な判決

2010年03月31日

京都府宇治市の学習塾で2005年、小学6年堀本紗也乃さん=当時(12)=が塾講師の男(27)=殺人などの罪で服役中=に刺殺された事件で、紗也乃さんの両親が塾を経営する「京進」(京都市)の使用者責任などを問い、約1億3000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、京都地裁(松本清隆裁判長)は31日、同社に約1億円の支払いを命じた。
 松本裁判長は塾側の使用者責任を認め、「講師の使用者である塾が、講師が負うべき損害賠償額と同額の責任を負うことはやむを得ない」と指摘。京進側の「女児殺害計画に気付くことは困難で、故意に罪を犯した講師とは責任が異なる」などとの主張を退けた。


これ、大手だから払えるけど
個人経営の塾で、業務そのものの執行でない故意の突発的な殺人に同額の責任負わされたらこわいぞ。

飲食店でも、カッとしやすいのや、素行が悪かったのはこわくて使えんぞ。

直接の業務執行でない故意の気づきようのない事件に、雇えば同額の責任という法理が広く認められることには直感的に怖さを感じたなあ。

この法理を広く類推されたら、人雇うのもこわいから、失業対策にマイナスかもね。

民法第715条の使用者責任は「事業ノ執行ニ付キ」第三者に損害を与えたる者は損害賠償の責に任ずで、被用者の選任及びその事業の監督に相当の注意をしても損害が発生したときはこの限りでないわけだ。

これは事業の執行の一環といえるか?

また、講師の選任に過失があるといえるか?

気づきようのないものに、相当の注意とは?

塾講師雇うのに、過去の精神疾患などの病歴とか逮捕歴とか履歴書に書いてる以上のこと調べるの現実的でないだろうし、そんなことそれ以上調べたら完全に人権侵害だろうし。

事実に関する情報がないから、たみ家がニュースとかで聞き覚えのある範囲での感想だが、あれで安全義務違反があったというなら、性格の悪いの雇ったり、仲が悪そうなのを直ぐに人事異動で離さなかったら、全部安全義務違反だったりしないのか?

例えば、職場で阪神ファンと巨人ファンが、口論からケンカになってどっちかが大怪我したら、会社はケンカの被害に対して損害賠償負うのだろうか?
阪神ファンと巨人ファンはケンカになりやすいんだから別の課に離しておけって。
しかも、会社は怪我させた側と同程度の責任って。

被害者が、従業員かお客さんかってことは、被用者の加害に使用者が責任を負うという関係に論理的に直接影響しないから、事例としては同じと考えてよいのでは?

このあたり、かわいそうだからとか、払えるやつに払わせろでは、法律論としては怪しい。
刑事と民事、民事の中でも誰の責任か、また使用者に責任があっても同程度同額の責任なのか。
ここ、きちんと考えたら、京進が犯人と同程度同額の民事責任ってないような気がするけどね。

これって、日本中の雇用者が人を雇うときの責任の範囲や大きさを宣告する判決になるわけだから、法律論に則らない大岡裁きは困るぞ。

高裁でひっくり返ってもおかしくないような気がするなあ。

京進、控訴するの?
控訴したり、長引いたら、イメージ的に損だわなあ。
ちょっと気の毒だわ。

たみ家は事実をはっきり知らないし、この判決に気持ち悪さは感じるけど、はっきり異議を唱えるほど自信はないんだな。
京進にがんばってもらって、高裁のよりレベルの高い判断を待ちたいね。
これで確定は気持ち悪いわ。
  

Posted by たみ家 at 19:28Comments(0)

「制約を外す」の補足

2010年03月30日

人手が足らない

これも、作業箇所への動線という距離、作業に所要の時間を同時にこなさないといけないこと、火を使うものとすぐに作業しないと乾燥して使えなくなるものを別の場所で扱うなど、歩いて動いてやってたら間に合わないなど時間と距離の制約と考えてみる。

一人で離れたとこにある複数店を切り盛りすることも、距離と時間の制約の上のものを顕著にしたといえるかもしれない。

また、複数店で時間を取りすぎて、人間が生きるために必要な休息時間が取れなくなることなども時間の制約と考えてみる。

時間と距離(空間)の問題に置き換えることで、数的処理ができるので、数的にクリアな改善方法を見つける手がかりを求めやすくしそうだ。

多く、数学やニュートン力学などといわれるものは、時間と距離を扱っていそうだ。

人の心など、時間と距離で処理しにくいものもたくさんある。

しかし、案外、人の心のことも、時間と距離の関係で考えると見えることもあるかも。

遠距離恋愛とか、時間と距離に隔てられて別れるとかよくあるし

芸能人が、多忙で会えない時間が多くてすれ違いがありましたとかいうし。

最も数学と離れてそうな恋愛がそうなんだから、人の心全般も、時間と距離って関係あると思うよ。

線形かとか、積分が通用するかとかは、よくわからないけど。

マジメに数学、時間取って勉強してみたいね。

それで、自分がモテるようになるとはとても思わないけど、恋愛などに関して、見えなかったものが見えるようになる可能性は低くないと思う。

占いやったからといっておぜにさん持ちになれるとも思わないけど、占いやってると人の心がわかるようになるかもね。
たみ家は興味ないけど。

不安を持って、頼ってきたり、相談してくる人とたくさん会って話したり、占い結果を話しての反応をたくさん見ていると、人間心理を感じることは多そうだと思う。

数学から恋愛を見ることも、それと通じるものはあると思う。

渡辺淳一さんの不倫ものも、医師だから、ああいう見方ができるとしか言いようがないでしょう。

彼は、精神に対する肉体の絶対優位をエッセイで語っていたような。

タイトルの本題が短すぎたので、横道を長くしてしまった。
  

Posted by たみ家 at 07:54Comments(0)

温暖化

2010年03月30日

団長日記に温暖化は起こってないみたいな意味のことが示唆されている。

彼の師の都村長生氏のサイトをのぞいてみた。

3割ぐらいは理学や工学の知識がないと読みにくいものだったが、わかりやすいところでも、疑問に思うことがいくつかあった。

CO2が温暖化の主犯かどうかはよくわからないけど、温暖化は起こってるとしかたみ家には思えないのだ。

たみ家は、何度か引っ越すなどで、積雪が30cmぐらいがザラにある地や、北陸の2mぐらいになる地に住んだことがあって、それ以降も何度も、そこには冬に訪れるが、幼少のときにかまくらをつくったり、屋根の雪下ろしをしたり、玄関までたどり着くまでに、雪をかきわけて高さ2mぐらいの雪の壁を道路から玄関まで歩いた地に、最近、何度も冬に訪れて、1cmも積雪してることがないのだ。

30cmぐらいしか積雪がない地に住んでるときも、昼に、市街地の家から500mぐらいのとこで遊んでても、吹雪くと、道が全部白、吹雪で1m先も見えない、どっちが道かもわからない。
家も人もあってもなくても何も見えないからわからない。
白い完全なる闇と言っていい。
音だって、声を出しても、風の音にかき消されて聞こえもしない。
遭難してもおかしくない。
学校のグラウンドは2、3か月使えない。

そんなところでも、ここ10年は雪が積もってることがまずない。

北陸には親族がいて、雪が多いときは交通が遮断されて、家のある地区に帰れないので、学校に行かなくてもいい日が何度かあった。
雪なんか一度メートル単位で積もったら、冬の間はそれ以降、一度も降らなくても積雪は残る。
10cm程度でも、建物の北側なら、2週間から1ヶ月ぐらい残る。

だから、たまたま行った時期に雪が降らなかったのでなく、降ってないのだ。

雪が少なくなったのが、温暖化のせいでないとしたら、水の循環が変わったのか?

主犯が何かはともかく、人間活動で温暖化は起こってるだろう。

20年ちょっとでこれほどの変化が過去にもあった自然な寒冷期と温暖期の移り変わりだとはとても思えないのだが。

太陽の黒点活動の変化とかって、それほど大きい影響が出るの?
  

Posted by たみ家 at 02:31Comments(0)

実は4周年だった。

2010年03月30日

たみ家の個人的な考えで、○周年というのは重視してこなかった。

でも、重視しても良かったかなあと思う。

今日、初めて、しかも2人も、中でうどん食べない方で見慣れない方が、お土産うどんだけ買いに来られるといううれしい珍事があった。

外にはお土産うどんやってるとは書いてないので、不思議に思った。

うどん食べに来られたついでにお土産買われるという人はたくさんいらっしゃいましたが

一人は、開店前に京都から来られた方が、お土産だけ買いに来られた。
もう一人は、実家にお帰りになるという方が、そのお土産にと。

う~ん。外にお土産うどんの貼り紙でもしてみようか、趣味ではないが、仮説を確かめてみたくなる。


起こるかどうかはわからないが、今年の課題は、オフィス街の末端で、来客最大手会社が移転しても継続できる営業スタイルにするということ。

移転したってどっかがまた入るだろうという人がいるが、半年以上前にビル全員が移転した日本生命高松支社跡は実際にいまだ無人だしね。

前記事は、走り書きなので、もうちょっと編集する必要がありますが、コンサルティングの題材としては、リアリティーがあって、深く切れ込まれたものだと思うよ。

たみ家の学者根性と、コンサルティング魂が、それをさせているといえそうだ。

たみ家は、開業前から、比較的、挑戦し続けて、新しいステージに立つことが、勤め人としては多い部類だったとは思う。
しかし、4周年といえば、人生のほんの一部だが、うどん店開業前の人生なんか人生の1割もなかったと思うほど、うどん店始めてからの人生は長く感じた。
感覚的には、開業前の人生が1年か2年で、開業後が30年以上あったような気がする。

正直、うどん店開業前に、人生があったとさえ思えないほどだ。

なんでだろうね?

外車に乗って、毎日好きなだけ美味いものを食って、冬は毎週のように集まって鍋を囲んで、スキーやらスノボ、春秋はテニス、夏は海と、レナウン娘みたいなシーズンで、理想のカノジョがいて、毎年数回海外に行って、30畳のリビングの家に住んでいたとしても
今に比べると、まったく幸福度が低すぎるぐらい低いのだ。

たぶんたみ家は海の生き物だったのだろう、だから陸で何があっても海にいるときほどの幸せは感じようがなかったのだろう。
陸にいたときのことは人生と思えないのかもしれない。

店を始めて思うことは、陸と違って、足が着いてないから、手足を動かしてないと息を吸って吐くこともできないかもしれないということかなあ。
だから、開業後の人生がすごく長く感じるのかもしれない。

人間同士の関わり方も大きく違う。

今が楽しいね。

なんだろう?
苦しくないと、楽しくないのか?
そんなはずはないと思うけどね。

ずっと考え続けて、手足をずっと動かし続けてないと生きていると思えないのかもなあ。
  

Posted by たみ家 at 01:48Comments(0)

制約を外す

2010年03月30日

藤塚のセルフうどん店「たみ家」は、来客の大半は、半径200m程度から12~13時前後だ。

それでも多いときは30分で60人ぐらいの来店はある。

この3月は、月間売上としては、開業以来利益売上ともに、間違いなく最高になるだろう。

しかし、A社の従業員数が激減した今、現在の最大手来客の会社が移転すれば、通常、廃業や移転を迫られる来客水準に落ち込むだろう。
家賃なし、雇い人なしの飲食店が、この4年で近隣で数え切れないほど消滅したのだ。
むしろ、うちの近隣で家賃払って、人雇って薄利多売型の商売続けられているところが稀というか、うちだけかもしれない。

4月以降、近隣会社員の激減がなければ、今年は力を蓄えて、爆発的に伸びそうな気もするが
過去の流れや噂の類から考えると、顧客層の6割程度がいなくなるほど、会社員の激減がこの1年で起こっても不思議ではないと思う。
いや、むしろ起こる確率の方が若干高いのではないだろうか?

A社が倒産してみると、もう、悪い方のシナリオはどんなものも、噂が立つ程度になれば、あると考えた方が良い。
というか、そう考えて、備えて走ってないと、移転とかリストラは、翌日からの激減で、じわじわの客離れでないから、対応ができないのだ。

たみ家って、なかなかやるなあと自画自賛無理にするとすれば、過去最高の利益売上を出したときに、危機感をMAXにするところかなあ。
ケースはうちとはまったく似てないし、レベルが違い過ぎるけど、トヨタもA社も売上トップに立ったとたんに、窮地に追い込まれた。

うちも、近隣会社員の激減に備え、現実に起こってからも、危機感を募らせたことで、過去最高の利益・売上になったという点では、当然の話なのかもしれない。

さて、藤塚のセルフうどん店「たみ家」は

駐車場条件が良くない。
近隣のライバル店が強力。
昼間人口があまり多くない。
商圏が中央通、観光通、高徳線、コトデンなどに遮断されている。

要は、時間と距離の制約が大きい。
客単価は小さいほど商圏が狭い。
通常、客単価500円を割ると商圏は300m以内になる。

この条件で、うちでセルフうどん店をやるための制約を外すのは、極めて難しい。
部外者は、頑張ればできると言うが、たみ家は割りになんでも可能だと思ってチャレンジするタイプで
むしろ、たみ家は、今から司法試験合格するとか東京大学合格するぐらいの方が、この制約を外すよりは簡単だと思う。
難しいと思うけど、それはできる人にはできるだろう。
しかし、うちで、時間と距離の制約を外すことが、現実、高松に可能にできる人がいるとちょっと思えないのだ。
自分が知ってる一番優れた人が来ても、正直、それができると思えないし、現実、近隣でそれを実現できた店など存在しないのだ。

あるコンサルタントも、うちの場所でセルフうどん店を大きく繁盛させることは不可能だと言った。
ここをスタートに他業種や他所にも進出して、儲けるステップにはなっても、ここ自体が大きく繁盛するというのは不可能で、どんなに優れた人がやっても絶対にあり得ないと言う。

たみ家も、それはそう思う。
数学的に不可能かどうかは議論してもあまり意味がないが、それは、司法試験合格より確実に難しく、可能にできる人は少ない。

東大とか京大とか国立医大なんかヤンキーまで含めた学齢人口の1%も行くんだよ。
香川県で1万人可能なわけです。
コンサルタントもたみ家もまず不可能だと思うことを1万人も香川の人ができると思いますか?

じゃあ、前向きな話として、制約を外さないにしても
制約の範囲で充実させるということは当然にある。
これを①としよう。

次は、制約を外すということを②としよう。

吉野家は24時間営業で比較的、時間の制約が少ない。
そして、ロードサイドに構えて、距離の制約も少ない。

たみ家が、12時台前半に、集中して来客があるということは、席数という空間の制約もあるということになる。
空間の制約は、近隣のM製麺所が外で立ち食いとか、瓦町駅ビルのSターバックスさんが外にテーブル出してたり、興味深い外し方をしている例が見受けられる。

ラーメンというのは、やるかやらないかはともかく、セルフうどん店の時間の制約は緩和されている。
また、客単価が上がると、商圏は広くなる。
また、客単価が上がれば、有料駐車場料金の負担の比率が下がるので、距離の制約を外しやすい。
単価が上がるということは、必要客数も減るので、席数という空間の制約も緩和される。


たこ焼きをするのも、テイクアウトは、空間の制約は小さい。
時間の制約もセルフうどん店に比べると緩い。
商圏も広い。

しかし、焼いてから時間が置けないので、別の意味の時間の制約がある。
それに比べて、冷えても食べられるだしまきや厚焼き玉子はその時間の制約を緩和している。
冷えてもおいしい白いたい焼きってやつは、この時間の制約を大きく外した面が画期的だ。

お土産うどんというのも、空間の制約を緩めている。
これを通販などでやれば、商圏という距離の制約も大きく外している。
英語の国際的サイトでやればもっと広がるけど、そこまでできるもんかねえ?


たこ焼きは最も、劣化が早いものの一つだ。
すぐに腐りはしないが、冷えたら嫌われる点では、刺身や寿司以上かもしれない。
制約が緩い面もあれば、きつい面もある。


普通に考えれば、多くの飲食店はまず、商圏か、席数空間の制約か、劣化速度の制約かなどなど、時間と距離という数的に捉えやすい制約に縛れていて、そこから逃れながら上手にやるのが現実的といえるだろう。

制約にまともにぶつかって越える人がいないとは言い切れないが、それは東大や国立医学部や司法試験に合格するよりも、たみ家は難しいと思う。
立志伝中の人物に稀に見るというやつだが、立志伝中の人物も、制約で苦労してるうちに制約から逃れて上手な方法を見つけたというのが大半だろう。

現実に、多くの企業は、制約を自然に外しているでしょう。

来ないなら、こっちから届けるというのも、そうだろう。
宅配やネット上の商売なんか典型も典型。

今の問題を、時間と距離の問題に捉えて、整理してみるというのは一つの手ではないか?

葬式は年中あるが、結婚式はそれほどでもない。
前者は気候の厳しい時期に多少偏り、後者には後者なりのシーズンがある。
仏滅や平日などの忌避や偏りは、前者には後者ほどにはない。
など、時間の話は当然にある。

イオンでは、たいていマクドナルドがフードコートの一番売上で、たこ焼きは大したことなさそうで、実は上位だったりする。
マクドナルドはブランド力もさることながら、食事にもおやつにもなる。
食事にはならないが、広い時間のおやつになり、食事とセットにもなるたこ焼きは、イオンなんかの土日祝日などに関しては、まんべんなく来客があるので、丼や麺類など食事らしい食事の店よりも売上が上であることが多い。
食事らしい店は、イオンやゆめタウンでも、ピークがあって、それ以外は閑散時が来る。


制約に正面からぶつかって越えたように見えるところも実際は、制約を外した場所で蓄えた馬力というか、財務力で、外堀から攻めて突破したケースが多いのではないだろうか?

「安全祈願!信号うどんエクストラバージン」
は、やるかどうかは別として
売れたとしても、①で、制約の範囲での充実のような気がする。
しかし、話題性があって、日祝に大挙して来客があったりすると、②のオフィス街の制約の外で戦ったことになる。

制約の枠内でちまちまやろうとすると、仕入が合理化できず、今度は、在庫の劣化という別の時間の制約と戦う必要が出てくる。

高度に洗練された会社でないなら
飲食店は、今の課題が、時間と距離の問題として捉えられないかと考えるのは効果的でないかと思う。

制約の中で、現在の場所と業種・業態の中で、目標が達成しやすいと考えられれば、制約の枠内でやった方が追加投資も少なく、力も分散せず有利だと思うので、そうであれば、差し当たって必要でないのかもしれないが、競合店の進出、子供が私大に行って生活が苦しくなる、ブームの終焉などなどの状況に備えて、頭の体操的に、距離と時間の問題に置き換えることは損ではないと思う。

最近よくいわれる中食(なかしょく)というのも、テイクアウトだから、当然、席という空間距離の制約が外れる。
席を提供しないということは、サービスなどに係る料金が軽減されやすいので、上と別の原則で商圏が広がる可能性がある。
家で大人数のために持ち帰るのなら、なおさらであろう。
  

Posted by たみ家 at 00:09Comments(0)

バイキングの食べ残し

2010年03月29日

バイキングで店側が、無謀な食べ残しをとがめるまたは防止するのは、誠意。

原価から価格が導かれ、無駄な原価ロスが他のサービスに回せる経費を食う以上

無謀な食べ残しをするお客さんは、そうでないお客さんを明らかに害している。

食べたい人がたくさん食べてそうなったんなら、公正に原価から価格を導けるし、食べ物がお客さんの喜びを増やしたんだからそれでいいけど、捨てるしかない食べ残しを大きく見込み経費として、価格に転嫁せざるを得なくなるのでは、きちんとマナーを守っているお客さんに申し訳ないと思うじゃない。

お客さんの側も、しつけるときに、店に申し訳ないと思わせるだけじゃなくて、他のお客さんを害しているということを教えるべきだと思う。

無謀な食べ残しが多いと、店側は原価が高いものは置けないと思うでしょう。
無謀な食べ残しをする人は、原価が高いものを見て、とりあえずたくさん取っておけと考える傾向が見られます。
好きなものを好きなだけ取るようにしたら、原価が高いものを選んだつもりはなくても結果的に原価が高いものから減っているという傾向は如実に出ます。

お客さんの喜びにつながらない無駄を他のお客さんの価格に転嫁することは、マジメなお店の人なら嫌気がするものです。
これを値上して価格に転嫁しないといけないと思うのも辛いし、それを初めから見込んで高めに価格を設定して、普通のお客さんに負担をかけることも辛いものです。
お客さんに本来のサービスで我慢してもらうのでなく、マナーさえ守れば防げる値上要因をお客さんの側に考えてもらうのはお客さんへの誠意だと思う。

たみ家は、食べ残しを防ぐのは、店をやる前までは店側の事情であり、悪く言えばエゴみたいなところも多少あると思ってた。
それは多少そうなのかもしれないけど、今は、お客さんのためだと考える割合がかなり大きくなった。


たみ家は、供給側の視点で書くことが多いのは、供給側の視点で見ることが公民であり、人々が物を考える原動力になると思うからです。
成長戦略の一環です。

税金と公共サービスの関係もバイキングにちょっと似てませんか?

無謀な食べ残しは、お店にも、飢餓の国にも、地球環境にも負担をかけてるとは言えるだろうけど

今、隣で食べてるグループの人の価格にもしわ寄せさせて、というか同じグループで食べてる向かいや隣に座っている人をも必ず害するという関係を誰もが共有してわかったとき、日本っていう国の政治や教育や経済の実力は確実に上がっているでしょうね。

隣人を愛し、ひいて国力をも高め、また隣人に施せる力をつくる教育とは一つとして、こういうものだと思う。
  

Posted by たみ家 at 06:29Comments(2)

ポンサクレック

2010年03月27日

亀田がそんなに嫌いなわけでもない。

最近マジメにコメントしてるし

弱いことはないだろうし

でも、亀田が判定で負けたと聞くと

ジャッジは不正でなかったんだと自然に胸を撫で下ろす自分がいた。

テレビ見てないのにそう思ってしまった。

あっ、でもポンサクレックの顔はけっこう好き。

たみ家にとっての癒しのツボみたいな顔。


癒しなんかいらないんだけどね。

自然に目に入ってくるからしょうがない。

名前もいい。

ウォンジョンカムだよ。

ポンサクって、お菓子の名前にしたら良さそう。

硬くないけどサクッとした食感で

「亀田」製菓が「ぽんサクッ!」とか 美味しさで笑顔の花が咲く「ポン咲く」とかしょうもない妄想が駆け巡る。
  

Posted by たみ家 at 22:51Comments(0)

パワー トウー ザ ピーポー

2010年03月26日

パワー トゥー ザ ピーポー
パワー トゥー ザ ピーポー
パワー トゥー ザ ピーポー
パワー トゥー ザ ピーポー
ライオン

って、かなり昔から飲み物のCMでありませんでした?

たみ家は、洋楽にもジョンレノンやヨーコオノにも反戦運動にも関心がなかったので
1971年にジョンレノンが出したベトナム反戦ムードが高い時期の反体制的で平等を歌った歌だとはまったく今週まで知りませんでした。

仕事も勉強もたいへんだしストレス社会だけど、みんな元気で頑張ろう!
みたいな明るいポップグループの明るい歌だと勝手に思ってました。
それに、ほとんど注意を向けなかったので

ライト オンで、「今すぐ」って英語は、20年ぐらい前からずっと知っていたのに
(新聞の折込広告で長谷川潤さんや水嶋ヒロさんがモデルになってたカジュアルファッションはそうでしたっけ?)

人々に元気をってわかるけど
なんでライオンが出てくるの?元気になり過ぎて人がライオンになるのか?
まあ、ライオンはないやろうけど、何言ってるのかなあってぼ~っと思ってました。
もちろんRとLの違いなどに注意の行きようも無し。
ライト オンは、ずっと知ってたのに、ずっと結びつきませんでしたが、今週店のラジオで聞いてたら、ふと結びつきました。

「民衆に力を今すぐに」って、革命的なメッセージがあって、反体制運動家として、ジョンレノンが連邦政府から国外への退去命令を受けて、裁判やってたとか全然知りませんでした。


知識があっても状況を越えて結びつかないという状況がよくある。


企業経営者も
勤め人も
公務員も
政治家も
大学教官も
つまり産官政学ですか
有名大学出てても、目の前の仕事の枠を越えて、基盤になる社会を良くしようとなると

ライト オン がライオンだったり、何言ってるのかわからないけどどうでもいいや

みたいになってることが多いと思う。

メシの種を得たり、安定した暮らしや議席を得るという、地位や職責が本来貢献するべき意味のゴールより前の、地位や職責を得ること自体をゴールとしてる人がたくさんいると思う。

民衆に力を、人々に力を、みんな元気にとか言うときに、枠を越えるということや、本来の意味のゴールを設定することが大事なような気がしている。
  

Posted by たみ家 at 08:37Comments(0)

信号うどんエクストラバージン

2010年03月24日

信号うどんメニュー化はしてませんが、遅い時間なら趣味でいつでも出せるようになってます。

信号番号というたみ家の社会問題研究のテーマがきっかけでやってます。

昨日は
「信号うどんエクストラバージン」独りでやってました。

みどりはネギでやってますが、オリーブの実があれば、それでやろうかと思います。

県産物利用促進のために、オリーブの実は使ってみたいですねえ。

青い食材がないんですよね。
青があれば、オリンピックができるんですが

だしまき市場調査のため、三越や天満屋やゆめタウンのだしまきを入手せねばと思ってるんですが、お買い上げして、信号うどんをお付けいたしますので、買ってもってきていただけると嬉しいです。
まったく、外に出て行けてません。
  

Posted by たみ家 at 06:04Comments(0)

4年で1億円を失う?

2010年03月23日

うちが開業して3月29日で4周年になります。

で、近隣の会社や事務所がかなりなくなったり、大規模リストラがあったわけです。

店って、職業としてやるわけだから、30年ぐらいやることを前提として、この減った売上から利益を類推して考えると

たった4年で1億円分ぐらい生涯収入が減る昼間人口の減少があった計算になります。

新卒の歳でなく、10年以上勤めてから始めた店なので、30年やっても普通のサラリーマン程度の年収も見込めないのが普通なので、店から生涯で2億も得られないだろうと思われるのに、1億減ったら、生活できるのか?って思うじゃない。

そして、4月に大型リストラとほとんどの事業所での減員が確実に見込まれるので、減少圧力はそこで1億を確実に超えるわけです。
たった4年で1億減る圧力がかかったら、この先、いったいどうなるんだ?って思いません?
10年で2億以上減ったら、収入あるのか?サラリーと違って、店開けて、運営費すらまったく出ずにマイナスってことも不思議ではないですからねえ。
会社に行ったら、おぜにさん1万円とか2万円とか取られて無給だったりするわけです。

ところが、この3月、雨で崩れずに、普通にお土産が売れれば、利益売上とも過去最高が見込まれてます。
1~3月期は間違いなく、利益売上とも過去最高になるでしょう。

1億円減った減収圧力に対して、会社が増えたとかの影響は、3千万円ぐらいでしょうか?

あとは、地道に近隣で固定客が増えたとか、本に載った影響とか、日祝営業の追加とか、土産の伸びとかでしょうか。

4月には、たこ焼き再開とだしまきを栗林公園前と藤塚のうどん店で出すことで、さらに伸ばす予定にはなってます。

4年で1億減るのだから、次の4年でもまた1億ぐらい減る圧力はかかるでしょう。

そう、1ヶ月で平均200万円以上の生涯収入が減る圧力がかかってきたわけです。
これからも、そうなると考えておいた方がいいでしょう。
まあ残存期間が減るので、圧力が同じでも影響が累積する金額は小さくなるでしょうが。

常に、新しいことを考えて、拡大成長する力を働かせ続けないと、今やってることをコツコツとも大事だけど、それだけではやれんだろうと思うのは当然だと思う。

でも、それじゃあ、長生きはできんだろう。

やっぱり、他人や機械を働かせるシステムを整えることができないとどうにもならんわけです。

善良な老夫婦がのどかに慎ましく暮らすっていう昔からありがちなイメージの店って、社会保障が薄くなり、長生きが普通になり、消費者がしぶくなり、大規模店化が進む時勢、存在しえないと考えるべきでしょう。
赤貧を耐え忍ばずにやれるとしたら、資産家や退職エリートの趣味みたいなものでしょう。
  

Posted by たみ家 at 08:33Comments(2)

替え歌

2010年03月23日

スタディング メイクス ミー フィール ベター ザン イジャキュレイション
とか、日本語で言えないことを店で某会長に言ってみて
数分後、ラーニングとした方がいいかなあとふと思った。

だって替え歌がつくれるじゃん

さあ、沢田研二 ダーリングの演奏にノって!
ちゃらっちゃ ちゃらっちゃ らっちゃ~
ちゃらっちゃ ちゃらっちゃ らっちゃ~
ちゃ~ ら~ら~ じゃじゃじゃじゃじゃじゃ

これから言う事を聞いてくれ
笑わないと約束してくれ
あなたが欲しい
あなたが欲しい
あなたが欲しい

ラーニング
ラーニング
ラーニング

僕にはもうあなたしかない
夜が来ても朝が来ても
春が来ても夏が来ても秋が来ても冬が来ても
僕にはもうあなたしかない

ラーーーーーーニング


ラーニングがダーリングでバーニング!
そんな気分のスプリング


いいことなんだけど、最近、日祝もまあまあ人が来られるし、日祝はグループでまとまって来られる方が多い。
ちょっと前は、日祝はゆったり準備して、ゆったり営業すればいいって感じだったけど

楽な日がなくなって来た。


ラーメンやだし巻きなど色々試してみることは、今までに見向きもしなかった食材への関心を高めている。

4月入って、たこ焼きてつおの再始動と、近隣事業所の減員の影響を見るまでは、何をどれぐらいやらないといけないのか、どこに時間を投入しないといけないのか定まらないので、メニュー化をただちにはしないけど、また新しいメニューへの野望が。

仮称 「元祖釜エクストラバージンバター」
これにめんたいこと海苔を振ることもあるかも。
従業員が多いとこじゃないと、暇なときしかできません。
それじゃあ、不良在庫ができかねませんが。

お母さん メニュー表見て、お子さんに「バージンって何?」と聞かれたら、「オリーブオイルの種類だよ。」と答えます。

メニュー化せずに趣味でしばらくダラダラやるのが楽しいし、切迫感がないときにダラダラやった方が、切迫感持ってたらできない試行錯誤ができて、後々いいこともあるような気がすると、自己弁明。
  

Posted by たみ家 at 00:32Comments(0)

DNA

2010年03月22日

NHKスペシャルシリーズDVD「遺伝子」を見ていると

日本人のミトコンドリアDNAの配列を検証したところ

日本に固有のDNA配列は約5%

韓国人に多い配列が約21%

中国人に多い配列が約25%

アイヌ型が約16%

琉球型が約8%

あとその他



民族や国家の歴史による嫌韓、嫌中や反日って、そう思うと不思議な感じがするなあ。



今でもそうかわからないけど

ちょっと前の都道府県別の身長の調査では山形県が一番高かった。

沖縄県より4cmほど高かった。

男で、沖縄が168.いくら、山形が172.いくらで、北海道や東京が170.いくらだったと記憶している。

アイヌ型が一番高いのかな?

アイヌ民族は北海道に多いとはいえ、大多数は全国から来た人達、東京も同じ。

古代からの瀬戸内海などからの渡来、殖産興業や高度成長などによる人口流入が比較的少なかった地域でアイヌ型が多いところが高いのかな?

これはたみ家が無知な状態での仮説。
  

Posted by たみ家 at 23:11Comments(0)

朝から下品な話ですみません

2010年03月21日

ぽかぽか温泉に午前1時過ぎに着いた。
出る頃にアナウンスで
「またのお越しをお待ちしております。」


たみ家
「股だけが来てもなあ。股に人格があると主張する人はたくさんいるし、松本人志は股にそれ以外が付属していると著書に書いてたが」
など服を着ながら、内心ボケ兼突っ込みを入れていた。

そういえば
「鞍上に人なく、鞍下に馬なし」って、とってもマッチやフィットしてる様をいうけど、あれも鞍だけが走ってるのかよ!と突っ込んでみる。


店を始めて約4年になるけど、レンタルDVDって借りる習慣がなくなってて、鞆の浦景観訴訟にからんで、「崖の上のポニョ」に言及して、数ヶ月前に、やっと約4年ぶりに借りに行った。

その頃、若くして期待されて就任したGEOの社長が業績不振を理由に、オーナー会長みたいな人に更迭された。

このごろ、夫婦別姓法案が取りざたされている。
昔は、22時過ぎたら母性保護規定とかいって、女性は働けず、それが管理職昇進などを妨げ、平等でないといわれた。

そうはいっても、規定撤廃後もだいたい22時を過ぎたら、コンビニやレンタルビデオショップなんかでは、女性の窓口はシフト上いなくなってることが多かった。

このごろは、深夜3時ぐらいでも、コンビニで女性従業員がいたり、ドンキホーテのレジしてたりすることが多い。
GEOも例外でない。
規定撤廃前も、たぶんラ○ホでシーツ交換したり、風呂掃除したりする人は女性だったと思うんだけど、どうだったのかなあ?
勘違い?それとも例外?

さて、ぽかぽか温泉の近くのGEOの東バイパスの店って、貸出窓口3つあって、閉店までずっと全員20代に見える女性なんだよね。
返却と買取と裏方が男性で、なぜか貸出は全員女性であることが多い。

それで、気の弱いたみ家は、せっかくDVDを借りに行っても区切られたスペースのものは眺めるだけにして、「NHKスペシャル 人体」とか「20世紀の映像 アメリカ大統領列伝」みたいなのばっかり借りてるわけだ。

レンタルDVDはTSUTAYAが全体の半分を占めてナンバーワンで、2位のGEOがその約4割ぐらいだったと思う。

社長が更迭されるのも、業績が回復しないのも、午前1時に閉めるのに、ラスト1時間ぐらい「大人の時間」をつくらないことにあったりして、たぶん、大人のビデオは生理現象まあ排泄みたいなものに伴うわけだから、回転数や利益は最も大きいでしょう。
GEOは徹底して男女平等なんだろうか?
たぶんミラクルタウン店は24時間だから大人の時間があると思うんだけど、東バイパス店は比較して極端に大人ものの収益が小さかったりしないのだろうか?

たみ家は、午前1時ぐらいにならないとぽかぽか温泉にもいけないので、セットで行ける東パイパス店にしか行きたくないのだ。

で、最近、脳や遺伝子の話ばっかりDVDで見ているんだけど

快楽をつかさどるのも当然脳なわけです。

勉強って、脳をずっと刺激するわけだから、可能性としては、色んな快楽の中で最も気持ち良いものになるんじゃないの?

役に立つとか、遣り甲斐があるとかそういうのもあるけど、そんな外部環境とのクッションに左右された話でなく、美味いもの食べるとか、温泉に入るとかよりも、直接的な快感を長時間もたらし続ける可能性はあるんじゃないの?


パチンコや競馬よりは脳に刺激を与え続けてると思う。

あえてエキセントリックに書いてみよう。

「勉強は最高・最大の快楽を生む娯楽」

「勉強は射精よりも気持ちいい」

勉強があまりに快感の大きいものだと信じられるようになると条件反射みたいに
「『梅干』という言葉を聞いたり、思い浮かべるだけで唾液が出るように、『勉強』という言葉を発したり聞くだけで、わくわくするしうっとりする。ああ、脳内麻薬が出まくって、ドーパミンが分泌しまくりだ。」

「起きてる時間のうち、勉強以外のことをしている時間の快楽が小さいと思う。」

たみ家の快楽受容の身体のあり方に多くの人と違うものはないと思う。
そう信じるようになるまでの経緯が違うので多くの人は、たみ家が上で書いたようなことは思ってないと思うけど、身体のあり様としては、多くの人が、勉強を最高最大の快楽と思える可能性はあると思う。

快楽をつかさどる脳に刺激を与え続けて長時間できるという点では、長時間のオルガスムスのようなものをもたらすのでは?
他の多くの行為は勉強ほど長時間にわたって、脳を刺激しないからね。


楽しいことは自分だけで取っておいたらいいんだよ。

それをあえて、下品にエキセントリックに書いてみる理由としては、今の世の中には、こういう考え方が大事で

多くの人に、インパクトを与えるためには、脳にガリっと来る刺激を与える言い方も追求しようかなとNHKスペシャルシリーズのDVDを見て思ったというのはある。

GEOに男性の貸出窓口があったら、これは書いてないかもしれない。

「勉強は射精よりも気持ちいい」

「勉強って言葉を聞いただけ最高の情事の前のわくわく感とその後のうっとり感を味わえる」

「勉強は長時間持続するオルガスムス」

「勉強以外の時間の快楽水準が低くて無駄な時間に思える」

あえて奇天烈に書いてますが、迷言でありながら、歴史的名言になったりしてね。


今の日本人とか日本の置かれた状況を考えて、人々がどういう感覚を持つことが有効なのかを考え続けて、こういうことを書いてみるにいたったわけだけど、勉強が苦痛だったり、損なことのように思う感覚を脱するためには、たみ家が上で書いたような素直な感覚はいると思う。

快楽水準

勉強>射精>珍走>パチンコ

脳と快感のメカニズムを考えたら、こうなってない状況が不自然で何か異常な障碍に妨げられているのかもしれない。

快楽は脳の刺激によってしか起こりそうにないからね。
それが随意・時間無制限に起こせる勉強は快楽追求として有効だという考え方は自然だ。

そして、世の中は、おぜにさんと勉強でしか、同時に億人単位の人に幸福追求の機会を提供できないもんだ。
それを社会に実現させることは、直接快楽が大きい上に、さらに山びこのように2次快楽も大きい。
勉強は脳内麻薬出しまくるうえに、他人をも幸せにできるんだから。

こんなにお得で気持ちいいことが他にあろうか?
いや無い!
  

Posted by たみ家 at 09:18Comments(0)

「求めないで」の続き

2010年03月21日

以前、ちょっと書いた
「求めないでやさしさなんか」
の本題を書こうと思って書けてなかった。

ずっと今日書こう今日書こうと思って、書く順番が回ってこなかった。


世の中はだいたい有償双務で成り立ってます。

無償のものや片方だけが履行するものは色々日常あるけど、世の中を回していく力そのものではありません。

政権交代のマニフェストは、与える話ばっかりだった。

小川淳也議員は、政治に信頼がないと国民に求めることはできないといった。

ばら撒きはできても、国民が成長する活動を示すことはできてないと各所で言われ続けている。


ね。

求めることの方が難しいでしょう。

政治の仕事の意味の大きなものは、世の中の方向を示して、国民に役割を求め、その基盤を整えることだと思うよ。
数百人の議員が何かをすることより、1億超の国民に正しく求めることの方が圧倒的に効果が大きい。
今の政治は、国民に求めてないし、求めるものを示してないことが悪い。

アメリカの大統領の就任演説をいくつか聞くと

「本日、アメリカ国内の貧困に対して、宣戦布告をする。この戦争に対して、全政府機関と国民に協力を要請する。」
みたいな、求めることで始まる演説が多い。



経営者も上司も、自分で仕事し過ぎたらいかんという。

部下を動かしなさいと。

求めることが大事で、求めるために、自分が動く。

他者に対して正しく求められる人間になるために、全体や関係を見るし、信頼を得る必要も出るし、自分をも律する。

全体も見えず適確に役割やスケジュールを意識できず、自分を律してなくて、信頼も得られないから、毅然とできず甘さに流れることは多く見受けられるし、それは難しくない。

他者に求めず、ただ優しくすることは、易しさに流れてると思うし、世の中をむしばむことがある。

求めるべきときに、求めずに易しさに流れることは、臆病なことだと思う。

無償の愛の必要を説く意味よりも、こっちの意味の方が世の中では圧倒的に大きいと思う。

たみ家が、人を雇用したり、多くの関係者の間に入ったときに、適確に他者に指示や協力要請ができずに、「自営だしまあ起きてる時間全部仕事だ」とばかりに、日長雑務をしょいこんで非能率に陥ることがちょいちょいある。

組織の世界でも、それは良くないことだろう。

他者に求める役割や関係を意識しないがんばりは自分にとっても他者にとっても色んな意味で有害だ。

自分個人の経験からも他者を見るにつけても、切に思うところがあった。

だから、ドント説よりも、ウィズアウト説のように聴こえてしまうようになったのだろうと思う。

正しく求めることが、自他を幸せにして、世の中を良い方向に導くメインの力となるのだと思う。

求めないことは、求める関係を諦めた段階のセーフティーネットや隙間の話だろう。
  

Posted by たみ家 at 00:12Comments(0)

空気

2010年03月20日

店から出るとえらい外が暖かい。

で、家に入ったら異様に空気がひんやりしている。

真夏に外から冷房の効いたとこにでも入ったぐらいの差は感じた。

夜、外から帰って、中の方が空気が冷たいってめったにないけど、これほど外の方が暖かいのは珍しい。
過去3年でこれほどのことは1回あったかなかったかぐらいだ。

これだけ近接して質の違う空気の塊がぶつかってるのなら、風雨が強くなったとしても不思議ではないなあ。

じわじわと変わったのなら、屋内も暖かくなってるはずだから。

今、うちの寒暖計が18℃指してる。

1時間前は16℃だった。

外は20℃超えてる?

生地のつくり方は変えなくてはいけないかなあ。
  

Posted by たみ家 at 21:25Comments(0)

マンガ描くって難しいの?

2010年03月20日

ずっと先の目標だけど

ナニワ金融道のようなマンガを描きたいと前から思っていた。

絵って描いたことあんまりないなあ。

20年ぐらいかかってもいいんだけど、習熟は難しいものかなあ。


あと、ツイッターって携帯電話でどうやって始めるのかわからない。

今日はラーメンの試食会をやりますとか発信できたら便利かな。
  

Posted by たみ家 at 09:30Comments(6)

今日も楽しかった

2010年03月17日

たみ家は、楽しかったこととかブログには当たり前だからあえて書かないんですが

ペンペンさんがお見えになり
某歯科医師さんがお見えになり
自由席さんがお見えになりました。

あしたさぬきブロガーの方が3名来られたら、それだけで今日はいい日だったと判定出ますね。
他によほどのトラブルがなければ。

ペンペンさんに通算3人目、気分次第亭の場所を聞かれました。
こういうことがかなりうれしい。

いろんなことがつながっていると感じられることが楽しいのかねえ。
  

Posted by たみ家 at 20:56Comments(0)

意外なことがわかった

2010年03月17日

前記事で、たみ家は財布の中は数えないけど
書ける字数や走れる距離などははかるのが好きみたいなことを書いた。

わかった

たみ家は、自分の体内にあるもの、技術や体力など を測るのは好きなんだ。

でも、自分個人の所有物など個人のもので体外にあるものにはあまり興味ないんだ。
もちろん、タダでおぜにさんはあげんけど、才覚があればそれは取り戻せると考え、体内にあることに気持ちが戻ってしまう。

真実でないかもしれないけど、体内のことがしっかりしてれば、体外の物とかどうでもいいし、どうとでもなるという感性が根っこにある。

おぜにさんに関しては、体外で所有するなどぜいたくは興味ないけど、欠乏は怖いな。
体内のことを脅かされるから。

でも、社会問題など自分の所有の範囲外で多数人が関わることについては数えるのが好きで興味あるんだ。

意外な整理ができた。

これは明解!もれなく、矛盾すると思えることが無いわ。
  

Posted by たみ家 at 02:16Comments(0)

たぶん おぜにさん持ちになるコツ

2010年03月17日

数えグセ、はかりグセをつけること

動作などの時間を計る

動作の回数や物の数を数える

量を測る


たみ家はあまりやらないんだけど、やったことは必ずうまくいく。
わかってるんならもっと何でもやればいいのにと思うけどね。

同じことを短くいう

時間を計る

数を数える

量を測る

人の個性とか特性とか、そういう誰もが持ってるかどうかわからないし、活かせるかどうかわからないものでなく

万人に適用できる原則は

これだと思う。

あと、早起きとか掃除とか聞き上手とかあると思うけど、これらはそれなりに労もあり、徳が要ったりする。

時間を計るとか数を数えるとかは手間も苦労もない。
始めるときの起点に時計を見て、終わったときに時計をもう一回見ればいいだけ
それに、いっぺんそれをすると後々の動作がすごく楽になるし、色んなことが並行してできるようになる。

物事を並行して何でもできる人になるためには、動作の時間や回数がわかるとしやすくなる。
有限な時間の中で、人の能力の差はそこから表れそこに表れやすい。

合理化とか生産性のアップとか、すべて何か始めるときには、時間や数量や回数などを数えることから出発して、数えることで結果を知ります。

そもそも、数えたり、計ったりするのが嫌いな人は、合理化や生産性アップなどがうまくいった経験を持ち合わせてないのかもしれない。

かを~るさんのブログで紹介されてた「きっこさんブログ」は5000字ぐらい書いてる日もあると数えた。
だから、たみ家もすぐに数千字書けるんだと思う。
まあ、達者な部類だろう。

でも、財布の中のおぜにさんとか数えたことがない。
だからおぜにさんに対しては達者でないかも。

トレーニングに関しては、たみ家は細かく数える方だ。
だから、割りに成果は出やすい。
チームではたいてい体力は一番になることが多かった。

たみ家、財布のおぜにさんぐらい数えようかと思うけど、どうしてもやる気がしない。

数えないうちは自分の怠惰に任せることが往々にある。
でも、数えるってことは、自分を律する意志があるということ。
状態を確かめるんだから

そして、数えて、次に数のある目標を立てれば、自分を変えることが必然になる。

数える 計る 測る

それは自分を律すること、甘やかさないこと、変えること

それをしない人にそれをする人が勝つのは当たり前だ。

自分がいくら努力をしてるつもりでも

数えたり測ったりしてないときは絶対に努力なんかしてない。

湯切りや生地踏みなどの動作の時間や回数をほんとうは数えないといけない。

でないと標準化もできないし、その作業に必要なベルトコンベアも設計しようがない。

おぜにさんに関わる進歩はほとんど歴史的にそういうことで行われてきた。

今より良くなりたいと切に思う人なら、数えたり測ったりできることについては、必ず今を確かめたくなるはず。
今を確かめないと、良くなるということがわからないからだ。

それをしたくない人が情熱を持ってないということは明らかなことだと思う。

いろいろ数えるでしょ。
すると、初めて、自分のことがわかったりする。
数えれば数えるほどに、自分のことがわかったり、良くなりたいとか、これじゃあいかんとか刺激が多くなる。
できてないことも、どれぐらい不足してるかわかる。
すると、奮起もするし、案外やれそうだと思って可能感が高まるかもしれない。
数えたことで初めてやれることだとわかることも多い。

そりゃあ数える人がチャンピョンですよ。
  

Posted by たみ家 at 01:32Comments(2)