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Posted by あしたさぬき.JP at

初の祝日営業

2008年11月22日

24日の祝日は、せっかく粗品をたくさんつくったので、急遽、定休日でありながら、営業することにしました。

今朝、決めたことなので、ちょっと心配や。

ただ、周知なしで、休みだと思われているときに突然開けたらどうなるのか、今後、年末年始やGWのことを考えると知っておかないと。
  

Posted by たみ家 at 21:01Comments(8)

フライングしました。

2008年11月21日

近頃、自宅のパソコンが使えず、携帯から更新することもできないので

携帯から、他の方のブログのチェックのみしておりました。

今日も、用事の合間にファンキータイムにて。

恒例の勤労感謝デーの粗品。

去年人気があったので、今年も同じものにしました。

情報発信する前に配りはじめてしまいました。

もう300ぐらい配っちゃいました。

たぶん、土曜日と、週明けの火曜日ぐらいまではあると思われます。

たいしたものではありませんが、来週の水曜日以降も、このブログに、コメントで、「ほしいです。」とか「希望」と書いていただければ、年末か年明けぐらいまではとっておきますよ。

コメントでなく、「お~な~へのめっせ~じ」でもけっこうです。

うどんにも関係ありますが、何かは書きません。

でも、もういくつかのブログで紹介されてますので、バレてますね。
  

Posted by たみ家 at 22:48Comments(6)

雑想 今 対立 おぜに 拡大再生産 天皇制 3

2008年11月17日

国(政府)、経済界、暴力団などは、天皇制を擁護します。

国は当然か、でもアウトローな方々がなぜ?
数字を中心に合理的行動を求められ続ける営利法人の集団がなぜ?

必然とは言い切れないが、親和性が高いという意味では

外敵からの緊張に常にさらされ、拡大しながら継続的活動を余儀なくされる集団の典型だからではないでしょうか?

競争社会とはよくいいますが、受験で誰かと競っても、個人は他人が失点しなくても自分ががんばれば何とかなりますが、

国とか会社とかヤクザ屋さんの世界には、もう白地のシマが残ってません。
だから、ニッチを見つけでもしなければ、よそをやっつけることが競争の中心になります。
シマが残ってない以上、ほっておけば他者が侵食してくるので、自分が拡大する力を外に向けなければ、均衡すら守れないでしょう。

シマが残ってない世界で、常に緊張してると、有事にひとつの号令に内部全体が団結しないとエネルギーのロスが大きくなる。
貧困だ金持ちだ男だ女だ健常者だ少数民族だとか常にある対立を残しててはやってられません。
だから、「日本人」として、共同体を閉じてしまい、その範囲で均質・同質化する精神装置がほしくなるのだと思います。

だから「君が代」歌わない人、「日の丸」に敬意を示さん人が許せない。

ヤクザ屋さんも儀式が多いとこですが

都市対抗野球とか会社挙げて応援してたのも、会社の中にはいろいろ階級も職種も違うけど、団結するためには、みんな会社の一員として同質だと示す場を持つことで、サービス残業もいとわない忠誠心を育てるためかもしれません。


さて、対立ですが

対立がなければ進歩はありえないと考えます。

ただ、対立は、人の結合を切断する力も併せ持っています。

おぜにさんを増やすには、人の結合を必要とします。

しかし、外的環境の変化に企業などが生き残るには対立的コミュニケーションを大量に包含しなければなりません。


外に向かって対立を昇華し、内に向かって対立を消化する必要があります。


ああ、時間がなくなるなあ。

たみ家は、対立や批判によって、成長や視野が開けるなど豊かで楽しい経験をもたらしてくれるものと地で感じてきました。

そりゃあもう幼少の頃から。

1対1で戦う競技をして、その後に反省会で、対戦相手と「あそこがどうだこうだ。」と延々ダメ出ししあって、それで何年もみんな顔つき合わせて、一番仲がいい集団ってのが当たり前でしたから。

そのほか、自分は、けっこう提案したりするので、自然に対立構造を誘発する可能性が高まりますが、そういうことが自分もそうだけど所属する集団を発展させたり、そこの問題をある程度、軽減または解消させたという確信は持ってます。

苦味や痛みはあってもほんとにいいものだと心から納得できる経験を重ねてきたので、対立や批判で感情を乱されることはかなり少ない方だと思います。


ところが、多くの人は対立に感情を入れて、対立=敵という図式を勝手に頭の中でつくりあげてしまう。
たみ家は、対立=味方って考えをすることも多い。
だって、同じ志を持ってて、たまたま方法論が違うからって、なんで同じ価値を目指すもん同士が敵なわけよっ!?



理論は普遍的である。
用いる言語は検証可能であり、そして未来に開かれる。

しかし、人は、過去と感情と肉体に根ざして行動し、そちらを究極の目的におく。



感情で思い出しました。
寄り道ですが、

団長が四国新聞の論点香川で、予想通り、「麻生さんのホテルのバーは安い。」の話を持ってきました。

庶民感情の話も出てきました。

どうかな?

確かに、国民感情とか県民感情ってほぼ全部ネガティブなんです。
恐怖や怒りや恨みや嫉妬や妬みみたいなのが多い。

しかし、政治家が散財することを国民が良しとするのが正しく、それを悪くいうのは妬み根性だというのはやり過ぎというか、大きくて複雑な問題について、少ない論拠で言い切り過ぎだと思う。

恐怖にしても、政治家が私的な贅沢を好んでする姿が、権力の私物化や腐敗を想起させるのは当然で、それを恐れるのは健全なことだと思う。

消費が振るわないこともつらいことだが、権力が私物化されることはもっとこわいかどうか、この視点を入れずに、あそこまで書いたらどうかと思った。

と、今日は、ネットカフェに来てるのと、ここのキーボード、変換キーとか、YとかGのキーとか、重要なとこが数箇所こわれててまともに文章が書けません。

このシリーズ「今~天皇制」もう少し続けねば。

5つの関係をきちんと全部つめきるには、もっといろいろ論点を入れないと。

均質化して、みんなが同じ方向を向いてくれると、それは儲けのチャンスにもなるしとか。。。
コミュニケーション力についてとか。。。
ちょっと列挙しがたいものがあるなあ。
  

Posted by たみ家 at 00:43Comments(14)

雑想 今 対立 おぜに 拡大再生産 天皇制 2

2008年11月14日

時は今しか共有しがたいので、昔の戦争の認識とか、未来を良くするための意志を同じくするのはなかなか難しいなと思う。


でこぼこの権利関係の複雑な農地は、効率よく耕作しにくい。

平坦で所有者が1人の広い農地はその逆でしょう。


天皇は「日本国民統合の象徴」って、日本国憲法の第1条にほんまに書いてあります。

じゃあ、統合って、何を統合するの?
自分と北海道の誰かをどうやって?何のために統合するの?
その必要性って何?
何かするから統合が必要なんでしょ?
普段、統合の必要なんか感じないでしょう。

じゃあ、統合すると誰が得するの?

さて、統合と均質化は似てないだろうか?

そして、均質化するためには、ある属性で一くくりにして、いっぺんそれで閉ざす必要がないだろうか?
それは、差別につながりやすくならないだろうか?

なぜ、保守的といわれる人は、よく「単一民族である日本国民」とかいって、叩かれてるんでしょうね?


ここらと、感情と理論、身体と言語、過去と未来などのいくつかの二項対立を織り交ぜて、考えてみたい。

なんで、サッカーJリーグの視聴率はあまりよろしくないのに、日本代表のときは視聴率上がるんでしょうね。
サッカーに興味のない人が見てるんでしょうね?
  

Posted by たみ家 at 08:26Comments(0)

雑想 今 対立 おぜに 拡大再生産 天皇制 1

2008年11月13日

よく現代美術館とかの「現代」の訳語に使われる‘Contemporary’って単語が好き。

「現」という状態に対する視覚的な感性じゃなくて、TempoをConするという視覚の要素がないとこが日本語の発想になさそう。

時を共にするのは、現代しかないよなあ。

だから現行犯は令状なしで逮捕できるのかも。

同じものを見れるから。

過去と未来はそれぞれの頭の中にあるから共にしにくいよなあ。


さて
対立って悪いことでしょうか?
対立が相手をつぶすことや傷つけることにつながったり、感情が入って、有益な対立を踏み外すことが良くないのでは?

スポーツや試験やコンテストなどがはっきりさせるように、対決や挑戦という対立的な要素があるものしか継続的に発展しない。
対立のないものに発展も創造も「ない」とまで言い切っていいかわかりませんが、それに近い。

たみ家は、高校2年までは家で筆記用具を持ったことのないような人間だったし、お仕事も大したことしてないのですが、オフィスワーカーの仕事や大学や資格試験の受験における技術が、スポーツのレベルに達してると思ったのをあまり見たことがない。

たとえば、TOEIC800って、小学校で監督からしばかれまくってた強いとこのスポ小のこどもはみんな技術的にそのレベルに達してると思うよ。
でも、会社だと海外赴任レベルとか、英語教員でも上位のレベルとかいわれる。
だけど、スポ小の小学生は、能力がつきやすい時分に何年もわき目もふらずに遊びにもそれずに、監督に怒鳴られまくってしばかれまくって、空振りしたらずれてるのわかって、エラーしたら腰が高いといわれ、素振りやスクワットその場で何百回やらされてるわけです。
海外派遣のためにそれだけ英語で努力したヤツおるか!?

テニスとか卓球とか、ボクシングとか、一回間違えたら、抜かれたり、オーバーしたり、それが何センチかわかったり、パンチを浴びたりするわけで、1秒1秒対立の中で試され削られ、正しいか、力量が達しているかを検証され続けてるわけです。
陸上だって、気を抜いたら離されるから1秒1秒今の努力の水準がわかります。

お勉強やお仕事って、1秒1秒、気を抜いたら、即殴られるってないんです。
1つ1つの技術をとったら、仕事の技術なんか炎天で怒鳴られながら必死になってるスポ小のレベルに負けるよ。

お勉強のできる人のすごいとこは技術や知識の高みでなくて、部屋でさぼろうと思えばさぼれる、やらなくても即殴られることないとこで自分を律せるとこで、スポ小の子は監督いない勉強についてはサボるし、即、能動的に勝負のないことは飽きて気持ちがついていかない。

お仕事の場合は、職人とか芸能とか、高い技能水準を要求される特定業種以外は人柄や常識などの総合力で、技能や知識の問題ばかりじゃない。
医師や弁護士もそうかもしれないけど、それらは、なるまでに対立構造の高い水準の国家試験を経ている。

基礎のとこで考えても、対立というものが人間や共同体を引き上げる力というのはすごいものがあると思う。

現実に「オンリーワン」とか「比較されてない個性」ってのが世の中で通用してるのをあまり見たことがない。
たいがい世の中で賞賛されてる「オンリーワン」は途中で、これでもかというぐらい対立的な要素の中で削られまくってる。
成功した最後だけ見て、そんなのあると思う人ってどうかと思う。
「オンリーワン」って歌ってたSMAPのメンバーなんかどれだけ比較され、選抜され、鍛え上げられてきたんや。

有益な対立のためのルールがなく、または適切に運用されず、対立ができない状態が放置され、感情や権威や暴力などが入って破壊を頻発させていることが問題だと思う。

これは、システムの不備であり、大きな意味で責任者の無策の問題だと思う。
会社の会議で発言が出ないと嘆く人が多い。
提案は、弁証法的には、確実に現状の否定であり、批判であり、構造的に対立だから。
それが基本だけに、ルールの整備や対立の治癒への対応をとってない責任者は無策と言われてもしかたがない。

ルールは、スポーツや試験にはあるけど、仕事とかは割りに途中からファジーだし、生の社会はもっとルールなきカオス。
常識や良識や感性とかいろいろ違うことも多いし、地位や派閥や慣習などの権威的なものによって、公平なルールが遮断されることが多い。

また政治って、牛歩戦術とか、乱闘とか、ヤジの嵐とか、集団欠席とか、世の中でもっともアホなことが頻発している。
最後はルールなきカオス。
恥も外聞もおそれず、結果だけ追求できるのも胆力かも。
これがバカバカしいけど人間の総合力なのかも


知性の最も基本的な実践は、批判であろう。
しかし批判は対立構造である。

言語の対立構造のなかでしか、社会の発展はありえない。
それは、政策や政治が議論を基本として行われるものであることからも疑いなさそうである。
検証可能な言語と事実を基礎として、対立の中から創造することが根本であろう。

このあたりまでは、学生のときも考えていた。

たみ家は、当時、天皇制が好きな人の気持ちがさっぱりわからなかった。
不必要とさえ思っていた。

今は、大いに役割を果たしているし、必要だろうなあと思う。
戦後、天皇制を必死に守ろうとした人は守旧的権威的なク○じ○いかと10代のときは思ってましたが、今は、そりゃ、守ってなかったら日本は危なかったかもなあと逆に思う。

それは、国も経済も拡大再生産を続けなればならない数学的(というより算数レベル。いや中2の数学ぐらいのレベルか)な構造の帰結でもあるかなあと、ここんとこ思うようになった。

説明は寝るので、後にしますが

確かに、経済界や拡大主義的な政治家が天皇制好きでしょ。

それは、拡大し続けなければならないからなんでしょう。
  

Posted by たみ家 at 02:05Comments(0)

おとこの○び

2008年11月12日

つ、ついに、うちも全国メディアに。

ある人に別件で電話のついでに
たみ「今日、週刊大衆に名前載ったんですよ。」

ある人「それはええことでな?」
この人、話の7割は、ボケるか、ボケさせようと仕掛けてくる。

たみ(週刊大衆に、犯罪以外で悪いことで載れんやろ!名前載る頃にはつかまっとるか逃げとるわ!)
と思いつつ。
ここは何か言わんといかんと思い。

たみ「いや。長谷川京子さんが結婚する前に、前のカレシとの間でもめてたんや。そのカレシがオレで、それで載ったんや。」
(しまった。。。失敗や。。。)
と思った瞬間。

電話の向こうで
ある人「ブホッ!!ほんまかああ!」
と勢いよく口から何か飛び出したような音とともに迫真で驚いてくれました。

ありえん反応というか
向こうが滑らすまいと慮ってくれたというか、一枚上手だったのか。


それはさておき
原幹恵    こぼ○ちゃい○した
片岡さき   官○写 ○望○る○体

と続いて
当店が載ってます。

営業時間がちょっと違いますが
気にせず。

ちょっとエッチなページのある雑誌も知り合いの店が載ってるという口実で、堂々と買って、堂々とオフィスに持っていったり、おうちに持って帰ってやってください。

余談も余談ですが、P106の次のグラビア、意味がわからん。とにかく存在意義というか意味がわからん。意味わからな過ぎという意味では10年に1度、いや50年に1度の逸材とみました。
  

Posted by たみ家 at 00:51Comments(9)

激動の南新町・田町

2008年11月07日

南新町に新しいうどん屋ができたと思ったら

田町のはなまるさんの南、大黒屋さんの北隣
もと讃岐平野の後に

ラーメン屋ができるらしい。

2年10ヶ月空きだったのは、うちの開業準備に近い時期だったからよく覚えてます。

工事中のおっちゃんに
「ここ何ができるんですか」と聞くと
「ラーメン屋」という答えが返ってきました。

なるほど、ラーメンか。

あそこの賃料相場では、うどんじゃまずだめ。
ラーメンのことはよくわからないけど、うどんでは、はなまるさんのそばで100m以内にほかにも2店あって、そこから毎日300人近いお客を引き剥がさないと継続できないってのは、すごく厳しい数字。
ラーメンの方が、客単価が高く、昼、おやつ、晩、深夜といろんな時間に勝負のしようがあるし、夜から深夜にかけてすぐそばや南にラーメン屋とうどん屋が営業してるのだから、根元のあそこは悪くはなさそう。
あそこでやるなら、賃料との勝負になると思うので、賃料を長い時間活用できるモデルでないとキツイと思う。

中央商店街南部にも激動の渦が。。。

うちは、商圏が狭いので、観光通より北は、1%も影響受けないと思いますが
興味の対象には大いになりますね。
  

Posted by たみ家 at 23:56Comments(6)

良いプレッシャー

2008年11月07日

栗林公園東門前の開業は、11月目標と公言してましたが

生身の人間の弱さか、何かは動いてるんだけど、障害を取り除くのに無駄に時間がかかってる。


店名は「鉄男」か「てつお」、それかダブル表記の予定でしたが

「○○○○刑事(デカ)」って名前も急浮上。


目標達成なんてたぶん、ほんとはそんなに難しくないけど、実際の人間はなかなかできないし、自分もなかなかできないことが多いと思う。

大戦争や大震災の後なら、そこの水溜りの水だって飲むと思う。
実際に、そういうときにはみんなそうしたと聞いてる。
たぶん、酒もタバコも過食もパチンコもやらない。

可能か可能でないかといえば、絶対に誰でも可能なこと。

禁煙も禁酒も同じような状況なら、みんなするでしょう。
可能か可能でないかといえば、すべての人に絶対に可能で超簡単。

要は、生活習慣、考え方のクセ、対人関係のクセなど、生き方のクセを変えること。

必要に迫られたり、気をつけようと思った直後だったり、人に指摘されたらできるし、するようなことばっかりなんだよね。

自分の生き方のクセのよろしくないトコを出さないようにセルフコントロールする。
または、指摘されたり、必要に迫られる状況とか組織をつくる。

こういうことができたら、いろいろ物事は、良い方に進んでいくのではなかろうかと思っている。


組織は組織で病理現象がありますが、個人の誤りの多くは組織によって正されると思う。
組織の誤謬とか個人の誤謬とかいいますが、それぞれ、誤るパターンとか理屈が違う。
たぶん、一般的には組織の方が優れていて、組織をつくった後に病理現象を抑えようという話だと思う。
組織か個人かを選ぶ話ではないと思う。

今日は、tooonさんに「徳島たこ焼き88箇所」の資料という素晴らしいお土産を持ってきてもらい、あかりさんに明日のレディースデーのことを聞かれて、頭と手が回りかねて弱気になっていたところにいい感じに火がつきました。

翌日の予定に余裕があったら、PSYさんと、徳島の名板堂にうどんの出汁で食べるたこ焼きを見学に行くという選択もあったなあ。
  

Posted by たみ家 at 03:25Comments(5)

テニス

2008年11月05日

「あしたさぬき」関係のサークルに、テニスってないなあ。

でも、けっこう、テニスのこと書いてる人っていらっしゃいますね。

発足に当たって、何の力にもなれないけど、「あしたさぬき」のテニスサークルってできんやろうかと密かに思っている。

たみ家は、公式戦で1回戦や2回戦ぐらいは勝ったこともありますが、もともと体力型プレーヤーで技術は大したことないのに、体重が当時よりも15kg以上も増えているので、たぶんただの人です。

今でも、2年に1回ほどしかできない状況なので、無責任にも発足にあたって何もする気のない言い出し人。
たぶん、鉄男プロジェクトが始まったら、365日のうち、362日は店に行くことになると思うので、とてもじゃないが。。。言うだけにとどめたい。
  

Posted by たみ家 at 00:21Comments(2)

名著ですわ。

2008年11月04日

「金持ち父さんキャッシュフロークワドラント」って7年も前に初版が出た本を読んでますが、名著ですわ。
ここまでの人生最高の読書候補です。

少なくとも、2000年には、今のアメリカの状況を完璧に言い当てている。

アメリカ国内での人口動態などに起因する不動産事情に関する理由、ユーロ圏や中国の巨大経済ブロックとの相対的関係からドル安が起こること、不動産事情の悪化が株価を下げ、年金の運用が破綻し、政府の福祉政策が破綻することなどが、2010年の直前頃に起こると、今の人が事後に解説するぐらいP232、233で精緻に書いている。

こんなこと「たぶん、いつか」とは言う人はいても、「必ず2010年の直前」にと年単位で読みきって、事後の解説並みに精密に書き切る予測は、過去のどんな名著でも見覚えが無い。

孫正義さんとかピータードラッカーやハンチントンとか企業家や社会学者は当然、未来を予想しますが、ここまで見事なのは見覚えがありません。

ピーター・ドラッカーも言ってますが

一番大事なのは、人口動態。

著者のキヨサキ氏も、時期を明確に切れたのは、ベビーブーマーの退職時期とこども世代の独立で、2010年の直前頃に不動産市場に売りが多発するという人口動態の予測から端を発してます。
株の下落やドル安や医療費増や年金プランの破綻についても明確に書いてます。
この時期に、アメリカの制度は破綻し、それを解決する力がアメリカにないかもしれないことを思い知ると。

みんなと同じことを考えて、世間でいいと言われるようになってから、行動する人はダメだ。
上手な投資家は、理詰めで読みきって人よりも数年先に行動していると書いてますが

キヨサキ氏が、少なくとも2000年には、今のサブプライムなどアメリカの諸状況を完璧に読みきっていたことを思えば、すごい説得力が出ます。
  

Posted by たみ家 at 23:53Comments(2)

会合

2008年11月04日

庵治の「いなかの不動産屋」で会合がありました。

その後、高松でも続きがありました。

会があると、いろいろ思うところが増えますなあ。

会の後に、フェリーどおりにおでん屋ができているのを発見。

って、たみ家が発見したわけでもないけど。

もう開業後4か月になるらしいけど、のれんがかっこいいと思った。

たみ家の心の弱さかな。

飲食業の研究という名目で、入っていく。

たまたまかもしれませんが、中は飲食業やってる人ばかりがお客さんだった。
  

Posted by たみ家 at 07:04Comments(2)

ダイエットでは間に合わない 1

2008年11月02日

前記事で、月収30万円の自営のお店が月収100万円になったとしても、何かあったときに倒れる危険はあまり減らないのではないかと書きました。

規模が拡大したということは、家賃など義務費が拡大した可能性が一般に高いでしょう。

そして、出費はたいてい事前から「事実」です。
しかし、利益や売上は、いつでも達成するまではフィクションです。

規模が大きくなるということは、「事実」が大きくなるわけで、確かに平時の儲けは月収30万のときよりは増えているでしょうが、フィクションで事実に追いつかないといけないとこが大きくなります。

そして、取引先でも倒れたら、うちの場合なら取引先とはいいませんが、近隣で大きいオフィスのお客さん群が移転したらとか、大手うどん店でも近隣にでき、取引先をごそっと持っていかれるような場合が本質的に同じでしょうが、雪だるまのように負債が膨らみます。
月収100万あがる店なら、1か月で負債が100万円ぐらい増え続けるでしょうから、がんばってお客を回復しようなんて不可能です。
回復基調に入っても負債の元利は膨らみ続けるので、即決判断で損切りして撤退することになるでしょう。

移転するなら、すでに儲かってて移転資金があるとか、次でも儲かる自信がある程度、それまで儲かる営業になってたことが必要でしょう。
「食べていけたら」の店が移転なんかできるわけがないし、したくもないでしょう。
移転できないなら、無職・無収入です。

リストラなら退職金が出ます。
借金つくっての無職・無収入のキツさはリストラの比でない。


店舗拡大とか増改築とか機械のリースとか雇用の増員とかしてたら、マイナスの振れ幅が大きくなるので、オーナーの純利益としての月収が100万あっても、やっぱり何かあったときに倒れる危険は考えたことのない人が思うほどは減らない。

小から大にはなれますが、大から小にはなりにくいとこがある。
イオンの何万㎡店舗で、月商1000万円とか許されるわけがないように。

ダイエットみたいな緩やかなダウンサイジングでは間に合わない。
毎月、出費という「事実」だけが積みあがるので、すでによほど儲かってないと、ダイエットでは間に合わないので、身体を切断していくことになる。

店舗とか不動産を購入しての規模拡大部分は、切断が難しい。
雇用を増員した部分の規模拡大は、手当てを払う場合が多いが、まだ切断が可能だ。

だから不動産バブルが崩壊したら
そこの処分は難しく、できてもバブル後で国全体で不動産と株で1000兆円以上の国富が失われたのだから、あまたで大損が出た。
そして、リストラの名で人が切られた。

正社員をとらずに派遣が増えたのは、日本が成長しないし、グローバリズムによって変化も大きくなるしで、「事実」の重荷がバブルの反省も含めて企業が重いと思うようになったからだと思う。
ゆるやかなダイエットでは間に合わないから、切断可能な身体にしておかないといけない。

拡大はいつでも切断可能な拡大にしておかないと危険。
ダイエットで対応しないといけない拡大では、その間の負債拡大で丸ごとひっくり返ってしまう。
全身に転移したガン細胞なんか切れんだろうから、企業なら組織文化とか国なら国民や公務員や政治家のモラルのような体質的なものも大事ということになる。

国の行財政改革なんてのは、公務員の組合が強かったり、法で保障された身分とかあるから、切断よりダイエットに近くなる。
高齢者の医療とか生活保護とか、いろいろありますが、国の仕事ってのは、切断しておいて「後は勝手にやって」ではすまない。
企業なら外のことにできるけど、国は、問題を外に放逐することはできないから、いつまでも問題の意味合いが変わるだけで内側の疾患であり続ける。

原理は、ミクロの現場判断でも、マクロでも、歴史的な話についても、だいたい整合してるよなあ。


「悪いことだけが事実」

「いいことはいいことにできてはじめて事実になる。」

じゃあ、うまくいくにはどうしたらいいのか。

たみ家は、成功してないので想像だけど、国とかじゃなくて個人のレベルでいうなら、いいことが起こりやすい人柄になるとか人間関係をつくるとか普段から何かが起こることに備えて考えているとかで

「運を自分で良くしやすくするか」

「普通の人には何でもないことを幸運に事後に変えてしまえるか」

だと思う。
  

Posted by たみ家 at 12:32Comments(0)

最大の貢献 構造とシステム 5

2008年11月01日

ここんとこ、急激に考えが深化しそうなきっかけとなることがあって、書きまくらんと気がすまない状態になってる。

たみ家は、入院でもして廃業して無収入になって、退院後毎日16時間ぐらいバイトして、病気がちで老後を迎えるとか、サラ金苦で破産とかそういうのが困るからおぜにさんはいくらでも欲しい。

家賃と雇い人がある自営は、生活費が充分に出てても、いっちょう入院したら、ものの数ヶ月でいつでも破産か無職・無収入になりかねん。
これは、たぶん、仮に事業からの月収が100万円ぐらい出るようになっても、同じではないかと思えてきた。
それなら、家族の誰かの給料が20万円で、事業からの月収が50万の方がリスク対応という意味ではいい場合もあるだろう。
こける可能性の収入が半分になっても、こけない部分がある程度ある方が安定はするだろうなあ。
出費だけが事実で、入りは自分で意味を持たせるのに成功するまではフィクションだから。
100万事業から収入が上がるようになるってことは、出費の事実は大きくなって、フィクションで追いつかないといけない部分が大きくなったという意味だから、月収100万にもなれば、安定するだろうと他人は思ったとしても、何か起こったらひっくり返る危険はたぶん月収30万のときに比べて案外減らないんではないだろうかと思う。

でも、月収は30万よりは100万の方がもちろんいい。
しかし、たみ家はおぜにさんを出して欲しいと思うものが思い浮かばない。
旅行もしたくない。
家もほしくない。
おしゃれも興味ない。
車も軽でいい。

幼少から、趣味、ジョギング、将棋みたいな感じで、これでもかというぐらいおぜにさん使わん趣味で、駅伝とか出てたら食べるのも飲むのも控えるし、いやあ、あの頃、初任給16万台でたくさん貯金ができたなあ。


たみ家は、人の上にも、真ん中にも、前にも立ちたくない。
有名になりたくない。
したがって、名誉もほしくない。
自分のやってることがもし認められて新聞にでも載りそうになったら、やめるか、他人の功績にしてしまいたい。
地位がほしくない。

前記事で、孤独は嫌と書いたが、ほんとはそんなに嫌でない。
ときどき孤独であるべきでないと思うときに、孤独だったら嫌なだけで、孤独が当たり前だと思えば、無人島で人と会わずにずっと過ごすのは苦でないだろう。

さて、もし、おぜにさんも地位も功績を自分の名前で残すことも一切いらないなら、世の中に貢献しようと思ったら、原理原則で考えて、何が最大の貢献になるだろうか?

たみ家の結論では

国や大企業に適切な提言をすることだと思う。

そして、自分ではできるだけ何もつくらずに事業もしないこと。

えっと思うかもしれないけど、理屈を純化すれば、どうしてもそうなる。
他人がその人を認めるかとか、成功者と思うかとか、提言した本人が幸せかとか、誰の功績になってるかとか、そういうことと、事実として大きな貢献をしたかどうかは関係がない。

国の誤った施策を提言によって改めさせることに成功したら、場合によっては10兆円ぐらいの貢献になるかもしれない。
普通、誰が事業やってもそんな大きな貢献はできません。
そして、提言した人の功績はたぶん、もともと著名な人や地位のある人がしない場合は何も残りません。

何が言いたいか
大きな貢献は、儲ける話でも出たようにシステムと組織があってできます。
すると、すでにある最も大きなシステムって国でしょう。
国には国民、納税者として、大企業には消費者として向き合えます。
消費者として、広く普及している製品の欠陥を指摘して、それを回収させたり直させることに成功すれば、すごいたくさんの命を救うことができるかもしれません。
しかし、それは匿名で消費者窓口に電話したものなら、おぜにさんにもならんし、名誉にもなりません。
しかし、それは、普通に一生働いても、貢献できんだけのことを世の中でしたことになるかもしれません。

つまり、大きなシステムに適切な情報を与えて働きかけられるなら、生涯自分では何もつくらずに事業もせずに、観察眼や批判精神を研ぎ澄まし続けて、できるなら問題点に対する対処法なども含めて提言し続ければよいわけです。
おぜにさんも地位も名誉も欲しがらずに、ただ、純粋に自分が生きている過程で世の中に最大の貢献をしたいと思えばそうなるわけです。

自分で事業やっておぜにさんを得ようと思ったら、ちまちまと体力や人付き合いなど等身大の世界で掛け算をしていかんとダメなわけです。
おぜにさん欲しくなくて、自分が世の中に貢献したと思えれば、それでいいと思ったら、それはしちめんどくさいだけです。
大きなシステムをつくるんは、ほんまに苦労がよっけいる話で、異質な長所を統合せんといかんので、めんどい。
しかし、有効な批判は1つの刃を研ぎ澄ますことでできる可能性があるわけです。

「おぜにさんとか表彰とか外からの報酬なんかいらんよ。」
「自分で貢献を感じて、内なる気持ちから報酬を得られたらええよ。」
と思えば、公開の逃げ場のないとこで、いい提言を国や大企業など大きなシステムをすでに持ってるところにして働きかけることに成功すれば、提言は情報性のものだけに無限に広げることができて、自分のおぜにや手柄にならんだけで、何兆円もの何千万人への貢献がありうるわけです。

これは勤め時代から思っていたが、
実際に経営する立場になって、当時に比べて考える幅が遥かに広がって、深さが加わったと思う今、そこはより強く思うようになった。

しかし、普通の人は、おぜにさんはいるし、自分にとってプラスになってほしいと思っていろんなことをするだろう。
だから、純粋な意味では大きな貢献がセクショナリズムによって、妨げられがちになることがままある。

そういう意味では、将来の夢は「○○」って身体動かして自営するような職業をいう子どもが多いらしいけど。
小さいシステムで、大きな貢献って難しい。
確かに、喜ばれる実感もあるし、楽しさもあるけどね。

それだったら、大企業でこそできる燃料電池のすごいのつくるとか、今まで掘れなかったとこの石油を効率よく掘るための機械を開発するとか、事故の起きない原発をつくるとか、子どもの夢も大きなシステムを有効に活かすことに気持ちが行くように仕向けてほしい。
すげえ厳しい言い方だけど、子どもの夢が、自分の身体を動かす仕事である限りは、日本の将来は厳しいかも。
まあ幼稚園のときならいいけど、できるだけ、自分の身体を動かさない仕事を夢にできるように、教育界は考えんといかんと思う。
情報技術と低賃金労働者の流入が進むと、身体を動かす仕事で、付加価値を高めて高賃金を取ることは一部を除いて構造的に無理がある。

感情や自分の手柄とか置いといて、客観的に数量化して貢献の大きさを考えるなら、原理的に大きな貢献は大きなシステムをつくるか、既存の大きなシステムを活かすことでしかできない。
しょせん、原理は原理だから、現実界ではさまざまに通用しないとこや修正箇所が出る。
しかし、原理がまったく意味を持たないような分野もまた存在しないのではないだろうか。
  

Posted by たみ家 at 01:41Comments(2)