今頃「女性の品格」
2008年03月31日
すごく売れてるのは知ってましたよ。
でも、買うのははばかってました。
明らかにテンプレートの変更で、気分が変わり、行動が変わりました。
ローソンで買っちゃいました♪
うどん店に置いてます。
女性の時代なのかしら?
あまり「女性が元気」とか「女性の時代」って、ことさらに言うのは好きじゃないんだけど
産業がサービス業中心にシフトしたり
通信技術が向上するなど、力や移動の必要性が下がり
何につけ、力を解放すると、いろんなとこに副作用や反射作用が出て、わが身に返ってくる「地球が狭くなった21世紀」。
女性のものとして意識されてきた部分の品格が、世の中全体で大きな意味を持つようになったのかもしれないわねぇ。
ところで
女性の夜のまち歩きっていうと
どうしても
危険だとか、いろいろ返ってくるけど
それって、女性が残業するのとどこも違わなくない?
確かに危険なのかもしれないけど
今の社会観では、危険だから控えるじゃなくて、控えなくていいように危険を無くす方向で考えることじゃないかしら?
でも、買うのははばかってました。
明らかにテンプレートの変更で、気分が変わり、行動が変わりました。
ローソンで買っちゃいました♪
うどん店に置いてます。
女性の時代なのかしら?
あまり「女性が元気」とか「女性の時代」って、ことさらに言うのは好きじゃないんだけど
産業がサービス業中心にシフトしたり
通信技術が向上するなど、力や移動の必要性が下がり
何につけ、力を解放すると、いろんなとこに副作用や反射作用が出て、わが身に返ってくる「地球が狭くなった21世紀」。
女性のものとして意識されてきた部分の品格が、世の中全体で大きな意味を持つようになったのかもしれないわねぇ。
ところで
女性の夜のまち歩きっていうと
どうしても
危険だとか、いろいろ返ってくるけど
それって、女性が残業するのとどこも違わなくない?
確かに危険なのかもしれないけど
今の社会観では、危険だから控えるじゃなくて、控えなくていいように危険を無くす方向で考えることじゃないかしら?
Posted by たみ家 at
07:16
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開業2周年まち歩き
2008年03月30日
3月29日は、開業記念日でしたが、たみ家はほとんど意識してませんでした。
1年目と2年目の売上を比較したら、15%ほど上がってましたが、最初の頃の伸びとして、それがいいのかどうかはわかりません。
ただ、方向性はそう間違ってなかったのかなあと思いました。
夕方、ある支援者の方に、「今日、夜 空いてる?」と聞かれたとき、たみ家は意識してなかったので、そこに開業記念の意味があるとはすぐに気づきませんでした。
で、瓦町駅前の「魚民」さんが「千年の宴」という興味深い名前に変わっていたので、行ってみました。
10ヶ月ほど前のことでも、たみ家には気づきませんでした。
たみ家「ここで、女性に人気の飲み物は?」
男店員「マンゴヤンラッシーです。」
たみ家「じゃ、それを」
甘い、嫌いではない。
しばらくして
たみ家「次に人気のものは」
別の女店員「ええっと、、ベッカムとか人気ですね。」
とメニューをさし出す。
なんだ、女性に人気のドリンクランキングがメニューに書いてあるじゃないですか。
カシスオレンジとかジントニックなどの中に、3番人気にベッカムが書いてある。
「じゃ、ベッカムでお願いします。」
甘い、カルピスにアルコールを足したようなものか?
ここまで女性に人気で勧められたものは、5連続でとても甘かった。
菊池寛通の北側の南新町筋と瓦町駅の中間に女性専用岩盤浴ってありますね。
研究せねば。
1年目と2年目の売上を比較したら、15%ほど上がってましたが、最初の頃の伸びとして、それがいいのかどうかはわかりません。
ただ、方向性はそう間違ってなかったのかなあと思いました。
夕方、ある支援者の方に、「今日、夜 空いてる?」と聞かれたとき、たみ家は意識してなかったので、そこに開業記念の意味があるとはすぐに気づきませんでした。
で、瓦町駅前の「魚民」さんが「千年の宴」という興味深い名前に変わっていたので、行ってみました。
10ヶ月ほど前のことでも、たみ家には気づきませんでした。
たみ家「ここで、女性に人気の飲み物は?」
男店員「マンゴヤンラッシーです。」
たみ家「じゃ、それを」
甘い、嫌いではない。
しばらくして
たみ家「次に人気のものは」
別の女店員「ええっと、、ベッカムとか人気ですね。」
とメニューをさし出す。
なんだ、女性に人気のドリンクランキングがメニューに書いてあるじゃないですか。
カシスオレンジとかジントニックなどの中に、3番人気にベッカムが書いてある。
「じゃ、ベッカムでお願いします。」
甘い、カルピスにアルコールを足したようなものか?
ここまで女性に人気で勧められたものは、5連続でとても甘かった。
菊池寛通の北側の南新町筋と瓦町駅の中間に女性専用岩盤浴ってありますね。
研究せねば。
Posted by たみ家 at
11:06
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日経流通新聞(MJ)購読開始ぃ☆
2008年03月29日
昨日から思い立って、銀行の待ち時間に読んでた日経MJ購読開始しました
お店においてます
月水金の発行で月2,000円ぐらいだから、1部160円ぐらいかしら
日経新聞の方は読みきれないのでちょうどいいわ
2月の関東地区のテレビCMの放送回数は
1位 日本マクドナルド
2位 パチンコ台 三共
3位 KDDI
4位 ソフトバンクモバイル ホワイト学割
5位 NTTドコモ FOMA
6位 パチンコ台 京楽
けっこう言われたら納得じゃないですかぁ?
7位 アメリカンホーム これからだ
って知らないし
8位 資生堂 エリクシールシュペリエル
あ!これはアタシ使ってるから納得です(嘘です。。。。か?)
9位 コルゲンコーワ鼻炎ソフトミニカプセル
10位 コーワ パニオンコーワ錠
風邪薬とかけっこうCM見ますけどぉ そんなに多かったかしら?
花粉とかそっちかしら?
ゲームソフトの1位は
DS美文字トレーニングだそうよ
遊びながら、自己啓発とか向上したいっていい意味で欲張りな方が増えてるのかしら?
お店においてます
月水金の発行で月2,000円ぐらいだから、1部160円ぐらいかしら
日経新聞の方は読みきれないのでちょうどいいわ
2月の関東地区のテレビCMの放送回数は
1位 日本マクドナルド
2位 パチンコ台 三共
3位 KDDI
4位 ソフトバンクモバイル ホワイト学割
5位 NTTドコモ FOMA
6位 パチンコ台 京楽
けっこう言われたら納得じゃないですかぁ?
7位 アメリカンホーム これからだ
って知らないし
8位 資生堂 エリクシールシュペリエル
あ!これはアタシ使ってるから納得です(嘘です。。。。か?)
9位 コルゲンコーワ鼻炎ソフトミニカプセル
10位 コーワ パニオンコーワ錠
風邪薬とかけっこうCM見ますけどぉ そんなに多かったかしら?
花粉とかそっちかしら?
ゲームソフトの1位は
DS美文字トレーニングだそうよ
遊びながら、自己啓発とか向上したいっていい意味で欲張りな方が増えてるのかしら?
Posted by たみ家 at
07:43
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テンプレート変えてみました♪
2008年03月27日
男のすなる日記というもの女もしてみむ
夜の一人歩き
もしてみようかしらん
やだやだ
テンプレート変えたら気分まで変わっちゃうわ
女性専用飲食店
と女性の夜のまち歩き
研究の気分を高めるためにテンプレート変えてみました
硬い文章もやわらかく見えるのが不思議ね
絵文字使うの何年ぶりかしら?

夜の一人歩き


やだやだ
テンプレート変えたら気分まで変わっちゃうわ
女性専用飲食店




硬い文章もやわらかく見えるのが不思議ね

絵文字使うの何年ぶりかしら?
Posted by たみ家 at
23:47
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芸術&まち歩き&潜在能力アプローチ 2
2008年03月27日
またしてもタイトルと直接関係なさそうなことからですが、日本国民全員の所得と最も相関関係が密接な能力って何でしょう?
誰かが「英語能力」と言ってましたが、たみ家もよくよく考えてみたら他にそれ以上のものが思い浮かびません。
そうだとしたら、なぜそうなのか?
他に、もしかしたら「聞き上手」とか候補かも知れませんが、「聞き上手」の定義が難しいし、結果との因果関係を確かめにくい。
他に候補があったら教えてください。
さて、社会の豊かさを考える方法論の
「潜在能力アプローチ」についてですが、この「潜在能力」って訳がどうも気に入りません。
Capability の訳ですが、日本人は「潜在能力」って言うとき、「成長したらできるけど『今はできない。』」って意味で使いませんか?
「自分の意思でやろうと思えばできる状態にある。」これがCapabilityで
「可能度アプローチ」とか「選択可能性アプローチ」などの方がたみ家としてはしっくり来るんですが、今できることの話なんですが「潜在能力」を使うとしますか。
たみ家が書くことは、かなりの頻度と深さで、潜在能力アプローチとからんでます。
たとえば、もう、これ以上物質を大量消費して豊かになることは地球環境が許さないとしたら、「美術でも見て俳句でも詠んで楽しみましょう。」これなら、地球環境に優しく楽しめるけど、それには感受性や理解や詠むための能力がいる。
無理やり着せられても、お洒落しようと自分で選んで着ても、同じ服を着てたら経済的に一見同じに見えるけど、幸福度は違う。
また、「効用」という、「ニーズの充足や楽しみの追及」のような尺度も、限界がある。
飢餓で苦しんでたら、ゴミ箱の残飯でもニーズが充足され、大喜びするかもしれませんが、この状態を幸せということはできないでしょう。
所得が同じでも、車椅子の人は遠くに旅行ができないことがあるかもしれない。
所得で、社会の豊かさを図るのにも限界がある。
バリアフリーやユニバーサルデザイン化で、社会が整備されてくれば、その差は少なくなるが、荒廃した社会では、いくら所得があっても、何らかの障害を持っていれば、そのハンディはさらに大きくのしかかってくるかもしれない。
要は、「自らの選択で、幸福を追求するためにできることが可能な状態」の態様をもって、社会の豊かさを考察しようというのが、「潜在能力(Capability)アプローチ」と理解してます。
女性が夜、一人で街で遊ぶことについて、女性がそれをしにくいとしたら、社会でのCapabilityが男性との間で不平等である疑いが生じる。
仮に、その疑いに対して、女性にはそのニーズがないとする。
すると、女性のニーズは、昔、母性保護名目で女性の深夜勤務が制限され、その関係で管理職にもなれなかったように、長い社会的な不平等のために、女性が楽しめるサービスが現れず、そういうサービスが無かったことで、ニーズが顕在化してこなかったのかもしれない。
また、街が安全でないとか、できないことに慣れてしまったり、「女性が夜出歩くもんでない。」と教え込まれてきたため、そのニーズさえ失ってしまったのかもしれない。
などの疑いがいったん生じるわけです。
これは真かもしれないし、そうでないかもしれないけど、そういう疑いを切り口にして、社会の問題や矛盾が見えてきたり、その原因や背景、それに対する処方なども見えやすくなるのではないかと思ってます。
たみ家はロレックスダダでも欲しくない。
服がジャージで、安いサンダル履いて、ロレックスなんか身につけれませんし、作業のために店に行けばすぐに服に粉がつくし、時計に水や粉がかかったり、釜に当たったりする可能性が高いし、労働時間が長すぎてお洒落なんかする気にもなれん。
ニーズってある程度、その人が幸せになろうとして行動できる基盤が整ってこないと、生まれないし、気づかないことが多いんではないでしょうか?
お金や時間があって、お洒落ができる余裕があれば、ロレックス欲しくなるかも。
ニーズがないことをもって、社会の豊かさや平等や、それが実現不十分な状態への対処を考えるにあたって、「問題がない」というのは、実はそう言えないことが多い。
問題ない場合もあるが、もう一段階踏み込む必要があることも多いと思う。
「潜在能力アプローチ」は、たみ家の書くことのほとんどと、遠くても、関係してることが多いので、ちょっとコンパクトにまとめにくいですね。
もういったんこのタイトルは「2」で打ち切ってしまいましょう。
誰かが「英語能力」と言ってましたが、たみ家もよくよく考えてみたら他にそれ以上のものが思い浮かびません。
そうだとしたら、なぜそうなのか?
他に、もしかしたら「聞き上手」とか候補かも知れませんが、「聞き上手」の定義が難しいし、結果との因果関係を確かめにくい。
他に候補があったら教えてください。
さて、社会の豊かさを考える方法論の
「潜在能力アプローチ」についてですが、この「潜在能力」って訳がどうも気に入りません。
Capability の訳ですが、日本人は「潜在能力」って言うとき、「成長したらできるけど『今はできない。』」って意味で使いませんか?
「自分の意思でやろうと思えばできる状態にある。」これがCapabilityで
「可能度アプローチ」とか「選択可能性アプローチ」などの方がたみ家としてはしっくり来るんですが、今できることの話なんですが「潜在能力」を使うとしますか。
たみ家が書くことは、かなりの頻度と深さで、潜在能力アプローチとからんでます。
たとえば、もう、これ以上物質を大量消費して豊かになることは地球環境が許さないとしたら、「美術でも見て俳句でも詠んで楽しみましょう。」これなら、地球環境に優しく楽しめるけど、それには感受性や理解や詠むための能力がいる。
無理やり着せられても、お洒落しようと自分で選んで着ても、同じ服を着てたら経済的に一見同じに見えるけど、幸福度は違う。
また、「効用」という、「ニーズの充足や楽しみの追及」のような尺度も、限界がある。
飢餓で苦しんでたら、ゴミ箱の残飯でもニーズが充足され、大喜びするかもしれませんが、この状態を幸せということはできないでしょう。
所得が同じでも、車椅子の人は遠くに旅行ができないことがあるかもしれない。
所得で、社会の豊かさを図るのにも限界がある。
バリアフリーやユニバーサルデザイン化で、社会が整備されてくれば、その差は少なくなるが、荒廃した社会では、いくら所得があっても、何らかの障害を持っていれば、そのハンディはさらに大きくのしかかってくるかもしれない。
要は、「自らの選択で、幸福を追求するためにできることが可能な状態」の態様をもって、社会の豊かさを考察しようというのが、「潜在能力(Capability)アプローチ」と理解してます。
女性が夜、一人で街で遊ぶことについて、女性がそれをしにくいとしたら、社会でのCapabilityが男性との間で不平等である疑いが生じる。
仮に、その疑いに対して、女性にはそのニーズがないとする。
すると、女性のニーズは、昔、母性保護名目で女性の深夜勤務が制限され、その関係で管理職にもなれなかったように、長い社会的な不平等のために、女性が楽しめるサービスが現れず、そういうサービスが無かったことで、ニーズが顕在化してこなかったのかもしれない。
また、街が安全でないとか、できないことに慣れてしまったり、「女性が夜出歩くもんでない。」と教え込まれてきたため、そのニーズさえ失ってしまったのかもしれない。
などの疑いがいったん生じるわけです。
これは真かもしれないし、そうでないかもしれないけど、そういう疑いを切り口にして、社会の問題や矛盾が見えてきたり、その原因や背景、それに対する処方なども見えやすくなるのではないかと思ってます。
たみ家はロレックスダダでも欲しくない。
服がジャージで、安いサンダル履いて、ロレックスなんか身につけれませんし、作業のために店に行けばすぐに服に粉がつくし、時計に水や粉がかかったり、釜に当たったりする可能性が高いし、労働時間が長すぎてお洒落なんかする気にもなれん。
ニーズってある程度、その人が幸せになろうとして行動できる基盤が整ってこないと、生まれないし、気づかないことが多いんではないでしょうか?
お金や時間があって、お洒落ができる余裕があれば、ロレックス欲しくなるかも。
ニーズがないことをもって、社会の豊かさや平等や、それが実現不十分な状態への対処を考えるにあたって、「問題がない」というのは、実はそう言えないことが多い。
問題ない場合もあるが、もう一段階踏み込む必要があることも多いと思う。
「潜在能力アプローチ」は、たみ家の書くことのほとんどと、遠くても、関係してることが多いので、ちょっとコンパクトにまとめにくいですね。
もういったんこのタイトルは「2」で打ち切ってしまいましょう。
Posted by たみ家 at
01:04
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昨日の夜の徘徊&日本史必修化への疑問
2008年03月25日
前回のタイトルに「1」って入れたんだから、次は「2」を書かないとと思いましたが、女性のまち歩きが優先ということで、昨日の深夜徘徊のレポートを。
正直、「たみ家が店に張りつき過ぎてて、夜の街の最近の動向を知らないだけか」と自分を疑う気持ちはいつも持ってます。
藤塚町から中央郵便局に深夜に本の郵送をしに行きました。
すると、香川大学の卒業式や人事異動のシーズンだからか、月曜日の夜というのに、珍しく、南新町や丸亀町に人が大勢いました。
南新町や丸亀町のアーケードの中だけでも、女性が一人でも行けそうなとこはいくつか見られますね。
夜の街がわからなくなってるたみ家が、間違ってたら後で検証したらええやと思って書きますが、アーケードの中だけでも「赤玉ホール」さんや「ワールドスポーツカフェ」さんや亀井戸水神のとこの「葡萄塾」さんとか気になりました。
単純に、「KOMACHI」さんとか既存のメディアをちゃんとチェックして見直して考えないといけませんね。
ついでなんですが、神奈川県が高校での日本史の必修化を進めていると聞きました。
たみ家は、大いに疑問です。
「日本の文化や歴史に誇りを持ったり、外国の人にそれを語れるように育てないとだめだ。」
みたいなことを聞きますが、それが高校での必修化の必要性につながると思えない。
若いうちには、体系的にまとまって時間を取らないと習得しがたいことに力を入れるべきで、日本史よりは英語や数学の方がよっぽど大事だ。
地理や世界史も、高校でやるなら、日本史よりも意義が大きいと思う。
理由は体系的で、現代の経済や産業など社会ともダイレクトにつながりが大きいし、教員でなきゃ地域の大人が代わって教えることができなからです。
受験があって、部活があって、遊びも恋もお洒落もバイトもしたい時期に、これ以上実りの少ない負担増やすことないし、他の教科も減らすことないと思う。
地域や国に誇りを持つための知識なんか、祭りのときにこども会で地域の歴史とかを、ごちそうとか食べたりおこづかい渡す前に教えたらいいし、大学の一般教養の暇な時期にでも入れれば大学全入時代なんだから充分だと思う。
どうとでも代替できる実りの少ないことを、人生の中で最も濃密な負担を強いられ、かつ、集中的に体系的な学力をつけることが求められる時期にやることはないと思う。
正直、「たみ家が店に張りつき過ぎてて、夜の街の最近の動向を知らないだけか」と自分を疑う気持ちはいつも持ってます。
藤塚町から中央郵便局に深夜に本の郵送をしに行きました。
すると、香川大学の卒業式や人事異動のシーズンだからか、月曜日の夜というのに、珍しく、南新町や丸亀町に人が大勢いました。
南新町や丸亀町のアーケードの中だけでも、女性が一人でも行けそうなとこはいくつか見られますね。
夜の街がわからなくなってるたみ家が、間違ってたら後で検証したらええやと思って書きますが、アーケードの中だけでも「赤玉ホール」さんや「ワールドスポーツカフェ」さんや亀井戸水神のとこの「葡萄塾」さんとか気になりました。
単純に、「KOMACHI」さんとか既存のメディアをちゃんとチェックして見直して考えないといけませんね。
ついでなんですが、神奈川県が高校での日本史の必修化を進めていると聞きました。
たみ家は、大いに疑問です。
「日本の文化や歴史に誇りを持ったり、外国の人にそれを語れるように育てないとだめだ。」
みたいなことを聞きますが、それが高校での必修化の必要性につながると思えない。
若いうちには、体系的にまとまって時間を取らないと習得しがたいことに力を入れるべきで、日本史よりは英語や数学の方がよっぽど大事だ。
地理や世界史も、高校でやるなら、日本史よりも意義が大きいと思う。
理由は体系的で、現代の経済や産業など社会ともダイレクトにつながりが大きいし、教員でなきゃ地域の大人が代わって教えることができなからです。
受験があって、部活があって、遊びも恋もお洒落もバイトもしたい時期に、これ以上実りの少ない負担増やすことないし、他の教科も減らすことないと思う。
地域や国に誇りを持つための知識なんか、祭りのときにこども会で地域の歴史とかを、ごちそうとか食べたりおこづかい渡す前に教えたらいいし、大学の一般教養の暇な時期にでも入れれば大学全入時代なんだから充分だと思う。
どうとでも代替できる実りの少ないことを、人生の中で最も濃密な負担を強いられ、かつ、集中的に体系的な学力をつけることが求められる時期にやることはないと思う。
Posted by たみ家 at
22:36
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芸術&まち歩き&潜在能力アプローチ 1
2008年03月25日
物の価値を計るに
昔、限界効用逓減の法則って、経済学で聞いた。
限界は数学では△(デルタ)で、日本語の感じと違って、限界は「伸び」の意味。
生ビール一杯目はうまいけど、同じビール二杯目は、一杯目の価値ないし、三杯目になると、人によってはタダでもいらない。
どころか、すすめられて大迷惑。
ただ、たくさん飲める人なら、価値の減り方は少ないかも。
英語の本を読める人には、英語の本の価値があるけど、読めない人には他人への譲渡価値がなければゴミとそう変わらないかもしれない。
芸術も理解できないと、お金払って見に行っても、その価値を感じられないし。
いや理解できんでも、「うわあ」とか「なんだろう?しげしげ。。。」とか思う人と、まったく無関心では大違い。
後で何か、興味を持つきっかけにつながるかどうかなんか違うと思う。
まち歩きも、そこへの感受性がないと、価値を感じようがない。
物事の価値は、財貨や事物の側でなくて、人の頭の中に規定されているとこが大いにありそう。
典型の典型は愛する人の形見とか。
母校の意味とか。
また、英語はいくら語学として勉強しても、たぶん、その人の世の中や人への関心の幅が狭ければ、観念のないことは言葉にしようがないので、意外に伸びないのではないだろうか?
これからの経済価値については、感受性とか理解力とかリテラシーとか場合によっては、そこで紡いできた思い出の類とか、いわれるようなものが、物質が飽和し、消費が成熟し、大量生産が環境的にも限界や矛盾を見せるようになった昨今、大きな意味を持つのではないか?
ああ。もう店の準備せんと。
潜在能力アプローチ。
可能感。
社会的オプション。
10年ほど前に、芸術とアマルティア・センの経済学の関連について書かれたコラムを読んだのが、このあたりのきっかけかなあ。
昔、限界効用逓減の法則って、経済学で聞いた。
限界は数学では△(デルタ)で、日本語の感じと違って、限界は「伸び」の意味。
生ビール一杯目はうまいけど、同じビール二杯目は、一杯目の価値ないし、三杯目になると、人によってはタダでもいらない。
どころか、すすめられて大迷惑。
ただ、たくさん飲める人なら、価値の減り方は少ないかも。
英語の本を読める人には、英語の本の価値があるけど、読めない人には他人への譲渡価値がなければゴミとそう変わらないかもしれない。
芸術も理解できないと、お金払って見に行っても、その価値を感じられないし。
いや理解できんでも、「うわあ」とか「なんだろう?しげしげ。。。」とか思う人と、まったく無関心では大違い。
後で何か、興味を持つきっかけにつながるかどうかなんか違うと思う。
まち歩きも、そこへの感受性がないと、価値を感じようがない。
物事の価値は、財貨や事物の側でなくて、人の頭の中に規定されているとこが大いにありそう。
典型の典型は愛する人の形見とか。
母校の意味とか。
また、英語はいくら語学として勉強しても、たぶん、その人の世の中や人への関心の幅が狭ければ、観念のないことは言葉にしようがないので、意外に伸びないのではないだろうか?
これからの経済価値については、感受性とか理解力とかリテラシーとか場合によっては、そこで紡いできた思い出の類とか、いわれるようなものが、物質が飽和し、消費が成熟し、大量生産が環境的にも限界や矛盾を見せるようになった昨今、大きな意味を持つのではないか?
ああ。もう店の準備せんと。
潜在能力アプローチ。
可能感。
社会的オプション。
10年ほど前に、芸術とアマルティア・センの経済学の関連について書かれたコラムを読んだのが、このあたりのきっかけかなあ。
Posted by たみ家 at
07:57
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「女性の夜のまち歩き地図」構想
2008年03月24日
女性専用の夜の飲食店について考えていると
まち歩き先達@観音さま=るいままさまから
「女性が一人でいける 夜のまち地図、作れればいいですな。」
と
なるほど!
一人用でなくても、女性向けの地図があれば、一人でも行きやすくなるし。
県外から来られた方にも「これ参考にどうぞ!」ってやりやすいぞ。
たみ家が、女性専用のお洒落なお店を創れるわけでもない。
永遠にないとはいえんけど、短期には絶対にない。
じゃあ、他人のふんどしで相撲を取らんことには。
っていうかぁ~
ある意味、既存のお店を活かせた方が良い面も大きい。
●女性が一人でも行きやすいと思うお店
●一人でなくても女性率の圧倒的に高いお店。
●女性からいい評判がひんぱんに聞かれるお店。
●イケメンやダンディーな話し上手聞き上手のスタッフのいるお店。
●お店側から
○「うちは女性一人客大歓迎」「うちは女性向けの空間、サービス、メニューばっちりです。」の自薦。
○「うちは、すでに女性の一見のお一人のお客様けっこう来てます。」
などなどの情報を集めて。
地図をつくれんか。。。
これなら、やろうと思ったら、メインディッシュ的な完成度はともかく、取り合えずのお通しみたいなものだったら、1週間でもできるかも。
とはいえ、女性専用も一方で並行して考えんと、今のサービス業や夜の街のあり方を正面から深く切り込んで問題提起ができんし、無いものを求めんと、いい意味の思考の飛躍が得られん。
今やってることは、何ぼ飛躍しとっても全然かまわん段階の頭の体操からのスタートだし。
女性専用が抵抗なく、ソフトランディングする方策として、厨房が中央で全部の客席に行けて、東館部屋に女性オンリー、西館手前側はこども連れオッケー、西館奥は、デートオッケーとか、わけて、東館側のトイレは女性だけにして、ごっつう豪華で便利な化粧室にしてみるとか。
これなら、差別とか言われんぞ。
ちょっと腰が引けてるけど、無用な摩擦は避けて、外堀から埋めてしまおう。
だいたい、女性専用フィットネスには異議を唱えずに、飲食店の場合は性差別だとか言う人は、情緒や直感でモノを言いそうなので、一見した感じが違ってればいいんでしょう。
さて、久々の高松の町名シリーズ
中新町は、今新とか、古新とちょっと毛色が違った。
中ノ村(のちの中野町エリア)にできた新町だから、中新町。室新町と名前のでき方は似ている。
中央町は、中央通由来かと思ったけど、角川の地名大辞典には、高松市街地の中心位置とか書いてあったなあ。
錦町とか扇町って、紺屋町や材木町みたいに城下町にありがちな古い町名かと思ったら、どっちも昭和41年からの町名なんですね。
瀬戸内町も同時期にできた町名のようです。
大阪市の梅田の近くにも扇町ってあったけど、こっちもそうなのかな?
「○○銀座みたいに」全国に「扇ブーム」とかあったのかな?
平成初期のジュリアナ・ベルファーレ時代なら納得なんですが。
昭和60年10月発行の地名大辞典には、茜町と西町が載ってないぞ。
朝日新町が昭和50年~、新北町が昭和51年~と載ってるのに。
ちょっと遠くや丸亀に飛ぶけど、
岡本の方の奈良須池(「ならす」でなく、「ならず」だそうです。)
大改修が何回も失敗して、「不成ず(ならず)」の池だそうです。
これはなかなか傑作ですねえ。
丸亀の郡家町は昔の那珂郡の郡役所があったとこで、中府町にも、一時期郡役所があったようです。
坂出と丸亀には御供所(ごぶしょ)町がありますが、これは江戸時代の城下町より由来が古く、天皇へのお供えが関係あるようです。
三木町の公文明は、公文書役所があったようです。
まち歩き先達@観音さま=るいままさまから
「女性が一人でいける 夜のまち地図、作れればいいですな。」
と
なるほど!
一人用でなくても、女性向けの地図があれば、一人でも行きやすくなるし。
県外から来られた方にも「これ参考にどうぞ!」ってやりやすいぞ。
たみ家が、女性専用のお洒落なお店を創れるわけでもない。
永遠にないとはいえんけど、短期には絶対にない。
じゃあ、他人のふんどしで相撲を取らんことには。
っていうかぁ~
ある意味、既存のお店を活かせた方が良い面も大きい。
●女性が一人でも行きやすいと思うお店
●一人でなくても女性率の圧倒的に高いお店。
●女性からいい評判がひんぱんに聞かれるお店。
●イケメンやダンディーな話し上手聞き上手のスタッフのいるお店。
●お店側から
○「うちは女性一人客大歓迎」「うちは女性向けの空間、サービス、メニューばっちりです。」の自薦。
○「うちは、すでに女性の一見のお一人のお客様けっこう来てます。」
などなどの情報を集めて。
地図をつくれんか。。。
これなら、やろうと思ったら、メインディッシュ的な完成度はともかく、取り合えずのお通しみたいなものだったら、1週間でもできるかも。
とはいえ、女性専用も一方で並行して考えんと、今のサービス業や夜の街のあり方を正面から深く切り込んで問題提起ができんし、無いものを求めんと、いい意味の思考の飛躍が得られん。
今やってることは、何ぼ飛躍しとっても全然かまわん段階の頭の体操からのスタートだし。
女性専用が抵抗なく、ソフトランディングする方策として、厨房が中央で全部の客席に行けて、東館部屋に女性オンリー、西館手前側はこども連れオッケー、西館奥は、デートオッケーとか、わけて、東館側のトイレは女性だけにして、ごっつう豪華で便利な化粧室にしてみるとか。
これなら、差別とか言われんぞ。
ちょっと腰が引けてるけど、無用な摩擦は避けて、外堀から埋めてしまおう。
だいたい、女性専用フィットネスには異議を唱えずに、飲食店の場合は性差別だとか言う人は、情緒や直感でモノを言いそうなので、一見した感じが違ってればいいんでしょう。
さて、久々の高松の町名シリーズ
中新町は、今新とか、古新とちょっと毛色が違った。
中ノ村(のちの中野町エリア)にできた新町だから、中新町。室新町と名前のでき方は似ている。
中央町は、中央通由来かと思ったけど、角川の地名大辞典には、高松市街地の中心位置とか書いてあったなあ。
錦町とか扇町って、紺屋町や材木町みたいに城下町にありがちな古い町名かと思ったら、どっちも昭和41年からの町名なんですね。
瀬戸内町も同時期にできた町名のようです。
大阪市の梅田の近くにも扇町ってあったけど、こっちもそうなのかな?
「○○銀座みたいに」全国に「扇ブーム」とかあったのかな?
平成初期のジュリアナ・ベルファーレ時代なら納得なんですが。
昭和60年10月発行の地名大辞典には、茜町と西町が載ってないぞ。
朝日新町が昭和50年~、新北町が昭和51年~と載ってるのに。
ちょっと遠くや丸亀に飛ぶけど、
岡本の方の奈良須池(「ならす」でなく、「ならず」だそうです。)
大改修が何回も失敗して、「不成ず(ならず)」の池だそうです。
これはなかなか傑作ですねえ。
丸亀の郡家町は昔の那珂郡の郡役所があったとこで、中府町にも、一時期郡役所があったようです。
坂出と丸亀には御供所(ごぶしょ)町がありますが、これは江戸時代の城下町より由来が古く、天皇へのお供えが関係あるようです。
三木町の公文明は、公文書役所があったようです。
Posted by たみ家 at
20:02
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空間と大気からのルネサンス
2008年03月23日
3月19日付け四国新聞に
”香川大学、県、高松市でつくる「広域拠点あり方検討委員会」が共同研究を進めてきた高松都市圏の都市戦略がまとまった。キーワードは「クリエイティブ(創造性)」。現代アートや瀬戸内海の魅力を生かし、高松で創造的な若い人材の育成と集積を図り、これを基盤に産業の創出・革新やまちづくりを目指す内容。原動力として人材育成のための「国際芸術アカデミー」の創設を打ち出した。”
とありました。
正直、ふわふわして、地に足が着かないと思うとこもあるが、これはこれで応援したい。
何でもすぐに実を結ぶ必要はないけど、個人の一生の選択でいうと、このアカデミーを卒業した人はすぐにお金を得られる職につけるようでないと、切実に困らないのだろうか?
弁護士でさえ合格者増で就職難なのに、新興の田舎のアカデミーがこの方たちにメシ食わしてやれるだけのものを修得させられるのだろうか?
スケジュールやカリキュラムはわかりませんが、ここの充分な配慮がされないようなら、責任感や経営感覚がないと言われてもしかたがないと思う。
ハイカラなことを言う絵や飾りつけが得意なフリーターが増えるのは長い目で見ていい方に働くかもしれないし、良くないかもしれない。
静岡県は、徳川家康が駿府周辺に技術者を集めたが、その後も東海道にあり大阪・京都方面にも行きやすく、江戸にも近いので、そこに技術者がいつき産業が育ったらしい。
そして、浜松には県立の芸術関係の大学ができている。
たぶん、現代の讃岐は財政難なので、昔なら芸術大学をつくろうというとこ、お金がないから単位を付与し学位を授与するようなシステムを取れないのではと思ってしまう。
徳川家康には勝てなくてもしかたがないとは思うけど、基本は今も昔も似てるなあ。
たみ家の心配は杞憂であってほしいですが、優秀な人がシナリオを描いたとしても簡単なことではないでしょう。
さて
室内の寒暖計の高さは、目の高さに架けるよう書いてあります。
たみ家は、オフィスの寒暖計は床面から50cmぐらいのとこに架けるべきだと思う。
寒暖計なんか、ダイソーで105円で売ってるから、目の高さにあるのはいいけど、50cmのとこにもあるべき(キッパリ!)。
室温を計る理由は何か?室内のことだから人間が快適に暮らすためでないのか?
すると、オフィスでの執務の基本姿勢は座位であり、椅子の座面の高さは43cm程度です。
そして、人間は筋肉と血液で体温をつくり、筋肉の6割がたは太ももとおしりと腰までの高さの筋肉が占めるでしょう。
座位にあっては、ひざからおしりまでがほぼ水平で、この高さの体内には空洞部はほとんどない。
腹部から上は、内臓など空洞部が多く、垂直に近い。
すると、オフィスの中の寒暖は、床面から50cmぐらいの高さを中心にケアすべきということになるはず。
オフィスの中で立位の人は、少数だし、歩いている状況は寒さとか感じにくい。
また、新しい低い位置から空調するビルはともかく、高い位置にエアコンの吹き出しがあるビルでは、冬季の暖房時に天井近くが35℃、北側の床面近くが13℃ぐらいのことがよくある。
北側のひざ高で16℃、座位の腰高で18℃胸高で20℃頭高で22℃、立位の目の高さで24℃ぐらいになります。
だいたいオフィスの室温は高さ30cmごとに冬季の暖房時は2℃ぐらい違います。
これは3つの条件の異なるオフィスで、数百回計測されました。
南側だと繊細に省エネに気をつけた弱い暖房でも、すぐに30℃ぐらいまで上がるでしょう。
また窓際に置いて、直射日光に当てると外気温8℃でも40℃ぐらいまで上がり、夏季だと60℃以上になります。
つまり、窓のブラインドを上げてると窓際の机や背中は無茶苦茶に暑いというより熱いんです。
環境省はエコオフィスや省エネルギーの指針として、冬季の暖房を一般に20℃、官公庁関係には19℃で指導通達など出してます。
これを目の高さに架けたものを基準にすると、寒すぎてどんなに辛抱強い人でもまったく仕事にならんはずです。
足下は10℃以下になるはずで、外の吹きさらしで仕事するに近い寒さになるはずです。
環境省の指針の数字はまったく根拠のないまったくのデタラメな数字で、少なくとも香川県内のオフィスで、鉄筋コンクリートのオフィスビル内で、暖房をかけて平均的な男性の目の高さの寒暖計の数字が午前11時以降に20℃以内におさまったことは、企業・官公庁合わせて、全県のオフィスで1日もないでしょう。
どこでも1日も存在したことのない状況にしろという通達はまったく困ったものです。
これはまるで、中世教会の教義のように、地動説を許さず、進化論を認めない、暗黒時代をつくっている考え方の象徴ではないか?
クリエィティブであろうとするなら、迷信から解放され、見るべきものを素直に見て、事実から考える必要がある。
女性専用の問いかけも、椅子の高さですら、1cm座面高が変われば、座り心地がものすごく変わるのに、公共の多くの場で、180cmの男性も150cmの女性も机や椅子の高さが同じ。
事実の直視を妨げる迷信や習慣からくる盲信から解放され、最も身近な空間的規格や空気の状況について、問いなおすことは、ルネサンスと親しみ、人々がクリエィティブであろうとすることを促すと思う。
魚にとって水が大事なことは当然ですが、人間は空気の底に沈んだ深海魚の生活に似ている。
そして、布団のセールスじゃないけど。
人間は、1日の3分の1の時間、布団の中にいる。
それ以上に都市生活者は、椅子に座っている。
”香川大学、県、高松市でつくる「広域拠点あり方検討委員会」が共同研究を進めてきた高松都市圏の都市戦略がまとまった。キーワードは「クリエイティブ(創造性)」。現代アートや瀬戸内海の魅力を生かし、高松で創造的な若い人材の育成と集積を図り、これを基盤に産業の創出・革新やまちづくりを目指す内容。原動力として人材育成のための「国際芸術アカデミー」の創設を打ち出した。”
とありました。
正直、ふわふわして、地に足が着かないと思うとこもあるが、これはこれで応援したい。
何でもすぐに実を結ぶ必要はないけど、個人の一生の選択でいうと、このアカデミーを卒業した人はすぐにお金を得られる職につけるようでないと、切実に困らないのだろうか?
弁護士でさえ合格者増で就職難なのに、新興の田舎のアカデミーがこの方たちにメシ食わしてやれるだけのものを修得させられるのだろうか?
スケジュールやカリキュラムはわかりませんが、ここの充分な配慮がされないようなら、責任感や経営感覚がないと言われてもしかたがないと思う。
ハイカラなことを言う絵や飾りつけが得意なフリーターが増えるのは長い目で見ていい方に働くかもしれないし、良くないかもしれない。
静岡県は、徳川家康が駿府周辺に技術者を集めたが、その後も東海道にあり大阪・京都方面にも行きやすく、江戸にも近いので、そこに技術者がいつき産業が育ったらしい。
そして、浜松には県立の芸術関係の大学ができている。
たぶん、現代の讃岐は財政難なので、昔なら芸術大学をつくろうというとこ、お金がないから単位を付与し学位を授与するようなシステムを取れないのではと思ってしまう。
徳川家康には勝てなくてもしかたがないとは思うけど、基本は今も昔も似てるなあ。
たみ家の心配は杞憂であってほしいですが、優秀な人がシナリオを描いたとしても簡単なことではないでしょう。
さて
室内の寒暖計の高さは、目の高さに架けるよう書いてあります。
たみ家は、オフィスの寒暖計は床面から50cmぐらいのとこに架けるべきだと思う。
寒暖計なんか、ダイソーで105円で売ってるから、目の高さにあるのはいいけど、50cmのとこにもあるべき(キッパリ!)。
室温を計る理由は何か?室内のことだから人間が快適に暮らすためでないのか?
すると、オフィスでの執務の基本姿勢は座位であり、椅子の座面の高さは43cm程度です。
そして、人間は筋肉と血液で体温をつくり、筋肉の6割がたは太ももとおしりと腰までの高さの筋肉が占めるでしょう。
座位にあっては、ひざからおしりまでがほぼ水平で、この高さの体内には空洞部はほとんどない。
腹部から上は、内臓など空洞部が多く、垂直に近い。
すると、オフィスの中の寒暖は、床面から50cmぐらいの高さを中心にケアすべきということになるはず。
オフィスの中で立位の人は、少数だし、歩いている状況は寒さとか感じにくい。
また、新しい低い位置から空調するビルはともかく、高い位置にエアコンの吹き出しがあるビルでは、冬季の暖房時に天井近くが35℃、北側の床面近くが13℃ぐらいのことがよくある。
北側のひざ高で16℃、座位の腰高で18℃胸高で20℃頭高で22℃、立位の目の高さで24℃ぐらいになります。
だいたいオフィスの室温は高さ30cmごとに冬季の暖房時は2℃ぐらい違います。
これは3つの条件の異なるオフィスで、数百回計測されました。
南側だと繊細に省エネに気をつけた弱い暖房でも、すぐに30℃ぐらいまで上がるでしょう。
また窓際に置いて、直射日光に当てると外気温8℃でも40℃ぐらいまで上がり、夏季だと60℃以上になります。
つまり、窓のブラインドを上げてると窓際の机や背中は無茶苦茶に暑いというより熱いんです。
環境省はエコオフィスや省エネルギーの指針として、冬季の暖房を一般に20℃、官公庁関係には19℃で指導通達など出してます。
これを目の高さに架けたものを基準にすると、寒すぎてどんなに辛抱強い人でもまったく仕事にならんはずです。
足下は10℃以下になるはずで、外の吹きさらしで仕事するに近い寒さになるはずです。
環境省の指針の数字はまったく根拠のないまったくのデタラメな数字で、少なくとも香川県内のオフィスで、鉄筋コンクリートのオフィスビル内で、暖房をかけて平均的な男性の目の高さの寒暖計の数字が午前11時以降に20℃以内におさまったことは、企業・官公庁合わせて、全県のオフィスで1日もないでしょう。
どこでも1日も存在したことのない状況にしろという通達はまったく困ったものです。
これはまるで、中世教会の教義のように、地動説を許さず、進化論を認めない、暗黒時代をつくっている考え方の象徴ではないか?
クリエィティブであろうとするなら、迷信から解放され、見るべきものを素直に見て、事実から考える必要がある。
女性専用の問いかけも、椅子の高さですら、1cm座面高が変われば、座り心地がものすごく変わるのに、公共の多くの場で、180cmの男性も150cmの女性も机や椅子の高さが同じ。
事実の直視を妨げる迷信や習慣からくる盲信から解放され、最も身近な空間的規格や空気の状況について、問いなおすことは、ルネサンスと親しみ、人々がクリエィティブであろうとすることを促すと思う。
魚にとって水が大事なことは当然ですが、人間は空気の底に沈んだ深海魚の生活に似ている。
そして、布団のセールスじゃないけど。
人間は、1日の3分の1の時間、布団の中にいる。
それ以上に都市生活者は、椅子に座っている。
Posted by たみ家 at
18:26
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角打ち研修と女性専用研究会
2008年03月23日
昨日土曜日は、まち歩き先達@観音さまと、店を閉めてから、4件回って実地研修。
藤塚町~高松駅前「若大将」~北浜「umie」~瓦町駅裏「緋色天幕」~?古馬場「屋根裏」~藤塚町
全部、歩きで回る。
「頼酒店」は次回に持ち越された。
各店で、「女性に一番人気のあるドリンクとフードは何ですか?」と聞く。
ドリンクは甘いのばっかりだったなあ。
「女性専用ってどうなのかなあ?」と自分でも疑いを含んだ漠然とした思いはありますが、ある事実が。
すべてのお店と通りすがりですれ違う全ての人々。
すれ違った人全体は延べ数百人はいたと思われるが、女性一人で遊びに出てると思われる人は、たまたまかもしれないが一人もいなかった。
たまたまでも数百以上のサンプルがあって、ゼロの意味は無視できないと思った。
一つにはニーズがないという見方もあるだろう。
しかし、ニーズはあるのに、ゼロしか実行されてないと考えると社会への貢献性も街としての発展性も大きいともいえそう。
大事なことは
前者で考えることからは、それが正解だったとしても、そこから何か新しいことは生まれない。
後者で考えることには、今までと異なる視点から需要や今の不便を考え、アンテナを鋭くしたり、学びが少なくともあるわけです。
そして、それが誤りだったとしても、何かを失うわけではない。
よろずの場合において、やってみて間違いないことは。
失うものはないのに、得るものが必ずあり、ときにはそれが大きなものになるということに賭けることだと思う。
また、某うどんチェーンの創業社長がいうに
願望はお金や頭脳に勝つと。
願望を持って、実行を続けていると、人やお金や環境などが向こうから近づいて来ると。
「そううまく行くもんなんかなあ?」と疑う気持ちもありましたが。
当ブログで願望をだらだら書いてきただけで。
観音さまとの実地研修や、先々で多くの方との出会いが実現したことは間違いないわけです。
研修内容と成果については、おいおいと後々の各論の中で。
藤塚町~高松駅前「若大将」~北浜「umie」~瓦町駅裏「緋色天幕」~?古馬場「屋根裏」~藤塚町
全部、歩きで回る。
「頼酒店」は次回に持ち越された。
各店で、「女性に一番人気のあるドリンクとフードは何ですか?」と聞く。
ドリンクは甘いのばっかりだったなあ。
「女性専用ってどうなのかなあ?」と自分でも疑いを含んだ漠然とした思いはありますが、ある事実が。
すべてのお店と通りすがりですれ違う全ての人々。
すれ違った人全体は延べ数百人はいたと思われるが、女性一人で遊びに出てると思われる人は、たまたまかもしれないが一人もいなかった。
たまたまでも数百以上のサンプルがあって、ゼロの意味は無視できないと思った。
一つにはニーズがないという見方もあるだろう。
しかし、ニーズはあるのに、ゼロしか実行されてないと考えると社会への貢献性も街としての発展性も大きいともいえそう。
大事なことは
前者で考えることからは、それが正解だったとしても、そこから何か新しいことは生まれない。
後者で考えることには、今までと異なる視点から需要や今の不便を考え、アンテナを鋭くしたり、学びが少なくともあるわけです。
そして、それが誤りだったとしても、何かを失うわけではない。
よろずの場合において、やってみて間違いないことは。
失うものはないのに、得るものが必ずあり、ときにはそれが大きなものになるということに賭けることだと思う。
また、某うどんチェーンの創業社長がいうに
願望はお金や頭脳に勝つと。
願望を持って、実行を続けていると、人やお金や環境などが向こうから近づいて来ると。
「そううまく行くもんなんかなあ?」と疑う気持ちもありましたが。
当ブログで願望をだらだら書いてきただけで。
観音さまとの実地研修や、先々で多くの方との出会いが実現したことは間違いないわけです。
研修内容と成果については、おいおいと後々の各論の中で。
Posted by たみ家 at
13:19
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桃太郎伝説と屋嶋城
2008年03月22日
前回、田村神社の祭神を「吉備津彦の妹」とうっかり書いたので、しらあっと黙って「姉」と訂正しておこうかと思いながら、白状してしまいました。
孝霊天皇の息子さんの「吉備津彦」が主な岡山側伝説の桃太郎で、退治したのは、香川とは違って海賊でなく、「うら(温羅)」と呼ばれた朝鮮半島からの渡来人とそれを受け入れた吉備の国の大和朝廷以前の支配勢力という説がいわれています。
このときの、吉備津彦の部下の犬飼建がいわゆる犬で、この子孫が「話せばわかる」の犬養毅首相だといわれているそうです。
岡山の踊りのお祭りで、「うらじゃ」って聞いたことないでしょうか?
OHKなど、岡山のイベントのCM放送は香川でもけっこうあるし。
「うら」は「温羅」で、百済からの王子で、朝鮮半島の戦乱から逃れてきて吉備の国に定住したといわれてます。
朝廷からすると征伐すべき鬼だったのかもしれません。
また、文化が違うので、その土地の人々とも合わず疎まれていたのかもしれません。
しかし、吉備の国に製鉄や造船、製塩の技術をもたらし、吉備の国を豊かにした恩人ともいえるはず。
吉備の国の和歌の枕詞には讃岐の「玉藻よし」みたいに「まかねふく(真金吹く)」てのがあるそうです。
讃岐のは風景だからまだわかるけど、製鉄に関わる人がそんなに目立つほど居たのか不思議だけど、そうだとしてもそうでなくてもすごいことだと思う。
「地方の時代」といわれるようになり、「中央からみた鬼」を地元の目でもっと見直そうという機運があったからこそ、お祭りの名前に「うらじゃ」をつけるようになったのかなあと勝手に想像してます。
百済から追われた王子と岡山、それを討伐した大和朝廷、再度百済を興そうと朝鮮に攻め入り逃げ帰り、唐と新羅の連合軍が瀬戸内を攻め上るのを恐れて築いた、屋嶋城そのほか、九州から大阪まで続く朝鮮式山城群、攻め入る船を知らせるためののろし台の「とぶひ」、それらと古代朝鮮の文化や東アジアの歴史、高松空港の振興や国際行事など、いろいろおもしろくしながらつなげて実のある形にしていけんもんだろうか。
朝鮮式山城ってあまり詳しくないんだけど、誰が築いたのだろうか?
その築城技術の派生って、他にないんだろうか?
類似の築城技術やその源流って、今の朝鮮半島に残ってないんだろうか?
孝霊天皇の息子さんの「吉備津彦」が主な岡山側伝説の桃太郎で、退治したのは、香川とは違って海賊でなく、「うら(温羅)」と呼ばれた朝鮮半島からの渡来人とそれを受け入れた吉備の国の大和朝廷以前の支配勢力という説がいわれています。
このときの、吉備津彦の部下の犬飼建がいわゆる犬で、この子孫が「話せばわかる」の犬養毅首相だといわれているそうです。
岡山の踊りのお祭りで、「うらじゃ」って聞いたことないでしょうか?
OHKなど、岡山のイベントのCM放送は香川でもけっこうあるし。
「うら」は「温羅」で、百済からの王子で、朝鮮半島の戦乱から逃れてきて吉備の国に定住したといわれてます。
朝廷からすると征伐すべき鬼だったのかもしれません。
また、文化が違うので、その土地の人々とも合わず疎まれていたのかもしれません。
しかし、吉備の国に製鉄や造船、製塩の技術をもたらし、吉備の国を豊かにした恩人ともいえるはず。
吉備の国の和歌の枕詞には讃岐の「玉藻よし」みたいに「まかねふく(真金吹く)」てのがあるそうです。
讃岐のは風景だからまだわかるけど、製鉄に関わる人がそんなに目立つほど居たのか不思議だけど、そうだとしてもそうでなくてもすごいことだと思う。
「地方の時代」といわれるようになり、「中央からみた鬼」を地元の目でもっと見直そうという機運があったからこそ、お祭りの名前に「うらじゃ」をつけるようになったのかなあと勝手に想像してます。
百済から追われた王子と岡山、それを討伐した大和朝廷、再度百済を興そうと朝鮮に攻め入り逃げ帰り、唐と新羅の連合軍が瀬戸内を攻め上るのを恐れて築いた、屋嶋城そのほか、九州から大阪まで続く朝鮮式山城群、攻め入る船を知らせるためののろし台の「とぶひ」、それらと古代朝鮮の文化や東アジアの歴史、高松空港の振興や国際行事など、いろいろおもしろくしながらつなげて実のある形にしていけんもんだろうか。
朝鮮式山城ってあまり詳しくないんだけど、誰が築いたのだろうか?
その築城技術の派生って、他にないんだろうか?
類似の築城技術やその源流って、今の朝鮮半島に残ってないんだろうか?
Posted by たみ家 at
07:42
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携帯電話ですら
2008年03月22日
たみ家は、何かをしようとするときに、100人のうち、95人ぐらいに反対されたり、無関心に扱われてもそんなには気にはしません。
というよりも、気にはするけど、それがやるかやらないかの決め手だとは思いません。
「時間がかかるかなあ。」とか「ケアしないといけない材料が多いかなあ。」とか思います。
もちろん、反対する95人の意見は参考になるし、反対されたり、関心を持たれないということ自体が重要なデータになります。
しかし、後に現実はどうなるかというと、95人に反対されることって現実になることが多い。
携帯電話でさえ、出回り始めたときは、「そんなに持ち歩かないといけないほど、急な連絡の用事なんてそうないよ。」とほとんどの人が言ってたと思います。
8年前ぐらいでさえ、自分の会社の幹部連中は、「携帯電話のようなわずらわしいもの絶対普及しないよ。」と口々に言っていました。
うどん巡りをするために東京からたくさん人が来ると、たみ家は15年前に思っていたわけではありませんが、当時から、そうならないといけないとは思っていました。
そう言っても、そうなるだろうと言う人は周囲に一人もいなかったけど、現実はそうなりました。
消費者には、自分が欲しいものってわからないことが多いはずです。
これは経験的にそう思うし、理屈でも説明できると思う。
だから、クリエイターや仕掛け人の仕事があるわけで、その度量や才覚が大事になるんだと思う。
流行るものが必要かどうかもそうで、「なめねこ」「たまごっち」「Wii」など事前に口で説明されても、魅力的とも思えないし、必要でないものばかりです。
過去の東西のヒット商品番付の上位に必要なものってほとんどないし、事前に聞いて魅力的と思うようなものもほとんどないと思います。
だから、最初に事前に周囲に意見を聞いて賛成してもらうのは、それほど必要じゃないと思います。
まあ、してもらっても悪くはないとは思うけど。
反対意見はやるために参考にするものであって、やるかやらないかを判断する材料ではないと思います。
何につけ、反対されてない意見はもろい。
自分の組織の中での立場でなく、その意見が世の中でほんとに役立つかどうかを考えるなら、反対は買ってでもされておいた方がほんとは良いのだとさえ思う。
まあ、世間上手なやり方ではないでしょうが。
それは社会を良くする事、豊かになること自体が、賛成する人のためのオプションを増やしたり、ニーズを少しずつでも高めて行く事であって、反対する人は利害が抵触しないなら無視しておいてもまず問題にならないでしょう。
普通、ヒット商品を開発することが誰かの利益を害することは稀でしょう。
ただ、賛成する人が少数なら市場に乗りにくいので、市場に乗りやすくするために、幅を広げたり抵抗を和らげるために、反対意見の反対の理由を参考にするのだと思います。
「こんな企画どうですか?」「こんな商品あったらどうですか?」
と聞いて、100人に10人もいいと思う人がいれば、その企画はまずモノになると思います。
創作の場でまで多数決や全会一致の習慣に毒されていると思うことがあります。
そもそも、どんなものだって、100万国内で売れたら大ヒットですが、裏を返せば、大ヒット商品のほとんどは、100人中、99人以上が買うにいたってないわけです。
国内販売個数10万でも、たいていのものはヒットですから、1000人のうち、950人以上に、「そんなもの必要ないし、俺はいらないし、買わない」って言われても、ほとんどの既存のヒット商品は50人にも賛成されないようなもんだから、気にする必要なんかないと思います。
また、よく「空気を読む」とかいいますが、多くの場面で「創作性」や「志」を萎えさせるものだとも思う。
読むのはいいいんです。
ただ、必要だと思うときに、「読んでおいて破る」ことが大事だと思います。
読まずに破る方がいいときもあるかもしれませんが、抵抗にあったり協力をもらえずに、頓挫したのでは、せっかくのアイディアも志もダメになって、それを見て後に続こうとする者を萎えさせるかもしれません。
だから、やっぱり、アイディアや志を持つ人は上手にやった方がよいと思います。
すると、空気ってのは「上手に破るために読むもの」なのかもしれません。
というよりも、気にはするけど、それがやるかやらないかの決め手だとは思いません。
「時間がかかるかなあ。」とか「ケアしないといけない材料が多いかなあ。」とか思います。
もちろん、反対する95人の意見は参考になるし、反対されたり、関心を持たれないということ自体が重要なデータになります。
しかし、後に現実はどうなるかというと、95人に反対されることって現実になることが多い。
携帯電話でさえ、出回り始めたときは、「そんなに持ち歩かないといけないほど、急な連絡の用事なんてそうないよ。」とほとんどの人が言ってたと思います。
8年前ぐらいでさえ、自分の会社の幹部連中は、「携帯電話のようなわずらわしいもの絶対普及しないよ。」と口々に言っていました。
うどん巡りをするために東京からたくさん人が来ると、たみ家は15年前に思っていたわけではありませんが、当時から、そうならないといけないとは思っていました。
そう言っても、そうなるだろうと言う人は周囲に一人もいなかったけど、現実はそうなりました。
消費者には、自分が欲しいものってわからないことが多いはずです。
これは経験的にそう思うし、理屈でも説明できると思う。
だから、クリエイターや仕掛け人の仕事があるわけで、その度量や才覚が大事になるんだと思う。
流行るものが必要かどうかもそうで、「なめねこ」「たまごっち」「Wii」など事前に口で説明されても、魅力的とも思えないし、必要でないものばかりです。
過去の東西のヒット商品番付の上位に必要なものってほとんどないし、事前に聞いて魅力的と思うようなものもほとんどないと思います。
だから、最初に事前に周囲に意見を聞いて賛成してもらうのは、それほど必要じゃないと思います。
まあ、してもらっても悪くはないとは思うけど。
反対意見はやるために参考にするものであって、やるかやらないかを判断する材料ではないと思います。
何につけ、反対されてない意見はもろい。
自分の組織の中での立場でなく、その意見が世の中でほんとに役立つかどうかを考えるなら、反対は買ってでもされておいた方がほんとは良いのだとさえ思う。
まあ、世間上手なやり方ではないでしょうが。
それは社会を良くする事、豊かになること自体が、賛成する人のためのオプションを増やしたり、ニーズを少しずつでも高めて行く事であって、反対する人は利害が抵触しないなら無視しておいてもまず問題にならないでしょう。
普通、ヒット商品を開発することが誰かの利益を害することは稀でしょう。
ただ、賛成する人が少数なら市場に乗りにくいので、市場に乗りやすくするために、幅を広げたり抵抗を和らげるために、反対意見の反対の理由を参考にするのだと思います。
「こんな企画どうですか?」「こんな商品あったらどうですか?」
と聞いて、100人に10人もいいと思う人がいれば、その企画はまずモノになると思います。
創作の場でまで多数決や全会一致の習慣に毒されていると思うことがあります。
そもそも、どんなものだって、100万国内で売れたら大ヒットですが、裏を返せば、大ヒット商品のほとんどは、100人中、99人以上が買うにいたってないわけです。
国内販売個数10万でも、たいていのものはヒットですから、1000人のうち、950人以上に、「そんなもの必要ないし、俺はいらないし、買わない」って言われても、ほとんどの既存のヒット商品は50人にも賛成されないようなもんだから、気にする必要なんかないと思います。
また、よく「空気を読む」とかいいますが、多くの場面で「創作性」や「志」を萎えさせるものだとも思う。
読むのはいいいんです。
ただ、必要だと思うときに、「読んでおいて破る」ことが大事だと思います。
読まずに破る方がいいときもあるかもしれませんが、抵抗にあったり協力をもらえずに、頓挫したのでは、せっかくのアイディアも志もダメになって、それを見て後に続こうとする者を萎えさせるかもしれません。
だから、やっぱり、アイディアや志を持つ人は上手にやった方がよいと思います。
すると、空気ってのは「上手に破るために読むもの」なのかもしれません。
Posted by たみ家 at
06:54
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マイ箸初めて見ました
2008年03月20日
昨日、初めてうちの店で、マイ箸してるお客さんを見ました。
金髪で長身の、テネシー州ナッシュビルから来られた公立中学校の英語教員の男性でした。
箸箱でなく、巾着状の箸袋に入れてました。
特に、箸にはコメントしませんでしたが
今年の3月で、教員をやめ、テネシーにも帰らず、どういうわけか、徳島県の山の奥深くで暮らすことにするらしい。
たみ家の中で、このことへの感じ方はあるんだけど、あえて書きません。
ただ、長く書いてきたテーマの中で、「マイ箸利用を見たことない」と書いてたので、「見ました」と事実を淡々と。
一人目が日本人でなかった。。。。
この方に、大阪から来られた方のお土産のうまい棒豚キムチ味を3本プレゼントしました。
たみ家は、お客さんや知り合いから食べ物をたくさんもらうと、その場で開けて、お客さんに配っていることが多い。
自分でも1、2割は食べますが、そうしないと食べ過ぎてしまうので。
金髪で長身の、テネシー州ナッシュビルから来られた公立中学校の英語教員の男性でした。
箸箱でなく、巾着状の箸袋に入れてました。
特に、箸にはコメントしませんでしたが
今年の3月で、教員をやめ、テネシーにも帰らず、どういうわけか、徳島県の山の奥深くで暮らすことにするらしい。
たみ家の中で、このことへの感じ方はあるんだけど、あえて書きません。
ただ、長く書いてきたテーマの中で、「マイ箸利用を見たことない」と書いてたので、「見ました」と事実を淡々と。
一人目が日本人でなかった。。。。
この方に、大阪から来られた方のお土産のうまい棒豚キムチ味を3本プレゼントしました。
たみ家は、お客さんや知り合いから食べ物をたくさんもらうと、その場で開けて、お客さんに配っていることが多い。
自分でも1、2割は食べますが、そうしないと食べ過ぎてしまうので。
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23:42
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女性とオフィスの椅子・机
2008年03月20日
オフィスの机って、なぜかどの机も同じ高さじゃないですか?
これは改善すべき問題点だと思ってます。
身長185cm~150cmぐらいまでは普通にどの会社でもいます。
これを椅子の高さで調節するとどうなるか、椅子の規格はどれも同じで、高さが調節できるだけです。
すると、一般的に背の高くない女性は背もたれが使えないほど浅く腰かけることになるので、姿勢が安定しません。
また、前に座ると、おしりでなく、太ももの裏側に体重をかけて椅子の座る面の前側に食い込ませて座ることになります。
これは、正座をしてると血行が悪くなって、しびれるのと同じような症状を女性にもたらします。
足を浮かして座るとか、つま先だけつけてかかとを浮かして座るのは健康に良くないんです。
特に冷房と合わせて、下半身の血行を悪くし、日々の姿勢の蓄積となれば大きな問題ではないかとにらんでます。
じゃあ、足が床にぺったりつくほど椅子を低くすれば、身長150cmぐらいの方は腕をかなり高く上げて字を書いたり、キーを叩くことにならないでしょうか?
女性専用外来診療がやっと今頃になって普及してきたように、こういうことが放っておかれている状態ってのはむしろ異常だと思います。
たみ家はこのことを7、8年前から指摘していました。
たみ家も実感はあまりありませんが、女性が「冷える」とか「むくむ」ってのは、男性にはほんとわからんのです。
わかろうわかろうと頭で持っていこうとしないとたぶん無理だと思います。
机と椅子の規格は、たいてい同じ会社でどんな体格の人でも同じで、椅子の高さだけ調節してますが、ほんとはおかしいんです。
簡単な解決方法として暫定的には、足の下に台を置くしか、たみ家には案がありません。
ほんとは机の高さが隣と変わってもいいと思うけどなあ。
たとえば、机をいくつも隣り合わせている配置のオフィスなどでは、物が落ちたり不便が出ると思うけど、ほんとうは健康の方が大事なんだと思う。
その健康問題は企業が収益を上げる機会として従業員は直面するわけだから、利益を得る者には問題を解決する責任があるわけです。
ただ、今のとこ社会通念としてそういう主張も通りそうにないので、自分で身を守るしかないのかなあと思います。
そこで、来客が少ないまたは来客から足元が見えない席にいらっしゃる方は、足元に、「月間少年ジャンプ」のような900Pほどもある雑誌を置いて、そこに足を乗せておくといいと思います。
夏なら靴を脱ぐのもいいと思います。
最初はかっこ悪いとか抵抗があるので、みのもんたさんの番組ででも紹介してくれたら社会通念変わって、やりやすくなるのに。
高さが充分にあるし、安いし、捨てようと思えば捨てられるし、紙だから柔らかいし吸湿性があるし、ページ毎に空気の層があるので、ごっつうクッション性がいいんです。
お金で買うどんな台でも「月間少年ジャンプ」や「同チャンピョン」などにはかなわないと思います。
ついでの地名シリーズ
神功皇后が成敗した牛窓の牛鬼と五色台根来寺の牛鬼はまったく別者でした。
牛窓の牛鬼は応神天皇より前だけど、根来寺のは400年ほど前に弓の名手の山田クンにやっつけられてます。
で、牛窓の地名の由来の説が傑作でして、神功皇后が朝鮮に行く途中でやっつけられて、成仏できず帰りにもまた襲ってます。
で、帰りに皇后軍のエライサンに角をつかまれて投げられて、牛鬼転んだらしい。
で、そこらの方言で、転ぶのことを「まろぶ」といい。
「うしまろぶ」がなまって、「うしまど」になったと。
かっこ悪すぎ、リベンジでこの様ですか。。。というより、成仏できず霊になってまで転ぶかなあ。
転んだ霊って、たみ家の見聞が狭いだけか、前代未聞と言いたいです。
次なる説に、備讃瀬戸は瀬戸大橋ができたぐらいだから海が狭いので、潮も速く潮待ちの港が必要でした。
潮待ちのために出入りする港だから、「うしおのまど」から「うしまど」説も弱いながら紹介されてました。
潮から牛とは。。。意表を突かれました。
それにしても、牛鬼って、西日本にばっかり伝説残ってるらしい。
海賊か山賊だと思うんですが、頻繁には人しか人を襲わんと思う。
熊なら熊ってはっきり書かれると思うし、猪が襲うこともあると思うけど、海を行軍する軍を襲うとは。。。
なんでも、神功皇后の時代は東アジア全体の気候が冷涼化してて、凶作が多かったらしく、日本列島の情勢が安定せずに山賊や海賊が横行したらしい。
それで、海賊征伐や山賊征伐のために朝廷から出向いての行軍はあったという有識者もいるようで、田村神社の祭神も、その辺とちょっと関係があるようです。
孝霊天皇の娘さんで、桃太郎のモデルかといわれる吉備津彦の姉らしい。
桃太郎伝説もそのあたりの時代の海賊征伐で、海賊は岡山側にも出没してただろうし、征伐軍には瀬戸内沿岸の各地から人を集めただろうから、桃太郎伝説の地はいくつもあるってことだろうし、海賊征伐も一回だけですまず局地戦がたくさんあったんだと思う。
海峡が狭いから潮も速く海賊が活躍しやすかった、まさにその側に瀬戸大橋ができ、海賊退治の桃太郎伝説があるのは納得です。
情勢が安定してなかったので、このころ、大和朝廷の支配下に入ってない国にも何度も交渉や征伐のために出向いてるので、このあたりで、いろんな神話が生まれているような。
気候が冷涼化すると、世界中で、飢饉が起きたりして、暴動や政権の不安定が起こり、世が乱れて、革命につながったり新しい宗教が生まれたりは、やけに普遍的ですね。
オーストラリア干ばつやエネルギー不足から、政権に不満が向いたり、国際関係が緊張するって、今でもありますね。
これは冷涼ではないけど、気候は大事ですねえ。
これは改善すべき問題点だと思ってます。
身長185cm~150cmぐらいまでは普通にどの会社でもいます。
これを椅子の高さで調節するとどうなるか、椅子の規格はどれも同じで、高さが調節できるだけです。
すると、一般的に背の高くない女性は背もたれが使えないほど浅く腰かけることになるので、姿勢が安定しません。
また、前に座ると、おしりでなく、太ももの裏側に体重をかけて椅子の座る面の前側に食い込ませて座ることになります。
これは、正座をしてると血行が悪くなって、しびれるのと同じような症状を女性にもたらします。
足を浮かして座るとか、つま先だけつけてかかとを浮かして座るのは健康に良くないんです。
特に冷房と合わせて、下半身の血行を悪くし、日々の姿勢の蓄積となれば大きな問題ではないかとにらんでます。
じゃあ、足が床にぺったりつくほど椅子を低くすれば、身長150cmぐらいの方は腕をかなり高く上げて字を書いたり、キーを叩くことにならないでしょうか?
女性専用外来診療がやっと今頃になって普及してきたように、こういうことが放っておかれている状態ってのはむしろ異常だと思います。
たみ家はこのことを7、8年前から指摘していました。
たみ家も実感はあまりありませんが、女性が「冷える」とか「むくむ」ってのは、男性にはほんとわからんのです。
わかろうわかろうと頭で持っていこうとしないとたぶん無理だと思います。
机と椅子の規格は、たいてい同じ会社でどんな体格の人でも同じで、椅子の高さだけ調節してますが、ほんとはおかしいんです。
簡単な解決方法として暫定的には、足の下に台を置くしか、たみ家には案がありません。
ほんとは机の高さが隣と変わってもいいと思うけどなあ。
たとえば、机をいくつも隣り合わせている配置のオフィスなどでは、物が落ちたり不便が出ると思うけど、ほんとうは健康の方が大事なんだと思う。
その健康問題は企業が収益を上げる機会として従業員は直面するわけだから、利益を得る者には問題を解決する責任があるわけです。
ただ、今のとこ社会通念としてそういう主張も通りそうにないので、自分で身を守るしかないのかなあと思います。
そこで、来客が少ないまたは来客から足元が見えない席にいらっしゃる方は、足元に、「月間少年ジャンプ」のような900Pほどもある雑誌を置いて、そこに足を乗せておくといいと思います。
夏なら靴を脱ぐのもいいと思います。
最初はかっこ悪いとか抵抗があるので、みのもんたさんの番組ででも紹介してくれたら社会通念変わって、やりやすくなるのに。
高さが充分にあるし、安いし、捨てようと思えば捨てられるし、紙だから柔らかいし吸湿性があるし、ページ毎に空気の層があるので、ごっつうクッション性がいいんです。
お金で買うどんな台でも「月間少年ジャンプ」や「同チャンピョン」などにはかなわないと思います。
ついでの地名シリーズ
神功皇后が成敗した牛窓の牛鬼と五色台根来寺の牛鬼はまったく別者でした。
牛窓の牛鬼は応神天皇より前だけど、根来寺のは400年ほど前に弓の名手の山田クンにやっつけられてます。
で、牛窓の地名の由来の説が傑作でして、神功皇后が朝鮮に行く途中でやっつけられて、成仏できず帰りにもまた襲ってます。
で、帰りに皇后軍のエライサンに角をつかまれて投げられて、牛鬼転んだらしい。
で、そこらの方言で、転ぶのことを「まろぶ」といい。
「うしまろぶ」がなまって、「うしまど」になったと。
かっこ悪すぎ、リベンジでこの様ですか。。。というより、成仏できず霊になってまで転ぶかなあ。
転んだ霊って、たみ家の見聞が狭いだけか、前代未聞と言いたいです。
次なる説に、備讃瀬戸は瀬戸大橋ができたぐらいだから海が狭いので、潮も速く潮待ちの港が必要でした。
潮待ちのために出入りする港だから、「うしおのまど」から「うしまど」説も弱いながら紹介されてました。
潮から牛とは。。。意表を突かれました。
それにしても、牛鬼って、西日本にばっかり伝説残ってるらしい。
海賊か山賊だと思うんですが、頻繁には人しか人を襲わんと思う。
熊なら熊ってはっきり書かれると思うし、猪が襲うこともあると思うけど、海を行軍する軍を襲うとは。。。
なんでも、神功皇后の時代は東アジア全体の気候が冷涼化してて、凶作が多かったらしく、日本列島の情勢が安定せずに山賊や海賊が横行したらしい。
それで、海賊征伐や山賊征伐のために朝廷から出向いての行軍はあったという有識者もいるようで、田村神社の祭神も、その辺とちょっと関係があるようです。
孝霊天皇の娘さんで、桃太郎のモデルかといわれる吉備津彦の姉らしい。
桃太郎伝説もそのあたりの時代の海賊征伐で、海賊は岡山側にも出没してただろうし、征伐軍には瀬戸内沿岸の各地から人を集めただろうから、桃太郎伝説の地はいくつもあるってことだろうし、海賊征伐も一回だけですまず局地戦がたくさんあったんだと思う。
海峡が狭いから潮も速く海賊が活躍しやすかった、まさにその側に瀬戸大橋ができ、海賊退治の桃太郎伝説があるのは納得です。
情勢が安定してなかったので、このころ、大和朝廷の支配下に入ってない国にも何度も交渉や征伐のために出向いてるので、このあたりで、いろんな神話が生まれているような。
気候が冷涼化すると、世界中で、飢饉が起きたりして、暴動や政権の不安定が起こり、世が乱れて、革命につながったり新しい宗教が生まれたりは、やけに普遍的ですね。
オーストラリア干ばつやエネルギー不足から、政権に不満が向いたり、国際関係が緊張するって、今でもありますね。
これは冷涼ではないけど、気候は大事ですねえ。
Posted by たみ家 at
21:38
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女性の立ち食いそば観
2008年03月20日
女性専用の飲食店や女性が一人でも楽しめる夜の街についていろいろ考えたり、知り合いや女性客の方々に意見を聞いてるとこです。
4人聞いた段階で、遊べるとこがあるなら女性はもっと夜遊びに出たい願望があると確信しました。
お酒がまったく飲めない人でさえ、その願望はわかると。
また、女性は男性とトイレの行き帰りですれ違うだけでも嫌だろうというのは聞いた全員の女性に同意されました。
その中の一人に、北浜のUMIEに行けば、そこにはきっとヒントがあると言われました。
女性が夜の街で遊べないのはデッドデマンドとしてデカイし、女性が夜気軽に遊びに出やすくなって、女性が街に多くなるとやっぱり街は魅力的になって、高松の街に活気が出ると思うよ。
そんなら、命の半分ぐらいかける値打ちあるやないか!
もう、企業も交際費落として、役所の接待やタクシーチケットも出ず、飲酒の車の取り締まりも厳しくなって、高齢化して、人口も減りつつある。
既存客を取り戻す切り口で考えるのも一つだけど、それだけではたぶんいかんと思う。
よく、女性が来る店は男性も来るって言うじゃない。
そこへいくと、女性が来る街には男性も来るって言えるやろ!
もう、アンケートつくって、近所の会社や中央通や商店街で3万枚ぐらい女性に配ってみるか!
印刷代またはコピー代と紙代で、20万円以内でできるなあ。
そしたら、「何かできるんかな?」っていう事前広告の意味や、自分も開店にあたって意見を出したという参加意識や当事者意識で、やったらヒットするかもね。
そこへいくと、たみ家は、カネもチカラも色もノウハウも無かりけりで、ヘレンケラーの三重苦どころじゃありません。
歌もダメなのに、歩く重苦ボックスとか。。。(言われてません。)
さて、2月13日発行の日経流通新聞の一面に、立ち食いそばに関する特集があり、立ち食いそばに関する都内で働く男女へのアンケート結果がありました。
女性は店の清潔感と店員の態度を重視する人が18.2%に対し、男性では4.6%
で、立ち食いそばを利用しない理由の男女差が大きいんです。
理由の堂々1位、女性の49.5%が男性客が多くて入りづらいで、当然男性側にそんな理由はありません。
あと、18.8%の女性が食べているところを見られると恥ずかしいで、これも男性にはない上位理由です。
飲食店に求めているものや不快に思うものは男性と女性では、まったく違うものが多い。
だから、サービス業として、女性専用のものがどんどんできることには合理的な理由があり、それが世の中を良くすると言えそうに思う。
もう、女性専用をつくるのにそれ以上の理由なんかいらないでしょう。
あとは市場性や経営・ノウハウの問題でしょうか?
ときどき、「女性専用」と「女性が一人でも行ける」は関係がなくて混同してるんじゃないかという指摘がなされますが、たみ家は「=」でないけど、「≒」に準ずるぐらいには考えてます。
女性専用でないと女性が一人で行けないとは限らないが、女性専用なら女性が一人で行きやすいのは間違いなさそうに思うし、それも決め手に近いとさえ思うんですが、どうでしょうか?
4人聞いた段階で、遊べるとこがあるなら女性はもっと夜遊びに出たい願望があると確信しました。
お酒がまったく飲めない人でさえ、その願望はわかると。
また、女性は男性とトイレの行き帰りですれ違うだけでも嫌だろうというのは聞いた全員の女性に同意されました。
その中の一人に、北浜のUMIEに行けば、そこにはきっとヒントがあると言われました。
女性が夜の街で遊べないのはデッドデマンドとしてデカイし、女性が夜気軽に遊びに出やすくなって、女性が街に多くなるとやっぱり街は魅力的になって、高松の街に活気が出ると思うよ。
そんなら、命の半分ぐらいかける値打ちあるやないか!
もう、企業も交際費落として、役所の接待やタクシーチケットも出ず、飲酒の車の取り締まりも厳しくなって、高齢化して、人口も減りつつある。
既存客を取り戻す切り口で考えるのも一つだけど、それだけではたぶんいかんと思う。
よく、女性が来る店は男性も来るって言うじゃない。
そこへいくと、女性が来る街には男性も来るって言えるやろ!
もう、アンケートつくって、近所の会社や中央通や商店街で3万枚ぐらい女性に配ってみるか!
印刷代またはコピー代と紙代で、20万円以内でできるなあ。
そしたら、「何かできるんかな?」っていう事前広告の意味や、自分も開店にあたって意見を出したという参加意識や当事者意識で、やったらヒットするかもね。
そこへいくと、たみ家は、カネもチカラも色もノウハウも無かりけりで、ヘレンケラーの三重苦どころじゃありません。
歌もダメなのに、歩く重苦ボックスとか。。。(言われてません。)
さて、2月13日発行の日経流通新聞の一面に、立ち食いそばに関する特集があり、立ち食いそばに関する都内で働く男女へのアンケート結果がありました。
女性は店の清潔感と店員の態度を重視する人が18.2%に対し、男性では4.6%
で、立ち食いそばを利用しない理由の男女差が大きいんです。
理由の堂々1位、女性の49.5%が男性客が多くて入りづらいで、当然男性側にそんな理由はありません。
あと、18.8%の女性が食べているところを見られると恥ずかしいで、これも男性にはない上位理由です。
飲食店に求めているものや不快に思うものは男性と女性では、まったく違うものが多い。
だから、サービス業として、女性専用のものがどんどんできることには合理的な理由があり、それが世の中を良くすると言えそうに思う。
もう、女性専用をつくるのにそれ以上の理由なんかいらないでしょう。
あとは市場性や経営・ノウハウの問題でしょうか?
ときどき、「女性専用」と「女性が一人でも行ける」は関係がなくて混同してるんじゃないかという指摘がなされますが、たみ家は「=」でないけど、「≒」に準ずるぐらいには考えてます。
女性専用でないと女性が一人で行けないとは限らないが、女性専用なら女性が一人で行きやすいのは間違いなさそうに思うし、それも決め手に近いとさえ思うんですが、どうでしょうか?
Posted by たみ家 at
10:30
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たみ家の好きな憲法
2008年03月18日
たみ家は、まちづくりとか人や社会を考えるときにいくつかの原則を頼りにしていることが多い。
その中のひとつに、日本国憲法があります。
以下、大くくりの理解です。
「根でこういうことを思ってるから、枝葉の具体的な話でこういうことを書いてる」と普段書くことの背景をわかっていただきたいという意味で書いてます。
憲法はいわゆる、国会が制定する法律でなく、国の構造そのものを表したもので、主権者が国をこういう組織にしていきましょうというもので、英語でもそれっぽくコンスティチューションとかいいます。
本則が99条までありますが、41条からいわゆる三権、「国会」、「内閣」、「裁判所」と続いて、お金の出し入れの「財政」、地域のこと「地方自治」、「改正」手続きと続いて、最後で念押しの「最高法規」をうたってます。
なぜか国の組織を表したものですが、1~8条が「天皇」、9条が「戦争の放棄」、10~40条が「基本的人権」です。
ここらに、戦争の反省とアメリカの意向が見えます。
国の構造の根本を表したものだけど、国よりも先に人ありきで、国でもこれだけの人権は侵せないよ。
とわざわざ先に、書いて念押しして、特に、民主化に問題があるとアメリカがみなしていた天皇と軍のあり方をさらに強調して前に持ってきたと思われます。
憲法は国の組織を表すものなのに、「天皇」、「戦争の放棄」、「基本的人権」が国権の最高機関である「国会」の前に来てます。
で、13条に、国民の幸福追求の権利は尊重されると書いてます。
幸福の権利でなく、幸福「追求」の権利なのがミソで、幸せは国じゃなく、自分で決めるもので、自助努力が必要なんだと言ってます。
で、14条で、幸福追求の機会は平等に保障されるべきと書いて、これは基本的には国が差別してはいけないという趣旨で、長らく企業の採用の差別なんかは、よろしくはないが14条の問題でなく、会社が欲しい人を選ぶのは自由だという考えが強かった。
ところが、会社など民間の大枠のあり方が差別的であれば、直接国が差別しなくても実質的な社会の平等は成し遂げられないということで、いろいろ個別に法律がどんどんできて、採用の差別的な取扱を禁じるなどしています。
みなが幸福を追求した結果、残念ながらうまくいかなかった人も出てくる。
そこで、25条で、最低限の生活は国が保障しましょうというのがあって、朝日訴訟で、「こんな生活最低以下だ。」と争いましたが、憲法25条は直接保障するものでなく、国のあり方を訓示したもので、個別に法律や予算措置がされてはじめてそれを通じて最低うんぬんが争えると判断されました。
まあ、無い袖は振れないこともあるでしょうし。
戦後は、教育委員会と公安委員会というのができましたし、警察は市町村警察になり、高松市警察とかしばらくありました。
アメリカの意向や戦前の反省から教育や警察のような人の思想を育てたり、思想や表現をしばったりするとこは党派的なものから独立しなければならないと考えられたのでしょう。
ところが、世界中で共産主義が広がっていく中で、地方自治での共産政権の広がりを食い止めようとか、関係者を取り締まらなければということで、またもアメリカの意向で、教育委員の公選が廃止になり、市町村警察では力不足で統制も利かないということで、県警察になりました。
今でも、知事や市町村長部局から教育委員会とか公安委員会が一定の独立をしているのはそういうわけがありますが、最近は、民主的うんぬんよりも貴重な財源を効率的に連携して使いましょうとか、グローバリズムや犯罪のハイテク化などで大きく複雑になった問題に対処しなければということで、独立よりも連携を重視してる観もなきにしもあらずでしょうか?
もともと教育・研究機関である博物館や美術館と観光や文化的生活の関係なども一つでしょう。
おまけに、建国記念「の」日ってありますが、神武歴をもとにした祝日は民主化の妨げになるとアメリカが廃止させたのでなくなりました。
でも、建国記念日のようなものがあってもいいのではないかという声もありました。
記念日は基本的に事実があった日で、憲法記念日は憲法が施行されたという事実があります。
普通「結婚記念日」など記念日は事実があった日をいうと思う。
が、日本の建国はいつかっていうと、難しい。
で、自民党が2月11日を建国記念日にしようと何度も法案を提出しましたが、社会党を中心とした野党が戦前への保守反動だと反対しまくり、法案提出、廃案が、数え切れないほど繰り返され、「2月11日に建国の事実の根拠はない、記念日だと事実がいるけど、じゃあ、国を思う日として『記念の日』なら、いいだろう。事実はともかく記念日でなく、記念する日だ。これなら反対の理由もなかろう」とひねり技を加えてきました。
こういうわけで、他の祝日と違って、「建国記念の日」だけ別に法律がつくられてます。
よく「建国記念日」と間違って「の」を飛ばしておっしゃる方がいらっしゃいますが、「記念日」と「記念の日」では意味が正反対ほど違うともいえます。
地域のことや歴史や国際的なわが国の立場とかを考えて、何かをしようとするときにこの辺の理解は関係してくるような気がしてます。
その中のひとつに、日本国憲法があります。
以下、大くくりの理解です。
「根でこういうことを思ってるから、枝葉の具体的な話でこういうことを書いてる」と普段書くことの背景をわかっていただきたいという意味で書いてます。
憲法はいわゆる、国会が制定する法律でなく、国の構造そのものを表したもので、主権者が国をこういう組織にしていきましょうというもので、英語でもそれっぽくコンスティチューションとかいいます。
本則が99条までありますが、41条からいわゆる三権、「国会」、「内閣」、「裁判所」と続いて、お金の出し入れの「財政」、地域のこと「地方自治」、「改正」手続きと続いて、最後で念押しの「最高法規」をうたってます。
なぜか国の組織を表したものですが、1~8条が「天皇」、9条が「戦争の放棄」、10~40条が「基本的人権」です。
ここらに、戦争の反省とアメリカの意向が見えます。
国の構造の根本を表したものだけど、国よりも先に人ありきで、国でもこれだけの人権は侵せないよ。
とわざわざ先に、書いて念押しして、特に、民主化に問題があるとアメリカがみなしていた天皇と軍のあり方をさらに強調して前に持ってきたと思われます。
憲法は国の組織を表すものなのに、「天皇」、「戦争の放棄」、「基本的人権」が国権の最高機関である「国会」の前に来てます。
で、13条に、国民の幸福追求の権利は尊重されると書いてます。
幸福の権利でなく、幸福「追求」の権利なのがミソで、幸せは国じゃなく、自分で決めるもので、自助努力が必要なんだと言ってます。
で、14条で、幸福追求の機会は平等に保障されるべきと書いて、これは基本的には国が差別してはいけないという趣旨で、長らく企業の採用の差別なんかは、よろしくはないが14条の問題でなく、会社が欲しい人を選ぶのは自由だという考えが強かった。
ところが、会社など民間の大枠のあり方が差別的であれば、直接国が差別しなくても実質的な社会の平等は成し遂げられないということで、いろいろ個別に法律がどんどんできて、採用の差別的な取扱を禁じるなどしています。
みなが幸福を追求した結果、残念ながらうまくいかなかった人も出てくる。
そこで、25条で、最低限の生活は国が保障しましょうというのがあって、朝日訴訟で、「こんな生活最低以下だ。」と争いましたが、憲法25条は直接保障するものでなく、国のあり方を訓示したもので、個別に法律や予算措置がされてはじめてそれを通じて最低うんぬんが争えると判断されました。
まあ、無い袖は振れないこともあるでしょうし。
戦後は、教育委員会と公安委員会というのができましたし、警察は市町村警察になり、高松市警察とかしばらくありました。
アメリカの意向や戦前の反省から教育や警察のような人の思想を育てたり、思想や表現をしばったりするとこは党派的なものから独立しなければならないと考えられたのでしょう。
ところが、世界中で共産主義が広がっていく中で、地方自治での共産政権の広がりを食い止めようとか、関係者を取り締まらなければということで、またもアメリカの意向で、教育委員の公選が廃止になり、市町村警察では力不足で統制も利かないということで、県警察になりました。
今でも、知事や市町村長部局から教育委員会とか公安委員会が一定の独立をしているのはそういうわけがありますが、最近は、民主的うんぬんよりも貴重な財源を効率的に連携して使いましょうとか、グローバリズムや犯罪のハイテク化などで大きく複雑になった問題に対処しなければということで、独立よりも連携を重視してる観もなきにしもあらずでしょうか?
もともと教育・研究機関である博物館や美術館と観光や文化的生活の関係なども一つでしょう。
おまけに、建国記念「の」日ってありますが、神武歴をもとにした祝日は民主化の妨げになるとアメリカが廃止させたのでなくなりました。
でも、建国記念日のようなものがあってもいいのではないかという声もありました。
記念日は基本的に事実があった日で、憲法記念日は憲法が施行されたという事実があります。
普通「結婚記念日」など記念日は事実があった日をいうと思う。
が、日本の建国はいつかっていうと、難しい。
で、自民党が2月11日を建国記念日にしようと何度も法案を提出しましたが、社会党を中心とした野党が戦前への保守反動だと反対しまくり、法案提出、廃案が、数え切れないほど繰り返され、「2月11日に建国の事実の根拠はない、記念日だと事実がいるけど、じゃあ、国を思う日として『記念の日』なら、いいだろう。事実はともかく記念日でなく、記念する日だ。これなら反対の理由もなかろう」とひねり技を加えてきました。
こういうわけで、他の祝日と違って、「建国記念の日」だけ別に法律がつくられてます。
よく「建国記念日」と間違って「の」を飛ばしておっしゃる方がいらっしゃいますが、「記念日」と「記念の日」では意味が正反対ほど違うともいえます。
地域のことや歴史や国際的なわが国の立場とかを考えて、何かをしようとするときにこの辺の理解は関係してくるような気がしてます。
Posted by たみ家 at
08:03
│Comments(2)
やっぱ地名はおもろいなあ。
2008年03月16日
どうも、番町は武家屋敷がどんどん増え、住宅地だから材木町とか鍛冶屋町みたいな特長がなく、えいや!とばかりに一番丁から十番丁まで順次つくっていったみたいで、その中で、後に他の町にならずに残ったとこが、番町のようですねえ。
仏生山のマルナカや南法務局のあたりを出作町とかいうし、観音寺市の国道11号沿いにも同名の町があります。
昔、他の領主の田んぼに耕作に行くことを「出作」といったらしい、「出稼ぎ」の「出」みたいなものでしょうか?
じゃあ、出作町の人は手伝ったのか、手伝われたのか?
う~ん、調べるほどにナゾが増える。
一見、関係なさそうですが、パソコンが普及したら紙が減ると言われましたが増えました。
英語の翻訳機の高性能のものが安価に普及したら英語の勉強の必要がなくなるとかいう人がいますが、逆でしょう。
調べれば調べるほど、ナゾは増える。
情報が増えれば増えるほど、紙が増える。
翻訳機が普及して、英語に触れれば触れるほど英語の勉強の必要性は増大するでしょうね。
地名に戻りますが
三条町とか六条町とかはいかにも条里制の名残ですが、律令制の実施の中のことだから、1300年以上前ですごく古い。
で、前にも書きましたが、六条は山田郡の六条で、三条は香川郡の三条だそうです。
郡単位の実施で、基準は古代の街道、南海道だそうです。
東から西に向かって、一条、二条、南から北へ一里、二里とやったそうです。
で、土地の区画の単位が六町四方が里で、それを細分したのが一町四方の坪だそうです。
で、坪の中で、耕作面積が少ないところで、八反地とか六反地とか言われるようになったそうです。
確かに、林町とか、春日町とか、地名標識やお店の名前に、八反地とかありますね。
小字レベルだと、坪とか反地とかいっぱいあるみたいです。
で、鹿角町の鹿は水を掘り当てたという言い伝えからだそうですが
鹿が神の使いと考えられていたそうですが、水と鹿が関わる伝説っていくつかあるそうで、それらの伝説があるのはそろって砂礫地で保水力のない土壌のとこらしい。
つまり、鹿を地名につけるとこは、水不足で、水を渇望していた可能性が高い。
となると、讃岐では、鹿と聞いただけで、谷が開けたとこから大粒の砂礫がどんどん流れてくる扇状地で、傾斜もきつく、水はけの良い場所とか一発で推理する手がかりにはなるかもしれませんね。
あと、岩波古語辞典によりますと、池は「生け」の意味で、魚とかを活かしておくところだそうです。
「いけす」みたいですね。
って、ことは池には、人が利用しているってことがすでに含意されてるわけですかねえ。
仏生山のマルナカや南法務局のあたりを出作町とかいうし、観音寺市の国道11号沿いにも同名の町があります。
昔、他の領主の田んぼに耕作に行くことを「出作」といったらしい、「出稼ぎ」の「出」みたいなものでしょうか?
じゃあ、出作町の人は手伝ったのか、手伝われたのか?
う~ん、調べるほどにナゾが増える。
一見、関係なさそうですが、パソコンが普及したら紙が減ると言われましたが増えました。
英語の翻訳機の高性能のものが安価に普及したら英語の勉強の必要がなくなるとかいう人がいますが、逆でしょう。
調べれば調べるほど、ナゾは増える。
情報が増えれば増えるほど、紙が増える。
翻訳機が普及して、英語に触れれば触れるほど英語の勉強の必要性は増大するでしょうね。
地名に戻りますが
三条町とか六条町とかはいかにも条里制の名残ですが、律令制の実施の中のことだから、1300年以上前ですごく古い。
で、前にも書きましたが、六条は山田郡の六条で、三条は香川郡の三条だそうです。
郡単位の実施で、基準は古代の街道、南海道だそうです。
東から西に向かって、一条、二条、南から北へ一里、二里とやったそうです。
で、土地の区画の単位が六町四方が里で、それを細分したのが一町四方の坪だそうです。
で、坪の中で、耕作面積が少ないところで、八反地とか六反地とか言われるようになったそうです。
確かに、林町とか、春日町とか、地名標識やお店の名前に、八反地とかありますね。
小字レベルだと、坪とか反地とかいっぱいあるみたいです。
で、鹿角町の鹿は水を掘り当てたという言い伝えからだそうですが
鹿が神の使いと考えられていたそうですが、水と鹿が関わる伝説っていくつかあるそうで、それらの伝説があるのはそろって砂礫地で保水力のない土壌のとこらしい。
つまり、鹿を地名につけるとこは、水不足で、水を渇望していた可能性が高い。
となると、讃岐では、鹿と聞いただけで、谷が開けたとこから大粒の砂礫がどんどん流れてくる扇状地で、傾斜もきつく、水はけの良い場所とか一発で推理する手がかりにはなるかもしれませんね。
あと、岩波古語辞典によりますと、池は「生け」の意味で、魚とかを活かしておくところだそうです。
「いけす」みたいですね。
って、ことは池には、人が利用しているってことがすでに含意されてるわけですかねえ。
Posted by たみ家 at
17:36
│Comments(0)
折られたのは何か?
2008年03月16日
たみ家は、函館で女性専用パスタがオープンした頃はちょうど、自店のオープンに近い時期だったので、情報不足でした。
最初は盛況だったけど、「公共の場での性差別だ」などの批判を受けて、女性専用を止めたらしいですね。
たみ家には、これを性差別だという人の気持ちがわからない。
憲法や条例については、専門家に準ずる理解はしている(というより、広義にはベテランの専門家か)つもりですが。
良いものをつくろうとして対象をしぼるのは、差別じゃないよ。
プラチナカードは、収入による差別か?
女子高や女子大はアウトか?
お茶の水女子大とか奈良女子大とか、国立で大金を使って公教育の場をつくって男子学生を排除してるが、あれは違憲ですか?
女性専用のフィットネスクラブは、一つのチェーンだけでもう高松に6店あるそうです。飲食店が差別だという人は、フィットネスも差別だとおっしゃるのか?
女性専用のエステもありますが、これもどうなのか?
わたくしは男性ですが、女性にとって、男性は常に潜在的な脅威だと思います。
しかし、共存して、協力していくものです。
たとえば、夜、静かな道で、女性が残業から一人で帰って歩いているとします。
そこにたまたま、後ろから足音がついてくる。
公道だから、誰がどの距離で歩いていても何の落ち度もないし、どうしようもない。
だけど、女性にとってはこわいはずです。
男でも怖いですが。
たぶん、女性なら、後ろから自転車が接近してくる音がするだけでもこわいはずです。
性風俗とかキャバクラの類があれだけあるってことは、ジャックラカンではないですが、「男性は本質的に女性を希求する」んでしょうね。
これらなんか、男性専用って書いてなくても男性専用で、たぶん、女性一人で来ると、一回は断られると思います。
男性が女性をそれだけお金を出してでも求めるってことは、女性はやっぱり狙われる動機は常にあるわけです。
女性が口に出していうかはともかく、やっぱり女性にとっては、男性は常に潜在的な恐怖の対象だとは思います。
たぶん、女性は男性がいるところでは常に絶対的な意味でのくつろぎは妨げられていると思います。
じゃあ、女性専用の道路とか階段とかつくれとかいっても無理な話で、現実の社会活動の中で、調和が図られるのは当然のことだと思います。
街のいろんなとこで、男性を締め出すわけにもいかないでしょうが、サービス業の中で、女性が男性の目や存在から解放される場所ってのは、いろいろあっても良いと思います。
うちのお客さんも、中央通沿いで働いてる方は、お洒落だなあと思いますが、これだけ毎日キメて来るんだから、相当、男性を中心とした人々の視線から緊張を強いられていることは想像に難くありません。
女性専用パスタは、批判が爆発したから、止めざるを得なくなったのか?
人気が続かなかったのかはよくわかりません。
ただ、フィットネスが短期間で増えているあたりは、アスリートよりも気軽な美容や健康を求めての女性ならではの需要があったのだと思う。
高松に6店舗を持つカーブスさんは、営業を19:00で終えて、日曜日は休みにできてるそうです。
これらも、女性独自に絞れたから、小さな設備で、コンパクトな営業が可能になったのだと思う。
飲食店でも、女性専用に絞ることで、新しいサービスができたり、コンパクトで無駄の無い在庫管理や人事管理などが可能になる可能性は大いにあると思う。
こういうお客さんの需要や経営サイドの事情を「性差別」だと批判して妨害するのは、困った人だと思う。
たみ家は、女性専用パスタが折れてしまったことについては、
いろいろな方の意見を聞いてみて、変わっていくかもしれませんが、現時点では
一パスタ店じゃなく、社会の中の「創意」や「寛容さ」や「誠実さ」や「思いやり」が折られたのだと感じています。
ついでの地名シリーズ
王越の王は、三韓遠征のときの、神功皇后との関係でした。
で、根来寺に牛鬼がいたように思いますが、神功皇后軍は、牛窓の牛鬼を追っかけたらしいですが同じかどうか調べよう。
あと、小豆島には伊喜末(いぎすえ)ってとこがありますが、応神天皇の「行幸」と休息した意味の「息をすえる。」が合体で、「いきすえ」からそうなったそうです。
神功皇后までが実在が疑わしいけど、応神天皇からは実在間違いなさそうです。
だって、皇后70年近く、政治に関わったとか書いてある。
うそ臭いぞ。
日本書紀、ときどき、300年ぐらい生きた人の実名とかあるし。
皇后、軍事遠征中に産気づいて、今の王越山を越えて、木沢村に入ったそうです。
応神天皇の母が神功皇后だから、このとき生まれたのがもしや応神天皇?
じゃあ、王は、胎児時代の応神天皇?それとも神功皇后。
ああ、調べるとまたきっかけが増えて、調べることが増えるなあ。
まあ、海辺に山が突き出た地形なので、山の尾根を越さないと、向こう側に行けなかったので、「尾越し」からというロマンも何もない説もありますが、わざわざ王に変えた由来の伝説は、神功皇后にありなのは間違いなさそうです。
最初は盛況だったけど、「公共の場での性差別だ」などの批判を受けて、女性専用を止めたらしいですね。
たみ家には、これを性差別だという人の気持ちがわからない。
憲法や条例については、専門家に準ずる理解はしている(というより、広義にはベテランの専門家か)つもりですが。
良いものをつくろうとして対象をしぼるのは、差別じゃないよ。
プラチナカードは、収入による差別か?
女子高や女子大はアウトか?
お茶の水女子大とか奈良女子大とか、国立で大金を使って公教育の場をつくって男子学生を排除してるが、あれは違憲ですか?
女性専用のフィットネスクラブは、一つのチェーンだけでもう高松に6店あるそうです。飲食店が差別だという人は、フィットネスも差別だとおっしゃるのか?
女性専用のエステもありますが、これもどうなのか?
わたくしは男性ですが、女性にとって、男性は常に潜在的な脅威だと思います。
しかし、共存して、協力していくものです。
たとえば、夜、静かな道で、女性が残業から一人で帰って歩いているとします。
そこにたまたま、後ろから足音がついてくる。
公道だから、誰がどの距離で歩いていても何の落ち度もないし、どうしようもない。
だけど、女性にとってはこわいはずです。
男でも怖いですが。
たぶん、女性なら、後ろから自転車が接近してくる音がするだけでもこわいはずです。
性風俗とかキャバクラの類があれだけあるってことは、ジャックラカンではないですが、「男性は本質的に女性を希求する」んでしょうね。
これらなんか、男性専用って書いてなくても男性専用で、たぶん、女性一人で来ると、一回は断られると思います。
男性が女性をそれだけお金を出してでも求めるってことは、女性はやっぱり狙われる動機は常にあるわけです。
女性が口に出していうかはともかく、やっぱり女性にとっては、男性は常に潜在的な恐怖の対象だとは思います。
たぶん、女性は男性がいるところでは常に絶対的な意味でのくつろぎは妨げられていると思います。
じゃあ、女性専用の道路とか階段とかつくれとかいっても無理な話で、現実の社会活動の中で、調和が図られるのは当然のことだと思います。
街のいろんなとこで、男性を締め出すわけにもいかないでしょうが、サービス業の中で、女性が男性の目や存在から解放される場所ってのは、いろいろあっても良いと思います。
うちのお客さんも、中央通沿いで働いてる方は、お洒落だなあと思いますが、これだけ毎日キメて来るんだから、相当、男性を中心とした人々の視線から緊張を強いられていることは想像に難くありません。
女性専用パスタは、批判が爆発したから、止めざるを得なくなったのか?
人気が続かなかったのかはよくわかりません。
ただ、フィットネスが短期間で増えているあたりは、アスリートよりも気軽な美容や健康を求めての女性ならではの需要があったのだと思う。
高松に6店舗を持つカーブスさんは、営業を19:00で終えて、日曜日は休みにできてるそうです。
これらも、女性独自に絞れたから、小さな設備で、コンパクトな営業が可能になったのだと思う。
飲食店でも、女性専用に絞ることで、新しいサービスができたり、コンパクトで無駄の無い在庫管理や人事管理などが可能になる可能性は大いにあると思う。
こういうお客さんの需要や経営サイドの事情を「性差別」だと批判して妨害するのは、困った人だと思う。
たみ家は、女性専用パスタが折れてしまったことについては、
いろいろな方の意見を聞いてみて、変わっていくかもしれませんが、現時点では
一パスタ店じゃなく、社会の中の「創意」や「寛容さ」や「誠実さ」や「思いやり」が折られたのだと感じています。
ついでの地名シリーズ
王越の王は、三韓遠征のときの、神功皇后との関係でした。
で、根来寺に牛鬼がいたように思いますが、神功皇后軍は、牛窓の牛鬼を追っかけたらしいですが同じかどうか調べよう。
あと、小豆島には伊喜末(いぎすえ)ってとこがありますが、応神天皇の「行幸」と休息した意味の「息をすえる。」が合体で、「いきすえ」からそうなったそうです。
神功皇后までが実在が疑わしいけど、応神天皇からは実在間違いなさそうです。
だって、皇后70年近く、政治に関わったとか書いてある。
うそ臭いぞ。
日本書紀、ときどき、300年ぐらい生きた人の実名とかあるし。
皇后、軍事遠征中に産気づいて、今の王越山を越えて、木沢村に入ったそうです。
応神天皇の母が神功皇后だから、このとき生まれたのがもしや応神天皇?
じゃあ、王は、胎児時代の応神天皇?それとも神功皇后。
ああ、調べるとまたきっかけが増えて、調べることが増えるなあ。
まあ、海辺に山が突き出た地形なので、山の尾根を越さないと、向こう側に行けなかったので、「尾越し」からというロマンも何もない説もありますが、わざわざ王に変えた由来の伝説は、神功皇后にありなのは間違いなさそうです。
Posted by たみ家 at
13:05
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エンパイアステートビルのトイレ
2008年03月15日
10年ほど前にニューヨークのエンパイアステートビルの100階より上の展望台に行った。
狭いとこに、千人以上いそうな行列。
なんだか、世界中の人種のカップルが、窓にぺったり張りついて、景色見ながら寄りそっとるぞい。
ここには男性用トイレがない。
女性専用と障害者用があって、男性用がなくて「両性用=ユニセックス用」になっている。
確かに、こんなに狭いとこにすごい行列があったら、たぶん女性の方が時間がかかるし、トイレもお客さんも男女同面積、同数なら、女性用はみんな個室だけに、女性がよりたいへんな思いをしそう。
そのうえ男性は女性よりも身体の構造上長い時間ガマンできるらしいし。
たみ家は、こういう考え方は参考にしたい。
合理的であり、思いやりがある。
日本でも、相当な集客が見込まれる場所では、男性専用をユニセックスに変えるのを当たり前にしてもいいと思う。
思い切って、公共の場に男性専用のトイレはなしにするのも難はあるが、検討の余地はあると思う。
すぐに思いつくレベルでは実害はなさそう。
女性が混んでないときに、普段男性が使っているユニセックス用を使うことはないだろうし。
デパートなんかでは、女性向けのフロアが女性用で、紳士服売り場のフロアが男性用だったりすることもあるけど、ここでも、ユニセックスの概念を取り入れる可能性はありそう。
県民ホールやサンポートホールではやってるかもしれないけど、千人以上来るようなイベントのときは、貼り紙でもして、男性用を女性が使うことに男性に協力を求めるようなメッセージをそえて、トイレ入り口のシンボルマークをユニセックスマークにしてもいいと思う。
おまけで継続中の高松の地名シリーズ
石清尾八幡宮のある「石清尾」の字名や山名ですが、石清水八幡宮を亀尾山に勧請したので、合体で、石清尾になったらしい。
亀岡町は大名家の亀阜山荘から来て、阜が難しいので、町民の要望で岡に変えたらしいけど
もしや、亀阜の亀は、亀尾山の亀?ここも調べてみよう。
単にめでたい地名にするために亀とか鶴とか福とかつけるのもよくあるそうだから、要注意かも。
狭いとこに、千人以上いそうな行列。
なんだか、世界中の人種のカップルが、窓にぺったり張りついて、景色見ながら寄りそっとるぞい。
ここには男性用トイレがない。
女性専用と障害者用があって、男性用がなくて「両性用=ユニセックス用」になっている。
確かに、こんなに狭いとこにすごい行列があったら、たぶん女性の方が時間がかかるし、トイレもお客さんも男女同面積、同数なら、女性用はみんな個室だけに、女性がよりたいへんな思いをしそう。
そのうえ男性は女性よりも身体の構造上長い時間ガマンできるらしいし。
たみ家は、こういう考え方は参考にしたい。
合理的であり、思いやりがある。
日本でも、相当な集客が見込まれる場所では、男性専用をユニセックスに変えるのを当たり前にしてもいいと思う。
思い切って、公共の場に男性専用のトイレはなしにするのも難はあるが、検討の余地はあると思う。
すぐに思いつくレベルでは実害はなさそう。
女性が混んでないときに、普段男性が使っているユニセックス用を使うことはないだろうし。
デパートなんかでは、女性向けのフロアが女性用で、紳士服売り場のフロアが男性用だったりすることもあるけど、ここでも、ユニセックスの概念を取り入れる可能性はありそう。
県民ホールやサンポートホールではやってるかもしれないけど、千人以上来るようなイベントのときは、貼り紙でもして、男性用を女性が使うことに男性に協力を求めるようなメッセージをそえて、トイレ入り口のシンボルマークをユニセックスマークにしてもいいと思う。
おまけで継続中の高松の地名シリーズ
石清尾八幡宮のある「石清尾」の字名や山名ですが、石清水八幡宮を亀尾山に勧請したので、合体で、石清尾になったらしい。
亀岡町は大名家の亀阜山荘から来て、阜が難しいので、町民の要望で岡に変えたらしいけど
もしや、亀阜の亀は、亀尾山の亀?ここも調べてみよう。
単にめでたい地名にするために亀とか鶴とか福とかつけるのもよくあるそうだから、要注意かも。
Posted by たみ家 at
23:37
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女性専用は地域にも経済にもいい。
2008年03月15日
そういえば、女性専用外来診療って最近よく聞きます。
たみ家はああいうのが今までなかったのが不思議に思います。
ちょっと前までは、国立大学には女性トイレがなく、男性トイレの個室を使ってたはずです。
昔の国立大学には女学生は少なかったのかもしれないけど、女性事務員の方とか気の毒やったなあと思う。
そもそも少数だから仕方ないって考え方自体、ユニバーサルデザインの考え方と真っ向から反対する。
女性専用飲食店ってのは、排除してるように見えて、実は社会のユニバーサルデザイン化と親しむものだと思います。
一方、たみ家は、母子家庭のみに給付がある公的扶助とかは違憲の疑いがあって、どちらかといえば反対です。
昔は、男が世帯を支えるのが当然でそれを前提とした終身雇用の給与体系が当たり前でしたが、今はそうでもないから、父子家庭も気の毒だと思います。
たみ家は女性専用は、あんまり増えすぎると個人的に嫌だけど、バランス感覚からして、今よりはもっと増えていいと思います。
単純な話、サービス業において、女性専用にすればやることの的がしぼれて良いサービスが増えて、地域や経済の活性化にもつながると思います。
公共の場で差別したことになるなら、「女子高や女子大の存在とか差別か?」
「教育の場から締め出してるのだから、差別じゃないか?」
とかいうのはくだらない話だと思う。
いいものをつくるにはサービスの対象を絞った方がいいものができる。
締め出すのが目的でなくて、いいものを積極的につくろうとして対象を絞るのは差別でもなんでもない。
公的機関がやったとしてもそれは差別とは言いにくいだろう。
(薬事法による薬局の距離制限と公衆浴場に関する距離制限との最高裁判決の性質の違いについての憲法学者の論評など参考になると思われます。)
今日、3時過ぎに来られた某マスメディアの女性社員の方に、「高松に女性専用の飲食店」ってありましたっけ?
と投げてみました。
聞いたことはないけど、事実上女性客ばっかりの喫茶店とかはかなりあるそうです。
また、若い人よりも、50、60代の方が人口的にもお金遣い的にも狙い目でないかともおっしゃってました。
若い子はカレシと行けないと辛いよね!みたいな意見も。
もともと、女性客が9割のお店なら、1割の男性客を捨てて、女性専用のサービスや空間をうたってみたら2、3割以上すぐにお客さん増える可能性はあるんじゃないでしょうか?
もともと、「高松に初めて来られた方に、夜1人でも遊びにフラッと寄れる空間を」と思ったのがきっかけですが、「女性専用の行き届いたサービスのお店があって、けっこう話題なんですよ。」ってことなら、1人でも寄ってみたいと思うかもしれないと思う。
たみ家はああいうのが今までなかったのが不思議に思います。
ちょっと前までは、国立大学には女性トイレがなく、男性トイレの個室を使ってたはずです。
昔の国立大学には女学生は少なかったのかもしれないけど、女性事務員の方とか気の毒やったなあと思う。
そもそも少数だから仕方ないって考え方自体、ユニバーサルデザインの考え方と真っ向から反対する。
女性専用飲食店ってのは、排除してるように見えて、実は社会のユニバーサルデザイン化と親しむものだと思います。
一方、たみ家は、母子家庭のみに給付がある公的扶助とかは違憲の疑いがあって、どちらかといえば反対です。
昔は、男が世帯を支えるのが当然でそれを前提とした終身雇用の給与体系が当たり前でしたが、今はそうでもないから、父子家庭も気の毒だと思います。
たみ家は女性専用は、あんまり増えすぎると個人的に嫌だけど、バランス感覚からして、今よりはもっと増えていいと思います。
単純な話、サービス業において、女性専用にすればやることの的がしぼれて良いサービスが増えて、地域や経済の活性化にもつながると思います。
公共の場で差別したことになるなら、「女子高や女子大の存在とか差別か?」
「教育の場から締め出してるのだから、差別じゃないか?」
とかいうのはくだらない話だと思う。
いいものをつくるにはサービスの対象を絞った方がいいものができる。
締め出すのが目的でなくて、いいものを積極的につくろうとして対象を絞るのは差別でもなんでもない。
公的機関がやったとしてもそれは差別とは言いにくいだろう。
(薬事法による薬局の距離制限と公衆浴場に関する距離制限との最高裁判決の性質の違いについての憲法学者の論評など参考になると思われます。)
今日、3時過ぎに来られた某マスメディアの女性社員の方に、「高松に女性専用の飲食店」ってありましたっけ?
と投げてみました。
聞いたことはないけど、事実上女性客ばっかりの喫茶店とかはかなりあるそうです。
また、若い人よりも、50、60代の方が人口的にもお金遣い的にも狙い目でないかともおっしゃってました。
若い子はカレシと行けないと辛いよね!みたいな意見も。
もともと、女性客が9割のお店なら、1割の男性客を捨てて、女性専用のサービスや空間をうたってみたら2、3割以上すぐにお客さん増える可能性はあるんじゃないでしょうか?
もともと、「高松に初めて来られた方に、夜1人でも遊びにフラッと寄れる空間を」と思ったのがきっかけですが、「女性専用の行き届いたサービスのお店があって、けっこう話題なんですよ。」ってことなら、1人でも寄ってみたいと思うかもしれないと思う。
Posted by たみ家 at
06:45
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