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Posted by あしたさぬき.JP at

ハチのムサシ

2010年01月31日

たみ家は、1970年代生まれですが、どうも物心つくのが相当早かったらしい。

上のきょうだいがやることをすぐに真似しようとしたり、遊園地に行くときや買い物のとき、えんえん親の車の音楽をずっと聴いてたからかもしれない。
五木ひろし、平田隆夫とセルスターズ、かぐや姫、中島みゆきとか幼稚園のときから二十曲や三十曲は歌えたかも。

北陸に親戚の家が多かったから、いまだ北陸自動車道も整備されず、渋滞の一般国道で行く、北陸までの道のりは大人の音楽漬けだった。

じゃんけんでたみ家が勝ったら、こどもマンガ祭りの特集テープ、親が勝ったら五木ひろし。
演歌はやめてほしかった。
幼稚園で当時のボロ車でそんなもん聞かされたら車酔いするがな。

ただ、都はるみと五木ひろしは許せた。

たみ家も、平田隆夫とセルスターズは大のお気に入りだった。


「ハチのムサシは死んだのさ」を幼稚園のときに聞いて涙を流し

小学校のときには、「ハチのムサシは連合赤軍かなあ?」と思うようになりました。

理想に燃えて権力と戦って敗れて死んだ様が、あさま山荘事件とかぶったんですが、そういうことで合ってるんでしょうか。

「紅白」では、童話が楽曲になったと紹介されたそうですが。

あさま終結が1972年2月、「ハチのムサシは死んだのさ」の発売も1972年だけど、その年のいつだろう?
カップリングが「天使は消えた」ってところがまたなんとも。

違うのかもしれないけど、意識にないことはないだろう。
理想に燃えて高く遠くを目指し敗れる者に対する情は早くから芽生えたなあ。

ユーミンの予言の横道なんだけど

関係者やそれを傍観してた人達は、過激派を嫌悪して、考えることを止めるのでなく

そこから反省して、革命的にでなく、漸近的に良い社会を目指したり、現実的な利害調整を踏まえた手段を探るために、もう一度立ち上がらなければならなかったのでは?

それを「いちご白書をもう一度」でユーミンに皮肉られたんではないかと思う。

そこを見つけられなかったことが、今日の政治の混迷やリーダー不在につながり、長く国民も思考停止を続けたところではないだろうか?

ただ、大人より先に子供が悪くなる社会がないというように

国民より先に悪くなる政治ってないとも思う。

非常事態では軍政に乗っ取られたりすることはあるかもしれないけど

平時においては、国民より先に悪くなる政治ってないと思う。


言い切りにくいけど、やっぱりたぶんそうじゃないの?
  

Posted by たみ家 at 09:41Comments(6)

労働なき富

2010年01月30日

コメント返しせずに新規投稿は基本的にしてこなかったんですが

これだけは言わしてもらわんと

「労働なき富」って相続でしょ。

相続による家への富の蓄積でしょ。

次にといえば、美人が貢いでもらうとか。

でも器量は一代のみの才覚みたいなもんでしょう。
まだ許せる。
不公平ではあるけど、足が速いとか力が強いとか才覚と似たようなもんでしょう。

悪の中の悪は巨額の相続の中にこそあり!


労働なき富ってのは、贈与と相続、贈与税は相続税の変形。

こないだの衆院選で、幸福実現党は贈与税や相続税を撤廃して、それで消費が伸びるとか言ってたけど、それって社会的大罪の助長もええとこやろう。
自民党もそれに近い立場。

民主党のマニフェストも煮えきらんかった。


来たなあ。

鳩山さんが言ったことに反響・反発がすごいだろうし、鳩山さんもこれを引きずって、世論・選挙の絡みで、相続税を大きくする方向に持っていかんと身動きがとれんようになるだろう。


相続によって、家系に富の蓄積を許すということが、社会の大罪だということ、たみ家が言ってもなかなかわかってもらえんというか力がない。

「ガンジーが言った」と、鳩山さんが言えば、はじめてわかったような気になる人が多い。



累進税率のかかる上限は2億円ぐらいで、それ以上は、税率100%、延納や物納の制度も調整しなきゃね。


いやなら、生きてるうちに使う。

それか、会社やNPO設立など社会的存在の機能の一部に組み込まれるようにする。

その知恵がなければ、全額、慈善に寄附する。


このことを世界的な世論の主流にした上で、人口増の抑制が効けば、この世の貧困の根絶はないとしても、絶望的なほどのものの半分以上はなくなるかもね。
  

Posted by たみ家 at 20:26Comments(0)

ユーミンの大予言か?

2010年01月29日

1975年の「いちご白書をもう一度」、あれは誰も言ってないけど、今の日本の政治の未熟や財政赤字を予言した歌でないかと勘繰れてきた。
ユーミンさんは予言してないけど、結果論でいうとそんな気がするんだなあ。

あれは、バンバンのばんばさんが、出す曲がことごとく売れないから、ユーミンさんに曲作ってもらおうと作詞作曲してもらった歌。

ヒットチャート1位になり、年度ランキングでも13位までいっちゃいました。


さて、歴史背景がわからないと説明がしにくいので、理由を後回しにせざるを得ないのですが、なんとかそれなりに

説明もおもしろくしたいと思います。


1973年のかぐや姫の「神田川」

「いつもわたしが 待たされた 洗い髪が芯まで冷えて~」

って、女性が先に出るってヘンじゃないですか?

当時都会の大学生で学生運動とかやってるのは、女性よりもロン毛なので、髪が女性よりも乾くのに時間がかかる上に女性の方が気を遣ってたというのはどうでしょうか。


「若か~たあの頃 何もこわくなか~た ただあなたの優しさがこわか~た」

時代に反抗して、守るものがなければ、こわいものなし
駆け落ち同然の親も捨てた同棲ならなおさらかも ここは「木綿のハンカチーフ」と大違い

何もないからこわくない だから唯一あるものを失うことはこわい


学生運動やってて、思想もなしに、幼稚な自分探しでわあわあやって、日米安保自動延長や連合赤軍事件などで、挫折した後に無反省に世俗の小さな幸せにすがった。

この無反省さ幼稚さを痛烈に批判したのが、ユーミンさんの「いちご白書をもう一度」でないかという風に、時代考証を進めるうちに思えてきた。

ところで
「僕は不精ヒゲと髪を伸ばして 学生集会へとときどき出かけた 就職が決まって 髪を切ったときに もう若くないさと 君に言い訳したね」
ここ核心的な歌詞ですが 横道突っ込みすると

面接はどうやったの?

ロン毛で行ったの?

って突っ込まない?

歌詞を変えて、「面接が決まって、髪を切ったときに」ってそれでも履歴書の写真はどうなんだよ?

これもし、突っ込みが間違いで、歌詞が正しいとすると、当時、面接までは誰でもロン毛で、「就職してから切ったらいいよ」を社会が許容するほど、都会の大学生はみんな学生運動に走って、ロン毛男だらけだった?
それはまさかだろう?たみ家の突っ込みが正解だろう。
これは団塊の世代の複数の証言を待とう。

これちょうど戦後兵隊さんが大量復員して生まれた、全共闘世代の上級生グループいわゆる団塊の世代ですね。
紫雲中が1クラス50人以上で、1学年30クラス、全校4000人を超えた世代ですね。

予言の意味の入り口までは書きましたが、残りは、もう察しのいい方はわかるかもしれませんが、次回に以降に。
  

Posted by たみ家 at 20:53Comments(5)

卒業を追え

2010年01月29日

正確な歌詞知らないんだけど

中島さんの「桜色散るころ~」

コブクロさんの「桜の花びら散るたびに~」

卒業シーズンに卒業が露骨に歌われなくなったような気がする。


東京オリンピック~万博世代の卒業シーズンには。

よしえさんの「春なの~に~」

斉藤さんの「卒業」

菊池さんの「卒業」

おニャン子にたぶん多数あったと思う。

まあ、AKB48あたりで、秋元さんは、またやるんだろうけど


男女雇用均等法以前は、高校卒業って、男は変わったり出て行くけど、女は残されるものという悲哀があるから女子が卒業を歌うのが定番だったのか?

これが、「高校三年生」とか、「青春時代」になると話が違ってくる。

恋愛の歌じゃないし、後者は大学でないか?


都会の大学生が歌謡曲をリードした時代は、毛色が違うね。

世の中を歌うから、安田講堂陥落や浅間山荘事件などを経て、絶望や虚無を日常の中で歌い、そこから「神田川」など小さな喜びに目を向ける歌が増えてきたような気はする。

このヘンからデータ不足や。

時代考証もまだまだ自信がないぞ。


1970~80年代の「誘惑の~甘い罠~」や「もし言えたら~抱いてやるぜ~」

みたいな肉体的な話から

バブル以降は

「二人手を取り合って」とか「君となら歩いてゆける」みたいな抽象的な歌詞が主流になった。

男女雇用機会均等法以前は

「あなたのものになる」「お嫁に行く」で

「二人で歩いていく」って感じではなかった。
専業主婦、終身雇用、核家族が都会に集中していく時代に、そんな二人で考えて歩む土壌はなかっただろう。


卒業シーズンの歌を追えば、このヘン読めてくるだろう。

まあ、少子化だし、中高生の卒業だけでは、直接的なマーケットが取りにくくなったのは確かだろう。

ただ、秋元さんはやるだろうし、懐古的にまた出てくるような気もするが。

って、最近の歌をたみ家が知らないから、最近の卒業の歌が出てこないだけかもしれない。

ここもデータ不足なので、調べねば。
  

Posted by たみ家 at 09:06Comments(2)

歌謡曲とは

2010年01月29日

エロと(現実からの)エスケープとバイオレンスをクレープで包んだデザートやつまみのようなもの

または

ときに

オブラートで包んだ薬のようなもの


アガペーとかロマンスという言葉も入れたかったのですが

エロとエスケープの間にあるものとして処理しました。

エロ以外の欲求不満のはけ口は、エスケープとバイオレンスの間にあるものとして処理しました。


エロは侮れんよ。

おぜにさん、知力、暴力、性の世の中の高流動性との親和性がすごい。

知力を分解すると

インテリジェンスとデザイアー

分解といっても足し算でなく、掛け算するものだけど
足し算でないのは、デザイアーオンリーでは、知力にならないということ。

デザイアーというのは肉欲のような意味で、自己実現欲求とか貢献欲求のようなものは指さない。

それに、貢献欲求はインテリジェンスだろう。


きれいでない人間の欲や本性を包んで美味しく仕上げて、おやつや酒の肴、ときには薬にして、それが歌となり励みや癒しをつくる。
大衆文化とは、そういうものだろう。
週刊○○とかスポーツ新聞とか、微笑、平凡、プレイボーイ。

それが、テレビになると、家でお子様も見るから、クレープやオブラートが必要となり、露骨なものから象徴的なものへと変容する。


人口変動の元、社会維持の基礎は、エロ。

どう考えても、エロからしか、人口は動かん。

人工授精とかクローンとかが主流になったら事情も変わるかもしらんけど、過去から近未来にそれはない、なさそう。


エロに近い要素、恋愛や結婚がどう扱われていたのかを深くえぐろうとしたら、歌謡曲を調べるのは有効な方策の一つだろう。

たみ家の分析や考察の強さは、正道の学問も押さえて、社会分析に数学的モデルを駆使しつつも、裏道みたいなエロやバイオレンスのような生の人間のことも、歴史学や関数の中に取り込みながら押さえにかかるところだと思っている。

ふわふわした地に足のつかないところは少ないと思っている。

きれいな政策提言の言葉の裏で、こういうところを押さえていると、いざ言葉のなぐりっこをしたときに負けにくいものとなると思う。

攻撃されたときに、説明できない隙間や矛盾がなくなるんよ。
  

Posted by たみ家 at 08:12Comments(0)

翼の折れたエンジェル

2010年01月28日

1985年の高橋研さんの歌詞

Thirteen ふたりは出会い
Fourteen 幼い心かたむけて
あいつにあずけた Fifteen
Sixteen 初めての Kiss
Seventeen 初めての朝
少しずつ ため息覚えた Eighteen

17歳で初体験

18歳で、秋が来て

もう、挫折して、翼が折れちまってます。

バブル中盤の時期ですが、このぐらいが、歌詞に頻繁に年齢が出てくる時期の最後のへんでしょうか。

はっきり覚えてないけど、この直後のおニャン子で、まとまって、年代が出てきて、一気に終了?


プリンセスプリンセスとかコンプレックスの頃には、もう大学進学がかなり多くなったのが前提っぽい?
ナインティーングローイングアップでは、19歳で、戸惑いと前向きが入り混じってるのがあるけど。
人生の秋ではない。

恋愛至上というより、女性が、大学か就職か都会に出て新しい人生を踏み出す感じだよね。
「いじけ顔のフォトグラフに~手を振る~」って。
中性的な歌詞。

1970代の歌が、踏み出すといえば、男に身体を任せるか、人生を任せるかって、選択が多かったのに。


1982の、シブガキ隊の「ナイナイシックスティーン」井上大輔さんの歌詞

「授業中に~手挙げて~オレを好きだあって~ もし言えた~ら~ 抱~いて~や~るぜえ」
16歳は、経験豊富だと主張してます。

近藤さんのハイティーンブギ、尾崎さんの15の夜などとともに、この頃、男が年齢出すときは、ワルだって主張があるね。


NIES勃興、OA革命、バブル経済・金融などサービス経済化、冷戦終結、グローバルな労働市場形成前の過渡期など、女性の産業戦力化への必要性と男女雇用機会均等法への流れを産み、少子化が、さらに大学進学率増が、同年齢の考え方に細分化多様化を生み、中高校生年代の音楽マーケットを縮小させ、歌詞に年齢が入らなくなってきたといえそう。

最近、またAKB48などで、学校の歌が増えてきたか。
でもアンジェラ・アキさんの 手紙と15歳とか何とかいうのはもう完全に子ども扱いだよね。

フォーク時代以前も調べねば。

舟木さんの「高校三年生」どうか。

社会構造やマーケット分析として、このヘンもうちょっといじりたい。

美空ひばりさんの歌とかに、年齢あった?

桑田さんや松任谷さんや中島みゆきさんのにはどう?

1970年代に年齢が入るのが多かったのは、阿久悠さんが、歌手と歌を伴って成長させたいという考えが時代をリードしてたから?

歌詞に入る年齢の最高は、22歳か、永井真理子さんの歌で23歳ってあった?記憶おぼろ。

でも、19歳以降は全部疲れてるよね。

年齢が入るということは、疲れるにしても盛っていくにしても、変化するということ。

18歳までの歌詞は、時代と人が一致して成長して変化する様とリンクすると思う。

バブルでそれが終わるのもわかる。

小室ミュージックに、年齢ってあった?

安室さんの歌に、「スウィート19ブルース」、これが小室さん作詞、作曲、編曲だなあ。
これぐらいしか思い浮かばないなあ。
でも、チャキチャキからしっとり大人になりましたって感じの歌だったような。明るく前向き一辺倒の恋じゃないよなあ。たぶん。
年齢入れて時代を語れるのは、安室さんがこの時代ずば抜けてたこともあるかなあ?
1996というのが何とも。
アムロさんがチャキチャキから、小室プロデュース第一弾で変化する突発現象か。

スピードはどうだったっけ?

長く、失われた15年の後期に君臨した浜崎さんの歌に年齢あったっけ?

宇多田さんは?
「仕事にも精が出る 金曜の午後」
歌詞にOLの印象が強いんですが、探してみよう。

成長期、バブルからの失われた15年は、前期安室・小室、後期浜崎・宇多田両巨頭で、だいたい、昨今までつなげるだろう。

この前に、Z00、ど真ん中にTRFという中性的ダンスミュージックが入ってるのが、性差なきIT時代への流れの象徴?
エグザイルはどうか?

バブルの最後から息が長いBzさんはどうか?

最近、歌詞に年齢が復活したとしたら、それを懐かしむ世代が多いことと、カラオケやネット配信などで、マーケットがまとまってなくても音楽が配信しやすくなったこととも関係ある?
プレスして、在庫を店頭に置く比重が下がってコストリスクが下がったから。
単に秋元さんお得意の戦術?

年齢と歌詞の分析はやるぞ!

レヴィ・ストロースが、社会の維持は、女性の交換と表現したのなら

恋愛という人口の元が、歌でどのような扱いを受けているかが、社会を分析する材料になるだろう。


冒頭の2つの歌詞では、16歳では遊んでる子はバリバリ体験済み、純情な17歳も初めての朝を迎えてます。
社会でそれを当たり前に大っぴらに表現してます。
今頃の歌もそうなってるか研究しないと。
今の方が進んでるところは進んでると思うけど、案外高学歴化してるから平均は進んでないかもね。
それに、社会に大っぴらに歌詞で表れたりしてるか疑問。昔の方がオープンそう。

さて、木綿のハンカチーフで、某会長が

「あれは、アメリカの物語をモチーフにしてて、東はニューヨークぐらいで、列車は大陸横断鉄道だろう」という新説を。

ええっ!そうなん?
かなり疑ってるけど、発想がかっこいいとは思う。

ビートルズのアイ ソウ ハー スタンディング ゼア でも Well she was just seventeen~

東京オリンピックのちょっと前ぐらい?

17歳はもうバリバリですね。

カノジョイケてる、ピカイチだ。
目が合って、一目ぼれ。
あ~あ心臓どっきどき。
ほかの娘となんか踊れるかい!
踊り明かして抱き合って。

みたいな歌詞じゃなかったっけ?
  

Posted by たみ家 at 02:19Comments(0)

知らなくて損した

2010年01月28日

店を開けてほぼ4年になる。

ふりかえって、知っていさえすればそれだけで、努力しなくても費用を削減できたと思うことは500万円分以上は計算したら、あると思う。

そんなに、細かいことをきっちりせずに、電気の契約パターンを変えるとか、仕入先を変えるとか、そんな感じで、知って、決めさえすれば何の努力も必要ないことだけで、500万円は違う。

これは、出費を減らすためだけでもいえる。

知っていれば、努力なくても売上が増やせたと思うことも、1000万円分ぐらいありそうな気がする。

ただ、出費を減らす話と違って、こっちはほんとに増えたかどうかわからない。

それでも、鉄板に証明可能なほどはっきりしてることだけでも、200万円分はありそうだ。


知識が無いことは辛いよ。

たみ家がもし、店をつぶすとしたら、知識が足らないからで、知識があってもダメだったということではない。
向いてるとか、向いてないでなく、知識が不足してたからそうなるということだろう。

たぶん、今まで営業不振だった人も、これからそうなる人も、一番の理由は知識不足であることがかなりあると思う。

どの作業の無駄は排除できるか、仕入先はどこがいいか、バーナーはどのタイミングで火力を上げれば無駄がないかなどは

それ自体は、本とか座学では、直接身につかないことも多い。

ただ、座学が、現場の知識への勘を良くすることはあるし、いい情報を持ってる人と付き合うための素養となることはあると思う。


たみ家は、4年間知識不足型人間だったと思う。

だんだん、商売のコツを知る入り口に立ちつつあるとは思う。


「まちづくり」という言葉の意味には、そのために立ち上がった自分が、他の同志(同舟異夢のことも多いけど)の力になったり、その危機の回避のために、知識を使うという面があると思ってはいた。

実際に、うちぐらいの店の規模でも、節電や節水、節ガスが上手いと、それだけで、2千万円ぐらいは30年ぐらいの期間で軽く出るという試算が出る。
努力してアクセクする感じじゃなくて、知って、楽に上手にやる感じで。

たみ家は、地域を応援するコンサルタントを志向していた中、自分で零細商店やってより現場感覚のある知識をつけてそれをしようとうどん屋になったところがあった。

知識は、自分のためというより、地域を応援するためにつけるものという意識が常にあった。

しかし、いかに無知だったか、今もどれほど無知だったかを思い知らされる。
知識不足から苦境に立ったことの後遺症は、今でもそれなりに残っている。

ただ、物事は相対的比較によるので、やっぱり、いつも考えてることは、他者よりも優れているし、そうでないことはそうでないという結果が出ている。

現場とのフィードバックがある程度並行してあった方がいいが、地域を応援するために、知識を活用できるようにしていきたいとは、常に思っている。
ケースバイケースの細かい状況の識別をしながら、一般理論化を両立させることには、かなり自信がある。

従来、ケースバイケースで理論の無い人と、現場からズレた理論の人がバラバラにモノを言うという状況が、まちづくりの場に多かった。

たみ家が、普段書いてることは、ここをつなぐためのことで、意識はそこに常にあるといってよいと思う。
  

Posted by たみ家 at 01:18Comments(3)

ヘンな言葉遣い

2010年01月27日

「主権

国家がもつとされる最高権力。国家はこの権力をもつことによって、対内的には国民に対して国の法律また国の命令や決定に服従することを要求でき、対外的には国家の独立性を主張し外国からの干渉を排除できる。」


つまり、「主権」って
・対内的に、軍や警察の暴力で服従させる権能
・対外的に、代表して、条約締結したり、内政に対する独立を保つ権能


鳩山さんが「地域主権」っていうじゃない。
理屈が合わない。

「地域主権」ってことは、連邦国家的で、ほとんどの立法を地方議会が担い、地方政府軍を持ち

本来的には、対外的に各地方が条約を外国との間で結び、国連に加盟する権能を持つが、各地方が約束事で日本国をつくり各地方分を代表していると考えることになるでしょう。

だったら、人口に比例させて、議員定数を田舎から減らすとか、一票の格差の数字を合わせるために違憲判決が出る流れって、「地方主権」に合わないってことになるだろ???

ね!なるでしょ!!
いったん原理的な処理をすればね。

原理にこだわらくてもいいけど、原理外すときは、原理を理解したうえで外さないと。

言葉の細部にこだわった話だと思ったらいかんよ。

国とは何か、地方とは何をすべきか、日本の枠を外して考えてどうか。
それで、どういう方向に進むのが良いか。

そういうことを考えてなくて、みんなが「主権」をばらばらに考えてたら、また無責任な政治になるよ。
それで、途中から、こういう基本を考えずに走り出したことの矛盾が破綻になって出てくるよ。

「主権」とか「権」の定義を議論せずに、国民にその意味の理解を求めずにやろうとしたら、世論がむちゃくちゃになって、政治的合意がきちんとれなくなって、数百兆円単位のロスにつながりかねんよ。
現在、道州制の議論が進まないこと自体が、もうその弊に陥ってる。

これの定義づけがないってことは、公と個人の関係、国や自治体の進むべき方向、役割がわからないってこと。

個々、やろうとすることの全体での位置づけがわからないってこと。

理論追求とか言葉あわせはしとかないと、同舟異夢になるから、やっといたほうが借金が無駄に増えたり、人がバッタバッタと死ななくてすむ。

そう、こういう言葉あわせで手抜きするから、新聞にいっぱい死ななくてすむ人が死んだという事件が載るんだよ。

こういう関係がリアリティーをもって、見えてくれないと。

いや、見える人ばかりじゃない。だから、見える人だけでも、きちんと言おう。

ある程度、議論を踏まえて、目指すべき方向が見えて、ばらばらでないイメージができてるなら、「地方主権」は必ずしも間違いではないかもしれない。

でも、現段階では、デタラメな言葉遣いなんじゃないかなあと疑う。

そこまで、地方に役割を持っていくなら、都道府県にそれが不可能なことは自明なんだから、道州制を急ぐことになるのに、それをしないというデタラメがあるから、言葉遣いもデタラメだと思うんだ。
田舎の国会議員定数を減らす理由もよくわからないということになるし。

全体像なく、各方面の支持勢力に求愛しながら、選挙向けの美辞麗句をバラバラに並べて、ツギハギの「地方主権」イメージになってないんだろうかと疑うんだなあ。
  

Posted by たみ家 at 01:57Comments(0)

伊藤忠って

2010年01月27日

今年度の入社式で新人代表を努めたのはロシア人女性。

社内放送は、2008年7月から英語に変わり

部署によっては、日本人だけの会議も英語で議論する取り決めらしい。

世界企業である総合商社の中で日本という枠があると考えることがもう誤りというレベルで「世界人材戦略」を進めるべしと。



でも、ほんとうに社員のみなさんわかるの?
  

Posted by たみ家 at 01:18Comments(0)

どっちが不足?

2010年01月25日

ハート無き理論は冷たい支配と虚無をもたらす

理論無きハートは憎しみの炎と浪費をもたらす
               
(本日のたみ家の即興オリジナルなので、検証のためにつついてね。)


「どちらか」とか、(どちらがどちら)「より」でなく

相互が相互の基盤になるべきもの


  

Posted by たみ家 at 23:19Comments(2)

「木綿のハンカチーフ」補足

2010年01月24日

ちょっと前の記事の補足

「恋人よ~ 今も素顔で~ 口紅もつけないまま~で」だから

同級生か。

東京に就職した一年上の先輩が、当時の田舎の女子高生に、「化粧してない」ってあえて言わんから、高校は卒業してるな。
卒業してなかったら、まだ指輪も贈らんわな。

でも、両方、田舎で大学生は当時ないだろうし、大学生ならもう化粧してる可能性大だし、当時の女子大生って言うたら先端イメージやろうし、草に寝転ぶあなたしか知らんことはない。

でも就職してても、化粧してる可能性大。

だから、高校卒業して、一年目の家事手伝いさんという説が有力か。
就職して給料あったら、日帰りで逢いに行ってみるのは無理か。。。

でも
「そのままの君が好き」ではなくなりつつあったのかもね。

都会の女性を見て、ちょっと田舎っぽいルックスのカノジョを思い出して、大人にしたらなあかんとか思ったんやろうか?

うがってみると、この時点で、ちょっと覚めてた?

1番の華やいだ街で君への贈り物を探す話と、2番だったかな?スーツ着た写真を送って見せたがる話のときは、まだ覚めた感じがない。

指輪を贈る決意をして、「俺の生涯のサイコーのベイビーだ」と決めたときに、いい女になってほしいと勝負入ってたのに。。。
「いいえ」「あなたのキスほど輝くはずないもの」はまあ悪気はないだろうけど、ストレートに喜んでくれんかったら、がっくしになる気持ちもわかる。

たぶん、そろそろ都会の女性の魅力が気になってきて、もんもんとして来た。
でも、田舎のカノジョを愛してる。
田舎のカノジョ愛してるけど、都会の女性見て、あえて選ぶんだから、いい女になってほしいとかヨコシマが入ってきた。
だからこそ、指輪贈って勝負したくなる、また、勝負のときだからヨコシマも入るってのはありえそうに思う。

で、それがダメなら、田舎は忘れて、都会の楽しさと人間関係に傾くってのは、道理かもなあ。

ここまで深読みする必要はないし、当たらんだろうし、当たっても当たらなくても>9$だけど、遊んでみた。
  

Posted by たみ家 at 09:52Comments(0)

伝わらんなあと思うとき

2010年01月24日

ときどきブログの文章から
「たみ家さんって、感情『より』理屈でものを考えるんですね。」
みたいな反応がある。

自分個人のことについては、わかってもらおうという期待はあまりしないので書きませんでしたが、想像以上に伝わりにくいものだなあと思うことがちょいちょいあって、書いてみることにしました。


感情がより深いから、その先や根にあることを理解したいとか、解決に向かう考え方に近づきたいと思う気持ちが芽生えると思うんだけど。
情緒的な捉え方を経て、より情緒が豊かで深いから、よりたくさん考えるという方が自然やろ。

少子高齢化について、関数の話をするのは、かわいそうなことをそれだけで済まさずに、何とか、世の中全体を巻き込んで解決していかないとと思うほどに、情緒が動かされたから、年月を経て、いろんな話を聞いたり、調べたり、考えて、理屈をいうに至るんだと思ってます。

むしろ、理屈が出てこない人

かわいそう→しかたない(それだけ?)
      →自分にはどうすることも無理(努力してみた?時間をかけてみた?)
      →かわいそうだけどよくある話(よくあることなら見過ごすの?)

で、済ます方が感情や情緒が浅いんじゃないの?


人の命を救いたいと努力して医者になった人の手術は科学的、理論的、合理的であったりする。

それは、「病気や怪我でかわいそう」と思う人から見ると、「医者は感情が薄くて、ドライだから、理屈で処理してる」ってことになるの?


感情に深さがないと自分の得にもならんことを理論化ってできないよ。

短期だけの感情は、衝動ともいうけど、時間をかけてめんどうなことも辛抱してもいいと思うだけの感情の深さや忍耐や動機の強さがないんだと思う。

感情「より」理論かねえ?

より深く大きな感情の基礎の上に理論という建築物が乗っかりうるんじゃあないっすか?

今まで、あえて、書きませんでしたが

いろいろ、協力関係を考えての個人の話もそうだけど

物事を理論化するってことが軽視されたり、薄情なことだという通念が流れているのなら、地域を良くしていくことについても障碍になると考えるから、これは言っておくことにした。
  

Posted by たみ家 at 09:07Comments(0)

教え子と

2010年01月23日

たみ家の上のきょうだいの中学時代のクラスメートの「○田 由☆子」さん

目立つ美人で、勉強もできて、運動会で大活躍で、背が高めで脚長くて、グラマーとの評価の子が、アンカーでごぼう抜きとかするからお母さん方まで色んな意味でびっくりしてた。
小学生のたみ家は興味はまだなかったが、とにかく名前を何回も聞くので覚えてた。

中学卒業して、すぐに、25歳ぐらいの担任教師と結婚した。

たみ家は小学生だったので、世間の大人さん達がどういう評価をしてたのかはわからなかったけど、それに近いことはときどきあったと思う。
犯罪みたいな言い方はされてなかった。

むしろ
「美人は、中学卒業して、すぐに先生と結婚するね。たまにある話。」
みたいな感じだったような気もする。

高校卒業後、すぐに、担任と結婚する女子は多くもないが、事件扱いになるほどは珍しくもなかった。

少なくとも、高校在学中に恋仲だったから、すぐに結婚したんでしょうね。

1980年代のバブル中盤ぐらいまではまだそうだったと思う。

「女の子が大学なんかいかんでええ。」とか言われたり、歌でも10代で結婚するのが当たり前のような歌詞のオンパレードだったから、先生との出会いは、結婚の出会いの機会の一つとして有力だったというのがそれまでの社会通念や常識の一つと考えても良いのでは?


これが否定されたり、犯罪のようになるのはなぜ?

常識や社会通念が変わった。それはなぜ?



これが、人口と金融の関数の合成のベクトルの変化の結果なんです。

理由はそれだけ。



たみ家は、日常、それほど理論的に考えてるわけでもなく、かなり情緒的だ。
しかし、いったん、立ち止まって、社会現象を考えると、こういう考え方を持っていると、明解に緻密で深くて広い理解ができて、一聞いて十を知ることにいたりやすいと考える。


江戸時代に当たり前、1980年代ですら、まあ多目に見られていたことが、犯罪扱いになったのはなぜか?

人口と金融の関数の合成以外に理由を見出しうる人がいますか?

何気ない日常のことや卑俗と思われるようなことの中に、常に、世界全体との位置づけを明解に捉えることができる。


たみ家が、大学で、若いもんの前で教壇にでも立ってみようかと思うのは、こういうことを伝えないといけないと思うときかなあ。

縦割りが通用しなくなったときに、有機的につないだり、未利用資源を発掘する考え方が必要になる。

そのときに、使える考え方なんです。
  

Posted by たみ家 at 23:35Comments(1)

木綿のハンカチーフ

2010年01月23日

幼少のとき、これ聞いて、なんとなく男が悪いような気がしてた。

でも

華やいだ街で贈り物を探すことに、いいえ、それより都会の絵の具に染まらないで帰って

とか

スーツ着た写真を贈ることに対して、いいえ、草で寝転ぶあなたがいい

とか

指輪を贈ることに対しても何もかも、いいえと否定して

都会に出た大人の男としての決断の後に当然あるべき成長や変化やその都会暮らしの中での誠意をすべて否定した側に問題が大きいなあと思う。

もし、逢いに戻るということが難しかったのなら、男の側に落ち度が見当たらない。
すれ違いを感じ始めたのなら、一度は逢うべきだったね。
逢わないままに、日々の変化を楽しみ成長してる中で、指輪もスーツ着て成長した姿も否定されたら、田舎でのことは忘れ物になっていくやろ。
男女逆でもそうやろ。

遠距離恋愛は、大きく環境を変えた側がすぐには動くのが難しいことも多いから、この歌の場合は、女子の側が都会に逢いに行けば良かったのにね。
はとバスに毛が生えたような都会のデートコースを張り切って案内する男に、「きゃあ。すてき~。」と左腕にしがみついてるのが、カワイイし、いわゆる男も立つしで、まだ長続きしてただろうね。
バーニングナイト!

秋田の男は
「東京へは、もう何度も行きましたね。君の住む。うつくしみや~こ~」ってね。
その後2人で幸せになってないから、回想録みたいな歌になるんだろうけど。
でも、環境が変わらなかった方が変わった方に逢いに行って、その都会を肯定する姿勢は是だと思う。


東は東京として、西はどこよ。

この頃の恋愛の歌って、全部、女性は高校生までなんだよね。

高校生なら逢いに行けないか。


男女雇用機会均等法以前恐るべし

中森さんの「少女A」1982の頃ですら

「いわゆる普通の17歳だわ。」「じれえたい じれえたい。結婚するとかしないとか~」って、17歳はすぐに結婚考えて当たり前のように歌の世界ではなってた。

19歳以降は、岩崎宏美さんの歌でも、22歳の別れでも、まるで女の人生の秋みたいな扱いだった。
「やがて~19に。。。。。青春はこわれもの過ぎてから気がつく」「思秋期」では19歳は青春終わってる。他の歌でも「16、17、18と~~~戻れないそんなはたちまえ」って、19歳になったらもう後戻りできんぞ。。。。。って。
恋愛の常識なんか、金融や人口や道具の変化ですぐに変わる。

松田聖子さんの「こ~いするハートわたしはエイティーン」河合奈保子さんの「ああ17歳のわた~し」、「伊世はまだ16だから~」森昌子さんの「先生、先生、それは先生」などなど
たぶん、百恵さんの「としごろ」も15歳ぐらいでしょう。

普通恋愛の歌は、18歳までだった。


グローバリゼイション、OA革命また恐るべし。


こんなことも世界史や金融理論の話の関数の中に落としこめるね。


さあ

木綿のハンカチーフの主人公は、女子高校生?
都会に出たのは一年上の先輩?


東は東京として、西はどこ?どうして会いに行かなかったの?
同級生で、田舎で就職か家事手伝いかしてたのなら、逢いに行くべきだったねえ。

この時代は、どうしても東京に日帰りで逢いに行けないほどの西は、おぼこい女子と1年差で就職して別れ別れになるのは、高校卒業してすぐだと思うから、近畿就職の方が線として、30年以上前だと強そうな気もするんだが。。。

まさか、東は大阪で、草で寝転んでたのが、筑後平野とか阿蘇のカルデラとかじゃあないだろうなあ。

で、日本中に、木綿のハンカチーフの悲劇を繰り返さないために、たくさんの空港と赤字線ができて、遠距離恋愛のバックアップをしつつ、日航が昇って、沈んだのか。。。。。それは針小棒大が過ぎるってね。



たぶん、次の年には、地元で穏やかそうな男性と結婚していそうですが。

>9$な想像しながら、ラジオ聴いてました。
  

Posted by たみ家 at 21:55Comments(2)

ペースアップ

2010年01月23日

来週から、ブログ更新のペースを上げないと。




明日24日は、臨時休業いたします。




お土産の発送は増えてます。
営業利益への貢献として、今までやったことで、予想よりも大幅に好調なことって、これが一番かなあ。
  

Posted by たみ家 at 08:10Comments(0)

>9$はなし

2010年01月19日

2ch的というかダジャレ的表記で

「くだらない」を「9$ない」で

>9$

はやらんだろうか?

>9$ このかたちをさらに顔文字みたいなかたちにまでひねりたいとも思うが、いまのところ思い浮かばず。
というか今日未明にふと思いついて以来だけど。


むか~し、チェッカーズが、「お~ わんだら~♪」って歌ってましたが

放浪者というかさすらい人だろうとは思いましたが、所持金が1$しかないんだろうかとも一瞬頭をよぎりました。

所持金ワンダラーで、さすらい人になる。

公設派遣村が何かと話題になる時勢。
預言みたいな歌だったんやなあ。


インディゴソックスとか、ガイナーズとか、マンダリンパイレーツとか、名前どうなんだろう?

「まんでがん」とか「ものっそ」とか「がいな」とか方言を名前に入れるのはどうかと思う。

知り合いに関係者も多いから言いにくいけど、やめた方がいいと思う。
よその人にわかりにくく、しかも県内でも若い人が使ってない言葉を、年寄りがゴリ押しノスタルジーで入れるのだとしたら、振興しようとする組織そのものの体質や姿勢まで疑われかねない。

「ものっそ」の実用は一度も聞いたことあるかないか、あるのかもしれないけど記憶にはない。

「まんでがん」も、3年に1回も聞かない。

人生で5回ぐらい?

「がいな」は、年に1回聞くかなあ?
常用する人は多いのかもしれないけど、たみ家「がいな」場面に出くわすチャンスが少ないからかもね。。。

香川のじゃないけど「カバチたれ」はそれにしてもよく聞くようになったなあ。

まあ、方言でも広がるのもあるんだろうけど、センスだよなあ。
香川は、何につけても、上手に小さくまとまってきたところがあるから、突き抜けた感じがしたものが少ないような気がする。


インディゴは、たぶん藍。

だったら、愛ということにして、徳島ラブ&ラブソックスとかラブリーソックスとかにしたら、力抜けるけど、覚えてはもらいやすいかも。

「なんじゃそれ!?」ぐらいの方が、「名産の藍から来てて、愛にかけてるんです。」って、説明の機会もあるかも。
マンダリンとかインディゴって、わからん人の方が多いと思う。
リーグ自体に関係者が思い入れるほどにはまだまだ認知もないし、選手も誰かわかりにくいし、名前もわかりにくいよりかは、でっかいハートの刺繍入りの藍色のソックスでもしとったらわかりやすいかも。

藍地に愛だから、ラブ2乗です。

まあ、たみ家のセンスもどうかと思うし、まあ、冗談みたいなもんですが、わかりにくい方言入れるのとかはどうかと思う。
大阪で「いてこませパイレーツ」とか、「しばいたれバッファローズ」とかだったらわかりやすいと思うけど品はないなあ。


そういやあ。
今年ふと気づくと、四国新聞の県内企業年頭あいさつでマルナカの中山社長が「西日本一の食品スーパーを目指す」って書いてた。

これって、ある意味、白旗宣言であり、選択と集中のための舵切り宣言?

今までは、「西日本一のスーパー」で「食品」はなかった。
「大きく出るなあ」と思ってました。
イズミとか数倍規模は西日本だけでいくつもあるし、松山のフジだって、マルナカよりはかなり規模上なのに。。。どういうシナリオだろう?
量でなく質の話だったら、西をつける意味がないし、東に質で絶対にかなわないとこでもあるんならともかく。

不況だから総合的拡大は無理で採算性の低い衣料などの拡大は目指さず得意分野に特化する。ユニクロようなカテゴリーキラー(今でもそういう?)というか製造も手がけてるところやしまむらなどとの勝負は無理だと宣言したということ?

企業トップ年頭あいさつは、時系列で複数の企業を眺めてみると、時代の風とか臭いを感じるのにはいいだろうなあ。

時間がないので、>9$はなしばっかりだったので、一個ぐらいマジメな話もしようと思った。


あっ!

そういえば、この一週間以内に、モアイをイースター島で動かしたことの特集番組があったとか某コトデンタクシーの運転手さんから聞いた。

ええっ?どこがやったんだろう。気づかなかった。見たかったなあ。


そういやあ。もう一つ。
打ちひしがれたマイクタイソンが言ったらしい。

「悲劇を見たけりゃ、まずヒーローを舞台に上げろって。人々は嫉妬心から、引きずり下ろしたくなる。みんな悲劇が見たいんだ。だからマスコミが喜んで叩く。」

擁護したい気持ちはさらさらないけど、最近、政権トップになって、持ち上げられて、叩かれる構図を見ると、日本人の嫉妬心はありそうな気がする。
政権トップだけでなく、歴史でも日常でもそれっぽい話はなくはない。

韓国もそれっぽいとこあるのかな?

タイソン語録は、けっこうおもしろいのが多い。
  

Posted by たみ家 at 08:13Comments(6)

元気ですか?

2010年01月17日

みなさん、気温が上がりませんが元気ですか?

ナルシストのすすめの続きを書こうと思ったが

気温が下がってるのと、日経新聞を取り出してから読むのが忙しいのと、お土産の発送が予想以上に多いのとで

元気が下がってる。

もうちょっと気温が上がってくれんとなあ。


だいぶ前の日経流通新聞が主要7社15ブランドを対象にチルドプリンの格付けをしたところ

ブランド力総合は、グリコの「プッチンプリン」

味の評価は、ずば抜けて、オハヨーの「こんがりバニラプリン」が高い。

味2位が66点で、プッチンが49点に対して、こんがりバニラは80点。

食べたことあります?


「ナルシストのすすめ」の続きを書く元気がない。

ちょっと元気がないのに、日々作業に追われてる感がある。

ナルシスト段階を3段階から5段階にしようか。

①自分だけの世界のナルシスト
②鏡を見るナルシスト
③鏡の自分の程度を評価できるナルシスト
④他人の視線や心理を読めてるナルシスト
⑤他人の視線や心理を読んだ行動ができてるナルシスト

いったん5段階で仮置き
ちゃんと段階になってるか微妙。
他人の心理は読めるけど自己過大評価ってのもあるだろうから。

たみ家は、あんまりナルシストじゃないんですが、とりあえず「成私好道(ナルシス道) 高松総本部」でも、頭の中に立ち上げておくことにした。

たみ家は、4級ぐらいかなあ?


そういやあ。昔はもうちょっとナルシストだったときもあったかなあ?

身体鍛えて、日々、身だしなみに時間とおぜにさんをかけていたら、今よりは「どうだ!」みたいな気持ちも大きいかも。

ナルシス道2級ぐらいの時期もあったかなあ?
う~ん。
  

Posted by たみ家 at 08:12Comments(0)

ナルシストのすすめ 1

2010年01月14日

①自分の言動だけで酔うナルシスト

②鏡をチェックして自分が見えてるナルシスト

③他人の視線や心理を読みきって行動してるナルシスト

あなたはどのナルシスト?

先日、某ご意見番との話の流れで、「あの某有名店主はナルシストだ。」という話が出た。

ふと思った。

香川のうどん屋で、割りに新しく創業して一代で有名繁盛店にした3店ほどの店主について、人づてに「あの店主はナルシスト」って話を聞いたことがある。

もっとナルシストは多いのだろう。
「ナルシスト」って言葉そのものが使われたのだけで3名について聞いたことがある。
全体的にナルシストっぽくないけど、それっぽい部分があるなあって繁盛店の店主はかなりいそうだ。

確かに、③まで行ってる人は無敵に近い。

自信・自負心があって、やってて楽しくて、完璧主義で、それで他人の心理も考えて行動できてたら、そりゃ強いわ。


「ナルシスト」ってあまりいい意味で使われないことが多いけど、人はどっかにナルシストな面を持っていることが大事だと思う。

「成私好道」ヤンキーのような。。。たみ家造語

私自身を好きになることで何かを高めたり幸せやアイデンティティーのきっかけをつかむ。
これありがちだし、大事でしょう。

前記事の「こだわり」の話は、ある意味、「見えてるナルシストですか?」って問いかけとかぶるところがある。
成私好道の入門段階の話かも。

②~③にかけて、成私好道の有段者の段階があるかも。
  

Posted by たみ家 at 08:26Comments(0)

自分の味にこだわる

2010年01月13日

最近、パラパラと5分ほど立ち読みした本で「微差力」だったかな?

売れてる店のラーメンはこってりが多いのに、「うちのラーメンはあっさりしてて美味しい」と言ってる売れてない店の店主は愛がない。

とか書いてた。

ラーメンに人気がないというより、他者の望みを受け入れず、自分のやり方に固執し、変化しない、その愛のなさに人気がないのだと。

ラーメンに人気がないのでなく、そんな店主に人気がない。
人気がないから、お客さんが来ないのだと。

たみ家も多くの店主を見たり、自分の経験から思う。

売れてて自分の味にこだわる人はともかく

売れてない店で自分の味にこだわるという人は、だいたいは愛がない。
自分もそこに陥るときは、そうであることが多い。

「こだわる」という聞こえのいい言葉を使ってるだけで、だいたいは、他人の意見を聞いてなかったり、それに合わせるための試行錯誤がだるかったり、「客よりオレの方が味がわかってる」ばりの傲慢さがあるだけ。

そういう傲慢不遜さが好きな人もたまにいるし、それが、何かのきっかけでブレイクすることも無いとはいえないが、他者から受け入れられないのに、変えようとしない人は、だいたい努力というか愛がない。

多くの人は、わかってる。
わかってて変えない。
わかってて他人を尊重しないところに愛がないと。
だから売れない、嫌われると。

気づかずに変えないことも多いが、気づいてて変えない人も多い。
視野がきちんとしてる人や努力する人は、結果が出てないと、気づいてなくても、気づいてない問題があると疑い探す。
だから、優れた人は、たいていマズイものや売れないものはつくらない。
つくってもなんのかんのして変えていくことを怠らない。
自分の味覚がダメでも、味覚のいい人連れてきてでも、売れるように変える気持ちを持ってる。
ほんとに、味というより、人間だと、売れてる店の店主を見ててつくづく思う。

売れてる店では、(たまたまかもしれないから愛があるかないかわからないけど、)他者の要望と合ってて問題にもなってない。売れないということは、愛が足らないがゆえの人気の無さといえる面は、いくらかはあるでしょうねえ。
愛よりも強い不況もあるとは思いますが。

立地の悪いところつかんで、「美味ければ客は来る」とかいう人も、お客さんのこと考えてないんです。
自分のやりたいようにやって上手くいくと思って、来るお客さんがどういう人達でどれぐらいか考えない人は、その後永く、他人への思いやりが欠けることが多い。
だから、立地が良くないところをつかむ人は、やっぱり、店の中でも他人への思いやりが欠けることが多い。

立地を研究する人は他者から出発してる。
自分から出発するのでなく、他者から先に考えることを多くの場合、思いやりがあるとか愛があるという。
それができる人は、だいたいは自分のやることも、他者が見えない人よりはできている。
  

Posted by たみ家 at 08:49Comments(0)

全国高校サッカーから

2010年01月12日

香川西は、2年連続でインターハイ王者を破った。

今年は、2戦目で無名なとこに負けたと思ったらそこが優勝した。


あんまり盛り上がらないね。

学園の経営が激動のときだっただけに、いい話だと思った。

テレビで練習風景が映ってたとき監督のコートの背中に「四国学院大学」の文字が入ってた。

野球の寒川にしても、県外中学出身者が多いからか、県内の反応はもう一つ冷ややかだ。


それにしても監督って大事なのかなあ。
全国的にそんなに勝ってないと思うけど、香川西の監督は、この年代の代表監督だったりする。
監督が優秀だからか?
個々の力で劣っても、インターハイ王者につけこんで、逆転させない程度に落ち着いて勝ち切ることができるのは。


県内の人は、県外から選手を集めたところには冷ややかな傾向がある。
それは、大阪の人が野球のPL学園を見るときでさえそうだった。

でも、たまたまそこで生まれ育ったというのと違って、何かを本気で目指して、15歳で、香川に来ることを決断してやってきた意味をわるい方にとらえる気になれない。
華々しい戦績をあげても、地元であまり喜ばれないと思うと、なんか忍びない。

地元の公立学校は親みたいなもんで選ばなくてもそこに行く。
だけど、選んで来た学校は、恋人や配偶者のようなもので、選んで推薦で勝ち得たり、ときには自ら妥協したりしてそこに至る。

親への気持ちと恋人への気持ちどっちが強いというのは、なんとも言いがたいし、違った種類の愛憎があったりする。
ただ、選んで勝ち得てそこに至った場合や恋人に対しては、親に対するのと違った峻烈な思いがあったりすることが多いだろう。

地元中学出身者の多い学校を応援したいとも思うが、何も考えずに進学した人のチームに、強い思いを抱えて一芸を磨こうと15歳で遠い地にやってきた人の多いチームがその一芸の試合で常にアウエー感の中予選を戦い続け、負けてしまうのも辛かろうと思う。


サッカー弱小県香川の中での有力校は、全国最強を食える水準のチームを基準に戦うことになる。

いろいろな考えや思いはあると思うが
明るい方にとらえて、もっと盛り上がってほしいと思った。
  

Posted by たみ家 at 07:08Comments(6)