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Posted by あしたさぬき.JP at

ユーミンの大予言か?

2010年01月29日

1975年の「いちご白書をもう一度」、あれは誰も言ってないけど、今の日本の政治の未熟や財政赤字を予言した歌でないかと勘繰れてきた。
ユーミンさんは予言してないけど、結果論でいうとそんな気がするんだなあ。

あれは、バンバンのばんばさんが、出す曲がことごとく売れないから、ユーミンさんに曲作ってもらおうと作詞作曲してもらった歌。

ヒットチャート1位になり、年度ランキングでも13位までいっちゃいました。


さて、歴史背景がわからないと説明がしにくいので、理由を後回しにせざるを得ないのですが、なんとかそれなりに

説明もおもしろくしたいと思います。


1973年のかぐや姫の「神田川」

「いつもわたしが 待たされた 洗い髪が芯まで冷えて~」

って、女性が先に出るってヘンじゃないですか?

当時都会の大学生で学生運動とかやってるのは、女性よりもロン毛なので、髪が女性よりも乾くのに時間がかかる上に女性の方が気を遣ってたというのはどうでしょうか。


「若か~たあの頃 何もこわくなか~た ただあなたの優しさがこわか~た」

時代に反抗して、守るものがなければ、こわいものなし
駆け落ち同然の親も捨てた同棲ならなおさらかも ここは「木綿のハンカチーフ」と大違い

何もないからこわくない だから唯一あるものを失うことはこわい


学生運動やってて、思想もなしに、幼稚な自分探しでわあわあやって、日米安保自動延長や連合赤軍事件などで、挫折した後に無反省に世俗の小さな幸せにすがった。

この無反省さ幼稚さを痛烈に批判したのが、ユーミンさんの「いちご白書をもう一度」でないかという風に、時代考証を進めるうちに思えてきた。

ところで
「僕は不精ヒゲと髪を伸ばして 学生集会へとときどき出かけた 就職が決まって 髪を切ったときに もう若くないさと 君に言い訳したね」
ここ核心的な歌詞ですが 横道突っ込みすると

面接はどうやったの?

ロン毛で行ったの?

って突っ込まない?

歌詞を変えて、「面接が決まって、髪を切ったときに」ってそれでも履歴書の写真はどうなんだよ?

これもし、突っ込みが間違いで、歌詞が正しいとすると、当時、面接までは誰でもロン毛で、「就職してから切ったらいいよ」を社会が許容するほど、都会の大学生はみんな学生運動に走って、ロン毛男だらけだった?
それはまさかだろう?たみ家の突っ込みが正解だろう。
これは団塊の世代の複数の証言を待とう。

これちょうど戦後兵隊さんが大量復員して生まれた、全共闘世代の上級生グループいわゆる団塊の世代ですね。
紫雲中が1クラス50人以上で、1学年30クラス、全校4000人を超えた世代ですね。

予言の意味の入り口までは書きましたが、残りは、もう察しのいい方はわかるかもしれませんが、次回に以降に。
  

Posted by たみ家 at 20:53Comments(5)

卒業を追え

2010年01月29日

正確な歌詞知らないんだけど

中島さんの「桜色散るころ~」

コブクロさんの「桜の花びら散るたびに~」

卒業シーズンに卒業が露骨に歌われなくなったような気がする。


東京オリンピック~万博世代の卒業シーズンには。

よしえさんの「春なの~に~」

斉藤さんの「卒業」

菊池さんの「卒業」

おニャン子にたぶん多数あったと思う。

まあ、AKB48あたりで、秋元さんは、またやるんだろうけど


男女雇用均等法以前は、高校卒業って、男は変わったり出て行くけど、女は残されるものという悲哀があるから女子が卒業を歌うのが定番だったのか?

これが、「高校三年生」とか、「青春時代」になると話が違ってくる。

恋愛の歌じゃないし、後者は大学でないか?


都会の大学生が歌謡曲をリードした時代は、毛色が違うね。

世の中を歌うから、安田講堂陥落や浅間山荘事件などを経て、絶望や虚無を日常の中で歌い、そこから「神田川」など小さな喜びに目を向ける歌が増えてきたような気はする。

このヘンからデータ不足や。

時代考証もまだまだ自信がないぞ。


1970~80年代の「誘惑の~甘い罠~」や「もし言えたら~抱いてやるぜ~」

みたいな肉体的な話から

バブル以降は

「二人手を取り合って」とか「君となら歩いてゆける」みたいな抽象的な歌詞が主流になった。

男女雇用機会均等法以前は

「あなたのものになる」「お嫁に行く」で

「二人で歩いていく」って感じではなかった。
専業主婦、終身雇用、核家族が都会に集中していく時代に、そんな二人で考えて歩む土壌はなかっただろう。


卒業シーズンの歌を追えば、このヘン読めてくるだろう。

まあ、少子化だし、中高生の卒業だけでは、直接的なマーケットが取りにくくなったのは確かだろう。

ただ、秋元さんはやるだろうし、懐古的にまた出てくるような気もするが。

って、最近の歌をたみ家が知らないから、最近の卒業の歌が出てこないだけかもしれない。

ここもデータ不足なので、調べねば。
  

Posted by たみ家 at 09:06Comments(2)

歌謡曲とは

2010年01月29日

エロと(現実からの)エスケープとバイオレンスをクレープで包んだデザートやつまみのようなもの

または

ときに

オブラートで包んだ薬のようなもの


アガペーとかロマンスという言葉も入れたかったのですが

エロとエスケープの間にあるものとして処理しました。

エロ以外の欲求不満のはけ口は、エスケープとバイオレンスの間にあるものとして処理しました。


エロは侮れんよ。

おぜにさん、知力、暴力、性の世の中の高流動性との親和性がすごい。

知力を分解すると

インテリジェンスとデザイアー

分解といっても足し算でなく、掛け算するものだけど
足し算でないのは、デザイアーオンリーでは、知力にならないということ。

デザイアーというのは肉欲のような意味で、自己実現欲求とか貢献欲求のようなものは指さない。

それに、貢献欲求はインテリジェンスだろう。


きれいでない人間の欲や本性を包んで美味しく仕上げて、おやつや酒の肴、ときには薬にして、それが歌となり励みや癒しをつくる。
大衆文化とは、そういうものだろう。
週刊○○とかスポーツ新聞とか、微笑、平凡、プレイボーイ。

それが、テレビになると、家でお子様も見るから、クレープやオブラートが必要となり、露骨なものから象徴的なものへと変容する。


人口変動の元、社会維持の基礎は、エロ。

どう考えても、エロからしか、人口は動かん。

人工授精とかクローンとかが主流になったら事情も変わるかもしらんけど、過去から近未来にそれはない、なさそう。


エロに近い要素、恋愛や結婚がどう扱われていたのかを深くえぐろうとしたら、歌謡曲を調べるのは有効な方策の一つだろう。

たみ家の分析や考察の強さは、正道の学問も押さえて、社会分析に数学的モデルを駆使しつつも、裏道みたいなエロやバイオレンスのような生の人間のことも、歴史学や関数の中に取り込みながら押さえにかかるところだと思っている。

ふわふわした地に足のつかないところは少ないと思っている。

きれいな政策提言の言葉の裏で、こういうところを押さえていると、いざ言葉のなぐりっこをしたときに負けにくいものとなると思う。

攻撃されたときに、説明できない隙間や矛盾がなくなるんよ。
  

Posted by たみ家 at 08:12Comments(0)