失ったものが返ってきた。
2008年07月31日
つい最近
用事で銀行に行く途中に、週に1、2回来られる、準常連の方が、
説明できないようなビデオや本しか置いてないお店から出てこられるとこに出くわし、気まずい目の合わせ方をしたまま別れました。
しまった。
何の落ち度もないけど、しまった。
もし、たみ家が逆だったらどうか?
たまに行くうどん屋のご主人の娘さんとかに、やばいビデオを借りてる(借りないけど)とこを列の後ろにたまたま並ばれて、タイトルまで全部読まれたりした状況で
ふと後ろを振返ったら、こっちも気がついて気まずい時間を過ごすようなことが。。。。。仮に。。。。。あったとしたら。
別に向こうさんに落ち度は何もないけど、どうしてもそのうどん屋に行く事情がなければ、たぶん、たみ家はそこは避けるかな。
と頭をよぎった。
ひえええっ。
このお客さん、年に3万円はご利用のうえ、開業以来、ずっとそのペースで来ていただいてるのに。
うちの近くには、自転車ですぐにいけるとこに同じぐらいの値段のうどん屋5、6件はあるのに。
ひええっ。
こんなことで、3万円の売上が減ったらどうしよう。
まあ、3万円ぐらい減るのはあることだけど、たまたま、こんなどうでもいいなんの落ち度もない偶然が、原因だったら泣くなあ。
3万円の売上って、増やそうとして増やすにはけっこう努力がいるからなあ。
と思って、
まあ、このお客さんはもう来ないこともあり得るかと半分あきらめてたら
ちゃんと次の日にも来てくれてるじゃあないですか。
落とした財布が見つかったときよりもうれしかったかも。
教訓として、
①そういう店には出入りしない。
②そういう店の方向は見ない。誰か出てきたらどっか関係ない方向を向く。
③知り合いが、二岡さんのように、ワイフでないと思う女性と歩いていたら、不自然に目立つことしなくても出くわさずにすむなら、進行方向を変えるか、目をそらす。
(しかし、普通のときは、道を歩いてても、選挙の候補者のように、電柱や犬や道の草花にでも会釈をしなくてはいけないのだが。)
用事で銀行に行く途中に、週に1、2回来られる、準常連の方が、
説明できないようなビデオや本しか置いてないお店から出てこられるとこに出くわし、気まずい目の合わせ方をしたまま別れました。
しまった。
何の落ち度もないけど、しまった。
もし、たみ家が逆だったらどうか?
たまに行くうどん屋のご主人の娘さんとかに、やばいビデオを借りてる(借りないけど)とこを列の後ろにたまたま並ばれて、タイトルまで全部読まれたりした状況で
ふと後ろを振返ったら、こっちも気がついて気まずい時間を過ごすようなことが。。。。。仮に。。。。。あったとしたら。
別に向こうさんに落ち度は何もないけど、どうしてもそのうどん屋に行く事情がなければ、たぶん、たみ家はそこは避けるかな。
と頭をよぎった。
ひえええっ。
このお客さん、年に3万円はご利用のうえ、開業以来、ずっとそのペースで来ていただいてるのに。
うちの近くには、自転車ですぐにいけるとこに同じぐらいの値段のうどん屋5、6件はあるのに。
ひええっ。
こんなことで、3万円の売上が減ったらどうしよう。
まあ、3万円ぐらい減るのはあることだけど、たまたま、こんなどうでもいいなんの落ち度もない偶然が、原因だったら泣くなあ。
3万円の売上って、増やそうとして増やすにはけっこう努力がいるからなあ。
と思って、
まあ、このお客さんはもう来ないこともあり得るかと半分あきらめてたら
ちゃんと次の日にも来てくれてるじゃあないですか。
落とした財布が見つかったときよりもうれしかったかも。
教訓として、
①そういう店には出入りしない。
②そういう店の方向は見ない。誰か出てきたらどっか関係ない方向を向く。
③知り合いが、二岡さんのように、ワイフでないと思う女性と歩いていたら、不自然に目立つことしなくても出くわさずにすむなら、進行方向を変えるか、目をそらす。
(しかし、普通のときは、道を歩いてても、選挙の候補者のように、電柱や犬や道の草花にでも会釈をしなくてはいけないのだが。)
Posted by たみ家 at
23:18
│Comments(8)
禁断の実地研修
2008年07月30日
飲食店を営業しているので、どこでも、よそで食べるのが実地研修になる。
と、口実にできてしまう。
さっき、今月、栗林町(花の宮かな?)にできた骨付き鳥の店で、ひな一本。
このあと、英明高校方面に向かってたこ焼きの店へ。
基礎代謝は、検査機関の人が見たことないほど多いという、太らない体質なのに、太る性格だなあ。
また、カラオケの好きなおばさんに会ったらどうしようか。
今日は、2cmほどドア開けて、居たら、逃げよう。
誰か、たみ家を駅伝かリレーマラソンに誘って!
60kgぐらいのときは、1500mを4分40秒ぐらいで走ってましたが、ほんの3年ほど前ですよ。
今は、それより、重さが3割増しぐらいになってるので、どんなにゆっくりでも走ること自体がヤバイ。
駅伝とかチームモノでないと、どんなに時間がなくても走るっていう、燃え燃え感がない。
駅伝のときは、1月や2月に、夜11時過ぎに帰って、気温がマイナス2℃でも走りに出てたわ。
でも、個人モノだと、「今日はまあいいや!」ってなってました。
ああ、
アスリートに戻りたい。
肉体の野生を取り戻したい。
海辺で、水着で走りたい!
と思いながら、使命に燃えて、いざたこ焼き屋へ。
と、口実にできてしまう。
さっき、今月、栗林町(花の宮かな?)にできた骨付き鳥の店で、ひな一本。
このあと、英明高校方面に向かってたこ焼きの店へ。
基礎代謝は、検査機関の人が見たことないほど多いという、太らない体質なのに、太る性格だなあ。
また、カラオケの好きなおばさんに会ったらどうしようか。
今日は、2cmほどドア開けて、居たら、逃げよう。
誰か、たみ家を駅伝かリレーマラソンに誘って!
60kgぐらいのときは、1500mを4分40秒ぐらいで走ってましたが、ほんの3年ほど前ですよ。
今は、それより、重さが3割増しぐらいになってるので、どんなにゆっくりでも走ること自体がヤバイ。
駅伝とかチームモノでないと、どんなに時間がなくても走るっていう、燃え燃え感がない。
駅伝のときは、1月や2月に、夜11時過ぎに帰って、気温がマイナス2℃でも走りに出てたわ。
でも、個人モノだと、「今日はまあいいや!」ってなってました。
ああ、
アスリートに戻りたい。
肉体の野生を取り戻したい。
海辺で、水着で走りたい!
と思いながら、使命に燃えて、いざたこ焼き屋へ。
Posted by たみ家 at
19:53
│Comments(0)
拉致カラオケ
2008年07月28日
近頃、たこ焼き行脚をしている。
うちから1kmぐらいのとこで、たこ焼きもやってる某お好み焼き店に行くと、昔ちょっとだけ来てやめた65歳ぐらいのパートの人がお客としてカウンターに座っているじゃありませんか?
うちではあんまりしゃべらなかったけど、立ち上がってなぜかうちの鉄板のとこまで来て、「わたしの腕を見ろ!」とばかりに、有無を言わさず、そばで立ったままうちらのを焼きはじめた。
おおっ!確かに上手いぞ。
転がし上手だ。
そして、ちょっと酔ってるのか、「カラオケに行こう。30分だけ。あたし、演歌歌わしたら上手いのよ。」とか言い出した。
中略
とある住宅街のカラオケ喫茶に連行される。
自治会の総会の後は、ときどきあるので、初めてではない。
この65歳以上の人が演歌ばっかり歌って、合間のムード歌謡のときに、チークをはじめるような場で、たみ家することないが、何か、することないのが落ち着く。
これで、「若いもんが歌えやあ!」とか言われると、ちょっと居づらいんだけど。
閉店30分前に着いたので、元パートのおばさんが
「浪花男節」とか、もう一曲聞いたことのない歌を熱唱したとこで終わり。
確かに、上手いです。
でも、一回も歌詞の画面から目を離しません。
おばさん歌い終わってトイレにいってる間に、会計を済ませる。
計1400円。
安い。
ビンビール2本と歌2曲とスナック菓子で、内訳は想像つくけど。
安い。
こりゃ、妙齢の人達の社交場になるのわかる。
「次来るときは、店長の歌を聞かせてくださいね。」
(えっ!次があるんですか。。。。)
こまったなあ。
若い人と行くのも、10年以上前から、新しい歌覚えてないし、この超大人の社交場でも何を歌ったらええかわからん。
おばさんかなり喜んどったなあ。
うちから1kmぐらいのとこで、たこ焼きもやってる某お好み焼き店に行くと、昔ちょっとだけ来てやめた65歳ぐらいのパートの人がお客としてカウンターに座っているじゃありませんか?
うちではあんまりしゃべらなかったけど、立ち上がってなぜかうちの鉄板のとこまで来て、「わたしの腕を見ろ!」とばかりに、有無を言わさず、そばで立ったままうちらのを焼きはじめた。
おおっ!確かに上手いぞ。
転がし上手だ。
そして、ちょっと酔ってるのか、「カラオケに行こう。30分だけ。あたし、演歌歌わしたら上手いのよ。」とか言い出した。
中略
とある住宅街のカラオケ喫茶に連行される。
自治会の総会の後は、ときどきあるので、初めてではない。
この65歳以上の人が演歌ばっかり歌って、合間のムード歌謡のときに、チークをはじめるような場で、たみ家することないが、何か、することないのが落ち着く。
これで、「若いもんが歌えやあ!」とか言われると、ちょっと居づらいんだけど。
閉店30分前に着いたので、元パートのおばさんが
「浪花男節」とか、もう一曲聞いたことのない歌を熱唱したとこで終わり。
確かに、上手いです。
でも、一回も歌詞の画面から目を離しません。
おばさん歌い終わってトイレにいってる間に、会計を済ませる。
計1400円。
安い。
ビンビール2本と歌2曲とスナック菓子で、内訳は想像つくけど。
安い。
こりゃ、妙齢の人達の社交場になるのわかる。
「次来るときは、店長の歌を聞かせてくださいね。」
(えっ!次があるんですか。。。。)
こまったなあ。
若い人と行くのも、10年以上前から、新しい歌覚えてないし、この超大人の社交場でも何を歌ったらええかわからん。
おばさんかなり喜んどったなあ。
Posted by たみ家 at
21:44
│Comments(6)
富の再配分の矛盾
2008年07月27日
政治や行政の機能でよく
「富の再配分」ってのが挙げられます。
政治や行政に向かって、いろいろ陳情をする人がいる。
こういう困ったことの相談に乗りながら、それを実現するってのも建前ありでしょう。
ただ、実際のとこどうか?
政治家に「何とかしてくれぇ!」って言える人は、
政治家と近いレベルの権力持った人か、おぜにさんたくさん持ってるとか、縁戚関係でも、同窓関係でも、政治家とそういう関係持ってる人が普通社会的に弱い側になるのはなさそうな人達ばかり。
行政に対しても、圧力団体を形成してるとか、知的レベルが高く、調査する能力もあって、役所の痛いとこを突くことができるとか、場合によっては組織的暴力を背景にしているとか、何らかのパワーを持ってることが多い。
現実のとこ
たいがい、政治家の前や役所でまとまった文句を言えるというだけで、社会的に弱者でないことが多い。
「富の再配分」は、そのためのシステムをつくっておきながら、もう一回、「強者のために再配分」することになる。
そうして、強者どうしの持ちつ持たれつの長いことよろしくないお友達づきあいの、すんごくわかりやすい例が、またも大分の教職員の世界。
まあ、それを悪くばっかりはいえんけど、高松の商店街の再開発についても、強者による強者のための再分配ってのはいえるかも。
もちろん、結束して、案を出して、それに向かって動き出すってこと自体に、何らかのパワーがいるから、パワーのないモノは何も取れないってのは、再配分のシステムの中であってすら、根本原理なのかもしれない。
それに比べて、一律に給付する「生活保護費」など扶助費。
国で税金で集めて、それを交付税などで、地方に動かして、保護世帯の状況を調べたり、世帯の状況をケアする職員を置いて、保護世帯の人にあげる。
仮に1000万円のお金を集めるのに、集めるのに組織つくって人を置いて、巨費を投じて、それを渡す窓口機関まで動かしていくのに、おぜにさんを投入し、窓口機関でも、直接対応に当たるわけですから、たくさんの人を置いて、巨費をかける。
ただ、集めて、動かし続けて、その間何らの付加価値を生まずに、ものすごい目減りをさせて、生産性の最も低い主体に渡し、付加価値も乏しい。
生活保護費は必要である。
これぞ「THE 富の再配分」といえる。
しかし、生活保護費が増えることは、必ず世の中を圧迫する。
誰かが払ってるわけだから、その誰かがたくさんいる余裕のある社会でないと、負担できない。
強者のための再配分は、何だか意義がよくわからず。
弱者のための再配分は、名目上は生産性の低い率の悪いおぜにさんの使い方で、どこかに強者の存在を必要とする。
強者を育てて強者を富ますことが、弱者への再配分の源泉であるだけに、なかなか矛盾ですな。
「富の再配分」ってのが挙げられます。
政治や行政に向かって、いろいろ陳情をする人がいる。
こういう困ったことの相談に乗りながら、それを実現するってのも建前ありでしょう。
ただ、実際のとこどうか?
政治家に「何とかしてくれぇ!」って言える人は、
政治家と近いレベルの権力持った人か、おぜにさんたくさん持ってるとか、縁戚関係でも、同窓関係でも、政治家とそういう関係持ってる人が普通社会的に弱い側になるのはなさそうな人達ばかり。
行政に対しても、圧力団体を形成してるとか、知的レベルが高く、調査する能力もあって、役所の痛いとこを突くことができるとか、場合によっては組織的暴力を背景にしているとか、何らかのパワーを持ってることが多い。
現実のとこ
たいがい、政治家の前や役所でまとまった文句を言えるというだけで、社会的に弱者でないことが多い。
「富の再配分」は、そのためのシステムをつくっておきながら、もう一回、「強者のために再配分」することになる。
そうして、強者どうしの持ちつ持たれつの長いことよろしくないお友達づきあいの、すんごくわかりやすい例が、またも大分の教職員の世界。
まあ、それを悪くばっかりはいえんけど、高松の商店街の再開発についても、強者による強者のための再分配ってのはいえるかも。
もちろん、結束して、案を出して、それに向かって動き出すってこと自体に、何らかのパワーがいるから、パワーのないモノは何も取れないってのは、再配分のシステムの中であってすら、根本原理なのかもしれない。
それに比べて、一律に給付する「生活保護費」など扶助費。
国で税金で集めて、それを交付税などで、地方に動かして、保護世帯の状況を調べたり、世帯の状況をケアする職員を置いて、保護世帯の人にあげる。
仮に1000万円のお金を集めるのに、集めるのに組織つくって人を置いて、巨費を投じて、それを渡す窓口機関まで動かしていくのに、おぜにさんを投入し、窓口機関でも、直接対応に当たるわけですから、たくさんの人を置いて、巨費をかける。
ただ、集めて、動かし続けて、その間何らの付加価値を生まずに、ものすごい目減りをさせて、生産性の最も低い主体に渡し、付加価値も乏しい。
生活保護費は必要である。
これぞ「THE 富の再配分」といえる。
しかし、生活保護費が増えることは、必ず世の中を圧迫する。
誰かが払ってるわけだから、その誰かがたくさんいる余裕のある社会でないと、負担できない。
強者のための再配分は、何だか意義がよくわからず。
弱者のための再配分は、名目上は生産性の低い率の悪いおぜにさんの使い方で、どこかに強者の存在を必要とする。
強者を育てて強者を富ますことが、弱者への再配分の源泉であるだけに、なかなか矛盾ですな。
Posted by たみ家 at
12:25
│Comments(3)
会計のコンサバティズムとプラス志向
2008年07月27日
あることのマイナス面について言うと
「マイナス志向だ」とか、「良くないことを考えるより、行動した方がいい。」とか理解しがたい反応が返ってくることがときどきある。
普通、よく考える人は行動もたくさんするだろう。
例外はときどき目立つかもしれないが、人の考える量と行動の量ってほぼ比例せん?
行動が考えることを導くという相互にフィードバックする面も見逃せないかもしれませんね。
仮に
うどん店をするのに、月に60万円の利益を上げる計画とする。
まあこれぐらいはないと、車持って、家建てて、こども二人学校に行かせて、老後のたくわえはできんわな。
退職金もボーナスもない世界なので。
現実には個人店は淘汰されまくってるし、10年と長く続くとは限らない商売だけに、利益は月100万円でも実際は足らんわな。
60万円の月収を目指して月々の、費用を計算するに、修繕予定やロスなどマイナスをどんどん考えていくと、売り上げを増やさないといけなくなるので、メニューや販売促進法を考えたり、費用削減のための効率的な作業手順や機械の導入を考えることになる。
マイナス要因を増やすと、当初月300万円の必要売上が320万円になるかもしれない。
これがプラス志向を生む。
天候不順による標準を大幅に下回るような売上減を大きめに見込めば、標準的な時期の売上目標はもっと大きくしないといけないので、届かない分の対応がいる。
これに、大型店の近隣進出やお客さんが一番多いオフィスの転出など、もっと不確定で大きなマイナスを考えると、移転の費用や多角化など、もっとたくさんのことを考えることになる。
マイナス要因が少ないなら、毎日、あんのんと同じことをしてもやっていけるかもしれない。
マイナス要因を考えれば考えるほど、どんどんやるべきことが見えてきて、目標を高く持ち、具体的な行動につながる。
それがプラス志向。
現実は、こっちが普通でないんだろうか?
会計のコンサバティズムとか会計の保守主義というが、これは、良くないことは大きく見込め、不確定なプラスは小さく見込めというもの。
これは、何のためか?
利益を小さく計上するためで、同じ売上と費用でも、利益を小さく計上すれば、株式会社なら配当は少なくなるし、税金の払いも少なくなるし、個人事業なら経営者が使えるお金が小さくなるなど、企業体からのおぜにさんの流出が少なくなる。
利益を小さく計算して、するべき課題を明確にし、おぜにさんの流出を減らしたり、おぜにさんを使う目的をきちんと考えたり、安定した継続性の高い経営や生活をもたらす。
これは、お店でも普通の人々の生活でも同じでないでしょうか?
「マイナス志向だ」とか、「良くないことを考えるより、行動した方がいい。」とか理解しがたい反応が返ってくることがときどきある。
普通、よく考える人は行動もたくさんするだろう。
例外はときどき目立つかもしれないが、人の考える量と行動の量ってほぼ比例せん?
行動が考えることを導くという相互にフィードバックする面も見逃せないかもしれませんね。
仮に
うどん店をするのに、月に60万円の利益を上げる計画とする。
まあこれぐらいはないと、車持って、家建てて、こども二人学校に行かせて、老後のたくわえはできんわな。
退職金もボーナスもない世界なので。
現実には個人店は淘汰されまくってるし、10年と長く続くとは限らない商売だけに、利益は月100万円でも実際は足らんわな。
60万円の月収を目指して月々の、費用を計算するに、修繕予定やロスなどマイナスをどんどん考えていくと、売り上げを増やさないといけなくなるので、メニューや販売促進法を考えたり、費用削減のための効率的な作業手順や機械の導入を考えることになる。
マイナス要因を増やすと、当初月300万円の必要売上が320万円になるかもしれない。
これがプラス志向を生む。
天候不順による標準を大幅に下回るような売上減を大きめに見込めば、標準的な時期の売上目標はもっと大きくしないといけないので、届かない分の対応がいる。
これに、大型店の近隣進出やお客さんが一番多いオフィスの転出など、もっと不確定で大きなマイナスを考えると、移転の費用や多角化など、もっとたくさんのことを考えることになる。
マイナス要因が少ないなら、毎日、あんのんと同じことをしてもやっていけるかもしれない。
マイナス要因を考えれば考えるほど、どんどんやるべきことが見えてきて、目標を高く持ち、具体的な行動につながる。
それがプラス志向。
現実は、こっちが普通でないんだろうか?
会計のコンサバティズムとか会計の保守主義というが、これは、良くないことは大きく見込め、不確定なプラスは小さく見込めというもの。
これは、何のためか?
利益を小さく計上するためで、同じ売上と費用でも、利益を小さく計上すれば、株式会社なら配当は少なくなるし、税金の払いも少なくなるし、個人事業なら経営者が使えるお金が小さくなるなど、企業体からのおぜにさんの流出が少なくなる。
利益を小さく計算して、するべき課題を明確にし、おぜにさんの流出を減らしたり、おぜにさんを使う目的をきちんと考えたり、安定した継続性の高い経営や生活をもたらす。
これは、お店でも普通の人々の生活でも同じでないでしょうか?
Posted by たみ家 at
11:44
│Comments(0)
退職金の性質
2008年07月26日
世の中ウケがあまり良くなくても、こういうことは言っておいた方がいいかなと思うことがいくつかある。
1つは前にも書いたけど、刑罰について遺族の処罰感情は入れるべきでない。
これの延長に、大分の教育委員会の不祥事がある。
試験と刑罰は制度としてはほぼ同じ意味がある。
知ってる人間や目の前にいる人間に対して、情状が入る余地をつくれば、必ずそれは、お金持ってる人間や権力に近い人間だけが何でも好き放題にできるようになる。
最近、遺族の処罰感情を国が入れるようになったのは、国が自分に都合の悪い人間を罰することができるようにするためとか、政治へのウサを他に向けさせるガス抜きのためや、権力に近い人間が、物事をフリーハンドで自分に都合よく曲げる抜け穴をつくるためとかで、国民のためになんて絶対にない。
それでも処罰感情を入れて欲しいという人はいるかもしれない。
しかし、国などは、国民を害したり、コントロールしやすくなると喜びながらそうするだけで、国民のためにではない。
処罰感情を量刑に入れることは、司法制度が大分の教育委員会化するに他ならない。
そういうことって、政治家や霞ヶ関官僚のあまり上品とはいえない飲み話を長く聞いてきたからわかるんだろうか?
普通に誰もがたみ家と同じように考えるしかないほど、理論的にも歴史的にも経験的にもそれしかないと思うんだが。
大分が特別だと思いますか?
香川が同じだとは言わない。
でも、同じことができるええ加減な制度と、それをしたら出世できたり、儲かるなど同じ動機は香川にもある。
同じとは言わないが制度も動機も同じなら、同じことが起こってもなんら不思議ではない。
そして、おおよその公的制度は似たような状況にある。
それをわざわざ広げてかからんでも。
もう1つは、公務員が懲戒免職になった場合に、退職金をもらえなくなるのっておかしくない?
税務や会計をいじってると、退職金って、給与をボーナスを後払いするのと同じように退職後に後払いするもので、すでに「過去に働いて」発生した賃金債権と解釈することになるのが自然だと思う。
すでに働いて発生した賃金の受け取りの権利を仮に、交通事故で当ててしまって、怖くなって逃げて懲戒免職になったからって、もらえなくなるのはおかしい。
普通サラリーマンは、働いた給料は、仮にどんな犯罪を犯してももらえるはず。
痴漢した悪いヤツだから、今まで働いた分の給料をあげないってのはない。
刑罰を受けるからといって、働いてすでに発生した賃金を取られるのは、公務員だろうと普通の会社員だろうとおかしいのは同じだろう。
退職金の性質についてよく次の①~③が挙げられます。
① 長く勤めたご褒美
② 退職後の生活保障
③ 賃金の後払い
最高裁判例はたみ家と同じで、③です。
会社は働いたことに対して、賃金の払い方はいろいろにしても、お金を払わなければならないことは間違いない。
しかし、退職後の生活保障をする理由なんか、国の政策としてはともかく、会社にはないはず。
また、長く勤めたご褒美ってことは、退職金の支払い義務と労務提供の間で、会計的に借り方と貸し方が合わない。
長く勤めたからって、何千万円ももらえるってのは、勤続のご褒美がメインの理由なら対価性がはっきりしないだけに、不自然に多くない?
また、公務員だからこそ、労働の対価としてお金を後払いってのは税金から出す根拠が明確だけど、長く勤めたご褒美が手厚いってのはいかにもお手盛りみたいで、①を取ることこそおかしくないだろうか?
なるほど、まじめに問題なく長く勤めることに対してのご褒美なら、懲戒免職が受け取りできなくなる理由になる可能性はある。
しかし、退職金がすでに発生した労務の対価の後払いなら、受け取りさせない理由は立ちにくい。
公務員の綱紀の粛正や、民の感情のガス抜きを公務員やその家族の生活の基礎であり、すでに発生した労務の対価を奪うことで、何とかしようとするのは、ちょっとこわい。
配偶者が仮に夫として、退職金無しで、支払い能力がなくなったというのに、妻が住宅ローンを払い続けて、こどもの進学をあきらめたりするのだろうか?
これは、賃金の後払い説を取るなら、あまりにも不当だろう。
昔、ユダヤ人がひどい目にあったり、ハンセン病の人達が長いこと隔離された間、誰も声をあげてやらなかったし、やれなかった。
感情で物事を動かしたときに、彼らを良くしようとする感情は働かず、命や人生の全てを奪うまで、感情は良い方に働かなかった。
いじめは命がなくなるまで続けられ。
部活のしごきは大怪我するまで続けられ。
サークルの一気飲みは、命がなくなったり、病院送りになるまで続けられ。
たみ家は、ときどきこういうの直に見たなあ。
で、ガキの世界は幼稚だなあ。なんじゃそりゃ?
と思ったら
歳食った人達の世界を見ても。
歴史もそうだった。
勤め先もそうだった。人のいい人が、ときどき、しなくてもいいはずの過労死してた。
新聞などで見るニュースもそうだった。
ほんとうに大事なときに、ムードや感情を破ることが世の中を良くするための一番大事なことでないかとさえ思える。
ある意味、理詰めで考えることって優しさだと思う。
理詰めでないと、見えない関係に対して、優しくなれないことがある。
公務員の退職金であれ、刑罰であれ、公的なことに感情を入れたら、それは必ず、国を悪くし、人々の生活を悪くする方にしか、向かないことを理詰めと歴史や経験から、今一度見直してもいいと思う。
大きな問題の中に、感情はちょっとでも入れてしまったら、たいがい、暴走しようとするし、暴走を止めることは難しい。
誰かのお子さんが熱心で、親御さんも教育一家で立派な人達だから、点数が足りなくても、先生にしてあげたい。
というのと似ている。
感情はわからんでもない。
でも、そこに作用させてはいけない。
それは戦争や虐殺などにとてもつながりやすいから。
理屈でもそう。歴史でもそう。周囲からの経験でもそうではないでしょうか?
1つは前にも書いたけど、刑罰について遺族の処罰感情は入れるべきでない。
これの延長に、大分の教育委員会の不祥事がある。
試験と刑罰は制度としてはほぼ同じ意味がある。
知ってる人間や目の前にいる人間に対して、情状が入る余地をつくれば、必ずそれは、お金持ってる人間や権力に近い人間だけが何でも好き放題にできるようになる。
最近、遺族の処罰感情を国が入れるようになったのは、国が自分に都合の悪い人間を罰することができるようにするためとか、政治へのウサを他に向けさせるガス抜きのためや、権力に近い人間が、物事をフリーハンドで自分に都合よく曲げる抜け穴をつくるためとかで、国民のためになんて絶対にない。
それでも処罰感情を入れて欲しいという人はいるかもしれない。
しかし、国などは、国民を害したり、コントロールしやすくなると喜びながらそうするだけで、国民のためにではない。
処罰感情を量刑に入れることは、司法制度が大分の教育委員会化するに他ならない。
そういうことって、政治家や霞ヶ関官僚のあまり上品とはいえない飲み話を長く聞いてきたからわかるんだろうか?
普通に誰もがたみ家と同じように考えるしかないほど、理論的にも歴史的にも経験的にもそれしかないと思うんだが。
大分が特別だと思いますか?
香川が同じだとは言わない。
でも、同じことができるええ加減な制度と、それをしたら出世できたり、儲かるなど同じ動機は香川にもある。
同じとは言わないが制度も動機も同じなら、同じことが起こってもなんら不思議ではない。
そして、おおよその公的制度は似たような状況にある。
それをわざわざ広げてかからんでも。
もう1つは、公務員が懲戒免職になった場合に、退職金をもらえなくなるのっておかしくない?
税務や会計をいじってると、退職金って、給与をボーナスを後払いするのと同じように退職後に後払いするもので、すでに「過去に働いて」発生した賃金債権と解釈することになるのが自然だと思う。
すでに働いて発生した賃金の受け取りの権利を仮に、交通事故で当ててしまって、怖くなって逃げて懲戒免職になったからって、もらえなくなるのはおかしい。
普通サラリーマンは、働いた給料は、仮にどんな犯罪を犯してももらえるはず。
痴漢した悪いヤツだから、今まで働いた分の給料をあげないってのはない。
刑罰を受けるからといって、働いてすでに発生した賃金を取られるのは、公務員だろうと普通の会社員だろうとおかしいのは同じだろう。
退職金の性質についてよく次の①~③が挙げられます。
① 長く勤めたご褒美
② 退職後の生活保障
③ 賃金の後払い
最高裁判例はたみ家と同じで、③です。
会社は働いたことに対して、賃金の払い方はいろいろにしても、お金を払わなければならないことは間違いない。
しかし、退職後の生活保障をする理由なんか、国の政策としてはともかく、会社にはないはず。
また、長く勤めたご褒美ってことは、退職金の支払い義務と労務提供の間で、会計的に借り方と貸し方が合わない。
長く勤めたからって、何千万円ももらえるってのは、勤続のご褒美がメインの理由なら対価性がはっきりしないだけに、不自然に多くない?
また、公務員だからこそ、労働の対価としてお金を後払いってのは税金から出す根拠が明確だけど、長く勤めたご褒美が手厚いってのはいかにもお手盛りみたいで、①を取ることこそおかしくないだろうか?
なるほど、まじめに問題なく長く勤めることに対してのご褒美なら、懲戒免職が受け取りできなくなる理由になる可能性はある。
しかし、退職金がすでに発生した労務の対価の後払いなら、受け取りさせない理由は立ちにくい。
公務員の綱紀の粛正や、民の感情のガス抜きを公務員やその家族の生活の基礎であり、すでに発生した労務の対価を奪うことで、何とかしようとするのは、ちょっとこわい。
配偶者が仮に夫として、退職金無しで、支払い能力がなくなったというのに、妻が住宅ローンを払い続けて、こどもの進学をあきらめたりするのだろうか?
これは、賃金の後払い説を取るなら、あまりにも不当だろう。
昔、ユダヤ人がひどい目にあったり、ハンセン病の人達が長いこと隔離された間、誰も声をあげてやらなかったし、やれなかった。
感情で物事を動かしたときに、彼らを良くしようとする感情は働かず、命や人生の全てを奪うまで、感情は良い方に働かなかった。
いじめは命がなくなるまで続けられ。
部活のしごきは大怪我するまで続けられ。
サークルの一気飲みは、命がなくなったり、病院送りになるまで続けられ。
たみ家は、ときどきこういうの直に見たなあ。
で、ガキの世界は幼稚だなあ。なんじゃそりゃ?
と思ったら
歳食った人達の世界を見ても。
歴史もそうだった。
勤め先もそうだった。人のいい人が、ときどき、しなくてもいいはずの過労死してた。
新聞などで見るニュースもそうだった。
ほんとうに大事なときに、ムードや感情を破ることが世の中を良くするための一番大事なことでないかとさえ思える。
ある意味、理詰めで考えることって優しさだと思う。
理詰めでないと、見えない関係に対して、優しくなれないことがある。
公務員の退職金であれ、刑罰であれ、公的なことに感情を入れたら、それは必ず、国を悪くし、人々の生活を悪くする方にしか、向かないことを理詰めと歴史や経験から、今一度見直してもいいと思う。
大きな問題の中に、感情はちょっとでも入れてしまったら、たいがい、暴走しようとするし、暴走を止めることは難しい。
誰かのお子さんが熱心で、親御さんも教育一家で立派な人達だから、点数が足りなくても、先生にしてあげたい。
というのと似ている。
感情はわからんでもない。
でも、そこに作用させてはいけない。
それは戦争や虐殺などにとてもつながりやすいから。
理屈でもそう。歴史でもそう。周囲からの経験でもそうではないでしょうか?
Posted by たみ家 at
00:02
│Comments(0)
社会保険庁の処分歴のある職員の処遇 1
2008年07月24日
たみ家は、社会保険庁が次の組織になるにあたって、処分歴のある職員を採用しない方針になるというのを聞いて、法というか世の中の原則に反すると思いました。
政治的な話や、感情の話としてはわからなくはない。
しかし、法律問題としてははなはだ疑問です。
法に基づいて採用され、その給料で生活してる人間の職を失わせるんですよ。
大くくりに、「社会保険庁憎し」ではいかんと思います。
また、悪いといっても、万引きで懲役20年というのは、おかしい。
簡単に有名人の年金履歴を覗けるシステムになってる中でも、確かに、覗くのは社会の信頼を損なわせる意味で悪い。
しかし、その処分が職を失わせることは正義や公平(衡平)を失していないか?
財政難のはけ口や政治家が自分の未納を覗かれた個人的な恨みつらみのレベルではないだろうか?
法原理としては
①同じことを理由に時間を経て2度罰されてはいけない。
②一度処分が確定した悪事に対して、さかのぼってさらに重い処分を加えてはいけない。
という刑法の法理に反します。
もっとも、行政組織に関することに刑法の法理は適用されなければいけないわけではない。
しかし、そういうことがされたら人は安心して生活できないし、時の権力者がいかようにでも、自分の都合の悪い人間を刑務所に放り込むことができるから、いけないという理由があるわけで、趣旨は通じるでしょう。
継続組織の採用に当たって、例えば、多めに早期退職の割増退職金を出すとか、採用にあたって、処遇や給料に影響を与える試験や選抜を行って、その材料に処分歴をきちんと事案に応じて減点点数を決めてマイナスするというのが妥当ではないか?
これは、減給にすら値しなかった処分を時間を経て、政治家のごり押しや恨みのせいで、免職させられるのと同じでしょう。
政治家が社会保険庁の職員にする場合は、わがことでないから、涼しい顔をされる人もいるでしょう。
しかし、こういうことがまかり通るということは、政治や行政の有力者は、オールマイティーに国民に対して、こういうことができるとか許されるということと同義ではないでしょうか?
国民や市民は、自分のことでない事件の背後や原理を見て、社会全般や自分に及ぶ可能性を感じて、危ないと察知してアラームを鳴らせないとまずいと思います。
思いつくままに書いたので、書き漏らしがありそうなので 1としてますが、後で眺めて漏れがあったら 2にいこうと思います。
政治的な話や、感情の話としてはわからなくはない。
しかし、法律問題としてははなはだ疑問です。
法に基づいて採用され、その給料で生活してる人間の職を失わせるんですよ。
大くくりに、「社会保険庁憎し」ではいかんと思います。
また、悪いといっても、万引きで懲役20年というのは、おかしい。
簡単に有名人の年金履歴を覗けるシステムになってる中でも、確かに、覗くのは社会の信頼を損なわせる意味で悪い。
しかし、その処分が職を失わせることは正義や公平(衡平)を失していないか?
財政難のはけ口や政治家が自分の未納を覗かれた個人的な恨みつらみのレベルではないだろうか?
法原理としては
①同じことを理由に時間を経て2度罰されてはいけない。
②一度処分が確定した悪事に対して、さかのぼってさらに重い処分を加えてはいけない。
という刑法の法理に反します。
もっとも、行政組織に関することに刑法の法理は適用されなければいけないわけではない。
しかし、そういうことがされたら人は安心して生活できないし、時の権力者がいかようにでも、自分の都合の悪い人間を刑務所に放り込むことができるから、いけないという理由があるわけで、趣旨は通じるでしょう。
継続組織の採用に当たって、例えば、多めに早期退職の割増退職金を出すとか、採用にあたって、処遇や給料に影響を与える試験や選抜を行って、その材料に処分歴をきちんと事案に応じて減点点数を決めてマイナスするというのが妥当ではないか?
これは、減給にすら値しなかった処分を時間を経て、政治家のごり押しや恨みのせいで、免職させられるのと同じでしょう。
政治家が社会保険庁の職員にする場合は、わがことでないから、涼しい顔をされる人もいるでしょう。
しかし、こういうことがまかり通るということは、政治や行政の有力者は、オールマイティーに国民に対して、こういうことができるとか許されるということと同義ではないでしょうか?
国民や市民は、自分のことでない事件の背後や原理を見て、社会全般や自分に及ぶ可能性を感じて、危ないと察知してアラームを鳴らせないとまずいと思います。
思いつくままに書いたので、書き漏らしがありそうなので 1としてますが、後で眺めて漏れがあったら 2にいこうと思います。
Posted by たみ家 at
08:17
│Comments(2)
挙証責任の法理
2008年07月24日
渇水のときのうどん店
や
割箸
これが環境などに悪いのかどうか。
これは、悪いという側に悪いということを立証する責任があります。
民法第709条には、不法行為について、わざとやうっかりで他人に害を与えたら損害賠償の責任があるってことが書いてあります。
これは、追求する側に、相手がわざとやうっかりがあると立証する責任があります。
故意も過失もまったくない不可抗力で損害を与えても、賠償責任はありません。
だから、追求する側はけっこう立証責任があるのでたいへんなんです。
刑法でも
「疑わしきは罰せず」っていうけど、検察など捜査機関が厳格に立証する責任を負います。
普通に考えてみてください。
生活してて、誰かに「あなたが悪い!責任取って!」っていわれて、非難された側が悪くないことの立証責任を負ってたら、世の中が回ると思いますか?
適法に平穏に営業しているうどん店が、水を浪費しているとか、適法に製造・販売している割箸業者や飲食店その他の営業の中で適法に使われている割箸が環境に悪いといわれ、非難されてる側が立証責任を負う。
こういうことが原則なら、例えば、貨幣のない経済や予測可能性のない法律が支配する社会のように、地球で60億人とか日本で1億2千万人とか生活できるシステムを維持できないですよ。
痴漢の冤罪とか、あれは原則から完全に外れた話でした。
非難される側が立証しなければならないってのは、世の中の根本原則から外れているんです。
戦後のレッドバージや、戦前の憲兵の取り締まりなどはたぶんに、立証責任を市民に負わせていたでしょう。
疑われた側が立証責任を負うってのは、政治的にむちゃな力関係のもとに抑圧された社会で起きがちで、また、そのことそのものが抑圧された社会につながらないでしょうか?
「○○が悪い。」といわれ、自粛、自粛ってのは、抑圧された社会そのものだと思います。
悪くないことや、やってないことって普通どの分野でも簡単には立証できないんです。
また、挙証責任を無視するような相手は、合理的に反証を挙げても、結論ありきなので、取り付くしまがありません。
一般的に挙証責任を非難された側に課せば、魔女狩りになります。
疑う側が、自分で立証責任を負わずに他人の活動をストップさせて、相手が証明に追われるようにできるなら、世の中むちゃくちゃです。
根本原則は、「○○が悪い」という側が負うわけで、この根本から派生して、契約の当事者である場合や職業や公共性の高いところで行われていることについて、事情に応じて立証責任が転換されたりするとたみ家は考えています。
だから、たみ家が、「うどん屋は渇水について悪くないでしょう。」とか「割箸は環境に悪くないでしょう。」と反論すれば、悪いという側は厳格に立証するための反撃をする責任があります。
もし、それができないのなら、適法に営業活動する者に対して、水資源の適正利用や環境に悪いというのは、問題があるのではないでしょうか?
や
割箸
これが環境などに悪いのかどうか。
これは、悪いという側に悪いということを立証する責任があります。
民法第709条には、不法行為について、わざとやうっかりで他人に害を与えたら損害賠償の責任があるってことが書いてあります。
これは、追求する側に、相手がわざとやうっかりがあると立証する責任があります。
故意も過失もまったくない不可抗力で損害を与えても、賠償責任はありません。
だから、追求する側はけっこう立証責任があるのでたいへんなんです。
刑法でも
「疑わしきは罰せず」っていうけど、検察など捜査機関が厳格に立証する責任を負います。
普通に考えてみてください。
生活してて、誰かに「あなたが悪い!責任取って!」っていわれて、非難された側が悪くないことの立証責任を負ってたら、世の中が回ると思いますか?
適法に平穏に営業しているうどん店が、水を浪費しているとか、適法に製造・販売している割箸業者や飲食店その他の営業の中で適法に使われている割箸が環境に悪いといわれ、非難されてる側が立証責任を負う。
こういうことが原則なら、例えば、貨幣のない経済や予測可能性のない法律が支配する社会のように、地球で60億人とか日本で1億2千万人とか生活できるシステムを維持できないですよ。
痴漢の冤罪とか、あれは原則から完全に外れた話でした。
非難される側が立証しなければならないってのは、世の中の根本原則から外れているんです。
戦後のレッドバージや、戦前の憲兵の取り締まりなどはたぶんに、立証責任を市民に負わせていたでしょう。
疑われた側が立証責任を負うってのは、政治的にむちゃな力関係のもとに抑圧された社会で起きがちで、また、そのことそのものが抑圧された社会につながらないでしょうか?
「○○が悪い。」といわれ、自粛、自粛ってのは、抑圧された社会そのものだと思います。
悪くないことや、やってないことって普通どの分野でも簡単には立証できないんです。
また、挙証責任を無視するような相手は、合理的に反証を挙げても、結論ありきなので、取り付くしまがありません。
一般的に挙証責任を非難された側に課せば、魔女狩りになります。
疑う側が、自分で立証責任を負わずに他人の活動をストップさせて、相手が証明に追われるようにできるなら、世の中むちゃくちゃです。
根本原則は、「○○が悪い」という側が負うわけで、この根本から派生して、契約の当事者である場合や職業や公共性の高いところで行われていることについて、事情に応じて立証責任が転換されたりするとたみ家は考えています。
だから、たみ家が、「うどん屋は渇水について悪くないでしょう。」とか「割箸は環境に悪くないでしょう。」と反論すれば、悪いという側は厳格に立証するための反撃をする責任があります。
もし、それができないのなら、適法に営業活動する者に対して、水資源の適正利用や環境に悪いというのは、問題があるのではないでしょうか?
Posted by たみ家 at
07:53
│Comments(0)
渇水の前に
2008年07月24日
今年は、梅雨明けが早くて、また渇水の可能性が。
そこで業界のもんとして一言。
「うどん店が渇水のときにひんしゅく」とかよく聞きますが
うち、1日200食出しても、月の上水道代って、7000円ぐらいのもんですよ。
製麺から食器洗浄、掃除、茹で、麺洗い全部合計でそんなもんですよ。
開業以来、売れた月も売れない月もほとんど変わらず、月の上水道代は7000円ぐらいです。
家庭で1日200食食べたら、風呂とかなしでも7000円ではすまないでしょう。
たぶん、茹でが湯船にためたお湯ぐらいで、その他全部あわせても、5人住んでる一般家庭の湯船の湯とシャワーとトイレで使う水とそう大変わりしないと思いますよ。
個人の平均的な売上の店なら、ほんと一般家庭と変わりはしないでしょうし、売上の大きい店は、水使用は増えても、売上の小さい店よりも効率よく水を使ってるはずだから、一般家庭から見ると模範のように節水型の水使用スタイルではないでしょうか?
渇水になったら、一般家庭で食事をするのをやめてみんな外食にすべきだと思いますよ。
渇水のうえに、景気に悪い話してもバカバカしい。
さて、外食の中でうどんが節水かどうかはよくわかりません。
ただ、外見と違って、機械的に同じような形のどんぶりをガーッと洗えるから効率的で節水になるのではないでしょうか?
うどんは割りに食器の種類や数が少なくてすみますから。
まあ、何にしても、業界の外からはよくわからなかった。
正味の数字を正確に見ると、うどん店が渇水でひんしゅくって話は、バカバカしさを通りこしていると思う。
うちの月の上水道代が7000円ってのが割りに主張の確固たる証拠になってる。
天ぷら乗せる皿をやめて、どんぶりに入れるスタイルならもっと減るので、1食当たりの水道代を製麺から出汁、飲み水、食器洗浄や付随するトイレや手洗いの水も按分させても1円分以内にはおさまるでしょう。
合理性や根拠を欠いた気分しだいのものやパッと見た目からの勘違いから来るものが、多くの分野で幅をきかせすぎている。
これは問題やね。
そこで業界のもんとして一言。
「うどん店が渇水のときにひんしゅく」とかよく聞きますが
うち、1日200食出しても、月の上水道代って、7000円ぐらいのもんですよ。
製麺から食器洗浄、掃除、茹で、麺洗い全部合計でそんなもんですよ。
開業以来、売れた月も売れない月もほとんど変わらず、月の上水道代は7000円ぐらいです。
家庭で1日200食食べたら、風呂とかなしでも7000円ではすまないでしょう。
たぶん、茹でが湯船にためたお湯ぐらいで、その他全部あわせても、5人住んでる一般家庭の湯船の湯とシャワーとトイレで使う水とそう大変わりしないと思いますよ。
個人の平均的な売上の店なら、ほんと一般家庭と変わりはしないでしょうし、売上の大きい店は、水使用は増えても、売上の小さい店よりも効率よく水を使ってるはずだから、一般家庭から見ると模範のように節水型の水使用スタイルではないでしょうか?
渇水になったら、一般家庭で食事をするのをやめてみんな外食にすべきだと思いますよ。
渇水のうえに、景気に悪い話してもバカバカしい。
さて、外食の中でうどんが節水かどうかはよくわかりません。
ただ、外見と違って、機械的に同じような形のどんぶりをガーッと洗えるから効率的で節水になるのではないでしょうか?
うどんは割りに食器の種類や数が少なくてすみますから。
まあ、何にしても、業界の外からはよくわからなかった。
正味の数字を正確に見ると、うどん店が渇水でひんしゅくって話は、バカバカしさを通りこしていると思う。
うちの月の上水道代が7000円ってのが割りに主張の確固たる証拠になってる。
天ぷら乗せる皿をやめて、どんぶりに入れるスタイルならもっと減るので、1食当たりの水道代を製麺から出汁、飲み水、食器洗浄や付随するトイレや手洗いの水も按分させても1円分以内にはおさまるでしょう。
合理性や根拠を欠いた気分しだいのものやパッと見た目からの勘違いから来るものが、多くの分野で幅をきかせすぎている。
これは問題やね。
Posted by たみ家 at
01:01
│Comments(0)
後悔!基礎代謝の記事削除
2008年07月23日
基礎代謝の記事は削除しました。
たくさん食べる人と勘違いされて、食べ物を勧められたりしたら、逆効果や!
しかし、最近、たこ焼きやお好み焼きにはまってますなあ。
たくさん食べる人と勘違いされて、食べ物を勧められたりしたら、逆効果や!
しかし、最近、たこ焼きやお好み焼きにはまってますなあ。
Posted by たみ家 at
21:21
│Comments(0)
「あの子と遊んではいけません!?」!?
2008年07月21日
これ言おうとしてる側も悩みの中で「!?」ですし、聞いたたみ家も子がいないし、そういうこと考えたことないけど、けっこう感慨深かったから「!?」
ある人Aの家の近所に、しばらく前に離婚されて、家のお仕事の都合で小学校1年生の女子某を1人残して、親は土日も含めて朝から晩まで家にいない家庭があるらしい。
晩まで親がいないので、連絡用や防犯用かとは思いますが、もう、携帯電話も持って、お小遣いも食事ができるぐらいもらって買い食いをたくさんしているらしい。
Aは、愛情と手間をかけて、わが子(男)を育て、やっと今年小学校に上がったとこ。
素直で、知的好奇心も旺盛で、なるほど、かなりの美男子で学校でもモテるし、テストでも100点とることがけっこう多いらしい。
しかし、小学校で通学グループでAの子と女子某が同級生で、一緒になって、遊ぶようになって、「携帯電話を持たせろ」とか、買い食いがしたいので「小遣いが欲しい」とかいうようになったらしい。
女子某は、親の態度・交友状況やその子の今の態度を両方知っている近所の人からみんな「あの子は将来絶対にグレる。」と噂されてるらしい。
かなり将来美人になりそうではあるが、それがアダになってヤンキー関係に引っ張られてすぐにヤンキー方面に行きそうな雰囲気があるらしい。
聞くところ離婚された両親がヤンキーカップルそのものって感じでもあったそうです。
その女子某は朝早くから親が外に出るので、土曜日、日曜日など毎度毎度、朝早くからAの家に遊びに来るらしい。
そして、帰るのは、親が帰って来る晩近くまでで、ずっと家に入り浸ろうとするらしい。
あまりに朝早くから来るので、「ちょっと朝早過ぎるから家に帰ろうね。」と車で家まで連れ戻すこともあるらしい。
日曜日に家で家族団らんも落ち着いてできない。
また、追い返して、その辺で遊んでるうちに顔もちょっと目立つぐらいかわいらしい小1の女児が事故や誘拐やわいせつ事件に巻き込まれたらと思うと、諭して家(無人だけど)まで送り届けないと落ち着かないらしい。
親に話しても取り付くしまのない親らしいし、生活がイッパイイッパイなので要求もできない。
しかし、小1からもうギャル系のメイクして、買い食いばかりして、もうグレる空気を出しまくってる子が、自分の子に、それもやけに好いてくっついてくる。
そして女子某の真似して、「買い食いしたい」だの、思春期とも反抗期とも思わなかった予想もせんぐらい早い段階で、その他、今までなかったような要求や粗暴な言葉を子が繰り返す。
もう、のど元まで
「あの子と遊んだらいかん。」
と言いたくなるが、あの子=女子某は、そういう家庭に育った被害者でその子自身には罪はなく、小学校に上がっていきなり周囲の子供が遊んでくれなくなったり、偏見に満ちた態度を浴びせられるといよいよほんとにグレてしまう。
また、自分の子供が育つ過程で、遊び友達との仲を無理やり裂くようなことを親がして、心の傷をつくらないか、将来に良くない影響を残さないか、など、いろいろ「一緒に遊ぶな!」と言いたい手前で悩むらしい。
こういう家庭の子供も、暖かく育ててこそ地域社会だ。
と周囲の親も配慮しようとは思っているらしいが、みんな「あの子は将来グレるしかない。」という意見で一致するらしく、わが子への悪影響も同時に心配しているらしい。
これはまったく人から聞いた話で、登場人物もA以外はAの子をちらっと2回ほど見たことありますが、一度も見たことない人ばかりで、当事者でないのですが、なかなか解決の見えない難しい問題だと思いました。
ある人Aの家の近所に、しばらく前に離婚されて、家のお仕事の都合で小学校1年生の女子某を1人残して、親は土日も含めて朝から晩まで家にいない家庭があるらしい。
晩まで親がいないので、連絡用や防犯用かとは思いますが、もう、携帯電話も持って、お小遣いも食事ができるぐらいもらって買い食いをたくさんしているらしい。
Aは、愛情と手間をかけて、わが子(男)を育て、やっと今年小学校に上がったとこ。
素直で、知的好奇心も旺盛で、なるほど、かなりの美男子で学校でもモテるし、テストでも100点とることがけっこう多いらしい。
しかし、小学校で通学グループでAの子と女子某が同級生で、一緒になって、遊ぶようになって、「携帯電話を持たせろ」とか、買い食いがしたいので「小遣いが欲しい」とかいうようになったらしい。
女子某は、親の態度・交友状況やその子の今の態度を両方知っている近所の人からみんな「あの子は将来絶対にグレる。」と噂されてるらしい。
かなり将来美人になりそうではあるが、それがアダになってヤンキー関係に引っ張られてすぐにヤンキー方面に行きそうな雰囲気があるらしい。
聞くところ離婚された両親がヤンキーカップルそのものって感じでもあったそうです。
その女子某は朝早くから親が外に出るので、土曜日、日曜日など毎度毎度、朝早くからAの家に遊びに来るらしい。
そして、帰るのは、親が帰って来る晩近くまでで、ずっと家に入り浸ろうとするらしい。
あまりに朝早くから来るので、「ちょっと朝早過ぎるから家に帰ろうね。」と車で家まで連れ戻すこともあるらしい。
日曜日に家で家族団らんも落ち着いてできない。
また、追い返して、その辺で遊んでるうちに顔もちょっと目立つぐらいかわいらしい小1の女児が事故や誘拐やわいせつ事件に巻き込まれたらと思うと、諭して家(無人だけど)まで送り届けないと落ち着かないらしい。
親に話しても取り付くしまのない親らしいし、生活がイッパイイッパイなので要求もできない。
しかし、小1からもうギャル系のメイクして、買い食いばかりして、もうグレる空気を出しまくってる子が、自分の子に、それもやけに好いてくっついてくる。
そして女子某の真似して、「買い食いしたい」だの、思春期とも反抗期とも思わなかった予想もせんぐらい早い段階で、その他、今までなかったような要求や粗暴な言葉を子が繰り返す。
もう、のど元まで
「あの子と遊んだらいかん。」
と言いたくなるが、あの子=女子某は、そういう家庭に育った被害者でその子自身には罪はなく、小学校に上がっていきなり周囲の子供が遊んでくれなくなったり、偏見に満ちた態度を浴びせられるといよいよほんとにグレてしまう。
また、自分の子供が育つ過程で、遊び友達との仲を無理やり裂くようなことを親がして、心の傷をつくらないか、将来に良くない影響を残さないか、など、いろいろ「一緒に遊ぶな!」と言いたい手前で悩むらしい。
こういう家庭の子供も、暖かく育ててこそ地域社会だ。
と周囲の親も配慮しようとは思っているらしいが、みんな「あの子は将来グレるしかない。」という意見で一致するらしく、わが子への悪影響も同時に心配しているらしい。
これはまったく人から聞いた話で、登場人物もA以外はAの子をちらっと2回ほど見たことありますが、一度も見たことない人ばかりで、当事者でないのですが、なかなか解決の見えない難しい問題だと思いました。
Posted by たみ家 at
13:49
│Comments(5)
NPO「何かしようで庵治」発足
2008年07月21日
はじめてバスで庵治まで行きました。
舟かくしはええとこですなあ。
舟かくしからの眺望はとてもすぐれておりますなあ。
ちょい悪親父さんのお声かけで、庵治の活性化のための会に行ってまいりました。
前向きで楽しい会になりました。
ちょい悪親父さんの事務所も初見学。
外から見たより、中は広いと思いました。
発足会議の会場も、事務所も、舟かくしのバス停からボール投げたら届くかと思うほど両方近かった。
舟かくしはええとこですなあ。
舟かくしからの眺望はとてもすぐれておりますなあ。
ちょい悪親父さんのお声かけで、庵治の活性化のための会に行ってまいりました。
前向きで楽しい会になりました。
ちょい悪親父さんの事務所も初見学。
外から見たより、中は広いと思いました。
発足会議の会場も、事務所も、舟かくしのバス停からボール投げたら届くかと思うほど両方近かった。
Posted by たみ家 at
13:18
│Comments(4)
久々の庵治
2008年07月20日
打ち合わせ中に、うちの税理士がセカチュウのロケ地に行きたいということになって、急遽庵治へ。
えらいご満悦でした。
今日は、日差しは強かったけど、海も空も美しく澄んだ日でした。
税理士予想外に
防波堤でえらいよろこんどった。
いろいろすれ違う人達に、「この人達は○○のカップル?(ひそひそ。)」と勘違いされんか心配になりました。
いまだ、セカチュウロケ地は、それなりににぎわってますね。
えらいご満悦でした。
今日は、日差しは強かったけど、海も空も美しく澄んだ日でした。
税理士予想外に
防波堤でえらいよろこんどった。
いろいろすれ違う人達に、「この人達は○○のカップル?(ひそひそ。)」と勘違いされんか心配になりました。
いまだ、セカチュウロケ地は、それなりににぎわってますね。
Posted by たみ家 at
20:06
│Comments(2)
就職は金融商品 1
2008年07月18日
これも従来からの自論ですが
郵便貯金の普通貯金という金融商品に投資すると、元本割れのリスクが少なく、低いながらほぼ保障された利息がついてくる。
発展途上国の株とかに投資すると。。。
いいとか悪いとかはともかく、とにかく結果の予測がつきにくい。
人は、いろんな投資をするけど、ほとんどの人の場合は就職という時間を預けて投資する金融商品が一番大きな金融商品への投資でしょう。
それは、金融商品とは一般には呼ばれてないけど、実際は、35年ものとか40年ものとかの月一回の配当と年2回の特別配当と35年か40年したときの満期時の一時金を目的として、長い時間を売り渡して、労務提供付きで、職務専念とセクハラやパワハラへのガマンとか、大分の教育委員会だったら、逮捕されるリスク付きとか、いくつかの制限を課されて、その配当で生活するわけで、おまけにその人のステータスとか価値まで計られてしまうこともあるので、いったいどれだけおまけがついてるんや。
阪急の株に投資したら、宝塚のチケットが送られてくるどころじゃないぞ!
多くの人は、そこに人生の楽しみや生きがいまでかけたりもするからオプションでかいぞ、無視できんぞ。
だいたい就職なる金融投資は、するときにだいたい表面利回りがわかってる。
公務員になったら初期の配当は低いけど後半は高くなってきて満期のときがいいよねとか、満期がオイシイから途中解約(退職)は損とか、発行元の債務不履行リスクが低いねとかいってたわけだ。
それが、合併やら、道州制やら、社会保険庁の年金機構への移行やら、郵政民営化などいろいろあって、まあ世の中にとっていいか悪いかは別として、安定した金融商品に投資したと思った人からしたら、配当の不履行リスクや発行元の倒れるリスクなどが出てきたともいえる。
今はそういう時代でもないんでしょうが、昔なら、結婚相手を探して大企業などに社内恋愛の末の寿退職を狙って、就職する人がいたとしたら、これは、転換社債ですか!?
1と書いたものの、2を書く予定があるわけではない。
でも、じゃあ自営って何やねん?
自分でジャングルに鉱脈探しに行ったり、自分で船だして沈没船の埋蔵金を探すようなもんか?
いや、いくら何でもそこまではないやろ!
この辺は、おさまらせないといけませんね。
あまりにいいかげんなとこで切るので、とりあえずタイトルに1と入れておきました。
郵便貯金の普通貯金という金融商品に投資すると、元本割れのリスクが少なく、低いながらほぼ保障された利息がついてくる。
発展途上国の株とかに投資すると。。。
いいとか悪いとかはともかく、とにかく結果の予測がつきにくい。
人は、いろんな投資をするけど、ほとんどの人の場合は就職という時間を預けて投資する金融商品が一番大きな金融商品への投資でしょう。
それは、金融商品とは一般には呼ばれてないけど、実際は、35年ものとか40年ものとかの月一回の配当と年2回の特別配当と35年か40年したときの満期時の一時金を目的として、長い時間を売り渡して、労務提供付きで、職務専念とセクハラやパワハラへのガマンとか、大分の教育委員会だったら、逮捕されるリスク付きとか、いくつかの制限を課されて、その配当で生活するわけで、おまけにその人のステータスとか価値まで計られてしまうこともあるので、いったいどれだけおまけがついてるんや。
阪急の株に投資したら、宝塚のチケットが送られてくるどころじゃないぞ!
多くの人は、そこに人生の楽しみや生きがいまでかけたりもするからオプションでかいぞ、無視できんぞ。
だいたい就職なる金融投資は、するときにだいたい表面利回りがわかってる。
公務員になったら初期の配当は低いけど後半は高くなってきて満期のときがいいよねとか、満期がオイシイから途中解約(退職)は損とか、発行元の債務不履行リスクが低いねとかいってたわけだ。
それが、合併やら、道州制やら、社会保険庁の年金機構への移行やら、郵政民営化などいろいろあって、まあ世の中にとっていいか悪いかは別として、安定した金融商品に投資したと思った人からしたら、配当の不履行リスクや発行元の倒れるリスクなどが出てきたともいえる。
今はそういう時代でもないんでしょうが、昔なら、結婚相手を探して大企業などに社内恋愛の末の寿退職を狙って、就職する人がいたとしたら、これは、転換社債ですか!?
1と書いたものの、2を書く予定があるわけではない。
でも、じゃあ自営って何やねん?
自分でジャングルに鉱脈探しに行ったり、自分で船だして沈没船の埋蔵金を探すようなもんか?
いや、いくら何でもそこまではないやろ!
この辺は、おさまらせないといけませんね。
あまりにいいかげんなとこで切るので、とりあえずタイトルに1と入れておきました。
Posted by たみ家 at
22:14
│Comments(0)
自営隊
2008年07月18日
タイトルには意味ないです。
今日は、とんでも太郎さんがご来店でした。
すごく素敵なヘルメットをお持ちでした。
短い時間でしたが、いろいろ楽しいお話ができました。
その後、たまたま、今日は売上が好調だったこともあり、早めに店閉めて念願のUD工房見学にアポなしで突撃。
UDマンさんとてらきちさんととなきちさんが、始国はちはち祭りの打ち合わせをしておりました。
てらきちさん顔若っ! 22、3でも通用するなあ。
それにしても、「あしたさぬき」関係でご来店の方、自営率高っ!
自分で言うのも何ですが。。。
そこまでして自営がいいのかっ!?
なんで自営してんだ?
わざわざ立ち止まって考えたらわけがわからんようになってきたが
自営しかできん人間だからかもしれんなあと自分の場合は結論が出てきたような。
他の方はまったくわかりませんが
以前に、所得と教育の関係について書いて、これぐらいの条件が揃ってたら、まあ普通貧乏にはならんだろうとか書いたけど、
自営するという時点で、親からよっぽどいい条件で会社でも譲ってもらわん限り、いっぺん、世の中の所得を得るのに確率のいい方向に逆らっとるから、ハードルは、1つか1.5個ほど多くなるなあと思いました。
今日は、とんでも太郎さんがご来店でした。
すごく素敵なヘルメットをお持ちでした。
短い時間でしたが、いろいろ楽しいお話ができました。
その後、たまたま、今日は売上が好調だったこともあり、早めに店閉めて念願のUD工房見学にアポなしで突撃。
UDマンさんとてらきちさんととなきちさんが、始国はちはち祭りの打ち合わせをしておりました。
てらきちさん顔若っ! 22、3でも通用するなあ。
それにしても、「あしたさぬき」関係でご来店の方、自営率高っ!
自分で言うのも何ですが。。。
そこまでして自営がいいのかっ!?
なんで自営してんだ?
わざわざ立ち止まって考えたらわけがわからんようになってきたが
自営しかできん人間だからかもしれんなあと自分の場合は結論が出てきたような。
他の方はまったくわかりませんが
以前に、所得と教育の関係について書いて、これぐらいの条件が揃ってたら、まあ普通貧乏にはならんだろうとか書いたけど、
自営するという時点で、親からよっぽどいい条件で会社でも譲ってもらわん限り、いっぺん、世の中の所得を得るのに確率のいい方向に逆らっとるから、ハードルは、1つか1.5個ほど多くなるなあと思いました。
Posted by たみ家 at
21:52
│Comments(2)
ジュリーで育った俺
2008年07月17日
ちょい悪親父さんのところにコメントを書こうと思いいろいろジュリーについて思い出すと長くなりすぎたので。。。
かくいう私も。。。
「勝手にしやがれ」で物心をつけ
「LOVE 抱きしめたい」で人の世の寂しさを知り
「六番目の憂鬱」で、人生を本気で考えるようになりました。
というのは、大げさ過ぎますが
ちょっとありです。
TOKIOの歌詞も東京一極集中やバブルを予見しててすごいと思いますが
OH!GALやサムライも時代。
TOKIOの歌詞は糸井重里さんでしたっけ?
前もどっかで書きましたが
東京を
「海に浮かんだ光の泡」って表現したのは、秀逸過ぎだと思います。
にしても
時代を歌ったヒーローですね。
百恵さんや秀樹やひろみやキャンディーズやピンクレディーも物心ついたときから、長いことお世話になってますが、
ジュリーで物心をつけ、心に時代を刻み付けた幼少から思春期でありましたなあ。
「『あなたは帰る家がある。優しく包む人がいる。』とか、『指輪外して愛し合ういけない女と呼ばせたくない。』って何でやねん?」「オレはあなたを手放したら一人ぼっちなんか?」と幼少時に泣きが入りました。
昔は、男がやせ我慢して、意地張って、粋に気取ってました。
ような気がする。
かくいう、たみ家も、小学校1、2年ぐらいのときが一番そうだったかも。
今は、弱音を吐いて、文句を言って、重箱の隅をつついて小銭を増やす。
って、素晴らしいなあと思う。
自分は、幼少だったのでよくわからんけど、ジュリーが人気が落ちたというか歌う歌がなくなったのは、
男がやせ我慢したり粋を気取ったりしなくなったというか、できなくなった時代背景があるんじゃないだろうか?
「お前にチェックイン」ぐらいで、男のやせ我慢や粋を歌うって時代の役割を終えてたんかなと思うし、TOKIOとOH!GALはその前兆に咲いた最期の花だったような気もした。
ある意味、自分の時代の終わりを自分で高らかに宣言したような皮肉な感じもします。
「六番目の憂鬱」で、愛する人に満たされながらも自分の生き方を模索する葛藤に、ガキながら心震わされたもんでしたが。
かくいう私も。。。
「勝手にしやがれ」で物心をつけ
「LOVE 抱きしめたい」で人の世の寂しさを知り
「六番目の憂鬱」で、人生を本気で考えるようになりました。
というのは、大げさ過ぎますが
ちょっとありです。
TOKIOの歌詞も東京一極集中やバブルを予見しててすごいと思いますが
OH!GALやサムライも時代。
TOKIOの歌詞は糸井重里さんでしたっけ?
前もどっかで書きましたが
東京を
「海に浮かんだ光の泡」って表現したのは、秀逸過ぎだと思います。
にしても
時代を歌ったヒーローですね。
百恵さんや秀樹やひろみやキャンディーズやピンクレディーも物心ついたときから、長いことお世話になってますが、
ジュリーで物心をつけ、心に時代を刻み付けた幼少から思春期でありましたなあ。
「『あなたは帰る家がある。優しく包む人がいる。』とか、『指輪外して愛し合ういけない女と呼ばせたくない。』って何でやねん?」「オレはあなたを手放したら一人ぼっちなんか?」と幼少時に泣きが入りました。
昔は、男がやせ我慢して、意地張って、粋に気取ってました。
ような気がする。
かくいう、たみ家も、小学校1、2年ぐらいのときが一番そうだったかも。
今は、弱音を吐いて、文句を言って、重箱の隅をつついて小銭を増やす。
って、素晴らしいなあと思う。
自分は、幼少だったのでよくわからんけど、ジュリーが人気が落ちたというか歌う歌がなくなったのは、
男がやせ我慢したり粋を気取ったりしなくなったというか、できなくなった時代背景があるんじゃないだろうか?
「お前にチェックイン」ぐらいで、男のやせ我慢や粋を歌うって時代の役割を終えてたんかなと思うし、TOKIOとOH!GALはその前兆に咲いた最期の花だったような気もした。
ある意味、自分の時代の終わりを自分で高らかに宣言したような皮肉な感じもします。
「六番目の憂鬱」で、愛する人に満たされながらも自分の生き方を模索する葛藤に、ガキながら心震わされたもんでしたが。
Posted by たみ家 at
20:25
│Comments(2)
店をやる喜び
2008年07月16日
今朝は、自由席さんにはじめてお会いしました。
7月27日(日)に、アルファあなぶきホールで「ひめゆり」なる映画があるとのこと。
名刺をいただくと何かどこかで見たことがあるような気がしたお名前でした。
いろいろ知らない世界の話が聞けて楽しかったです。
夕方前には、某ご意見番の方もいらっしゃいました。
先般は、UDマンさんとちょい悪親父さんと、同時ではありませんが、ダンディの両巨頭がお見えになりました。
いやあ、これは店をやる喜びの大きなものの1つですねえ。
7月27日(日)に、アルファあなぶきホールで「ひめゆり」なる映画があるとのこと。
名刺をいただくと何かどこかで見たことがあるような気がしたお名前でした。
いろいろ知らない世界の話が聞けて楽しかったです。
夕方前には、某ご意見番の方もいらっしゃいました。
先般は、UDマンさんとちょい悪親父さんと、同時ではありませんが、ダンディの両巨頭がお見えになりました。
いやあ、これは店をやる喜びの大きなものの1つですねえ。
Posted by たみ家 at
22:09
│Comments(4)
驚異的なうちの光熱水費
2008年07月15日
エコ生活のことをちらっと書いたので、ついでにうちの自宅の光熱水費が、先月驚異的に安かったので端数を丸くして公開します。
電気代 1600円
ガス代 1200円
上下水道代 1200円(2ヶ月分を割った。)
計 4000円
おかしいやろ。
旅行や出張で空けた日なんか1日もないんよ。
まあ、この1年、テレビは1回もスイッチ入れてない。
1人のときに冷暖房器具のスイッチは入れたことがない。
エコを心がけたことは1回もない。
シャワーも毎日、お湯を沸かしているが、不思議だ。
電気代 1600円
ガス代 1200円
上下水道代 1200円(2ヶ月分を割った。)
計 4000円
おかしいやろ。
旅行や出張で空けた日なんか1日もないんよ。
まあ、この1年、テレビは1回もスイッチ入れてない。
1人のときに冷暖房器具のスイッチは入れたことがない。
エコを心がけたことは1回もない。
シャワーも毎日、お湯を沸かしているが、不思議だ。
Posted by たみ家 at
22:24
│Comments(2)
エコから入るかなあ?
2008年07月15日
四国新聞の4コママンガに、こどもがCO2の排出が環境に良くないと聞いて、息を止めて苦しんでいるのがあった。
たぶん、自然な呼吸のリズムを変えて、呼吸をした方がCO2の排出は大きくなるだろう。
近頃、環境関係の話は、おかし過ぎるのが多い。
無意味な精神論のうえに、環境対策としても間違っていると思うのが多い。
たみ家は、割箸のリサイクルは
「冷蔵庫のドアを開け放しにして部屋を涼しくしようとしてるみたいだなあ。」
と思った。
バイオガソリンとか初めて聞いた瞬間は
「燃料が足りないからと、タンスからダイヤモンドを取ってきて燃やしてるみたいな話だなあ」
と思った。
たみ家は、タッチタイピングの普及は、日本国中の割箸の消費を完全にゼロにするよりも環境効果は高いと思いますよ。
同じ作文をするのに、早く終わらせて電気を消して、エアコンも消して寝れば、確実に環境にいい。
何も犠牲にしない。
安易に縮小スパイラルのエコ目的からは入らないようにしよう。
作業を早くする。
疲れやVDTストレスをなくす。
そうすることで、疲れずに周囲を手伝ったり、疲れを見せない気持ちの余裕を持つ。
そして、手元や画面を見て引っかかることをなくして、文章を書くときに考えたり、構成できるようにして、走り書きでもそこそこのレベルになるようにする。
さらに、たくさん書くことによって、書く能力そのものを向上させられるようにする。
もっと大事なことから入って、自然に、マイ箸運動全体の何十倍もの環境効果を出したいと思う。
昔、オフィスで、一本指でキーボードを操作してたおじさんが、1人で、エアコンつけて広い部屋の照明をつけて、コピー機やパソコンの電気つけて、長いこと報告書をつくって残業してたのを見ましたが、文章の質を含めて成果や能力を向上させながら、パッパと同じことができるように成長しながら、自然に、環境効果を出すのが、優れたエコ活動だと思う。
ただ削減したり、手間をかけることから入ると
「人間が存在することが悪い。経済活動や消費自体が悪い。」
ということになりがちだ。
最近、よくコンビニの深夜営業規制の話が出る。
これがトータルでどう出るかまではわからないが、多くの失業者や倒れる店が出て、限定的だがミニ恐慌が起きると思う。
昼に配達しないといけないとなれば、ただでさえ、ガソリンが高くなってるのに、深夜料金でも走れず、混んでるときに何度も停まりながら走るので燃費も悪くなり、ただでさえ青息吐息の配送業者は、倒れまくるかもね。
また、全体では深夜の時間帯は赤字の店が多く、23~7時までの深夜売上は全体の15%程度だから、1店舗売上が多いセブンイレブン以外の店は、1日の深夜で7~9万円程度だろう。
そこに、深夜の高止まりした人件費が2万数千円かかる。
粗利ほとんどというか全部持っていかれるやん。
だから、深夜営業はやめても何とかなるようにも見える。
しかし、オーナー家族が人件費が高めの時間帯に入り、さらに長時間店につかることで生きながらえてる店もある。
そうした、ややしんどくなったお店でオーナーがギリギリでがんばってるお店を軒並み倒してしまうような結果になるだろう。
そうすれば、フランチャイジーの努力で潤っている、フランチャイザーの方も大きな打撃を受けないのだろうか?
地球を冷やそうとして、これ以上、わが国の小売を冷やしていいもんだろうか?
それに、マイ箸マップのお店を目指して、車に乗っていつもより遠いお店に行く考えがわからん。
他の環境問題との影響を考えずに何か1つを問題視して減らそうとすると、冷蔵庫を開けっ放しにして部屋を涼しくしようとするに似る。
エコを考えるときには、本来の仕事の成果や能力を高める過程の中に落とし込むように考えたら、もっといい取り組みが増えると思う。
単純に、何かを減らすというとこから目をつけたエコはさえない結果になるし、昔の野球部とか戦前の軍隊のような精神論におちいる危険があると思う。
たぶん、自然な呼吸のリズムを変えて、呼吸をした方がCO2の排出は大きくなるだろう。
近頃、環境関係の話は、おかし過ぎるのが多い。
無意味な精神論のうえに、環境対策としても間違っていると思うのが多い。
たみ家は、割箸のリサイクルは
「冷蔵庫のドアを開け放しにして部屋を涼しくしようとしてるみたいだなあ。」
と思った。
バイオガソリンとか初めて聞いた瞬間は
「燃料が足りないからと、タンスからダイヤモンドを取ってきて燃やしてるみたいな話だなあ」
と思った。
たみ家は、タッチタイピングの普及は、日本国中の割箸の消費を完全にゼロにするよりも環境効果は高いと思いますよ。
同じ作文をするのに、早く終わらせて電気を消して、エアコンも消して寝れば、確実に環境にいい。
何も犠牲にしない。
安易に縮小スパイラルのエコ目的からは入らないようにしよう。
作業を早くする。
疲れやVDTストレスをなくす。
そうすることで、疲れずに周囲を手伝ったり、疲れを見せない気持ちの余裕を持つ。
そして、手元や画面を見て引っかかることをなくして、文章を書くときに考えたり、構成できるようにして、走り書きでもそこそこのレベルになるようにする。
さらに、たくさん書くことによって、書く能力そのものを向上させられるようにする。
もっと大事なことから入って、自然に、マイ箸運動全体の何十倍もの環境効果を出したいと思う。
昔、オフィスで、一本指でキーボードを操作してたおじさんが、1人で、エアコンつけて広い部屋の照明をつけて、コピー機やパソコンの電気つけて、長いこと報告書をつくって残業してたのを見ましたが、文章の質を含めて成果や能力を向上させながら、パッパと同じことができるように成長しながら、自然に、環境効果を出すのが、優れたエコ活動だと思う。
ただ削減したり、手間をかけることから入ると
「人間が存在することが悪い。経済活動や消費自体が悪い。」
ということになりがちだ。
最近、よくコンビニの深夜営業規制の話が出る。
これがトータルでどう出るかまではわからないが、多くの失業者や倒れる店が出て、限定的だがミニ恐慌が起きると思う。
昼に配達しないといけないとなれば、ただでさえ、ガソリンが高くなってるのに、深夜料金でも走れず、混んでるときに何度も停まりながら走るので燃費も悪くなり、ただでさえ青息吐息の配送業者は、倒れまくるかもね。
また、全体では深夜の時間帯は赤字の店が多く、23~7時までの深夜売上は全体の15%程度だから、1店舗売上が多いセブンイレブン以外の店は、1日の深夜で7~9万円程度だろう。
そこに、深夜の高止まりした人件費が2万数千円かかる。
粗利ほとんどというか全部持っていかれるやん。
だから、深夜営業はやめても何とかなるようにも見える。
しかし、オーナー家族が人件費が高めの時間帯に入り、さらに長時間店につかることで生きながらえてる店もある。
そうした、ややしんどくなったお店でオーナーがギリギリでがんばってるお店を軒並み倒してしまうような結果になるだろう。
そうすれば、フランチャイジーの努力で潤っている、フランチャイザーの方も大きな打撃を受けないのだろうか?
地球を冷やそうとして、これ以上、わが国の小売を冷やしていいもんだろうか?
それに、マイ箸マップのお店を目指して、車に乗っていつもより遠いお店に行く考えがわからん。
他の環境問題との影響を考えずに何か1つを問題視して減らそうとすると、冷蔵庫を開けっ放しにして部屋を涼しくしようとするに似る。
エコを考えるときには、本来の仕事の成果や能力を高める過程の中に落とし込むように考えたら、もっといい取り組みが増えると思う。
単純に、何かを減らすというとこから目をつけたエコはさえない結果になるし、昔の野球部とか戦前の軍隊のような精神論におちいる危険があると思う。
Posted by たみ家 at
21:15
│Comments(2)
ソリアーノの謎
2008年07月14日
12年ほど前に、広島東洋カープに、球団がドミニカで所有してた野球アカデミー「カープアカデミー」から、ソリアーノという選手が連れてこられました。
名前が印象に残ってたのと、全然大した選手じゃなかったというのがたみ家の記憶でした。
日本でもまったく非力で、鈍足が理由でロバというあだ名まであったそうです。
二軍戦ですら、130打数以上で、ゼロ本塁打、一軍でもちょっと出ましたが、一、二軍通じてホームランなし、打率は二軍ですら2割ぐらい、一軍では通算で、17打数2安打と1割ちょっとほど。
ところが、松井秀喜さんが、ヤンキースに行ったころに、ソリアーノって同じチームになって、松井秀喜さんよりもはるかにすごいホームランバッターになってて、盗塁王まで争うような選手になってるじゃあありませんか。
細身の非力なバッターが長打力を身につけるってのはありえると思う。
しかし、日本でさえも非力で通ってた選手が大リーグでも、先頭打者ホームランのシーズンの史上最高記録を持ってて、まだ若いのに通算でも歴代でも2位か3位で、割りに守備の負担の大きいセカンドに長くいて、1番や2番の打順に入ってシーズン40本以上もホームラン打って、年俸も20億円以上とか普通の変身じゃない。
日本では、500万円ぐらいだったはず。
日本で、シーズンでホームラン50本打ってた秀喜がメジャーでは、15本とか20本で、日本で30本近く打ってた岩村や松井稼頭央でも、10本打てないのに、日本で1本も打てなかったし、打てそうな感じすらしなかったソリアーノがなぜ毎年、メジャーで、未だ細身の部類なのに、30本も40本も打てるんだろうか?
ひょっとしたら、イチローより細いかもしれんぞ。
それ以上に、20歳前後の時点で、日本で目立つほどの有名な鈍足でロバとあだ名をつけられた選手がどうして、毎年のように40盗塁以上できるようになったんだろう。
いくら、モーションを盗むのが上手くても、鈍足の部類の選手がリーグの上位を常に争うほど盗塁できるようになるはずがない。
広島を鳴かず飛ばずで追い出されてから、ほんの2年ほどの間に、メジャーリーグを代表するすごい選手になったはず。
ヤンキースを出るときは、史上最高の選手という声もあるアレックス・ロドリゲスと交換トレードされたぐらいだから、ものすごい評価だ。
人間って、何が大きく変えるんだろう?
とか
広島がソリアーノをスーパースターにできる可能性はあったんだろうか?
そういやあ、今は、カブスで福留と同じチームで外野を固めてるのか。
ドミニカでは、慈善事業にも熱心らしい。
名前が印象に残ってたのと、全然大した選手じゃなかったというのがたみ家の記憶でした。
日本でもまったく非力で、鈍足が理由でロバというあだ名まであったそうです。
二軍戦ですら、130打数以上で、ゼロ本塁打、一軍でもちょっと出ましたが、一、二軍通じてホームランなし、打率は二軍ですら2割ぐらい、一軍では通算で、17打数2安打と1割ちょっとほど。
ところが、松井秀喜さんが、ヤンキースに行ったころに、ソリアーノって同じチームになって、松井秀喜さんよりもはるかにすごいホームランバッターになってて、盗塁王まで争うような選手になってるじゃあありませんか。
細身の非力なバッターが長打力を身につけるってのはありえると思う。
しかし、日本でさえも非力で通ってた選手が大リーグでも、先頭打者ホームランのシーズンの史上最高記録を持ってて、まだ若いのに通算でも歴代でも2位か3位で、割りに守備の負担の大きいセカンドに長くいて、1番や2番の打順に入ってシーズン40本以上もホームラン打って、年俸も20億円以上とか普通の変身じゃない。
日本では、500万円ぐらいだったはず。
日本で、シーズンでホームラン50本打ってた秀喜がメジャーでは、15本とか20本で、日本で30本近く打ってた岩村や松井稼頭央でも、10本打てないのに、日本で1本も打てなかったし、打てそうな感じすらしなかったソリアーノがなぜ毎年、メジャーで、未だ細身の部類なのに、30本も40本も打てるんだろうか?
ひょっとしたら、イチローより細いかもしれんぞ。
それ以上に、20歳前後の時点で、日本で目立つほどの有名な鈍足でロバとあだ名をつけられた選手がどうして、毎年のように40盗塁以上できるようになったんだろう。
いくら、モーションを盗むのが上手くても、鈍足の部類の選手がリーグの上位を常に争うほど盗塁できるようになるはずがない。
広島を鳴かず飛ばずで追い出されてから、ほんの2年ほどの間に、メジャーリーグを代表するすごい選手になったはず。
ヤンキースを出るときは、史上最高の選手という声もあるアレックス・ロドリゲスと交換トレードされたぐらいだから、ものすごい評価だ。
人間って、何が大きく変えるんだろう?
とか
広島がソリアーノをスーパースターにできる可能性はあったんだろうか?
そういやあ、今は、カブスで福留と同じチームで外野を固めてるのか。
ドミニカでは、慈善事業にも熱心らしい。
Posted by たみ家 at
20:27
│Comments(5)