挙証責任の法理

2008年07月24日

渇水のときのうどん店

割箸

これが環境などに悪いのかどうか。

これは、悪いという側に悪いということを立証する責任があります。

民法第709条には、不法行為について、わざとやうっかりで他人に害を与えたら損害賠償の責任があるってことが書いてあります。
これは、追求する側に、相手がわざとやうっかりがあると立証する責任があります。

故意も過失もまったくない不可抗力で損害を与えても、賠償責任はありません。

だから、追求する側はけっこう立証責任があるのでたいへんなんです。


刑法でも
「疑わしきは罰せず」っていうけど、検察など捜査機関が厳格に立証する責任を負います。

普通に考えてみてください。

生活してて、誰かに「あなたが悪い!責任取って!」っていわれて、非難された側が悪くないことの立証責任を負ってたら、世の中が回ると思いますか?

適法に平穏に営業しているうどん店が、水を浪費しているとか、適法に製造・販売している割箸業者や飲食店その他の営業の中で適法に使われている割箸が環境に悪いといわれ、非難されてる側が立証責任を負う。
こういうことが原則なら、例えば、貨幣のない経済や予測可能性のない法律が支配する社会のように、地球で60億人とか日本で1億2千万人とか生活できるシステムを維持できないですよ。

痴漢の冤罪とか、あれは原則から完全に外れた話でした。
非難される側が立証しなければならないってのは、世の中の根本原則から外れているんです。

戦後のレッドバージや、戦前の憲兵の取り締まりなどはたぶんに、立証責任を市民に負わせていたでしょう。

疑われた側が立証責任を負うってのは、政治的にむちゃな力関係のもとに抑圧された社会で起きがちで、また、そのことそのものが抑圧された社会につながらないでしょうか?

「○○が悪い。」といわれ、自粛、自粛ってのは、抑圧された社会そのものだと思います。


悪くないことや、やってないことって普通どの分野でも簡単には立証できないんです。
また、挙証責任を無視するような相手は、合理的に反証を挙げても、結論ありきなので、取り付くしまがありません。
一般的に挙証責任を非難された側に課せば、魔女狩りになります。

疑う側が、自分で立証責任を負わずに他人の活動をストップさせて、相手が証明に追われるようにできるなら、世の中むちゃくちゃです。

根本原則は、「○○が悪い」という側が負うわけで、この根本から派生して、契約の当事者である場合や職業や公共性の高いところで行われていることについて、事情に応じて立証責任が転換されたりするとたみ家は考えています。

だから、たみ家が、「うどん屋は渇水について悪くないでしょう。」とか「割箸は環境に悪くないでしょう。」と反論すれば、悪いという側は厳格に立証するための反撃をする責任があります。
もし、それができないのなら、適法に営業活動する者に対して、水資源の適正利用や環境に悪いというのは、問題があるのではないでしょうか?



 
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