富の再配分の矛盾
2008年07月27日
政治や行政の機能でよく
「富の再配分」ってのが挙げられます。
政治や行政に向かって、いろいろ陳情をする人がいる。
こういう困ったことの相談に乗りながら、それを実現するってのも建前ありでしょう。
ただ、実際のとこどうか?
政治家に「何とかしてくれぇ!」って言える人は、
政治家と近いレベルの権力持った人か、おぜにさんたくさん持ってるとか、縁戚関係でも、同窓関係でも、政治家とそういう関係持ってる人が普通社会的に弱い側になるのはなさそうな人達ばかり。
行政に対しても、圧力団体を形成してるとか、知的レベルが高く、調査する能力もあって、役所の痛いとこを突くことができるとか、場合によっては組織的暴力を背景にしているとか、何らかのパワーを持ってることが多い。
現実のとこ
たいがい、政治家の前や役所でまとまった文句を言えるというだけで、社会的に弱者でないことが多い。
「富の再配分」は、そのためのシステムをつくっておきながら、もう一回、「強者のために再配分」することになる。
そうして、強者どうしの持ちつ持たれつの長いことよろしくないお友達づきあいの、すんごくわかりやすい例が、またも大分の教職員の世界。
まあ、それを悪くばっかりはいえんけど、高松の商店街の再開発についても、強者による強者のための再分配ってのはいえるかも。
もちろん、結束して、案を出して、それに向かって動き出すってこと自体に、何らかのパワーがいるから、パワーのないモノは何も取れないってのは、再配分のシステムの中であってすら、根本原理なのかもしれない。
それに比べて、一律に給付する「生活保護費」など扶助費。
国で税金で集めて、それを交付税などで、地方に動かして、保護世帯の状況を調べたり、世帯の状況をケアする職員を置いて、保護世帯の人にあげる。
仮に1000万円のお金を集めるのに、集めるのに組織つくって人を置いて、巨費を投じて、それを渡す窓口機関まで動かしていくのに、おぜにさんを投入し、窓口機関でも、直接対応に当たるわけですから、たくさんの人を置いて、巨費をかける。
ただ、集めて、動かし続けて、その間何らの付加価値を生まずに、ものすごい目減りをさせて、生産性の最も低い主体に渡し、付加価値も乏しい。
生活保護費は必要である。
これぞ「THE 富の再配分」といえる。
しかし、生活保護費が増えることは、必ず世の中を圧迫する。
誰かが払ってるわけだから、その誰かがたくさんいる余裕のある社会でないと、負担できない。
強者のための再配分は、何だか意義がよくわからず。
弱者のための再配分は、名目上は生産性の低い率の悪いおぜにさんの使い方で、どこかに強者の存在を必要とする。
強者を育てて強者を富ますことが、弱者への再配分の源泉であるだけに、なかなか矛盾ですな。
「富の再配分」ってのが挙げられます。
政治や行政に向かって、いろいろ陳情をする人がいる。
こういう困ったことの相談に乗りながら、それを実現するってのも建前ありでしょう。
ただ、実際のとこどうか?
政治家に「何とかしてくれぇ!」って言える人は、
政治家と近いレベルの権力持った人か、おぜにさんたくさん持ってるとか、縁戚関係でも、同窓関係でも、政治家とそういう関係持ってる人が普通社会的に弱い側になるのはなさそうな人達ばかり。
行政に対しても、圧力団体を形成してるとか、知的レベルが高く、調査する能力もあって、役所の痛いとこを突くことができるとか、場合によっては組織的暴力を背景にしているとか、何らかのパワーを持ってることが多い。
現実のとこ
たいがい、政治家の前や役所でまとまった文句を言えるというだけで、社会的に弱者でないことが多い。
「富の再配分」は、そのためのシステムをつくっておきながら、もう一回、「強者のために再配分」することになる。
そうして、強者どうしの持ちつ持たれつの長いことよろしくないお友達づきあいの、すんごくわかりやすい例が、またも大分の教職員の世界。
まあ、それを悪くばっかりはいえんけど、高松の商店街の再開発についても、強者による強者のための再分配ってのはいえるかも。
もちろん、結束して、案を出して、それに向かって動き出すってこと自体に、何らかのパワーがいるから、パワーのないモノは何も取れないってのは、再配分のシステムの中であってすら、根本原理なのかもしれない。
それに比べて、一律に給付する「生活保護費」など扶助費。
国で税金で集めて、それを交付税などで、地方に動かして、保護世帯の状況を調べたり、世帯の状況をケアする職員を置いて、保護世帯の人にあげる。
仮に1000万円のお金を集めるのに、集めるのに組織つくって人を置いて、巨費を投じて、それを渡す窓口機関まで動かしていくのに、おぜにさんを投入し、窓口機関でも、直接対応に当たるわけですから、たくさんの人を置いて、巨費をかける。
ただ、集めて、動かし続けて、その間何らの付加価値を生まずに、ものすごい目減りをさせて、生産性の最も低い主体に渡し、付加価値も乏しい。
生活保護費は必要である。
これぞ「THE 富の再配分」といえる。
しかし、生活保護費が増えることは、必ず世の中を圧迫する。
誰かが払ってるわけだから、その誰かがたくさんいる余裕のある社会でないと、負担できない。
強者のための再配分は、何だか意義がよくわからず。
弱者のための再配分は、名目上は生産性の低い率の悪いおぜにさんの使い方で、どこかに強者の存在を必要とする。
強者を育てて強者を富ますことが、弱者への再配分の源泉であるだけに、なかなか矛盾ですな。
Posted by たみ家 at 12:25│Comments(3)
この記事へのコメント
昨日、ニアミス?でした。一度目はたぶんお店を終わって南に歩いているたみやさん、2度目は夜商店街をお友達と歩いていたたみやさん。シャイな私は声をかけられませんでしたが・・・(笑)
Posted by まんみ at 2008年07月27日 13:34
まんみさんも
かなり夜をエンジョイされてますね。
かなり夜をエンジョイされてますね。
Posted by たみ家
at 2008年07月28日 21:03

残念ながらそんなイメージではないわあ~(笑)
私、体質の関係でお酒が飲めないしなあ。(アルコール類が入ったものがダメで)
同世代の人と比べて、かなり出不精だと思うので、
ネタがない、ない・・・(笑)
8月は、吹奏楽の練習が土、日の夜、入っておりまするが~。
私、体質の関係でお酒が飲めないしなあ。(アルコール類が入ったものがダメで)
同世代の人と比べて、かなり出不精だと思うので、
ネタがない、ない・・・(笑)
8月は、吹奏楽の練習が土、日の夜、入っておりまするが~。
Posted by まんみ
at 2008年07月29日 08:15
