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Posted by あしたさぬき.JP at

赤福から思う

2010年01月02日

年末にSonさんから赤福をいただき、じぃ~と見入っていると

「餅の上に、こしあん。。。う~ん。」

一方、つぶあんなさんが用意された餡餅を見入り

「う~ん。餅の中につぶあん。う~ん。う~ん。」

正月ぐらいは、砂糖を食べたかった讃岐人が餅の中に餡子入れて料理として食す。

一生に一度庶民に許された伊勢参りでやっと食べれた赤福。

「似とるぞ。似とる。かたちに騙されたらいかん。構造は同じやろう。う~ん。う~ん。
ってことは赤福って、300年の歴史っていうから当然、江戸時代やなあ。
いつや!

1707年(宝永4年)、そういやあ、富士山が最後に噴火したのも宝永4年じゃないか。」

「臭うなあ。臭うぞ。」

獅子舞王国さぬきは、伊勢太神楽が真似られて庶民間で流行ったもの。
伊勢神宮に誰もが参れないので、伊勢神宮から諸国を、伊勢神宮の札を配って回って、舞と大道芸をやりながら、札料をもらったのが、伊勢太神楽で、今でも香川には来ている。

香川県内における餡餅雑煮と獅子舞の分布の間の相関関係から臭いを感じたたみ家だが、赤福なる補強証拠を得て、諸国民のぜいたくや憧れ感が象徴的に表れた事象としての餡と獅子舞との関係に更なるツッコミを入れる意志を固めた。


さて、伊勢太神楽の核は獅子舞と放下芸(大道芸のようなもの)である。

たみ家は、10年以上前に、県芸術フェスティバルの実行委員会にて、「大道芸を入れるべし」と主張した。
当時、文化庁の補助事業や学校教育の内容にあるもの以外は、なかなか入る風潮はなかったし、発言が受け入れられる土壌はなかった。

財政難や商店街衰退の時代に、ホールを必要とせず、直接街で行われ、地元の商業資本と結びつきやすいものの振興の意味を感じていたからだ。
街路や公園等、外でやるイベントの振興は、直接街のアメニティーを高める必要性を喚起させ、街路のベンチ整備や緑化や中心市街地への車両乗り入れ規制など、時代の流れにあった気風を中長期的に醸成するものでないか?
縮小するパイの中で、盆栽などから発し高松において盛んである緑化・造園業などをはじめ、新たな需要を創出する意義をつくるものでもあり、井原さんなどが言ってた、クリエイティブな街高松を創ることに合致すると考えられた。

今頃、丸亀町で大道芸のイベントがあるけど、ちょっと前までは、大道芸はヤクザ商売で、公園でやるのも迷惑な存在という人が多く、芸術祭の実行委員会でも、一部黙って好意的にうなずく人はいたが、応援する発言はなかった。
たった10年前でもまったく「無い話」だった。

伊勢太神楽
http://www.ise-daikagura.jp/explanation/index.html

放下芸
http://www.ise-daikagura.jp/stunt/index.html

しかし、伊勢太神楽に由来する伝統と結びつけるという発想は、赤福を今日眺めて、初めて感じたよ。

商店街のイベントとして大道芸だけやってると、文化・芸術が商業資本に迎合しすぎているというそしりを受けかねない。

伊勢太神楽や獅子舞、餡餅雑煮などの広く認められた歴史ある伝統と、たみ家が従来から主張してきたことと結びつけて、大道芸を見直してみると、さぬきの国が大道芸を現代において振興する意義を再構築できるかもしれない。


※一見矛盾する謎が追加される。
現在、伊勢太神楽が来ている県域は、餡餅と獅子舞がほとんどない小豆島であるということ。
ここにも、ツッコンでいきましょう。
  

Posted by たみ家 at 19:32Comments(0)

市場での居場所

2010年01月02日

「ああ野麦峠」とか「女工哀詩」って、女工さんが哀れな話ばっかりでもなかった。

能力主義的な賃金体系でがんばった女工さんが、自信をつけて、村に帰り、金に飽かせて、夫や親を見下し、忍を嫌って離婚したり、かつて自分を侮蔑した村の地主を怒鳴りつけるというような社会秩序の変化について書かれた場面がある。

実際は、大多数の女工さんは、農家に嫁いだ。

しかし、労働市場での自分の価値を知った女性達は、ただ忍ぶ存在でなくなりつつあった。

開かれた労働市場は、理論上、人を自由にする。

しかし、内外の市場格差が大きいので、その自由にする力よりも、現在、不自由にする作用が勝っているところもある。

女工は熟練して労働価値を上げる。

しかし、現代において、長寿化し、年金財源も細って、簡易な手作業は機械化し、省力化され、そうでない事業所が消滅するのに、これからの年配女性は、どこに、何によって、市場に居場所を見つけるのか?


たみ家が、高齢女性にITリテラシーを要求することは、残酷でしょうか?

彼女らの状況を直視し、その社会への影響の波及の意味を考え、その居場所を探そうとし続け、意見にするたみ家と、そこに無関心な人で、どっちが残酷なんでしょうか?

たみ家が、タッチタイピングの国民総普及を妨げる考えに対して、あえて、「公敵」「国民の幸福に対する逆賊」とまで、言おうとするのは

生まれや育ち、時代などによって、自分が自由となるための価値から遠ざけられる者を少しでも少なくしたい、また、遠ざけられた者ができるだけ容易に、その価値にアクセスする術を身につけられる社会とすることで、ひいては、産業構造の変化に対して、非成長部門から成長部門への労働力の転移を円滑化させようとするものだからです。
これも一つの成長戦略のあり方の根っこたる原理と考えるから。

だからこそ、ときには激しい言葉を用いて戦う準備もあるということ。

こういうときには、反対でなく、疑問について質問してくれりゃあいいんですけどね。
そうすると不用意に戦うことなく、質問された側はさらに深い発言ができたり、盲点に気づかされるし、質問した側は相手を困らせたり、どれだけ勉強したり考えたうえで言ってるか推し量れるわけですから。

上手で負けない恥かかない議論の基本は、質問することだと思います。
質問からは負けようがない。



前近代の特殊な人間関係からの価値に特化した時代から

普遍的な価値に基づいて、男女が互いの人生を尊重しつつ、将来を語り合う。

それは、わが国において、たった100年程度の新しい伝統。


実際の世の中では、基本的人権に付加して、さらに人と人の間で尊重しあおうと思えば、普遍的な価値について、底上げがないと、なかなかに難しい。

男女間の話に限らず、「労働市場における居場所をつくる」、「居場所にアクセスするための一般的な能力を身につけること」が、個人、共同体が、これからの時代の潮流を泳ぐための鉄則でないだろうか。


たみ家よりもはるかに年長の従業員が、対等な雇用契約を結んでいる建前なのに、相手は従い、ときに、たみ家は怒鳴りつけることもある。
対等な雇用契約なのに、人間に上下なんかあるのか?

ないはずなんです。

でも、そこに上下が一般的にあると考えられますよね。
また目的が厳然とした集団で事実上の上下がないと、迅速で統一された行動がとれないでしょう。

もし、相手が広く店をマネジメントでき、どこでも働ける能力があれば、少なくとも簡単に怒鳴ったりできないし、こちらがしなくてはならない事態にならない。

悲しいかな、人は流動性を背景に、序列をつけられていることが多々ある。
会社などでの上司と部下の関係は、おぜにさんという流動性のあるものをくれるから、年下でも虫が好かなくても、従う関係。
これが、流動性の少ないせっけんやブロックをくれる存在なら、従わないという選択もあるでしょう。

ボランティア団体なら、流動性のあるものくれないから、従いたくない上下関係には従わなくてすむでしょう。

一般的な能力によって、場所を変えても人は居場所を得ることができ、さらに、おぜにさんという流動性によって、従来のその他の社会秩序をひっくり返すような人の序列をつくる。

それがあるべき姿とは思いませんが

「人は流動性にひれ伏し、流動性によって序列をつけられている」という状況が厳然と存在している。
能力や資産の流動性を持たない者が、尊重されにくい社会になっている。
過度になると「拝金主義」という言葉で置き換えられることもある。

「流動性」、「普遍性」を選考する流れは、時代の変化のサイクルが速くなるに従って強くなるでしょう。

「何かに熟練する。」と同時に、「熟練した能力に近い成果を何についてでも早く出せる。」ということが要求されてくる。
だから、勉強を強調することになる。

手に職があればいいではすまなくなる。
街のソロバン名人は、もうそれ自体では生きていけない。
その計算能力を他に活かすか、教えることや、ソロバンをすることへの付加価値をつけられなければならなくなる。
時代が変わったとき、ソロバン自体より、そっちの能力が、多方面で活かしやすい。
  

Posted by たみ家 at 12:59Comments(0)

新成長戦略の素 イケメン考察

2010年01月02日

世の中には、顔自体は良い造りと思われないのに、それなりにカッコいい男性がたくさんいます。

芸能人などは、コミュニケーション能力を見せて補完しますが、街行く人はそれを見せてるわけでもない。

背が高いとか先天性のもの以外で何が違うでしょうか?



たみ家なりに、答えを書こうと思ったけど

いったん、いろいろ意見を聞いてみることにしようと思う。



これは、日本の新成長戦略の話の一環として書いてます。

人口が増える社会では、人がどんどん新しくなる。
増えたこと自体も人の集団を新しくする。


たみ家が、先天性が恵まれないのに「トータルでイケメン」の話をすることも、タッチタイピングの話をすることも、男女共同参画や高齢者のITについて書き続けるのも同じこと。

成長とは人が変わることでしか起こりえないということ。

民主党の成長戦略がないというのは
自民党もそうだけど

人が変わることの楽しさ、良い方向を探して、見つけて、変わり続けることの楽しさを示さないからだと思う。

自分が何かのために追っかけないと、ほんとの楽しさは起こらないでしょう。

恋愛なんかそうじゃないでしょうか。

カノジョを送っていく時間が長いと、その時間の分だけ、ご本人の中で相手への大事さが増して、1人で帰るときに時間が長いほどに、それが深く刻まれるなんて一例としてありそうじゃないですか。

楽しさや喜びを伝えて、ちょっと苦労の伴うことを、半無理やりでもやらさないと。

あげたって、物事は解決しないですよ。

鳩山さんは、もっと熱狂しないと。。。国民が、社会が進むべき方向への楽しさを、必要性のみならず楽しさ喜びをもって自ら熱狂して伝えてもらいたいもんだ。

ヒットラーは、文字通り狂ってたから、それができた。


今まで人が変わることは、人口増で、努力しなくても起こることがあった。


日本が世界に、超高齢化社会の先駆として、社会モデルの範をつくったり、新たなサービスの輸出を振興するには、「変わりにくい人が変わる」「変わりにくい人を変える」ということがキーになると思う。

人口増の無い国において、それを意図せずに起こすことは「無い話」だと思う。

成長とは政治家や公務員の問題ではない。

国の成長戦略は、国民活動の成長でしかあり得ない。

ウインクバードさんとエステと運動指導のコラボについて、うどん屋で漫談がてらにお話したのは、理論上、そこから、ファッションや社交への意欲について、発展するということも一つだった。

「着こなす快楽」への時間は長い。
しかし
「美味の快楽」や「空腹からの逃避」は即決。

資本の理屈と人間の性から、企業や消費者の行動は、時間の短い意思実現に傾く性質がある。

「日本男性総イケメン計画」。。。率先垂範はしませんが。。。。。
(すぐに粉が服につくし、店以外にいる時間が極端に少ないので、そうでなくなったらやるなあ。。。。。)

それだけで何かが大きく変わるとも言いがたいが、変わるために必要なのは、方向性のある関係性の太い束だと思う。

食べることはヤメない。
でも、イケメン化を目指す。。。
矛盾してるから、実現は難しい。
だから、永遠に両方を目指せば、永遠に両方の消費がなくならない。

フィットネスクラブのレストランで、生ビールを何杯もやって「がっはっは。これを続けるために、運動してるんだよ。」という言葉をよく聞いたものだ。
  

Posted by たみ家 at 12:04Comments(3)

新年のご挨拶

2010年01月02日

大晦日から店の年越し行事で年明けを迎え、やっと新年のご挨拶を申し上げることができました。

昨年は、皆様のご厚情により、店、個人とも充実した年にさせていただきました。

本年も地域研究及び情報発信に燃えるうどん店主として、研鑽に努め、多くの方にご恩返しができるよう考えていきます。

今後ともよろしくご指導お願いいたします。


※PSYさまから年越しと新年のお酒をいただきました。
ありがとうございます。

つぶあんなさまから野菜や餡餅をいだだきました。
ありがとうございます。
未明2時ごろに多くの方が帰られましたので、餡餅や野菜はかなり残ってます。
遅い来客の少ない時間に来店されましたら、4日~雑煮サービスがあるかも。

Sonさまから赤福、高島屋の味噌カツ、手羽先などいただきました。
ありがとうございます。

メタボ柿原さまから赤鬼のだしまき玉子いただきました。
ありがとうございます。
今年は、だしまきも研究対象にしたいと思いますが、商品として出すには練習いりそうですねえ。

ゴリマルさまから、なんとスーパードライをいだだきました。
ありがとうございます。



一年限りかと思ってましたが、反省点がはっきりしているので、もう一度年越し行事はやりたいと思います。
次回は、近隣で、元日朝まで確実に使用されない駐車場については、権利者に事前にお願いして、5台分程度は確保する予定です。

翌朝までがんばり続ける人はそういないし、他店の年越し行事なども回られてのことなので、少量多品種でよいということが判明。

などなど
  

Posted by たみ家 at 10:56Comments(0)