「木綿のハンカチーフ」補足
2010年01月24日
ちょっと前の記事の補足
「恋人よ~ 今も素顔で~ 口紅もつけないまま~で」だから
同級生か。
東京に就職した一年上の先輩が、当時の田舎の女子高生に、「化粧してない」ってあえて言わんから、高校は卒業してるな。
卒業してなかったら、まだ指輪も贈らんわな。
でも、両方、田舎で大学生は当時ないだろうし、大学生ならもう化粧してる可能性大だし、当時の女子大生って言うたら先端イメージやろうし、草に寝転ぶあなたしか知らんことはない。
でも就職してても、化粧してる可能性大。
だから、高校卒業して、一年目の家事手伝いさんという説が有力か。
就職して給料あったら、日帰りで逢いに行ってみるのは無理か。。。
でも
「そのままの君が好き」ではなくなりつつあったのかもね。
都会の女性を見て、ちょっと田舎っぽいルックスのカノジョを思い出して、大人にしたらなあかんとか思ったんやろうか?
うがってみると、この時点で、ちょっと覚めてた?
1番の華やいだ街で君への贈り物を探す話と、2番だったかな?スーツ着た写真を送って見せたがる話のときは、まだ覚めた感じがない。
指輪を贈る決意をして、「俺の生涯のサイコーのベイビーだ」と決めたときに、いい女になってほしいと勝負入ってたのに。。。
「いいえ」「あなたのキスほど輝くはずないもの」はまあ悪気はないだろうけど、ストレートに喜んでくれんかったら、がっくしになる気持ちもわかる。
たぶん、そろそろ都会の女性の魅力が気になってきて、もんもんとして来た。
でも、田舎のカノジョを愛してる。
田舎のカノジョ愛してるけど、都会の女性見て、あえて選ぶんだから、いい女になってほしいとかヨコシマが入ってきた。
だからこそ、指輪贈って勝負したくなる、また、勝負のときだからヨコシマも入るってのはありえそうに思う。
で、それがダメなら、田舎は忘れて、都会の楽しさと人間関係に傾くってのは、道理かもなあ。
ここまで深読みする必要はないし、当たらんだろうし、当たっても当たらなくても>9$だけど、遊んでみた。
「恋人よ~ 今も素顔で~ 口紅もつけないまま~で」だから
同級生か。
東京に就職した一年上の先輩が、当時の田舎の女子高生に、「化粧してない」ってあえて言わんから、高校は卒業してるな。
卒業してなかったら、まだ指輪も贈らんわな。
でも、両方、田舎で大学生は当時ないだろうし、大学生ならもう化粧してる可能性大だし、当時の女子大生って言うたら先端イメージやろうし、草に寝転ぶあなたしか知らんことはない。
でも就職してても、化粧してる可能性大。
だから、高校卒業して、一年目の家事手伝いさんという説が有力か。
就職して給料あったら、日帰りで逢いに行ってみるのは無理か。。。
でも
「そのままの君が好き」ではなくなりつつあったのかもね。
都会の女性を見て、ちょっと田舎っぽいルックスのカノジョを思い出して、大人にしたらなあかんとか思ったんやろうか?
うがってみると、この時点で、ちょっと覚めてた?
1番の華やいだ街で君への贈り物を探す話と、2番だったかな?スーツ着た写真を送って見せたがる話のときは、まだ覚めた感じがない。
指輪を贈る決意をして、「俺の生涯のサイコーのベイビーだ」と決めたときに、いい女になってほしいと勝負入ってたのに。。。
「いいえ」「あなたのキスほど輝くはずないもの」はまあ悪気はないだろうけど、ストレートに喜んでくれんかったら、がっくしになる気持ちもわかる。
たぶん、そろそろ都会の女性の魅力が気になってきて、もんもんとして来た。
でも、田舎のカノジョを愛してる。
田舎のカノジョ愛してるけど、都会の女性見て、あえて選ぶんだから、いい女になってほしいとかヨコシマが入ってきた。
だからこそ、指輪贈って勝負したくなる、また、勝負のときだからヨコシマも入るってのはありえそうに思う。
で、それがダメなら、田舎は忘れて、都会の楽しさと人間関係に傾くってのは、道理かもなあ。
ここまで深読みする必要はないし、当たらんだろうし、当たっても当たらなくても>9$だけど、遊んでみた。
Posted by たみ家 at
09:52
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伝わらんなあと思うとき
2010年01月24日
ときどきブログの文章から
「たみ家さんって、感情『より』理屈でものを考えるんですね。」
みたいな反応がある。
自分個人のことについては、わかってもらおうという期待はあまりしないので書きませんでしたが、想像以上に伝わりにくいものだなあと思うことがちょいちょいあって、書いてみることにしました。
感情がより深いから、その先や根にあることを理解したいとか、解決に向かう考え方に近づきたいと思う気持ちが芽生えると思うんだけど。
情緒的な捉え方を経て、より情緒が豊かで深いから、よりたくさん考えるという方が自然やろ。
少子高齢化について、関数の話をするのは、かわいそうなことをそれだけで済まさずに、何とか、世の中全体を巻き込んで解決していかないとと思うほどに、情緒が動かされたから、年月を経て、いろんな話を聞いたり、調べたり、考えて、理屈をいうに至るんだと思ってます。
むしろ、理屈が出てこない人
かわいそう→しかたない(それだけ?)
→自分にはどうすることも無理(努力してみた?時間をかけてみた?)
→かわいそうだけどよくある話(よくあることなら見過ごすの?)
で、済ます方が感情や情緒が浅いんじゃないの?
人の命を救いたいと努力して医者になった人の手術は科学的、理論的、合理的であったりする。
それは、「病気や怪我でかわいそう」と思う人から見ると、「医者は感情が薄くて、ドライだから、理屈で処理してる」ってことになるの?
感情に深さがないと自分の得にもならんことを理論化ってできないよ。
短期だけの感情は、衝動ともいうけど、時間をかけてめんどうなことも辛抱してもいいと思うだけの感情の深さや忍耐や動機の強さがないんだと思う。
感情「より」理論かねえ?
より深く大きな感情の基礎の上に理論という建築物が乗っかりうるんじゃあないっすか?
今まで、あえて、書きませんでしたが
いろいろ、協力関係を考えての個人の話もそうだけど
物事を理論化するってことが軽視されたり、薄情なことだという通念が流れているのなら、地域を良くしていくことについても障碍になると考えるから、これは言っておくことにした。
「たみ家さんって、感情『より』理屈でものを考えるんですね。」
みたいな反応がある。
自分個人のことについては、わかってもらおうという期待はあまりしないので書きませんでしたが、想像以上に伝わりにくいものだなあと思うことがちょいちょいあって、書いてみることにしました。
感情がより深いから、その先や根にあることを理解したいとか、解決に向かう考え方に近づきたいと思う気持ちが芽生えると思うんだけど。
情緒的な捉え方を経て、より情緒が豊かで深いから、よりたくさん考えるという方が自然やろ。
少子高齢化について、関数の話をするのは、かわいそうなことをそれだけで済まさずに、何とか、世の中全体を巻き込んで解決していかないとと思うほどに、情緒が動かされたから、年月を経て、いろんな話を聞いたり、調べたり、考えて、理屈をいうに至るんだと思ってます。
むしろ、理屈が出てこない人
かわいそう→しかたない(それだけ?)
→自分にはどうすることも無理(努力してみた?時間をかけてみた?)
→かわいそうだけどよくある話(よくあることなら見過ごすの?)
で、済ます方が感情や情緒が浅いんじゃないの?
人の命を救いたいと努力して医者になった人の手術は科学的、理論的、合理的であったりする。
それは、「病気や怪我でかわいそう」と思う人から見ると、「医者は感情が薄くて、ドライだから、理屈で処理してる」ってことになるの?
感情に深さがないと自分の得にもならんことを理論化ってできないよ。
短期だけの感情は、衝動ともいうけど、時間をかけてめんどうなことも辛抱してもいいと思うだけの感情の深さや忍耐や動機の強さがないんだと思う。
感情「より」理論かねえ?
より深く大きな感情の基礎の上に理論という建築物が乗っかりうるんじゃあないっすか?
今まで、あえて、書きませんでしたが
いろいろ、協力関係を考えての個人の話もそうだけど
物事を理論化するってことが軽視されたり、薄情なことだという通念が流れているのなら、地域を良くしていくことについても障碍になると考えるから、これは言っておくことにした。
Posted by たみ家 at
09:07
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