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Posted by あしたさぬき.JP at

いろいろ

2010年01月11日

14時以降、趣味ですき焼きうどんを自分用にやっている。

当面、メニューには、加えませんが、リクエストあれば、14時以降はお出しします。

値段は決まってませんが、たみ家がブロガーさんだけに周知して、良心的でない値段をつけることはありえません。




ここんとこ、小沢一郎さん、プロなどと公開囲碁対局よくやってるような。

前に、囲碁美人の筆頭でご紹介した人が、小沢さんの師匠です。
http://tamiya.ashita-sanuki.jp/e136939.html

やっぱり男の名人の方が女流名人より上手いなあ。

同じハンデで、女流名人は4ポイント差で勝ちました。
相手に途中まで花を持たせつつ手加減しつつも、最後はプロの面目で勝ちました。

でも、井山男名人は、完全な引き分けに持ち込みました。
小沢さん優勢でずっと進めて、最後の最後で追い込んで引き分けにするとは、井山さんすごい。
ってのは勘繰りでしょうか?
もちろん本気だと、井山さんがそのハンデだと叩き潰す力はあるんですが。

囲碁普及をたみ家は公益目的で言ってますが

与謝野馨さんの趣味が囲碁、小沢一郎さんも囲碁、菅直人さんも囲碁。
人生においてどんな趣味とも接することが可能だった上流人で、今はどんな趣味をするのも難しい多忙人があえて、プロフィールに趣味は囲碁と書く。
この意味を日本の多くの人は感じて欲しいなあ。




「トップバリュ」などPBのような流通の生産支配は、マルクスの時代に想定されてただろうか?
マルクスは、生産者から商業資本に売られたが、いまだ消費者に売られてない状態で、売れたと認識して生産を続ける需要の誤認を「架空の需要」と呼び、資本主義に内在する「神の見えざる手」のバランスを崩す恐慌の元だと書いていたと認識しているが、理論上、いやほとんど空論と言ってもよさそうだが、PBやユニクロさんなど流通のメーカー支配は、少なくとも、この生産者と商業資本間の需要のタイムラグを少なくするものとは言えそうだ。
昔からのメーカーの代理店支配や金融資本の系列によるコンツェルン型の統合よりも、売る現場に近いところが主導して垂直統合する方がラグが小さくなりそう。

かなり前に、温暖化して、青森が高知ぐらい暖かくなったら、青森で暖かい地方の農業をすればいいじゃないという団長日記の中の記述に疑問を呈したが、タイムラグが問題にならなかったり、転換が容易なら、デフレや雇用のミスマッチなんか問題にならんでしょうし、そこらのばあちゃんがみんな先端産業に従事できるでしょう。
そもそも、在庫調整による不況って、在庫調整自体がタイムラグじゃない。
それに、モノの値段が下がるのと、企業のコストが下がるのと、労働者の給料が下がるのが一致して起これば、デフレなんか問題にならんでしょう。
タイムラグが問題にならないって、不況が問題にならないって言ってるのとほとんど同じ。



年越しそばは、「人生細く長く」から来てる説が最有力らしい。
じゃあ、香川の麺業界は、年明けうどんと同時か先立って

「こういう時代だからこそ太く長い方がいいじゃない。」ってとこを押して、年越しうどんでそばとの正面勝負でいったんはテレビCMなど大々的な広報を打つべきだったと思う。
新しいものを売ることも大事だけど、既存のものを既存の慣習の中で売る方が多くの経済効果が確実に得られる。
新しいことも大事だけど、新しいものをつくるのが目的じゃない。
今つくってるものをたくさん売ることの方が大事。



よく、公務員のボーナスが高いとか言ってる人がいますが
日本の全産業の平均では、まだ年4ヶ月分のボーナスが出てます。
地場零細の食べもの関係は、飲食店、卸、小売などみんな、極端にボーナスが少ない業界。
寸志の数千円すらないというところが多い。
正社員で税引き前年収が200万ある人が少ないのではないか?
でも、日本の1人会社やパートやアルバイトまで含めた全産業給与総額に占める平均は、まだ年4ヶ月分ぐらいは出てるので、統計的には妥当でしょう。
感情論や政策論や法律論をごっちゃにしてる人が多いのは、逆に、行財政改革を進める上でもマイナスではないかと思う。
なぜ、公務員の給料が高いとか、天下り廃止をいう人は、都道府県廃止論を言わないのか、合点がいかんねえ。

欧米に比べると、一時金の比率が高い日本。
ボーナスのつづりのはじめの方の「Bon」は、フランス語のボンジュールのボンと同じで、グッドと同義だなあ。



年末、日経新聞のインタビューの中で、三菱UFJチーフエコノミストの水野和夫さんが
「ハブ空港は九州に」と主張しておられた。
アメリカ向けば成田など東だが、これからアジア中心になるのは間違いないんだから、日本がハブ空港でがんばろうとするなら九州だと。
おもしろいと思うけど、どうかなあ???




この隣の記事によると、パナソニックは三洋のTOBとほぼ同額で、日立グループが丸ごと乗っ取れるほど、当時、日立の株価の時価総額は下がっていた。
日立よりはるかに小規模の三菱電機の3分の1まで暴落していたと。
たった4千億円で、パナソニックとほぼ同等か以上ともいえる人的物的資産を持つ日立の経営権を得ることができたかもしれないそうだ。
まあ、パナソニックが買い集めれば、抵抗が起きたり、株価が上がるので、もっと高くなるにしても、抵抗を押して、統合がプラスだと思えれば、1000社近い連結会社、売上高年10兆円、日本最大の博士保有数と40万人の従業員を持つ日立グループを乗っ取ろうと思えば乗っ取れたらしい。
  

Posted by たみ家 at 23:49Comments(0)

感情民主主義へのアンチテーゼとして

2010年01月09日

ここしばらく
○おぜにさん
○知力
○暴力
○性

の4つの流動性に着目していることの意義。

流動性は、「即時」、「広範」と数量で表せる。

この4つの関係で世の中を見るということは
数量で表せるものの関係で考えることができるということ。

諸関数を合成したベクトルとして、社会の合意を導くのに役立てられるということ。

少子高齢化って
○知力増による医療や栄養水準の向上などで長寿になったこと。
○知力増のために女性が高学歴化したり、教育費増のため育児の負担が大きくなったり、過密した都市で環境的にゆとりがなくなってきたなど生む方は、おぜにさんと知力増の足かせで頭打ちになったこと。

これらの結果、医療費増など社会負担率が増大したり法人税率が下げられず企業競争力が削がれたりしているわけでしょう。


環境問題って、理詰めのことが、可視化されて、危機意識につながって、はじめて人が動くようになったでしょ。
みんな何となくわかってるじゃダメ。
それぞれの立場でやりたいことや感情や慣行があって、変化を邪魔するから。
関数と可視化がないことでは人は動かないし、動かなかったと歴史は教える。

「あってもなかなか動かないって?」
「じゃあ、なかったらもっと動かないね。」


資源も財政も有限。
その中で、みんなが感情や自分の立場で希望を出して、明晰な判断材料がなかったら、緊縮財政なんか取れんわなあ。
それに、緊縮したときのあるべき姿が見えんわなあ。
歴史的に民主国家では、選挙で負けるから、緊縮財政に上手にシフトできた例って少ない。
感情に基づく民主主義は、みんな「欲しい。」「何とかしてくれ。」自分の関わってることは「大事だ。」

だから、減るものがないし、縦割りで非合理な決定につながる。

感情のまま国民が自分の立場を言いっぱなしで、対立するもの同士で歩みよるための考察や努力を欠けば、縦割り放漫財政になるだろう。

有限の中で、大事なものを取捨選択しなければいけないときに、優先順位やそれぞれが活かしあう関係かどうか、犠牲はどういうものかなど考えなければならない。
それらは基本的に関数のモデルで、関数を合成したもの。

高速道路無料化と公共交通機関重視と環境問題とか、子ども手当てと財源とか、もろ有限の中で優先順位や関係を問う関数の合成の問題ですよね。


社会の合意形成に可視化できる諸関数の合成によるベクトルのモデルを与えることが、「有限」をキーにして考えるに当たって不可欠。


ところで人類有史以来

人口と知力以外何か増えました?

知力の増大の結果として、技術や道具や宗教や政治組織や芸術などいろいろできましたが、他に人間社会で何か増えました?
副産物として裏社会や廃棄物なんかもできてますが、知力増大の結果としてのひずみですよね。

人口と知力の増の結果として地球環境の枠組みの限界にぶつかってきたわけですよね。

そして、地球上あまねく行き渡る即時、普遍の影響力は、おぜにさんと暴力。

国家主権が地球上を満たすということは、国家と国家でないものを分けるのが合法的な暴力装置でしかないことが学問上も鉄板である以上、暴力の影響が地球上満たされているということ。
海上保安庁が拿捕とか、かつてソ連軍が民間飛行機を撃墜したりしたように。

冒頭4つの流動性は増えていく属性があるんですが

知力だけは、増える方にも働くけど、抑える方にも働きます。
避妊、女性の産むことの決定権の擁護、軍縮、武力衝突を回避する努力、宗教的融和、技術革新による省エネ、クローン人間研究規制、投機マネーの抑制などなど。

そうすると、有史以来の人間が起こしたことの変化に対処するには、知力を高めて、正しく判断するしかないということが、必然に導かれないでしょうか。

4つの流動性の話は、そういう判断に数量化、可視化できる明晰なモデルを与えようという考えからくるもの。

地球上に係数や定数のようなものがいろいろあって、人間の影響による主たる変数が、流動性の高い4つのものでないかと。
「流動性」という文字どおり、変化しやすいんだから、変数にはふさわしそうだ。
  

Posted by たみ家 at 07:20Comments(2)

画一性や負担を生む

2010年01月08日

前々記事にあるように、4つの流動性の大きいものに着目する意味とは。

流動性が大きいものは、即時性があって、どこでも通用する。

だから、選好される。増える。

増えるものは、拝金主義、軍拡競争、学歴社会、OA化のように時代を画一化したり、生身の肉体や精神に負担をかける。
人間が変化するより速く外部環境を変化させるから当然ストレスがかかる。
スローフード、スローカフェ、スローシティーなどいうわけだ。

また、性や知力や暴力やおぜにさんの動きの増大は、人口爆発や資源の大量消費や軍拡などによって、環境の危機を増大させた。

流動性の低いその他の重要なものは、増えにくい。
土地は増えない。
食料も石油資源も自然には増えない。

それに対して、性が増えれば、増えた人を保持するために知恵が増えないといけなくなる。
大きくなった知恵の果実を循環させるためには、物々交換からおぜにさんへの変遷が必要で、さらにおぜにさんが情報化・観念化して、大きく激しく動くようになる。

また、知恵がつくと、攻める兵器が強くなる。
当然に、必要なので、守る兵器が強くなり、戦争は長期化する。
守りが強くなると、さらに攻める兵器も強くなる。
この繰り返しで、生身の体で戦う騎士や武士の地位が下がり没落し、おぜにさんの動きの激しさが増すのと同時に、長期戦の戦費を調達するための徴税機構を擁する中央集権国家が形成されてくる。

ルネサンスの三大発明の一つとされる火薬の意味は、大砲の普及という知力の増大による暴力の増大が、騎士を没落させ、中央集権国家化し、官僚機構と軍をさらに強大化させ、おぜにさんの国内での動きを加速させ、産業を強化し、義務教育を整備させたことなどにある。

富国強兵の必要性は、市場の増大とともに、さらなる人口増を求め、産めよ増やせよとなる。
また、富国強兵は、理化学や技術への投資を生み、さらに知力を増大させる。

というように、4つの流動性はからみあって、関連しながら増大してきたわけです。

そして、増えやすいものは、増えるがゆえに、環境とぶつかり、時代の画一的な面をつくり、地域や民族の固有性を侵食(文明の衝突 つまり更なる戦争やテロの引き金となる。)したり、生身の人間の身体や精神に負担をかける。

流動性に着目し、さらに4つのものを取り上げた意味がわかっていただけるでしょうか。

ゴキブリやカラスのように繁殖力の強いものは、迷惑。
トキのような繁殖力の弱いものは、保護される。
強くても、増えないトラは保護される。

増える力が強いってことが、良い面を大きく併せ持ちながらも、大きな時代の問題を生む。

ゆえに、社会を横断的に考察するに、常に、関連付けて論ずべきテーマとなる。
  

Posted by たみ家 at 01:28Comments(0)

お暇なときは

2010年01月07日

昨年、携帯電話がなくなって、ほとんどの方の連絡先がわからなくなりました。

メアドは
sanukiudontamiya@softbank.ne.jp
です。

携帯電話の番号は元に戻りました。

お暇なときでも、ご連絡お願いします。
  

Posted by たみ家 at 21:29Comments(2)

4つの流動性

2010年01月04日

○おぜにさん
○知力
○暴力
○性

社会はこの4つの流動性の交換と調和によって成り立っている。

流動性とは、即時性と普遍性が広範に及ぶこと。

どこでも、すぐに、影響力を持つということ。

土地や食料など、重要なものはその他にもたくさんある。

しかし、土地はどこにでも持っていけるわけでないし、大根を持っていって宮脇書店で本と交換はできない。
土地など、時と場所に特化した特殊なものは重要であっても流動性は低い。
宗教や政治組織などは、知力の一形態と言える。

性はどこへでも動きながら、交配を重ねて、人口増や人種や民族を形成してきたし、あらゆる集団において特別な価値が付与されたり、交換価値を持って、マネーを介した性的労働が存在する。
メイド喫茶もグラビアアイドルもその一種ではある。
また、レヴィ・ストロースも、婚姻は女性の交換であると位置づけた。
つまり普遍的な人口の維持や社会の形成は、性の交換であると言っている。

知力は、人間以外と人間を分かつものすべてを形成してきたし、知力があれば、世界中のどこに放り出されても生きていける。

おぜにさんは、暴力、性、知力を一定範囲では代替するし、人口約69億まで膨れ上がった社会のおおよそ全域をかけめぐって、それを維持する。

それら、すべては、どこにおいてでも、いったん暴力が発動されれば打ち倒される。

しかし、暴力は瞬間的な発動であって、多数の性、すなわち人口を長期に維持する力が弱いので、秩序に欠ける暴力は、知力と結びついたより強い暴力に打ち倒されるか、自ら劣化して崩壊する。

ただ、単純でないのは、アメリカングローバリズムのように、多数の性を維持するおぜにさんと知力の組織も軍事力という暴力に担保されたものであったり、暴力を背景にして、挑戦をさせるまでもなく敵を不戦敗に追い込むものであるということ。


マルクスは
土地、資本、労働の3要素によって社会を横断的に考察する材料とした。

マネー、知力、暴力、セックスの4要素の流動性の交換と調和によって、社会を横断的に考察しようとするのは、たみ家オリジナル。


卑近なところから

中学や高校のヤンキーやギャルは、文明のおぜにさんを大きく生むための学校教育(知力)のルールに反抗して、暴力とセックスの流動性を早期に重視して行動した姿といえるでしょう。
それらを取り締まる校則などは、資本主義のルールから要請される知力養成の場が暴力とセックスに侵食されるのを阻止しようとするもの。
だから、タガが弛んだ中学とか、もうワヤ!
知力やおぜにさんルールの重要性が骨身にしみわたらんガキだけど、暴力の衝動と性的なパワーがMAXに近づくし、身体的には、ほぼどちらも成人に対抗しうるものになっているので、ややこしい。

職につくということは、個体維持や生殖のために、おぜにさんを得る目的で、知力で形成された組織の中で行う、おおむね知力を伴う活動でおぜにさんを循環させること。

警察が取り締まるのは、おぜにさん、知的労働、性愛を核とした平穏な家庭など、社会にある平和はいつでも、どんな場所であっても、暴力によって打ち壊される可能性があるから、より強力なおぜにさんと知力を背景とした暴力によって、秩序に欠ける暴力を抑えようとするもの。

暴力、おぜにさん、性は、すべて自ら拡大性向を持ち、近現代において地球環境の有限性との間で根源的な問題をもたらすようになった。
そして知力はどちらにも働く。
ゆえに、近頃、いろいろ温暖化やら生態多様性やらで、知力を尽くして交渉したり、EVなど技術革新が行われている。
が、なかなか、生殖によって人口を拡大して、さらなるおぜにさんを獲得したい国々と、先に知力と暴力で先進国の地位を得てそれをやっちゃった性的パワー落ち気味または発揮しづらくなった国々との間で一向にまとまりがつかない。
そう、知力は、サシのステゴロでは負けても、長期の集団戦ではより強い暴力をつくってきた。

おおよそ人間のやることで、誰もが共通して関わるようなことは4つの流動性から説明がつく。
  

Posted by たみ家 at 01:23Comments(6)

文化庁お雑煮100選

2010年01月03日

という本があるらしい。
5年前に全国で募集してたわ。

餡餅はわかる。
白味噌は?

坂出の水尾醸造所さんのHPによると
崇徳上皇流刑によって、都から行き来する人が京風の白味噌文化を育んだとのこと。

蛇足ですが崇徳上皇の百人一首の歌は人気の

瀬をはやみ
岩にせかるる瀧川の
われても末に
逢わむとぞ思ふ

早瀬の岩に分けられた水が
その先で落ち合うように
今は別れ別れになっていても
いつかはまた逢いたいと思うよ(たみ家 訳)

たみ家、小5のとき「アリエスの乙女達」に出てきて感涙した名歌です。

水尾醸造所
http://www.mizuo-soy.co.jp/zouni.html

日経新聞は、12月26日号掲載分で、この100選の中から独自で10をリストアップして、有識者で選考委員をつくってランキングをつけて発表しました。

写真がアップできないのが残念ですが

1 アゴだしのブリ雑煮   長崎県

2 サケのイクラの親子雑煮  新潟県

3 クルミだれ付きの雑煮  岩手県

4 赤みその雑煮 福井県

5 セリと乾物の雑煮 宮城県

6 きなこ餅の白みそ雑煮 奈良県

7 寒ブリ入りの海の幸雑煮 富山県

8 あん餅の白みそ雑煮 香川県

9 イモの白みそ雑煮 京都府

10ノリをのせた漁師町風雑煮 千葉県

となってます。


田尾さんは、論点香川で、餡餅雑煮は、店も少ないし差別化が難しいので、マーケティングが難しいと書いてました。
それはそうだと思いますが

数が足らんなら、全国枠で、たとえば三越やサンポートシンボルタワーの新春商戦の中で、全国の有名雑煮食べ比べなんてできたら、B級グルメがあれだけにぎわうんだし、期間限定商戦の呼び物としては、おもしろいんではないかと思う。

文化庁が本出してるし、各地から集めて物産展やってもいいし、全国から人を集めるのが難儀なら、レシピに沿って、地元の短大か料理学校あたりとタイアップしてやることも可能かと。

地元だけでやるなら、リスクは少なかろう。
短大や料理学校の訓練や広報などを兼ねて喜んで手を挙げるところもあるかもしれない。

まあ、うどんほどの盛り上がりは難しいでしょうが、あくまで切り口で、そして、切ってみたら他になんか出てくるかもしれない。
  

Posted by たみ家 at 17:48Comments(0)

サービス貿易

2010年01月03日

日頃、輸出産業を重視すべしとたみ家は書いてるが
サービスの輸出について、ちょっと整理

W(世界)T(貿易)O(機関)は、サービス貿易を4つに分類している。

①越境取引
インターネットを介して外国のエロサイトを見る。
電話で外国のコンサルタントを利用。
など

人や有体物の出入りはありません。

②海外消費
外国で、観光旅行。
外国で、船や飛行機の修理をしてもらう。

など

買うために外に出向いていってます。

③拠点設置
海外支店や現地法人などショバを構えてサービス提供。

など

売るためにショバを構えてます。

④自然人の移動
外国の弁護士やIT技術者が国内でサービスを提供。

など

売るために人が出入りします。


サービス貿易に関する交渉はWT0のドーバ・ラウンドにおいて、農業、非農産品と並ぶ貿易自由化交渉の3本柱の一つとなっている。サービス産業は先進国経済の6~7割、途上国経済の5割近くを占め、その貿易は近年、モノの貿易を上回る伸びを示している。
  

Posted by たみ家 at 15:08Comments(0)

赤福から思う

2010年01月02日

年末にSonさんから赤福をいただき、じぃ~と見入っていると

「餅の上に、こしあん。。。う~ん。」

一方、つぶあんなさんが用意された餡餅を見入り

「う~ん。餅の中につぶあん。う~ん。う~ん。」

正月ぐらいは、砂糖を食べたかった讃岐人が餅の中に餡子入れて料理として食す。

一生に一度庶民に許された伊勢参りでやっと食べれた赤福。

「似とるぞ。似とる。かたちに騙されたらいかん。構造は同じやろう。う~ん。う~ん。
ってことは赤福って、300年の歴史っていうから当然、江戸時代やなあ。
いつや!

1707年(宝永4年)、そういやあ、富士山が最後に噴火したのも宝永4年じゃないか。」

「臭うなあ。臭うぞ。」

獅子舞王国さぬきは、伊勢太神楽が真似られて庶民間で流行ったもの。
伊勢神宮に誰もが参れないので、伊勢神宮から諸国を、伊勢神宮の札を配って回って、舞と大道芸をやりながら、札料をもらったのが、伊勢太神楽で、今でも香川には来ている。

香川県内における餡餅雑煮と獅子舞の分布の間の相関関係から臭いを感じたたみ家だが、赤福なる補強証拠を得て、諸国民のぜいたくや憧れ感が象徴的に表れた事象としての餡と獅子舞との関係に更なるツッコミを入れる意志を固めた。


さて、伊勢太神楽の核は獅子舞と放下芸(大道芸のようなもの)である。

たみ家は、10年以上前に、県芸術フェスティバルの実行委員会にて、「大道芸を入れるべし」と主張した。
当時、文化庁の補助事業や学校教育の内容にあるもの以外は、なかなか入る風潮はなかったし、発言が受け入れられる土壌はなかった。

財政難や商店街衰退の時代に、ホールを必要とせず、直接街で行われ、地元の商業資本と結びつきやすいものの振興の意味を感じていたからだ。
街路や公園等、外でやるイベントの振興は、直接街のアメニティーを高める必要性を喚起させ、街路のベンチ整備や緑化や中心市街地への車両乗り入れ規制など、時代の流れにあった気風を中長期的に醸成するものでないか?
縮小するパイの中で、盆栽などから発し高松において盛んである緑化・造園業などをはじめ、新たな需要を創出する意義をつくるものでもあり、井原さんなどが言ってた、クリエイティブな街高松を創ることに合致すると考えられた。

今頃、丸亀町で大道芸のイベントがあるけど、ちょっと前までは、大道芸はヤクザ商売で、公園でやるのも迷惑な存在という人が多く、芸術祭の実行委員会でも、一部黙って好意的にうなずく人はいたが、応援する発言はなかった。
たった10年前でもまったく「無い話」だった。

伊勢太神楽
http://www.ise-daikagura.jp/explanation/index.html

放下芸
http://www.ise-daikagura.jp/stunt/index.html

しかし、伊勢太神楽に由来する伝統と結びつけるという発想は、赤福を今日眺めて、初めて感じたよ。

商店街のイベントとして大道芸だけやってると、文化・芸術が商業資本に迎合しすぎているというそしりを受けかねない。

伊勢太神楽や獅子舞、餡餅雑煮などの広く認められた歴史ある伝統と、たみ家が従来から主張してきたことと結びつけて、大道芸を見直してみると、さぬきの国が大道芸を現代において振興する意義を再構築できるかもしれない。


※一見矛盾する謎が追加される。
現在、伊勢太神楽が来ている県域は、餡餅と獅子舞がほとんどない小豆島であるということ。
ここにも、ツッコンでいきましょう。
  

Posted by たみ家 at 19:32Comments(0)

市場での居場所

2010年01月02日

「ああ野麦峠」とか「女工哀詩」って、女工さんが哀れな話ばっかりでもなかった。

能力主義的な賃金体系でがんばった女工さんが、自信をつけて、村に帰り、金に飽かせて、夫や親を見下し、忍を嫌って離婚したり、かつて自分を侮蔑した村の地主を怒鳴りつけるというような社会秩序の変化について書かれた場面がある。

実際は、大多数の女工さんは、農家に嫁いだ。

しかし、労働市場での自分の価値を知った女性達は、ただ忍ぶ存在でなくなりつつあった。

開かれた労働市場は、理論上、人を自由にする。

しかし、内外の市場格差が大きいので、その自由にする力よりも、現在、不自由にする作用が勝っているところもある。

女工は熟練して労働価値を上げる。

しかし、現代において、長寿化し、年金財源も細って、簡易な手作業は機械化し、省力化され、そうでない事業所が消滅するのに、これからの年配女性は、どこに、何によって、市場に居場所を見つけるのか?


たみ家が、高齢女性にITリテラシーを要求することは、残酷でしょうか?

彼女らの状況を直視し、その社会への影響の波及の意味を考え、その居場所を探そうとし続け、意見にするたみ家と、そこに無関心な人で、どっちが残酷なんでしょうか?

たみ家が、タッチタイピングの国民総普及を妨げる考えに対して、あえて、「公敵」「国民の幸福に対する逆賊」とまで、言おうとするのは

生まれや育ち、時代などによって、自分が自由となるための価値から遠ざけられる者を少しでも少なくしたい、また、遠ざけられた者ができるだけ容易に、その価値にアクセスする術を身につけられる社会とすることで、ひいては、産業構造の変化に対して、非成長部門から成長部門への労働力の転移を円滑化させようとするものだからです。
これも一つの成長戦略のあり方の根っこたる原理と考えるから。

だからこそ、ときには激しい言葉を用いて戦う準備もあるということ。

こういうときには、反対でなく、疑問について質問してくれりゃあいいんですけどね。
そうすると不用意に戦うことなく、質問された側はさらに深い発言ができたり、盲点に気づかされるし、質問した側は相手を困らせたり、どれだけ勉強したり考えたうえで言ってるか推し量れるわけですから。

上手で負けない恥かかない議論の基本は、質問することだと思います。
質問からは負けようがない。



前近代の特殊な人間関係からの価値に特化した時代から

普遍的な価値に基づいて、男女が互いの人生を尊重しつつ、将来を語り合う。

それは、わが国において、たった100年程度の新しい伝統。


実際の世の中では、基本的人権に付加して、さらに人と人の間で尊重しあおうと思えば、普遍的な価値について、底上げがないと、なかなかに難しい。

男女間の話に限らず、「労働市場における居場所をつくる」、「居場所にアクセスするための一般的な能力を身につけること」が、個人、共同体が、これからの時代の潮流を泳ぐための鉄則でないだろうか。


たみ家よりもはるかに年長の従業員が、対等な雇用契約を結んでいる建前なのに、相手は従い、ときに、たみ家は怒鳴りつけることもある。
対等な雇用契約なのに、人間に上下なんかあるのか?

ないはずなんです。

でも、そこに上下が一般的にあると考えられますよね。
また目的が厳然とした集団で事実上の上下がないと、迅速で統一された行動がとれないでしょう。

もし、相手が広く店をマネジメントでき、どこでも働ける能力があれば、少なくとも簡単に怒鳴ったりできないし、こちらがしなくてはならない事態にならない。

悲しいかな、人は流動性を背景に、序列をつけられていることが多々ある。
会社などでの上司と部下の関係は、おぜにさんという流動性のあるものをくれるから、年下でも虫が好かなくても、従う関係。
これが、流動性の少ないせっけんやブロックをくれる存在なら、従わないという選択もあるでしょう。

ボランティア団体なら、流動性のあるものくれないから、従いたくない上下関係には従わなくてすむでしょう。

一般的な能力によって、場所を変えても人は居場所を得ることができ、さらに、おぜにさんという流動性によって、従来のその他の社会秩序をひっくり返すような人の序列をつくる。

それがあるべき姿とは思いませんが

「人は流動性にひれ伏し、流動性によって序列をつけられている」という状況が厳然と存在している。
能力や資産の流動性を持たない者が、尊重されにくい社会になっている。
過度になると「拝金主義」という言葉で置き換えられることもある。

「流動性」、「普遍性」を選考する流れは、時代の変化のサイクルが速くなるに従って強くなるでしょう。

「何かに熟練する。」と同時に、「熟練した能力に近い成果を何についてでも早く出せる。」ということが要求されてくる。
だから、勉強を強調することになる。

手に職があればいいではすまなくなる。
街のソロバン名人は、もうそれ自体では生きていけない。
その計算能力を他に活かすか、教えることや、ソロバンをすることへの付加価値をつけられなければならなくなる。
時代が変わったとき、ソロバン自体より、そっちの能力が、多方面で活かしやすい。
  

Posted by たみ家 at 12:59Comments(0)

新成長戦略の素 イケメン考察

2010年01月02日

世の中には、顔自体は良い造りと思われないのに、それなりにカッコいい男性がたくさんいます。

芸能人などは、コミュニケーション能力を見せて補完しますが、街行く人はそれを見せてるわけでもない。

背が高いとか先天性のもの以外で何が違うでしょうか?



たみ家なりに、答えを書こうと思ったけど

いったん、いろいろ意見を聞いてみることにしようと思う。



これは、日本の新成長戦略の話の一環として書いてます。

人口が増える社会では、人がどんどん新しくなる。
増えたこと自体も人の集団を新しくする。


たみ家が、先天性が恵まれないのに「トータルでイケメン」の話をすることも、タッチタイピングの話をすることも、男女共同参画や高齢者のITについて書き続けるのも同じこと。

成長とは人が変わることでしか起こりえないということ。

民主党の成長戦略がないというのは
自民党もそうだけど

人が変わることの楽しさ、良い方向を探して、見つけて、変わり続けることの楽しさを示さないからだと思う。

自分が何かのために追っかけないと、ほんとの楽しさは起こらないでしょう。

恋愛なんかそうじゃないでしょうか。

カノジョを送っていく時間が長いと、その時間の分だけ、ご本人の中で相手への大事さが増して、1人で帰るときに時間が長いほどに、それが深く刻まれるなんて一例としてありそうじゃないですか。

楽しさや喜びを伝えて、ちょっと苦労の伴うことを、半無理やりでもやらさないと。

あげたって、物事は解決しないですよ。

鳩山さんは、もっと熱狂しないと。。。国民が、社会が進むべき方向への楽しさを、必要性のみならず楽しさ喜びをもって自ら熱狂して伝えてもらいたいもんだ。

ヒットラーは、文字通り狂ってたから、それができた。


今まで人が変わることは、人口増で、努力しなくても起こることがあった。


日本が世界に、超高齢化社会の先駆として、社会モデルの範をつくったり、新たなサービスの輸出を振興するには、「変わりにくい人が変わる」「変わりにくい人を変える」ということがキーになると思う。

人口増の無い国において、それを意図せずに起こすことは「無い話」だと思う。

成長とは政治家や公務員の問題ではない。

国の成長戦略は、国民活動の成長でしかあり得ない。

ウインクバードさんとエステと運動指導のコラボについて、うどん屋で漫談がてらにお話したのは、理論上、そこから、ファッションや社交への意欲について、発展するということも一つだった。

「着こなす快楽」への時間は長い。
しかし
「美味の快楽」や「空腹からの逃避」は即決。

資本の理屈と人間の性から、企業や消費者の行動は、時間の短い意思実現に傾く性質がある。

「日本男性総イケメン計画」。。。率先垂範はしませんが。。。。。
(すぐに粉が服につくし、店以外にいる時間が極端に少ないので、そうでなくなったらやるなあ。。。。。)

それだけで何かが大きく変わるとも言いがたいが、変わるために必要なのは、方向性のある関係性の太い束だと思う。

食べることはヤメない。
でも、イケメン化を目指す。。。
矛盾してるから、実現は難しい。
だから、永遠に両方を目指せば、永遠に両方の消費がなくならない。

フィットネスクラブのレストランで、生ビールを何杯もやって「がっはっは。これを続けるために、運動してるんだよ。」という言葉をよく聞いたものだ。
  

Posted by たみ家 at 12:04Comments(3)

新年のご挨拶

2010年01月02日

大晦日から店の年越し行事で年明けを迎え、やっと新年のご挨拶を申し上げることができました。

昨年は、皆様のご厚情により、店、個人とも充実した年にさせていただきました。

本年も地域研究及び情報発信に燃えるうどん店主として、研鑽に努め、多くの方にご恩返しができるよう考えていきます。

今後ともよろしくご指導お願いいたします。


※PSYさまから年越しと新年のお酒をいただきました。
ありがとうございます。

つぶあんなさまから野菜や餡餅をいだだきました。
ありがとうございます。
未明2時ごろに多くの方が帰られましたので、餡餅や野菜はかなり残ってます。
遅い来客の少ない時間に来店されましたら、4日~雑煮サービスがあるかも。

Sonさまから赤福、高島屋の味噌カツ、手羽先などいただきました。
ありがとうございます。

メタボ柿原さまから赤鬼のだしまき玉子いただきました。
ありがとうございます。
今年は、だしまきも研究対象にしたいと思いますが、商品として出すには練習いりそうですねえ。

ゴリマルさまから、なんとスーパードライをいだだきました。
ありがとうございます。



一年限りかと思ってましたが、反省点がはっきりしているので、もう一度年越し行事はやりたいと思います。
次回は、近隣で、元日朝まで確実に使用されない駐車場については、権利者に事前にお願いして、5台分程度は確保する予定です。

翌朝までがんばり続ける人はそういないし、他店の年越し行事なども回られてのことなので、少量多品種でよいということが判明。

などなど
  

Posted by たみ家 at 10:56Comments(0)