たみ家の好きな憲法
2008年03月18日
たみ家は、まちづくりとか人や社会を考えるときにいくつかの原則を頼りにしていることが多い。
その中のひとつに、日本国憲法があります。
以下、大くくりの理解です。
「根でこういうことを思ってるから、枝葉の具体的な話でこういうことを書いてる」と普段書くことの背景をわかっていただきたいという意味で書いてます。
憲法はいわゆる、国会が制定する法律でなく、国の構造そのものを表したもので、主権者が国をこういう組織にしていきましょうというもので、英語でもそれっぽくコンスティチューションとかいいます。
本則が99条までありますが、41条からいわゆる三権、「国会」、「内閣」、「裁判所」と続いて、お金の出し入れの「財政」、地域のこと「地方自治」、「改正」手続きと続いて、最後で念押しの「最高法規」をうたってます。
なぜか国の組織を表したものですが、1~8条が「天皇」、9条が「戦争の放棄」、10~40条が「基本的人権」です。
ここらに、戦争の反省とアメリカの意向が見えます。
国の構造の根本を表したものだけど、国よりも先に人ありきで、国でもこれだけの人権は侵せないよ。
とわざわざ先に、書いて念押しして、特に、民主化に問題があるとアメリカがみなしていた天皇と軍のあり方をさらに強調して前に持ってきたと思われます。
憲法は国の組織を表すものなのに、「天皇」、「戦争の放棄」、「基本的人権」が国権の最高機関である「国会」の前に来てます。
で、13条に、国民の幸福追求の権利は尊重されると書いてます。
幸福の権利でなく、幸福「追求」の権利なのがミソで、幸せは国じゃなく、自分で決めるもので、自助努力が必要なんだと言ってます。
で、14条で、幸福追求の機会は平等に保障されるべきと書いて、これは基本的には国が差別してはいけないという趣旨で、長らく企業の採用の差別なんかは、よろしくはないが14条の問題でなく、会社が欲しい人を選ぶのは自由だという考えが強かった。
ところが、会社など民間の大枠のあり方が差別的であれば、直接国が差別しなくても実質的な社会の平等は成し遂げられないということで、いろいろ個別に法律がどんどんできて、採用の差別的な取扱を禁じるなどしています。
みなが幸福を追求した結果、残念ながらうまくいかなかった人も出てくる。
そこで、25条で、最低限の生活は国が保障しましょうというのがあって、朝日訴訟で、「こんな生活最低以下だ。」と争いましたが、憲法25条は直接保障するものでなく、国のあり方を訓示したもので、個別に法律や予算措置がされてはじめてそれを通じて最低うんぬんが争えると判断されました。
まあ、無い袖は振れないこともあるでしょうし。
戦後は、教育委員会と公安委員会というのができましたし、警察は市町村警察になり、高松市警察とかしばらくありました。
アメリカの意向や戦前の反省から教育や警察のような人の思想を育てたり、思想や表現をしばったりするとこは党派的なものから独立しなければならないと考えられたのでしょう。
ところが、世界中で共産主義が広がっていく中で、地方自治での共産政権の広がりを食い止めようとか、関係者を取り締まらなければということで、またもアメリカの意向で、教育委員の公選が廃止になり、市町村警察では力不足で統制も利かないということで、県警察になりました。
今でも、知事や市町村長部局から教育委員会とか公安委員会が一定の独立をしているのはそういうわけがありますが、最近は、民主的うんぬんよりも貴重な財源を効率的に連携して使いましょうとか、グローバリズムや犯罪のハイテク化などで大きく複雑になった問題に対処しなければということで、独立よりも連携を重視してる観もなきにしもあらずでしょうか?
もともと教育・研究機関である博物館や美術館と観光や文化的生活の関係なども一つでしょう。
おまけに、建国記念「の」日ってありますが、神武歴をもとにした祝日は民主化の妨げになるとアメリカが廃止させたのでなくなりました。
でも、建国記念日のようなものがあってもいいのではないかという声もありました。
記念日は基本的に事実があった日で、憲法記念日は憲法が施行されたという事実があります。
普通「結婚記念日」など記念日は事実があった日をいうと思う。
が、日本の建国はいつかっていうと、難しい。
で、自民党が2月11日を建国記念日にしようと何度も法案を提出しましたが、社会党を中心とした野党が戦前への保守反動だと反対しまくり、法案提出、廃案が、数え切れないほど繰り返され、「2月11日に建国の事実の根拠はない、記念日だと事実がいるけど、じゃあ、国を思う日として『記念の日』なら、いいだろう。事実はともかく記念日でなく、記念する日だ。これなら反対の理由もなかろう」とひねり技を加えてきました。
こういうわけで、他の祝日と違って、「建国記念の日」だけ別に法律がつくられてます。
よく「建国記念日」と間違って「の」を飛ばしておっしゃる方がいらっしゃいますが、「記念日」と「記念の日」では意味が正反対ほど違うともいえます。
地域のことや歴史や国際的なわが国の立場とかを考えて、何かをしようとするときにこの辺の理解は関係してくるような気がしてます。
その中のひとつに、日本国憲法があります。
以下、大くくりの理解です。
「根でこういうことを思ってるから、枝葉の具体的な話でこういうことを書いてる」と普段書くことの背景をわかっていただきたいという意味で書いてます。
憲法はいわゆる、国会が制定する法律でなく、国の構造そのものを表したもので、主権者が国をこういう組織にしていきましょうというもので、英語でもそれっぽくコンスティチューションとかいいます。
本則が99条までありますが、41条からいわゆる三権、「国会」、「内閣」、「裁判所」と続いて、お金の出し入れの「財政」、地域のこと「地方自治」、「改正」手続きと続いて、最後で念押しの「最高法規」をうたってます。
なぜか国の組織を表したものですが、1~8条が「天皇」、9条が「戦争の放棄」、10~40条が「基本的人権」です。
ここらに、戦争の反省とアメリカの意向が見えます。
国の構造の根本を表したものだけど、国よりも先に人ありきで、国でもこれだけの人権は侵せないよ。
とわざわざ先に、書いて念押しして、特に、民主化に問題があるとアメリカがみなしていた天皇と軍のあり方をさらに強調して前に持ってきたと思われます。
憲法は国の組織を表すものなのに、「天皇」、「戦争の放棄」、「基本的人権」が国権の最高機関である「国会」の前に来てます。
で、13条に、国民の幸福追求の権利は尊重されると書いてます。
幸福の権利でなく、幸福「追求」の権利なのがミソで、幸せは国じゃなく、自分で決めるもので、自助努力が必要なんだと言ってます。
で、14条で、幸福追求の機会は平等に保障されるべきと書いて、これは基本的には国が差別してはいけないという趣旨で、長らく企業の採用の差別なんかは、よろしくはないが14条の問題でなく、会社が欲しい人を選ぶのは自由だという考えが強かった。
ところが、会社など民間の大枠のあり方が差別的であれば、直接国が差別しなくても実質的な社会の平等は成し遂げられないということで、いろいろ個別に法律がどんどんできて、採用の差別的な取扱を禁じるなどしています。
みなが幸福を追求した結果、残念ながらうまくいかなかった人も出てくる。
そこで、25条で、最低限の生活は国が保障しましょうというのがあって、朝日訴訟で、「こんな生活最低以下だ。」と争いましたが、憲法25条は直接保障するものでなく、国のあり方を訓示したもので、個別に法律や予算措置がされてはじめてそれを通じて最低うんぬんが争えると判断されました。
まあ、無い袖は振れないこともあるでしょうし。
戦後は、教育委員会と公安委員会というのができましたし、警察は市町村警察になり、高松市警察とかしばらくありました。
アメリカの意向や戦前の反省から教育や警察のような人の思想を育てたり、思想や表現をしばったりするとこは党派的なものから独立しなければならないと考えられたのでしょう。
ところが、世界中で共産主義が広がっていく中で、地方自治での共産政権の広がりを食い止めようとか、関係者を取り締まらなければということで、またもアメリカの意向で、教育委員の公選が廃止になり、市町村警察では力不足で統制も利かないということで、県警察になりました。
今でも、知事や市町村長部局から教育委員会とか公安委員会が一定の独立をしているのはそういうわけがありますが、最近は、民主的うんぬんよりも貴重な財源を効率的に連携して使いましょうとか、グローバリズムや犯罪のハイテク化などで大きく複雑になった問題に対処しなければということで、独立よりも連携を重視してる観もなきにしもあらずでしょうか?
もともと教育・研究機関である博物館や美術館と観光や文化的生活の関係なども一つでしょう。
おまけに、建国記念「の」日ってありますが、神武歴をもとにした祝日は民主化の妨げになるとアメリカが廃止させたのでなくなりました。
でも、建国記念日のようなものがあってもいいのではないかという声もありました。
記念日は基本的に事実があった日で、憲法記念日は憲法が施行されたという事実があります。
普通「結婚記念日」など記念日は事実があった日をいうと思う。
が、日本の建国はいつかっていうと、難しい。
で、自民党が2月11日を建国記念日にしようと何度も法案を提出しましたが、社会党を中心とした野党が戦前への保守反動だと反対しまくり、法案提出、廃案が、数え切れないほど繰り返され、「2月11日に建国の事実の根拠はない、記念日だと事実がいるけど、じゃあ、国を思う日として『記念の日』なら、いいだろう。事実はともかく記念日でなく、記念する日だ。これなら反対の理由もなかろう」とひねり技を加えてきました。
こういうわけで、他の祝日と違って、「建国記念の日」だけ別に法律がつくられてます。
よく「建国記念日」と間違って「の」を飛ばしておっしゃる方がいらっしゃいますが、「記念日」と「記念の日」では意味が正反対ほど違うともいえます。
地域のことや歴史や国際的なわが国の立場とかを考えて、何かをしようとするときにこの辺の理解は関係してくるような気がしてます。
Posted by たみ家 at 08:03│Comments(2)
この記事へのコメント
また、頭を使うような・・・
確かに日本の建国を具体化するのは難しいですね。
ただ、日本ならではの節目節目で感じる「国」でいいのでは?
確かに日本の建国を具体化するのは難しいですね。
ただ、日本ならではの節目節目で感じる「国」でいいのでは?
Posted by ゆきみだいふく
at 2008年03月18日 13:43

ありがとうございます。
ただ、それではガマンならんという、おじさんや血の気の多い若いもんがおるんだと思います。
ただ、それではガマンならんという、おじさんや血の気の多い若いもんがおるんだと思います。
Posted by たみ家
at 2008年03月20日 09:56
