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Posted by あしたさぬき.JP at

空間と大気からのルネサンス

2008年03月23日

3月19日付け四国新聞に
”香川大学、県、高松市でつくる「広域拠点あり方検討委員会」が共同研究を進めてきた高松都市圏の都市戦略がまとまった。キーワードは「クリエイティブ(創造性)」。現代アートや瀬戸内海の魅力を生かし、高松で創造的な若い人材の育成と集積を図り、これを基盤に産業の創出・革新やまちづくりを目指す内容。原動力として人材育成のための「国際芸術アカデミー」の創設を打ち出した。”
とありました。


正直、ふわふわして、地に足が着かないと思うとこもあるが、これはこれで応援したい。
何でもすぐに実を結ぶ必要はないけど、個人の一生の選択でいうと、このアカデミーを卒業した人はすぐにお金を得られる職につけるようでないと、切実に困らないのだろうか?
弁護士でさえ合格者増で就職難なのに、新興の田舎のアカデミーがこの方たちにメシ食わしてやれるだけのものを修得させられるのだろうか?
スケジュールやカリキュラムはわかりませんが、ここの充分な配慮がされないようなら、責任感や経営感覚がないと言われてもしかたがないと思う。
ハイカラなことを言う絵や飾りつけが得意なフリーターが増えるのは長い目で見ていい方に働くかもしれないし、良くないかもしれない。

静岡県は、徳川家康が駿府周辺に技術者を集めたが、その後も東海道にあり大阪・京都方面にも行きやすく、江戸にも近いので、そこに技術者がいつき産業が育ったらしい。
そして、浜松には県立の芸術関係の大学ができている。
たぶん、現代の讃岐は財政難なので、昔なら芸術大学をつくろうというとこ、お金がないから単位を付与し学位を授与するようなシステムを取れないのではと思ってしまう。

徳川家康には勝てなくてもしかたがないとは思うけど、基本は今も昔も似てるなあ。

たみ家の心配は杞憂であってほしいですが、優秀な人がシナリオを描いたとしても簡単なことではないでしょう。

さて
室内の寒暖計の高さは、目の高さに架けるよう書いてあります。

たみ家は、オフィスの寒暖計は床面から50cmぐらいのとこに架けるべきだと思う。
寒暖計なんか、ダイソーで105円で売ってるから、目の高さにあるのはいいけど、50cmのとこにもあるべき(キッパリ!)。

室温を計る理由は何か?室内のことだから人間が快適に暮らすためでないのか?
すると、オフィスでの執務の基本姿勢は座位であり、椅子の座面の高さは43cm程度です。
そして、人間は筋肉と血液で体温をつくり、筋肉の6割がたは太ももとおしりと腰までの高さの筋肉が占めるでしょう。
座位にあっては、ひざからおしりまでがほぼ水平で、この高さの体内には空洞部はほとんどない。
腹部から上は、内臓など空洞部が多く、垂直に近い。
すると、オフィスの中の寒暖は、床面から50cmぐらいの高さを中心にケアすべきということになるはず。

オフィスの中で立位の人は、少数だし、歩いている状況は寒さとか感じにくい。

また、新しい低い位置から空調するビルはともかく、高い位置にエアコンの吹き出しがあるビルでは、冬季の暖房時に天井近くが35℃、北側の床面近くが13℃ぐらいのことがよくある。
北側のひざ高で16℃、座位の腰高で18℃胸高で20℃頭高で22℃、立位の目の高さで24℃ぐらいになります。
だいたいオフィスの室温は高さ30cmごとに冬季の暖房時は2℃ぐらい違います。
これは3つの条件の異なるオフィスで、数百回計測されました。
南側だと繊細に省エネに気をつけた弱い暖房でも、すぐに30℃ぐらいまで上がるでしょう。

また窓際に置いて、直射日光に当てると外気温8℃でも40℃ぐらいまで上がり、夏季だと60℃以上になります。
つまり、窓のブラインドを上げてると窓際の机や背中は無茶苦茶に暑いというより熱いんです。

環境省はエコオフィスや省エネルギーの指針として、冬季の暖房を一般に20℃、官公庁関係には19℃で指導通達など出してます。

これを目の高さに架けたものを基準にすると、寒すぎてどんなに辛抱強い人でもまったく仕事にならんはずです。
足下は10℃以下になるはずで、外の吹きさらしで仕事するに近い寒さになるはずです。

環境省の指針の数字はまったく根拠のないまったくのデタラメな数字で、少なくとも香川県内のオフィスで、鉄筋コンクリートのオフィスビル内で、暖房をかけて平均的な男性の目の高さの寒暖計の数字が午前11時以降に20℃以内におさまったことは、企業・官公庁合わせて、全県のオフィスで1日もないでしょう。
どこでも1日も存在したことのない状況にしろという通達はまったく困ったものです。

これはまるで、中世教会の教義のように、地動説を許さず、進化論を認めない、暗黒時代をつくっている考え方の象徴ではないか?

クリエィティブであろうとするなら、迷信から解放され、見るべきものを素直に見て、事実から考える必要がある。
女性専用の問いかけも、椅子の高さですら、1cm座面高が変われば、座り心地がものすごく変わるのに、公共の多くの場で、180cmの男性も150cmの女性も机や椅子の高さが同じ。

事実の直視を妨げる迷信や習慣からくる盲信から解放され、最も身近な空間的規格や空気の状況について、問いなおすことは、ルネサンスと親しみ、人々がクリエィティブであろうとすることを促すと思う。

魚にとって水が大事なことは当然ですが、人間は空気の底に沈んだ深海魚の生活に似ている。
そして、布団のセールスじゃないけど。
人間は、1日の3分の1の時間、布団の中にいる。
それ以上に都市生活者は、椅子に座っている。  

Posted by たみ家 at 18:26Comments(2)

角打ち研修と女性専用研究会

2008年03月23日

昨日土曜日は、まち歩き先達@観音さまと、店を閉めてから、4件回って実地研修。

藤塚町~高松駅前「若大将」~北浜「umie」~瓦町駅裏「緋色天幕」~?古馬場「屋根裏」~藤塚町

全部、歩きで回る。

「頼酒店」は次回に持ち越された。

各店で、「女性に一番人気のあるドリンクとフードは何ですか?」と聞く。
ドリンクは甘いのばっかりだったなあ。

「女性専用ってどうなのかなあ?」と自分でも疑いを含んだ漠然とした思いはありますが、ある事実が。

すべてのお店と通りすがりですれ違う全ての人々。

すれ違った人全体は延べ数百人はいたと思われるが、女性一人で遊びに出てると思われる人は、たまたまかもしれないが一人もいなかった。
たまたまでも数百以上のサンプルがあって、ゼロの意味は無視できないと思った。

一つにはニーズがないという見方もあるだろう。
しかし、ニーズはあるのに、ゼロしか実行されてないと考えると社会への貢献性も街としての発展性も大きいともいえそう。

大事なことは
前者で考えることからは、それが正解だったとしても、そこから何か新しいことは生まれない。

後者で考えることには、今までと異なる視点から需要や今の不便を考え、アンテナを鋭くしたり、学びが少なくともあるわけです。
そして、それが誤りだったとしても、何かを失うわけではない。

よろずの場合において、やってみて間違いないことは。
失うものはないのに、得るものが必ずあり、ときにはそれが大きなものになるということに賭けることだと思う。

また、某うどんチェーンの創業社長がいうに
願望はお金や頭脳に勝つと。
願望を持って、実行を続けていると、人やお金や環境などが向こうから近づいて来ると。

「そううまく行くもんなんかなあ?」と疑う気持ちもありましたが。

当ブログで願望をだらだら書いてきただけで。

観音さまとの実地研修や、先々で多くの方との出会いが実現したことは間違いないわけです。

研修内容と成果については、おいおいと後々の各論の中で。  

Posted by たみ家 at 13:19Comments(0)