最大の貢献 構造とシステム 5
2008年11月01日
ここんとこ、急激に考えが深化しそうなきっかけとなることがあって、書きまくらんと気がすまない状態になってる。
たみ家は、入院でもして廃業して無収入になって、退院後毎日16時間ぐらいバイトして、病気がちで老後を迎えるとか、サラ金苦で破産とかそういうのが困るからおぜにさんはいくらでも欲しい。
家賃と雇い人がある自営は、生活費が充分に出てても、いっちょう入院したら、ものの数ヶ月でいつでも破産か無職・無収入になりかねん。
これは、たぶん、仮に事業からの月収が100万円ぐらい出るようになっても、同じではないかと思えてきた。
それなら、家族の誰かの給料が20万円で、事業からの月収が50万の方がリスク対応という意味ではいい場合もあるだろう。
こける可能性の収入が半分になっても、こけない部分がある程度ある方が安定はするだろうなあ。
出費だけが事実で、入りは自分で意味を持たせるのに成功するまではフィクションだから。
100万事業から収入が上がるようになるってことは、出費の事実は大きくなって、フィクションで追いつかないといけない部分が大きくなったという意味だから、月収100万にもなれば、安定するだろうと他人は思ったとしても、何か起こったらひっくり返る危険はたぶん月収30万のときに比べて案外減らないんではないだろうかと思う。
でも、月収は30万よりは100万の方がもちろんいい。
しかし、たみ家はおぜにさんを出して欲しいと思うものが思い浮かばない。
旅行もしたくない。
家もほしくない。
おしゃれも興味ない。
車も軽でいい。
幼少から、趣味、ジョギング、将棋みたいな感じで、これでもかというぐらいおぜにさん使わん趣味で、駅伝とか出てたら食べるのも飲むのも控えるし、いやあ、あの頃、初任給16万台でたくさん貯金ができたなあ。
たみ家は、人の上にも、真ん中にも、前にも立ちたくない。
有名になりたくない。
したがって、名誉もほしくない。
自分のやってることがもし認められて新聞にでも載りそうになったら、やめるか、他人の功績にしてしまいたい。
地位がほしくない。
前記事で、孤独は嫌と書いたが、ほんとはそんなに嫌でない。
ときどき孤独であるべきでないと思うときに、孤独だったら嫌なだけで、孤独が当たり前だと思えば、無人島で人と会わずにずっと過ごすのは苦でないだろう。
さて、もし、おぜにさんも地位も功績を自分の名前で残すことも一切いらないなら、世の中に貢献しようと思ったら、原理原則で考えて、何が最大の貢献になるだろうか?
たみ家の結論では
国や大企業に適切な提言をすることだと思う。
そして、自分ではできるだけ何もつくらずに事業もしないこと。
えっと思うかもしれないけど、理屈を純化すれば、どうしてもそうなる。
他人がその人を認めるかとか、成功者と思うかとか、提言した本人が幸せかとか、誰の功績になってるかとか、そういうことと、事実として大きな貢献をしたかどうかは関係がない。
国の誤った施策を提言によって改めさせることに成功したら、場合によっては10兆円ぐらいの貢献になるかもしれない。
普通、誰が事業やってもそんな大きな貢献はできません。
そして、提言した人の功績はたぶん、もともと著名な人や地位のある人がしない場合は何も残りません。
何が言いたいか
大きな貢献は、儲ける話でも出たようにシステムと組織があってできます。
すると、すでにある最も大きなシステムって国でしょう。
国には国民、納税者として、大企業には消費者として向き合えます。
消費者として、広く普及している製品の欠陥を指摘して、それを回収させたり直させることに成功すれば、すごいたくさんの命を救うことができるかもしれません。
しかし、それは匿名で消費者窓口に電話したものなら、おぜにさんにもならんし、名誉にもなりません。
しかし、それは、普通に一生働いても、貢献できんだけのことを世の中でしたことになるかもしれません。
つまり、大きなシステムに適切な情報を与えて働きかけられるなら、生涯自分では何もつくらずに事業もせずに、観察眼や批判精神を研ぎ澄まし続けて、できるなら問題点に対する対処法なども含めて提言し続ければよいわけです。
おぜにさんも地位も名誉も欲しがらずに、ただ、純粋に自分が生きている過程で世の中に最大の貢献をしたいと思えばそうなるわけです。
自分で事業やっておぜにさんを得ようと思ったら、ちまちまと体力や人付き合いなど等身大の世界で掛け算をしていかんとダメなわけです。
おぜにさん欲しくなくて、自分が世の中に貢献したと思えれば、それでいいと思ったら、それはしちめんどくさいだけです。
大きなシステムをつくるんは、ほんまに苦労がよっけいる話で、異質な長所を統合せんといかんので、めんどい。
しかし、有効な批判は1つの刃を研ぎ澄ますことでできる可能性があるわけです。
「おぜにさんとか表彰とか外からの報酬なんかいらんよ。」
「自分で貢献を感じて、内なる気持ちから報酬を得られたらええよ。」
と思えば、公開の逃げ場のないとこで、いい提言を国や大企業など大きなシステムをすでに持ってるところにして働きかけることに成功すれば、提言は情報性のものだけに無限に広げることができて、自分のおぜにや手柄にならんだけで、何兆円もの何千万人への貢献がありうるわけです。
これは勤め時代から思っていたが、
実際に経営する立場になって、当時に比べて考える幅が遥かに広がって、深さが加わったと思う今、そこはより強く思うようになった。
しかし、普通の人は、おぜにさんはいるし、自分にとってプラスになってほしいと思っていろんなことをするだろう。
だから、純粋な意味では大きな貢献がセクショナリズムによって、妨げられがちになることがままある。
そういう意味では、将来の夢は「○○」って身体動かして自営するような職業をいう子どもが多いらしいけど。
小さいシステムで、大きな貢献って難しい。
確かに、喜ばれる実感もあるし、楽しさもあるけどね。
それだったら、大企業でこそできる燃料電池のすごいのつくるとか、今まで掘れなかったとこの石油を効率よく掘るための機械を開発するとか、事故の起きない原発をつくるとか、子どもの夢も大きなシステムを有効に活かすことに気持ちが行くように仕向けてほしい。
すげえ厳しい言い方だけど、子どもの夢が、自分の身体を動かす仕事である限りは、日本の将来は厳しいかも。
まあ幼稚園のときならいいけど、できるだけ、自分の身体を動かさない仕事を夢にできるように、教育界は考えんといかんと思う。
情報技術と低賃金労働者の流入が進むと、身体を動かす仕事で、付加価値を高めて高賃金を取ることは一部を除いて構造的に無理がある。
感情や自分の手柄とか置いといて、客観的に数量化して貢献の大きさを考えるなら、原理的に大きな貢献は大きなシステムをつくるか、既存の大きなシステムを活かすことでしかできない。
しょせん、原理は原理だから、現実界ではさまざまに通用しないとこや修正箇所が出る。
しかし、原理がまったく意味を持たないような分野もまた存在しないのではないだろうか。
たみ家は、入院でもして廃業して無収入になって、退院後毎日16時間ぐらいバイトして、病気がちで老後を迎えるとか、サラ金苦で破産とかそういうのが困るからおぜにさんはいくらでも欲しい。
家賃と雇い人がある自営は、生活費が充分に出てても、いっちょう入院したら、ものの数ヶ月でいつでも破産か無職・無収入になりかねん。
これは、たぶん、仮に事業からの月収が100万円ぐらい出るようになっても、同じではないかと思えてきた。
それなら、家族の誰かの給料が20万円で、事業からの月収が50万の方がリスク対応という意味ではいい場合もあるだろう。
こける可能性の収入が半分になっても、こけない部分がある程度ある方が安定はするだろうなあ。
出費だけが事実で、入りは自分で意味を持たせるのに成功するまではフィクションだから。
100万事業から収入が上がるようになるってことは、出費の事実は大きくなって、フィクションで追いつかないといけない部分が大きくなったという意味だから、月収100万にもなれば、安定するだろうと他人は思ったとしても、何か起こったらひっくり返る危険はたぶん月収30万のときに比べて案外減らないんではないだろうかと思う。
でも、月収は30万よりは100万の方がもちろんいい。
しかし、たみ家はおぜにさんを出して欲しいと思うものが思い浮かばない。
旅行もしたくない。
家もほしくない。
おしゃれも興味ない。
車も軽でいい。
幼少から、趣味、ジョギング、将棋みたいな感じで、これでもかというぐらいおぜにさん使わん趣味で、駅伝とか出てたら食べるのも飲むのも控えるし、いやあ、あの頃、初任給16万台でたくさん貯金ができたなあ。
たみ家は、人の上にも、真ん中にも、前にも立ちたくない。
有名になりたくない。
したがって、名誉もほしくない。
自分のやってることがもし認められて新聞にでも載りそうになったら、やめるか、他人の功績にしてしまいたい。
地位がほしくない。
前記事で、孤独は嫌と書いたが、ほんとはそんなに嫌でない。
ときどき孤独であるべきでないと思うときに、孤独だったら嫌なだけで、孤独が当たり前だと思えば、無人島で人と会わずにずっと過ごすのは苦でないだろう。
さて、もし、おぜにさんも地位も功績を自分の名前で残すことも一切いらないなら、世の中に貢献しようと思ったら、原理原則で考えて、何が最大の貢献になるだろうか?
たみ家の結論では
国や大企業に適切な提言をすることだと思う。
そして、自分ではできるだけ何もつくらずに事業もしないこと。
えっと思うかもしれないけど、理屈を純化すれば、どうしてもそうなる。
他人がその人を認めるかとか、成功者と思うかとか、提言した本人が幸せかとか、誰の功績になってるかとか、そういうことと、事実として大きな貢献をしたかどうかは関係がない。
国の誤った施策を提言によって改めさせることに成功したら、場合によっては10兆円ぐらいの貢献になるかもしれない。
普通、誰が事業やってもそんな大きな貢献はできません。
そして、提言した人の功績はたぶん、もともと著名な人や地位のある人がしない場合は何も残りません。
何が言いたいか
大きな貢献は、儲ける話でも出たようにシステムと組織があってできます。
すると、すでにある最も大きなシステムって国でしょう。
国には国民、納税者として、大企業には消費者として向き合えます。
消費者として、広く普及している製品の欠陥を指摘して、それを回収させたり直させることに成功すれば、すごいたくさんの命を救うことができるかもしれません。
しかし、それは匿名で消費者窓口に電話したものなら、おぜにさんにもならんし、名誉にもなりません。
しかし、それは、普通に一生働いても、貢献できんだけのことを世の中でしたことになるかもしれません。
つまり、大きなシステムに適切な情報を与えて働きかけられるなら、生涯自分では何もつくらずに事業もせずに、観察眼や批判精神を研ぎ澄まし続けて、できるなら問題点に対する対処法なども含めて提言し続ければよいわけです。
おぜにさんも地位も名誉も欲しがらずに、ただ、純粋に自分が生きている過程で世の中に最大の貢献をしたいと思えばそうなるわけです。
自分で事業やっておぜにさんを得ようと思ったら、ちまちまと体力や人付き合いなど等身大の世界で掛け算をしていかんとダメなわけです。
おぜにさん欲しくなくて、自分が世の中に貢献したと思えれば、それでいいと思ったら、それはしちめんどくさいだけです。
大きなシステムをつくるんは、ほんまに苦労がよっけいる話で、異質な長所を統合せんといかんので、めんどい。
しかし、有効な批判は1つの刃を研ぎ澄ますことでできる可能性があるわけです。
「おぜにさんとか表彰とか外からの報酬なんかいらんよ。」
「自分で貢献を感じて、内なる気持ちから報酬を得られたらええよ。」
と思えば、公開の逃げ場のないとこで、いい提言を国や大企業など大きなシステムをすでに持ってるところにして働きかけることに成功すれば、提言は情報性のものだけに無限に広げることができて、自分のおぜにや手柄にならんだけで、何兆円もの何千万人への貢献がありうるわけです。
これは勤め時代から思っていたが、
実際に経営する立場になって、当時に比べて考える幅が遥かに広がって、深さが加わったと思う今、そこはより強く思うようになった。
しかし、普通の人は、おぜにさんはいるし、自分にとってプラスになってほしいと思っていろんなことをするだろう。
だから、純粋な意味では大きな貢献がセクショナリズムによって、妨げられがちになることがままある。
そういう意味では、将来の夢は「○○」って身体動かして自営するような職業をいう子どもが多いらしいけど。
小さいシステムで、大きな貢献って難しい。
確かに、喜ばれる実感もあるし、楽しさもあるけどね。
それだったら、大企業でこそできる燃料電池のすごいのつくるとか、今まで掘れなかったとこの石油を効率よく掘るための機械を開発するとか、事故の起きない原発をつくるとか、子どもの夢も大きなシステムを有効に活かすことに気持ちが行くように仕向けてほしい。
すげえ厳しい言い方だけど、子どもの夢が、自分の身体を動かす仕事である限りは、日本の将来は厳しいかも。
まあ幼稚園のときならいいけど、できるだけ、自分の身体を動かさない仕事を夢にできるように、教育界は考えんといかんと思う。
情報技術と低賃金労働者の流入が進むと、身体を動かす仕事で、付加価値を高めて高賃金を取ることは一部を除いて構造的に無理がある。
感情や自分の手柄とか置いといて、客観的に数量化して貢献の大きさを考えるなら、原理的に大きな貢献は大きなシステムをつくるか、既存の大きなシステムを活かすことでしかできない。
しょせん、原理は原理だから、現実界ではさまざまに通用しないとこや修正箇所が出る。
しかし、原理がまったく意味を持たないような分野もまた存在しないのではないだろうか。
Posted by たみ家 at
01:41
│Comments(2)