バイキングの食べ残し

2010年03月29日

バイキングで店側が、無謀な食べ残しをとがめるまたは防止するのは、誠意。

原価から価格が導かれ、無駄な原価ロスが他のサービスに回せる経費を食う以上

無謀な食べ残しをするお客さんは、そうでないお客さんを明らかに害している。

食べたい人がたくさん食べてそうなったんなら、公正に原価から価格を導けるし、食べ物がお客さんの喜びを増やしたんだからそれでいいけど、捨てるしかない食べ残しを大きく見込み経費として、価格に転嫁せざるを得なくなるのでは、きちんとマナーを守っているお客さんに申し訳ないと思うじゃない。

お客さんの側も、しつけるときに、店に申し訳ないと思わせるだけじゃなくて、他のお客さんを害しているということを教えるべきだと思う。

無謀な食べ残しが多いと、店側は原価が高いものは置けないと思うでしょう。
無謀な食べ残しをする人は、原価が高いものを見て、とりあえずたくさん取っておけと考える傾向が見られます。
好きなものを好きなだけ取るようにしたら、原価が高いものを選んだつもりはなくても結果的に原価が高いものから減っているという傾向は如実に出ます。

お客さんの喜びにつながらない無駄を他のお客さんの価格に転嫁することは、マジメなお店の人なら嫌気がするものです。
これを値上して価格に転嫁しないといけないと思うのも辛いし、それを初めから見込んで高めに価格を設定して、普通のお客さんに負担をかけることも辛いものです。
お客さんに本来のサービスで我慢してもらうのでなく、マナーさえ守れば防げる値上要因をお客さんの側に考えてもらうのはお客さんへの誠意だと思う。

たみ家は、食べ残しを防ぐのは、店をやる前までは店側の事情であり、悪く言えばエゴみたいなところも多少あると思ってた。
それは多少そうなのかもしれないけど、今は、お客さんのためだと考える割合がかなり大きくなった。


たみ家は、供給側の視点で書くことが多いのは、供給側の視点で見ることが公民であり、人々が物を考える原動力になると思うからです。
成長戦略の一環です。

税金と公共サービスの関係もバイキングにちょっと似てませんか?

無謀な食べ残しは、お店にも、飢餓の国にも、地球環境にも負担をかけてるとは言えるだろうけど

今、隣で食べてるグループの人の価格にもしわ寄せさせて、というか同じグループで食べてる向かいや隣に座っている人をも必ず害するという関係を誰もが共有してわかったとき、日本っていう国の政治や教育や経済の実力は確実に上がっているでしょうね。

隣人を愛し、ひいて国力をも高め、また隣人に施せる力をつくる教育とは一つとして、こういうものだと思う。



この記事へのコメント
店をやっています人間が読みますと、うなづける記事でございます。


例えは違いますが、混み合ってる時に、やたらとまだかまだか?と催促なさる方がいらっしゃいます。

そんな方は一旦席につくと、お客様が待っていようがお構いなしでして。

座れなくてお断りしてお客様がお帰りになった後に、待っていたかのように、おあいそしてーとかおっしゃったりします。

商売なさってる方は混み合ってくると、ここもうあきますからちょっと待っててねーとか逆に声をかけて下さって、ありがたく感じたり。

私どもも、他店で飲食してると、同じように、混んでたらさっさと食べて帰るようになってしまいます。


お客様なんだから!と権利は主張する方はたくさんいらっしゃいますが、他のお客様の迷惑までは考えてない方は確かに多いと思いますね。

なかなか店側からこーゆー発信はしにくいですが(;^_^A アセアセ…
Posted by ヒゲ専務 at 2010年03月29日 07:55
ヒゲ専務さま
待ってるお客さんが帰ったすぐ後にお勘定とか何とも切ないですねえ。
店側から発信しにくいことを発信するのが、ある意味当ブログの目的であるんですが、ときどき商売とは背反するなあと思うこともあります。
Posted by たみ家たみ家 at 2010年03月29日 22:19
 
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