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Posted by あしたさぬき.JP at

案外大事だと思う疑問

2010年03月02日

今、ふと疑問に思ったこと。

プラスのドライバーとマイナスのドライバーってどっちがたくさん売れてると思います?

まったく知りません。

もし、プラスがたくさん売れるとしたら、人がプラスドライバーを欲しがってるんじゃなくて、ネジがプラスだからネジがプラスドライバーを欲しがってるんでしょうね。

じゃあ、わざわざ、プラスとマイナスのネジがつくられてるのはなぜ?

たみ家、工作の知識全然ないし、冒頭の文字を打ち出す5秒前に思いついた疑問なので、何も調べてないし、何も知りません。

とっさの想像ですが、プラスの方がネジの頭が丸く大きく出てるからしっかり深い溝が彫りやすい?
プラスは深くしっかり彫れて、縦横で咬むからがっちりしてるけど、ネジ頭が出っ張るから平たい面にできない。

マイナスは、平たい面にしなくていけなくて、ネジ頭が出てたらいけないときに使う?

すると、ドアノブのドアへの固定ならプラス、棚の面ならマイナスでないといけない?

じゃあ、マイナスがたくさん売れるなら、平らに面全体を仕上げなきゃ行けない工作が多いからかな?
時計の中とか、精密で小さい箇所のものならどうか?
マイナスだろうなあ、小さい力でも、場所を取らないことが大事。

プラスの方が頭が大きく縦横で咬むから大きな力でがっちり締める工作は原則プラス?

という風に、売れるドライバーの形から、世の中のネジの形や、必要な工作の種類、そして、工作の対象を利用する人々の暮らしとか仕事のあり方が見えてきませんか?

たぶん、マーケティングとかそういうことが大事なんでしょうね。
きっと、政治とか政策もそれが大事なんだと思う。
誰かのために何かするってときには、だいたい大事なんでしょう。

オフィス街や駅前での飲食の需要とか、何が顧客に求められてるかってのも、顧客の行動や売れ筋商品から、顧客の暮らしや問題を見通して、立体的に、その流れを感じる必要があるんでしょうねえ。

マイナスドライバーの方が売れるとして、4mm径が一番売れるとしたら、4mm径のネジが多いんでしょうね。

ってことは、大きさ的にも、面の仕上げ的にも、4mm径のマイナスネジでの接合が都合のいい家具や什器や機械などに囲まれて、人々が生活してるんでしょうね。

そういう疑問を持った後に、調べ物して、世の名の色んな箇所のネジを見ると、日々の暮らしから感じられる情報がまったく違ったレベルになるかもね。

今まで、ネジに注意を払ったことないので、かなり間違ってるでしょう。
きっと、今のたみ家の想像とは、全然違う実例がいっぱい出てくるでしょう。
でも、今のように、色々想像した後に眺めて考えればきっと理由がわかるでしょう。
  

Posted by たみ家 at 23:22Comments(0)

高校無償化VS最低賃金への補助

2010年03月02日

おぜにさんを使う理由 2 に代えて

国がおぜにさんを使うときは、

国の規模でやらんといかんことか
民業で成り立たん救済でないといかんわけです。
そして、それにはできるだけ、入れたおぜにさんを増やす投資的意味がほしい。

でないと、民間からおぜにさん取り上げる理由無いんです。

国際空港なんか、漁業権や航路削って埋め立てたり、広大な土地を買収したり、反対する者をいざというときに、強制できなければできるかどうかわからんので、民業ではつくれません。
それに、投資的意味がある。
そういう具合に、使う側に意味がないと、おぜにさん取ることが許されない。
いくらかは国を良くするからといって、そこらの道沿いに普通のコンビニつくったりは許されない。

そうすると、高校無償化は行けない人が行けるようにする部分以外は、教育水準そのものを上げる効果もなければ、救済の意味もない。

ところが、まだ最低賃金引き上げのための補助金は、低賃金者のためのおぜにさんだから、労働弱者への救済の意味があるし、企業というおぜにさん増やすところに入れるおぜにさんだから投資的意味合いもある。
もちろん、零細企業の救済の意味もある。
金融不安や連鎖倒産の不安への緩和の意味もまあ無くはない。
生活保護よりもひどいというワーキングプアを、是正することは、安易に生活保護に流れることのモラルハザードのゆがみを取り除く意味もあるので、生活保護受給者と低賃金者それぞれに、働く意欲を高めるなど、国全体の矛盾を減らしながら活力を生む意味もある。

それは、高校に行きにくい人や、高校生を持つ親に限らずパートで働きながら子育てする人の支援にもなる。
もちろん、世帯主のことならなおさらだ。

論理的、構造的に、考えたら、ことの優劣は明白で、高校無償化はでたらめなばら撒きでしかない。

ただ、もし、国の状況が、高校になかなか行けない人が国民の大多数だけど猛烈に成長してて、戦後復興して先進国を目指すに当たって、誰もが高校に行けるようにしようというなら、救済の意味もあるし、投資の意味もあり、国というシステムの安定を図ることと国民の生活を安定させる意味が一致する。

今、おぜにさんを使う意味と優先順位を考えなければ色んな救済ができなくなるとき、経済に活力を生まなければ国民の生活を安定させる基盤が損なわれるかというときに、高校無償化へのばら撒きは悪としかいいようがない。
完全実施に至ることは、静かで見えない殺人とさえ言える。

十万円とか百万円というレベルで人件費が足りなくて、児童虐待へのケアが及ばず、家庭や保育所で亡くなった児童とか、救急医療が間に合わなかったなど、色んな分野での全国の無数のパターンが見えていれば、これが静かで見えない殺人であることがわかるはずだ。

高校無償化で、富裕な開業医や大企業のエリートコースのとこにおぜにさんが返るんなら、まだ、貧困国のワクチンのためにワンクリックでもした方がいいと思う。

こういうことに怒れないのは、感覚の麻痺ではないだろうか?

選挙で勝つために、麻痺した国民に訴えるのは何かと政党は考えた。
すると、失政は、麻痺した国民が主犯、政治家は従犯というのが、たみ家の基本的立場。

「政治に不満があるなら投票しよう」とかいうが、麻痺したまま投票しただけで、義務を果たしたとは思わない。
投票は、入り口のドアに手をかけたに過ぎない。

絶えざる議論や勉強や、苦情や提案など、レベルを上げて、政治や行政を監視する力を国民が強めなければ、主犯の座から降りることはできない。

国民全体が普段から議論をしなければ、失政は直らない。
  

Posted by たみ家 at 09:02Comments(4)

だし巻き用の

2010年03月02日

焼印つくりたい  

Posted by たみ家 at 02:45Comments(0)