何のMですか?
2008年06月19日
(前記事の続き)
インタビュアー、「なぜに、今の日本や地域の問題を語るに、政治や行政のせいにせずに、自分や住民とか国民の問題と考えることを強調するのか?」
たみ家、「『そう考えることがより幸せであり、幸せにつながると考えるから』」と答えておきたい。」
インタビュアー、「自分が悪いってことにするのはMですか?」
たみ家、「まあ、政治家はちょっとしかいません。行政関係者はたくさんいますが大多数ではありません。一番たくさんいる人に責任がある。その結果が集団の問題となってると考えるのが現実に合致してると思う。マスコミも、売上至上主義で、政治や一部の人間を悪いことにして物語仕立てにすれば、わかりやすいってことで、問題をすりかえ続けてきたのがよくないと思う。」
インタビュアー、「それって幸せと関係あるんですか?」
たみ家、「じゃあ、逆に聞きたいけどね。
わたしたちは、地域を良くするために役割を果たせると思いますか?やれることがあると思いますか?
もし、わたしたちがミャンマーや中国にいて、情報を統制されたり、何か政府の批判でもすれば軍隊が来るってのであれば、できることがない。できることがない人には責任もない。
できることがあるから役割がある。役割があるから責任があって、結果に対して行動を考えたり、反省することができる。つまり自分が悪いと思える人は、自分にできることがあると思ってる人であり、自由を持ってるということの論理的帰結でもあるんですよ。
以前に、アマルティア・センの潜在能力アプローチについて書きましたが、幸せであるってことは、結果だけでなく、幸せを追求するために自分の意志で試行錯誤ができる自由を持っていることが重要であると思います。
そうすると、自分や住民の責任を強調することは、良くしようとする意欲や自由や役割を持っていて、それが可能であるという未来への希望の証拠なわけです。幸せだと思いませんか?
Mは前向きのMなんですよ。はっはっははは。」
と1人2役でがんばりました。
今日、ふと、380人の小学校でも30人以上教職員がいるって、たまたま新聞で見ました。
前記事は栗林小学校の例ですが、大規模校ほど効率はいいと思うので、全国的にはもっと厳しい数字になるのではないでしょうか?
県内の小学校は10年前は230ぐらいだったと思う。
今は統廃合も多くて、200も無いのでは?
すると、全国の小中学校教諭が約62万人、じゃあ、県内に6千人ぐらい?
うち、小学校教諭が中学よりも年数が多いけど専門性が低いから、3千5百ぐらいと仮定。
そしたら、一校当たりの教職員が事務員や用務員込みで20人ぐらいになる。
これは、栗林小学校よりも効率悪そう。
離島には、さらに教職員用の宿舎とかもあるでしょうし。
誰が払ってるか知りませんが、年100万、ほんとうは世代間で割ってるから、みんながそんだけ税金払わなくてもいいんだけど、当の児童自身は、年100万、月8万も払ってもらって学校で勉強させてもらってるんです。
平均だけ8万円月に払ってみて下さい。
「学校の勉強なんか役に立たないからしなくてもいい。」
なんて言えるでしょうか?
インタビュアー、「なぜに、今の日本や地域の問題を語るに、政治や行政のせいにせずに、自分や住民とか国民の問題と考えることを強調するのか?」
たみ家、「『そう考えることがより幸せであり、幸せにつながると考えるから』」と答えておきたい。」
インタビュアー、「自分が悪いってことにするのはMですか?」
たみ家、「まあ、政治家はちょっとしかいません。行政関係者はたくさんいますが大多数ではありません。一番たくさんいる人に責任がある。その結果が集団の問題となってると考えるのが現実に合致してると思う。マスコミも、売上至上主義で、政治や一部の人間を悪いことにして物語仕立てにすれば、わかりやすいってことで、問題をすりかえ続けてきたのがよくないと思う。」
インタビュアー、「それって幸せと関係あるんですか?」
たみ家、「じゃあ、逆に聞きたいけどね。
わたしたちは、地域を良くするために役割を果たせると思いますか?やれることがあると思いますか?
もし、わたしたちがミャンマーや中国にいて、情報を統制されたり、何か政府の批判でもすれば軍隊が来るってのであれば、できることがない。できることがない人には責任もない。
できることがあるから役割がある。役割があるから責任があって、結果に対して行動を考えたり、反省することができる。つまり自分が悪いと思える人は、自分にできることがあると思ってる人であり、自由を持ってるということの論理的帰結でもあるんですよ。
以前に、アマルティア・センの潜在能力アプローチについて書きましたが、幸せであるってことは、結果だけでなく、幸せを追求するために自分の意志で試行錯誤ができる自由を持っていることが重要であると思います。
そうすると、自分や住民の責任を強調することは、良くしようとする意欲や自由や役割を持っていて、それが可能であるという未来への希望の証拠なわけです。幸せだと思いませんか?
Mは前向きのMなんですよ。はっはっははは。」
と1人2役でがんばりました。
今日、ふと、380人の小学校でも30人以上教職員がいるって、たまたま新聞で見ました。
前記事は栗林小学校の例ですが、大規模校ほど効率はいいと思うので、全国的にはもっと厳しい数字になるのではないでしょうか?
県内の小学校は10年前は230ぐらいだったと思う。
今は統廃合も多くて、200も無いのでは?
すると、全国の小中学校教諭が約62万人、じゃあ、県内に6千人ぐらい?
うち、小学校教諭が中学よりも年数が多いけど専門性が低いから、3千5百ぐらいと仮定。
そしたら、一校当たりの教職員が事務員や用務員込みで20人ぐらいになる。
これは、栗林小学校よりも効率悪そう。
離島には、さらに教職員用の宿舎とかもあるでしょうし。
誰が払ってるか知りませんが、年100万、ほんとうは世代間で割ってるから、みんながそんだけ税金払わなくてもいいんだけど、当の児童自身は、年100万、月8万も払ってもらって学校で勉強させてもらってるんです。
平均だけ8万円月に払ってみて下さい。
「学校の勉強なんか役に立たないからしなくてもいい。」
なんて言えるでしょうか?
Posted by たみ家 at 23:42│Comments(0)