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Posted by あしたさぬき.JP at

統合の前提 3 何となく明治以降

2008年06月08日

1865年ぐらいから40年間ぐらいの産業の発展を「第2次産業革命」というらしい。

IT革命のことをそういう人もいたりしますが、おおむね歴史的には、イギリスの産業革命に対して、このころに、アメリカ、ドイツ、フランスなどが工業化を進め、イギリスの立場を脅かしたあたりを「第2次」というのが多いようです。

ダイムラーが重い蒸気機関に代わるガソリンエンジンを発明して実用的な自動車を造れるようにし、フォードが大量生産に成功したり、エジソンやウェスティングハウスが出たり、ベッセマーが製鉄で革新的な方法で鋼の大量生産を実現させるなど、世界的に急激に生産力がアップし、農村から都市に大量に人が出てきて、大量生産が可能になって人も余るし、余剰ができるので、サービス業にも人が移るようにもなってきました。

こういう事情が、恐慌やブロック経済化を招いて、第一次世界大戦につながったり、都市や労働者の問題をいろいろ考えないといけないようになったりしたところでもあると思います。

こういう大波の中で、日本が明治維新から日露戦争までやった時期が、世界的にはちょうど「第2次産業革命」といわれているそうです。

で、この頃に、経営学とか経営組織論とかいうものが出てきたらしい。
だいたいアメリカに現れたテイラーがその祖といわれています。
経営組織論の何を見ても、最初に書いてあるのは、まずテイラー。

生産手段が変化したら、社会が変わり、人に対する考え方もいろいろ変わる。

マルクスもそんなことを言っていたと思う。

急激に生産手段が発達し、大量生産ができるようになったら、組織も難しくなるだろうなあ。

ここでも、「統合の前提 1『問題とは』」で書いたように、「何かが何かと適合しなくなった」というわけで、生産手段の発達に賃金制度や組織が適合しなくなっとるのが問題なわけです。

テイラーは、弁護士目指してたけど、目が悪いので断念して、工場技術者になった人でした。

それまでは、工場労働者の賃金は、単純出来高制が多かったけど、道具が発展して大量生産できるようになったので、造れるだけ造ったら、売れるかどうかもわからんのに、賃金ばっかり高くなって、売れないときも大きな人件費を負担しなくてはならなくなるので、使用者が人を辞めさせたり、単位あたりの賃金を切り下げるようなことをやった。

もう、みんな都市労働者ですから造りすぎれるからといって、賃金下げられたり、人手が余るからといって辞めさせられたら、生きていけません。

がんばり過ぎるヤツは許せんのです。
人がいらんようになるでないか。

できるヤツに合わせても、賃金の上限があるので、できんヤツの賃金が切り下げられるでないか。

そうなると
「みんなで雇用を守ろうで、仲良くやろうで、がんばって抜け駆けするヤツは許さんぞ。それにどうせがんばったってできるヤツは上限よりもやってももうもらえんのやから、そこそこ手抜きしようぜ。みんなでやらんと1人でさぼったら辞めさせられるから団結しようぜ。」
みたいになるのも無理ない。

そこで、経営者が悩むようになった。

また、評価の客観的な基準もまだまだだったので、人種差別もあっただろうし、移民も多く、言葉も通じないような人達もいた中で、人間関係もひどいとこもあったかもしれない。

テイラーは、技術者だけに、下っ端管理職としても、現場人としても、状況を何とかしたいと思ったんではないだろうか。


こないだの「あしたさぬき」のアンケートに、ブログのネタについてで「書ききれなくて困る」って回答を追加して欲しかったなあ。

途中にして、用事に行かないと。
  

Posted by たみ家 at 22:02Comments(0)

統合の前提 2 欲求をやりくりする存在

2008年06月08日

経営学についていくつかの分け方があると思う。

一つは組織をどうするかの経営組織論とか

二つ目は、おぜにさんをどこにどう投入したらいいかの財務投資論とか?

みたいな大雑把な分け方があると思う。
もう座学はうどん屋始めるちょっと前からまったくやってないので、そんな感じとしか言えませんが。

経営学の組織論って、兆億単位が当たり前のおぜにさんの世界で、人を働かすための研究してるわけだから、ある意味、「人とは何か」みたいな研究におぜにさんが最も投入された世界かもしれない。

「人とは何か」だから、動物学者や精神医や心理学者もたくさんからんでるし、法学者が技術者に転身したからそういう見方が発達したみたいに、いろんな分野から「人とは何か」を考える知見が結集している。

ところが、経営学の組織論って、人聞きが悪い言葉を使えば、経営者が「倒れん程度に人をこきつかって、できるだけ長く使って、最高の生産性と収益を上げるため」の研究だったりもするわけですよね。

平家物語や日本書紀などが「勝者がつくった歴史」と言われますが、経営学の組織論も「持てる者がつくった持てる者のツールとしての人間像探求」とも言えるわけです。

もちろん、様々な修正が加えられてますが、ぶっちゃけ経営者がおぜにさんを投入して展開する人間研究は儲けのため以外に普通にはないってのはわかりきってるでしょう。
それにおぜにさん使って儲けと関係ない研究しとったら、株主総会で怒こられるじゃないですか。

いいことしてるようでも、現場や組合組織の反乱を恐れてのことだったり、企業イメージを損ねんためだったり、お上にしょっぴかれないように法令をいちおう守っとくためだったり、「経営」のための学問である以上、それを否定するのは背理でしょう。

しかし、兆億単位のおぜにさんの世界のことだけに、研究は他の分野よりもよく進んでいることは多いかもしれません。

で、人間のモデルとして、
ちょっと前提を飛ばしますが

「人とはどういう存在か」ついて、「経済人モデル」から「経営人モデル」とか「社会人モデル」とかいう言い方をよくします。
「経済人」とか「経営人」とか「社会人」てのは訳語が日本語の語感と一致してないので、ビジネスマンのことでも、経営者のことでも、学生などに対する社会人の意味でもまったくありません。

「経済人モデル」っていうのは、人間はより報酬を求めるなど合理的な選択をするであろうという、合理的な生き方をする存在とした人間像モデルです。

民主主義ってのも、人間は合理的に問題を考えて投票したり政治参加をするであろうという前提にあります。
けっして、顔がかっこいいからとか、会ったことはないけど幼稚園が同じだからという理由で議員を選ぶことは前提にしてません。

「経営人モデル」ってのは、今ある与えられた情況のなかで選択し、一定の成果があれば満足し、一定の充足を得ればベストを求めて行動なんかはしないだろうという人間像モデルです。

知らないけど、たぶん、「経済」が「エコノミック」、「経営」が「マネッジ」、「社会」が「ソーシャル」みたいな原語なんで、直訳的に日本語にしたらヘンな日本語になってしまったってとこではないでしょうか?

たみ家は、ここで、
「人間は、欲求をやりくりする存在である。」
という

「欲求人モデル」

の人間像を立てておきます。
「経営人モデル」と似てるのですが、合理的でも欲求にないことはしないことを強調しておきたいし、欲求の性質や行動との諸関係、またこれを何とかすることの重要性を強調しようというものです。


ただ、漠然と最適を求めたり思ったりはしますが、行動の段になると、思ってるだけのことはしないし、やったこともそこそこの満足を得た段階で、まあいいやとなります。

みなさん。
禁煙もメタボ対策も案外うまくいかんじゃん。
やらなきゃいけないことはわかってるのに。
強い欲求に支えられて、優先順位を1番か2番には持ってこないと、人間3番目あたりの意識は急に弱くなるから、まあ2番の欲求にないとせんね。

また、合理的にはやっちゃまずいけど、うっかり殴ってしまったとか、U草先生のように、日本国内でも最高峰に合理的に考えられる人でありながら、爆発的な欲求を何とかできずに、踏み外してしまうこともあります。
そのときは、人生全部と同じ重さが、意識下ではあったり、衝動爆発で、合理性飛んでしまったり。

そうすると、欲求に支えられたことはやるので、好きなことが自分や人様の役に立つことだったり、そういう風に誘導できるなら、ムリない範囲でやれるならやっとけばいいねってことにもなるし、先般、書いた方程式の次数の話ともつながります。

欲求って、ビール1杯目はうまいけど、10杯目はいらんのと同じで、欲しくてしょうがなくても、どっかで欲求が頭打ちになったり長続きしなかったりするし、途中から焼酎が欲しくもなるし、当然料理もいるし、もうええかげん食べたら、気の合うマスターがいるとこや、バンドやってるとこや若い女性がいるとこにも行きたいとなる。

「欲求のやりくり」には資源の最適配分と同じ理屈や限界効用逓減の法則が働くように、ええ具合の量と組み合わせとタイミングの選択をしたり。
また、努力するとか目的に向かうってのはたいてい、欲求のコントロールだし、だんなや嫁の欠点をがまんして欲求を抑えたり、しょうもない上司でもいちおう持ち上げておいたり、目をつぶるのも、物事や関係を長続きさすための欲求のやりくり(マネジメント)の意味があると思う。

人は合理的に動く存在でなく、欲求にないことはせんし、欲求に動かされてそれをやりくりしていく存在であり、一番危険なことは欲求のやりくりに失敗して、たとえば(人によっては会社がいやだっただけでやりたいこともなかったのに)できもせん事業に手を出したり、カードショッピングしすぎての借金地獄、飲みすぎて病気、カッとして犯罪とかすることだと思う。

これらは、マズローの段階欲求説への疑問や、批判が持つ正の力と危なさのコントロールなどいろいろなとこへと波及していきます。

今まで書いてきたことのことをほとんど全部つないでいかないと説明がつかないというか、つながりがはっきりしないところに来たので、それらのつながりがいるとこの前提になるとこを書いてるとこです。
  

Posted by たみ家 at 14:08Comments(0)

統合への前提 1 「問題」とは

2008年06月08日

問題とか困ったことっていろいろあると思う。

それは、たいてい「何かが何かと適合してない」ことではないでしょうか?

乳幼児がおもちゃを呑み込む事故。
おもちゃは食べ物として適合してない。
呑み込むということは、そのおもちゃが安全に遊べる状態に適合してないということになるでしょう。

夫婦の不仲は、お互いの何かが合ってないんでしょう?
よく、「性格の不一致」とか「性の不一致」とか言いますが。

地方財政の危機は、入る税収としないといけないサービスが合ってない。
また、権限に対して遂行するための財源が下りてないとか。

結婚できない人、しない人は、自分の生き方と制度や結婚生活が適合しなかったり、相手に求める水準と自分の現状が一致してなかったり。

借金地獄の人は、自分の生活とおぜにさんを得る能力に不適合があったり、自分ができる事業でないことに手を出して失敗したなどの過去の不適合によるものだったり。

過酷な受験は、自分の実力と受ける学校や試験のレベルが合ってない。

癌細胞は、人が生きるのに合ってない性質である。

大地震でつぶれる家は、地殻運動のエネルギーの強さと家の強さが合ってないうえに、そんな100年に一度の事件に耐えられる強度は、みんなが家を造るときの予算や地震が起こる前の切実さに合わない。

今の民主主義の選挙制度も、制度と世の中の複雑さと責任を持つために要求される「選ぶ人々の意識」、「選ばれる側の意識」などに不適合があると思われる。

また、官僚や行政といわれる側は、大組織であり、大きなおぜにさんを持ってるし、長く現場にいる人が多い。
政治家の側は、大政党が組織的に取り組むような問題以外は、個人に毛が生えた程度の組織だったり、素人だったりするので、質問も役人に書かせるというし、役人が書いた方が実際にいい質問になるから、政治家の側がそれはそれでいいのだなんて開き直ったり。

あるべきと現実に不一致がある。

そうすると、もともと不適合ってこともあるけど、世の中がいろいろ変化するにしたがって、いつの間にか不適合になったことも多いと思う。

通信やコンピューターの発達や人口の増大による地球のサイズや、人間の身体や人間に必要なものの量との不適合は、ストレスやネット犯罪や食糧問題などを起こす。

働き手が多いうちは、年金制度はこの国に適合していたかもしれない。

単純な労働しかしてなかった時代やモノが足らなかった時代は、出来高制の純粋な成果主義は、公平さの点からも人々のやる気を出させて生産性を高める意味からも適合してたのかもしれない。

ところが、エンジンやベルトコンベアの発明など造る機械が発達したら、すぐに造り過ぎになってしまうし、食うに困らなくなると、人はおぜにさんを欲しがるために過酷な長時間労働を受け入れるより、遊びやゆとりを求めることもある。

問題や困るのは「何かが何かと適合してない」からっていうのは当たり前で、何も言ってないように思えるかもしれませんが、漫然と困ったりイライラするのと違って、必ず、何かと何かを探すことになるし、その関係を意識せざるを得なくなります。
その意味でイライラを解消したり、現実的な対応策を考えやすくするモノの見方だと思います。

「何かと何か」ということで、
片方の側にも問題を探し、もう一方の側にも問題を探し、
「不適合」ということで、
その関係を考えることになると思います。


たとえば

「家業を長く繁栄させたいけど、こどもは継ぎたがらない。」という不適合

じゃあ、こどもは、長時間労働や不安定さや3K的なとこに自分の考えとの不適合を見出してるかもしれません。

すると、自分の代で、財務的にもしっかりした会社にして、視察に海外に行けるようなレベルにしてみたら、継いでみたいと思うようになるかもしれない。

そうすると、売上を伸ばしたり多角化するために、人手や店舗に不適合があるのではないか、人手を入れた分、新しいサービスや商品を考案したり、マニュアル的なものを入れたりしないといけないかとか。

しかし、それはそれで、自分の代でやりたいことやできることとの不適合につながるかもしれないなど。
  

Posted by たみ家 at 12:09Comments(0)

その点イオンは賢い

2008年06月08日

マイ箸って、お洒落やファッションとしてやるのは大いに結構だと思います。
華やかな箸袋もどんどん増えるのもいいと思います。

ただ、環境にいいって言わんとってほしい。
消費としてファッションとしてやることなら、お洒落やファッションは何だって資源は消費するんだから、別に悪いことでも何でもない。

ただ、環境にいいと言った時点で、生業として、割箸を使ってる飲食業者や割箸の製造販売業者を環境に悪い存在と間接的に非難してることになるわけです。

じゃあ、ほんとはどうなん?
って、言いたくもなるわけです。

割箸1膳節約するために、車でしかいけんとこに、ガソリン燃やして行って、環境にいいわけないですから。
ただ、ファッションや嗜好としての消費なら、100円台のうどんをはしごされに、遠方から橋を渡られるのもレジャーですから、それは当然楽しみとしてありなんです。
お洒落な着物や帯をするような楽しみとして、華やかな箸袋を持ってる方は素敵だなあと、たみ家個人も思います。

マイ箸の環境効果に疑問を投げかけ続けてましたが、個人的に特に女性がマイ箸持ってるとかわいらしいなあとは思います。
ただ、環境に良いからって言われると、本人がいい気持ちでやってることを批判してがっかりさせたくない気持ちとこういう誤解は解いていかないとという軽い使命感めいたものがこれまた軽く葛藤します。

そのあたり、環境にいいとPRして、集客したり販売するのはある意味常道なんでしょう。

そういう話として、イオンさんの市民植樹なんかは賢いなあと思う。

イオンさんは、敷地にいろいろ近隣住民などの参加のもとに、植樹して、市民参加で環境にいいことをしてるとPRに利用しますが、植木屋さんに植えさせると人件費がいるけど、植木だけ用意して近隣住民が植えると人件費がほとんどタダになるので、植木代だけで、植木屋さんにしてもらうのの4割程度で植樹できてしまうそうです。

そのうえ、住民参加のもと地元や環境にやさしいことをPRし、近隣住民に当事者意識を持たせ、進出して来たことへの敵対心を緩和させ、○周年植樹祭とか、ずっとイベントのタネにもできます。

イオンは環境を利用するにしても施設整備のコストカットと売上や利益ともがっちりと結びつけさせた上で、いろんな関連効果や長い目での種まきまで同時にやってしまうとこが賢いと思う。

イオンは、大資本。
小資本が対抗するなら、2枚上手の知恵でアプローチしないと厳しそう。
  

Posted by たみ家 at 00:14Comments(2)