統合への前提 1 「問題」とは

2008年06月08日

問題とか困ったことっていろいろあると思う。

それは、たいてい「何かが何かと適合してない」ことではないでしょうか?

乳幼児がおもちゃを呑み込む事故。
おもちゃは食べ物として適合してない。
呑み込むということは、そのおもちゃが安全に遊べる状態に適合してないということになるでしょう。

夫婦の不仲は、お互いの何かが合ってないんでしょう?
よく、「性格の不一致」とか「性の不一致」とか言いますが。

地方財政の危機は、入る税収としないといけないサービスが合ってない。
また、権限に対して遂行するための財源が下りてないとか。

結婚できない人、しない人は、自分の生き方と制度や結婚生活が適合しなかったり、相手に求める水準と自分の現状が一致してなかったり。

借金地獄の人は、自分の生活とおぜにさんを得る能力に不適合があったり、自分ができる事業でないことに手を出して失敗したなどの過去の不適合によるものだったり。

過酷な受験は、自分の実力と受ける学校や試験のレベルが合ってない。

癌細胞は、人が生きるのに合ってない性質である。

大地震でつぶれる家は、地殻運動のエネルギーの強さと家の強さが合ってないうえに、そんな100年に一度の事件に耐えられる強度は、みんなが家を造るときの予算や地震が起こる前の切実さに合わない。

今の民主主義の選挙制度も、制度と世の中の複雑さと責任を持つために要求される「選ぶ人々の意識」、「選ばれる側の意識」などに不適合があると思われる。

また、官僚や行政といわれる側は、大組織であり、大きなおぜにさんを持ってるし、長く現場にいる人が多い。
政治家の側は、大政党が組織的に取り組むような問題以外は、個人に毛が生えた程度の組織だったり、素人だったりするので、質問も役人に書かせるというし、役人が書いた方が実際にいい質問になるから、政治家の側がそれはそれでいいのだなんて開き直ったり。

あるべきと現実に不一致がある。

そうすると、もともと不適合ってこともあるけど、世の中がいろいろ変化するにしたがって、いつの間にか不適合になったことも多いと思う。

通信やコンピューターの発達や人口の増大による地球のサイズや、人間の身体や人間に必要なものの量との不適合は、ストレスやネット犯罪や食糧問題などを起こす。

働き手が多いうちは、年金制度はこの国に適合していたかもしれない。

単純な労働しかしてなかった時代やモノが足らなかった時代は、出来高制の純粋な成果主義は、公平さの点からも人々のやる気を出させて生産性を高める意味からも適合してたのかもしれない。

ところが、エンジンやベルトコンベアの発明など造る機械が発達したら、すぐに造り過ぎになってしまうし、食うに困らなくなると、人はおぜにさんを欲しがるために過酷な長時間労働を受け入れるより、遊びやゆとりを求めることもある。

問題や困るのは「何かが何かと適合してない」からっていうのは当たり前で、何も言ってないように思えるかもしれませんが、漫然と困ったりイライラするのと違って、必ず、何かと何かを探すことになるし、その関係を意識せざるを得なくなります。
その意味でイライラを解消したり、現実的な対応策を考えやすくするモノの見方だと思います。

「何かと何か」ということで、
片方の側にも問題を探し、もう一方の側にも問題を探し、
「不適合」ということで、
その関係を考えることになると思います。


たとえば

「家業を長く繁栄させたいけど、こどもは継ぎたがらない。」という不適合

じゃあ、こどもは、長時間労働や不安定さや3K的なとこに自分の考えとの不適合を見出してるかもしれません。

すると、自分の代で、財務的にもしっかりした会社にして、視察に海外に行けるようなレベルにしてみたら、継いでみたいと思うようになるかもしれない。

そうすると、売上を伸ばしたり多角化するために、人手や店舗に不適合があるのではないか、人手を入れた分、新しいサービスや商品を考案したり、マニュアル的なものを入れたりしないといけないかとか。

しかし、それはそれで、自分の代でやりたいことやできることとの不適合につながるかもしれないなど。



 
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