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Posted by あしたさぬき.JP at

風景の言葉2 何でもしゃべってる

2008年06月01日

「人が話す言葉は必ずしもほんとうでない。」とはよく言います。

ただ、話す内容から、その人の関心や知識を読み取ったり、家庭生活や人間関係を感じることもあるでしょう。
敬語の使い方を聞けば、育った環境やどういうとこで勤めたか勤めてないかなども推測できるでしょう。
普段言わないようなことを急に優しげに言い出したら、「浮気しとらへんか?」とか「実はリストラされて昼スーツ着て公園で寝とりはせんだろうか?」と、背広の内ポケットを探ったり、会社に電話したり、テレビではよくある。
そんなこと一言も言ってないのにね。

統計も、言葉をしゃべってるようなものでしょう。
必ずしも信じちゃあいけない。
でも、そっからいろいろ感じたり、現実と合わなかったり、誤解しやすいとこ、調査した人の意図などを勘繰ることで、関連するいろんなことが見えてくる。

風景も、世の中や地域や地球の森羅万象がしゃべってる言葉だと思う。

山を大きく切ってあったら、花崗岩質なのかとか、何か建つのかなとか。
山の植生を見て、こっちが日当たりのいい方向なのかなとか。

たみ家は、風景のしゃべってる言葉を、重視したいと思ってます。


さて、有名な麺通団の田尾さんが新聞やHP上にいろいろご意見を書いておられます。
たみ家は、お会いしたことぐらいはありますが、親しいわけでもありませんし、まともにお話をしたこともありません。

この方がすごいなあと思うことは、批判的な精神や観察眼をきちんと持ちながら、それをユーモアやコミュニケーション力で分厚く包めることだと思います。

批判って、ある意味、建設的に物をつくったり、築くことそのものよりも大事なことはあると思う。
というより、個人レベルから、大きな社会レベルに移れば移るほど、つくることそのものよりも批判することの方が価値が大きいことが多くなる。
だから、大きな会社や国では、取締役とか政治家といわれる自前で何もつくらず、自ら執行もしない人が、批判や質問をして、エライさんになれる。
ある程度、体制がととのって、巨大化したものには、もう新しいものはつくりにくいし、それなりに機能はしてるのでドラスティックに何かをつくりだすほどに変えれることは多くないというか採算が合わない。

だから、おかしな方向に行きそうなときに、おかしいぞって言って、巨大化したものの暴走を抑えたり、進路を整えることが大事になってくる。
巨大化してるだけに、優先順位を一つ変えたり、進路を1度ずらすだけで、多くの人を救えたり救えなかったり、何十億円のロスを減らせたりできるし、人手自体は、ものすごくたくさんの中の一人だから批判専門家もいてくれていいということになる。

これが、2人しかいないうどん屋では、とにかくつくらんとしょうがないし、手の動かない批判精神の旺盛な人は、外部にお客さんやお友達としてはいてくれていいけど、中にはいてもらっては困る。
また、個人事業のうどん屋がどうなろうと、自己責任だし、社会的に大した意味はないので、批判が有効に働こうと働くまいと、さして世の中に意味はない。

批判は、刃物に似ているので、裁断して、形を整えたり、利用できる大きさにしなければならないように、誰もがしなきゃいけないし、いつでもすごく重要です。

刃物や火は危険だけど、ないと、うどんも麺の形にならないし、茹でられないように料理一般ができません。

ただ、刃物には人は寄り付かないし、というか一緒に寝れません。
人に向けたらいかんこともあるし、普段は包んでおかんと自分も人も傷つけるおそれがある。だから、批判の意味や本質を考えないと、人を傷つけては孤独に陥ったり、逆に、恐れて波風立てずに漫然とヘンな方向に行ったり、停滞したりすることもある。


その辺、田尾さんは稀有な存在であり、テレビや新聞などマスメディアや批判が大嫌いな行政からも人気があるところだと思う。
批判が得意な人は、孤独に刃を研ぎ澄まし強くなることのみを求める、さすらい剣豪みたいな人がけっこう多いですから。

観光行政や地域興しなど今うまく行ってないことをうまく行くように提言することは、たいてい今の状況に対する批判である。
だから、お金もらって書く価値がある、それは個人に対するものでなく、大きな関係のものへの批判だからこそ意味がある。

大きな関係だからこそ、形を整えたり、切って見て、見えないとこをチェックする必要があるけど、個人に刃物を向けて切ったら、結果によっては傷害罪やそれ以上になる。

この方、今日6月1日付けの四国新聞P3「論点香川」でも、「香川の驚きのシーン発見」と、景色に注目してますし、こないだも外国の風景が出たら血眼になって珍しいものを探すみたいなこと書いてましたし、香川県の広報誌でも、かなりの期間に渡って、風景を題材に2P分執筆されてました。

また、団長日記でも、家から見る朝の雲と夕方の雲の様子と海に立つ波の様子、またその関係について言及されてました。

風景に意味を持たせているわけです。

そして、風景に意味を持たせるということは、事実から感じるってことなんです。

また、風景そのものは、みかんの木があるからといって、土壌がどうだ、気候がどうだとしゃべってるわけではありません。
が、おのずから、土壌や気候や場合によっては土地所有者の意思などをしゃべってることになります。

事実から感じ、関係を読み取る。

風景に意味を持たせたり、言及するってことはそういうことなんです。

だから、事実に基づかない人の言うまやかしや、常識といわれていることのワナを見破れるわけです。
統計と風景とはセットでもあります。

統計の数字に「あれ!?」って思ったり、風景から意味を感じれば、情報感受度が著しく上がるわけです。

このためには、現場などミクロの事実をある程度知らないといけないし、みかんの木から意味を読み取るにはみかんの木がどういうとこで生育しやすいとか、個々、風景を構成するものへの知識や関心がいります。
これらが相互にフィードバックすると相乗効果が出るでしょう。

今、ふと思ったんですが、目の前のパソコンのディスプレイは横長に四角い。

・つくりやすい。
・はこびすい。
・見やすい。

などのバランスの結果でしょうが、ディスプレイとはそういうものだと、しゃべってくれてるのと同じです。
言葉といっしょで、聞く側が思っても騙されてるように、違うかもしれませんが。
  

Posted by たみ家 at 14:49Comments(0)

おぜにさん

2008年06月01日

よく、「お金のためより、やりたいことをやる。」みたいな話を聞きます。

NPOやボランティアグループでも、儲けを汚いことのように言う方に会います。

また、それらのグループが報酬を取ることを悪く言う人もいます。
営利は出しても、個人に分配しないのが、営利と非営利を分ける原則ですが、それさえ理解しない。

これらのグループがもう一つうまくいってないのは、お金に正面からきちんと向き合ってないからだと思う。

やりたいことをやれるのは、他の収入があるか、家に資産があるかで、フリーターが生きていけるのも、国か親元に資産があるだけのこと。

非営利グループも資金調達が恒常的にできなければ、多大な個人の犠牲によるしかない。
なぜ株式会社はかように発展しているのか、なぜ非営利団体はかようにまだまだ危うく弱々しいのか。

ゼニを崇めることもないと思う。
奴隷になることもないと思う。

でも貶めてはいけないし、汚いものとしてでなく、正面から向き合わないといけない。

やりたいことをやるってのはアマチュア精神。
職業にアマチュア精神のいいところをミックスして、モチベーションを高めたりするのは良いと思う。

でも、やりたいことをやるのはアマチュア。
人が価値を認めることをしたら、プロ。
価値を認めるってことは、人は正直だから、お金を出してもいいと思ったらほんとに価値を認めているということ。
お金を出さない人は、たいてい相手の能力や仕事の成果を疑っている可能性が高い。

お金のためにやることが、価値あることで人の役に立つことである可能性は、一般的に高い。
お金のためになることをやって、はじめて、地域に熱が入り、多大な自己犠牲が軽くなり、バランスの良い暮らしにつながり、他者も多くが関われるようになるし、拡大再生産性ができる。

昨今、様々な分野の隙間を埋めていかないといけないことが、少子高齢化やグローバルエコノミーからの国際競争力維持などのための小さな政府化などからも意味を持ち、国・地方政府、会社に次ぐ、非営利団体というものの活躍の場や重要性を大きくさせている。

それに対する、寄付や奉仕に関する文化的な見方や税制や補助金など国・自治体の壁が、健全な発展を妨げているように思う。

さて、ゼニを崇めるでもなく、蔑むでもなく

重要性だけでなく美しき貢献も認めて
親しみをこめて

おだいっさん
おじゅっさん

のように

おぜにさん

と呼んでみたらどうでしょうか?

さぬきの方言「おぜにさん」

・政治と「おぜにさん」の問題=「政治とカネの問題」
・あいつは、おぜにさんに目がない=「あいつはカネに汚い」
・おぜにさんに嫌われたらひとりぼっち=「カネの切れ目は縁の切れ目」

など、気軽に言い換えてみたい。

たみ家、おぜにさんシリーズ3連発なので、よっぽど、おぜにさんが好きなのかと思われそうですが、今の社会の活力の問題は、おぜにさんときちんと向き合ってないからかなあと思うことが近頃妙に増えてるんです。

たみ家は、世の中で長いことうまくいってないことの理由や対策を「ああでもないこうでもない。」10年でも20年でも考えて飽きがこないタイプなんです。
  

Posted by たみ家 at 13:18Comments(0)