おぜにさん
2008年06月01日
よく、「お金のためより、やりたいことをやる。」みたいな話を聞きます。
NPOやボランティアグループでも、儲けを汚いことのように言う方に会います。
また、それらのグループが報酬を取ることを悪く言う人もいます。
営利は出しても、個人に分配しないのが、営利と非営利を分ける原則ですが、それさえ理解しない。
これらのグループがもう一つうまくいってないのは、お金に正面からきちんと向き合ってないからだと思う。
やりたいことをやれるのは、他の収入があるか、家に資産があるかで、フリーターが生きていけるのも、国か親元に資産があるだけのこと。
非営利グループも資金調達が恒常的にできなければ、多大な個人の犠牲によるしかない。
なぜ株式会社はかように発展しているのか、なぜ非営利団体はかようにまだまだ危うく弱々しいのか。
ゼニを崇めることもないと思う。
奴隷になることもないと思う。
でも貶めてはいけないし、汚いものとしてでなく、正面から向き合わないといけない。
やりたいことをやるってのはアマチュア精神。
職業にアマチュア精神のいいところをミックスして、モチベーションを高めたりするのは良いと思う。
でも、やりたいことをやるのはアマチュア。
人が価値を認めることをしたら、プロ。
価値を認めるってことは、人は正直だから、お金を出してもいいと思ったらほんとに価値を認めているということ。
お金を出さない人は、たいてい相手の能力や仕事の成果を疑っている可能性が高い。
お金のためにやることが、価値あることで人の役に立つことである可能性は、一般的に高い。
お金のためになることをやって、はじめて、地域に熱が入り、多大な自己犠牲が軽くなり、バランスの良い暮らしにつながり、他者も多くが関われるようになるし、拡大再生産性ができる。
昨今、様々な分野の隙間を埋めていかないといけないことが、少子高齢化やグローバルエコノミーからの国際競争力維持などのための小さな政府化などからも意味を持ち、国・地方政府、会社に次ぐ、非営利団体というものの活躍の場や重要性を大きくさせている。
それに対する、寄付や奉仕に関する文化的な見方や税制や補助金など国・自治体の壁が、健全な発展を妨げているように思う。
さて、ゼニを崇めるでもなく、蔑むでもなく
重要性だけでなく美しき貢献も認めて
親しみをこめて
おだいっさん
おじゅっさん
のように
おぜにさん
と呼んでみたらどうでしょうか?
さぬきの方言「おぜにさん」
・政治と「おぜにさん」の問題=「政治とカネの問題」
・あいつは、おぜにさんに目がない=「あいつはカネに汚い」
・おぜにさんに嫌われたらひとりぼっち=「カネの切れ目は縁の切れ目」
など、気軽に言い換えてみたい。
たみ家、おぜにさんシリーズ3連発なので、よっぽど、おぜにさんが好きなのかと思われそうですが、今の社会の活力の問題は、おぜにさんときちんと向き合ってないからかなあと思うことが近頃妙に増えてるんです。
たみ家は、世の中で長いことうまくいってないことの理由や対策を「ああでもないこうでもない。」10年でも20年でも考えて飽きがこないタイプなんです。
NPOやボランティアグループでも、儲けを汚いことのように言う方に会います。
また、それらのグループが報酬を取ることを悪く言う人もいます。
営利は出しても、個人に分配しないのが、営利と非営利を分ける原則ですが、それさえ理解しない。
これらのグループがもう一つうまくいってないのは、お金に正面からきちんと向き合ってないからだと思う。
やりたいことをやれるのは、他の収入があるか、家に資産があるかで、フリーターが生きていけるのも、国か親元に資産があるだけのこと。
非営利グループも資金調達が恒常的にできなければ、多大な個人の犠牲によるしかない。
なぜ株式会社はかように発展しているのか、なぜ非営利団体はかようにまだまだ危うく弱々しいのか。
ゼニを崇めることもないと思う。
奴隷になることもないと思う。
でも貶めてはいけないし、汚いものとしてでなく、正面から向き合わないといけない。
やりたいことをやるってのはアマチュア精神。
職業にアマチュア精神のいいところをミックスして、モチベーションを高めたりするのは良いと思う。
でも、やりたいことをやるのはアマチュア。
人が価値を認めることをしたら、プロ。
価値を認めるってことは、人は正直だから、お金を出してもいいと思ったらほんとに価値を認めているということ。
お金を出さない人は、たいてい相手の能力や仕事の成果を疑っている可能性が高い。
お金のためにやることが、価値あることで人の役に立つことである可能性は、一般的に高い。
お金のためになることをやって、はじめて、地域に熱が入り、多大な自己犠牲が軽くなり、バランスの良い暮らしにつながり、他者も多くが関われるようになるし、拡大再生産性ができる。
昨今、様々な分野の隙間を埋めていかないといけないことが、少子高齢化やグローバルエコノミーからの国際競争力維持などのための小さな政府化などからも意味を持ち、国・地方政府、会社に次ぐ、非営利団体というものの活躍の場や重要性を大きくさせている。
それに対する、寄付や奉仕に関する文化的な見方や税制や補助金など国・自治体の壁が、健全な発展を妨げているように思う。
さて、ゼニを崇めるでもなく、蔑むでもなく
重要性だけでなく美しき貢献も認めて
親しみをこめて
おだいっさん
おじゅっさん
のように
おぜにさん
と呼んでみたらどうでしょうか?
さぬきの方言「おぜにさん」
・政治と「おぜにさん」の問題=「政治とカネの問題」
・あいつは、おぜにさんに目がない=「あいつはカネに汚い」
・おぜにさんに嫌われたらひとりぼっち=「カネの切れ目は縁の切れ目」
など、気軽に言い換えてみたい。
たみ家、おぜにさんシリーズ3連発なので、よっぽど、おぜにさんが好きなのかと思われそうですが、今の社会の活力の問題は、おぜにさんときちんと向き合ってないからかなあと思うことが近頃妙に増えてるんです。
たみ家は、世の中で長いことうまくいってないことの理由や対策を「ああでもないこうでもない。」10年でも20年でも考えて飽きがこないタイプなんです。
Posted by たみ家 at 13:18│Comments(0)