「生産性」と商店「日本」
2008年06月30日
「生産性を高める」って言い方は、何か殺伐とした効率主義を感じて、好まない方が多いような気がする。
また機械的でクリエイティブな感じがしないというのもないだろうか?
そういう反応が返ってきたことはありません。
ただ、自分がそう思うから。
日本の労働生産性は低いと痛感する。
自分の勤め先も、涙が出そうなぐらいに低いと思い続けてきた。
1つには、零細企業が多すぎる。
これは、自分が零細の極にいるので、自分のようなとこがなくなることに通じるから言いにくい。
ただ、労働生産性は統計でも理屈でも単純に大きいところほど高いと言わぜるをえんとこがある。
これは、日本が家業として、息子に継がせるという、世襲を好む考えから企業を社会に開かれたものにしてこなかった文化的要因も大きいと思う。
こういう考えだから、企業の統合もあまり進んでこなかったのでは?
そういう中で、国際競争していると、大企業もそうだが、中小企業も元請けなどの求めに応じてサービス的な長時間労働をしなくてはならなくなる。
日本の生産性の低さやそれに伴う労働慣行が、女性の社会進出を遅らせたり、少子化を進めた面はないのだろうか?
両性の平等とか、子育てのしやすい暮らしってのを実現しようと思ったら、習慣を切りつけてでも、生産性を高めるために奮起することは、優しさや思いやりでもあると思う。
日本は先進国の中では時間当たりの労働生産性は最低水準。
この最低水準の輸出商店「日本国」はなぜ、戦後、世界でトップクラスの経済大国になれたのかをうどん屋の損益計算を応用して、考えてみたい。
戦後、冷戦構造下で、世界中が軍拡や防衛に多大な費用をかけているときに、日本は安保の下、防衛費を払っていなかった。
つまり、家賃を払ってない自家の街中にあるうどん屋が、かけうどん1杯40円ぐらい安くしても、家賃を払ってるとこと同じぐらいの利益を出せるのと似ている。
この払ってない家賃を価格競争や顧客サービスに回していたし、家族労働で自分の家業だからサービス残業じゃないけど、自分の時間を惜しまず文句も言わずに働いたし、パートさんも終身雇用で近所の人でおなじみだったので忙しいときに長いこと洗い物で残っても定時扱いで文句言わなんだから、実際の労働の割りに人件費率も低かった。
労働生産性は従来から低かったが、家賃なし、家族やパートさんが文句も言わずになんぼでも長時間働く、だから、コスト競争力が強かった。
しかし、日本も豊かになり、冷戦構造がなくなると、アメリカも安保の費用を払ってくださいというようになり、よそも軍拡や防衛の費用を経済や民生に回せるようになり、今まで共産勢力だったり、労働力が安い国がこぞって、うどん屋「日本」のライバルとして、近所に安い人件費で、格安セルフの店として進出してくるようになった。
また、国内の状況は、奥さんもお金を稼いだし、内助の功への自信から、自分の時間を持ちたいとか、大将に対して対等に主張したり、今までないがしろにしてきた子育てに力を入れなくてはならなくなったり、パートさんも子育てやご両親の介護で時間が取りにくいというようになったし、手伝ってくれた先代のおやっさんも働けなくなった。
ITなどを活用しようとしても、若いのがいなくて家族全体が高齢化してるから、なじめない人も多いから導入もしにくいし、導入後もなかなか使えない人がいる中で運用もうまくいかない。
家族を大事にしなくてはいけない。
子育てができる環境でなくてはいけない。
先代のおやっさんももう老身だし、面倒も見ないといけない。
こういう状況になってきたので、みんなで一丸となって、忙しいときは昼も夜もなく寝る間を惜しんで精一杯やったらいいという昔ながらの労働生産性の低い状況でのガンバリズムでは、社会は維持できなくなったし、人々がそれでは幸せにはならないということが見えてきたのではないだろうか?
「問題」とは「何かが悪い」という「悪者」の話でなく、「何かと何かが不適合」という「関係」の話としてとらえないと策が見えてこないというなら、まさに、中小企業が新聞で苦しいと書かれたり、格差社会といわれたり、少子化が進んだりするのは、世界情勢や時代との不適合の問題でもあるし、生産性の低さの問題ともいえるなあと思う。
労働生産性を高めるということは、優しさや思いやりを深めるという話ではないだろうか?
また機械的でクリエイティブな感じがしないというのもないだろうか?
そういう反応が返ってきたことはありません。
ただ、自分がそう思うから。
日本の労働生産性は低いと痛感する。
自分の勤め先も、涙が出そうなぐらいに低いと思い続けてきた。
1つには、零細企業が多すぎる。
これは、自分が零細の極にいるので、自分のようなとこがなくなることに通じるから言いにくい。
ただ、労働生産性は統計でも理屈でも単純に大きいところほど高いと言わぜるをえんとこがある。
これは、日本が家業として、息子に継がせるという、世襲を好む考えから企業を社会に開かれたものにしてこなかった文化的要因も大きいと思う。
こういう考えだから、企業の統合もあまり進んでこなかったのでは?
そういう中で、国際競争していると、大企業もそうだが、中小企業も元請けなどの求めに応じてサービス的な長時間労働をしなくてはならなくなる。
日本の生産性の低さやそれに伴う労働慣行が、女性の社会進出を遅らせたり、少子化を進めた面はないのだろうか?
両性の平等とか、子育てのしやすい暮らしってのを実現しようと思ったら、習慣を切りつけてでも、生産性を高めるために奮起することは、優しさや思いやりでもあると思う。
日本は先進国の中では時間当たりの労働生産性は最低水準。
この最低水準の輸出商店「日本国」はなぜ、戦後、世界でトップクラスの経済大国になれたのかをうどん屋の損益計算を応用して、考えてみたい。
戦後、冷戦構造下で、世界中が軍拡や防衛に多大な費用をかけているときに、日本は安保の下、防衛費を払っていなかった。
つまり、家賃を払ってない自家の街中にあるうどん屋が、かけうどん1杯40円ぐらい安くしても、家賃を払ってるとこと同じぐらいの利益を出せるのと似ている。
この払ってない家賃を価格競争や顧客サービスに回していたし、家族労働で自分の家業だからサービス残業じゃないけど、自分の時間を惜しまず文句も言わずに働いたし、パートさんも終身雇用で近所の人でおなじみだったので忙しいときに長いこと洗い物で残っても定時扱いで文句言わなんだから、実際の労働の割りに人件費率も低かった。
労働生産性は従来から低かったが、家賃なし、家族やパートさんが文句も言わずになんぼでも長時間働く、だから、コスト競争力が強かった。
しかし、日本も豊かになり、冷戦構造がなくなると、アメリカも安保の費用を払ってくださいというようになり、よそも軍拡や防衛の費用を経済や民生に回せるようになり、今まで共産勢力だったり、労働力が安い国がこぞって、うどん屋「日本」のライバルとして、近所に安い人件費で、格安セルフの店として進出してくるようになった。
また、国内の状況は、奥さんもお金を稼いだし、内助の功への自信から、自分の時間を持ちたいとか、大将に対して対等に主張したり、今までないがしろにしてきた子育てに力を入れなくてはならなくなったり、パートさんも子育てやご両親の介護で時間が取りにくいというようになったし、手伝ってくれた先代のおやっさんも働けなくなった。
ITなどを活用しようとしても、若いのがいなくて家族全体が高齢化してるから、なじめない人も多いから導入もしにくいし、導入後もなかなか使えない人がいる中で運用もうまくいかない。
家族を大事にしなくてはいけない。
子育てができる環境でなくてはいけない。
先代のおやっさんももう老身だし、面倒も見ないといけない。
こういう状況になってきたので、みんなで一丸となって、忙しいときは昼も夜もなく寝る間を惜しんで精一杯やったらいいという昔ながらの労働生産性の低い状況でのガンバリズムでは、社会は維持できなくなったし、人々がそれでは幸せにはならないということが見えてきたのではないだろうか?
「問題」とは「何かが悪い」という「悪者」の話でなく、「何かと何かが不適合」という「関係」の話としてとらえないと策が見えてこないというなら、まさに、中小企業が新聞で苦しいと書かれたり、格差社会といわれたり、少子化が進んだりするのは、世界情勢や時代との不適合の問題でもあるし、生産性の低さの問題ともいえるなあと思う。
労働生産性を高めるということは、優しさや思いやりを深めるという話ではないだろうか?
Posted by たみ家 at 00:48│Comments(0)