方程式の次数 3 防災等とゼニと行政
2008年05月11日
前記事のとおり、悪い結果は、単独入力で即時に発現して、多くの人に共通認識がある。
病気したらたいがいその時点で不幸だけど、健康は長いこと守り続けてこそ健康だし、健康だから幸せってもんでもない。
信用を壊すのはすぐだけど、回復には時間がかかるとかも言いますよね。
すると、国や自治体のような行政は、多くの人からお金を集めて、効率よく使う責任があるんだから、
防災や防疫や防犯や消防など悪い結果から人々を守るという、みんなが共通認識持ってて、単独ですぐに確実に問題が発現することについて、まず手をつけるってことが明白になります。
また、不幸は単独一次式で発現するだけに、割りに一般的・客観的ですが、幸せは二次方程式以上で、十人十色の欲求や事情が乗ることが多いから、個別的・主観的なことが多い。
究極のものがフェチとか、「男の人の汗のにおいが好き。」とか「ハイヒールを眺めていると時間を忘れる」とか言われても、「市民の幸せのため」といって、行政が何とかしてあげるには向かない。
そして、国は他に、国自体と人々を悪い状況から守るために国防を行い、紛争の解決や防犯の結果として裁判したり、と悪を防ぐ関係を行うことになる。
次に、形式的には民間事業も多くありますが、電気や水道やガスや道ぐらいつけんといかんというライフラインを整備。
道は最近、これ以上国としているのいらんの論争がありますが、防災なら言われんだろうから、やっぱりちょっと道路まで行くと1.5次方程式ぐらいになるのかな。
その次に、ゼニ、貿易を活発にしましょう、農林水産業を活発にしましょう、高度な産業を育てましょう。
ゼニはたいていの人にとってありがたいと、認識が割りに共通している。
無いと困るってのははっきりするし、国内でゼニを回してくれんと国そのものが守れんので、国に一次方程式たる悪い結果が起きる。
ゼニは足りん方は一次だけど、途中からどれだけ増やすかは二次以降の問題になり、個別の事情が乗れば議論や裁量の問題になってくるから、地方の道路整備が政治問題になるのでしょうか。
そして、教育、義務教育ぐらいせんと国そのものが守れんし、社会が荒廃して、人々を悪い結果から守れんし、教育がダメだとゼニを興せない。
ということで
自治体の役割は、防災、防犯、防疫、消防、環境保全など、それそのものが悪い結果として単独で発現して、みんなが共通で困る・嫌がることから守ること。
大掛かりだったり統一すべきことは国がやる。
裁判や国防や検疫など。
あとは、ライフラインや産業関係という、無いとそれ単独一次でみんな困って、国も困って、というゼニ関係。
次に、無いと、単独一次でみんな困って、国も困って、という義務教育。
また、憲法にもあるとおり、国は、幸福追求の機会を保障しようとするのであって、幸福そのものは、自分で選んで、努力してかなえる、という理念。
まあ、これって、幸せは、個別事情が多いから、国が大量処理してやるに向かないし、刑法のように他を不幸にすることを規定するならまだしも、幸せのあり方を決めてしまったら、人々を国に従属させ過ぎ、支配的過ぎになっちゃうから民主主義から外れるってのもあるでしょう。
また、「小さな政府」という古典派経済からの流れや、近頃のネオリベラリズムとも通ずるものがありそうです。
悪や不幸は一次方程式、だから、行政は悪に優先的に対応して、文化的生活とか幸せに対応するのは不幸への対応プラスアルファだという大まかな理屈のモデルができる。
だから、国も自治体も企業も予算が無くなると、ありがちに文化や芸術支援から削るってのは、さびしいし、「ちょっと立ち止まって考えようよ。無いからこそ、大金のいるハードじゃなく、割りにささやかなソフト事業で、人々の幸せを支援したり、無い時代なりの優れた地域づくりをしましょうよ。」と言いたくもなるけど。
まあ、原則論からしたらおうとるわなあ。
美術館なんかいらん人もけっこうおるだろうし、栗林公園とか何十年行かない人もおるだろうなあ。
この辺りは、二次方程式段階ではきかんかもしれない。
戦略として、芸術を産業につなげて興すとか、冷戦時代のように東側を揺さぶるメッセージだとか、言い出したら、次数が二次前後まで落ちてくるかもしれないけど。
病気したらたいがいその時点で不幸だけど、健康は長いこと守り続けてこそ健康だし、健康だから幸せってもんでもない。
信用を壊すのはすぐだけど、回復には時間がかかるとかも言いますよね。
すると、国や自治体のような行政は、多くの人からお金を集めて、効率よく使う責任があるんだから、
防災や防疫や防犯や消防など悪い結果から人々を守るという、みんなが共通認識持ってて、単独ですぐに確実に問題が発現することについて、まず手をつけるってことが明白になります。
また、不幸は単独一次式で発現するだけに、割りに一般的・客観的ですが、幸せは二次方程式以上で、十人十色の欲求や事情が乗ることが多いから、個別的・主観的なことが多い。
究極のものがフェチとか、「男の人の汗のにおいが好き。」とか「ハイヒールを眺めていると時間を忘れる」とか言われても、「市民の幸せのため」といって、行政が何とかしてあげるには向かない。
そして、国は他に、国自体と人々を悪い状況から守るために国防を行い、紛争の解決や防犯の結果として裁判したり、と悪を防ぐ関係を行うことになる。
次に、形式的には民間事業も多くありますが、電気や水道やガスや道ぐらいつけんといかんというライフラインを整備。
道は最近、これ以上国としているのいらんの論争がありますが、防災なら言われんだろうから、やっぱりちょっと道路まで行くと1.5次方程式ぐらいになるのかな。
その次に、ゼニ、貿易を活発にしましょう、農林水産業を活発にしましょう、高度な産業を育てましょう。
ゼニはたいていの人にとってありがたいと、認識が割りに共通している。
無いと困るってのははっきりするし、国内でゼニを回してくれんと国そのものが守れんので、国に一次方程式たる悪い結果が起きる。
ゼニは足りん方は一次だけど、途中からどれだけ増やすかは二次以降の問題になり、個別の事情が乗れば議論や裁量の問題になってくるから、地方の道路整備が政治問題になるのでしょうか。
そして、教育、義務教育ぐらいせんと国そのものが守れんし、社会が荒廃して、人々を悪い結果から守れんし、教育がダメだとゼニを興せない。
ということで
自治体の役割は、防災、防犯、防疫、消防、環境保全など、それそのものが悪い結果として単独で発現して、みんなが共通で困る・嫌がることから守ること。
大掛かりだったり統一すべきことは国がやる。
裁判や国防や検疫など。
あとは、ライフラインや産業関係という、無いとそれ単独一次でみんな困って、国も困って、というゼニ関係。
次に、無いと、単独一次でみんな困って、国も困って、という義務教育。
また、憲法にもあるとおり、国は、幸福追求の機会を保障しようとするのであって、幸福そのものは、自分で選んで、努力してかなえる、という理念。
まあ、これって、幸せは、個別事情が多いから、国が大量処理してやるに向かないし、刑法のように他を不幸にすることを規定するならまだしも、幸せのあり方を決めてしまったら、人々を国に従属させ過ぎ、支配的過ぎになっちゃうから民主主義から外れるってのもあるでしょう。
また、「小さな政府」という古典派経済からの流れや、近頃のネオリベラリズムとも通ずるものがありそうです。
悪や不幸は一次方程式、だから、行政は悪に優先的に対応して、文化的生活とか幸せに対応するのは不幸への対応プラスアルファだという大まかな理屈のモデルができる。
だから、国も自治体も企業も予算が無くなると、ありがちに文化や芸術支援から削るってのは、さびしいし、「ちょっと立ち止まって考えようよ。無いからこそ、大金のいるハードじゃなく、割りにささやかなソフト事業で、人々の幸せを支援したり、無い時代なりの優れた地域づくりをしましょうよ。」と言いたくもなるけど。
まあ、原則論からしたらおうとるわなあ。
美術館なんかいらん人もけっこうおるだろうし、栗林公園とか何十年行かない人もおるだろうなあ。
この辺りは、二次方程式段階ではきかんかもしれない。
戦略として、芸術を産業につなげて興すとか、冷戦時代のように東側を揺さぶるメッセージだとか、言い出したら、次数が二次前後まで落ちてくるかもしれないけど。
Posted by たみ家 at
21:20
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方程式の次数 2 悪は強い?
2008年05月11日
よく、「世の中悪の栄えたためしはない。」
とか、「神様はちゃんと見ているのよ。」
とか、「人には、その人が耐えられる以上の試練はこない。」
とか、「天網恢恢疎にしてもらさず。」
とかいろいろいいますが。
現実は、必ずしも、そうなっているでしょうか?
実際に、交通事故死や過労死のような、耐えられない試練はいろんな人に降りかかってます。
別に、その人が神が見捨てるような悪業をしたわけでもないはずです。
社長や政治家で悪いことした人が大金持ってぬくぬくとやってることがあるというと、「その人はほんとうは心安らかでないから、幸せでないんだ。」とかおっしゃった方もいらっしゃいますが、案外当の本人は、気にとがめるものがないので、心安らかだったり、お金がなくて心安らかでないよりは、安らかでない同志でも、お金に恵まれてる方が幸せそうではあります。
もしかしたら、冒頭のような言葉は、王様や教会や政府など権威が、悪いことの予防のためだったり、自分たちはちゃんと仕事して、世の中をうまく治めますよというPRとして言われたことだったり、そうでない世の中に対して、願いをこめて唱えられた言葉なのかもしれない。
そんなに世の中うまくいくなら、空襲やアフリカの飢餓やら内戦やら感染症やらであれだけ死者が出るんはなかろう。
そんなに悪いことしてないやろ。
悪や悪いことには、基本的性質としての強さがある。
そういうことをきちんと認めたうえで考察しないと、物事の成果はなかなか上がらないし、いいことも成就しないのではないだろうか。
それは、良くないことは、Xが1乗の1次方程式で、発現してしまうことにある。
「怠けたい」→怠けるので、うまくいかない。 もう答えでました。
「がんばるぞ。」→(何乗もしないといけない。)ほんとに始める、続ける、努力の方向を間違えない、成果を活かすなどなど。 時間がかかるし、邪魔も入るし、判断もいる。
「悪」とはたいがい、他者や社会の利益を侵害しながら自己の利益を追求するってことでしょう。
楽しいから人を殴るとか
一方、相手が喜んであげれば、盗みにも悪にもなりません。
侵害するほどの利益追求がたいてい悪でしょう。
ってことは、盗みみたいな悪でつるむのは、欲しけりゃ手に入れるって即時に実現、利益は自分のためだし、みんな共通、つかまりたくないという利益も共通、だから、動きも早いし、意志の疎通もしやすい。
それに比べて、平等な世界を実現しましょうとなると
いつ実現するかわからんし、永遠にせんかもしれない気が長い話だったり、自分のためになるとも限らないし、平等な世の中への思いとか解釈もみんな違ったりするし、方法論もいろいろだから、いいリーダーが必要だったり、資金源もいるけど、それがあってさえもなかなかうまくはいかない。
良くないことは1次方程式で、成立
いいことは、少々難儀な高次方程式がないと成立しない。
個人ごとでも社会ごとでも
たみ家は、世の中に絶望や無力感なんかまったく感じてませんよ。
むしろ、歳を負う毎に、可能性や生きがいが高まってる感じすらあります。
が、世の中の歴史以来、長いことうまくいってないようなことに、長年「なぜ?なぜ?」を繰り返しながら、その疑問をもとに世の中を見比べ続けてはきたように思い、上のような方程式に似た理屈は認めた方が、建設的できちんとした対策が取れるなあと思うようにはなってます。
とか、「神様はちゃんと見ているのよ。」
とか、「人には、その人が耐えられる以上の試練はこない。」
とか、「天網恢恢疎にしてもらさず。」
とかいろいろいいますが。
現実は、必ずしも、そうなっているでしょうか?
実際に、交通事故死や過労死のような、耐えられない試練はいろんな人に降りかかってます。
別に、その人が神が見捨てるような悪業をしたわけでもないはずです。
社長や政治家で悪いことした人が大金持ってぬくぬくとやってることがあるというと、「その人はほんとうは心安らかでないから、幸せでないんだ。」とかおっしゃった方もいらっしゃいますが、案外当の本人は、気にとがめるものがないので、心安らかだったり、お金がなくて心安らかでないよりは、安らかでない同志でも、お金に恵まれてる方が幸せそうではあります。
もしかしたら、冒頭のような言葉は、王様や教会や政府など権威が、悪いことの予防のためだったり、自分たちはちゃんと仕事して、世の中をうまく治めますよというPRとして言われたことだったり、そうでない世の中に対して、願いをこめて唱えられた言葉なのかもしれない。
そんなに世の中うまくいくなら、空襲やアフリカの飢餓やら内戦やら感染症やらであれだけ死者が出るんはなかろう。
そんなに悪いことしてないやろ。
悪や悪いことには、基本的性質としての強さがある。
そういうことをきちんと認めたうえで考察しないと、物事の成果はなかなか上がらないし、いいことも成就しないのではないだろうか。
それは、良くないことは、Xが1乗の1次方程式で、発現してしまうことにある。
「怠けたい」→怠けるので、うまくいかない。 もう答えでました。
「がんばるぞ。」→(何乗もしないといけない。)ほんとに始める、続ける、努力の方向を間違えない、成果を活かすなどなど。 時間がかかるし、邪魔も入るし、判断もいる。
「悪」とはたいがい、他者や社会の利益を侵害しながら自己の利益を追求するってことでしょう。
楽しいから人を殴るとか
一方、相手が喜んであげれば、盗みにも悪にもなりません。
侵害するほどの利益追求がたいてい悪でしょう。
ってことは、盗みみたいな悪でつるむのは、欲しけりゃ手に入れるって即時に実現、利益は自分のためだし、みんな共通、つかまりたくないという利益も共通、だから、動きも早いし、意志の疎通もしやすい。
それに比べて、平等な世界を実現しましょうとなると
いつ実現するかわからんし、永遠にせんかもしれない気が長い話だったり、自分のためになるとも限らないし、平等な世の中への思いとか解釈もみんな違ったりするし、方法論もいろいろだから、いいリーダーが必要だったり、資金源もいるけど、それがあってさえもなかなかうまくはいかない。
良くないことは1次方程式で、成立
いいことは、少々難儀な高次方程式がないと成立しない。
個人ごとでも社会ごとでも
たみ家は、世の中に絶望や無力感なんかまったく感じてませんよ。
むしろ、歳を負う毎に、可能性や生きがいが高まってる感じすらあります。
が、世の中の歴史以来、長いことうまくいってないようなことに、長年「なぜ?なぜ?」を繰り返しながら、その疑問をもとに世の中を見比べ続けてはきたように思い、上のような方程式に似た理屈は認めた方が、建設的できちんとした対策が取れるなあと思うようにはなってます。
Posted by たみ家 at
16:06
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方程式の次数 1 何を好きになるか など
2008年05月11日
こないだ、昔のヤンキー漫画「ファンキーモンキーティーチャー」だか何かの言葉を引きました。
「人が本物かどうかは、何にかけてるかで決まる。やるんなら、ケンカや暴走じゃなくて、何か人の役に立つことを好きになってそれにかけろ。」みたいなことだったと覚えてます。
そう思うと親がよく「子供の好きなことをやらせてやりたい」という。
一方、小さいときから勉強や英語やゴルフ漬けにする親もいる。
知識とか努力という Xを入力する。
この人が能力に恵まれていれば、X2乗
自分やお金のためになるという動機があれば、X3乗
親が環境をととのえれば、X4乗
本人が好きであれば、X5乗など
いろんな条件が、割れずに、掛け算関係で乗っかって、累乗になってる人はうまくいってると思う。
東京大学などに合格した人は、たいてい、4乗ぐらいは行ってると思う。
Xにかける係数が大きかったり、それにプラスする定数がもともと大きければ、2乗、3乗ぐらいでも合格している人はいるかもしれない。
いい大学に行っても、昇進の意欲も、問題意識もなく、忙殺され、まとまった勉強する仲間にも時間にも恵まれなければ、就職してから、勉強しても、Xの単独入力の雑学に終わったり、X+Y+Z+2a+3bのように力が分散して、入力した力が現実の意味を持てないかもしれない。
また、ギャンブルとかヘンな遊びにはまると、マイナスが出たりすると思います。
U草先生なんか、経済学で X6乗ぐらいまでいったけど、ほかのことが好き過ぎて、(-Y=猥)7乗ぐらいしてしまったために、踏み外してしまったのかもしれません。
人生は何が好きになるかで、かなり決まるかも。
もっとも、U草先生の場合は親の責任ではないと思いますが、ケンカやギャンブルが好きになるのは困りもんだと思います。
バイクが好きになりそうだったら、バイク雑誌を取り上げてもいかんと思いますが、暴走や爆音が好きになるよりは、バイクを造る側や楽しみを広めたりできる側に立ったりできるよう、できるものなら誘導したいものです。
すると、職業 X -暴走Y のような関係でなく
職業 Xに対して、累乗の関係になり、好きなことと生活のことと職業のことのベクトルが一致してくると思います。
人や組織や社会が良くなるってことは、かなりの範囲で
スプリットした時間やお金や興味などの関係を累乗に向かわせることではないでしょうか。
以前にも、「提案には価値がある」と力説しましたが、物事を良くしたいとか、問題を解決したいと思って、口に出して、人に聞いてもらって、意見を戦わせたり、賛同されたり、いい反応が得られなかったりすると、いろいろ考えるので、雑誌でも、新聞でも、人の口からでも、すぐに、何か「あ!あれのヒントになるぞ。」とか思えます。
つまり、知識の入力に対して、X2乗まではいきやすい条件ができてくるわけです。
たみ家は、学校を卒業してから、何度か爆発的に勉強に関して、向上したなあと思うのは、物事を良くしたいとか、長いこと解決してない問題で困ってる人がいつまでたっても減らない状況とかみて、解決に向かわせたいとよく思うようになったことが主な原因だと思う。
たみ家の知り合いには、東大卒の人が、何十人はいるかと思います。
東大卒といえど、やっぱり、累乗がかからない領域では知識も大したことはないし、勉強の能率や成果もずば抜けて高いわけではないように思いました。
確かに、普通の人よりもスペックは高いと思うとこはありますが、初めてのものに意欲も興味も無い状態で時間もかけずに、成果を上げられるような人はいません。
スポーツ新聞と昼からワンカップ大関が大好きな、バクチ好きが、台や馬のことをしゃべる方がよっぽど高度です。
この人も、少なくとも、好きと時間という2乗は最低出せる条件が整っている。
自分は、まったく一流にほど遠いとこしか出てませんが、卒業後は、一緒に資格試験の勉強とか始めたり、同じ試験で優劣を分けたことも、けっこうあったと思うけど、要領がいいとか、要点をつかむのが早いなあとかぐらいは思います。
ただ、卒業後、あまり意欲が沸かないのか、歳食ってから、いきいきとした気持ちで勉強始める人の方がよっぽど勝ってるなあと、10人ぐらいの人を見て思いました。
また、やっぱり、意欲を出してしまえば、そこは、さすがに超人的だというのもありました。
ある東大卒の人に、この「物事をやるには方程式の次数を高めることが大事で、社会のエネルギーを高めるのも同じことではないか」という趣旨で話したときに、「受験のときは、能力も時間も環境も意欲も集中してて、4乗は確かにあったと思う。でも、今やってる勉強は、2乗いかない。確かに、卒業してからも、2乗、3乗になってると思えた状況では、成果が上がった。」とお認めになりました。
「人が本物かどうかは、何にかけてるかで決まる。やるんなら、ケンカや暴走じゃなくて、何か人の役に立つことを好きになってそれにかけろ。」みたいなことだったと覚えてます。
そう思うと親がよく「子供の好きなことをやらせてやりたい」という。
一方、小さいときから勉強や英語やゴルフ漬けにする親もいる。
知識とか努力という Xを入力する。
この人が能力に恵まれていれば、X2乗
自分やお金のためになるという動機があれば、X3乗
親が環境をととのえれば、X4乗
本人が好きであれば、X5乗など
いろんな条件が、割れずに、掛け算関係で乗っかって、累乗になってる人はうまくいってると思う。
東京大学などに合格した人は、たいてい、4乗ぐらいは行ってると思う。
Xにかける係数が大きかったり、それにプラスする定数がもともと大きければ、2乗、3乗ぐらいでも合格している人はいるかもしれない。
いい大学に行っても、昇進の意欲も、問題意識もなく、忙殺され、まとまった勉強する仲間にも時間にも恵まれなければ、就職してから、勉強しても、Xの単独入力の雑学に終わったり、X+Y+Z+2a+3bのように力が分散して、入力した力が現実の意味を持てないかもしれない。
また、ギャンブルとかヘンな遊びにはまると、マイナスが出たりすると思います。
U草先生なんか、経済学で X6乗ぐらいまでいったけど、ほかのことが好き過ぎて、(-Y=猥)7乗ぐらいしてしまったために、踏み外してしまったのかもしれません。
人生は何が好きになるかで、かなり決まるかも。
もっとも、U草先生の場合は親の責任ではないと思いますが、ケンカやギャンブルが好きになるのは困りもんだと思います。
バイクが好きになりそうだったら、バイク雑誌を取り上げてもいかんと思いますが、暴走や爆音が好きになるよりは、バイクを造る側や楽しみを広めたりできる側に立ったりできるよう、できるものなら誘導したいものです。
すると、職業 X -暴走Y のような関係でなく
職業 Xに対して、累乗の関係になり、好きなことと生活のことと職業のことのベクトルが一致してくると思います。
人や組織や社会が良くなるってことは、かなりの範囲で
スプリットした時間やお金や興味などの関係を累乗に向かわせることではないでしょうか。
以前にも、「提案には価値がある」と力説しましたが、物事を良くしたいとか、問題を解決したいと思って、口に出して、人に聞いてもらって、意見を戦わせたり、賛同されたり、いい反応が得られなかったりすると、いろいろ考えるので、雑誌でも、新聞でも、人の口からでも、すぐに、何か「あ!あれのヒントになるぞ。」とか思えます。
つまり、知識の入力に対して、X2乗まではいきやすい条件ができてくるわけです。
たみ家は、学校を卒業してから、何度か爆発的に勉強に関して、向上したなあと思うのは、物事を良くしたいとか、長いこと解決してない問題で困ってる人がいつまでたっても減らない状況とかみて、解決に向かわせたいとよく思うようになったことが主な原因だと思う。
たみ家の知り合いには、東大卒の人が、何十人はいるかと思います。
東大卒といえど、やっぱり、累乗がかからない領域では知識も大したことはないし、勉強の能率や成果もずば抜けて高いわけではないように思いました。
確かに、普通の人よりもスペックは高いと思うとこはありますが、初めてのものに意欲も興味も無い状態で時間もかけずに、成果を上げられるような人はいません。
スポーツ新聞と昼からワンカップ大関が大好きな、バクチ好きが、台や馬のことをしゃべる方がよっぽど高度です。
この人も、少なくとも、好きと時間という2乗は最低出せる条件が整っている。
自分は、まったく一流にほど遠いとこしか出てませんが、卒業後は、一緒に資格試験の勉強とか始めたり、同じ試験で優劣を分けたことも、けっこうあったと思うけど、要領がいいとか、要点をつかむのが早いなあとかぐらいは思います。
ただ、卒業後、あまり意欲が沸かないのか、歳食ってから、いきいきとした気持ちで勉強始める人の方がよっぽど勝ってるなあと、10人ぐらいの人を見て思いました。
また、やっぱり、意欲を出してしまえば、そこは、さすがに超人的だというのもありました。
ある東大卒の人に、この「物事をやるには方程式の次数を高めることが大事で、社会のエネルギーを高めるのも同じことではないか」という趣旨で話したときに、「受験のときは、能力も時間も環境も意欲も集中してて、4乗は確かにあったと思う。でも、今やってる勉強は、2乗いかない。確かに、卒業してからも、2乗、3乗になってると思えた状況では、成果が上がった。」とお認めになりました。
Posted by たみ家 at
15:21
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駐車場実績
2008年05月11日
5月9日から、オープンしました西隣のコインパーキングの当店ご利用実績ですが
9日(金)はご利用ゼロでした。
10日(土)は、ご利用4台、12名、売上3,550円、当店負担額200円でした。
まあ、初日から実績が出るとは思いませんでしたし、平日のお客さんはいったん知ってさえ下されば、リピートが期待できるので、これからに期待。
土曜日は、最初2台の方は、こちらから「停めてませんか?」と聞いて、申告されなかった方に、確認しました。
次の2台の方は、遠くからの家族連れらしく、南北の筋から来たのか、店の東横の路肩に停めてましたところ、「うちの駐車場みたいなもので、無料になりますので、パーキングに停めて来てください。」とこちらから言いました。
今日だけの話をすれば、誰も負担しなくても来てくれたとは言えるわけですが、後へのつながりが違うとは思う。
知り合いの方が、申告を気がねされるので、サービス券をつくるか、何か工夫がいるとは思います。
知り合いの方には、気がねしていただきたくないので、そのために「いかに負担しても利用台数が増えると、うちには都合がいいか」を力説したりしてます。
実際に、土曜日に限っても、飲食店の店舗物件価値が上がって、そっからの収益対応だと考えると、とても割りがいいわけです。
また、かけ1杯180円のお客様についても、利用実績が上がると、駐車場会社に、「こんだけ停めてるんだから、サービス券出してよ~♪」とか「うちの看板敷地内に出させてよ~♪」と言いやすいんです。
うちは、人柄の良いお客さんが多いので、気がねされないように、工夫しないといけないなあと思います。
9日(金)はご利用ゼロでした。
10日(土)は、ご利用4台、12名、売上3,550円、当店負担額200円でした。
まあ、初日から実績が出るとは思いませんでしたし、平日のお客さんはいったん知ってさえ下されば、リピートが期待できるので、これからに期待。
土曜日は、最初2台の方は、こちらから「停めてませんか?」と聞いて、申告されなかった方に、確認しました。
次の2台の方は、遠くからの家族連れらしく、南北の筋から来たのか、店の東横の路肩に停めてましたところ、「うちの駐車場みたいなもので、無料になりますので、パーキングに停めて来てください。」とこちらから言いました。
今日だけの話をすれば、誰も負担しなくても来てくれたとは言えるわけですが、後へのつながりが違うとは思う。
知り合いの方が、申告を気がねされるので、サービス券をつくるか、何か工夫がいるとは思います。
知り合いの方には、気がねしていただきたくないので、そのために「いかに負担しても利用台数が増えると、うちには都合がいいか」を力説したりしてます。
実際に、土曜日に限っても、飲食店の店舗物件価値が上がって、そっからの収益対応だと考えると、とても割りがいいわけです。
また、かけ1杯180円のお客様についても、利用実績が上がると、駐車場会社に、「こんだけ停めてるんだから、サービス券出してよ~♪」とか「うちの看板敷地内に出させてよ~♪」と言いやすいんです。
うちは、人柄の良いお客さんが多いので、気がねされないように、工夫しないといけないなあと思います。
Posted by たみ家 at
14:13
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高松市都市計画マスタープラン(素案)
2008年05月10日
今日は、不覚にも、nyanyaで長居をしてしまった。
明日は、6時オープンちょうどぐらいに行くと、もれなく。。。いいことかも。
さて、本題。
ですが、詳しく書くとちょっと際限がないので、パラパラと、まずは表面から。
5月8日に高松市都市計画マスタープラン(素案)の説明会が高松市役所13階大会議室でありました。
これは、中小商店を営んでいる人にとってはたいへん大きな問題をたくさん含んでいます。
しばらく前の新聞にも載ってましたが、
丸亀町には29階建てのマンションとホテルと駐車場と店舗が複合したビルができる計画があります。
今の市長は、中心市街地については、そうとう、丸亀町とサンポート周辺のみに集中的に投資して、「あとは自由にやってくれ」というスタンスが明確です。
さて、この都市計画の話は大きすぎるし、、5、6杯飲んでる今のたみ家には、論理的・網羅的に書きにくいので、代表的に思ったことをパラパラ書くしかないのですが。。。
都市計画をつくってる人って、はっきり言って、そんなに優秀なわけではありません。
相対的に優秀な人が混じっていても、絶対的に優秀でありえないんです。
なぜか。
人が生きる都市という器や資本主義下における生産活動や都市生活は、あまりにも複雑・多岐で、いかに大学や大学院で土木技術や都市工学を学んでも、都市という器の上で営まれる商売や、福祉のことがよくわかるわけではないし、学校の配置や交通安全や景観と事業とのバランスなど、一般論だけではどうしようもないところが際限なくあり、いかに優秀な人であろうと普通の人が浜辺の砂としたら、優秀な人でも浜辺の石ころぐらいにしかなりえません。
だから、説明会といっても、市当局側はただ教えに来たわけではないはずです。
複雑多岐にわたる生産や生活の諸関係から生じる考え方や盲点について、市民側から意見を聞いて教えられることによって、良いものをつくっていくために会を開いているはずなんです。
教えられるために教えに来てるってのも、本音はともかく建前でしょう。
はっきり言って、役所の人は実体経済に弱いです。
都市を活動の諸関係というよりも、土地とビル・駅など構造物の連たんのようなとらえ方をしている人もいるし、担当者も、土木技師の中には、そこの担当者になるまで、商業や福祉や交通などについてはまともに考えたこともなく、土木技術以外は、一般市民の平均よりも無知な人もよくいます。
ほとんどこれまで市民生活そのものや地場経済のことを考えたことがない人が総括しているようなこともあるでしょう。
今頃、「ユニバーサルデザインって、聞いたこと無い。何それ。」ぐらい言う人だっています。
自分たちが手が届かないような優秀な人が手の届かないような高度なものをつくってて、自分たちの生活にそんなに直接にかかわりがないと思ってたらまずいと思います。
そういえば
市長は、ウォーターフロントの整備には力を入れそうな言い方だったなあ、牟礼から下笠井のあたりまで思い切り、整備構想のエリアに入れてたからなあ。
一方、業務・商業の高度拠点しては、中央商店街と中央通では、丸亀町と兵庫町、寿町と番町だけを入れて、南新町・亀井町・中新町辺りでさえ完全に外しているのに。
う~ん。この問題は言い出したら際限がなく、範囲が広いから、今、きちんと書けないなあ。
わざわざ、挙手して市長に質問しましたよ。
「ちゃんと先のことを予測できてる計画なんですか?瀬戸大橋の通行量予測のように優秀な人が寄って兆単位使う事業の予測でもええかげんですからねぇ。自動車保有台数も人口も減るのに、今の渋滞の現状を見て大規模な拡幅や改良工事しててええんか。そんな施策せんでも、世の中が勝手にそっち方面に行ってるんやから、そんなとこに何億も使っても重複投資にならんのか?まあ、こっちにはわからんことも多いけど、市側もきちんと調べがついてると思えんので、もうちょっと調べて、その過程やデータも市のHPに公表して、市民から意見を聞くための材料にしてくれんか?」
みたいなことと
「重点エリアに入ったとことそうでないところで、具体的な公共投資の姿勢はどう変わっていくのか?」
みたいなこと。
討論するような場でもなかったし、時間もなかったので、きちんとした回答は得られませんでしたが、ちょっと気になることがあるんですよね。
市長が、「市が都市計画のエリアを定めたところで、経済活動は自由になされるもので、エリア外だからといって、何ら商売ができなくなるわけでもない。」みたいなことを言うわけですね。
まあ、それはそうなんです。一般論としては。
似たとこで、世間一般でもこういう言い方ってしませんか「塾に行かなくても勉強できる子はできる。家が貧乏でも努力すればできる。」みたいに。
これも間違いでないかもしれないけど、間違いだとも言える。
もし、全体を良くするための責任者が、「学校が荒廃してても努力すれば勉強できる子はできるし、社会が貧困でも貧乏で努力して立派になった人はいくらでもいる。」と言ってしまえば、それはただの責任放棄です。
世間一般で、「恵まれない条件でも努力すればできる」っていうのはある意味、反則なんです。
やるべきことは、「多くの人がより努力しやすく結果を出せる社会を整えていくこと」なんだから、「がんばったらやれる」ってのは、多くの人が何気に言うけど、無意識に言ってしまえば、かなりのものが反則になるでしょう。
だた、恵まれない条件ってのは、誰にもあるし、比較的恵まれている人の中にも何らかの不利なところがある。
公共政策としてでなく、個人個人が、自分の条件に対して、それを受け入れてがんばらないといけないというのは、ほとんどの意味で正当だと思います。
ただ、より良い条件を求めて、公共に働きかけることもまた、当然の権利でもある。
それに対して、市当局が、きちんと意味合いや現実に起こっていることの結果や、これから自分たちがしようとすることの結果をきちんと想起しないままで、「優先的な地域でなくても、自由な経済活動のもと、やればできるだろう。できてるとこはできてる。」って言うのは、荒廃した学校の中で、一部の秀才を取り上げて、できてるやつはできてるのに、できてないやつはバカで怠け者って言うのと同じようになると思う。
まあ、当然、市長はたみ家よりも多くの情報を得て、高所から物事を見てるはずなんですわ。
ただね。
商売もしたことがなければ、大病もしたことがなければ、重度の障害も負ったことはたぶんないでしょう。
今まで見てきたことしか見えんわけです。
そして、市長が高度な判断をするに際しても、市民が見ているものを見なければならないし、市民の側が市長の見ているものももっと共有していく必要はあると思うわけです。
8日の説明会でも、その思いは深くしました。
彼らのやることが仮に結果論として正しかったとしても、社会の方向性を充分吟味できないままで、あまりにも多くの市民から、その考え方が見えず、見方が共有できてない状況のままで押し進められていくのでは困るなあと思います。
地方財政が厳しい状態で有効な公共投資をするという意味では、将来を見据えて・意識や情報を共有するのは大事なことだと思います。
ただ、それとは関係なく、明日、6時にnyanyaに行くと、いいことあるかも。。。
明日は、6時オープンちょうどぐらいに行くと、もれなく。。。いいことかも。
さて、本題。
ですが、詳しく書くとちょっと際限がないので、パラパラと、まずは表面から。
5月8日に高松市都市計画マスタープラン(素案)の説明会が高松市役所13階大会議室でありました。
これは、中小商店を営んでいる人にとってはたいへん大きな問題をたくさん含んでいます。
しばらく前の新聞にも載ってましたが、
丸亀町には29階建てのマンションとホテルと駐車場と店舗が複合したビルができる計画があります。
今の市長は、中心市街地については、そうとう、丸亀町とサンポート周辺のみに集中的に投資して、「あとは自由にやってくれ」というスタンスが明確です。
さて、この都市計画の話は大きすぎるし、、5、6杯飲んでる今のたみ家には、論理的・網羅的に書きにくいので、代表的に思ったことをパラパラ書くしかないのですが。。。
都市計画をつくってる人って、はっきり言って、そんなに優秀なわけではありません。
相対的に優秀な人が混じっていても、絶対的に優秀でありえないんです。
なぜか。
人が生きる都市という器や資本主義下における生産活動や都市生活は、あまりにも複雑・多岐で、いかに大学や大学院で土木技術や都市工学を学んでも、都市という器の上で営まれる商売や、福祉のことがよくわかるわけではないし、学校の配置や交通安全や景観と事業とのバランスなど、一般論だけではどうしようもないところが際限なくあり、いかに優秀な人であろうと普通の人が浜辺の砂としたら、優秀な人でも浜辺の石ころぐらいにしかなりえません。
だから、説明会といっても、市当局側はただ教えに来たわけではないはずです。
複雑多岐にわたる生産や生活の諸関係から生じる考え方や盲点について、市民側から意見を聞いて教えられることによって、良いものをつくっていくために会を開いているはずなんです。
教えられるために教えに来てるってのも、本音はともかく建前でしょう。
はっきり言って、役所の人は実体経済に弱いです。
都市を活動の諸関係というよりも、土地とビル・駅など構造物の連たんのようなとらえ方をしている人もいるし、担当者も、土木技師の中には、そこの担当者になるまで、商業や福祉や交通などについてはまともに考えたこともなく、土木技術以外は、一般市民の平均よりも無知な人もよくいます。
ほとんどこれまで市民生活そのものや地場経済のことを考えたことがない人が総括しているようなこともあるでしょう。
今頃、「ユニバーサルデザインって、聞いたこと無い。何それ。」ぐらい言う人だっています。
自分たちが手が届かないような優秀な人が手の届かないような高度なものをつくってて、自分たちの生活にそんなに直接にかかわりがないと思ってたらまずいと思います。
そういえば
市長は、ウォーターフロントの整備には力を入れそうな言い方だったなあ、牟礼から下笠井のあたりまで思い切り、整備構想のエリアに入れてたからなあ。
一方、業務・商業の高度拠点しては、中央商店街と中央通では、丸亀町と兵庫町、寿町と番町だけを入れて、南新町・亀井町・中新町辺りでさえ完全に外しているのに。
う~ん。この問題は言い出したら際限がなく、範囲が広いから、今、きちんと書けないなあ。
わざわざ、挙手して市長に質問しましたよ。
「ちゃんと先のことを予測できてる計画なんですか?瀬戸大橋の通行量予測のように優秀な人が寄って兆単位使う事業の予測でもええかげんですからねぇ。自動車保有台数も人口も減るのに、今の渋滞の現状を見て大規模な拡幅や改良工事しててええんか。そんな施策せんでも、世の中が勝手にそっち方面に行ってるんやから、そんなとこに何億も使っても重複投資にならんのか?まあ、こっちにはわからんことも多いけど、市側もきちんと調べがついてると思えんので、もうちょっと調べて、その過程やデータも市のHPに公表して、市民から意見を聞くための材料にしてくれんか?」
みたいなことと
「重点エリアに入ったとことそうでないところで、具体的な公共投資の姿勢はどう変わっていくのか?」
みたいなこと。
討論するような場でもなかったし、時間もなかったので、きちんとした回答は得られませんでしたが、ちょっと気になることがあるんですよね。
市長が、「市が都市計画のエリアを定めたところで、経済活動は自由になされるもので、エリア外だからといって、何ら商売ができなくなるわけでもない。」みたいなことを言うわけですね。
まあ、それはそうなんです。一般論としては。
似たとこで、世間一般でもこういう言い方ってしませんか「塾に行かなくても勉強できる子はできる。家が貧乏でも努力すればできる。」みたいに。
これも間違いでないかもしれないけど、間違いだとも言える。
もし、全体を良くするための責任者が、「学校が荒廃してても努力すれば勉強できる子はできるし、社会が貧困でも貧乏で努力して立派になった人はいくらでもいる。」と言ってしまえば、それはただの責任放棄です。
世間一般で、「恵まれない条件でも努力すればできる」っていうのはある意味、反則なんです。
やるべきことは、「多くの人がより努力しやすく結果を出せる社会を整えていくこと」なんだから、「がんばったらやれる」ってのは、多くの人が何気に言うけど、無意識に言ってしまえば、かなりのものが反則になるでしょう。
だた、恵まれない条件ってのは、誰にもあるし、比較的恵まれている人の中にも何らかの不利なところがある。
公共政策としてでなく、個人個人が、自分の条件に対して、それを受け入れてがんばらないといけないというのは、ほとんどの意味で正当だと思います。
ただ、より良い条件を求めて、公共に働きかけることもまた、当然の権利でもある。
それに対して、市当局が、きちんと意味合いや現実に起こっていることの結果や、これから自分たちがしようとすることの結果をきちんと想起しないままで、「優先的な地域でなくても、自由な経済活動のもと、やればできるだろう。できてるとこはできてる。」って言うのは、荒廃した学校の中で、一部の秀才を取り上げて、できてるやつはできてるのに、できてないやつはバカで怠け者って言うのと同じようになると思う。
まあ、当然、市長はたみ家よりも多くの情報を得て、高所から物事を見てるはずなんですわ。
ただね。
商売もしたことがなければ、大病もしたことがなければ、重度の障害も負ったことはたぶんないでしょう。
今まで見てきたことしか見えんわけです。
そして、市長が高度な判断をするに際しても、市民が見ているものを見なければならないし、市民の側が市長の見ているものももっと共有していく必要はあると思うわけです。
8日の説明会でも、その思いは深くしました。
彼らのやることが仮に結果論として正しかったとしても、社会の方向性を充分吟味できないままで、あまりにも多くの市民から、その考え方が見えず、見方が共有できてない状況のままで押し進められていくのでは困るなあと思います。
地方財政が厳しい状態で有効な公共投資をするという意味では、将来を見据えて・意識や情報を共有するのは大事なことだと思います。
ただ、それとは関係なく、明日、6時にnyanyaに行くと、いいことあるかも。。。
Posted by たみ家 at
02:17
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あ~ん はずかしい♪
2008年05月08日
たぶん幼稚園のときの勘違い
近所の小学生の人が「きみの~ゆく~みちは~~♪」って歌ってるのを聞いて
「あおくいしばり」だと思ってました。
「歯をくいしばる」って言葉しらないから。
「青く石貼り」かと思いました。
すくなくとも「はおく」って形容詞はないだろうと思ったので、意味はわからんけど「青く」
で、もうちょっと経つと
「青く意志張る」んだ。
青春や若者の歌としてふさわしいでないか。。。
と思って、「あおく~いし~ば~り~♪」と歌ってたら、家のもんから、「あ」って何や?「は」やろ!
という突っ込みが入りました。
そこで、たぶん6歳のたみ家「はおく、いしばるって」って何や?と思いました。
もうちょっと後かもしれませんが
「人」見知りの犯行に違いない。
とか
あの人は「顔」見知りがはげしい。
とか
「人見知り」と「顔見知り」の区別がついてませんで、ときどき逆になったり、どっちがどっちかわからんようになってました。
これは幼稚園に入る前だったかも。
当時、たぶん、朝日新聞とってて、「くらしのおしり」って、コーナーがありました。
内容はわかりませんが、今推測すると、暮らしの知恵とか歳時記みたいなことが載ってたのかなと思います。
何で「おしり」かわかりませんでしたが、「たぶん、どうでもいいことだから、お尻なんだろう。今でいうトリビアみたいなもんか。」
だって、幼稚園のときに「お尻」は知ってても「しおり」なんて知らないから。
口には出しませんでしたが、2年以上はしおりでなく、お尻だと思ってましたね。
ときどき、「ブログ読みました。」って、今まで何気に知り合いだった人に言われるとちょっと恥ずかしい。
また、ブログでしか知らなかった人と初対面の5分ぐらいは恥ずかしいことがある。
たみ家は、あまり「顔」見知りのはげしい方ではないんですが、けっこうええ歳して「青く石ばった」ことも、けっこう本気に近いことも書いてるし。
「サトラレ」の気分に似たとこがあるかなあ。
初対面の人がいきなり、こっちの心情のかなり深いところを知っている。
ええことなんですけど。
それまでの常識にないことやから、1~5分もじもじしそうやね。
近所の小学生の人が「きみの~ゆく~みちは~~♪」って歌ってるのを聞いて
「あおくいしばり」だと思ってました。
「歯をくいしばる」って言葉しらないから。
「青く石貼り」かと思いました。
すくなくとも「はおく」って形容詞はないだろうと思ったので、意味はわからんけど「青く」
で、もうちょっと経つと
「青く意志張る」んだ。
青春や若者の歌としてふさわしいでないか。。。
と思って、「あおく~いし~ば~り~♪」と歌ってたら、家のもんから、「あ」って何や?「は」やろ!
という突っ込みが入りました。
そこで、たぶん6歳のたみ家「はおく、いしばるって」って何や?と思いました。
もうちょっと後かもしれませんが
「人」見知りの犯行に違いない。
とか
あの人は「顔」見知りがはげしい。
とか
「人見知り」と「顔見知り」の区別がついてませんで、ときどき逆になったり、どっちがどっちかわからんようになってました。
これは幼稚園に入る前だったかも。
当時、たぶん、朝日新聞とってて、「くらしのおしり」って、コーナーがありました。
内容はわかりませんが、今推測すると、暮らしの知恵とか歳時記みたいなことが載ってたのかなと思います。
何で「おしり」かわかりませんでしたが、「たぶん、どうでもいいことだから、お尻なんだろう。今でいうトリビアみたいなもんか。」
だって、幼稚園のときに「お尻」は知ってても「しおり」なんて知らないから。
口には出しませんでしたが、2年以上はしおりでなく、お尻だと思ってましたね。
ときどき、「ブログ読みました。」って、今まで何気に知り合いだった人に言われるとちょっと恥ずかしい。
また、ブログでしか知らなかった人と初対面の5分ぐらいは恥ずかしいことがある。
たみ家は、あまり「顔」見知りのはげしい方ではないんですが、けっこうええ歳して「青く石ばった」ことも、けっこう本気に近いことも書いてるし。
「サトラレ」の気分に似たとこがあるかなあ。
初対面の人がいきなり、こっちの心情のかなり深いところを知っている。
ええことなんですけど。
それまでの常識にないことやから、1~5分もじもじしそうやね。
Posted by たみ家 at
08:50
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見積もり募集してます。
2008年05月07日
うちの西隣のコインパーキングが、ついに、明日の午後からオープンするそうです。
昼も20分50円ですが、当店ご利用の方については、今まで書いているとおり、料金、人数に制限なく駐車料金分引かせていただきます。
対象者の方については、サービスは常にいくつでも併用できます。
180円のかけうどんで、名刺ので50円、65歳以上の方の長寿手帳ご提示で50円、駐車場で50円引けますので、30円になります。
無料だけどいっぺん100円入れて後で戻ってくるコインロッカーのように、うちの敷地の駐車場だけど管理上お金を入れる、けどレジで戻ってくるぐらいに思ってくださればありがたいです。
せっかくの機会なので、うちの店のまわりに、「当店ご利用の方は、駐車料金20分ぶん負担」の旨を表示する幕か看板をつくろうと思うのですが、もしその手の業界の方がいらっしゃったらお見積もりをご提示していただければうれしいです。
「あしたさぬき」の中で、ささやかながら内需拡大を目指してみようかと。
どこにどうつけるのがいいかなど、現地でご提案くだされば、なおありがたいです。
昼も20分50円ですが、当店ご利用の方については、今まで書いているとおり、料金、人数に制限なく駐車料金分引かせていただきます。
対象者の方については、サービスは常にいくつでも併用できます。
180円のかけうどんで、名刺ので50円、65歳以上の方の長寿手帳ご提示で50円、駐車場で50円引けますので、30円になります。
無料だけどいっぺん100円入れて後で戻ってくるコインロッカーのように、うちの敷地の駐車場だけど管理上お金を入れる、けどレジで戻ってくるぐらいに思ってくださればありがたいです。
せっかくの機会なので、うちの店のまわりに、「当店ご利用の方は、駐車料金20分ぶん負担」の旨を表示する幕か看板をつくろうと思うのですが、もしその手の業界の方がいらっしゃったらお見積もりをご提示していただければうれしいです。
「あしたさぬき」の中で、ささやかながら内需拡大を目指してみようかと。
どこにどうつけるのがいいかなど、現地でご提案くだされば、なおありがたいです。
Posted by たみ家 at
22:43
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基本的な思考パターン
2008年05月06日
たみ家は、基本的に、発言の種類の中で何が最も価値があると思っているかというと、「提案」です。
記録も報告も分析も提案のためにあると思います。
提案には、基本的に、「意志」と「価値」があります。
また、未来に働きかけるという意味では、「未知」があって、「道」を開くってのは、韻を踏んだと見せかけてダジャレが言いたかっただけです。
たみ家は何気に、不満を述べたり、現状分析をする人が、その後に「こうしたらいいのに。」とか言って、不満や過去や現状の分析という、現在時点までで発言を打ち切らない人に会うと、ちょっとホッとします。
また、提案してみたら、けっこう自分がその世界に無知なだけで、低レベル提案だったり、月並みだったり、月並みではないけど、もうどっかが似たようなことをやってたりすることも少なくはない。
すると、問題意識をもったうえで、無知な分野について触れると、秀でるまではいかないけど、一発提案を入れて問題意識を持ったがゆえに、並にはすぐにいけると思います。
一発提案が無い状態で、同じ知識を入れても、ほとんど身につかないでしょう。
問題意識の結果で、既出の類似の取り組みをより深く知ることができます。
また、月並みだったり、もうどっかがやってた場合は、「おおっ!自分、まったくその分野のこと知らない状態でも、そこで仕事をしているプロと同じ問題意識を持って、同じレベルの方法論は思いついたわけね。」と自分の考え方自体の正しさの答え合わせができるわけです。
だから、提案は
月並みでも、既出でも、初でも、全部すばらしいわけです。
なぜ全部すばらしくなるのかというと、冒頭のように、必ず、「良くしようとする意志」と、「良くなるであろう潜在的な価値」があるからだと思います。
その人が無知だったとしても、意志のある人に知識を加える結果をもたらすから、そうでない人に知識を加えるのと価値が違うんです。
足し算でなく、掛け算とか、累乗になるみたいな言い方もありでしょうか。
また、似たことですが、後につながるには、自分の提案の低レベルのとこは認めて補おうと勉強したり、既出の中から学べることを学ぼうとしたり、うまくいかない事情についても学んで、考慮できるようにしたりできての話だとは思います。
そもそも類似のものが既出であることが、それがうまくいっていようと、そうでなかろうと、それをすることの妨げになんかなるはずがありません。
うどん屋の近所に当たり前のようにうどん屋が出来るように、類似のものが同じターゲットに向けて、ごく近隣でできるのは当たり前で、出店もアイディアも本質変わらないでしょう。
売り方をちょっと変えたり、価格帯を変えたり、品揃えを増やしたり、既出のアイディアを活かして、新しく世の中の役に立てることはいくらでもあるでしょう。
よく、提案すると「そんなのもう誰かがやってるよ。」とか冷や水をかけるような感じで、言う人がいます。
たみ家はこういう人の病気が治ってほしいと思うことがあります。
地域や日本が活性化しない理由は、この手の病と関係があるのではないかと思ってます。
価値があるかどうか、人の役に立つかどうかが大事なのだから、そのことで困って提案して、何人かの人に聞いてみて、自分の周囲であまり知られてないってことは、既出のアイディアがあっても、広く多くの人の役に立ててないのだから、無いのと同じです。
じゃあ、既出があるなら、商品やアイディアはいいけど訴求の仕方が良くないとか、人の役に立つ良いものなのに埋もれてるものを掘り出して、考えてみることに価値があると思います。
よくあることです。
誰かが呼んでも広がらないあだ名が、ある人が呼ぶと爆発的に広がって、それ以外の呼び方がなくなるとか、もう、本名さえ忘れるとか。
自分の提案が既出のアイディアだったときに、それがあまりうまくいかなかったとしても、構造的にうまくいかないものだってこともあるかもしれないけど、あだ名を呼ぶ人が変わったらすぐに爆発するようなものも多いと思います。
むしろ、ちょっと改良を加えた場合も含めれば、後者のようなことの方が多いのではないでしょうか?
だから、オリジナルと思って、提案して、既出だったら、「ラッキー。初めからつくらなくても、もう研究材料がある。」とか「おおっ。その分野無知なのに、プロと同じ発想ができてる時点で、自分はまあまあやな。」とか、「あれ、既出だけど知らない人も多いなあ。これ多くの人に役立つと思うのに、みんなに知ってもらいたいなあ。」と貢献意欲をかきたてたりで、何も悪いことなんかおこらんわけです。
けっこうオリジナルかなと思って既出だったら、プロと同じ答えを出せたことで、うれしくなってモチベーションが上がって、その分野への勉強意欲が高まることもけっこうあるんです。
そりゃ、日本だけで大人が1億人はおるんやから、最初の提案者でない方が当たり前やから、最初でないのが普通やろうっていう常識的な謙虚さはいると思います。
で、ほんとにオリジナルだったら、それはそれですばらしいなあと思うわけです。
物事を良くしようという発想段階の場に、減点主義や満場一致主義をとるってのがおかしいわけです。
設計や施行の段階は別ですよ。発想段階の場で入れるのがいかんのです。
初だと思ったら、初でなかった。それは厳密に言うと間違いかもしれないけど、初かどうかは世の中の人に役立つかどうかと関係がない。
また、提案は、未来のことを言うわけだから、過去や現在を分析して事実を述べるのと違って、間違う可能性があるし、言えば、周囲に恵まれなければ恥をかくように間違うこともあるでしょう。
また、弁証法的な言い方だと、提案するってことは、なされてない現状の否定であるから、何らかの意味で批判になる。
また、提案という誰かに行動を促すことが、越権行為と感じるセクト主義との摩擦も起こりうる。
というと、縦割り主義とか縄張り意識が強いとこで提案すると、なるほど敵をつくりかねないとかいうと、この国の病ってとこまで広げてもうなずけないでしょうか?
よく日本は恥の文化だといいますが、あまりにも提案する人が少ない状況があると、受講料払ってまで通ってる初心者英会話教室で、講師に「What’s new?」と聞かれて、当てられる順に、「Nothing.」とみんなで答えるのと似てるなあと思います。
未来のことを言うから価値があるのであって、過去や現在の分析はいくらしたって、そこで終わってしまう限りは、そこに未来を良くする意志である提案が乗らんと、何一つ世の中良くなりはしないのにね。
記録も報告も分析も提案のためにあると思います。
提案には、基本的に、「意志」と「価値」があります。
また、未来に働きかけるという意味では、「未知」があって、「道」を開くってのは、韻を踏んだと見せかけてダジャレが言いたかっただけです。
たみ家は何気に、不満を述べたり、現状分析をする人が、その後に「こうしたらいいのに。」とか言って、不満や過去や現状の分析という、現在時点までで発言を打ち切らない人に会うと、ちょっとホッとします。
また、提案してみたら、けっこう自分がその世界に無知なだけで、低レベル提案だったり、月並みだったり、月並みではないけど、もうどっかが似たようなことをやってたりすることも少なくはない。
すると、問題意識をもったうえで、無知な分野について触れると、秀でるまではいかないけど、一発提案を入れて問題意識を持ったがゆえに、並にはすぐにいけると思います。
一発提案が無い状態で、同じ知識を入れても、ほとんど身につかないでしょう。
問題意識の結果で、既出の類似の取り組みをより深く知ることができます。
また、月並みだったり、もうどっかがやってた場合は、「おおっ!自分、まったくその分野のこと知らない状態でも、そこで仕事をしているプロと同じ問題意識を持って、同じレベルの方法論は思いついたわけね。」と自分の考え方自体の正しさの答え合わせができるわけです。
だから、提案は
月並みでも、既出でも、初でも、全部すばらしいわけです。
なぜ全部すばらしくなるのかというと、冒頭のように、必ず、「良くしようとする意志」と、「良くなるであろう潜在的な価値」があるからだと思います。
その人が無知だったとしても、意志のある人に知識を加える結果をもたらすから、そうでない人に知識を加えるのと価値が違うんです。
足し算でなく、掛け算とか、累乗になるみたいな言い方もありでしょうか。
また、似たことですが、後につながるには、自分の提案の低レベルのとこは認めて補おうと勉強したり、既出の中から学べることを学ぼうとしたり、うまくいかない事情についても学んで、考慮できるようにしたりできての話だとは思います。
そもそも類似のものが既出であることが、それがうまくいっていようと、そうでなかろうと、それをすることの妨げになんかなるはずがありません。
うどん屋の近所に当たり前のようにうどん屋が出来るように、類似のものが同じターゲットに向けて、ごく近隣でできるのは当たり前で、出店もアイディアも本質変わらないでしょう。
売り方をちょっと変えたり、価格帯を変えたり、品揃えを増やしたり、既出のアイディアを活かして、新しく世の中の役に立てることはいくらでもあるでしょう。
よく、提案すると「そんなのもう誰かがやってるよ。」とか冷や水をかけるような感じで、言う人がいます。
たみ家はこういう人の病気が治ってほしいと思うことがあります。
地域や日本が活性化しない理由は、この手の病と関係があるのではないかと思ってます。
価値があるかどうか、人の役に立つかどうかが大事なのだから、そのことで困って提案して、何人かの人に聞いてみて、自分の周囲であまり知られてないってことは、既出のアイディアがあっても、広く多くの人の役に立ててないのだから、無いのと同じです。
じゃあ、既出があるなら、商品やアイディアはいいけど訴求の仕方が良くないとか、人の役に立つ良いものなのに埋もれてるものを掘り出して、考えてみることに価値があると思います。
よくあることです。
誰かが呼んでも広がらないあだ名が、ある人が呼ぶと爆発的に広がって、それ以外の呼び方がなくなるとか、もう、本名さえ忘れるとか。
自分の提案が既出のアイディアだったときに、それがあまりうまくいかなかったとしても、構造的にうまくいかないものだってこともあるかもしれないけど、あだ名を呼ぶ人が変わったらすぐに爆発するようなものも多いと思います。
むしろ、ちょっと改良を加えた場合も含めれば、後者のようなことの方が多いのではないでしょうか?
だから、オリジナルと思って、提案して、既出だったら、「ラッキー。初めからつくらなくても、もう研究材料がある。」とか「おおっ。その分野無知なのに、プロと同じ発想ができてる時点で、自分はまあまあやな。」とか、「あれ、既出だけど知らない人も多いなあ。これ多くの人に役立つと思うのに、みんなに知ってもらいたいなあ。」と貢献意欲をかきたてたりで、何も悪いことなんかおこらんわけです。
けっこうオリジナルかなと思って既出だったら、プロと同じ答えを出せたことで、うれしくなってモチベーションが上がって、その分野への勉強意欲が高まることもけっこうあるんです。
そりゃ、日本だけで大人が1億人はおるんやから、最初の提案者でない方が当たり前やから、最初でないのが普通やろうっていう常識的な謙虚さはいると思います。
で、ほんとにオリジナルだったら、それはそれですばらしいなあと思うわけです。
物事を良くしようという発想段階の場に、減点主義や満場一致主義をとるってのがおかしいわけです。
設計や施行の段階は別ですよ。発想段階の場で入れるのがいかんのです。
初だと思ったら、初でなかった。それは厳密に言うと間違いかもしれないけど、初かどうかは世の中の人に役立つかどうかと関係がない。
また、提案は、未来のことを言うわけだから、過去や現在を分析して事実を述べるのと違って、間違う可能性があるし、言えば、周囲に恵まれなければ恥をかくように間違うこともあるでしょう。
また、弁証法的な言い方だと、提案するってことは、なされてない現状の否定であるから、何らかの意味で批判になる。
また、提案という誰かに行動を促すことが、越権行為と感じるセクト主義との摩擦も起こりうる。
というと、縦割り主義とか縄張り意識が強いとこで提案すると、なるほど敵をつくりかねないとかいうと、この国の病ってとこまで広げてもうなずけないでしょうか?
よく日本は恥の文化だといいますが、あまりにも提案する人が少ない状況があると、受講料払ってまで通ってる初心者英会話教室で、講師に「What’s new?」と聞かれて、当てられる順に、「Nothing.」とみんなで答えるのと似てるなあと思います。
未来のことを言うから価値があるのであって、過去や現在の分析はいくらしたって、そこで終わってしまう限りは、そこに未来を良くする意志である提案が乗らんと、何一つ世の中良くなりはしないのにね。
Posted by たみ家 at
13:06
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市内駐車場視察を終えて
2008年05月04日
レジャーというより、一業界人として、麺フェスタに出かけると、あっ!あ○りさんが予告どおりに。。。
讃岐うどんブースに行くと、知ってる人や見たことがある人がたくさんいたなあ。
最近は、栗林公園にしても、サンポートにしても、イベントのうどんがけっこううまいっすね。
帰りに、築港から栗林町までのコインパーキングを20ヶ所ほど視察する。
中央商店街では、丸亀町営の宮脇書店本店北側の270台ほど停めれるビル型の駐車場が「15分50円」になってたなあ。
それは、2、3ヶ月前からのことだったらしい。
たみ家、この情報がアップデートされてませんでした。
丸い亀さんは、「20分100円」からだったなあ。
藤塚町の「穴吹藤塚第3パーキング」という、ちょっと通りから外れたとこが、「20分50円」でした。
これなら、うちの西側にできたパーキングの方が同じ価格にして圧倒的に競争力があると思った。
昼間で50円の区切りが表示されているのは、今のとこ、この2箇所だけでした。
それにしても、丸亀町の町営って、けっこう階が上まであるけど、15分ですむのかなあ。
普通、下からうまって行くから、15分ですませたくてもすまない人が多いだろうなあ。
短時間50円は、露天駐車場向きだと思う。
さて、ここで、おおやけに対して提案。
県営玉藻駐車場や県営番町地下駐車場のエレベーターやB1のトイレの鏡ぐらいに、広告枠を作ったり、広告ステッカーでも貼って収入にしたらどうでしょうか?
ホールの名前を売ったり、広報誌に広告バンバン入れて、広告代理店に7割ほども持っていかれながら、少しでも収入を上げないといけない状況なら、方法論にそれほど節操はいらないのでしょう。
ホール名変えるんに比べたら、駐車場のエレベーターにマンションの広告枠入れるぐらいなんてことはないでしょう。
錦町や浜ノ町のようなサンポート周辺や福岡町方面などでの分譲が控えてる場合の県営玉藻。
郵便局跡や中央病院跡や社会保険センター跡地などどんどん番町周辺で分譲が控えてる場合の番町地下
物件の性質と金額とタイミングものだけに、絶対に広告枠は入るでしょう。
至近の公営施設に広告が入るってのは、看板広告のグレードで、これ以上はないと思います。
しかも、屋外広告物条例なんかにもひっかからない。
また、トイレの鏡の下の方なんかは、近所の薬局とか習い事教室とか、使い手はあると思います。
ステッカー貼ってもらって、数万円年間でとれたら、悪いことないと思います。
広報のページが割かれるのは、犠牲にするものがあるけど、地下駐車場のトイレの鏡の下に防水ステッカー貼ったり、文字入れするのは、誰の便益も犠牲にしないでしょう。
さて、コインパーキングの料金全額負担しても採算が合う可能性について、もういっそのこと、商店会全体で、バンバン提携コインパーキングにしてしまって、全額利用料金を店側が負担できて、その敷地内にバンバン、商店会の加盟店の広告を出したらどうかという提案は、今のところ、聞いたことがないし、案としてはあっても実行としては普及してなさそうです。
これは、高松の地価が下落を続けていることや、中小企業の多倒産や高齢化などを受けて、相続対策などで土地活用したり、事業所跡地が増えて、コインパーキングも過当競争気味になってることなどによると思う。
「値下げしました。」のステッカーを看板の上から貼ったようなパーキングがたくさんありました。
(まあ、それでも、昼の50円の露天は中央商店街付近ではパッと20ヶ所ほど見た範囲では見えませんでしたが。)
このような背景があり、コインパーキングの料金が下がり基調なのもあって、ここのとこたみ家がしているような提案が成り立っていってるのだと思う。
これが、2、3年前に提案したとして、条件に合ったかというと難しいし、駐車券型、ゲート型が多かったことなどもあり、成り立たなかった可能性が高いと思う。
単純にこの手の提案は、市内に駐車禁止の重点区域が決まったときや、イオン香西の進出のときなどに、うどん店の組合などが中心市街地の店の共同の利益として、各パーキング会社などに提案して行くべき話しだったのではないだろうか?
この時点で、組織として話しを上げれば可能性は充分にあったと思う。
コインパーキングはどうせ田舎にはないので、分布は南は花の宮、西は西宝町、東は松島町ぐらいまでしかないだろう。
この辺りまでが駐車場月ぎめで7、8千円以上するところで、この数字が50円区切りのパーキングなら、月ぎめにするよりも安いか高いかを考えるギリギリの線ではないだろうか?
コインパーキングの分布自体は、月1万円レベルのエリアぐらいまでで、上の御坊川、室新志度線、香東川ラインよりも狭いかもしれないし、地続きでないと効果も薄いかもしれないが、逆に50mぐらい離れていても、「うちのご利用客の方でこのパーキングに停めたら駐車料金負担します。」とパーキング側に大きく書けば、そこが自然に利用されていくかもしれない。
うどん店にとっては、とにかく利用時間を半分にして料金が半分になる設定はありがたいはずなので、相手も得する提案を持っていきながら外界に働きかけて、変化の影響を悪い方向に流し続けないことが大事だと思う。
讃岐うどんブースに行くと、知ってる人や見たことがある人がたくさんいたなあ。
最近は、栗林公園にしても、サンポートにしても、イベントのうどんがけっこううまいっすね。
帰りに、築港から栗林町までのコインパーキングを20ヶ所ほど視察する。
中央商店街では、丸亀町営の宮脇書店本店北側の270台ほど停めれるビル型の駐車場が「15分50円」になってたなあ。
それは、2、3ヶ月前からのことだったらしい。
たみ家、この情報がアップデートされてませんでした。
丸い亀さんは、「20分100円」からだったなあ。
藤塚町の「穴吹藤塚第3パーキング」という、ちょっと通りから外れたとこが、「20分50円」でした。
これなら、うちの西側にできたパーキングの方が同じ価格にして圧倒的に競争力があると思った。
昼間で50円の区切りが表示されているのは、今のとこ、この2箇所だけでした。
それにしても、丸亀町の町営って、けっこう階が上まであるけど、15分ですむのかなあ。
普通、下からうまって行くから、15分ですませたくてもすまない人が多いだろうなあ。
短時間50円は、露天駐車場向きだと思う。
さて、ここで、おおやけに対して提案。
県営玉藻駐車場や県営番町地下駐車場のエレベーターやB1のトイレの鏡ぐらいに、広告枠を作ったり、広告ステッカーでも貼って収入にしたらどうでしょうか?
ホールの名前を売ったり、広報誌に広告バンバン入れて、広告代理店に7割ほども持っていかれながら、少しでも収入を上げないといけない状況なら、方法論にそれほど節操はいらないのでしょう。
ホール名変えるんに比べたら、駐車場のエレベーターにマンションの広告枠入れるぐらいなんてことはないでしょう。
錦町や浜ノ町のようなサンポート周辺や福岡町方面などでの分譲が控えてる場合の県営玉藻。
郵便局跡や中央病院跡や社会保険センター跡地などどんどん番町周辺で分譲が控えてる場合の番町地下
物件の性質と金額とタイミングものだけに、絶対に広告枠は入るでしょう。
至近の公営施設に広告が入るってのは、看板広告のグレードで、これ以上はないと思います。
しかも、屋外広告物条例なんかにもひっかからない。
また、トイレの鏡の下の方なんかは、近所の薬局とか習い事教室とか、使い手はあると思います。
ステッカー貼ってもらって、数万円年間でとれたら、悪いことないと思います。
広報のページが割かれるのは、犠牲にするものがあるけど、地下駐車場のトイレの鏡の下に防水ステッカー貼ったり、文字入れするのは、誰の便益も犠牲にしないでしょう。
さて、コインパーキングの料金全額負担しても採算が合う可能性について、もういっそのこと、商店会全体で、バンバン提携コインパーキングにしてしまって、全額利用料金を店側が負担できて、その敷地内にバンバン、商店会の加盟店の広告を出したらどうかという提案は、今のところ、聞いたことがないし、案としてはあっても実行としては普及してなさそうです。
これは、高松の地価が下落を続けていることや、中小企業の多倒産や高齢化などを受けて、相続対策などで土地活用したり、事業所跡地が増えて、コインパーキングも過当競争気味になってることなどによると思う。
「値下げしました。」のステッカーを看板の上から貼ったようなパーキングがたくさんありました。
(まあ、それでも、昼の50円の露天は中央商店街付近ではパッと20ヶ所ほど見た範囲では見えませんでしたが。)
このような背景があり、コインパーキングの料金が下がり基調なのもあって、ここのとこたみ家がしているような提案が成り立っていってるのだと思う。
これが、2、3年前に提案したとして、条件に合ったかというと難しいし、駐車券型、ゲート型が多かったことなどもあり、成り立たなかった可能性が高いと思う。
単純にこの手の提案は、市内に駐車禁止の重点区域が決まったときや、イオン香西の進出のときなどに、うどん店の組合などが中心市街地の店の共同の利益として、各パーキング会社などに提案して行くべき話しだったのではないだろうか?
この時点で、組織として話しを上げれば可能性は充分にあったと思う。
コインパーキングはどうせ田舎にはないので、分布は南は花の宮、西は西宝町、東は松島町ぐらいまでしかないだろう。
この辺りまでが駐車場月ぎめで7、8千円以上するところで、この数字が50円区切りのパーキングなら、月ぎめにするよりも安いか高いかを考えるギリギリの線ではないだろうか?
コインパーキングの分布自体は、月1万円レベルのエリアぐらいまでで、上の御坊川、室新志度線、香東川ラインよりも狭いかもしれないし、地続きでないと効果も薄いかもしれないが、逆に50mぐらい離れていても、「うちのご利用客の方でこのパーキングに停めたら駐車料金負担します。」とパーキング側に大きく書けば、そこが自然に利用されていくかもしれない。
うどん店にとっては、とにかく利用時間を半分にして料金が半分になる設定はありがたいはずなので、相手も得する提案を持っていきながら外界に働きかけて、変化の影響を悪い方向に流し続けないことが大事だと思う。
Posted by たみ家 at
18:24
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お店の玄関はどこか
2008年05月04日
近頃は、コインパーキングもいろいろ競争がはげしく、駐車場の入口かどこか目立つところに、LED看板で、その近くのお店の目玉商品やパーゲンの情報を流したり、サービスしてるとこが大都市にはあるらしい。
日経流通新聞に書いてありました。
商店の玄関は、売り場の入口でなく、駐車場なんだと。
だから、駐車場で、お店の情報を流すべきなんだと。
これは、正論だと思うなあ。
その割りに、高松市内のコインパーキングには、お店の看板やサービス情報を出してるところがほとんどありません。
うちの近辺に関してはほとんどゼロです。
丸亀町や常磐街にはほんのほんのちょっとだけ、情報出してるとこもあります。
瓦町駅に広告を出すよりも、至近のコインパーキングに看板を出す方が、効果も何倍もあるし、広告料も数分の1で済むはずです。
また、至近だけに、看板にプレートを挿し入れ出来るようにして、イチオシや目玉商品などの情報をどんどんアップデートできるので、漫然と駅のホームに広告入れるよりは断然いいですよ。
駅と違って、至近だから効果が高いし、至近だからこそ、こっちが駐車場利用を促進するといえるので、パーキング会社からの協力も得やすいでしょう。
交通バリアフリー法では、一日の利用者数が5,000人以上の駅は、バリアフリー化しないといかんことになってますが、県内には、JRで、高松、丸亀、坂出のみ、コトデンで、瓦町、片原町、築港のみでしょう。
街中のコインパーキングは、1台枠あたり、丸亀町近辺なら、土地賃借料、機械の償却、管理費、修繕費などを考えると、月で5万円分ぐらい使ってもらわないとペイしません。
って、ことは、駐車が仮に1~2時間平均として、平均2人乗ってたとしたら、500人ぐらいは乗るわけです。
すると、200台ある大きなコインパーキングなら、月10万人だから、お金払ってまで駐車場に停めた、降りてお金を使う意志がはっきりしたうえに、駅よりも至近に来てる人が、県内の鉄道駅のトップクラスに近いほどいるわけです。
この辺りから推定していくと、コインパーキングのあるところはどこでも、ほとんど看板を出す価値があるといえそうです。
駅と違って、コインパーキングは看板を、敷地内に、タダで出さしてくれるとこだってあるかもしれないですよ。
パーキングとの互恵的な関係が確認しやすいので、ある程度、利用実績があるお得意店がかけあってきたら、「はいどうぞどうぞ。」と来る可能性もなくはないでしょう。
パーキング会社は、駐車の妨げにならずに、利用が増えるのであれば、他に関心なんてありませんから。
中心市街地のお店の玄関は店舗の入り口だけでなく、近隣のコインパーキングってのは正論だと思いますが
ときどき、たみ家をがっかりさせるのは
たみ家が「お店の玄関は近所のコインパーキングだろう。」っていうと、ピンと来ないのに。
日経流通新聞に書いてあったというと、とたんに、「そりゃそうやろう。」みたいにいうパターン。
こういう方には、権威主義に陥らずに、自分の頭で自分の責任で考えるクセをつけてほしい。
お金を貸してくれるかどうかとか、事業にゴーサインが出るかのような、個別具体の権利や権限に関することは誰が言ったかが大事ですが、一般的に物事を良くするには、どうしたらいいかを考えるには、誰が言ったかでその評価を左右されないことが大事です。
①誰が言ったかが気になる人は、組織をうまく渡ったり、パイの中で自分の取り分を取るのがうまい人。
②気にしない人や気にしても評価を変えない人は、組織の外の社会を良くしようとしたり、パイを大きくするのがうまい人。
世の中では、①の人の方が優秀と言われやすいでしょうし、経済的にゆとりのある生活しやすいでしょう。
これは権威主義でけしからんところはあるけど、大きくまとまった組織でないと大きなことができない社会にあっては、ある程度やむをえないこと。
ただ、やむをえないことの裏にある密接な危険や弊害、なぜ、政策や政治にかかわる大きな物事や不祥事の防止策などは積年うまくいってないことが多いのかなどをまじめに考えようと思ったら、そういうとこにも目配りをする必要がありそうです。
つまり、優秀な人の層ほど、物事を良くすること自体には性格が向かなかったりするんです。
まあ、さすがに、①の人も優秀といわれる人は地頭がいいし、優秀とされれば何某かの訓練は受けるので、多少はやるでしょうが、性格的に組織の外のことを考えたり判断するのに向かないんです。
だから、物事良くするのには、優秀な人ほどそれをするための頭が悪いのに、地位に座って大勢でそういう人達が固めてしまってるってのはあると思う。
とってもキツイ言い方にもとれるかもしれませんが、県内はもとより国内のほとんどの大組織、大会社の人はそれなりに身につまされるでしょうし、反論もできないのではないでしょうか。
日経流通新聞に書いてありました。
商店の玄関は、売り場の入口でなく、駐車場なんだと。
だから、駐車場で、お店の情報を流すべきなんだと。
これは、正論だと思うなあ。
その割りに、高松市内のコインパーキングには、お店の看板やサービス情報を出してるところがほとんどありません。
うちの近辺に関してはほとんどゼロです。
丸亀町や常磐街にはほんのほんのちょっとだけ、情報出してるとこもあります。
瓦町駅に広告を出すよりも、至近のコインパーキングに看板を出す方が、効果も何倍もあるし、広告料も数分の1で済むはずです。
また、至近だけに、看板にプレートを挿し入れ出来るようにして、イチオシや目玉商品などの情報をどんどんアップデートできるので、漫然と駅のホームに広告入れるよりは断然いいですよ。
駅と違って、至近だから効果が高いし、至近だからこそ、こっちが駐車場利用を促進するといえるので、パーキング会社からの協力も得やすいでしょう。
交通バリアフリー法では、一日の利用者数が5,000人以上の駅は、バリアフリー化しないといかんことになってますが、県内には、JRで、高松、丸亀、坂出のみ、コトデンで、瓦町、片原町、築港のみでしょう。
街中のコインパーキングは、1台枠あたり、丸亀町近辺なら、土地賃借料、機械の償却、管理費、修繕費などを考えると、月で5万円分ぐらい使ってもらわないとペイしません。
って、ことは、駐車が仮に1~2時間平均として、平均2人乗ってたとしたら、500人ぐらいは乗るわけです。
すると、200台ある大きなコインパーキングなら、月10万人だから、お金払ってまで駐車場に停めた、降りてお金を使う意志がはっきりしたうえに、駅よりも至近に来てる人が、県内の鉄道駅のトップクラスに近いほどいるわけです。
この辺りから推定していくと、コインパーキングのあるところはどこでも、ほとんど看板を出す価値があるといえそうです。
駅と違って、コインパーキングは看板を、敷地内に、タダで出さしてくれるとこだってあるかもしれないですよ。
パーキングとの互恵的な関係が確認しやすいので、ある程度、利用実績があるお得意店がかけあってきたら、「はいどうぞどうぞ。」と来る可能性もなくはないでしょう。
パーキング会社は、駐車の妨げにならずに、利用が増えるのであれば、他に関心なんてありませんから。
中心市街地のお店の玄関は店舗の入り口だけでなく、近隣のコインパーキングってのは正論だと思いますが
ときどき、たみ家をがっかりさせるのは
たみ家が「お店の玄関は近所のコインパーキングだろう。」っていうと、ピンと来ないのに。
日経流通新聞に書いてあったというと、とたんに、「そりゃそうやろう。」みたいにいうパターン。
こういう方には、権威主義に陥らずに、自分の頭で自分の責任で考えるクセをつけてほしい。
お金を貸してくれるかどうかとか、事業にゴーサインが出るかのような、個別具体の権利や権限に関することは誰が言ったかが大事ですが、一般的に物事を良くするには、どうしたらいいかを考えるには、誰が言ったかでその評価を左右されないことが大事です。
①誰が言ったかが気になる人は、組織をうまく渡ったり、パイの中で自分の取り分を取るのがうまい人。
②気にしない人や気にしても評価を変えない人は、組織の外の社会を良くしようとしたり、パイを大きくするのがうまい人。
世の中では、①の人の方が優秀と言われやすいでしょうし、経済的にゆとりのある生活しやすいでしょう。
これは権威主義でけしからんところはあるけど、大きくまとまった組織でないと大きなことができない社会にあっては、ある程度やむをえないこと。
ただ、やむをえないことの裏にある密接な危険や弊害、なぜ、政策や政治にかかわる大きな物事や不祥事の防止策などは積年うまくいってないことが多いのかなどをまじめに考えようと思ったら、そういうとこにも目配りをする必要がありそうです。
つまり、優秀な人の層ほど、物事を良くすること自体には性格が向かなかったりするんです。
まあ、さすがに、①の人も優秀といわれる人は地頭がいいし、優秀とされれば何某かの訓練は受けるので、多少はやるでしょうが、性格的に組織の外のことを考えたり判断するのに向かないんです。
だから、物事良くするのには、優秀な人ほどそれをするための頭が悪いのに、地位に座って大勢でそういう人達が固めてしまってるってのはあると思う。
とってもキツイ言い方にもとれるかもしれませんが、県内はもとより国内のほとんどの大組織、大会社の人はそれなりに身につまされるでしょうし、反論もできないのではないでしょうか。
Posted by たみ家 at
13:21
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まちづくりとコインパーキング
2008年05月04日
うちのすぐ西に20分50円のコインパーキングができるんですが、この昼50円の設定が決まった時点で、うちが土地所有者からまるまる専用で借りるよりも安上がりな駐車場になりました。
このことで、うちは、利用料金に制限なしで、負担できる計算が立ちました。
普通、店が月ぎめで借りた駐車場の場合は利用料金なんか区別しませんから、それよりも当店にとって負担が軽い計算の駐車場から、お客さんに料金を払っていただく理由がありません。
太っ腹に一見見えるかもしれませんが、そうでもないんです。
実は、あるご意見番の方からお知恵をいただいて、うちが設置会社に料金設定を「うちで必ず停めてもらって損はさせないから、短い時間で50円になるように設定して下さい。」と電話で担当者を呼んで、頼みました。
あっさり、協力してくれたようです。
設置会社は、土地を借りてるお金と機械の設置費用などをペイして、利益が出るなら、それ以上のことにほとんど関心はないと思います。
ということは、近隣のお店が、コインパーキングの利用促進に積極的であるという手応えさえあれば、個人店の申し出に基づいて、けっこう簡単に料金や時間の設定を変えてくれると思います。
あの機械の設定変更はとても簡単で、すぐに変えられるそうですし、変更した料金は上からステッカーを貼れば済むだけなので、大した手間でないそうです。
うちのようなセルフうどん店は、薄利で、売上も大したことはありませんが、年間に万単位のお客さんが来ます。
そして、利用時間も短い。
その点、物販のお店やお稽古事なんかの場合は、単価が違うのでセルフうどん店と比較すると、売上の割りに客数が少なかったり、用事も長時間の方が多いので、設定を短い時間で切る理由がないかもしれません。
しかし、ちょっと商品を見るのに、100円では抵抗があるけど、50円なら抵抗がないという方も多少はいるかもしれません。
100円40分を50円20分に分割してもらうというのは、いずれの事業者にとっても少なくとも不利益にはならないと思います。
ちょっと友人に荷物を搬入してもらうとかいうときでも、50円からの方が気軽に停めれて、取締りの不安を解消できることがあるかもしれません。
1店では、ダメでも、いくつかのお店などが組んで、「うちらでサービス券を一定買いますから」とか言って、設置会社が悪くないと思えば、どこの街のでも、狭いパーキングについては、個人で設置会社に電話して、イニシアティブをとって思い通りに時間と料金の設定をさせることができるのではないかと思ってます。
何も商店会や振興組合で頼まなくても、個人でも変えられる可能性は大いにあると思います。
広くて大きな駐車場については、さすがに個人の電話一本で変えるというわけにはいかないと思いますが。
駐車場の有無という意味では、イオンやゆめタウン、(飲食の場合は)ロードサイドの大型店などに対抗するための一つの手がかりがあるような気がします。
中央商店街でも、15分とか、10分とか、その場に応じて、昼も50円にして、トータルでは変わらないような設定にどんどん変えていけばよいのではないかと思いました。
このことで、うちは、利用料金に制限なしで、負担できる計算が立ちました。
普通、店が月ぎめで借りた駐車場の場合は利用料金なんか区別しませんから、それよりも当店にとって負担が軽い計算の駐車場から、お客さんに料金を払っていただく理由がありません。
太っ腹に一見見えるかもしれませんが、そうでもないんです。
実は、あるご意見番の方からお知恵をいただいて、うちが設置会社に料金設定を「うちで必ず停めてもらって損はさせないから、短い時間で50円になるように設定して下さい。」と電話で担当者を呼んで、頼みました。
あっさり、協力してくれたようです。
設置会社は、土地を借りてるお金と機械の設置費用などをペイして、利益が出るなら、それ以上のことにほとんど関心はないと思います。
ということは、近隣のお店が、コインパーキングの利用促進に積極的であるという手応えさえあれば、個人店の申し出に基づいて、けっこう簡単に料金や時間の設定を変えてくれると思います。
あの機械の設定変更はとても簡単で、すぐに変えられるそうですし、変更した料金は上からステッカーを貼れば済むだけなので、大した手間でないそうです。
うちのようなセルフうどん店は、薄利で、売上も大したことはありませんが、年間に万単位のお客さんが来ます。
そして、利用時間も短い。
その点、物販のお店やお稽古事なんかの場合は、単価が違うのでセルフうどん店と比較すると、売上の割りに客数が少なかったり、用事も長時間の方が多いので、設定を短い時間で切る理由がないかもしれません。
しかし、ちょっと商品を見るのに、100円では抵抗があるけど、50円なら抵抗がないという方も多少はいるかもしれません。
100円40分を50円20分に分割してもらうというのは、いずれの事業者にとっても少なくとも不利益にはならないと思います。
ちょっと友人に荷物を搬入してもらうとかいうときでも、50円からの方が気軽に停めれて、取締りの不安を解消できることがあるかもしれません。
1店では、ダメでも、いくつかのお店などが組んで、「うちらでサービス券を一定買いますから」とか言って、設置会社が悪くないと思えば、どこの街のでも、狭いパーキングについては、個人で設置会社に電話して、イニシアティブをとって思い通りに時間と料金の設定をさせることができるのではないかと思ってます。
何も商店会や振興組合で頼まなくても、個人でも変えられる可能性は大いにあると思います。
広くて大きな駐車場については、さすがに個人の電話一本で変えるというわけにはいかないと思いますが。
駐車場の有無という意味では、イオンやゆめタウン、(飲食の場合は)ロードサイドの大型店などに対抗するための一つの手がかりがあるような気がします。
中央商店街でも、15分とか、10分とか、その場に応じて、昼も50円にして、トータルでは変わらないような設定にどんどん変えていけばよいのではないかと思いました。
Posted by たみ家 at
00:38
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うちにも駐車場ができました
2008年05月03日
ついに、うちの西に20mのとこにコインパーキングができました。
稼働開始は、8日か、9日からになるそうです。
ご利用人数、ご利用料金にかかわらず、当店ご利用の方の駐車料金は、20分ぶん、当店で負担いたします。
「2番に停めてます。」「白いカローラ停めてます。」など、レジでおっしゃっていただければ、駐車料金分、引かせていただきます。
もちろん、車の確認などするわけありません。
くれぐれも、ご遠慮なさらないで下さい。
負担しても、損しないように、計算はできてますので、むしろ、利用状況を知りたいので申告を遠慮される方がうちとしては困るぐらいです。
※ 1か月に、3万円分、うちが駐車料金を負担しようと思ったら、600台も車が停まる計算になり、40万円以上売上が上がらないと、そうなりません。
すると、40万円の売上に対して、家賃が3万円と思えば、割りはいいし、もし逆に駐車場のご利用が少ない場合は、うちと経営が関係ない会社が設置しているパーキングなので、うちは固定費の賃借料も管理費もないわけです。
今のとこ、思いつく限り、いくら値引きしても損する可能性は見えていません。
ご利用が多い場合は、うちが駐車場の設置会社に対して、損益分岐点までの利用台数の30%以上をうちのお客さんや関係者の方が占めていることがわかって、言えれば、うちは、サービス券などで交渉がしやすくなるんです。
だから、バンバン利用していただいて、どんどん値引きがしたいわけです。
飲食料金の多少にかかわらず、ご利用台数そのものが増えて欲しいんです。
すると、お客さんにもよく、パーキング会社にもよく、うちにもよいという互恵的ないい状況になると思ってます。
ぜひ、ご利用下さい。
うちの開店時間は、11:00~17;30頃で、日・祝定休日です。
稼働開始は、8日か、9日からになるそうです。
ご利用人数、ご利用料金にかかわらず、当店ご利用の方の駐車料金は、20分ぶん、当店で負担いたします。
「2番に停めてます。」「白いカローラ停めてます。」など、レジでおっしゃっていただければ、駐車料金分、引かせていただきます。
もちろん、車の確認などするわけありません。
くれぐれも、ご遠慮なさらないで下さい。
負担しても、損しないように、計算はできてますので、むしろ、利用状況を知りたいので申告を遠慮される方がうちとしては困るぐらいです。
※ 1か月に、3万円分、うちが駐車料金を負担しようと思ったら、600台も車が停まる計算になり、40万円以上売上が上がらないと、そうなりません。
すると、40万円の売上に対して、家賃が3万円と思えば、割りはいいし、もし逆に駐車場のご利用が少ない場合は、うちと経営が関係ない会社が設置しているパーキングなので、うちは固定費の賃借料も管理費もないわけです。
今のとこ、思いつく限り、いくら値引きしても損する可能性は見えていません。
ご利用が多い場合は、うちが駐車場の設置会社に対して、損益分岐点までの利用台数の30%以上をうちのお客さんや関係者の方が占めていることがわかって、言えれば、うちは、サービス券などで交渉がしやすくなるんです。
だから、バンバン利用していただいて、どんどん値引きがしたいわけです。
飲食料金の多少にかかわらず、ご利用台数そのものが増えて欲しいんです。
すると、お客さんにもよく、パーキング会社にもよく、うちにもよいという互恵的ないい状況になると思ってます。
ぜひ、ご利用下さい。
うちの開店時間は、11:00~17;30頃で、日・祝定休日です。
Posted by たみ家 at
13:21
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「縁日」を勘違いしてました!
2008年05月01日
最後の行で、復習を兼ねて、下ネタじゃないんですが、誤解されても仕方ない提案に走りますが。。。
たみ家お恥ずかしいことに、「縁日」って何か、今日まで知りませんでした。
今日、「28日はお不動さんの縁日だから、こないだ。。。」みたいなことを聞いて初めて、はっ!とわれにかえりました。
屋台が並んでみんなで、美味しいもの食べたり、将棋とかしたり、盆踊りやカラオケしたりで、みんなわいわいやって、縁が出来るからとか、明確に思ってたわけではありませんが、そんなぐらいのイメージでした。
以下、ウィキベディアのコピーです。
「縁日(えんにち)とは、神仏との有縁(うえん)の日のことで、神仏の降誕・示現・誓願などの縁(ゆかり)のある日を選んで、祭祀や供養が行われる日である。この日に参詣すると、普段以上の御利益があると信じられた。
近代以降では、神社などで行われる祭り(露店などが多く出る)の日のことを指す場合も多い。
主な縁日
水天宮 - 毎月5日(毎月1日,5日,15日とする所もある)
薬師如来 - 毎月8日
金毘羅 - 毎月10日
虚空蔵菩薩 - 毎月13日
閻魔 - 毎月16日
歓喜天(聖天) - 毎月16日
観世音菩薩 - 毎月18日
弘法大師 - 毎月21日
地蔵菩薩 - 毎月24日
愛宕権現 - 毎月24日
天神 - 毎月25日(天神祭)
不動明王 - 毎月28日
妙見菩薩 - 毎月1日,15日
鬼子母神 - 毎月8日,18日,28日
摩利支天 - 亥の日
毘沙門天 - 1月,5月,9月の最初の寅の日
大黒天 - 甲子の日
弁才天(弁財天) - 己巳の日
帝釈天 - 庚申の日
元三大師 - 1月3日
縁日の屋台
縁日の風物詩の出店として伝統的にみられるもの。盆踊りの出店とほぼ同じ。下記以外にもたこ焼き、焼きそば、磯辺焼きなど日常見かける屋台も並ぶ。これらは子供はもとより、童心に帰った大人・青年らの関心も集める。なお、これらの一部は、冬季の縁日には出店しない(夏を中心に、4月~10月頃のみ出店する)。」
毎月16日は、「歓喜」天の縁日だけに、パートナーを喜ばせてあげる日として。。。。。こっからは、書けません。。。。。でもはやって欲しいなあ。
たみ家お恥ずかしいことに、「縁日」って何か、今日まで知りませんでした。
今日、「28日はお不動さんの縁日だから、こないだ。。。」みたいなことを聞いて初めて、はっ!とわれにかえりました。
屋台が並んでみんなで、美味しいもの食べたり、将棋とかしたり、盆踊りやカラオケしたりで、みんなわいわいやって、縁が出来るからとか、明確に思ってたわけではありませんが、そんなぐらいのイメージでした。
以下、ウィキベディアのコピーです。
「縁日(えんにち)とは、神仏との有縁(うえん)の日のことで、神仏の降誕・示現・誓願などの縁(ゆかり)のある日を選んで、祭祀や供養が行われる日である。この日に参詣すると、普段以上の御利益があると信じられた。
近代以降では、神社などで行われる祭り(露店などが多く出る)の日のことを指す場合も多い。
主な縁日
水天宮 - 毎月5日(毎月1日,5日,15日とする所もある)
薬師如来 - 毎月8日
金毘羅 - 毎月10日
虚空蔵菩薩 - 毎月13日
閻魔 - 毎月16日
歓喜天(聖天) - 毎月16日
観世音菩薩 - 毎月18日
弘法大師 - 毎月21日
地蔵菩薩 - 毎月24日
愛宕権現 - 毎月24日
天神 - 毎月25日(天神祭)
不動明王 - 毎月28日
妙見菩薩 - 毎月1日,15日
鬼子母神 - 毎月8日,18日,28日
摩利支天 - 亥の日
毘沙門天 - 1月,5月,9月の最初の寅の日
大黒天 - 甲子の日
弁才天(弁財天) - 己巳の日
帝釈天 - 庚申の日
元三大師 - 1月3日
縁日の屋台
縁日の風物詩の出店として伝統的にみられるもの。盆踊りの出店とほぼ同じ。下記以外にもたこ焼き、焼きそば、磯辺焼きなど日常見かける屋台も並ぶ。これらは子供はもとより、童心に帰った大人・青年らの関心も集める。なお、これらの一部は、冬季の縁日には出店しない(夏を中心に、4月~10月頃のみ出店する)。」
毎月16日は、「歓喜」天の縁日だけに、パートナーを喜ばせてあげる日として。。。。。こっからは、書けません。。。。。でもはやって欲しいなあ。
Posted by たみ家 at
20:39
│Comments(0)
ブログサーフィンで眠くならないのはなぜ?
2008年05月01日
どこでもそうだと思いますが、うちも開業したてはほんとに不眠不休でした。
信じてくれない人もいそうですが、布団では1週間に10時間も寝ていないなあとか。
とにかく、食べながら、寝てしまって何回も箸落としました。
新聞読みながら、寝てしまって新聞何回も落としました。
携帯電話でメールやブログをチェックしながら、寝て落とすなんて、もう何百回やったかわかりません。
開業前までは、寝てしまって物を落としたことなんか一度もありませんでしたから、たみ家が何かそう大きく普通の人と変わるってことはないと思います。
今でも本は2Pほど読んだら、すぐに落としてしまいます。
簡単な本でもそうです。
そのかわり、新聞読みながらは寝なくなりました。
たみ家、開業する前までは、休日、人と会わない日なら、1日何時間でも、楽に本読めてました。
その頃は、1日、5、6時間睡眠ぐらいだったでしょうか。
今は新聞はすいすい読めます(普通当たり前だけど)。
携帯電話を寝て落とす回数もまだときどきあるけどずいぶん減ったと思う。
そこで不思議なのが、パソコンのディスプレイだと、今まで何時間いろんな人のブログ追っかけてても眠くなったことはありません。
ここ数年思い返しても、1回もないはず。
TOEICの教材をやっても、パソコンソフトだと本の教材よりもすごくすいすい進んだ覚えがあります。
そう思うと、文字媒体の中では本はずば抜けて眠くなると思う。
開業前までは、極限の睡眠不足とかなかったから、気がつかなかったけど、3日間合計の睡眠時間10時間以内ぐらいが、むしろ普通になってみて、気づく。
でも、家のパソコンのディスプレイでは眠くなったことがない。
(テレビではけっこう眠くなるんですが。)
営業中に店で立ってるときもどんなに睡眠不足でも眠くなったことがない。
でも、立ったまま本を読み出したら、すぐに寝てしまって膝から崩れそうになってしまった。
自分のことが、みんなに当てはまるとは思わないけど、自分のことが自分だけってこともないと思う。
読むということにかけては、本のあの「閉じては開いて、めくって進める」という形は、ユーザーインターフェイスが悪いのでしょうか?
極限まで睡眠不足の状態で、まったく読めなくなるものと、一度も眠くなったことのないものの差は何なんでしょうか?
みなさん、ブログサーフィンしてコメントしてる時刻を見ると、すごく、遅過ぎるのか早すぎるのかわからない不思議な時間が多い。
読書なら、あんなに遅くまで起きてませんよね。
対象となる情報に双方向性があることによる興味の持ち方の違いもあると思うけど、「見る」そのものから来る生理的作用にはっきり、本と違って眠くならない何かがあるから、寝ずにサーフィンできるってのもあるはずとにらんでるんですが。。。
これ、ほんとならぜひ解明したいです。
信じてくれない人もいそうですが、布団では1週間に10時間も寝ていないなあとか。
とにかく、食べながら、寝てしまって何回も箸落としました。
新聞読みながら、寝てしまって新聞何回も落としました。
携帯電話でメールやブログをチェックしながら、寝て落とすなんて、もう何百回やったかわかりません。
開業前までは、寝てしまって物を落としたことなんか一度もありませんでしたから、たみ家が何かそう大きく普通の人と変わるってことはないと思います。
今でも本は2Pほど読んだら、すぐに落としてしまいます。
簡単な本でもそうです。
そのかわり、新聞読みながらは寝なくなりました。
たみ家、開業する前までは、休日、人と会わない日なら、1日何時間でも、楽に本読めてました。
その頃は、1日、5、6時間睡眠ぐらいだったでしょうか。
今は新聞はすいすい読めます(普通当たり前だけど)。
携帯電話を寝て落とす回数もまだときどきあるけどずいぶん減ったと思う。
そこで不思議なのが、パソコンのディスプレイだと、今まで何時間いろんな人のブログ追っかけてても眠くなったことはありません。
ここ数年思い返しても、1回もないはず。
TOEICの教材をやっても、パソコンソフトだと本の教材よりもすごくすいすい進んだ覚えがあります。
そう思うと、文字媒体の中では本はずば抜けて眠くなると思う。
開業前までは、極限の睡眠不足とかなかったから、気がつかなかったけど、3日間合計の睡眠時間10時間以内ぐらいが、むしろ普通になってみて、気づく。
でも、家のパソコンのディスプレイでは眠くなったことがない。
(テレビではけっこう眠くなるんですが。)
営業中に店で立ってるときもどんなに睡眠不足でも眠くなったことがない。
でも、立ったまま本を読み出したら、すぐに寝てしまって膝から崩れそうになってしまった。
自分のことが、みんなに当てはまるとは思わないけど、自分のことが自分だけってこともないと思う。
読むということにかけては、本のあの「閉じては開いて、めくって進める」という形は、ユーザーインターフェイスが悪いのでしょうか?
極限まで睡眠不足の状態で、まったく読めなくなるものと、一度も眠くなったことのないものの差は何なんでしょうか?
みなさん、ブログサーフィンしてコメントしてる時刻を見ると、すごく、遅過ぎるのか早すぎるのかわからない不思議な時間が多い。
読書なら、あんなに遅くまで起きてませんよね。
対象となる情報に双方向性があることによる興味の持ち方の違いもあると思うけど、「見る」そのものから来る生理的作用にはっきり、本と違って眠くならない何かがあるから、寝ずにサーフィンできるってのもあるはずとにらんでるんですが。。。
これ、ほんとならぜひ解明したいです。
Posted by たみ家 at
00:41
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