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Posted by あしたさぬき.JP at

高松市都市計画マスタープラン(素案)

2008年05月10日

今日は、不覚にも、nyanyaで長居をしてしまった。
明日は、6時オープンちょうどぐらいに行くと、もれなく。。。いいことかも。

さて、本題。
ですが、詳しく書くとちょっと際限がないので、パラパラと、まずは表面から。
5月8日に高松市都市計画マスタープラン(素案)の説明会が高松市役所13階大会議室でありました。

これは、中小商店を営んでいる人にとってはたいへん大きな問題をたくさん含んでいます。

しばらく前の新聞にも載ってましたが、
丸亀町には29階建てのマンションとホテルと駐車場と店舗が複合したビルができる計画があります。

今の市長は、中心市街地については、そうとう、丸亀町とサンポート周辺のみに集中的に投資して、「あとは自由にやってくれ」というスタンスが明確です。

さて、この都市計画の話は大きすぎるし、、5、6杯飲んでる今のたみ家には、論理的・網羅的に書きにくいので、代表的に思ったことをパラパラ書くしかないのですが。。。

都市計画をつくってる人って、はっきり言って、そんなに優秀なわけではありません。
相対的に優秀な人が混じっていても、絶対的に優秀でありえないんです。

なぜか。
人が生きる都市という器や資本主義下における生産活動や都市生活は、あまりにも複雑・多岐で、いかに大学や大学院で土木技術や都市工学を学んでも、都市という器の上で営まれる商売や、福祉のことがよくわかるわけではないし、学校の配置や交通安全や景観と事業とのバランスなど、一般論だけではどうしようもないところが際限なくあり、いかに優秀な人であろうと普通の人が浜辺の砂としたら、優秀な人でも浜辺の石ころぐらいにしかなりえません。

だから、説明会といっても、市当局側はただ教えに来たわけではないはずです。

複雑多岐にわたる生産や生活の諸関係から生じる考え方や盲点について、市民側から意見を聞いて教えられることによって、良いものをつくっていくために会を開いているはずなんです。
教えられるために教えに来てるってのも、本音はともかく建前でしょう。

はっきり言って、役所の人は実体経済に弱いです。
都市を活動の諸関係というよりも、土地とビル・駅など構造物の連たんのようなとらえ方をしている人もいるし、担当者も、土木技師の中には、そこの担当者になるまで、商業や福祉や交通などについてはまともに考えたこともなく、土木技術以外は、一般市民の平均よりも無知な人もよくいます。
ほとんどこれまで市民生活そのものや地場経済のことを考えたことがない人が総括しているようなこともあるでしょう。

今頃、「ユニバーサルデザインって、聞いたこと無い。何それ。」ぐらい言う人だっています。

自分たちが手が届かないような優秀な人が手の届かないような高度なものをつくってて、自分たちの生活にそんなに直接にかかわりがないと思ってたらまずいと思います。

そういえば
市長は、ウォーターフロントの整備には力を入れそうな言い方だったなあ、牟礼から下笠井のあたりまで思い切り、整備構想のエリアに入れてたからなあ。

一方、業務・商業の高度拠点しては、中央商店街と中央通では、丸亀町と兵庫町、寿町と番町だけを入れて、南新町・亀井町・中新町辺りでさえ完全に外しているのに。

う~ん。この問題は言い出したら際限がなく、範囲が広いから、今、きちんと書けないなあ。

わざわざ、挙手して市長に質問しましたよ。
「ちゃんと先のことを予測できてる計画なんですか?瀬戸大橋の通行量予測のように優秀な人が寄って兆単位使う事業の予測でもええかげんですからねぇ。自動車保有台数も人口も減るのに、今の渋滞の現状を見て大規模な拡幅や改良工事しててええんか。そんな施策せんでも、世の中が勝手にそっち方面に行ってるんやから、そんなとこに何億も使っても重複投資にならんのか?まあ、こっちにはわからんことも多いけど、市側もきちんと調べがついてると思えんので、もうちょっと調べて、その過程やデータも市のHPに公表して、市民から意見を聞くための材料にしてくれんか?」

みたいなことと
「重点エリアに入ったとことそうでないところで、具体的な公共投資の姿勢はどう変わっていくのか?」
みたいなこと。

討論するような場でもなかったし、時間もなかったので、きちんとした回答は得られませんでしたが、ちょっと気になることがあるんですよね。

市長が、「市が都市計画のエリアを定めたところで、経済活動は自由になされるもので、エリア外だからといって、何ら商売ができなくなるわけでもない。」みたいなことを言うわけですね。

まあ、それはそうなんです。一般論としては。

似たとこで、世間一般でもこういう言い方ってしませんか「塾に行かなくても勉強できる子はできる。家が貧乏でも努力すればできる。」みたいに。

これも間違いでないかもしれないけど、間違いだとも言える。

もし、全体を良くするための責任者が、「学校が荒廃してても努力すれば勉強できる子はできるし、社会が貧困でも貧乏で努力して立派になった人はいくらでもいる。」と言ってしまえば、それはただの責任放棄です。

世間一般で、「恵まれない条件でも努力すればできる」っていうのはある意味、反則なんです。

やるべきことは、「多くの人がより努力しやすく結果を出せる社会を整えていくこと」なんだから、「がんばったらやれる」ってのは、多くの人が何気に言うけど、無意識に言ってしまえば、かなりのものが反則になるでしょう。

だた、恵まれない条件ってのは、誰にもあるし、比較的恵まれている人の中にも何らかの不利なところがある。
公共政策としてでなく、個人個人が、自分の条件に対して、それを受け入れてがんばらないといけないというのは、ほとんどの意味で正当だと思います。
ただ、より良い条件を求めて、公共に働きかけることもまた、当然の権利でもある。

それに対して、市当局が、きちんと意味合いや現実に起こっていることの結果や、これから自分たちがしようとすることの結果をきちんと想起しないままで、「優先的な地域でなくても、自由な経済活動のもと、やればできるだろう。できてるとこはできてる。」って言うのは、荒廃した学校の中で、一部の秀才を取り上げて、できてるやつはできてるのに、できてないやつはバカで怠け者って言うのと同じようになると思う。

まあ、当然、市長はたみ家よりも多くの情報を得て、高所から物事を見てるはずなんですわ。

ただね。
商売もしたことがなければ、大病もしたことがなければ、重度の障害も負ったことはたぶんないでしょう。
今まで見てきたことしか見えんわけです。
そして、市長が高度な判断をするに際しても、市民が見ているものを見なければならないし、市民の側が市長の見ているものももっと共有していく必要はあると思うわけです。
8日の説明会でも、その思いは深くしました。

彼らのやることが仮に結果論として正しかったとしても、社会の方向性を充分吟味できないままで、あまりにも多くの市民から、その考え方が見えず、見方が共有できてない状況のままで押し進められていくのでは困るなあと思います。

地方財政が厳しい状態で有効な公共投資をするという意味では、将来を見据えて・意識や情報を共有するのは大事なことだと思います。


ただ、それとは関係なく、明日、6時にnyanyaに行くと、いいことあるかも。。。
  

Posted by たみ家 at 02:17Comments(2)