明日
2009年10月24日
庵治で、庵治のマラソン
と
高松中央商店街で、獅子舞王国さぬき 2009
があるよ
両方、思い入れの深いイベント。
そういやあ。あした機能まだ使ったことないなあ。
と
高松中央商店街で、獅子舞王国さぬき 2009
があるよ
両方、思い入れの深いイベント。
そういやあ。あした機能まだ使ったことないなあ。
Posted by たみ家 at
23:34
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治療
2009年10月24日
なぜたみ家は、賃貸建物オーナーでもうどん屋でも儲かってる人がほとんどいないという話を強調するのか。
賃貸建物オーナーは豊かな人が多い。
それは、建物を建てるに至ったまでに儲けて貸せるほどの余剰資産をつくってるからです。
建てるに至るまで本業か何かで儲けたけど、建物を貸すこと自体は、ほとんどの事例が建物の償却年数では会計上・税務上赤字です。
もし、法定の償却年数を超えて大幅に満室に近い状態が続けばわかりませんが、リアルな耐用年数でも空きが出始めて、建築費と管理費などをペイできない場合が多いでしょう。
うどん屋でも、大企業のサラリーマンや教職員夫婦などには、大繁盛店の店主でも、退職金や年金時期までの安定度を加味すれば、微妙でしょう。
高松で年商3億にいくうどん屋でも教職員夫婦には勝てないかもしれません。
生きるためにやらなければならない努力の水準を戦前、戦後、大企業や官僚主導で用意してくれていたから、日本人がそれを見たり考えたりしなくなった。
アメリカの庇護のもと、優秀な製品開発と工場や経済のオペレーション設計によって、ベルトコンベアで考えずに単純作業して生きてきた人が、考えずに生きられるように錯覚して、今、大量にあふれているのが、面接していてよくわかります。
これが、日本の病気の3本柱の一つでしょう。
この日本人の心の病気が、うどん屋や建物オーナーが儲かって見えるということです。
極度に努力家の知り合いが、60歳で2億で土地と建物を買って、賃料収入で満室なら年500万寝てても入ります。
儲かって見える人は勘違いもええとこですね。
寝てても、年500万の賃料収入でここまでほぼ満室に近いそうですが、購入に2億払ってその一部が超スローペースで返ってきてるだけですし、管理費など2億と別にかけてますし、売ろうにも土地や建物の値段は昨今大幅に下がってるし、2億超の費用で、年500万の賃料で今後空きが出て、建物古くなって解体費まで出して駐車場にして貸したりすると、まあ130歳ぐらいまで生きないと本人にはペイしないし、こどもの代でもペイしません。
孫の代までいってもペイしない可能性の方が高いんじゃないでしょうか。
かといって、事業しても今の時世ではたいていの人が失敗する。
銀行が儲けたり、世の中に仕事をつくりだすために、オーナーが私財を損しながら、社会に恩恵を与えているようなものです。
一家で見ると、大損でも、借金残さずに親が不動産を残した場合はこどもの代では儲かるスタートかもしれませんが、古い建物を修繕重ねたり、固定資産税払って儲け続けられるかというと、世間の多くの人が思うほどは潤わないでしょう。
儲かるってことは自立できるってことです。
つまり、儲かってない人が儲かって見えるということは、自立できない水準を見て自立どころがプラスアルファがあるように錯覚してるということです。
国民の総勢が、やらなければならない水準よりも低い状態で、やれるように錯覚している。
このことが国債50兆円とか、「赤字国債を出さない」とか、「予算要求を抑える」と言いながら、実際はできないということです。
勉強しなくても仕事はできます。
ただ、今までは、世の中が仕事をつくってくれていた。
勉強しなくても仕事はできても、仕事はつくれない。
これからは、日本国内では仕事をつくれる人が必要になる。
みんながみんなつくる側には回らないだろうが、社長も自分が従業員の仕事をつくろうとするときに、それをしやすくしてくれる人を雇いたいと思わざるを得なくなる。
たみ家は、直接的には学歴のことは言ってません。
いい大学といわれるとこに行くには人数に限りがあるから、学歴を求めるなら、みんながやっても成功者は増えません。
まあ、実際に難関大学ほどやる気と覇気のある学生が多くて、そうでない大学の人ほどものを考えずにだらけているというのは、悲しいかなほぼ事実で、たみ家もそう難関でない大学に入って、「しまった」と思い、受験本番の不調を嘆いたのは、就職に不利とかじゃなくて、入ってすぐに高校時代の周囲の人よりも覇気がないと思ったところ。
それはさておき
たとえば、エステをするにも、安全性の疑わしい化学成分は何かとか、人が癒されるメカニズムは何かなど大事だし
うどん屋やるにしても、持ち帰りで保存が利いて、美味しさが損なわれない工夫は何かとか、一般に高学歴を要しない仕事にもすべて勉強で仕事をつくる面が必ずある。
国民の総勢が学力を基盤にして、やらなければならない水準をある程度楽しみながら(=精神的な報酬を感じながら)、超えていく方向に向かうとか、やらなければならない水準を理解して、現在の状況の治療に向かうことが必要だろう。
国債50兆も出すってことは、国民のみんながスパルタで鼻血出すほど努力してもたぶん足らんということだろう。
でも、それじゃあ、人生だっておもしろくなかろう。
おもしろいスパルタをさらに、おもしろくてスパルタじゃない状態でありながら結果としてスパルタ以上のものを出すための、システムや考え方を普及させる必要がある。
またシステムに乗れる人が余力を持って、どうしても事情でそれができない人を支える力にならないといけない。
上の方でカツカツになったら、福祉におぜにさんが回るわけがない。
アフリカの飢餓の国と日本との差は勉強だけです。
日本も食糧輸入がないとすぐに飢餓国になるでしょう。
そして、農業国になろうにも燃料や化学肥料や農薬などの石油製品がないと1億人超は生きられないし、天明の飢饉みたいなことが頻発するでしょう。
有機野菜で日本で1億人も生きるなんて到底無理だから。
世界史を見ても、日本とタイとアフリカの1、2のどっか以外は、すべて植民地になり、殖民地にする側に回れた非欧米は日本だけ。
欧米が植民地で法律をつくったときに、勉強あまりしなかっただろう原住民の人達を人間とすら規定してないことも多い。
牛の後に奴隷商品として市場でせりにかけられることすらあった。
また明治維新後や敗戦後、日本が工業国になれたのも、国民が勉強してたからで、もし日本人が勉強してない国民だったら、アメリカは、農場でむち打って日本の人々を農作業に従事させたかもしれませんが、欧米と戦争できるほど力をつけた勉強してる国だからもっとええもんつくれるだろうってことで、工業製品をアメリカにつくらせてもらうことができたわけです。
だから、まだ再度日の目を見ることができた。
それはドイツも同じこと。
アフリカや中南米との扱いの違いは、国民が勉強してたかどうかの違い。
世界中の勉強したところ、長いスパンで考えたところ、細かく考えたところ、ルールや組織をつくったところが
世界中の勉強しなかったところ、細かく考えなかったところ、気ままに生きた人々のところをたくさんの人命まで含めて奪いつくしたのが事実
勉強したところはすべて奪う側にまわり、しなかったところで征服されたなかったところはほぼないというのが事実。
今までの歴史を善として肯定しないが、奪われない側に回って変革を求めないと、今生きてる人があまりにも悲惨でしょう。
植民地やナチスの時代と今は違いますが、連続性の上にあり、むちゃくちゃには違わない。
うどん屋が儲かってないと国民総勢が思えるように理解することが
まあ、日本の福祉や教育を支える力になり、ひいては日本が国際平和や環境問題に貢献できるってことにつながるんです。
論理の飛躍だけど、飛躍した先にそれがあるし、時間がないから関係の説明を飛ばしただけで、つじつまは合ってる。
賃貸建物オーナーは豊かな人が多い。
それは、建物を建てるに至ったまでに儲けて貸せるほどの余剰資産をつくってるからです。
建てるに至るまで本業か何かで儲けたけど、建物を貸すこと自体は、ほとんどの事例が建物の償却年数では会計上・税務上赤字です。
もし、法定の償却年数を超えて大幅に満室に近い状態が続けばわかりませんが、リアルな耐用年数でも空きが出始めて、建築費と管理費などをペイできない場合が多いでしょう。
うどん屋でも、大企業のサラリーマンや教職員夫婦などには、大繁盛店の店主でも、退職金や年金時期までの安定度を加味すれば、微妙でしょう。
高松で年商3億にいくうどん屋でも教職員夫婦には勝てないかもしれません。
生きるためにやらなければならない努力の水準を戦前、戦後、大企業や官僚主導で用意してくれていたから、日本人がそれを見たり考えたりしなくなった。
アメリカの庇護のもと、優秀な製品開発と工場や経済のオペレーション設計によって、ベルトコンベアで考えずに単純作業して生きてきた人が、考えずに生きられるように錯覚して、今、大量にあふれているのが、面接していてよくわかります。
これが、日本の病気の3本柱の一つでしょう。
この日本人の心の病気が、うどん屋や建物オーナーが儲かって見えるということです。
極度に努力家の知り合いが、60歳で2億で土地と建物を買って、賃料収入で満室なら年500万寝てても入ります。
儲かって見える人は勘違いもええとこですね。
寝てても、年500万の賃料収入でここまでほぼ満室に近いそうですが、購入に2億払ってその一部が超スローペースで返ってきてるだけですし、管理費など2億と別にかけてますし、売ろうにも土地や建物の値段は昨今大幅に下がってるし、2億超の費用で、年500万の賃料で今後空きが出て、建物古くなって解体費まで出して駐車場にして貸したりすると、まあ130歳ぐらいまで生きないと本人にはペイしないし、こどもの代でもペイしません。
孫の代までいってもペイしない可能性の方が高いんじゃないでしょうか。
かといって、事業しても今の時世ではたいていの人が失敗する。
銀行が儲けたり、世の中に仕事をつくりだすために、オーナーが私財を損しながら、社会に恩恵を与えているようなものです。
一家で見ると、大損でも、借金残さずに親が不動産を残した場合はこどもの代では儲かるスタートかもしれませんが、古い建物を修繕重ねたり、固定資産税払って儲け続けられるかというと、世間の多くの人が思うほどは潤わないでしょう。
儲かるってことは自立できるってことです。
つまり、儲かってない人が儲かって見えるということは、自立できない水準を見て自立どころがプラスアルファがあるように錯覚してるということです。
国民の総勢が、やらなければならない水準よりも低い状態で、やれるように錯覚している。
このことが国債50兆円とか、「赤字国債を出さない」とか、「予算要求を抑える」と言いながら、実際はできないということです。
勉強しなくても仕事はできます。
ただ、今までは、世の中が仕事をつくってくれていた。
勉強しなくても仕事はできても、仕事はつくれない。
これからは、日本国内では仕事をつくれる人が必要になる。
みんながみんなつくる側には回らないだろうが、社長も自分が従業員の仕事をつくろうとするときに、それをしやすくしてくれる人を雇いたいと思わざるを得なくなる。
たみ家は、直接的には学歴のことは言ってません。
いい大学といわれるとこに行くには人数に限りがあるから、学歴を求めるなら、みんながやっても成功者は増えません。
まあ、実際に難関大学ほどやる気と覇気のある学生が多くて、そうでない大学の人ほどものを考えずにだらけているというのは、悲しいかなほぼ事実で、たみ家もそう難関でない大学に入って、「しまった」と思い、受験本番の不調を嘆いたのは、就職に不利とかじゃなくて、入ってすぐに高校時代の周囲の人よりも覇気がないと思ったところ。
それはさておき
たとえば、エステをするにも、安全性の疑わしい化学成分は何かとか、人が癒されるメカニズムは何かなど大事だし
うどん屋やるにしても、持ち帰りで保存が利いて、美味しさが損なわれない工夫は何かとか、一般に高学歴を要しない仕事にもすべて勉強で仕事をつくる面が必ずある。
国民の総勢が学力を基盤にして、やらなければならない水準をある程度楽しみながら(=精神的な報酬を感じながら)、超えていく方向に向かうとか、やらなければならない水準を理解して、現在の状況の治療に向かうことが必要だろう。
国債50兆も出すってことは、国民のみんながスパルタで鼻血出すほど努力してもたぶん足らんということだろう。
でも、それじゃあ、人生だっておもしろくなかろう。
おもしろいスパルタをさらに、おもしろくてスパルタじゃない状態でありながら結果としてスパルタ以上のものを出すための、システムや考え方を普及させる必要がある。
またシステムに乗れる人が余力を持って、どうしても事情でそれができない人を支える力にならないといけない。
上の方でカツカツになったら、福祉におぜにさんが回るわけがない。
アフリカの飢餓の国と日本との差は勉強だけです。
日本も食糧輸入がないとすぐに飢餓国になるでしょう。
そして、農業国になろうにも燃料や化学肥料や農薬などの石油製品がないと1億人超は生きられないし、天明の飢饉みたいなことが頻発するでしょう。
有機野菜で日本で1億人も生きるなんて到底無理だから。
世界史を見ても、日本とタイとアフリカの1、2のどっか以外は、すべて植民地になり、殖民地にする側に回れた非欧米は日本だけ。
欧米が植民地で法律をつくったときに、勉強あまりしなかっただろう原住民の人達を人間とすら規定してないことも多い。
牛の後に奴隷商品として市場でせりにかけられることすらあった。
また明治維新後や敗戦後、日本が工業国になれたのも、国民が勉強してたからで、もし日本人が勉強してない国民だったら、アメリカは、農場でむち打って日本の人々を農作業に従事させたかもしれませんが、欧米と戦争できるほど力をつけた勉強してる国だからもっとええもんつくれるだろうってことで、工業製品をアメリカにつくらせてもらうことができたわけです。
だから、まだ再度日の目を見ることができた。
それはドイツも同じこと。
アフリカや中南米との扱いの違いは、国民が勉強してたかどうかの違い。
世界中の勉強したところ、長いスパンで考えたところ、細かく考えたところ、ルールや組織をつくったところが
世界中の勉強しなかったところ、細かく考えなかったところ、気ままに生きた人々のところをたくさんの人命まで含めて奪いつくしたのが事実
勉強したところはすべて奪う側にまわり、しなかったところで征服されたなかったところはほぼないというのが事実。
今までの歴史を善として肯定しないが、奪われない側に回って変革を求めないと、今生きてる人があまりにも悲惨でしょう。
植民地やナチスの時代と今は違いますが、連続性の上にあり、むちゃくちゃには違わない。
うどん屋が儲かってないと国民総勢が思えるように理解することが
まあ、日本の福祉や教育を支える力になり、ひいては日本が国際平和や環境問題に貢献できるってことにつながるんです。
論理の飛躍だけど、飛躍した先にそれがあるし、時間がないから関係の説明を飛ばしただけで、つじつまは合ってる。
Posted by たみ家 at
08:35
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