この広告、メッセージは90日以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事でこのメッセージが消せます。
  

Posted by あしたさぬき.JP at

087の街 高松

2011年06月24日

お花の街 高松

高松だけが市外局番087です。

この偶然を機に、高松をお花の消費地にできないものか?

高松が消費地として伸びれば、県内の花卉農家も伸びるし、夜の街も盛り上がるかもしれないし、何より生花は生鮮品であり生き物だから、回転は速い方が良い。

高松の事業所は基本みんな087で始まるから、電話番号を全国的に覚えてもらいやすいかも。

「それだけ?」って思った人は、一聞いて一知る人。

そんなことで一があるなら千あるかもな。
そんな一はカネかけなくても千になりそうだなという、手抜きしない思考の手続きを踏むクセが政策的な思考スタイルだと思う。

カネのかかってない他の追随を許さない偶然の配剤だからね。
活かさないと損だ。
  

Posted by たみ家 at 21:50Comments(6)

第6回異業種交流会

2011年06月24日

高松テルサにて





満員です  

Posted by たみ家 at 20:47Comments(0)

アンジェラ・アキさんはいつ高松に?

2011年06月24日

「手紙 拝啓 15の君へ」
を聴いていると

ランランラン♪ ランランラン♪ 木守ね♪

ランランラン♪ ランランラン♪ 木守ね 木守ね 木守ねえ〜♪

に聴こえる。

高松に来て、三友堂さんの「木守(きまもり)」を食べたときの想い出の歌に違いない!

木守は役所が霞ヶ関に陳情に行くときの手土産の定番お菓子のええぶんのイメージがあった。

ワンランク落とすと○○○のえびせん みたいな。。。

千利休ゆかりで高松松平家に伝わる茶器「木守」がモデルと聞いている。
木守とは、柿の木から収穫するときに、てっぺんの実を一つだけ残すという慣わしによる樹に一つ残る最後の柿の実。

欲出して収穫し過ぎるな。
一つだけ残った栄養の行き届いた大きな種を含んだ実を鳥に食わせて遺伝子を遺させてやれ。
人間で独り占めせずに鳥にもお裾分けしてやれ。天への供物。

みたいないくつかの意味があると聞きます。

和菓子の名品として高松にゆかりの方は一度は食べておきましょう。

和菓子といえば、ガキの頃、「仰げば尊し」の「我が師の恩」は、「菓子食わせてくれてありがとう」の意味だと思いましたね。
初リッスンが小1だもん。

で、ジジイがガキの頃は和菓子でいいけど、今頃は、ケーキかエクレアかシュークリームのええぶんにしろよ!とか思いました。

そんな意味だとは思ってなかったけど、「仰げば尊し」って初めて聞いたとき、イメージとしては、家の前でバドミントンしてて屋根のトイに引っ掛かった羽根をラケット必死に上にしてジャンプして落とす画が浮かんでました。

小1で、「尊し」とかまったく語感にないので「仰げ バト落とし」しかイメージできませんでした。

ガキは「バドミントン」を「バトミントン」って言うんだよ。

それにしても、百恵は15歳で「誘惑の甘い罠」とか、昌子は中学卒業して16の誕生日来たら担任と結婚でもしそうな勢いの歌を40年前歌ってたのに、今の15歳のは歌詞知らずに言うのも何ですが、子どもっぽい感じのする歌だね。

これがたみ家が強調する文明の意味の象徴かな。
「文明関数」なる概念を提唱しよう。

アンジェラがほんとはなんて歌ってるかは、歌詞まったく知らないし、聞きたくない。

今日からあれは「木守」で、中学の修学旅行で高松に来たときの想い出の歌に違いないと、無理やり、高松の消費促進のメッセージを贈ります。

みんな、たみ家ブログ読んだと言って、三友堂さんで木守買ってね。

直線面識ないけど、そう言って下さると、止まってた「銘菓 最愛(もあい)」計画の協力者になってくれるかもしれないので。

奇しくも、「仰げば尊し」の歌詞の意味が近頃の生徒にわかりにくいからとかで、学校の卒業式で、伝統ある歌に代わってアンジェラのこの歌が歌われること多いそうですね。

そういやあ、卒業式といえば、いらんのに無理やり紅白まんじゅうついとったわ。

それで「和菓子の恩(怨)」かと思ったけど、学校とまんじゅう屋が癒着しとるんかと思ったね。

今頃は花屋と癒着しとるんやろか?  

Posted by たみ家 at 15:49Comments(0)

良識かな

2011年06月24日

たみ家は、市長や知事にホールで質問するときは、まったく緊張しません。
店で県外のお客さんに栗林公園道案内するぐらいのカジュアルな出来事です。

優秀な人で、たみ家より格段に優秀だとは思ってますが、しょせん学校出て、役所入って、選挙で担がれて、他人のカネしか使ったことない方々でしょ。

側近たる幹部連もあわせて、そういう人達に市民は教えてあげないといかんのです。

たみ家は、市長や知事を優秀で重要な公職にある人として、尊敬し、高く評価してますが、一方で、講師として世間知らずで自分で狩りしたことない人達に授業してるような気分で話すことも多いですよ。

言ってあげなきゃわからんでしょみたいな。

たぶん、たみ家の言ってることが理性的で、常識だと思います。

そうでない人は、民衆は黙って支配されるアホであって欲しいという勢力から長年洗脳されてませんか?

非理性的でも、数が多い方が常識になるなら、常識と呼ばず、良識と呼ぶべきでしょうか。  

Posted by たみ家 at 09:08Comments(0)

さしあたってやりたいこと

2011年06月24日

四国新聞の「論点香川」書かせてほしい。

たみ家は、論説書くことについて余力があるわ。

どんなスタイルでも書けるし

各方面が喜ぶことを書きながらも、おもねるわけでもなく、役に立ち、面白く、地域全体の活力のためになり、四国新聞様の評価が上がるものを書ける自信はあるのだが。

周りがよく見えた厚みと濃さのレベルの違うものをサラッとした読みごたえで書ける気はしてる。
たみ家が毎日書いてるブログは道歩きながら携帯片手で、前見ながら打ってるレベルですから、ほんとに、力の5%ぐらいしか使ってない感じです。

月1以下のペースで良いなら、当たり前ですが、当ブログで出現したことのないクオリティで書きますよ。

ブログ書くためにきちんと座ったこととか、ここ3年ほどまったく無いんです。

タマには、座って腰据えて、地域の活力を高めようとする気持ちを、広がりあるメディアで表現したいね。  

Posted by たみ家 at 08:31Comments(0)