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Posted by あしたさぬき.JP at

新店長

2009年06月23日

たこ焼き「てつお」に新店長が就任予定

残念ながら

・・・

・・・

たみ家と違ってイケメンであります。

ひえええ。

比較されてしまう。



新店長就任で、大幅に生産体制が変わるため、簡単な改装などもしつつ、ちょっとの間、休業です。

今月中にはじまるかどうかってとこかなあ。

やっぱり、うどんとたこ焼きをメインで両方やり続けるのは、長い目では、どうやっても無理だった。

あれは仮の姿だった。

マジで思い出しても、志ぬかと思ったよというか、いつ詩んでもおかしくなかった。
  

Posted by たみ家 at 21:04Comments(4)

国は国民の残余である

2009年06月23日

国が何か
「無料にする。」
という

国民は喜ぶ
内閣の支持率が上がる

なんじゃそりゃ!?

国民の民間の活動の残余が国の活動で

国民のおぜにさんの残余が政府のおぜにさんでしかない。

だから

「無料」なんてありえんのだ。

そのサービスを利用しない人が、利用する人におぜにさんをプレゼントした。
というか、(場合によっては勝手にわからないうちに)させられただけなのだ。

世の中で、ただで物やおぜにさんを上げるとういうことは、基本的には悪なのだ。

ただ、物事は、基本だけではない。

基本にいろんなものを付加したときに、関係の中で、悪が悪でなく、善になることは大いにある。

殺すということは悪でも、食肉のために家畜を殺したり、害虫を駆除したり、安楽死や死刑が必ずしも悪と考えられないように。

何にしても、「国が無料にする。」ってのはありえない。
国という国民の残余バンクというか残余保険機構みたいなとこに、国民の誰かがわからんようにおぜにさん取られて国民の誰かに流しただけ。

それを良い結果にするかどうかは、国民の行動であり、その行動を十分で良いものとする能力は教育により、良い行動を選ぶ能力も教育にしかよらない。

どこまでも

国は国民の残余でしかないのだ。

国民が自分の生活費を超えて残余を多く生み出せるようにならないと、「無料化」の費用なんか出るわけないのだ。
医療のない高齢者がかわいそうだと思ったら、国も責めたらええけど、それ以上に残余を生み出せない自分を責めろ!
あなたがわたしが、残余をつくって、無料でかわいそうな高齢者に医療サービスをプレゼントしてみろ!ってことなる。
大企業とか政治家とかにも言ったらいいけど、他者だけ責めるなよ!

残余に上からの期待をしたって、大したことにはならんよ。

政府(国)は国民よりも格下なんだって。

しょうもない公務員バッシングのときだけ格下扱いしてもなあ。

裏づけのある真の意味で、政府を格下にしてしまおうよ。
  

Posted by たみ家 at 08:33Comments(0)

「消費」は解決にならない

2009年06月23日

消費によって、短期には、景気は回復するだろう。

しかし、マンションも建て続けるわけにはいかないし

支払い能力の怪しい人に貸し続けて消費させても、サブプライムローン問題のようなことになる。

能力向上の伴わない「消費」は、長期で見ると消耗と疲弊しか生まない。

人口が増え続けている中で永遠に焼畑農業で生きるようなものであり、借金をし続けながらの自転車操業でもある。

社会保障費の削減の取りやめも、高速道路無料化も、それ自体は焼畑農業&多重債務者へのまっしぐらの贅沢になる可能性をはらんでいる。

高速道路利用しない人のおぜにさんが利用する人のおぜにさんとして流れるだけ。
学校教育や研究開発の財源が、高齢化医療費などに流れるだけ。
それ自体は、その後の能力的な裏づけがないと「消耗」につながる。

可耕地を増やすとか、同じ耕地内での付加価値を高めるとか、気象変動のリスクを軽減する方法を見出すとか、借りても払えるだけ給料を稼げる力をつけるとか、能力の裏づけでしか、問題は解決できない。

消費「すること」が解決でなく

消費できる「能力」を生み出し維持し続けることが解決なのだ。

ただ、常に「能力」には落とす重力のような力がかかり続けるから、維持ではだめで、向上し続ける必要があって、普段ぐんぐん向上し続けててはじめて、リスク発現時などとの平均でやっと維持になるのだ。

その能力は、95%以上はお勉強で生まれる、そしてお勉強の力は囲碁で極端に向上させられる。

お勉強以外のことで、この国の問題を解決できることは一切ない。
一切ない。絶対的にありえない。

たみ家はその可能性がありそうに思えたものを見たことがないし、今、ここで聞いたら、何か答えが返ってくるだろうか?

もしお勉強でも解決できないのなら、どんな方法も一切ないということ。
それ以外に一切可能性がないのだから、ひたすらそこに打ち込むのみ。

囲碁の早期必修化は、高齢者医療費の維持、学校教育費の維持、子育て支援費の捻出、高速道路無料化費用の捻出などの中・長期的な解決策として非常に優れているのだ。

囲碁をしたからといって、お勉強ができるかどうかは限らない。
しかし、体育競技でいうところのスポーツテスト1級の肉体と広い関節の可動域が手に入るのはそうだろう。

囲碁は、飢えなど貧困や不安に苦しむ人の問題を短期には無理だが、短期の策を施しながらも、並行して、中長期の解決をもたらす策として、極めて重要なのだ。
だから、囲碁をしようという話は、貧困に苦しむ人への思いやりであり暖かさなのだ。

たみ家は自分の好きなことを大事だと言ってるのではない。

好きであろうと嫌いであろうと、重要で人の幸せにつながったり人の不幸を減らす可能性があると思うことに近づいていって、その意味を確かめて、重要と認めたものについて、期待できる効果と理由やそれを言わんとする背景について言うだけなのだ。

もともと好きなものも嫌いなものもない。

重要だと認めたものを好きになっていくことが多いだけ。
  

Posted by たみ家 at 08:11Comments(0)