この広告、メッセージは90日以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事でこのメッセージが消せます。
  

Posted by あしたさぬき.JP at

議論とは? 2

2008年08月02日

ここんとこ、実益と関わりのない議論ってしないなあと思ってましたが、昔は、けっこうどうでもいいこと言ってました。

10代のときに「王さんとバースはどっちがすごいのか?」とか

「王さんはメジャーリーグで通用したか?」とか

証明不能 実益なし 日常性なし

あと

「男女間に友情は成り立つか?」
とか

たみ家は興味ないけど

これはたいていの人が一度は巻き込まれてるんではないでしょうか?

実益も日常性もないわけでないけど、認識の一致がありそうにない。

これって、誰か1人とでも成り立てばいいのか?
一般的に成り立つという話だったのか?

一緒に棲む間柄でも、これは友情だというなら、成り立つ説の有力度が大幅にアップするかも。


何で、この話題って、あんなに昔の人は好んでしたんでしょうか?

いや、4、5時間はこたつを囲んでやってた人もいたなあ。

今の中高生もこの話するんでしょうか?


20代の初め頃までは、世の中に向かって提案して、具体的に何かを達成できると思ってなかった。
20代中盤か30歳ぐらいからは、それはできて当たり前と思うようになった。

文書や面談によらずに、HPやメールなどで意見を送れたり、少々わからないことに出くわしてもネット検索や掲示板などで、たいていのことはそれらしく調べられる世の中になったのもあると思う。

そのあたりから、議論は、実益との関連が高いものになったし、勉強への情熱も爆発的に伸びたような気がする。
  

Posted by たみ家 at 23:43Comments(0)

議論とは? 1

2008年08月02日

これも 1としましたが、 気が向いたときだけ 2以降にしよう。

たみ家の経験上、自分が発する議論というのは

①こうしたら良くなるという 「提案」



②それは危険を伴っているよ という 「警鐘」

という具体的な価値を伴っているものが多いと思う。

それは適切なのか、必要なのか、実現できるのか、今の方法の方が良くないか?
今はじめていいのか? 誰の責任で? どこまで範囲広げるんや? おぜにさん何ぼいるんや?
副作用はないんか?そっちの方が危なくないか?
などなどなど

それを論じるのだと思う。

たいてい、誰かの利益や、誰かの不幸について、何とかしようとするものだから、具体的な益があり、それがうまくいかないときの惨状が目に浮かぶから、適当な落としどころはあるにしても、「1発2発の応酬では引き下がらんよ。」
という気持ちが湧くための心理的エネルギーが継続的に補給されることが多い。

また、具体的な利益がないときでも、具体的な利益がからむ場合にどう考えるかについて意見を交えるわけです。

議論が人を幸せにするためや、人の不幸を防ぐため以外に始まるなんて、本来ありえるのか?
  

Posted by たみ家 at 07:30Comments(0)