議論とは? 2

2008年08月02日

ここんとこ、実益と関わりのない議論ってしないなあと思ってましたが、昔は、けっこうどうでもいいこと言ってました。

10代のときに「王さんとバースはどっちがすごいのか?」とか

「王さんはメジャーリーグで通用したか?」とか

証明不能 実益なし 日常性なし

あと

「男女間に友情は成り立つか?」
とか

たみ家は興味ないけど

これはたいていの人が一度は巻き込まれてるんではないでしょうか?

実益も日常性もないわけでないけど、認識の一致がありそうにない。

これって、誰か1人とでも成り立てばいいのか?
一般的に成り立つという話だったのか?

一緒に棲む間柄でも、これは友情だというなら、成り立つ説の有力度が大幅にアップするかも。


何で、この話題って、あんなに昔の人は好んでしたんでしょうか?

いや、4、5時間はこたつを囲んでやってた人もいたなあ。

今の中高生もこの話するんでしょうか?


20代の初め頃までは、世の中に向かって提案して、具体的に何かを達成できると思ってなかった。
20代中盤か30歳ぐらいからは、それはできて当たり前と思うようになった。

文書や面談によらずに、HPやメールなどで意見を送れたり、少々わからないことに出くわしてもネット検索や掲示板などで、たいていのことはそれらしく調べられる世の中になったのもあると思う。

そのあたりから、議論は、実益との関連が高いものになったし、勉強への情熱も爆発的に伸びたような気がする。



 
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