はしりは「ひょうきん族」だな
2011年10月30日
こっち側の人間が、あっち側の人間を笑い者にする構図の台頭は、ひょうきん族がはしりだな。
爆発的開花がとんねるず
工業社会の、労働者が同じ立場から権力や金持ちを笑うとかが、日本では1970年代まではあった。
成増や石神井のようなさほどメジャーでない東京の地名や、楽屋ネタの増大。
東京と、芸能人やマスメディア人が上にあって、東京以外の地方や、一般人はそれに憧れるものという図式がとんねるずで爆発的に開花した。
工業社会の笑いから、よくも悪くも情報化社会の攻撃的な笑いが主流となった。
発端はタモリと言われるが、ひょうきん族の中での多くのやりとりで卓球は暗いと断じられ、あらゆる志向、嗜好をネアカ、ネクラで線を引いて断罪されることが 1980年頃、バブルの萌芽とともに笑いの中で日常でテレビで芽吹き花開いた。
楽屋ネタの台頭するはしりはひょうきん族で、情報化を前提にしなければ、成り立たないことだった。
たみ家は、10歳でお笑い番組と決別した。
ちょうどアンネの日記で号泣して悩み抜いた時期だったから、そう感じたのかもしれない。
たみ家の、社会研究の土台には、かなりアンネの日記を繰り返さないという決意が含まれている。
その上で悪平等にも過激なスパルタにも流されず、強く、豊かで、人間的な社会を目指す方法論を問うことかな。
爆発的開花がとんねるず
工業社会の、労働者が同じ立場から権力や金持ちを笑うとかが、日本では1970年代まではあった。
成増や石神井のようなさほどメジャーでない東京の地名や、楽屋ネタの増大。
東京と、芸能人やマスメディア人が上にあって、東京以外の地方や、一般人はそれに憧れるものという図式がとんねるずで爆発的に開花した。
工業社会の笑いから、よくも悪くも情報化社会の攻撃的な笑いが主流となった。
発端はタモリと言われるが、ひょうきん族の中での多くのやりとりで卓球は暗いと断じられ、あらゆる志向、嗜好をネアカ、ネクラで線を引いて断罪されることが 1980年頃、バブルの萌芽とともに笑いの中で日常でテレビで芽吹き花開いた。
楽屋ネタの台頭するはしりはひょうきん族で、情報化を前提にしなければ、成り立たないことだった。
たみ家は、10歳でお笑い番組と決別した。
ちょうどアンネの日記で号泣して悩み抜いた時期だったから、そう感じたのかもしれない。
たみ家の、社会研究の土台には、かなりアンネの日記を繰り返さないという決意が含まれている。
その上で悪平等にも過激なスパルタにも流されず、強く、豊かで、人間的な社会を目指す方法論を問うことかな。
Posted by たみ家 at
20:24
│Comments(2)
今、怖がられたか?
2011年10月30日
小指を怪我して
包帯ぐるぐるまきにして、小指だけ通さずにゴム手袋してスーパー銭湯にいると
事故で手が変形した人か、小指の無い人に見えそうだ。
なんかいつになく、たみ家が通るときに、周囲が迅速に距離を開けてくれてるような気がする。
風呂屋の張り紙に
洗い上がり
はう~ん
(´∇`)
すべすべ
って書いてある
「はう~ん」
って斬新な気持ちいい感嘆詞だなあと一瞬思ったが、「洗い上がりは、う~ん(´∇`)すべすべ」
だったのね。
ネタが溜まりすぎて何十万字でも書けそうな勢いで、逆に時間がとれず一番下らないことを書いてしまった。
下らないついでだけど
ダジャレや下ネタは、石橋やダウンタウンやロンブーや島田の笑いのように、直接的な差別や侮辱じゃないから気楽で安心感があるんだよね。
おもしろくないと言われたらそれまでだけど、最近は、差別的な人が強いし、人気あるなあと思う。
差別的なリーダーは弱者に優しいのよ。
案外
ダメなヤツには永遠にできないと思ってるから、面と向かっては、求めない。
差別的でない人は、やれる方法を一緒に探そうとする。
だから、差別的な人は優しくねぎらって、差別的でない人は叱咤激励するってコントラストは、日常で、テレビで、会社で、恋愛で、歴史で、よく表れる。
このことは、社会研究では、かなり超重要キモだ。
キモいじゃなくて肝ですよ。
ここが民主主義の病理の根本だからです。
民主主義は万人が対等に理性的、合理的に思考し、決定し、平等の能力と平等の機会を前提にしてますからね。
頼りがいのある親分って、理性的、合理的に思考する人には、不要だし、世の中のガンなんだよね。
制度の前提と実際の人間に違いがあり過ぎるんだよね。
笑いの好き嫌いやコミュニケーションでの好悪にも往々にして表れるよね。
常じゃないけど、傾向はかなり感じる。
包帯ぐるぐるまきにして、小指だけ通さずにゴム手袋してスーパー銭湯にいると
事故で手が変形した人か、小指の無い人に見えそうだ。
なんかいつになく、たみ家が通るときに、周囲が迅速に距離を開けてくれてるような気がする。
風呂屋の張り紙に
洗い上がり
はう~ん
(´∇`)
すべすべ
って書いてある
「はう~ん」
って斬新な気持ちいい感嘆詞だなあと一瞬思ったが、「洗い上がりは、う~ん(´∇`)すべすべ」
だったのね。
ネタが溜まりすぎて何十万字でも書けそうな勢いで、逆に時間がとれず一番下らないことを書いてしまった。
下らないついでだけど
ダジャレや下ネタは、石橋やダウンタウンやロンブーや島田の笑いのように、直接的な差別や侮辱じゃないから気楽で安心感があるんだよね。
おもしろくないと言われたらそれまでだけど、最近は、差別的な人が強いし、人気あるなあと思う。
差別的なリーダーは弱者に優しいのよ。
案外
ダメなヤツには永遠にできないと思ってるから、面と向かっては、求めない。
差別的でない人は、やれる方法を一緒に探そうとする。
だから、差別的な人は優しくねぎらって、差別的でない人は叱咤激励するってコントラストは、日常で、テレビで、会社で、恋愛で、歴史で、よく表れる。
このことは、社会研究では、かなり超重要キモだ。
キモいじゃなくて肝ですよ。
ここが民主主義の病理の根本だからです。
民主主義は万人が対等に理性的、合理的に思考し、決定し、平等の能力と平等の機会を前提にしてますからね。
頼りがいのある親分って、理性的、合理的に思考する人には、不要だし、世の中のガンなんだよね。
制度の前提と実際の人間に違いがあり過ぎるんだよね。
笑いの好き嫌いやコミュニケーションでの好悪にも往々にして表れるよね。
常じゃないけど、傾向はかなり感じる。
Posted by たみ家 at
19:46
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