飛ぶ鳥を射るには
2010年06月13日
今、鳥がいる位置を狙っても当たらない。
物事はたいてい動いているので、何かをしようとすると、今の状況に働きかけてもうまくいかないことが多い。
大きなことなら、対策の準備が整って実行するころには鳥が動いているから。
野球でバット振るときも、振ったときにあるボールの位置を狙う人はいない。
だから変化する量、速度、方向などを測ったり知っておかないといけない。
よくいう情報収集の大切さとは、鳥の動きと、鳥の大きさ、飛ぶ速さ、方向などのことではないだろうか?
誰でもできるレベルアップとは、執念深く、頻繁に、数えること、測ること、記録することではないだろうか?
たみ家自身が必ずしもそうしてるわけではないけど、これさえやればどんな苦手なことでも普通にはできるし、得意なことでなら抜群になるでしょう。
やらなくても向いてることならできるでしょう。
ただたみ家は、政策論者なので、向いてる人を前提にした話でなく、向いてない人もできるようになる万人に通用する話しかする気がしない。
いわゆるどんくさい人は、現実界で、飛んでる鳥を射るのに、射る瞬間の鳥の位置や、さらにどんくさい場合は、射ようと決めた瞬間の位置を狙ったりする。
これはたみ家も苦手を放置してたり、不注意なときにそれをしていることがけっこうある。
ただ、頻繁に物事を数えているときに、鳥の位置の変化に注意を払わないことはまずない。
鳥は動いてないかもしれないし、突然方向を変えるかもしれない。
ときどき、数え続けたって、物事は急激に変化するから数えたって意味ないと言う人がいるが、数え続けてると急激に変化する兆候が見えやすいというのがほとんどの場合現実だろう。
多くの場合は
能力 × 習慣 が物事を決して
能力だけあっても習慣が悪いとうまくいかないし、習慣が良くても高度な技能を要することについてそれがなければどうにもならないことも多い。
能力が8で習慣が4なら32のパフォーマンス
能力が7で習慣が9なら63のパフォーマンス
和算の12対16より、積算の32対63の方が現実に近いと思う。
どっちかがゼロなら片方がすばらしくてもゼロだろうし。
人づきあいなど性格的なこと、小まめに情報収集するとか苛立たないとかねぎらいの言葉を適切に掛けられるなんてのも、能力か習慣だろうから、能力と習慣以外の要素はそんなに多くはないと思う。
狙いを適切にして、能力を高めて、良い習慣を続けること。
そういうことなんだろうなあ。
これは現在の自分の悩みでもある。
職人としての自分、商人としての自分、小さいとは言え複数の年長者などを雇用して率いたり、目配りし続ける組織マネージャーとしての自分、アマチュアコンサルタントとしての自分、市民活動家としての自分、社会学者としての自分、一方で平凡でストレスの小さな幸せをも求める自分などの間で、能力や習慣が分散したり、狙いを適切にするための時間などが上手く取れなくなっていくのではないかという課題があって、そこに葛藤があるのは間違いない。
そして、その葛藤に関係する式を パフォーマンスをP 能力をX 習慣をY、狙いをaとして
P=XY+a
または
P=aXY
として
仮定で置いたに過ぎない。
またあるPを求める中で、XやYを高めaを追求する過程で割り良く、他のPを高める相乗効果を出すことをたまに考えたりもしているかもしれない。
それ自体は、どれだけ上手くいってるかはともかく、みんながやっていることだろう。
書きぶりが違いますが
ここで書いたことは、ある程度、生き方をマジメに模索している人になら、たいてい当てはまると思います。
誰もに当てはまるなら、ある程度、社会全体で、このような考えや動きについて、ファシリテート(擁護+促進のイメージかなあ)する意義はありそうだ。
実際のところ、選挙などで言う「子育てしやすい社会を」って話だってそうでしょう。
経済人や家庭人や自己実現家などとしての葛藤によって、パフォーマンスが落ちるのを社会全体で防ごうとしたり、応援するわけですよね。
そして、教育や生きがいづくりや産業支援など様々なところに限られたマネーなど資源を効果的に相乗的に投下しようとしてるわけですよねえ。
そして、それは、人口動態など大きなファクターを中心にした、世の中の状況の変化の量や方向を予測しながら行われるわけですよね。
物事はたいてい動いているので、何かをしようとすると、今の状況に働きかけてもうまくいかないことが多い。
大きなことなら、対策の準備が整って実行するころには鳥が動いているから。
野球でバット振るときも、振ったときにあるボールの位置を狙う人はいない。
だから変化する量、速度、方向などを測ったり知っておかないといけない。
よくいう情報収集の大切さとは、鳥の動きと、鳥の大きさ、飛ぶ速さ、方向などのことではないだろうか?
誰でもできるレベルアップとは、執念深く、頻繁に、数えること、測ること、記録することではないだろうか?
たみ家自身が必ずしもそうしてるわけではないけど、これさえやればどんな苦手なことでも普通にはできるし、得意なことでなら抜群になるでしょう。
やらなくても向いてることならできるでしょう。
ただたみ家は、政策論者なので、向いてる人を前提にした話でなく、向いてない人もできるようになる万人に通用する話しかする気がしない。
いわゆるどんくさい人は、現実界で、飛んでる鳥を射るのに、射る瞬間の鳥の位置や、さらにどんくさい場合は、射ようと決めた瞬間の位置を狙ったりする。
これはたみ家も苦手を放置してたり、不注意なときにそれをしていることがけっこうある。
ただ、頻繁に物事を数えているときに、鳥の位置の変化に注意を払わないことはまずない。
鳥は動いてないかもしれないし、突然方向を変えるかもしれない。
ときどき、数え続けたって、物事は急激に変化するから数えたって意味ないと言う人がいるが、数え続けてると急激に変化する兆候が見えやすいというのがほとんどの場合現実だろう。
多くの場合は
能力 × 習慣 が物事を決して
能力だけあっても習慣が悪いとうまくいかないし、習慣が良くても高度な技能を要することについてそれがなければどうにもならないことも多い。
能力が8で習慣が4なら32のパフォーマンス
能力が7で習慣が9なら63のパフォーマンス
和算の12対16より、積算の32対63の方が現実に近いと思う。
どっちかがゼロなら片方がすばらしくてもゼロだろうし。
人づきあいなど性格的なこと、小まめに情報収集するとか苛立たないとかねぎらいの言葉を適切に掛けられるなんてのも、能力か習慣だろうから、能力と習慣以外の要素はそんなに多くはないと思う。
狙いを適切にして、能力を高めて、良い習慣を続けること。
そういうことなんだろうなあ。
これは現在の自分の悩みでもある。
職人としての自分、商人としての自分、小さいとは言え複数の年長者などを雇用して率いたり、目配りし続ける組織マネージャーとしての自分、アマチュアコンサルタントとしての自分、市民活動家としての自分、社会学者としての自分、一方で平凡でストレスの小さな幸せをも求める自分などの間で、能力や習慣が分散したり、狙いを適切にするための時間などが上手く取れなくなっていくのではないかという課題があって、そこに葛藤があるのは間違いない。
そして、その葛藤に関係する式を パフォーマンスをP 能力をX 習慣をY、狙いをaとして
P=XY+a
または
P=aXY
として
仮定で置いたに過ぎない。
またあるPを求める中で、XやYを高めaを追求する過程で割り良く、他のPを高める相乗効果を出すことをたまに考えたりもしているかもしれない。
それ自体は、どれだけ上手くいってるかはともかく、みんながやっていることだろう。
書きぶりが違いますが
ここで書いたことは、ある程度、生き方をマジメに模索している人になら、たいてい当てはまると思います。
誰もに当てはまるなら、ある程度、社会全体で、このような考えや動きについて、ファシリテート(擁護+促進のイメージかなあ)する意義はありそうだ。
実際のところ、選挙などで言う「子育てしやすい社会を」って話だってそうでしょう。
経済人や家庭人や自己実現家などとしての葛藤によって、パフォーマンスが落ちるのを社会全体で防ごうとしたり、応援するわけですよね。
そして、教育や生きがいづくりや産業支援など様々なところに限られたマネーなど資源を効果的に相乗的に投下しようとしてるわけですよねえ。
そして、それは、人口動態など大きなファクターを中心にした、世の中の状況の変化の量や方向を予測しながら行われるわけですよね。
Posted by たみ家 at
09:09
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