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Posted by あしたさぬき.JP at

続き

2009年01月06日

こないだ、コタツなんて、長いこと使ってなかったのに
使うと離れがたいと書いた。

よく別れ話のときに、刺したとか事件になってる。

べつに。。。
カノジョ、カレシがいなかったときだって、人生はそれなりに楽しかったでしょ。
そのときの状態に戻るだけなのに。

なんで、すべてを失って、自分の価値がなくなって、人生終わったような気持ちの中で混乱したりする人がいるんでしょう。


うちは、マンション貸してますが、募集のときに、人が来ると、ほとんどの人が窓からの風景を見て決める。
風景なんて、別にどうだっていいんですけどね。

それに、高松祭りの花火が見えるってことにこだわる人も多い。
たった1日、それがどうしてん?
と言いたいけど、そう思ってる自分も気になったし、ほんと思いのほか気にする人が多い。


コタツでも、恋人でも、風景でも、吉牛でも、脳内をイメージが占拠してしまって、かつ、肉体的感覚として残るものには、お算数が通用しないことがままある。
  

Posted by たみ家 at 22:05Comments(2)

経済における苦痛と恐怖のポジティブな意味づけ

2009年01月06日

誰にブサイクと思われても、まったく嫌でない人がいたら、美容とかにおぜにさん使うやろうか?

匂いが自分でも嫌でなく、他人にどう思われても何とも思わなかったら、消臭剤とか買うだろうか?

従業員に給料不払いしても、店の運営に支障もなく、誰からも非難されず、公権力からしょっぴかれることもなかったら

こどもが勉強できなくても何とも思わず、親の介護などどうだってよく、自分の健康もどうでもよかったら、みなさんどこでおぜにさんを使うでしょう。

任天堂のゲームを買う場合だって、したいって正の気持ちだけでなく、流行遅れだと思われるのが嫌とか、みんなが持ってるものを持ってないと辛いとか、やりたくてしょうがなくてできないことのガマンが辛いというように、何か苦痛や恐れがなかったら、いろんな選択肢の中で、おぜにさんを出すに踏み切るってなかなかない。

婚約者にはある程度以上の指輪をあげないと

披露宴は華やかにやらないと

などみっともないという恐れがつきまとうものには人はおぜにさんをかなり出す。



たみ家はある経営学博士に
年末年始に

「いや人は、もっとポジティブな動機で、消費をする。恐れや苦痛のようなものにおぜにさんを出すわけでない。」
と反論されたが

「じゃあ、今まで3日間におぜにさん使ったものと、これから3日間おぜにさん使うもの全部、恐怖と苦痛があったかどうか確認してみ!」
と言ってみた。

1週間、おぜにさんを使ったことの99%ぐらいは、それにおぜにさんを使わない場合に、苦痛か恐怖があったはず。

散髪だってやらないと不快でしょ。
入浴だって、しなきゃ衛生的にも社交的にも困るでしょ。

たばこや酒みたいなものは止めると辛いから止められないんでしょ。
フィットネスクラブも醜くなったり不健康になるのが辛いから行くってあるでしょ。楽しいから行くってのもあるけど、ネガの方に行動への瞬発力があって、やらないことに苦痛や恐怖がなかったら、忙しくなったら行きませんって。
もし、そんなときでも何にも増して優先順位が高いほど行くほど楽しいなら、好き過ぎて行かないことが苦痛になってるのでは?

楽しくて好きだけど、止めてもそれほど辛くないってレベルの楽しさなら、そのおぜにさんの使い方は他のことにとって代わられるかもしれないし、全消費の中ではそれほどの率は占めないでしょう。

試しにほんとうに一々カウントしてみて下さい。

ブログのネタのためにうどん巡りをすることにも、しないことへの恐怖か苦痛があるはずです。
例えは、ランキングを気にする人なら、どっか行って書かないと、落ちちゃうじゃん。
とか

うどん巡りをしている同士で、社交の場があるんだから、たまには行って共通の趣味のことを発信しとかないとまずいっしょ。
とか

まあ、全部に恐怖や苦痛があるかとか、それが何パーセントかという議論はまあ置いときましょう。

ただ、恐怖や苦痛ってのは、ものすごく行動への瞬発力やおぜにさんを使うことへの心理的ハードルを下げる力があるわけです。

お洒落にガンガンおぜにさんを使う人は、消費中毒でガマンが辛いか、お洒落でない自分が許せないか、他人の目への恐怖なんかがあるんだと思いますが、どうでしょう?
容貌にすごく自信があって、「みんなわたしを見て!」って感じの人も、ガンガンおぜにさんを使うのは、それをしないとアイデンティティーの問題として、落ち着かないからではないでしょうか?



じゃあ、そういう恐怖と苦痛をつくる最も手っ取り早い方法は何ですか?

見栄、嫉妬、義務、セックスなんてのは重要なキーでしょうね。

クリスマスイブというものが戦後どういう風に消費されていったかを考えたらいいかも。

出生、セックス、結婚、葬儀など

生の人間の身体性にからむ、人間が関係するに当たって究極ともいえることの中に高額消費ってありますよね。

人間と人間が関係すれば、義務や嫉妬や見栄が生じる。

それらの関係の中でも、生まれたり、死ぬこと、セックスや結婚というものはとくに、重要な関係ととらえる人が多い。


また、雑誌の最後の方の広告といえば、豊胸、高身長、痩身、長大などへの憧れと、そうでないことへの他人の評価についての恐怖をあおりまくったりしている。

病気になるぞとか、死ぬぞといって、高額の壷を売ったり、手術をすすめたりも、恐怖がおぜにさんになることのいい例か。
振り込め詐欺も、息子が事故でヤクザ屋さんに捕まったとか、恐怖させて、判断力失わせる兼おぜにさんを使うことへのハードルを下げさせる。

やっぱり、おぜにさん動くところに、恐怖と苦痛アリ!
ですね。

外に出れば、嫌でも人の目という恐怖がある。

会社では、背広を着るという決まりごとがあって、破ったら恐ろしいことになる。
でなかったら、誰が夏にあんなもん着るか!

たみ家はそれでも行くけど、閉店直後に買い出しに、粉のついた黒いジャージで、歩いて丸亀町まで行くことには、恐怖があって、仮に興味があって、その格好で、うっかりお洒落なお店でも入ろうものなら、その空間から、たみ家はたちまち異物として浮かびあがってしまうでしょう。
それ以前に、アーケードの中でもそうなってるかもしれません。

外に出れば、人に会えば、どんな形でも、必ず何らかの恐怖や責任ができて、それは必ず消費につながるわけです。

人前に出さずに家だけで使うものなら、ダイソーですませても、他人様との関係の中にあるものでは、そういう物が使えないことが多い。
さすがに、100円のネクタイはできんぞ。
機能はそう変わらんのにね。

イベントや交流ってのも、恐怖と苦痛って、キーから考えるとなかなかおもしろいものがあると思う。
会いさえすれば、やっぱ1人頭、2、3千円以上食事に使うことも増えるし、幹事的な人は盛り上がらないと、がっかりするまたは評価を下げることもあるので、ある程度値段のバランスを考えながらもいいとこでやりたいと思うし。

家で1人ならどうか?
絶対に家で1人で2千円以上の食事する人はマレでしょう。

何でもかんでも「恐怖」と「苦痛」って、いうと、何か殺伐とした感じもしますが

たみ家は、絶対的に実践理論を究めたいと思ってるので、あえて無機質にとらえた書き方をしてます。

披露宴に、3万か5万出すのが相場のとこで、オレは1万でええよとか思って実行したら
一生言われると思う。
相場に従うのはある意味、生きるうえでの、責任であり義務であり、それに従わないことには恐怖が付きまとうことが多いっすよね。

不況でも、防災、防犯、美容、健康、教育、環境などにはおぜにさんを使うって言いますが、みんな損なわれると本格的な恐怖を伴う辛いもんばっかでしょ。

苦痛や恐怖を伴わない楽しさに対しては、財布の紐を締めるのはたやすいが、苦痛と恐怖のあるものについて締めるのは後になる。
  

Posted by たみ家 at 21:24Comments(2)