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Posted by あしたさぬき.JP at

ハゲ神社

2011年01月14日

るいままさんの「三茄子の〜」がヒント

毛がない=怪我ない
縁起がいいそうだ。

スポーツ選手が大会の度にお参りに行くハゲ神社を4町パティオにつくろうぜ!

ツルツルの庵治石の頭の御神体をなでこなでこして、祝勝祈願で近所でおメシして商店街のテナントにおぜにさんが。

プロスポーツ協議会の店やスポーツ関係の店も近くにいくつかあるしね。

スポーツする人は剃毛しないと怪我するって言われだしたら、ジレットの株が上がるなあとかウォーレン・バフェットが言い出しそうな。

まあひどい擦過傷のとこに体毛があったら砂や毛が傷に複雑に入り込むから、自転車競技などでは剃毛奨められてるけど。
カミソリやクリームの需要が増えますなあ。

男性ホルモンが多い人がもてはやされますなあ。
上が少ない人はそれ以外が多いとかいう突っ込みは、ハゲ神社や4町パティオをブランド化したり、消費を振興しようとする目的あるコミュニケーションからは意味ないことだと思います。

まあ呼称は「ハゲ神社」でなくても、このつるつるの御神体を触ったら、試合で怪我しないとか、持病の怪我が治りやすくなるという話になるといいね。

親しまれた田町交番だけど撤去して神社にしませんか?
交番は無人やし、電話しかないやん。
神社が「警察官立ち寄り所」の機能を残すか民地にして、従来の機能や「通称田町交番」を残すことにしたら、行財政改革の一環にもなるかな?
今の田町交番は、機能は残してもいいと思うけど、派出所の公有地として残す意味ないような気がするなあ。

交番だから、民間で活用できんけど、今の様子ならハゲ御神体を置いて、その他スペースを商店街の案内などに活用して、ブラス瓦町交番か県警本部につながる非常用直通電話置いといて、従来どおり瓦町交番の巡回コースにすればよいのでは?
中野天満宮や栗林公園前もなくなったから、田町もなくなる話にもうなってる?

まあ、とりあえずネタ入り口として投げ掛けてみた。

地方議員に立候補する人は多少見習ってほしいと思っている。

しょうもない話だけど、誰かの何かを具体的によくしようとする目的あるコミュニケーションを、くだらない雑談の中にも織り込んでいること。

過去や現在の説明や追認や、具体的な人や場所に結び付きようがない「改革」とか「どげんかせんといかん」みたいな言葉の連呼じゃあ困るんだ。

高尚かどうかでなく、「試合前パイ○ンもののAV見たら縁起がいいですなあ。」みたいなゲスな内容でも、誰かの何かを良くする意図の入ったコミュニケーションをしてもらいたい。

たまたま、田町交番の状況や行財政改革の類似事例について無知だが、いっぺん書いて認識の踏み台つくって、他を調べる動機や関係することへの注意力を高めたり、関心ある人を引き寄せるための旗を立てることが大事だ。

下ネタまじりのバカ話提案のランパブならぬ乱発は必ず正統な政策論の地力・馬力を生む。

地方議員も行政職員も、息吸って吐くように、ダジャレや下ネタいう気軽さで、忌憚少なめで「何かを良くするための言葉」を発してほしい。


あっ!宗谷!そうや!
ハゲだけに
僧や!
世の中には、これほど薄毛で悩む人が多いんだから「ふさふさ神社」もつくろうぜ!
これほど関係産業が発達するほど悩む人が多いのになんで「毛生え祈願」の神社が香川に無いんだ?

庵治石でブドウの彫刻とかどうや!

粒が多くて多産な感じで「少子化対策神社」「子宝祈願神社」もちろん「五穀豊穣神社」も兼ねるが、「ハゲ御神体」のそばにあればいやでも「房房(ふさふさ)」の語呂がクローズアップされるに違いない。  

Posted by たみ家 at 18:36Comments(2)

おぜにさんが好き

2011年01月14日

たみ家も含めて、おぜにさんが必要で欲しいのに、おぜにさんを嫌ったりバカにする人いるじゃない。

それって、女をバカにしたり、愛してないし、女のために努力するつもりないのにやることだけやりたいって人に似てない?

そりゃすごい条件のいい人や美人なら、嫌っても寄ってくるかもしれないけど、普通、相手を好きで愛をもって接し、そのために努力しててこそ寄って来ますよね。

やっぱりおぜにさん好きな人におぜにさんは寄ってるように見えます。

当たり前ですよね。
スポーツだって好きで努力してる方が結果出るよ。

たみ家も含めておぜにさんが好きでないのに欲しいという人!
病気を治そう!

イベントしたらより骨身にしみた。

患者会をつくろう!

おぜにさんをカッコつけてバカにする病気は自分も軽くかかっとるけど許せんのじゃあ!

人を憎まず病を憎め!  

Posted by たみ家 at 09:30Comments(2)

朝起き抜けや風呂場でよく考えることの入り口

2011年01月14日

過去と現在の個人的なことは感情の問題で話が済む。

現在と未来の多数人の問題は理屈で話しをする必要がある。

理屈ってのは、共通の言語ってこと。

共通だけど、言語は学ばなければ持てない。

感情は学ぶ前にあるが。

違いに歩み寄るには、すべての人がもともとの学ぶ前の自分と違う、ありのままでない自分の姿にならなければ、人と人は共通の舞台で話ができない。

しかし、共通の言語をつくるときには、過去の感情をデータとして理解したり織り込んでつくらないと、困難にぶつかりやすいまたは困難にぶつかったときにもろい。


感情が個々の性質。
これは多様でもある。

理屈は、全体の目的と手段。

全体の目的と手段は個々の性質を知らずに考えられないよね。


政治とは目的と手段を統合して、公倍を目指しながら公約数的に感情を満足させることに近いか。

おぜにさんは、差別的だけど、平等に神のように人の上に君臨する。
そして、その流れは、舞台設計の差異を拒絶しながら、舞台内の分布においては差異を好む。

また、共通でありながら、それで満たすものはおおむね多様な感情である。

法令集って、税金に関することが一番多い。

公平であろうとするときに理屈がいる。

税関系の法令って

おぜにさんむしるという感情的に最もムカつく部類のことをやるからこそ、公平でないとまずい。
さらに高度な福祉国家では、いろんな方法でおぜにさんをむしってどっかに回さないと運営ができないのに、そのすべてに公平を説明するための理屈を要求される。

だから、ずば抜けて、税金関係の法令は数が多い。

世の中、公平とか共通とか未来への備えってことがどうでもよければ、文章とか書物って、むちゃくちゃ減るだろうなあ。

冬が寒い国に先進国が多いのは、嫌でも未来を考え、嫌でも不足する食糧の分配について公平を考えざるを得なかったからではないだろうかとなんとなく思う。
だから理屈が発達して、共通の言語によって、組織がつくられやすかった。

南の島との違いはそこだと思う。
未来や公平よりも、歌って、食べて、恋をするで事足りたところが、理屈の発達した冬の国に支配された。


「正義」って言葉を使うときは、必ず正義でないものを理由つけて斬ろうとする魂胆がある。
不幸や問題がなければ斬る相手がいない。

冬のある国には、必ず不幸があるから、必ず誰か斬る相手をつくれる。

正義の名の下に、法令、軍、官僚組織、徴税機構、教育、科学が発達した。


政策って、こういう問答を延々やってないと、絶対にうまくいかない。

パイからむしることでなく、パイの中で不幸を出さずに大きくするには、この手の問答が絶対にいる。

とくに、これからは、女性がこういう話を好んでしてないと、高齢化が進む社会の経営や世論形成はうまくいかないだろうなあ。

しかし、それはそれで新しい問題が出るでしょう。

矛盾する。

矛盾するのは当たり前。

人の営みは死ぬまで延々矛盾と折り合いをつけることだから。
  

Posted by たみ家 at 08:34Comments(0)