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Posted by あしたさぬき.JP at

寄付行為の脱法行為か?

2008年09月26日

コメントをいただいて、気になってたことを思い出しました。
ちょうど大阪の話ですやん。
お返事は、外出があるので(といっても今日はnyanyaですが。)、後で。
鉄男プロジェクトのステージの変わり目で、いっぺん大阪にはおうかがいしたいと思ってます。


橋下知事が、爆笑問題に頼んで、ふるさと納税を1000万ほどさせたそうです。
テレビは見てないし、新聞でだけ見て、もてはやされたのかどうかよくわからなかった。

ええことなんかもしれんけど、物事には何でも正負の面がある。

直感、たみ家は、いやな感じがした。

爆笑問題の人が自発的にするなら問題はなかったし、ただちに法的に問題があるというようなことでもない。


公職選挙法では、知事は、寄付はできません。
在職中におぜにさんで集票するようなことはいかんのです。

今回のふるさと納税は
法に直接は抵触はせんでしょうが、寄付行為の脱法行為で、法の趣旨に抵触する可能性はややありそうな。

民主主義でも法治主義でもなく
人治主義、タレント支配、縁故支配、金権支配の匂いはします。


それでダメと断ずる必要はないんです。
ただ、多くの人に匂いぐらい感じてもらいたいんです。

法や歴史を学ぶことの大切さはこういうとこにあると思う。
公職選挙法の禁止事項とその理由、それが機能しなくなれば、どうなるか、過去どういう社会でどうなったか。

知事が頼んで、もらった1000万円、有効に使えるおぜにさんが増えることはいいことかもしれない。
でもそれなら、知事が直接寄付してもいいことにならんかね。
カネで票を買ったり、金権支配を助長するよなあ。

現段階ではよくわからないが、やや嫌な匂いを発する件でもある。

どうですか?
「いいことにケチをつけるなあ。」とか思いませんか?

ほんとうの常識では
「いいことにこそ負の面はくっつく」のであって
いいことでこそ、負の面のケアが大事になるのだ。

ナチスは、アウトバーンやらフォルクスワーゲンなどでも聞くけど、いいことしたから伸びたんです。
いいことする人が悪いことできるのが常なんです。
ナチスがもともと全面的に無能なら、政権なんか取りようがなかった。

日本国憲法にもちゃんとそういう旨のことが書いてあります。

親も学校も児童にとっていいことをする存在です。
だから、悪影響も与えられるんです。
警察や軍も命張って民を守るいいことする存在だから、強い力もあるし、危ないんです。
そこへの目付けを怠ったら、どうなるか、アジアはとにかく昔から軍政が多い。
そういう風につながりやすい宗教や文化が多い。

「いいことにこそケアしたりケチつける必要がある。」
これがほんとうの常識ではないでしょうか。
  

Posted by たみ家 at 22:03Comments(3)

多くのことを思うこの頃

2008年09月26日

なぜ団長日記にいろいろ注文をつけたくなるかについて
sonさんからのコメントからいい説明の言葉をいただいたのですが

「団長は、自分の発言の影響を過小評価してる。」ってのが的を射ていると思った。

ご自分の「団長日記」を卑下して、「50人ぐらい読んでるだろう。」と書いてましたが、
たぶん、「あしたさぬき」の一番をはるかに上回って少なくとも1000人の桁にはいってるだろうと思うし、

大学で、まだ、社会を踏んでない人間を多く育てなければならない立場にあるし、

新聞にまで書くのに、ブログと同じ内容で寄稿するのがどうかと思った。

「ガソリンの暫定税率を廃止してガソリンの価格を下げる努力をしなかったのは、政治家や官僚が民の豊かさや生活を守ることを優先しなかったから」と言い切ったわけです。

たみ家は、しがらみはないけど、ガソリンの値下げには反対的でした。
もちろん、仕入れ業者のコスト増は仕入れ値増につながる可能性があるから、端的には値下げした方がお得だった。
何のしがらみもなく、個人の損得でも暫定税率廃止はプラスだが、国民の豊かさのために廃止は疑問だとそう自信はないままではあるが思った。
地方の多くの知事は、廃止に反対したが、彼らはたいていマジメに民のためのことを思っている。
たまに自分の立場が危うい場ではそうでもないし、一たび事件にでもなればそういう面が目立つが、普通の場面では、マジメに民のことを思っている人が多いと思う。

団長は、多くの知事よりも税金や民の豊かさや経済学について、ほんとにわかるのか?

税金で優先的に処理する問題が何で、どれぐらい足りなくて、それがうまくいかなくなるとどうなって、今、現実にどういう人がどういう税をどうれぐらい払っているのかぐらいは概括的にわかっているのかすら疑問だ。

そういう段階で書けるのは、個人のブログまでにしとってほしい。




「学習障害」という言葉を聞きました。
初めて聞くわけでもなんでもありませんが、最近、思うところがあって気になる言葉でした。




会社はやっぱりつくるようだ。

って、自分のやる事業で、自分が社長になるのに、なんてええ加減なんや。
はっきり人に説明できるようにわかったわけではないが、車は会社名義でも個人名義でもあまり変わりはなさそうに現段階では聞いている。

こないだ、「あしたさぬき」内のどなたかのブログで、ヒマラヤに登るのと小さい山に登るのでは装備も鍛錬も違うように、会社の目標レベルが違えば、すべての手段が変わってくると書いてあったような。

困ったね、目標どうしようか。
たみ家は困った人間だね。
「おぜにさんはそんなに大事でない」とかいいながら、おぜにさんのために週100時間ぐらい働いてるんですよ。
あほでしょ。

「名著『金持ち父さん』」を読め!」と渇が入りそうや。



たみ家は、けっこう自分のことはわかっているつもりにはなっている。
どうやったらいいかもだいたいはわかっていると思う。

しかし、目の前には必ずやらないといけないことがあり、それは自分が得意なスタイルで、やりなれたやり方でやらざるを得ないことが多い。
新しく模索するあるべきやり方でやるほど悠長ではないし、新しいやり方がなじむかどうかも場面しだいではわからない。

そこで、いつでも、やりなれたやり方でまたやってしまう。


例えば、会社をはじめるなら、能力のある人を集めてやりやすいようにしてやらんといかんのに

何でも自分でやりはじめて走りながらやるクセがついていれば、人を納得させるプランをつくらなくなる。

そして、能力の高い人が来たら、負けまいと競う気持ちが働いたり、やり方を変えられることに恐れを感じたりする。
これは多くの場面であることだと思う。

だから、なかなか身体を酷使する状況を変えられないのかも。




さて、社会の活性化とはよくいいますが、誰かも言ってましたが
世襲って、ほんと社会の活性化という面ではよくない。

会社を子に継がそうとする人が多いでしょ。
これも、活性化という面ではよくない。

自動的に子が社長になるような会社に能力のある人は入りたがらんで。
香川みたいな地方の会社の多くが、子が社長を継ぐようになってることが多い。

社会的な存在をあくまで私物の感覚で通そうとする。
これがよくない。

結果、子に社長を継がすことになるのはやむを得ないこともある。
世の中がどうなろうと、生きる目的として絶対に子に継がせたいと思ってる人もいるだろう。
しかし、世襲に疑問や怒りを自然に持つ人がもっと増えて、力を増さないと、活性化という面でいえばよろしくないだろうなあ。
地方に元気がないのは、子に継がせることを当たり前に思ってる社長が多いこととも関係あるかもなあ。
ただ、共産主義がうまくいかなかったように、人が自分の子孫も含めての自己保存欲求を原動力として生きている面を考えれば、世襲への親の執念には活性化について、まったく意味がないともいえんかもなあ。
相矛盾して見えるようないろんな面があるかもなあ。



たみ家は、晩年の清原を取るような球団はうまくいかないと思ってる。
そうなってたかどうか検証はしてないけど。

公正な能力主義の競争をうちの球団はしてないですよと高らかに宣言してるのと同じだから。
  

Posted by たみ家 at 21:08Comments(2)