ヤンキーと児童保護
2009年12月09日
社会の諸政策を論じるに当たって、ここは実際は避けて通れない。
でも、多くの学者は、ここに気づかないのか、気づいてか、避けるので、論がぼんやりする。
人間はもともと、3歳や4歳になれば、働いた。
ただ、産業革命以降の産業戦力として必要だから、義務教育ができ、こども時代が確立されていった。
日本国において、男性は18歳からなのに、16歳から女性は結婚できるのは、国の近代化、国民の産業戦力化として、幼児婚や婚姻を装った事実上の人身売買は避けたいが、産めよ増やせよも必要という落としどころだろう。
しかし、グローバリゼイションや情報化の中で、女性も最低高校までは出てないと、実際、さらに高度化した産業情勢の中で男女平等を実現して、総戦力化するには不都合だろうという思惑で、女性の婚姻年齢も18歳にあわせようという話がある。
人間が「原始的・生理的に人間らしい」というのを歴史的に紐解くと、3、4歳から簡単な手作業でも参加して、身体動かして働いて、13歳ぐらいになれば、結婚して、生殖するというのが、もともとで、現代人の生理もむしろ栄養が良くなって早まることはあっても、遅い方になることはなかろう。
つまり、ヤンキーも淫行も、資本主義社会というマネーシステムを維持するためのマナーやルールに、人間の生理が矛盾を起こして、逸脱したものでしょう。
だから、育ちがよほど悪い子以外は、早くて小学校高学年、だいたい中学あたりから急速にヤンキーは増殖する。
身体が大きくなることと性徴の時期とほぼ一致する。
淫行に被害児童といういい方をします。
今でもいるのか、淫行処罰を憲法違反として、撤廃を要求するような論陣があったような気がする。
幼児が強制的にポルノ商品化されるのと違って、高校生が自発的に行うことが、「未熟で判断ができない人間に強制した」という論法なら、高校生は、ハンバーガーも買えない。
高校生との合意のセックスで、個人が被害を受けているというのはヘンで、社会法益が侵されているといわないと筋が通らないし、社会政策を論じる材料にできない。
未成年者の飲酒と同じで、未成年者が酒やタバコを買いに来て、それを売ったら、買った未成年者は被害者でしょうか?
健全な若者の育成という社会法益への侵害を罰してるのであって、高校生ヤンキーが酒買って、被害者ってピンと来ますか?
幼児相手や高校生相手でも強制的にやるのと違って、高校生が自発的に淫行やるのは、酒を買って飲むヤンキーと法的構成は同じでしょう。
そうすると、処罰するという論法に隙がなくなる。
被害児童という言い方をするから自発的だろうとか、相手に反論を生む機会を与える。
自発的でも未成年は酒飲んだらいかんやろ。
成年者が自分だけで使用しても、覚醒剤はいかんやろ。
個人法益じゃなくて、社会法益だからそういえるわけだ。
じゃあ、特に男なら、生理的に10代女子が好きな人が多かろうという、自然に対して、制限に国家的強制を加える必要があるなら、そのことで、何が害になるかを考えよう。
すると、女性がセックスワーカーとして、若いうちに簡単に、きちんと勉強して就職するよりも稼げたら、産業戦力にならない。
それでは、男女共同参画も進まない。
無知な中高校生などがしたいようにやったら、病気の蔓延や暴力団の資金源などとも結びつきやすい。
でも、それでもそれだけでは、被害児童とはいえない。
しかし、覚醒剤の蔓延を防ぐがごとき社会法益なら、筋が合う。
また、18歳を過ぎても、セックスワーカーでは、若い頃を過ぎたら、何もできなくなるし、変わらず暴力団の資金源などとも結びつきやすい。
長い目で国家の担税力の基礎なども脅かされる。
淫行とヤンキー
医者や教授や社長が次から次へと逮捕されてまでやりたがる。
片や、高度情報社会の産業戦力として、逸脱していく。
でも、どちらも、それをしたい人にとっては憧れだったり、人間らしさだったりする。
まあ、生物的には、15歳は大人として活動するのに問題はないでしょうから、こども扱いして、資本主義の要請から自動的に義務教育や高校教育を課されて、自由恋愛を禁止されたり、部屋に閉じ込められて座って勉強するのは、肉体の悪魔が暴れるやろなあ。
いろんな意味で、高度情報社会の資本主義というか産業社会というのは、人間の生理に合わん、ギャップをいろいろと生んで、そこらで、肉体の悪魔が暴れる人が出てきます。
ヤンキー番組、ヤンキーアイドル、ヤンキー漫画が、これでもかというほど多いのは、ここまで強くなった肉体を縛る資本主義のくびきからの解放への憧れやガス抜きみたいなところもあって、有効といえば有効なのかな。
だけど、エコエコ言う人には、あえて、日本の中心で「ヤンキー番組撲滅」を叫んでほしい。
で、若い娘への憧れは、なんちゃって○○生のDVDぐらいで、ガマンしなさいというのが実態だが、それも、犯行を助長するからけしからんという声も大きい。
生物としての基礎、原始まで遡った歴史から出発しないと、社会の諸現象を適切なというか実態をとらえた言葉で語れなくなり、それが、現代社会の分析をぼやけさせ、未来への処方への動きも鈍らせる。
でも、多くの学者は、ここに気づかないのか、気づいてか、避けるので、論がぼんやりする。
人間はもともと、3歳や4歳になれば、働いた。
ただ、産業革命以降の産業戦力として必要だから、義務教育ができ、こども時代が確立されていった。
日本国において、男性は18歳からなのに、16歳から女性は結婚できるのは、国の近代化、国民の産業戦力化として、幼児婚や婚姻を装った事実上の人身売買は避けたいが、産めよ増やせよも必要という落としどころだろう。
しかし、グローバリゼイションや情報化の中で、女性も最低高校までは出てないと、実際、さらに高度化した産業情勢の中で男女平等を実現して、総戦力化するには不都合だろうという思惑で、女性の婚姻年齢も18歳にあわせようという話がある。
人間が「原始的・生理的に人間らしい」というのを歴史的に紐解くと、3、4歳から簡単な手作業でも参加して、身体動かして働いて、13歳ぐらいになれば、結婚して、生殖するというのが、もともとで、現代人の生理もむしろ栄養が良くなって早まることはあっても、遅い方になることはなかろう。
つまり、ヤンキーも淫行も、資本主義社会というマネーシステムを維持するためのマナーやルールに、人間の生理が矛盾を起こして、逸脱したものでしょう。
だから、育ちがよほど悪い子以外は、早くて小学校高学年、だいたい中学あたりから急速にヤンキーは増殖する。
身体が大きくなることと性徴の時期とほぼ一致する。
淫行に被害児童といういい方をします。
今でもいるのか、淫行処罰を憲法違反として、撤廃を要求するような論陣があったような気がする。
幼児が強制的にポルノ商品化されるのと違って、高校生が自発的に行うことが、「未熟で判断ができない人間に強制した」という論法なら、高校生は、ハンバーガーも買えない。
高校生との合意のセックスで、個人が被害を受けているというのはヘンで、社会法益が侵されているといわないと筋が通らないし、社会政策を論じる材料にできない。
未成年者の飲酒と同じで、未成年者が酒やタバコを買いに来て、それを売ったら、買った未成年者は被害者でしょうか?
健全な若者の育成という社会法益への侵害を罰してるのであって、高校生ヤンキーが酒買って、被害者ってピンと来ますか?
幼児相手や高校生相手でも強制的にやるのと違って、高校生が自発的に淫行やるのは、酒を買って飲むヤンキーと法的構成は同じでしょう。
そうすると、処罰するという論法に隙がなくなる。
被害児童という言い方をするから自発的だろうとか、相手に反論を生む機会を与える。
自発的でも未成年は酒飲んだらいかんやろ。
成年者が自分だけで使用しても、覚醒剤はいかんやろ。
個人法益じゃなくて、社会法益だからそういえるわけだ。
じゃあ、特に男なら、生理的に10代女子が好きな人が多かろうという、自然に対して、制限に国家的強制を加える必要があるなら、そのことで、何が害になるかを考えよう。
すると、女性がセックスワーカーとして、若いうちに簡単に、きちんと勉強して就職するよりも稼げたら、産業戦力にならない。
それでは、男女共同参画も進まない。
無知な中高校生などがしたいようにやったら、病気の蔓延や暴力団の資金源などとも結びつきやすい。
でも、それでもそれだけでは、被害児童とはいえない。
しかし、覚醒剤の蔓延を防ぐがごとき社会法益なら、筋が合う。
また、18歳を過ぎても、セックスワーカーでは、若い頃を過ぎたら、何もできなくなるし、変わらず暴力団の資金源などとも結びつきやすい。
長い目で国家の担税力の基礎なども脅かされる。
淫行とヤンキー
医者や教授や社長が次から次へと逮捕されてまでやりたがる。
片や、高度情報社会の産業戦力として、逸脱していく。
でも、どちらも、それをしたい人にとっては憧れだったり、人間らしさだったりする。
まあ、生物的には、15歳は大人として活動するのに問題はないでしょうから、こども扱いして、資本主義の要請から自動的に義務教育や高校教育を課されて、自由恋愛を禁止されたり、部屋に閉じ込められて座って勉強するのは、肉体の悪魔が暴れるやろなあ。
いろんな意味で、高度情報社会の資本主義というか産業社会というのは、人間の生理に合わん、ギャップをいろいろと生んで、そこらで、肉体の悪魔が暴れる人が出てきます。
ヤンキー番組、ヤンキーアイドル、ヤンキー漫画が、これでもかというほど多いのは、ここまで強くなった肉体を縛る資本主義のくびきからの解放への憧れやガス抜きみたいなところもあって、有効といえば有効なのかな。
だけど、エコエコ言う人には、あえて、日本の中心で「ヤンキー番組撲滅」を叫んでほしい。
で、若い娘への憧れは、なんちゃって○○生のDVDぐらいで、ガマンしなさいというのが実態だが、それも、犯行を助長するからけしからんという声も大きい。
生物としての基礎、原始まで遡った歴史から出発しないと、社会の諸現象を適切なというか実態をとらえた言葉で語れなくなり、それが、現代社会の分析をぼやけさせ、未来への処方への動きも鈍らせる。
Posted by たみ家 at
07:15
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