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Posted by あしたさぬき.JP at

快感走ったブログ

2009年07月25日

ソフィアさんから紹介された彦坂尚嘉さんのブログはおもろい。

ときどき、たみ家ではわかりきらないとこもあります。

しそジュースの話なんかはたみ家ではよくわかりませんでしたが、その前二つなんかは、読んでて感銘を越えて、快感が走りました。

他人のブログの論旨に快感が走るってのは、あんまり記憶にないなあ。

たみ家の基本主張を大きく補強するものだったし、一部使わせてもらいます。

彦坂さんのお名前と「41次元」さえ入れれば確実にヒットします。


今、日本人は、ある暴力と向かい合っている。
それに負けている。
か負けかけている。

産業構造の変化なんかは、しわ寄せ食う立場になる国民にとっては暴力みたいなもんである。
手作業が機械化されて職を失う職人とか、暴力に打ちのめされるようなものでしょう。

暴力に向かい合ったら、それに負けることが悪で、適者となって生き延びることが善と言わざるを得なくなる。

ここでは、多様性が通用しない。

堀江さんがご活躍で、ヒルズ族なんて言葉が流行った頃、不安定雇用をテーマに「人の商品化」とか、採用現場で「あなたの商品価値は?」などとよく言われたように、おぜにさんを取り巻く暴力にどれだけ耐性があるかで、単一尺度で人が計られた。
要はおぜにさんがらみの世間の暴力に対して、強いのか弱いのかということ。
そして、それは商品価値として貨幣性の数字で語られる。

たみ家が挑戦してることも、多様性を許さないおぜにさんを取り巻く暴力に負けかけてる現代日本に要求される善悪二元論的なアプローチと人間の多様性との間で、発展的な折り合いをつけることと言っていいかもしれません。

もともと、何を好きになるかは自由ではないんです。

たみ家が言わんでももともと

麻薬や児童ポルノなど、そういうものは好きになられても困るってのがもともと指定されて制限されて、強権的に処罰されます。

一定の枠組みの中で選択する自由しかないんです。

これは、世の中の状況によって、サイズが変わりうるし、選択へのアプローチの仕方やその技術なんかも変わってくる。

集団で勝つか負けるかしかない暴力に対抗しつつ、生身の個の人間の欲求を充足させながら生を解放する。

これが、たみ家が書き続けてることの端的なテーマかもなあ。
  

Posted by たみ家 at 07:30Comments(0)

住宅と地方分権 2

2009年07月25日

地方分権といっても、税源の配分とか省庁の権限を移譲するなど国から下ろされるだけではいかんだろう。

定住人口が安定して、人材の流出を防いだり、大都市圏から戻したり、地方で仕事をつくったり、産業や企業が興ったり、また、地方で暮らした方が良いという明るいイメージをつくらんことにはいかんだろうと思いました。

地方分権には地方に能力の裏づけがいる。
また予想では四国が一番それが弱いとされている。
能力の裏づけということは、人とおぜにさんの裏づけがいるということ。
税源や権限とは車の両輪の関係なんだろう。

おぜにさんの裏づけがあるものでないといかんだろう。
自給自足の生活への憧れとか、自然への憧れでは、たぶんいかんと思う。

おぜにさんの骨格がないとくらげみたいなもんだろう。

どれぐらいのことができるのかわからないけど

「自家用車を一家に一台」を大恐慌化のドイツが目指したのなら、住宅建設なら国民の2割ほどに関わるだけでも、それに匹敵する効果があるだろう。

また、民主党のばら撒きと違って、ローンや税制で優遇するといっても、メインは民間の特に、高齢者の世代の金融資産を介護の安心や生きがいを得ながら費消させることであり、財政の負担は少ない。
その上、壮年世代の人口定着や、住宅着工による地元企業の仕事が風呂場工事や家具などにいたるまで波及するなど、優遇にかかる財政負担分に対する収入や地域振興力との対応関係ははっきりしている。

これは、民主党の主張するような、中学以下のこどもがいる世帯に手当金とか高速道路無料とかよりも裏づけがはっきりしているし、引田などで人口定着を狙って格安の町営住宅をつくって人を引き寄せたのよりも財政の負担が小さい上、民間から大きな資金を引き出せる。

負担分については、ほぼ必ず税収や地域振興力の裏づけがはっきりしているのである。
民間主導で家が建たない限り、いくらの優遇率にするにしても、先に負担するものはないし、公営住宅建設のように少数世帯を呼ぶために家を建ててあげて人を呼ぶなんて少数を過大に優遇しすぎだし、建設に民間のおぜにさんは引き出されてないし、末代まで地元に負担が残る。

Uターンや三世代化などは、地域の祭りなど伝統文化や農地の保全などにも合致していて、民主党などがメイン政策にあげる第一次産業の振興に当然関わってきます。

そうすると、三世代住宅なんかは郊外や農村にしか建ちにくいでしょう。まあ街中で商売やめて店や事務所の跡地なんかにも建つから街中もそこそこ有望かな?
また、Uターンについては、三世代化しなくても親元に戻ってくれば良しということで、街中のマンションも可でしょう。

この辺りは、都市計画マスタープランの修正などをも要するかもしれません。

三世代やUターンの定義や優遇される住宅の仕様なんかについては、現行の固定資産税の減免制度や不動産取得税なんかの減免対象の耐震住宅の要件なんかが技術的・裁量的に決められているように、壮年世代の人口の定着や老親世代の安心づくりなどの目的に適う対象と、福祉に適う優良住宅で、景気浮揚に意味のあるように三世代なら「延床150㎡以上で。。。風呂や手すりなどはバリヤフリー化に。。。うんぬん」とか、普通に固定資産税の評価のときに一緒に調べられることを技術的にやったらいいでしょう。


この国のかたちとか構造とか、国民の不安のもととか、グローバル経済の影響などとの関係で
大きな範囲の関係を同時にとらえながら、きめ細かく、多くの資料を用いながら考えていく必要があるでしょう。

地方分権が進まないのは、地方に力がないからってのは大いにあるだろう。

そして、地方分権は何のために必要なのかは、もう一度、確認しておく必要があるだろう。

東京の某学者で、「田舎の人はみんな東京に来て、1億人ぐらい東京周辺に住んで、田舎は防人みたいな人だけ残して守らした方が、日本にとってはいいんだよ。どうせ田舎にはまともに何かを生み出す力はないんだから。」みたいなことを言った人もいました。

この人の主張よりも、地方分権が国民にとって良いと、感情論でなく、筋道立てて言えないといけない。
  

Posted by たみ家 at 07:10Comments(0)