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Posted by あしたさぬき.JP at

つれづれなるままに 2月18日

2009年02月18日

携帯だと自分のブログの誤字脱字が発見できるけど、パソコンの画面だと発見できんのはなぜ?



たみ家のブログは、書いてあることのすべてがすべてといつも同時に関係してると思ってますが、これって、どう話したらわかってもらえるだろう。
思考の成長や変化の記録だから、生き物のようなもの、鍛えて筋肉つけたら、それは脳ともつながってるし、血液が心臓から送られてくるし、動かすときは目や他の筋肉など全身とコーディネイトする。
心配ごとなど脳の働きが筋肉の動きに影響することも多いし、どこを針で刺されても脳は痛いと感じる。
ブログは生き物だと思うから、すべてとすべてがいつも同時に関係してて当たり前だとたみ家は思う。



レバレッジの話で、つい頭から出てきたけど、「法人って、なんでそういう概念があるんだったっけ?20年ぐらい前に聞いたような気もするけど、記憶がぼんやり。大きな取引をして、長く活動を継続するには、個人の死亡で終わるんだったら数百年もできんわなあ。それに何兆円とか言い出したら個人では責任負えんし、信用もないわなあ。世の中の活動が大きくなったら法人ってものが必要になるわなあ。法人は何のためにあるかって、教科書的なものには何て書いてあるかなあ?」



法人の話は、レバレッジ5の内容から来てるんだよな。

そういやあ、レバレッジの話って、笑っこさんがたこ焼き買いに来てくださった日に、「(某日の乙武さんのこと書いたブログで)たみ家さんは、ずっと新しい挑戦をし続けないといけないって書いてたけど、どうして?」と聞かれたことを受けて、前から書こうと思ってたし、現状維持とかトントンではちょっとしたショックで破綻するのが経営体ってもんで、たみ家は、近隣半径500mぐらいでは最も成長率が高い部類の店だけど、ショックに弱いという意味でもかなりもろい部類の構造だということの解説は、当ブログのテーマに適うなあと思った。
食べていけりゃいいとか、トントンでいいなんてありえんのです。
ずっと成長し続けて、ずっと儲かり続けても1年も不調だったら倒れることが当たり前なのは、自分が経営するまでは実感がなかった。
永遠に儲かり続けて永遠に成長しなければ破綻や破産が待っている。
このことを説明するのに、従来の財務分析の話よりも「レバレッジ」という他力と実現速度の関係とその負担と負担能力の関係から読み解いていく方が普遍性が大きいと思った。

人が生命を維持するなら、空気も入れんと、食物も入れんと、水も入れんと。
でも、会社やお店なら、おぜにさんさえあれば、つぶれはしません。
うちの売上が毎日ゼロ円でも、1兆円たみ家に個人資産があったら、毎日赤字100万円でもつぶしたくなければつぶれません。

法人に対する概念である自然人は、生命の維持にいろいろ要るけど、法人はたいていおぜにさんだけで生きられるので、客観性があるなあ。
法人格がなくても、営業というものはそうだけど。

客観性があるほど、信用がある。
そして、自然人の健康は、医師がいろいろ診断するけど、最近は生活習慣病中心で、ほとんどの人はタバコのこととメタボのことしか聞かれない。
法人のほとんどを占める営利法人たる会社の健康診断は、会計士やら税理士やら中小企業診断士などが行うが、おぜにさんのことを診断する。
財務分析とかいうこともあるか。



バブルって、たぶん、たみ家が生きてる間にあと3回は来るんじゃないかなあ?
特に、説明できる根拠はないけど、イメージとして
これも物理の原則に近い。
ベルリンの壁崩壊は、地球という容器の中の濃度1%の塩水と10%の塩水を分けてた仕切りを取っ払ったようなもの。

エントロピーって、そんなに正確に理解してないけど
物事は、拡散する、均質に向かう。
第二次大戦ぐらいは、供給サイドは、米英日独仏露伊など、それなりの力の国が多かった。
たみ家の勝手なイメージとして濃度10%~7%ぐらいにおさまってた。
だから均質に向かうとしても、今ほどドラスティックでなかった。
賃金水準にも大きな差が、たとえば今の日本と中国やインドほどの違いはなかっただろう。

差があるということは、技術移転や賃金の上昇などを通じて成長する余地があるということ、そして、通貨経済は、自給自足、モノカルチャー、貝殻などの交換や、金本位制、兌換紙幣など変遷しながらどんどん観念化していくので、状況の変化によって振れ幅はどんどん大きくなるので制御が難しくなる。

まだまだ、アフリカや中国インドなどと先進国の間のもろもろの水準の差は大きいから、成長の余地が大きい。
そして、貨幣の制御はドンドン難しくなる。
そして、世界経済の塩分濃度の差がまばらであるなら、各国政府の合意は難しい。CO2排出の話で合意ができんのに似て。

(宇宙と世界経済も似てるかな。
技術革新などのビッグバンが起き、その影響が技術移転や移民などで、均質に向かうが、また次のバンが起こって、また大きな密度の差ができ、またその影響が拡散、均質化していく。
このことの絶えざる繰り返し。密度差が大きいほど変化も大きくスピードがある。)

かつてより成長の余地が大きく、制御がますます難しくなるなら、まだまだバブルは生きているうちに何度もありそう。
そして、その振れ幅は、かつてのバブルよりももっと大きくなる。
まったくたみ家の頭の中の適当なイメージで、これをもとに何かを主張するってもんでもありません。
このイメージが、今後の学びなどによって、変遷していくだろうと思ってます。



今日は、うどん屋に3時過ぎて、知人のお客さんが来られて、いろいろお話ができました。
でも、今日は、今月で一番売上がよろしくない日だったので、気持ちよく閉店してたこ焼きに向かえませんでした。
でも、TJかがわに載せていただいたので、まじめにやらんと。

そして、栗林公園前のビルの方に戻ると、ダイエットカフェ公園通りにこの日曜日に20名の団体予約が入ったとのこと。
ええこっちゃ。

そして、たこ焼き営業開始、部活帰りの女子高生3人組みの来客が。
生徒割引とか考えてなかったなあ。
それにしても、まじめっぽい言葉遣いだった。
  

Posted by たみ家 at 22:49Comments(2)

レバレッジ5 大原則

2009年02月18日

会社でも、お店でも、生命でも、恋愛でも、クラブ活動でも
何でもいい。

負担に追い越されなければ、継続したければ継続できる。

意思に反して、継続できなくなるのは、負担に追い越されたから。

たとえば、人間の生命なら
食物や空気など「他」を摂りいれて、呼吸やら血液の循環やら体温調整やら脳の活動を「負担」しながら継続してますが

餓えによって、活動を継続するための「他」を調達できなくなるのは、会社の資金不足と似たようなもの。

車にはねられて皮膚や血管が破れたり、老衰により、負担が継続できなくなることで死亡することもあります。


たぶん、おおむねすべてのことは、本体が弱くなるか、「他」を摂りいれることができなくなることによって、負担に追い越されることで継続が止まるのではないでしょうか?
このことは、魅力が感じられなくなって、恋愛が終わる場合も、おぜにさんの切れ目が縁の切れ目になるなど人間関係にもあてはまります。
原子や分子の崩壊も、たぶん結合するための力がなくなって崩壊するのでしょう。
原子や分子には意図とか負担とかの感覚はないでしょうが。

負担の増大または、負担を負う力の減少は、金融危機や競合店の出店、大怪我、補助金のストップなど外力によって起こることが多い。
内部崩壊もあるが、外力によって内的な安定が損なわれる場合も多いだろう。

たみ家が原理原則という場合は、社会問題を扱うにしても、できる限り、このように、物理学でも生物学でも心理学でも、宇宙に例外がなさそうなことから出発したいと思う。
そこまでしなくてもいいんですが、そこまで言えた方がいろいろ応用したり派生していったときに、理屈が安定しそうに思う。

負担が負えなくなると継続できなくなる。
シンプルですね。

ごく簡単な例として
3人でやってるうどん屋の3人分の生活費または賃金の負担が、売上によってまかなえなくなったとする。
じゃあ、メニューをしぼったり、厨房を改造して動線を合理化して、2人でやれるようにする。
で、嫁はんはパートに行って、他から生活費をとってくるとか。
また、逆に、売上を伸ばして、負担できるようにするとか。

絶対の原則から出発し、負担と負担する能力との量や差や比というように数的に理解できるように考えてみたら、いろいろとあてはまることが出てくると思う。

じゃあ、ほうきを買おうと思ったけど、たまにしか使わないしどうしようかと思ってたら、隣の人が貸してくれるという人間関係ができました。
ささやかですが、これだけでも、負担と負担能力の間の関係が少し楽になってます。

「あした機能」によって、集客が楽になったのなら、これも負担と負担能力の間の関係がいくらか楽になってます。

ネットにより、「誰か小さい冷蔵庫ただでくれんかね。」と呼びかけたら、ちょうど「1人暮らしやめて実家に戻るから捨てるんだけど、邪魔になるし、家電リサイクル料払いたくないし、取りに来てくれるなら喜んであげます。」
これも、負担と負担能力の間の関係が双方でいくらか楽になってます。

あたりまえだけど、最近、破綻した会社は、負担と負担能力の間の関係が破綻したわけです。

たみ家は、この負担と負担能力の関係に着目して、新しく造語および定義したいと思いますが、まだこれというのがでてません。

ぱっと浮かんだのは「レバレッジ比」ですが、これはいかんと思った。

レバレッジは他力を使うことを説明することに意味があると思うし、関係ときちんと対応した言葉でないような気がする。

まあ、経済活動も、生命活動も、おぜにさんや栄養など「他」を取り入れて、継続するわけだから、活動≒他力と考えてもいいんですが。
オーナー経営者の労働力も光合成する植物も、自分でやってるようでも、おぜにさんで生活してる基盤があって労働したり、太陽光をとりいれてやってることだから、やっぱり他力なんでしょうけどね。

「すべての活動は他力である。」
これも、絶対原則として、言い切ってしまってもいいかもしれない。
まだ迷いはありますが。
まあ、ちょっとキツイか、でも「ほぼ」をつけたらたぶんOKだな。

地域の総「義務的負担関係」を小さくして、政策的とか投資的とか創造的とか付加価値部分に振り向けやすくするってのは、負担を小さくしつつ、負担能力を大きくすることになると思う。

次の原則ですが

それらの関係を変えるためには

時間の投入配分を変える。(例 パチンコやめて勉強する。)
場所を変える。(適切な立地で行う。)
人の関係を変える。(適切な人と会う。)
こういうことが大事で、時間か場所か人を変えるしかなくて、個人の心の中で「決意を新たにするぞ。」とか言ってもたいていはうまくいかないでしょう。

昔から天の時、地の利、人の和とかいいますが「天地人」っていろんなこと説明するのによくできてますね。

また、人と人の出会いをより良くしようと思ったら、それぞれが魅力ある人であろうとするとか、いろいろの知識やら知恵を持とうとすることがいるってことにもなるでしょうね。

ブログと地域の力との関わりの輪郭もかなり見えてきたような気がする。
  

Posted by たみ家 at 06:43Comments(0)