意味の戦争 信用と信頼 2
2008年12月05日
家の中を全面的に改修してるとこなので、書きながらなんか焦るなあ。
「1」 でピンと来たり興味持った方だけ先に進んでほしいという不親切な書き出しで始めることが多いんです。
kita@リセットさんは、「意味の戦争」と同じようなことをおっしゃってますね。
「欲しい」と思うかどうかは、人がどう意味づけるかだし、プロ野球選手や社長がベンツを買うのは、それが一流になった証のような意味を一定以上の人が認めていて初めて、そうなるわけでしょう。
そして、レクサスなんかは、ベンツに対して、正面から意味の戦争を挑んだわけです。
オフィス街での昼のうどんでは10円をケチっても、家族を旅行に連れて行くときはがっつりおぜにさんを使う人もいれば
乳のみ児のミルク代を握って、嫁はんを蹴り上げて、ギャンブルに行くおっちゃんがマンガではときどき出てきます。
家族に対する意味づけが違う。
「意味」にしかおぜにさんは使わん。
「しか」は言い過ぎかもしれんけど、日本の経済は、財貨そのもの2か3に対して、意味で7か8ぐらいは膨らんでるはず。
もうわかってるはず。
モノだけを売ってもうまく行くはずがないことを。
「意味」を売らないと
セルフうどん店なんかは、場所を売ってるし、スーパーでうどん玉とネギを買ってきてオフィスでネギ切って、湯を沸かすってわけにはいかんので、サービスも売っている。
サービスと場所は「機能」を売っているのかな。
これが、「世界一の名人」のうどんってことになると、「意味」を売ることができる。
友達の店だから買ってやろうかってのもある意味「意味」を売っているかもしれない。
「モノ」「モノそのものには含まれない機能」「意味」、3段階を踏まないとたぶん、よほどのアドバンテージ持ってないとやっていけんだろうね。
ブランドとか言わないのは、「意味」は構造モデルを示しやすい言葉、「ブランド」は抽象的なんです。
ブランドって言葉では明晰な解を示すにはダメなんです。
隙間がない言葉を使わないと。
さて、「信用」と「信頼」の違いですが
前者より後者の方が依存の度が強い。
前者は契約や約束を守るとか、未来の予測と現実が一致するってことでしょう。
後者は、相手方が、自主的にこちらの良いようにしてくれるだろうという期待がさらに加わってます。
「信用」は主に債務の履行について使われるように、やるべきことをやってくれる。ある程度契約の相手方とか対立の要素も含意するでしょう。
「信頼」は義務以上に同じ立場に立って良くしてくれるという意味があります。
どっちが大きいか、信頼できた方がありがたいんですが
信用はすべての人に求めることが正当ですが、信頼については必ずしもそうでない点で、契約を主体とした経済社会では当然「信用」の意味が大きい。
まあテクニカルタームでもないから、義務でも、善管注意義務はどっちなんだとか、政治家には高いレベルの義務があってしかるべきだから、義務でも信頼に値するレベルでないといけないと言い出したらめんどいですが。
ここから「3」では、「信用」と「信頼」について、違いからさらに、詳しくやらないといけませんね。
「1」 でピンと来たり興味持った方だけ先に進んでほしいという不親切な書き出しで始めることが多いんです。
kita@リセットさんは、「意味の戦争」と同じようなことをおっしゃってますね。
「欲しい」と思うかどうかは、人がどう意味づけるかだし、プロ野球選手や社長がベンツを買うのは、それが一流になった証のような意味を一定以上の人が認めていて初めて、そうなるわけでしょう。
そして、レクサスなんかは、ベンツに対して、正面から意味の戦争を挑んだわけです。
オフィス街での昼のうどんでは10円をケチっても、家族を旅行に連れて行くときはがっつりおぜにさんを使う人もいれば
乳のみ児のミルク代を握って、嫁はんを蹴り上げて、ギャンブルに行くおっちゃんがマンガではときどき出てきます。
家族に対する意味づけが違う。
「意味」にしかおぜにさんは使わん。
「しか」は言い過ぎかもしれんけど、日本の経済は、財貨そのもの2か3に対して、意味で7か8ぐらいは膨らんでるはず。
もうわかってるはず。
モノだけを売ってもうまく行くはずがないことを。
「意味」を売らないと
セルフうどん店なんかは、場所を売ってるし、スーパーでうどん玉とネギを買ってきてオフィスでネギ切って、湯を沸かすってわけにはいかんので、サービスも売っている。
サービスと場所は「機能」を売っているのかな。
これが、「世界一の名人」のうどんってことになると、「意味」を売ることができる。
友達の店だから買ってやろうかってのもある意味「意味」を売っているかもしれない。
「モノ」「モノそのものには含まれない機能」「意味」、3段階を踏まないとたぶん、よほどのアドバンテージ持ってないとやっていけんだろうね。
ブランドとか言わないのは、「意味」は構造モデルを示しやすい言葉、「ブランド」は抽象的なんです。
ブランドって言葉では明晰な解を示すにはダメなんです。
隙間がない言葉を使わないと。
さて、「信用」と「信頼」の違いですが
前者より後者の方が依存の度が強い。
前者は契約や約束を守るとか、未来の予測と現実が一致するってことでしょう。
後者は、相手方が、自主的にこちらの良いようにしてくれるだろうという期待がさらに加わってます。
「信用」は主に債務の履行について使われるように、やるべきことをやってくれる。ある程度契約の相手方とか対立の要素も含意するでしょう。
「信頼」は義務以上に同じ立場に立って良くしてくれるという意味があります。
どっちが大きいか、信頼できた方がありがたいんですが
信用はすべての人に求めることが正当ですが、信頼については必ずしもそうでない点で、契約を主体とした経済社会では当然「信用」の意味が大きい。
まあテクニカルタームでもないから、義務でも、善管注意義務はどっちなんだとか、政治家には高いレベルの義務があってしかるべきだから、義務でも信頼に値するレベルでないといけないと言い出したらめんどいですが。
ここから「3」では、「信用」と「信頼」について、違いからさらに、詳しくやらないといけませんね。
Posted by たみ家 at
22:54
│Comments(0)
意味の戦争 信用と信頼 1
2008年12月05日
笑っこさんと座談会の前に
「香川を元気にする」ってことをテーマに雑談してました。
「信用と信頼はどう違うと思います?」
って話が出ました。
さて
「この世には記号と意味しかない。」って言い方聞いたことありません?
そして
たみ家は、
経済は「意味」が7、8割で、財貨の動きが2、3割だと思ってます。
そして
「意味」の中で、「信用」というものは最も大切なものの1つであろうと考えてます。
当たり前か。
信用がはじけて、金融危機。
ヘンな噂からみんなが預金を引き出しに走って銀行が倒産とかありましたっけ?
「信用」と「信頼」はまったく異質なものです。
外形はちょっと似てるけど、質が違う。
経済とか商売は1つは「意味の戦争」。
もう1つは効率や速度の競争。
もう1つは資源の取り合いではないか。
私たちは、直接アフリカのレアメタルや原油を取りにいけないので、ほとんど「意味の戦争」と「効率や速度の戦争」をしていると思う。
効率や速度は近代産業のレベルだが、成熟した経済では「意味の戦争」がでかい。
モノは勉強してなくてもつくれる。
でも、「意味」は勉強してるか何かはともかく何らかの頭の良さがないとつくれない。
私らは、これから後発国から時給200円でも喜んで働く人達とグローバルに競争しないといけない。
勉強してない人がいくら汗かいて働いたって絶対に浮かべない社会にいるわけで、国がいくらがんばったって資本の理屈が国境よりも上位にあるんだから政治家に文句言ったって、終局の解決にならない。
一生懸命働いてもダメ。
一生懸命勉強する方が大事。
めちゃめちゃ端折って、すっ飛ばしましたが、「意味の戦争」とか「信頼」と「信用」はどう違うか、明晰に感じてもらえるでしょうか?
「学校の勉強しなくたって生きていける」なんて
親御さんは言ったらいかんのです。
頭の良さか高いレベルのノウハウによって裏付けられた仕事以外は、時給200円でもやる人がわんさかいるんだし、そこからの年金で成長期よりも老後が倍も長くなったうえに、若者少ないんですよ。
政府の入管や日本語など、労働市場にも参入障壁がありますし、最低賃金法の規制もありますが、そうやって、障壁に守られていることの方が、グローバルな資本の理屈では例外だと心得るべきだと思います。
だから、徹底的に「意味の戦争」と「信用」、「信頼」が肝になるんじゃないかと思ってます。
「香川を元気にする」ってことをテーマに雑談してました。
「信用と信頼はどう違うと思います?」
って話が出ました。
さて
「この世には記号と意味しかない。」って言い方聞いたことありません?
そして
たみ家は、
経済は「意味」が7、8割で、財貨の動きが2、3割だと思ってます。
そして
「意味」の中で、「信用」というものは最も大切なものの1つであろうと考えてます。
当たり前か。
信用がはじけて、金融危機。
ヘンな噂からみんなが預金を引き出しに走って銀行が倒産とかありましたっけ?
「信用」と「信頼」はまったく異質なものです。
外形はちょっと似てるけど、質が違う。
経済とか商売は1つは「意味の戦争」。
もう1つは効率や速度の競争。
もう1つは資源の取り合いではないか。
私たちは、直接アフリカのレアメタルや原油を取りにいけないので、ほとんど「意味の戦争」と「効率や速度の戦争」をしていると思う。
効率や速度は近代産業のレベルだが、成熟した経済では「意味の戦争」がでかい。
モノは勉強してなくてもつくれる。
でも、「意味」は勉強してるか何かはともかく何らかの頭の良さがないとつくれない。
私らは、これから後発国から時給200円でも喜んで働く人達とグローバルに競争しないといけない。
勉強してない人がいくら汗かいて働いたって絶対に浮かべない社会にいるわけで、国がいくらがんばったって資本の理屈が国境よりも上位にあるんだから政治家に文句言ったって、終局の解決にならない。
一生懸命働いてもダメ。
一生懸命勉強する方が大事。
めちゃめちゃ端折って、すっ飛ばしましたが、「意味の戦争」とか「信頼」と「信用」はどう違うか、明晰に感じてもらえるでしょうか?
「学校の勉強しなくたって生きていける」なんて
親御さんは言ったらいかんのです。
頭の良さか高いレベルのノウハウによって裏付けられた仕事以外は、時給200円でもやる人がわんさかいるんだし、そこからの年金で成長期よりも老後が倍も長くなったうえに、若者少ないんですよ。
政府の入管や日本語など、労働市場にも参入障壁がありますし、最低賃金法の規制もありますが、そうやって、障壁に守られていることの方が、グローバルな資本の理屈では例外だと心得るべきだと思います。
だから、徹底的に「意味の戦争」と「信用」、「信頼」が肝になるんじゃないかと思ってます。
Posted by たみ家 at
22:11
│Comments(0)