ソ連の崩壊

2008年04月14日

たみ家は今の社会問題や世界情勢のかなりのことをソ連の崩壊と関係づけることができると思う。

最速で、崩壊前の、1988年ぐらいには、今の社会情勢をほとんど読みきって、対策を考えることはできたと思う。

1992年なら、かなり間違いなかったと思う。

たみ家は1993年に、道州制になるだろうと何となく思い始めた。
その後、介護保険の問題が顕在化して制度化の話になるころには、都道府県の廃止は必然だったと思う。
途中、1998年ごろに、たまたま霞ヶ関のキャリア官僚が、「霞ヶ関では都道府県の廃止は常識で、都道府県は絶対になくなりますよ。」
と言っていたことも、自分が感じていることと一致していたので説得力を感じていた。

環境、疫病、都市計画、交通、防災、犯罪の国際化・高度技術化などさまざまな点で、範囲の上でも、専門能力の上でも、もう都道府県の手に負えるようなレベルは終わりだった。
この中のいくつかも、ソ連の崩壊とグローバリゼイションそのものが加速したとも言えるでしょう。

国と市町村は絶対になくならないのだから、介護保険を皮切りに市町村の脆弱さが浮き彫りになったところから合併が始まれば、怒涛のようにとどまることがないのは理屈の上で明らかだった。

ソ連崩壊は、旧共産圏の市場への流入、各地の共産主義勢力への後ろ盾がなくなる。
アメリカの世界への態度の変化。
市場に参入する人口の増加による環境問題やエネルギー事情の深刻化の加速。
世界的な人口増加と先進国の少子高齢化。

また、共産勢力が後ろ盾を失うことにより、経済界が労働者に対してフリーハンドに近い条件を提示できるようになり、政府も共産勢力の拡張を恐れないので、労働者問題に不熱心。
途上国から急激な追い上げを食らうので、経済界の言い分ももっともではあるし。

世界市場への参入人口の増加により、国内の地方産業は崩壊・空洞化し、少子高齢化と相まって、急激な財政悪化を招き、地方経済は厳しさを増していくだろう。

この辺りまでは1993年時点で、たみ家でもある程度読めた。
ここからが、じゃあどうするのか?
が、今思えば、たみ家の地域問題への関心の本格的なスタートの弱々しい始まりだった。

インド・中国・ブラジルのような大きくて複雑な国が経済的にこんなに伸びるのは意外だった。
これにともなって、アメリカが相対的にこんなに早く地位を落としてくるというのも、予想外だった。
たみ家は、アメリカ主導のグローバリズムがかなり長く続くように思えていた。
技術的なことも詳しくないので、ITや関連機器がこんなに普及するというのもピンと来てなかった。

東京一極集中はここまで行くとは思わなかったが、高校のときに、あることの指導をプロに受けに行くのに、東京にはそれができる人が100人以上いるのに、大阪には数人しかいなくて、大阪ってもう単なる地方都市だなあという実感を感じ、「都会に出る。」という意味では大阪に魅力をあまり感じなくなったあたりで、人材力やソフト力の差というのをおぼろげに感じることはあったように思う。
現実に起こったことは、そのときに高校時代にはっきりわからなかったおぼろげな感覚の現実化のようにも思う。

ベルリンの壁崩壊のとき、たみ家はガラスの10代だった。
ソ連が崩壊したときは、喜んだ。

当時はまだノストラダムスの大予言の1999年7の月には核戦争が起こるとか言ってる人多かったから。

確かに、核戦争の脅威はなくなったように思えた。
この頃も、中東が火種になる戦争や各地の民族紛争が激化すると、ソ連の崩壊にからめて書いていた本がけっこうあったと思うが、読んだことはなかった。
「文明の衝突」もそうでしたっけ?

東西体制間の戦争が起こりさえせなんだら、ソ連があった方が、日本人の多くはもう少し幸せだったかもしれないと思わんでもない。
起こったとしたら、今の方がよっぽどいいだろうけど。

別にソ連が好きだったわけでもないし、昔のことをどうこうってのでもない。

ただ、先のことを見据えて手を打つって、いつから可能なのか?
世界情勢が身近な生活の問題としてどうはねかえってくるのか?

以前に、予測してたことは何が当たって、どこがどう外れたのか?
何が読み込めてなかったのか?

そして、それは、今、先のことを考えるにどう活かすのか?
そういう話として、ソ連の崩壊は今考えても感慨深い。



 
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