過去~現在・未来

2009年06月04日

ヨーロッパ中心の見方での中世、イスラム商人が世界中に文化を広げる役割を果たしたと言いますが、カトリックでは宗教改革までは貸金業はしにくかったので、商売が広まりにくかったという。
ときの宗教観や倫理観が大きく、おぜにさんに影響し、支配関係の形成に影響していくことの例で、正邪はともかく、時宜にかなった倫理観を持てた集団が、うまい汁を吸えますなあ。

で、逆のとこは場合によって、全員奴隷で、鎖につながれてメシ食ってる貴族どころか自由平民の足を、ひざまづきながらふいてたりする。
古代のアテネなんか、平民でも奴隷に家事や肉体労働一切やらせるほど、奴隷囲ってたから、市民が哲学なんかやる暇あって学問が発展したという。
アテネの民主主義に奴隷の人権はなかったというが、そりゃあ、あったら背理だわ。
山がちで水も可耕地も少なく、早くから広く穀物を求めて海に出て、いろんな知識を仕入れてきたから富でも軍事力でも優勢で、戦争で勝ったところで奴隷をたくさん引っ張ってこれたのかもね。

日本も殖産興業・富国強兵に有色人種で唯一成功して、イギリス中心の国際分業体制の奴隷にならずにすんで良かったね。
こう思うと、日本の男は優秀でかっこいいよなあ。

たみ家は思考的にはどう考えても右派ではないけど、日本ががんばってなかったら、世界の途上国の独立や経済発展は数十年マジで遅れたんじゃないの?
ほかの列強は全部、白人ばっかだったからねえ。
風穴が一個もなかったら、かなり違った結果になった可能性は高いよなあ。
中韓朝あたりはともかく、アフリカや中東や東南アジアや東欧や中南米など世界中で、日本に憧れる人が多いのは当然だと思う。
こういうことを言うと、一部の国の人は機嫌悪いかもしれないけど、イギリスの植民地になるか、列強の側になって力で逃れるかしか選択がなかったのは間違いない。

何かはわからんし、一部の英雄の功績かどうかわからんけど当時の日本人の持ってた基本的な考え方が良かったんじゃあないの?
寺子屋で読み書きソロバンぐらいやらせてたのが良かった?
聖徳太子以来の伝統がどうやらこうやら。。。
いろいろあるかなあ?




ペスト流行後、100年戦争の頃、封建領主や騎士階級が没落し、中央集権化が進んだという。
商工業が富を蓄積すると、市場が大きい方がいいので、統一ルールでいろいろやってもらわないと困る。
すると、領主の方針ごとにいろいろ違ってはおぜにさんが機嫌を損ねる。
おぜにさんの機嫌をとるには中央集権化がいるし、政治的統合もできたら進んだ方がいい。

この理屈を現在から未来に当てはめると、ASEANとかOECDとかGと数字がくっつくヤツやら、現在のとこ究極のものとしてEUってのがあるけど、おぜにさんは統一ルールを好み、おぜにさんのパワーは、政治的・宗教的抵抗とのせめぎあいの中、商売の主体としても政治勢力としても、小を駆逐していく性質があるのではないだろうか?




科学的な知見が広まるまでは、しかも決着がつくまでは、天動説をとろうが地動説をとろうが好みの問題だった。
科学的な決着がつくに及んで、地動説しか科学の世界では言われないし、倫理や道徳もそれを標準とする。

マイ箸みたいなささいなことも、科学的な決着がつくまでは、いくらどっちが理屈が優性でも、人々の行動や考えはあいまいなまま。
ヒートアイランドなどは、熱分布が可視化されてから、急速に言われ出し認知された。
ここんとこ、太陽の活動が弱まってて、温暖化どころかミニ氷河期に入るのではって話も聞こえる。
倫理的な行動って、科学の発展によって、決まっていくことが多い。
科学の発展は、倫理を形作り、あるべき行動を決定していくことが多い。
科学の発展≒倫理の発展に歴史的にはなってることが多い。

トップレベルで学問が進展して、かつ、国民がそれを学問的に受け入れる土壌を持ってないと、世界で何十億人が生きて、不安定な未来に対処しないといけない世界に調和した倫理的な行動って形成されない。
人が増えて、関係が複雑になるほどに、お勉強せずに道徳的に正しくあることが難しくなっていく。
お勉強したから正しくなるとは限らないが、お勉強しないと入り口にすら立てない。

これは、パスカルの「考える葦」ってのも同じこと言ってますね。
考えることが人間とそうでないものを分かつ唯一のもので、考えることが人間性、倫理、真善美の根源であると。




善人と悪人がいるというよりも、強いものが善も悪も両方大きく行うという方が正しい。
だから、ここんとこ世界で一番いいことをしたのもアメリカで、悪いことをしたのもアメリカだろう。
ヒトラーも経済対策うまくやったから地位につけた。
いいことしないと悪いことができる権能を持てない。

親や学校も子どもにとって最もいいことをする存在だけど、もっとも悪影響を与えることができる存在でもある。
いいことする人間に対してこそある意味厳しい物の見方をしないといけない。
それは恩師や先輩などに対しても同じこと。

たみ家が歴史を見るに、戦争など有事で英雄的な活躍をした人を陥れて失脚させた国はうまくいき、有事後も権力に座らせ続けたところはむちゃくちゃになってることが多いような気がする。
これはまだまだ検証しないとね。

チャーチルを失脚させたイギリスや、古代に陶片追放で僭主の出現を予防しようとしたギリシャや、スキピオ・エミリアヌスを失脚させたり、カエサルを暗殺したローマなど、歴史の模範になったような国は、英雄を社会からひきずり下ろすことができた。
これがある意味すばらしい。

スターリンや毛沢東や金日成のように、戦争や対日抵抗の英雄をそのまま権力者に祭り上げ続けたところ、東南アジアの方もそうだけど。
ものすごい数の虐殺と長い停滞や内乱があった。

軍事の英雄を失脚させるということは、独裁がしにくい風土があるということであり、有事と平時のリーダーで適任者が違うことが反映されること。
(まあ、英雄を失脚させて内乱とかにならずに安定統治ができたところはもともと優秀なところだったという結果論かもしれないけど。)
また、ときには有事にリーダーだった人は非常事態だけに無茶な粛清をやってたりして権力を離したとたんに韓国のように悲惨な目に会うことを知っているので、反対派を粛清し続けなければ自分が消される運命にあるという圧力のもと任につくことになるので国政をゆがめ続けることが多い、北朝鮮とかイラクなんかは、権力を離したら死刑になりそう/とかなったところ。

もうちょっと検証がいるけど、有事に英雄的な活躍をした人は、理由のいかんにかかわらずその人がいくら有能であったとしても、とりあえず足ひっぱって失脚させておいた方が国民はたぶん幸せ。
悲運のリーダーとして、情的にはいろいろあるでしょうが、大英雄は民主主義のもとでは失脚させるべきだとたみ家は思ってます。
そりゃあ、隠居してもらって、功労に報いて、生活はそれなりのものは保障したらいいとは思いますよ。
失脚といっても、ことが終わったら、処刑とかしようってわけではありません。
そんな歴史を重ねたら、絶対にいっぺん権力持ったら、反対派殺しまくってでも手放せなくなるわなあ。


大英雄って、コントロールが効かない存在でしょう。

国民が為政者の親になってコントロールせんと民主主義とは言わんのです。
自分が子になったらいかんのです。

もっとも、民主主義いらんがなっていう、前提を崩したもう一段階広い議論が必要なこともあるでしょう。
歴史的にも、地域的にも民主主義って圧倒的に少数派だから。
それでも、やっぱり、英雄は変ないいがかりつけてでも、可能な限り失脚させるべきってのは、大事な見方だろう。
ここが情に流されたらいかんところ。




歴史の本って、現在から未来に向けての、こういうことを考えさせたり、事実的な証拠の補強をさせるものじゃないでしょうか?
高校の歴史の教科書を読んでて、こういうことを考えさせられるし、実際に教科書の前書きにもこういうことを考えるための勉強ですって書いてある。

上のことは、たみ家の中でまだすっきりと決着はついてませんが、今後、これらのことを、「そうだったのかなあ?」「ありゃ!?たみ家の仮説と合わんことがいっぱい出てくるなあ。ありゃあ修正か撤回か?」と検証しながら読書したりニュースを見聞きしていくことになると思います。



 
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