高松市の町名 ちょっとリベンジ

2008年02月22日

たみ家、昨日、頭の中の地図で、東浜町と植松町と紺屋町と鶴屋町がとんどった。
ほかは、把握できてた。
一時は、全町覚えてたはずなんだけど。

とくに、あれから調べられてはないけど、「恐るべきさぬきうどん 全店制覇」の地図を見たら、春日町に春日神社ってありますね。
高松大学の500mぐらい南に。。。

西春日にも地図に載ってる神社が「春日」とはついてないけどあった。
探らねば。

瓦町駅のそばに八坂町ってあるけど、坂はなさそうなので、これも八坂神社の仲間みたいな神社があらっしゃるのでしょうか?

塩屋町と塩上町は上下関係なんだろうか?

築地がけっこう内陸だし、町名でないけど、国際ホテルの前が洲端といって、受験生が行ってはいけないとこだから、高松は昔の海岸線を想像させる地名が多いなあ。
それにしても、洲端で「すべり」とは、通しか読まないだろうなあ。
玉藻中学と玉藻公園の位置関係も納得いかないんだよなあ。
「玉藻よし」って何やねん?

円座って、香翠座デコ芝居ってあるから、みんなお尻の病気で、ドーナツみたいな円い座布団に座ってたのかな?
じゃなくて、回り舞台のある芝居小屋があったのかな?

あのへん、のちょっと南に、川岡体協とか川岡公民館って見るけど、川部と岡本いっしょくたかな?
もとの町名よりも川岡の方が有名だったりして。
「川岡町ってどこですか?」こんなパターンは市内では他に聞いたことないなあ。

ついぞこないだまで郡の場合は、香川郡以外は、あや郡とうた郡であやうた。
大内郡と寒川郡で大川、三木と山田で木田、なか郡とたど郡でなかたど。
三野と豊田で三豊。
なかの南が仲南、たどの港が多度津、うたの港が宇多津。
足して2で割るか、足しただけ。
だったと思う。

高松町で、6個目の松がつく町が登場しましたが、そこの松だけ他の松よりも生育が良かったんだろうか?
何で高いんだ!と奥の細道に迷い込んでいく。

八本松は町名ではないのか?

あっ、そこで思い出したけど、町名は、亀岡で、小学校は亀阜か。
ハゼもそうだけど、町名は、わかりやすく変えるのかな?
もとは、やっぱり阜なんでしょう。

中央町は中央通由来かとサスピシャスになりましたが、観光町ってのが、似たパターンがにおいます。
あそこで何を観光したらええんでしょうか?

何かで、全国で一番多い町名は新田町と聞いたことがありますが、確かに新田は全国で開発しただろうなあ。

番町なんか、もう、名前つけるのがめんどくさくなってきたというか、こどもを一郎、二郎、三郎。。。ってパターンでしょうか?
番町五丁目と、五番町はあんまり近くないと思うけど、どういう規則になってるのかな?
そういや、「丁目までは地名だから、漢字で書け。」と昔言われたのを最近までまじめに守ってました。

木太町も、合併で自治体まるごとくっついて広がったとかでないと、ちょっと広すぎるような気もするが。
やっぱり木が太かったんだろうか?
1区、2区っていまだにわからんけど、木太はけっこうナゾが多いと思う。

春日町の春日神社以外、何もリベンジになってなかった。
ただ、煩悩が増えた。

これは、資料を探さねば、ラチがあきませんねえ。
また、町名の由来になるブツがあるところは写真におさめまくらねば。

高松市外にも追求の手が及ぶ、前触れだけど。

白鳥はヤマトタケルノミコトが白鳥になって、なんとかかんとかうろ覚え。
白鳥と引田の間の山の中になんでか「清少納言」って地名があるけど、これもナゾや。

白鳥になったタケルが羽を落として、その場所が鶴羽になったそうだが。
突然、鶴に変わっとるやないか!
で、なああああんも調べずに、邪推。
ほんまに邪まな推理ですが。
落とした羽って、現地妻との間のお子さんとちゃうやろか?

おとしたはね おとしだはね おとしだね。
なんじゃそりゃ。

志度の玉とりもようわからん。
藤原不比等、龍神に奪われた玉を奪回って、何やねん。
まず、藤原の中で、アナタだけ名前がヘン!
比率がバラバラかと思ったら、比べるものがないほど優れているという意味らしい。
ますますヘン。

ほんまに知らずに書きますが、貨物船を海賊に略奪されたのが許せんで、軍事遠征?
軍事遠征以外で、何しに、ここまで来るか?

ほんまに、そろいもそろって、現地妻つくってから。
と知らずに妄想。
妄想しといてから、後で調べて答え合わせ。
いや、知らん方がおもしろいこともあるかと。

あと、王越の王って誰や。
崇徳さんが松山の津から白峰寺に上がるときに通った?
これまた調べずに妄想。
じゃなかったら.....Mystery


この記事へのコメント
塩屋町付近は、まさに地形でございましょう。
木太町あたりまで▲に切り込まれた「洲」があって、塩田になったり田になったりして歴史は変化してきました。

塩屋町はそこで作られた「塩」を売りさばく問屋があったのでしょうし、塩上は塩田のまちの上(かみ)にあるということで、すべりはまさに「洲」の「端」であったのでは。

今も、水がでると、あのあたりまで浸水するのは地形のせいでしょうねぇ。

築地なんかも、今は内陸だけどそのせいかと。

むしろ、私は「鶴屋町」っていうのが気になります。

形からきているのか、鶴屋というなにかがあったのか。




前回の兵庫町にかんしては、まさに城下町のころのなごりで、兵器庫ですな。


志度の玉とり伝説を考えるとき、古事記のなかの 奈良と讃岐の関係を 調べていくのがええかもですよ~


「松」については、香川の代表産業「盆栽」のなかでもは「松盆栽」が生産日本一なので、この地は「松」にあった気候風土をもち、松が生育しやすい条件がそろっていたのかもしれませんな。


疑問を投げかけられると、確認もできて、さらなる疑問もわいてきて、ええ感じですな。

また、店がゆっくりしてるときに行って、あれこれ話しますわ~


「角打ち」、ちと悪巧み中。
高松に、角打ちで遊べる地図を作っていきませぬか。うひっ
Posted by るいままるいまま at 2008年02月22日 05:06
はじめまして。いろいろと研究をされて
いらっしゃるそうですね。
鶴屋町は古くからあるのですが、昔、
今もある本町と呼ばれていたエリアが
あるみたいです。また、北浜町、本町、
それに鶴屋町までのエリアは戦後、
再編されたみたいで、魚屋町(うおや
まち)と呼ばれたエリアもあったみたい
です。
某酒造会社の方がおっしゃっていま
したが、鶴のつく地名の所は、鶴が
飛んできたからとのこと。高松市内
では鶴尾神社や香川中央高校の
近くに鶴宮があるのですが、やはり
そうみたいですよ。
番町については、母が高校生だった
昭和30年代前半、古い高校の卒業
名簿や地図でも見たことがありますが、
一番丁、二番丁、五番町などの地名が
確かありました。
お役に立つようなコメントではありません
が、よろしくお願いいたします。
Posted by 笠井 隆宏 at 2008年02月22日 11:14
なるほど 鶴屋町は新しい町名だったんですね。

北浜えびす神社のに、昔の町名が彫ってあるんですが、その中に鶴屋まちがなかったんですよ。

なので、どういう経緯でそうなったかと、気になっておりました。

ありがとうございました。
Posted by るいままるいまま at 2008年02月22日 21:39
るいまま 様
塩塩コンビ納得です。
確かに、鍛冶屋はあっても、鶴を売ってるとこはないですよね。
「鶴屋」っていう屋号が町の名前になるほどの豪商がおったんかとうたがいが出ましたが、違いそうですね。
古事記も要チェックですか。
北浜えびす、前々から要チェックと思うてましたが、いよいよ尻に火が着きました。
とはいえ、たみ家、栗林公園前を開けて、週休がゼロなので、行動範囲、極せまです。

笠井様
お店確認いたしました。
寿町とは、また由来が気になるとこにいらっしゃるんですね。
鶴って今でも飛んで来るんですかね?
飛んで来たってことはえさ場があるんでしょうかとか?
おもしろいネタになりそうですね。
いろいろまた情報をお願いします。
Posted by たみ家たみ家 at 2008年02月22日 23:39
木太町の1区、2区についてですが、
高松のパリと呼ばれているそうです。
70年代に人口が急激に増えて、
郵便局が配達しやすいように区割り
したというのですが、確かなことが
分からないようです。
前に朝日新聞香川版のまちぶらで
経緯が掲載されていましたので、
アドレスを入れておきます。

http://mytown.asahi.com/kagawa/news.php?k_id=38000160706250001

さらに、小学校の社会科の授業の
記憶として。丸亀町は、丸亀市出身
の商人が住んでいたからという話を
聞いたことがあります。
そうそう、西通町も昔は町名として
ありましたし、本町、東町、西町、
南町、そして北町とある香西も以前
は香西町だったみたいです。
これは昭和30年代の香川という
写真集で発見しました。
あと、驚いたのは山田中学校の
山田が昔の山田村から付いたこと
です。
Posted by 笠井 隆宏 at 2008年02月22日 23:55
たみ家さま、はじめまして。
寿町も由来が分からないで
いるんです。ほんまにほんま、
聞いたことありません。
鶴のことは川鶴酒造の前社長で
監査役の川人洋造氏がおっしゃ
っていました。
親子の年齢差がある方ですが、
観音寺で氏がメインで活動して
いる、観音寺に鶴を呼ぶ会に賛同
してこともあって、いろいろと話して
くださいました。
鶴尾や鶴宮、津田町の鶴羽、鶴の
つく地名は実際、飛んできたからと
のこと。
最後に香川県内で鶴が確認された
のは確か1986年、もう20年あまり
前に観音寺のため池で確認された
そうです。その時に、この会が結成
されたみたいです。
川鶴の商標も観音寺に鶴が飛来
したからだと思いますよ。
Posted by 笠井 隆宏 at 2008年02月23日 00:02
るいままさんの指摘された、
鶴屋町ですが、家族に聞いた
ところ、戦前から町名がありました。
琴電片原町駅の東側、現在、穴吹の
マンションが建っている所に、鶴屋町
尋常小学校があり、その跡地を示す
碑も踏切とホームの間の目立たない
所にあります。
Posted by 笠井 隆宏 at 2008年02月23日 13:07
鶴屋町 了解です!

■丸亀町
松平以前の、生駒さまは、高松にくるまえ西のほうにいらっしゃいまして、高松にご入封するときに丸亀商人をつれてきたんですよ。

でもって、丸亀町ができあがったようです。

今は、11号線のところまでが丸亀町でしたが、昔は、今新町どおりのところまでが丸亀町(昭和8年当時の地図で確認)でして、そこから南は南新町でした。
昭和8年当時でそれで、その後 戦後に店をもった、お茶の亀屋のおじいちゃんに取材したとき、うちも南新町だったというお話だったので、歴史的な時間の流れでいうと、かなり最近まで、丸亀町と南新町の境界は北にあったといえますね~

■北浜えびす

北浜えびすと東浜えびすのあたりは、なんども埋め立てや掘り起こしをくりかえしていますので、地形ががんがん変わっています。
入江を挟んでの、ふたつの神社の成り立ちもおもしろいし

ほかにも、いろいろとおもしろいお話ございますよ~

たみ家のお尻に がんがん火つけます~ うほほほ
Posted by るいままるいまま at 2008年02月23日 16:14
■たみ家

メタボまち歩きコース。本日 構築にむけて指導させました(w

生活改善のところから お導きします~

コースがざっくりできたら 調査で歩いてみる?

でも、お店がなぁ、忙しいもんね。
Posted by るいままるいまま at 2008年02月23日 16:16
笠井様
「高松のパリ」おもしろいですね。
やっぱり自治体ごと編入だったんですね。
1940年のことなら納得ですが、日中戦争中だったんですね。

寿町は、単にめでたい名前だから松平藩が趣味でつけたと見ました。
末広もそうかとにらんだんですが、末広は明治以降の町名でしたっけ?

るいまま様
丸亀町と南新町の境界が動くってのは、驚天動地です。
そんな、戦争みたいなことってあるんですか!?
それにしても、あのお茶屋さんに生き証人がいらっしゃったとは!

昭和8年地図ってのがあるんですか、知り合いが9年の地図を持ってるらしいんですが、同じですかね?
近く、借りに行く予定です。

鶴で思ったけど、野鳥とかも町歩きの要素に入れられないものでしょうかね?

メタボコースは、歩いてみたいですね。
Posted by たみ家たみ家 at 2008年02月23日 23:37
 
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