コンプレックス

2009年01月21日

「ユング心理学」(放送大学教授 大場登著)って本が家にいつの間にかあった。

たみ家は買ってない。

他の人が買って、置いてあった。

ユングって、聞いたことはあるけど、20世紀の心理学者ってぐらいの知識しかない。


前から日本では、「コンプレックス=劣等感」みたいに扱うけど、劣等感は、いろんなコンプレックスのうちの1つで、マザーコンプレックスとか、濃密でうまくいってるような関係でもコンプレックスは生じる。
劣等感じゃなくても、ケンカや離婚や死別、そのほか様々な苦労ごとでも生じる。
トラウマもコンプレックスができる1つの要因ではあるけど、必ずしもトラウマがいるというわけでもない。

たみ家も、コンプレックスを劣等感と訳すことは誤りで、これは正さないと、コンプレックスをテーマにまともな議論ができんと思っていた。

パラパラと読んでみると
「コンプレックス」とは感情のコントロールが効かなくなるような心理的渦みたいなものらしい。

そのことになると、その人が通常行うような域を超えて、過大反応をする。

そして、その過大反応がさらなる葛藤や軋轢を通じて、傷を大きくし、渦が大きくなる。

コンプレックスがあると、それを大きくするような外的要因を引き込みやすいので、心理的渦にエネルギーが供給され続け、巨大な台風化することがある。

心理的渦は飛行機が飛んでるときの乱気流のようなもので、普段は平穏でもその渦に巻き込まれると機体が不安定になるように、何かその要因に遭遇すると対人関係の中などで言動や心が不安定になる。

誰かが熱弁したり、妙に力入れてしゃべることには、たぶんコンプレックスがあるんだろうな。
これは、間違いなさそう。

そうすると、対人関係の中で、いろいろ見えてくるものはありそうだし。

おぜにさんの種にもなるのかもね。


確かに、たみ家の場合も熱弁したり過大反応することには、たいていコンプレックスがくっついてるな。
しかし、必ずしも、劣等感から来るってわけではない。
うまく行ってて好き過ぎることからも来るし。
劣等感と関係ないジレンマみたいなことから来ることもある。
劣等感というより、苦労したなあと思うことから来ることが多いかな。
何かうまくいってないまたはいかなかった要因があることが多いが、それは劣等感のときもあれば、それ以外のことも多いと思う。

わかって欲しかったのに、わかってもらえなかったとか
協力して欲しいと思ったときに、思ったより協力者が集まらなくて、うまくいかなかった記憶。
こんなんはあるかな。

わかってもらえなかった思いがあるから、そのことで何かうまくいかなかったから、言葉が多くなるってのはある。

そう思うと、地域を良くすることに必死になるなんてのは、コンプレックス増やすな。

わかってもらえんことも多い。
そもそも自分の立ち位置さえわかってもらうのに時間がかかる。
協力集まらんことも多い。
自分のことだけするなら葛藤の場も少ないが、地域や社会のこととなると葛藤のネタが無限にある。
しかも、自分のことじゃないから、コントロール不能なことが多いから、解消がしにくいことも多々ある。

そりゃ、そういうもんだろって気もする。
かなりの部分は自分の不徳の致すとこって気もする。

コンプレックスかあ。
それも悪かあないかもな。



 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
コンプレックス
    コメント(0)