恋愛をゲームにしないもの
2011年12月30日
まずゲームを定義しましょう
ここでは、
「行為自体が楽しくて、失敗が深刻な影響を与えないもの」
としましょう。
野村監督はオールスターで
仰木監督だったかな?の「選手交替ピッチャーイチロー」に対して
松井秀から代打高津を送った。
仰木さんがゲームとして仕掛けたことに、野村さんは、オールスターや松井秀や打撃のプロの威信や尊厳への深刻な挑戦と考え、ゲームを拒否した。
たぶん打率は3割で一流だし、たけしさんや漫画家の水嶋さんのチームにプロが凡退することが多いから、イチローが討ち取る率の方が高かったでしょう。
仮に素人が止まったような球投げたって大注目の中、失敗だけが恥ずかしい場面なら、丸いもので丸いもの打つんだし、守備も9人いるんだから、アウトになる率はかなりあるよ。
その失敗がオールスターの歴史の中で末代まで語り草になるんだから、ゲームの楽しみは減らしたが、野村さんが悪いとも、プロの一流になったことのないたみ家にはわからない。
平たく言えば、恋愛の失敗やナンパしまくりの失敗を深刻にするのは、自尊心が傷つくというそれだけのことが多い。
断られて傷つくか、変な噂立てられて傷つくか、別れを切り出されて自分はダメ人間と落ち込むか、素敵な甘い想い出の喪失感に浸るか、それぐらいしかない。
別れたフラれたどころか、恋人いない歴人生の人なんか、喪失すらさせてもらえんのやから、フラれて自殺するんだったら、いない歴人生の人は、どうやって生きるんだっつーの。
負けに深刻な心理的影響を刻む人は、将棋やテニスの対戦すら拒む。
またキャリアにファイトマネーが連動するボクシングなんかでは、亀田さんなんか、すごく慎重に対戦相手を選ぶ、失敗が深刻な影響を与える「ビジネス」であって「ゲーム」ではない。
ゲームなのに、その人が勝手に深刻になって尻込みするものの代表格が議論だ。
たみ家は恋愛は対戦数も人並みか以下で、勝率も大したことないけど、議論とオセロは極端に負けが少ない。
恋愛は多少傷つくし、世間体もあるからアホみたいなことはできんわなあ。
でも、犯罪やストーカーやセクハラみたいな方法の逸脱がなければ、たいがい深刻にするのは気分の問題。
じゃあ、なぜ議論は無敗と感じ、自尊心が傷つかないのか、なぜ、他人は議論に不快さを感じたり、自尊心が傷つくのか。
自分はほんとに自分の立場を守ることにこだわりがないからかと思います。
香川や高松の人々の暮らしなどが良くなる方法を考えるという意味で、そういう範囲でしか議論しないから、価値を感じないことや自分が調べもしてないことに反論とかしないからです。
ここのブログで議論したら、一方的に攻撃される側でもおかしくないのに、負けないし、自尊心も傷つかないのなぜか?
すでに公共のために真剣に考えてる時点で自尊心が満たされてる。
またたみ家がよく調べてることに調べてない人が反論するから。
たみ家はわからないことは断言せず慎重に言葉を選んでる。
香川を良くするために考えて発信して意見のやりとりをすることがメッチャ楽しくて自分ではカッコいいと思える。
実際に自分の無知や間違いはご指摘などで頻繁に発覚してます。
しかし、香川を良くするために考えを練り上げる過程で知識が増えたとか改良点や弱点を見つけてくれてありがとう。「またオレ強くなりましたよ。」ぐらいにしか思ってなくて、香川を良くするかどうかに関係ない自分の考えの維持には関心がない。信号番号に弱点を指摘され納得できたら、改良のためのご意見ありがとうでしかないから、負けがない。
自分を守る議論だから負けができ、自尊心が傷つく、香川を良くするための議論には互いが真摯で紳士なら不快さも負けもあり得ない。
議論が嫌いな人ってエゴのために議論してるの?
だからフラれて傷つくみたいになるの?
たみ家も恋愛は人並みに傷つくわ。
自分のためにやってて、他人のためじゃないし、公的な大義名分もないし。
そうすると、ひたすらお相手を幸せにすることだけを考えてみようか。
そしたら傷つかなかったりしてね。
最後の方はジョークです。
わし、ジョークって冗句をカタカナにしたんかと、10歳ぐらいのときは思ってました。
英語との間でよくできた偶然ですね。
ここでは、
「行為自体が楽しくて、失敗が深刻な影響を与えないもの」
としましょう。
野村監督はオールスターで
仰木監督だったかな?の「選手交替ピッチャーイチロー」に対して
松井秀から代打高津を送った。
仰木さんがゲームとして仕掛けたことに、野村さんは、オールスターや松井秀や打撃のプロの威信や尊厳への深刻な挑戦と考え、ゲームを拒否した。
たぶん打率は3割で一流だし、たけしさんや漫画家の水嶋さんのチームにプロが凡退することが多いから、イチローが討ち取る率の方が高かったでしょう。
仮に素人が止まったような球投げたって大注目の中、失敗だけが恥ずかしい場面なら、丸いもので丸いもの打つんだし、守備も9人いるんだから、アウトになる率はかなりあるよ。
その失敗がオールスターの歴史の中で末代まで語り草になるんだから、ゲームの楽しみは減らしたが、野村さんが悪いとも、プロの一流になったことのないたみ家にはわからない。
平たく言えば、恋愛の失敗やナンパしまくりの失敗を深刻にするのは、自尊心が傷つくというそれだけのことが多い。
断られて傷つくか、変な噂立てられて傷つくか、別れを切り出されて自分はダメ人間と落ち込むか、素敵な甘い想い出の喪失感に浸るか、それぐらいしかない。
別れたフラれたどころか、恋人いない歴人生の人なんか、喪失すらさせてもらえんのやから、フラれて自殺するんだったら、いない歴人生の人は、どうやって生きるんだっつーの。
負けに深刻な心理的影響を刻む人は、将棋やテニスの対戦すら拒む。
またキャリアにファイトマネーが連動するボクシングなんかでは、亀田さんなんか、すごく慎重に対戦相手を選ぶ、失敗が深刻な影響を与える「ビジネス」であって「ゲーム」ではない。
ゲームなのに、その人が勝手に深刻になって尻込みするものの代表格が議論だ。
たみ家は恋愛は対戦数も人並みか以下で、勝率も大したことないけど、議論とオセロは極端に負けが少ない。
恋愛は多少傷つくし、世間体もあるからアホみたいなことはできんわなあ。
でも、犯罪やストーカーやセクハラみたいな方法の逸脱がなければ、たいがい深刻にするのは気分の問題。
じゃあ、なぜ議論は無敗と感じ、自尊心が傷つかないのか、なぜ、他人は議論に不快さを感じたり、自尊心が傷つくのか。
自分はほんとに自分の立場を守ることにこだわりがないからかと思います。
香川や高松の人々の暮らしなどが良くなる方法を考えるという意味で、そういう範囲でしか議論しないから、価値を感じないことや自分が調べもしてないことに反論とかしないからです。
ここのブログで議論したら、一方的に攻撃される側でもおかしくないのに、負けないし、自尊心も傷つかないのなぜか?
すでに公共のために真剣に考えてる時点で自尊心が満たされてる。
またたみ家がよく調べてることに調べてない人が反論するから。
たみ家はわからないことは断言せず慎重に言葉を選んでる。
香川を良くするために考えて発信して意見のやりとりをすることがメッチャ楽しくて自分ではカッコいいと思える。
実際に自分の無知や間違いはご指摘などで頻繁に発覚してます。
しかし、香川を良くするために考えを練り上げる過程で知識が増えたとか改良点や弱点を見つけてくれてありがとう。「またオレ強くなりましたよ。」ぐらいにしか思ってなくて、香川を良くするかどうかに関係ない自分の考えの維持には関心がない。信号番号に弱点を指摘され納得できたら、改良のためのご意見ありがとうでしかないから、負けがない。
自分を守る議論だから負けができ、自尊心が傷つく、香川を良くするための議論には互いが真摯で紳士なら不快さも負けもあり得ない。
議論が嫌いな人ってエゴのために議論してるの?
だからフラれて傷つくみたいになるの?
たみ家も恋愛は人並みに傷つくわ。
自分のためにやってて、他人のためじゃないし、公的な大義名分もないし。
そうすると、ひたすらお相手を幸せにすることだけを考えてみようか。
そしたら傷つかなかったりしてね。
最後の方はジョークです。
わし、ジョークって冗句をカタカナにしたんかと、10歳ぐらいのときは思ってました。
英語との間でよくできた偶然ですね。
Posted by たみ家 at 12:49│Comments(0)
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