人が生きるための戒律やからね

2011年05月29日

イスラム教とかヒンズー教ができたときには、そのときのそこの人間が生きるための戒律があった。

厳しい気候で災害が多かったりメシ食えないとこの戒律は差別的であったり厳罰が多い。

でもね。
宗教は人がよりよく生きるための戒律だ。
人がよりよく生きることを念頭に置かない宗教があるとするなら、それは否定されなければならない。

女性が自動車を運転できないとか、未亡人が生きるのは恥として殺されるとか何だろうね。

しょせん砂漠で戦闘しながら略奪通商した男集団の戒律でしょ。

生産手段も食糧事情も寿命も違うんだから、当然、人がよりよく生きるための戒律は変わらなくてはならない。

これから女性を差別している国は、絶対的に貧困が減らないから、その貧困故にいつまでも、テロや戦争の温床になり続けるだろう。

どのような地域であれ、文化であれ、宗教が女性を差別する正当性は認められない。

人口の過半を占め、しかも長生きするんだから、人間は四捨五入したら女性になってしまうからね。

人口の過半に足かせをはめてる社会が、グローバルな競争に耐えられる社会たりえるはあり得ない。
だからその社会は負け犬となって貧困を恨み、内に犯罪、外にテロと戦争の温床となり続けることになる。

宗教ができたときの教祖の考えが言った者勝ちで今も正しいとかあり得んし。
客観的に突き放した言い方したら、そのときの一個人の意見でしょ。

それに理不尽に振り回されて、命まで取られるのはどうかね。


 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
人が生きるための戒律やからね
    コメント(0)