讃岐「丼」である理由

2011年01月08日

田尾理論では、餡餅雑煮は観光資源にならない。
うどんが観光資源になったのは、店がたくさんあるからだという。

AKBなどおぜにさんの神様秋元先生に学びましょう。
単品でそれほどでない商材を魅力的に見せ、色んな好みに合う楽しみを提示し、新陳代謝を許すならパフォーマーを多くしないといかんでしょう。
すると、目下讃岐丼の店なんてありません。

だから、追加仕入れや追加オペレーションを極力少なくしないと、新しいネタに多数の事業者をかませることはできない。
讃岐コースや讃岐会席では絶対にダメなんです。
20品目乗せて、1500円前後で「当地にしかないもの」として陳腐なB級を脱して、100店、ホテル、居酒屋、寿司屋などなど咬ませて、偏りなく多品種を使うことで、農協、漁協なんかをまとめるには、「丼」というシンプルオペレーションで比較的安価に、地元のものであれば食材しばりをなくして、元々そこが仕入れに強いものや旬を扱い、単一の食器の中に、多数の食材でAKBを表現しないといかんわけです。

たみ家のは、思いつきでも、常にこのぐらいの理論のフィルターはかかってます。

ピンの商材そのものの良し悪しで優劣が決まるなら、AKBとかおにゃんこ説明できんでしょ。

面で地域振興として消費量確保するには、オペレーションや価格の点など考えてAKB化というか田尾理論を踏むのは、常道の一つでしょう。


 
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