風景の言葉 1 背景に決められる「自分」

2008年05月25日

「ほんとうの自分」って言葉を使う方がときどきいらっしゃいます。

「ほんとうの自分」っていうことは、「ほんとうでない自分」がいるってことでしょう。

じゃあ、誰かが、何かが、ほんとうの自分を出せなくしているということでしょうか?

それとも、過保護とか、過度の期待とか、いじめや虐待など、育ってきた環境が、ほんとうの自分を変えてしまったのでしょうか?


たみ家は、「ほんとうの自分」って言葉は使いません。
「ほんとうの自分」しかないと思ってるからです。
立場が弱い状況でへにゃへにゃしてるときも、「そういう状況でそうなるのが自分なんだなあ。」と思ってます。

自分より強い人や苦手な人の前でも毅然と振舞う人はいるし、言いたいことが言えない人もいる。

「強い人の前では自由に振舞えない。」それがその人のほんとうの姿なんでしょう。
その理由は、その人の中に何かあるはずです。

また、誰もいない一人の部屋でもきちんとしたかっこうをしてないと気がすまない人もいます。
態度や行動は必ずしも誰かに制限されてるってわけでもないでしょう。

「ほんとうの自分」って言葉を無自覚に使う限り、ほんとうの自分なんて見つかりようがないのでは?
もし、見つかったような気がしても、それは「ほんとうの自分」というより、周辺の環境が自分にやりやすいようになった状態でのやりやすい快適な自分ってことではないでしょうか?

コギト・エルゴ・スム

絶対的な自分から出発するって、なかなか実際には少ないと思う。

育ちや環境と自分の属性がからみあって、背景に決められて、そのときどき、選択して行動するすべてが「ほんとうの自分」であるって考える方が、正しいのではないでしょうか?

なぜ、「ほんとうの自分」って言葉に疑問を投げかけるのか?

たみ家は、実用性につながりようのないことはあまり言いません。

自分が出せないのを何かのせいにするより、それも自分と認める方が行動の責任を明らかにするし、選択するそれぞれすべてを自分だと認めることによって、周囲との関係を自覚し、より自分の考え方や判断の意味を主体的なものにするからだと考えています。

人間はどこまでいっても、周辺環境や人間関係など背景に決められた中での自分しか持ち得ないのだから、それ以外の「ほんとうの自分」って、考えてもどうなんだろうと思ったりします。

何かうまくいかないのは他人のせいなんかい?
と、人は誰しもどこかにエゴイストなとこがあるので、そう思うのは、それで自然だと思いますが、自分の考え方の傍流がそうなるのはいいけど、主流の部分がそれだったらどうだろうかと思うとこはあります。


これが環境観や経済観や国や地域などの共同体観などにもからんでくると思ってます。

自分観があるから、周辺に対する観があるわけですから、当然といえば当然かも。

この話は、けっこうウケ悪いんです。
なぜ、ウケが悪いかは、どこか、人を個の生き物としてとらえたときに、折り合いがよろしくない考えなんでしょうね。
ただ、世の中の多くの問題の大きなもので、さらに深刻なものは、個の人間と巨大化しすぎた社会のギャップからうまれているように感じてます。

背景に規定されて、その中で、主体性を交えて、形作られる自分、その一瞬一瞬がすべてほんとうである。
はて?どこが折り合いが悪くて、どこにギャップがあるのでしょうか?
なかなか短くすっきりとは書きにくいですね。



この記事へのコメント
 いいお話です。わたしも『あの場では言い出しにくい雰囲気があった』とか、自分の意見をはっきり言わなかったのはあたかも周りの人が悪いみたいな事を言っていまうことがありました。
 でも、よく考えてみるとそういう自分が自分らしいというかそれも自分なんですよね。
 ウケが悪いですか?わたしは共感いたしました。
 摩擦を恐れたりまた、面倒がって言おうとしないのもそれを選択するのも自分なんですよね。
 個とは言ってもやはり環境に適応しようとして少しずつ変化もしていくのが自分なんだとも思います。いろんな人の考えや環境によって考えや行動も変わります。
 無理に『本当の自分』という言葉を使うなら、『本当の自分は日々、刻々と微妙に変化する』になるでしょうか(笑)。
 
Posted by 柳下玲優 at 2008年05月25日 15:09
柳下さんありがとうございます。
ウケが悪いのは、たぶん、「王子様が別世界に連れて行ってくれる」みたいな気持ちをどっかに持ってる人に対してだと思います。
たぶん、柳下さんは、そういうタイプではないのだと思います。
どうでしょう?
Posted by たみ家たみ家 at 2008年05月26日 20:18
 
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    コメント(2)