衆と商

2010年05月14日

10代の頃、(夏)殷周から始まって中国の王朝並べたりしましたが

殷は商王朝の最後の都の名前であり異称で、商が正しい王朝名でしょう。

酒池肉林の語源となった評判の悪い王さまのときに周に滅ぼされましたが

商の人は、ちりぢりになった後に、金融やら流通やりまして、それでこれらが、商人とか商業といわれるようになりましたとさ。

それにしても加減乗除と和差積商のうち、割り算のだけがピンと来ない。
掛け算は確かに、乗せたら積んだことになるし、次元が上がるわなあ。

古代、商人の計算の世界でしか、割り算みたいな高度なことしなかったからかな?
ここは謎。

衆と言う字の上は、城壁、そして、下は人が3人書かれてる。
城壁に守られた人々が衆。

じゃあ、誰から守られる必要があったのだろうか?

羌(きょう)、羊の下に人がいる。
牧畜民族が外敵だった。

商=殷は、銅山見つけて、黄土を鋳型にして、錫との合金、青銅で武器をつくって、石器しか持たなかった部族を圧倒していき、羌を圧倒して、中国をまとめていきましたとさ。


それにしても
四大文明のDVD見てて

インダス文明の遺跡だけ、王の墓とか神殿とか権力者のモニュメントが出てこないそうだ。

ナイルの洪水は毎年必ず

メソポタミアも、下流は高低差ゼロに近く、氾濫した葦の群生する広大な湿地帯があるし、洪水多かったに違いない

中国も、堯舜禹(ぎょうしゅんう)の話は、治水のことが多い。

洪水があれば、必ず有無を言わせず労働力を集めて、短期間に大きな工事が必要だから、権力の集中を要したはず。

インダス上流は山がものすごいから雪解け水は年中多かったと思うけど、あまり氾濫しなかったのかな?

ここも要勉強や。



この記事へのコメント
「商」とは「分かち合う」という意味だと説明された経済学者がいます。
 
漢和辞典的には「あき」は秋で、収穫の季節なのですが・・・「空き・なし」=「あますところなし」と解釈して、「ない」は接尾辞「なう」=「何かをする」の名詞化ですから、「あますところなく分かち合う」が、「商い」の基本なのだ、と。
ところが、頭の良い者が「おこぼれ」をちょうだいしようと、利益を「除く」ことを考え出したのですね。ということで、割り算は「割に合わない」モノになってしまったのです。
Posted by ほほいのほい at 2010年05月16日 09:55
ほほいのほいさま
なるほど、ありがとうございます。
収穫が秋ですか
夏が殷より前の伝説上の王朝としてありますが
こっちの意味も気になります。
Posted by たみ家たみ家 at 2010年05月17日 07:36
 
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