回転

2010年03月04日

ネジのことを考えてみて、いろいろ見てると、荷重重視はプラスが多く、時計の中とか壁のコンセントの蓋とか荷重のかからないところに、マイナスが多いような気がするが、必ずしもそうともいえない。
以前の記事のとっさの想像は、木製の棚では、頭が平らなプラスが多かったなど、ハズレが多かった。

でも、金型をつくって、ベルトコンベアで回し、大量につくるものが、理由と規格を重視しないとは思えない。
偶然とか、適当って、そうそうあると思えない。

例えば、大きな機械では、六角締めが多いけど、電動で回せないと、大量に正確に力強く締めるのは難しいとか、理由はあるでしょうね。

まだ、調べられてません。

ネジの歴史上の最初の登場は、アルキメデスによるもので、ダビンチも中興の祖みたいな存在で、ネジの大量生産がかなわなかったら、産業革命も歴史上のものよりもショボかったかもしれない。
産業革命とともに、ネジの需要は大量に発生。
機械の部品の接合ができなければ、工場の機械化も難しかったでしょうね。

ネジって、回転運動を直線運動に変換してますよね。
釘のような直線の動きを回転運動から変換している。

また、逆の変換もあるでしょう。

はてはて、とっさに、たみ家は思った。

文明とか社会って、直線運動を回転運動に変換することでないだろうかと。

例えば、回転ずしが、永遠に直線だったら、2回目の提供がたいへんですよね。

換気扇が団扇のような往復運動だったら、あんだけ回し続けられないし、風向きも安定しないでしょうね。

会計の循環も同じ。

農業も、自転、公転と回転運動に伴わせてるから、再現できる。

会計年度って、年で回すのは覚えやすいのもあるけど、基本が農業の収穫までのサイクルにあわせる経済にあったとしたら納得。

人間は、先天的には、回転運動を行うより、直線運動に向いている。

狩猟でやりで突いたり、木の実に手を伸ばしてむしるなんてのは、直線的で、循環を意図しない。

農業という循環的な考えを要する方法が重要になって文明が起こる。


プラン、ドゥー、チェック、アクション、PDCAサイクルも循環だね。

文明は回転で、究極、理想は円だ。
円の軌跡が最短で、外部抵抗や内部ロスなどがあるから円にならない。

押尾さんの言い分と同じだ。
誰もが円を望む、でも円と付き合えないから、それ以外で我慢している。
円とオレを置き換えてください。

回転寿司の軌道も寿司の回転だけなら円が理想だけど、厨房や客席や店舗など、人間の動きやそれ以外の制約があるから、直線が多く入ってるのでしょうね。


農業以前でも、キリみたいなのを回して火を起こす原始人類の絵があるけど、回転だから、火が起きるまで運動を一箇所で続けられるのでしょう。

サイン、コサイン、タンジェントが大事なわけだ。

虚数とか、基礎解析とか、高校のとき意味ないと思ったけど、当たり前の人間の活動や文明を支える知識だね。

直線運度を回転運動に変換し、回転運動から直線運動を生み出し、また、回転運動に入力していく、絶えざる再現、これが文明であり、経済活動であり、多くの人が協力して生きるということでないだろうか?

成長戦略というのもこういうことだと思う。

回転運動に戻ってこないロスが多いと、成長しないし、下がっていったりもする。

変換、変換で、回転運動が大きく強くなるから、成長って言うんでしょうね。

そして、回転する媒体のメインがおぜにさん。

物々交換だと回転運動に戻らんロスが大きすぎるし、回転のスピードは上がらんわな。

ドライバーのプラスマイナスのとっさの疑問から、30時間ほどでここまで発展させて、引っ張るのは爽快だなあ。



 
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