州都と宿毛
2008年04月15日
今の担当大臣は、2018年か年度までに、道州制の完全実施を言っている。
区割りは、まだだが、これから逆算すると、州都争いは、その数年前には決着がついてないといかんことないだろうか?
あまり、よく知らないんだけど、松山って、その気あるんですか?
既成事実をつくる高松に対して、白旗を挙げてるのか、そうでもないのか、情報がまったく入らないので。
そもそも、州都なんか誘致する必要がないじゃないかと言いたいとこですが、今の制度や、街の状況などを考えるに、ならないと切実に困りそうだから、なっといた方がいいと思う。
ただ、高松は州都になるにふさわしいですか?
今まで、高松は四国の中枢拠点性を担ってきたといわれてきました。
港湾の位置に恵まれていただけじゃないですか?
担ってきたのは、よそから来た支店の人や国の機関の人で、高松の人がどれほど中枢拠点性に貢献しましたか?
じゃあ、今、高松が州都になろうとするのは何のためですか?
高松市民が四国の中枢にふさわしい拠点をつくり、四国全体のことを考え、四国全体をひっぱり上げる原動力になろうとしてますか?
自分たちのことで、精一杯で、四国全体のことを良くするためのリーダーシップを発揮しようなんてどれだけの人が考えているのでしょうか?
たまたま、宿毛の話が出ましたが、四国霊場の札所番号を生活や習慣の中に溶け込ませようと考えるのも、一つには、その脈から考えてのものです。
四国の中で、リーダーシップを発揮するということは、宿毛のことも考えるってことじゃないでしょうか?
欲するのみでなく、与えるエネルギーを外に発していくことによってしか、中心になりえないのでは?
ブラックホールじゃあるまいし、中枢に名乗りを上げることが、お金が無くて困ってるから、中央から来る富の源泉を独り占めしようとして、四国の方を向かずに、中央から来るお金持ちや権力に近い人々の入るところを住民から集めたり国からもらったお金でつくって招き入れるところに力は入れたけど、肝心な、住民の側には、その心を持つ余裕が今の経済情勢もろもろの中でない。
目標を高くもって本気でやったら案外、低めで設定した時期の目標はその中で通過できることはあると思う。
自分たちや高松を良くしようとして、その線を狙ってたんでは、ときに怠けたり、予想外のうまくいかないことが出たりするんで、どうしても届かない。
四国全体を良くする気持ちや力を持とうとして、そのように街をつくっていけば、案外、高松を良くすることについてはいい線いけたりするんでないかと思う。
今は、物をもらうために州都を目指しているとよそから言われても否定できんのでは?
特権的な地位を自分の欲得のために手に入れようとする人は、ときに卑しまれますが、今、そうでないと言い切れるだろうか?
アメリカも慈悲深く、寛容なリーダーであるときは、魅力的だが、一たび、自分の権益のために、外国を戦地にすると、世界全体がおかしくなる。
東京も、全国の富を集めているのに、全国を良くしようとする視野や寛容さについて、疑わしさを感じさせる。
何でも、そうだと思う。
集団の中で、地位のある者、力のある者、自信のある者などが、全体に目配りしないところはうまくいかない。
今の高松が州都になって、リーダーシップを発揮しようとしても、国からの上位下達を脱することはできないし、独自のあるべきビジョンももてず周囲と綱引きするだけだろうし、まず、発揮するべき力がない。
その力がなくて、自分のことで精一杯だから、周囲に対して力を与えていけるはずがない。
そうすると、州都には、中心性なんか持たせなきゃいいのに。
ニューヨーク州の州都がニューヨークでなく、人口10万もないようなとこになってることを参考にできんもんかなどと、総論では思う。
でも、やっぱり、各論では、四国支社なくなったら、うち、店閉めないといけないかもしれないから、やっぱり州都誘致大賛成!
。。。するしかないわな。
じゃあ、せめて、総論の理想に近づこうと思って、毒にも薬にもならんような、頭の体操の中で、一番遠い宿毛の観光振興のことなど考えてみた。
区割りは、まだだが、これから逆算すると、州都争いは、その数年前には決着がついてないといかんことないだろうか?
あまり、よく知らないんだけど、松山って、その気あるんですか?
既成事実をつくる高松に対して、白旗を挙げてるのか、そうでもないのか、情報がまったく入らないので。
そもそも、州都なんか誘致する必要がないじゃないかと言いたいとこですが、今の制度や、街の状況などを考えるに、ならないと切実に困りそうだから、なっといた方がいいと思う。
ただ、高松は州都になるにふさわしいですか?
今まで、高松は四国の中枢拠点性を担ってきたといわれてきました。
港湾の位置に恵まれていただけじゃないですか?
担ってきたのは、よそから来た支店の人や国の機関の人で、高松の人がどれほど中枢拠点性に貢献しましたか?
じゃあ、今、高松が州都になろうとするのは何のためですか?
高松市民が四国の中枢にふさわしい拠点をつくり、四国全体のことを考え、四国全体をひっぱり上げる原動力になろうとしてますか?
自分たちのことで、精一杯で、四国全体のことを良くするためのリーダーシップを発揮しようなんてどれだけの人が考えているのでしょうか?
たまたま、宿毛の話が出ましたが、四国霊場の札所番号を生活や習慣の中に溶け込ませようと考えるのも、一つには、その脈から考えてのものです。
四国の中で、リーダーシップを発揮するということは、宿毛のことも考えるってことじゃないでしょうか?
欲するのみでなく、与えるエネルギーを外に発していくことによってしか、中心になりえないのでは?
ブラックホールじゃあるまいし、中枢に名乗りを上げることが、お金が無くて困ってるから、中央から来る富の源泉を独り占めしようとして、四国の方を向かずに、中央から来るお金持ちや権力に近い人々の入るところを住民から集めたり国からもらったお金でつくって招き入れるところに力は入れたけど、肝心な、住民の側には、その心を持つ余裕が今の経済情勢もろもろの中でない。
目標を高くもって本気でやったら案外、低めで設定した時期の目標はその中で通過できることはあると思う。
自分たちや高松を良くしようとして、その線を狙ってたんでは、ときに怠けたり、予想外のうまくいかないことが出たりするんで、どうしても届かない。
四国全体を良くする気持ちや力を持とうとして、そのように街をつくっていけば、案外、高松を良くすることについてはいい線いけたりするんでないかと思う。
今は、物をもらうために州都を目指しているとよそから言われても否定できんのでは?
特権的な地位を自分の欲得のために手に入れようとする人は、ときに卑しまれますが、今、そうでないと言い切れるだろうか?
アメリカも慈悲深く、寛容なリーダーであるときは、魅力的だが、一たび、自分の権益のために、外国を戦地にすると、世界全体がおかしくなる。
東京も、全国の富を集めているのに、全国を良くしようとする視野や寛容さについて、疑わしさを感じさせる。
何でも、そうだと思う。
集団の中で、地位のある者、力のある者、自信のある者などが、全体に目配りしないところはうまくいかない。
今の高松が州都になって、リーダーシップを発揮しようとしても、国からの上位下達を脱することはできないし、独自のあるべきビジョンももてず周囲と綱引きするだけだろうし、まず、発揮するべき力がない。
その力がなくて、自分のことで精一杯だから、周囲に対して力を与えていけるはずがない。
そうすると、州都には、中心性なんか持たせなきゃいいのに。
ニューヨーク州の州都がニューヨークでなく、人口10万もないようなとこになってることを参考にできんもんかなどと、総論では思う。
でも、やっぱり、各論では、四国支社なくなったら、うち、店閉めないといけないかもしれないから、やっぱり州都誘致大賛成!
。。。するしかないわな。
じゃあ、せめて、総論の理想に近づこうと思って、毒にも薬にもならんような、頭の体操の中で、一番遠い宿毛の観光振興のことなど考えてみた。
Posted by たみ家 at 20:00│Comments(0)